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EH10のデザインは大好きでした。子供の頃はよく見かけました。
EH10は、出力特性の違いで補機と協調運転ができないので、瀬野八越えができず、岡山より東の運用に限定されたという事は、子供の頃に読んだ鉄道本で漫然と知っていましたが、そういう事だったんですね。今回初めてそのメカニズムが理解できました。有難うございます。
まあ、それ以前にEH10の場合、車両重量のわりに軸重が軽く、25‰勾配では空転が多発して使い物にならなかったそうなセノハチ以外にも中央東線での試験で、勾配区間に適性なしとされた
EH10がEF59と協調運転ができず、セノハチを越えられなかったという話を聞いた時に、総括制御するわけでもないのになぜだろう??と疑問に感じていましたが、長年の謎が解けました!!S、SP、Pのときの電動機の組み合わせ個数からくる問題だったとは、、、。メカ的な部分の痒いところに手が届くような詳しい解説、とても勉強になりました🤗 EH10、昭和末期生まれの私は当然動いている姿を見たことはありませんが、見てみたかった機関車の1つです!!EH500やEH200といった平成のマンモス機とは違った迫力があったことでしょう。
大阪の公園行こう!😁
このとぴ、実にモーターのことが良く解って良いトピでした。
EH10、他のELとは一線を画した?デザイン。私は大好きでした。一度生で見たかったです。
生で見る、だけならまだ可能ですよ。ぜひ大阪、淡路駅へ…
7:37 〜 こんなソフトがあるんですね 解説が理系寄り(?)で面白い!
横浜で就職して戸塚の大踏切があったころ、H10みました。真っ黒な車体に黄色いライン、感動しました「絵本と同じだー!」
モーター6個じゃ足りず12個重連だとオーバースペックだからD型重連で解決なのがアダになった訳だ…
元から重連機関車なのにセノハチ程度で補機が要る辺りもう山陽でも時代遅れだったのですね。上越線や中央線、黒磯以南にも移転された話聞かないし、使い道なかったものかと。
末期は岡山の宇野線とかにいたんじゃ?
EH10は黒くカッコ良かったです。他の機関車とは違って物凄く重量感がありました。小さな頃に好きな車両でした。EF66もコンテナ列車を牽いてカッコ良かったですが、幼稚園児なので2両なのでもっと凄いと思ってました。
EH10、子どもの頃に読んだ図鑑には載っていましたが、実際には見たことがありませんでした。
大多数は25年くらいの一生だったはず。先輩のEF15は分割民営化の少し前まで残ってましたけどね。自分も縁がありませんでした😢
じゃあ、補機もEH10にしてしまえばよかったんじゃ? とか思ったりもする。
ところが本務機にはF級機も多数いるわけよ。EH10本務機には必ずEH10補機を充当する限定運用は非現実的で、万が一それが可能だったとしてもダイヤが乱れると途端に番狂わせが生じてしまいます。しかも、そんな異常時は低速運転が大幅に増えるのよね。
@@kagemusha250俺もスレ主と同じ事考えたけど、そもそも製造数が少ないから補機に回すものも一苦労だったね…
@channelsada3849 元々セノハチってディーゼルカーは補機いらずでしたっけ電車の高性能化や短編成化で補機いらず、でもたまに落ち葉で空転しちゃったり客車列車は補機付けたり付けなかったり、貨物列車は昔からトン数に関係なく、EF65やEF66だけじゃなく今のEF210でさえ補機連結してますね計画のみっすけどEF200が変電所を改良してフルパワー出そうとしてたってのはありましたね
EH10は小学生の頃、横浜駅近くのサカタのタネの側にあった跨線橋で、学校の帰りに寄り道してよく見ていました。低い唸り音を上げてやって来る黒い巨体は、少し怖い感じさえしました。懐かしいです。
貨物列車は長いからかなかなか最後尾まで出てきませんね。ワムフ100やヨ6000らしきものはちょっと見えましたが、当時沢山居たワフ21000とか22000とかも見たいです。
俺の感想だけど 宇野線止まりだったのが余りにも悲劇なマンモス様 せめて後年電化された勾配のゆるい呉線で実力を発揮できたらなあ(泣)
新鶴見にD51撮りに行くと吹田のEH10が矩形庫の横にEF12やEF65と並んで停まってた、1970年頃の話
他所の地域...鹿児島本線折尾〜門司と教育大前〜海老津を何故か思い出しました。
1970年代、子どもの時、戸塚駅の近くで二軸貨車を引いてダッダッダッダッとゆっくりめの速度で走っていくのを見てました。
いかにも鉄道公安隊RAILWARSの機関車を思い出すような存在で、これが本当のEH10特強富士、ということですね。今思えば金太郎・ブルーサンダー・青函新幹線800の元祖で、EH10を開発しなかったら、今の日本どころか、JR貨物、そして日本の物流は無かったことでしょう。今後、金太郎・ブルーサンダー・青函新幹線800を、いっそうのことリバイバルEH10色を実現してほしいです。
山陽本線もその頃、姫路以西か、岡山以西か、あるいは広島以西か、岩国以西かと直流と交流の接続箇所(交直デッドセクション)が検討されていた。しかし、実際に設けられた場所は関門トンネルを潜り抜けて門司駅構内に入ろうとする場所に交直セクションが設けられた✌️
EH10型といえば、EH500型とEH800型の御先祖様ですっ!!
大山崎辺りでよく見かけました。、懐かしいですね。、😅
EH10は岡山までの運用でしたね。
いつ見てもこの声どうしても鈴木盛久さんに聞こえる
EH10が旅客用電機機関車として活躍したらセノハチは更に大変な事になっていたかも?
子供の頃、東海道を轟音をたてて走るEH10がまるで骸骨のように見えて怖かったなぁ。
なるほど、H形であるが故にスピードが出せずに「EH"10"形」になったんですね。
EH10、自分が鉄してた頃(47年前)が最後の活躍だった。H機に補機にも置けるだけの数がなかったというのが悲劇の始まりだったのね。自分達にはEF58と同じような旧電機と新電機の中間のような存在の扱いだったな^^;
もうそんなに経つんですね!?あ~ヤダヤダw
もしもっと運行範囲が広かったらと想像したらブルートレインを牽引したりしていたのかなと思います。時代は変わり息子達が今も貨物を支えていると思うとEH10は偉大ですね。
優れた性能を披露できない悲劇!! もしEF59に代われれば瀬野八に職場を見いだせたのに(泣)
7:00 架線がなくても走れるEH10(笑)
Hを「エッチ」と読むと今の人には勘違いされそうです
いまや規制によりエイチすら叡智と書く人の増えた状況w
山陽本線になんでそんな勾配区間作ってしまったんだろうね新垂井線のような緩和線作れなかったのかな
エッチトー? 聞いた事もないわ、勝手に言ってるの?
同意。
EH10のデザインは大好きでした。子供の頃はよく見かけました。
EH10は、出力特性の違いで補機と協調運転ができないので、瀬野八越えができず、岡山より東の運用に限定されたという事は、子供の頃に読んだ鉄道本で漫然と知っていましたが、そういう事だったんですね。
今回初めてそのメカニズムが理解できました。有難うございます。
まあ、それ以前にEH10の場合、車両重量のわりに軸重が軽く、25‰勾配では空転が多発して使い物にならなかったそうな
セノハチ以外にも中央東線での試験で、勾配区間に適性なしとされた
EH10がEF59と協調運転ができず、セノハチを越えられなかったという話を聞いた時に、総括制御するわけでもないのになぜだろう??と疑問に感じていましたが、長年の謎が解けました!!
S、SP、Pのときの電動機の組み合わせ個数からくる問題だったとは、、、。
メカ的な部分の痒いところに手が届くような詳しい解説、とても勉強になりました🤗
EH10、昭和末期生まれの私は当然動いている姿を見たことはありませんが、見てみたかった機関車の1つです!!
EH500やEH200といった平成のマンモス機とは違った迫力があったことでしょう。
大阪の公園行こう!😁
このとぴ、実にモーターのことが良く解って良いトピでした。
EH10、他のELとは一線を画した?デザイン。私は大好きでした。一度生で見たかったです。
生で見る、だけならまだ可能ですよ。ぜひ大阪、淡路駅へ…
7:37 〜 こんなソフトがあるんですね 解説が理系寄り(?)で面白い!
横浜で就職して戸塚の大踏切があったころ、H10みました。
真っ黒な車体に黄色いライン、感動しました「絵本と同じだー!」
モーター6個じゃ足りず12個重連だとオーバースペックだからD型重連で解決なのがアダになった訳だ…
元から重連機関車なのにセノハチ程度で補機が要る辺りもう山陽でも時代遅れだったのですね。
上越線や中央線、黒磯以南にも移転された話聞かないし、使い道なかったものかと。
末期は岡山の宇野線とかにいたんじゃ?
EH10は黒くカッコ良かったです。他の機関車とは違って物凄く重量感がありました。小さな頃に好きな車両でした。EF66もコンテナ列車を牽いてカッコ良かったですが、幼稚園児なので2両なのでもっと凄いと思ってました。
EH10、子どもの頃に読んだ図鑑には載っていましたが、実際には見たことがありませんでした。
大多数は25年くらいの一生だったはず。先輩のEF15は分割民営化の少し前まで残ってましたけどね。
自分も縁がありませんでした😢
じゃあ、補機もEH10にしてしまえばよかったんじゃ? とか思ったりもする。
ところが本務機にはF級機も多数いるわけよ。EH10本務機には必ずEH10補機を充当する限定運用は非現実的で、万が一それが可能だったとしても
ダイヤが乱れると途端に番狂わせが生じてしまいます。しかも、そんな異常時は低速運転が大幅に増えるのよね。
@@kagemusha250俺もスレ主と同じ事考えたけど、
そもそも製造数が少ないから補機に回すものも一苦労だったね…
@channelsada3849 元々セノハチってディーゼルカーは補機いらずでしたっけ
電車の高性能化や短編成化で補機いらず、でもたまに落ち葉で空転しちゃったり
客車列車は補機付けたり付けなかったり、
貨物列車は昔からトン数に関係なく、EF65やEF66だけじゃなく今のEF210でさえ補機連結してますね
計画のみっすけどEF200が変電所を改良してフルパワー出そうとしてたってのはありましたね
EH10は小学生の頃、横浜駅近くのサカタのタネの側にあった跨線橋で、学校の帰りに寄り道してよく見ていました。低い唸り音を上げてやって来る黒い巨体は、少し怖い感じさえしました。懐かしいです。
貨物列車は長いからかなかなか最後尾まで出てきませんね。ワムフ100やヨ6000らしきものはちょっと見えましたが、当時沢山居たワフ21000とか22000とかも見たいです。
俺の感想だけど 宇野線止まりだったのが余りにも悲劇なマンモス様 せめて後年電化された勾配のゆるい呉線で実力を発揮できたらなあ(泣)
新鶴見にD51撮りに行くと吹田のEH10が矩形庫の横にEF12やEF65と並んで停まってた、1970年頃の話
他所の地域...鹿児島本線折尾〜門司と教育大前〜海老津を何故か思い出しました。
1970年代、子どもの時、戸塚駅の近くで二軸貨車を引いてダッダッダッダッとゆっくりめの速度で走っていくのを見てました。
いかにも鉄道公安隊RAILWARSの機関車を思い出すような存在で、これが本当のEH10特強富士、ということですね。
今思えば金太郎・ブルーサンダー・青函新幹線800の元祖で、EH10を開発しなかったら、今の日本どころか、JR貨物、そして日本の物流は無かったことでしょう。
今後、金太郎・ブルーサンダー・青函新幹線800を、いっそうのことリバイバルEH10色を実現してほしいです。
山陽本線もその頃、姫路以西か、岡山以西か、あるいは広島以西か、岩国以西かと直流と交流の接続箇所(交直デッドセクション)が検討されていた。しかし、実際に設けられた場所は関門トンネルを潜り抜けて門司駅構内に入ろうとする場所に交直セクションが設けられた✌️
EH10型といえば、EH500型とEH800型の御先祖様ですっ!!
大山崎辺りでよく見かけました。、懐かしいですね。、😅
EH10は岡山までの運用でしたね。
いつ見てもこの声どうしても鈴木盛久さんに聞こえる
EH10が旅客用電機機関車として活躍したらセノハチは更に大変な事になっていたかも?
子供の頃、東海道を轟音をたてて走るEH10がまるで骸骨のように見えて怖かったなぁ。
なるほど、H形であるが故にスピードが出せずに「EH"10"形」になったんですね。
EH10、自分が鉄してた頃(47年前)が最後の活躍だった。
H機に補機にも置けるだけの数がなかったというのが悲劇の始まりだったのね。
自分達にはEF58と同じような旧電機と新電機の中間のような存在の扱いだったな^^;
もうそんなに経つんですね!?
あ~ヤダヤダw
もしもっと運行範囲が広かったらと想像したらブルートレインを牽引したりしていたのかなと思います。
時代は変わり息子達が今も貨物を支えていると思うとEH10は偉大ですね。
優れた性能を披露できない悲劇!! もしEF59に代われれば瀬野八に職場を見いだせたのに(泣)
7:00 架線がなくても走れるEH10(笑)
Hを「エッチ」と読むと今の人には勘違いされそうです
いまや規制によりエイチすら叡智と書く人の増えた状況w
山陽本線になんでそんな勾配区間作ってしまったんだろうね
新垂井線のような緩和線作れなかったのかな
エッチトー? 聞いた事もないわ、勝手に言ってるの?
同意。