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今回もすっ~ごく面白い!目が離せないというか、耳が離せない。いつもありがとうございます。
いつも楽しく拝見しています。同年代なのでああそうだったなーってっ思って当時を思い出します。裏話もとても面白いですね。
エドさん!毎日ありがとです。楽しくて、これ以上笑いジワが・・リンダ、困っちゃう!ウフフフ・・同伴喫茶ご存知ですか?店内が暗く二人がけの椅子の背が高い・・な〜んでだか??大分あとかも・・・
エドさんの話を聞いていると、まさに都内の高校生、若者っていう感じを受けます。私はエドさんの弟さんと同世代です。高校は東京といっても東京都下の小平高校でしたが、在校時は都内の高校生はみんなエドさんのような人ばかりと思ってましたし、卒業して都内の高校卒業した人と触れ合うと、やはり文化の違いを痛感しました。それでも半年くらいでそんなもの消えてなくなりましたが、、。今日のエドさんの話を聞いて50年前のあの感じが蘇りましたー!
喫茶店、七分類、改めて、あったなッ〜と感心してしまいました。歌声喫茶、ダサかった、コメント、まさに、その通り!音楽喫茶で、紙に好きな曲書いてわたしてなぁ〜!高田馬場なくなりましたが、新宿にらんぶる、まだあり、昭和文化遺産にしたいですね!懐かしいですね。常々、感じていましたが、活字に起こして、本つくれます。出たら、買いますので、是非!仲雅美さん、数年前、東中野駅前、ポレポレ座て、タブレット純さんと、対バンして元気出ました!今回も最高!
そうですか~⤴️ノーパン喫茶は知ってましたが美人喫茶は知りませんでした😓水原ひろしさんがドラマーでしたか~😵今回もお宝話有り難う御座いました🙌💃
いつも勉強になります🎵🐟️
東京昔ばなし、ワクワクするよ。喫茶店面白かった!いろんな話待ってますよ^^^
ゴーゴー喫茶もありましたよ🎸🎸
エドさん、こんばんは。純喫茶、ジャズ喫茶、同伴喫茶までは知っていますしかし、美人喫茶は知りませんでした。愛犬テケちゃん、また登場させて下さいね。
この話、とても面白かったです。温故知新ですね❗GSの頃のジャズ喫茶をもっと詳しく、話して下さい❗
新宿の喫茶穂高と3階の同伴はよく利用しました、懐かしい! 新宿周りの茶店のマッチまだ持ってます。
本来の喫茶は二の次のレジャーランド的テーマパーク的な店でしたね。70年代にはロック喫茶とかノーパン喫茶があり、楽しませてもらいました( ^ω^ )
歌声喫茶以外は6種類とも体験しました。ジャズ喫茶はアシベでモップスを。音楽喫茶ではナンパしてリクエスト曲を書きまくったり。美人喫茶のハシゴをしたり。同伴喫茶は入ると薄暗い中で皆んな凄いんで競争心がメラメラと彷彿したり。歌舞伎町は時間貸しの狭い部屋まであって何でも揃っていたような。新宿西口辺りでフーテンたちがシンナー吸ってラリっていたり。あーー!
純喫茶の意味わかりました。なるほど、そう言うことだったんですね。
7番目はノーパン喫茶かと思いました!イブちゃんていましたよね?いけねえ、あれは70年代か!
オーディオのみのジャズ喫茶は68年に一回だけ経験。中に入るとカウンターに6,7人が止まり木に座って皆さん一様に俯き加減で左右のスピーカーから聞こえるジャズに聞き入ってる。考えるロダンあり、新興宗教に取りつかれたように頭を振る人あり、指でカウンターを小刻みに叩く人あり。異様な雰囲気なのですぐに出ました。10年ぐらい前からJBLやAccuphaseなどのオーディオを揃えてオスカートリオ、ビルエバンストリオ、マイルス、コルトレーンなどのCDも集めて楽しんでいます。喫茶店の人たちの心がやっと分かるようになりました。
懐かしいありがとうございました新宿歌舞伎町西部新宿駅の前に3階の円形の喫茶店がありました。トースト食べ放題と書いてありましたので入ったらミニスカートの女の子か薄いトーストを一枚ずつ配り一階から三階まで行って戻って来るので2枚目が食べられるのが1時間くらいかかって!何処が食べ放題か‼️頭にきた事を思い出しました食い物の恨みは怖いねーー⁉️
勉強になりました・・・
エドさんより5才下ですが。登場する歌手等の名前・顔がわかるので関わり合いが、面白いです。また、昔の話教えてください。
ぼくは、1971年生まれですが、時代をさかのぼって、かまやつさんたちの当時の話が聞けるから、楽しい。
カーネル、古賀政男で吹きました(笑)上野駅周辺には、ドアがオレンジ色や紫色の透明ドアの美人喫茶があってボラれるという話でした。巣鴨は駅前に、スロットレーシングカーの巣鴨サーキットがあってよく行きました、一階がふくふくまんじゅう 笑。
喫茶店が7つに分類されてたのは知らなかったですね💦純喫茶は知ってました(^^)同伴喫茶はなんとなく同伴じゃないとダメなのかな?ってくらいで、お店の中のことまではわからなかったです〜(^◇^;)エドさん、奥さんが撮影されてるのに学生の時に付き合ってた女の子と同伴喫茶の前で40分往復して他愛のない会話って💦おもしろすぎます⭐️日劇のエピソードも勉強になりました。ありがとうございます🙇♂️
タイムマシンがあったら、エドさんが話してくださる時代に、20歳の姿で行きたいですねぇ…。「モテル京浜」は中学・高校時代の友達のお父さんが始められました。その友達は、あとを引き継ぎ名を「ニュー京浜」にかえて経営しております。ご贔屓に!
ジャズ喫茶は生演奏をするお店だったんですね。ジャズ喫茶というと、すごく高そうなオーディオ機材を揃えてジャズのレコードを聴かせるお店だと思っていました。
懐かしいです~。渋谷のライオンとか行きましたね~。
エドさん、おはようございます。私昭和39年生まれですからほとんど知りません。でも、ロカビリーの語源だけでなくリズム迄教えていただいてためになります。角筈とか、同伴喫茶とかそんな懐かしい話詳細にこれからもよろしくお願いします。
古賀政男、裕三さんがすまし顔で長髪の冬樹さんが道に倒れている絵が浮かんできて大笑いしました。
懐かしいですねー。同伴喫茶(笑)今50代後半ですが、高校生の頃、池袋や新宿にはまだ何店かありました!そのあと無くなっていきましたが。金のない高校生には、便利な場所でした(笑)淡い思い出です(笑)
エド山口さん ロカビリーは和製英語じゃなくて本場アメリカでも通じる言葉ですよーあとケンタッキーの一号店は名古屋ですよ
いつも楽しく拝見させて頂いてます。いい時代にリアルタイムで色んな音楽体験をなさってこられたエドさんのお話大変興味深いです。記憶違いってのは多々あることで間違っていれば後からちゃんと訂正される姿勢がとても素晴らしいなと思います。色んな方が指摘されているようにロカビリーってのは日本の造語ではないと思います。しかし日本でロカビリーっていうと山下敬二郎さんのダイアナだとか、本場アメリカのロカビリーともまたちょっと違った意味合いのものになってしまってたんじゃないだろうか?とも思います。細かい事いってすみません。ありがとうございます。
当時、家にありましたよ。「ともしび」の歌詞本。姉がはまってて、家でも歌ってて、いやでもロシア民謡覚えちゃいました。手帳サイズの小さな歌詞本。あれ店で売ってたみたいです。五木寛之の「青春の門」でも歌声喫茶が出てました。
エド山口さんがベースを弾く動画も見てみたいです! ジャズとかのベースの詳しい解説とか聞いてみたいです!
古いことは、忘れようと思うのですが、知っている名称が多数出て、ウッカリ見始めると次々とみてしまいます。寝るのが遅くなる。そんな年じゃないつもり、が、バレるな!。(笑) 21世紀は、もえ系のメイドさんが『ご主人様、お帰りなさいませ!』。秋葉原しばらく行ってません。
初耳の話題:満載:動画。知った気に成ってた自分が恥ずかしい😓小学1年生の謙虚な気持ちの小生,68才の年寄りです。バリバリ·ミュージシャン:エド山口さんの価値観=「歌声喫茶」の肩身が狭い(爆笑)😸。でもTVのバラエティー等で,歌声喫茶に✨郷愁感じる団塊世代✨あんがい多い見たいですよ。エド山口さんは“我が姉御”と同世代✨戦後の主役:“団塊のお兄さん”ですよね~💖
ありがとうございます。
ジャズ喫茶は70年以降は名曲喫茶から分裂した「ロック喫茶」「フォーク喫茶」と同系統の「ジャズ喫茶」という意味が強いですよね。特定ジャンルのレコードを比較的大音量で流す店。軽音楽の生演奏が聴ける意味のジャズ喫茶は60年代までのような気がします。よしだたくろうさんの歌詞にも「ジャズ喫茶でドラムを叩いてた」ってありましたね。
1957年、コーラル・レコードからJohnny Burnette And Rock'n' Roll Trioが「Rock Billy Boogie」を発売してますしアメリカでは「Rockabilly」というタイトルのアルバムは多数発売してます。Rockabillyは「Rock And Roll」と「Hillbilly」が融合した合成語で日本での造語ではないと思います。蛇足ながら、1979年に「Robert Gordon Rock Billy Boogie」を発売してます。
今で言うピュアロカはロカビリーというジャンルとして全世界で理解されますが、日本ではポール・アンカも当時ロカビリーですから、そういう意味では日劇のロカビリーは日本独特のジャンルでしょうね ちなみにドドンパは日本発ですけどイタリアで大ヒットしちゃってます(ドドンパ・イタリアーノ)
喫茶店の名前、山の名前が多かったとのこと。流行りやったんですね。神戸、三ノ宮、生田筋に「上高地」て名前の喫茶店ありました。よくはやってた。今もあるんやろか❓この記憶は1968〜1972年ぐらいの頃の事です。
ジャズ、歌声、名曲、純はもちろん、同伴も覚えていますが音楽と美人はあんまり記憶にないなあ。良く行ったのは名曲、純、でもジャズ喫茶でも生演奏じゃなくてジャズのレコードをかけているところも有りましたね。
東中野で生まれて育ったので、歌舞伎町は懐かしい。同伴喫茶、、、思い出で、、倒れそう。楽しい話をありがとう。この話で分かり合える人いなくなった。「こんな風に過ぎてゆくのなら」、、、浅川マキさんをよろしく。昭和22年生まれ。久しぶりにうまい酒をお代わりしたよ。
美人喫茶は初耳です。他は、一応知っていましたが、具体的にどの様なものなのかが、自分の中で曖昧になっていた。今回、この様な市井の喫茶文化を、詳しく知ることが出来ました。エドさん、ありがとうございます。話にあった(軽音楽)ジャズ喫茶は、ジャズのレコードをかけてくれるジャズ喫茶と同様に、リクエストをすれば、ジャズのレコードをかけてくれたのだろうか?軽音楽で思い出すのは、高校の時に吹奏楽部に在籍していて、軽音楽やる時は、Big Bandの編成に組み換えました。この時、 どの高校も演奏するのは、ジャズばかりではなかった様な気がします。ムゲンの話、聞いてみたいですね。ムゲンに外国のバンドが出演されている筈ですが、どの様なバンドが演奏していたか?知りたいです。
勉強になります
「ともしび」は確か、西武新宿駅の向こう側だったと思う。 まだ、あった8番目「深夜喫茶」、終電がなくなると家に帰れない。しかし、旅館やホテルに泊まるほどお金はない私たちが、朝までの時を過ごしたのが「深夜喫茶」、コーヒー1杯、100円の時代にコーヒー500円だったかな?
新宿のジャズ喫茶は「ACB(アシベ)」、ザ・タイガースなんかが出演していた。無論、高校性は入場御法度。見つかれば最低「定額」(そりゃ携帯じゃなくて「停学」、常習だと「退学」も・・そんな時代だったんだよな?
毎回楽しみに聞いてます!パラダイスキングの初期のドラムは水原弘じゃ無くて、今も現役のjazzドラマーのジョージ大塚ではないのかなぁ?!あっ そうそう 私は1972,3年頃 パラキンとは対バンしていました。
私が中学生の時ノーパン喫茶が流行りました(笑)
エドさん、懐かしいな~ クリスマスには繁華街の喫茶店は強制的にケーキが付き、新宿穂高なんかでも1,000円以上したっけ
えっ!あの、水原弘さんがドラマーだった!ビックリポン!
いつも懐かし映像やら昔のドラマの主題歌を聞くたび、死ぬほど歌がうまい人だなぁと思ってました。
I’m just going to
@@wadecapone l
「へェーーーーーッ!」 よッ! 生き字引!みんなが小雑誌の様な歌詞カード持って、歌ってる感じ・・・何となく記憶に有る! TVで見たのかな~ッ!?
モダンジャズ専門の喫茶店もあったよね
やっぱり昭和はおもしろいなあ
エドさん、ロカビリーは日本語の造語じゃ無いですよ!しっかり米国で生まれた言葉ですよ〜
横レスすみません!90年代のストレイ・キャッツなどはネオ・ロカと呼ばれてましたね。
私、田舎者ですが、エドさんと同世代ですので、お話についていけています。ジャズ喫茶はJAZZレコードを聴かせる喫茶というイメージもありますね。昔はそれなりに良かった時代でしたよ。パラキンのキューピーちゃん、人気者でしたね。
当時学生の頃は大久保駅のガード下にアルタミラて喫茶店があり何時もそこに沈殿していました🎶👍
新宿にコムと言う漫画喫茶があってそこには若い漫画家のタマゴが集まってた、その中ではお互いのことえを「おたく」と呼び合ってました。これが今のオタクの原形だと思う!
今ほど,ニッポン放送は,うえやなぎさんの番組で『内藤やす子 六本木ララバイ』かかりましたよ。(^_-)vm(__)m
昭和45~6年頃、銀座ACB(アシベ)でコーヒー1杯確か・¥400でした・・・当時国鉄東海道線、沼津~東京運賃¥550東海道新幹線、三島~東京・特急料金運賃合せて¥1050だったです・・銀座ACBでゴールデンカップス見たときのことは・・忘れられません!・・いまだに・
やっぱり、同伴喫茶あると思ってた
画廊喫茶ってのもありましたよね。
漫画喫茶は新しすぎる
フォーク喫茶も新宿百人町にフォークヴィレッジと新橋の赤レンガ通りの裏にもあった・・・同伴喫茶でお世話になったのが有楽町駅前の有楽フルーツ店の裏にある”IZUMI”ドリンクに小さいケーキがセットで千円だったかも・・・ラブホテルは目黒駅アメリカ橋の手前にある‷オンザ ヒル” それから権之助坂を下った所にある”目黒エンペラー”にもお世話になった。
同伴喫茶はなんとも昭和ぽくていいですね。歌声喫茶は少し前にリバイバルで出て来て、親戚の叔父さんが行ってましたが、選曲でおばさんらと揉めたりと大変そうでしたわ。😅
いちど 業界のひとに 聞いてみたかったんですけど?水原弘さんといい 「変なおんな」小林旭さん 「自動車ショー歌」橋幸夫 さん「メキシカンロック」(笑)なんで? ああいゆ 一流どころが?コメディソング 歌うの?イメージくるうなー (笑)🎯m(_ _)m
でも歌声喫茶は、おそらく全国共通の定義でいけるおもいます。昭和45年前後から流行り(多分、始め体験していないので不明)、昭和55年頃迄辛うじて有りました。私はエド山口さんと同年代の人達と歌声喫茶のリーダーバンドに参加していましたが、昭和53年頃からは既に「古臭くて恥ずかしい」と認識しながら開き直ってやってました。世間ではBohemian RapsodyとかHotel California とかが圧倒的な構成力・演奏力で評価を得ていましたしたし、怪物バンドのSASもデビューしていましたから、 お店は埼玉県の大宮駅西口の再開発前の喫茶「白鳥」です。他の方の投稿にも出てくる透明のオレンジ色のドアで、通常は純喫茶の営業ですが、歌声喫茶日というのが1日/週程度あり、その日はメニューが5種類程度に減らされ、10年くらい前にタイムスリップした感覚で歌本を配り、リーダーが歌い(バンドのリードVO)でバンドで伴奏すると言うスタイルでした。「カチューシャ」「涙くんさようなら」「22才の別れ」「岬巡り」「黄色い船」とかを演奏したと思います。歌声喫茶の日は、400円か500円の固定価格で100円程度の割りましだったのだろうと思います。
ロカビリーは和製英語ではなく、1950年代初期にメンフィス辺りで作られた、と記憶しています。有名な曲にも"Rockabilly Boogie"というものがあります。th-cam.com/video/Uv1xvMjxqcQ/w-d-xo.htmlElvisやEddie Cochranの音楽もロカビリーと呼ばれていたそうです。
美人喫茶 懐かしや銀座だったかな 先輩におごってもらったお姉さん 席に案内してくれて コーヒー持ってくると「お砂糖は、いくつ? ミルクは?」でワタシ 二つ 入れて下さいで、お姉さん入れてスプーンで混ぜてくれた疑ってたけど 本当に美人だった。
田園入ったことあるよ~
エドさんノーパン喫茶はもっとあとでしたかね
ノーパン喫茶もありましたよ。
ロカビリーって世界共通じゃないんですかね…その後に登場するジャンルでネオロカもサイコビリーも世界共通な気がするので
ストレイキャッツの「Rockabilly Rules」って曲もありますしね。
@@tomoxiraixi たしかに!
同伴喫茶の謎が理解できました。ありがとうございます。( ゚□゚)!☀️
上野にあるから行って御覧よ
話が違うので申し訳ありませんがエドさんの大好きなすさき丸の大船長が亡くなられました、残念です😥
いままで断片でしか知らなかった情報とか、いろいろ謎が解けました。
ハッハッハ さすがエドさん大したもの 自分達が演奏を盗みに行ったジャズ喫茶は もうサイケ一色でした😅あんまり縁がないですね!柔道部で年に数える程しか休みがなかったですから・・・。
話はずれますが、黒い瞳のコード進行すごいですね。昔の西部劇のテーマに似た進行があったような気がしますが、かなり雰囲気が濃い。
私はエド山口さんより8才ばかり若いせいか?埼玉県在住だったせいか?、JAZZ喫茶ってのは行ったことがないです。後日、テレビや漫画では「主にLPで名演奏のJAZZのレコードをリクエストに応え、良いオーディオ機材機器で聞かせ、コーヒーとピーナツ程度のメニューしかない」と言う様なものと認識していました。エド山口の紹介にある音楽喫茶や名曲喫茶(これはクラッシック限定らしい)に近いですね。一方、今で言うライヴハウスを`70年頃はJAZZ喫茶と呼んだ向きもあるみたいで、(関東では聞いたことがない)、坐・タイガースが大阪のJAZZ喫茶に出演していたと言うエピソードは結構違和感を持って聞きました。業容の定義は地方や時代で変わりますから、色々有って良いと思います。本邦初のビートルズトリビュートバンドの1973年発売のThe bad boysのLPのライナーノーツにも「ディスコに出演」とあり、「ディスコで生バンドがエイトビートの曲はやらないだろう」と45年前に違和感を感じていました。クラブ↗︎クラブ↘︎では全く違うタイプの店ですしね。生演奏もするけどボックスシートのあるラウンジなんてのも、、
水原弘さんは両親がよく歌ってました オープンリールしか無かった時代に二人で録音して遊んでました あのテープ残ってたらなぁ・・・歌声喫茶は最近再ブレイクしてますね美人喫茶っていうんだ! 黒岩重吾の小説に出てくるんだけどなんで喫茶店にオーディションがあるのか不思議だった同伴喫茶の話を奥様の前で・・・^^;
十文字の娘と同伴喫茶に行った話は妙にリアル。雙葉や白百合の娘は誘っても絶対に行かないよ。
学生時代に新宿の穂高に言った記憶があります。たしか、トースト食べ放題でしたので仲間と5人で8枚切の厚さのトーストを全部で70枚くらい食べてウェイトレスのお姉さんに思いっきり怒られた思いでがあります。
エド山口と言うより、エロ山口の方がインパクトあったな!(笑)頑張れや!
純喫茶といえば、マイアミでしょう
歌声喫茶は都会生まれの人が見ればダセ~と感じるのはあそこは集団就職の集まりの若い根っこの会だからなんだ、自分は行く前から分かってたので一回も行かなかった。
エド山口さん、ロカビリー(rockabilly)は和製英語ではないと思いますが、、、、kotobank.jp/word/rockabilly-1244927
特殊喫茶(お酒が飲める今で言うカフェバー)というのもあったのでは…
ゲゲゲの鬼太郎を格好良く弾く親父。12:40
わたくしは、過去、西巣鴨に住んでいて、都電沿いの各とおりや、商店街を、買い物だとか・散歩したことがあります。2020/05/14 投稿。
21~2年前、姫路Kでお世話になりました。そのときの話で『グッチは歌い出しと・・・』が今だに記憶に残っています。ジャズ喫茶ですが、わたしの住まいする神戸では数千枚のレコードを置き、JBLのスピーカーやマッキントッシュのアンプでジャズを聞かせている店のことをそのように言っていました。また、神戸には、そんなジャズ喫茶が沢山ありました。ちなみに、当時生演奏している店を「ゴーゴー喫茶」と言っていました。
rockabillyという言葉は日本で作られたんですか?56年にはアメリカの雑誌等で使われている言葉だと思いますが。。。
美人喫茶って名前だけは知ってるけど、入ったことは無いな。同伴喫茶は、歌舞伎町で一度、入ったかな。純喫茶は日常的に通ったけど、ジャズ喫茶に行ったことが無いのが、無念!池袋ドラムとか、行ってみたかった。
池袋ドラム、寺内タケシとブルージーンズを聴きに行きました。懐かしい。
@@y8k3a うらやましい。
同伴喫茶は復活してほしいなぁ 今はカラオケかヒルズのトイレしか無いもんな
純喫茶は昭和29年の風営法改正時に、喫茶店でお色気を売りにする「アルサロ喫茶」「ヌード喫茶」などが一時的に増えたために、エロではない事を強調するために生まれた名前だったと記憶します。しかし、「連れ込み旅館」って何十年ぶりに聞いた言葉…w
最近30歳ぐらいの人と話して連れ込み旅館という言葉を自分が使ったら「連れ込み旅館って何ですか?」と言われたよ、その何気ない言葉でも全く自分は時代に取り残されているんだなと感じた次第。
田端の「段」懐かしい。地元です。
その頃「ダサい」ってワードはなかったですよね なんと言っていたのでしょうか、、、、!
私が当時よく利用したのは、純喫茶、名曲喫茶です。歌声喫茶は超苦手です。生理的に受け付けません。そう、名曲喫茶といえば、1970年代後半に渋谷道元坂の「ライオン」をよく利用していました。職場が近くにあり、昼めしで、そこのモーニングセットを食べていました。何しろトースト、目玉焼き、ソーセージ、その他日替わりおかず、コーヒーがついて今の値段で300円位でした。とにかく内部は荘厳でした。なお、私、敬愛する、ジャズピアニスト、守安祥太郎さんが31歳の若さで自殺しましたが、その原因の一つに、ここで働いていた女給さんに振られたという説もあります。
同伴喫茶は夜モナミビル横で立ちんぼのオかまが商売するとこでした、俺は騙された奴をビルの上から見てた方
ゴーゴー喫茶は!?
純粋にジャズだけを聴かせる、ジャズ喫茶なんかも有りましたが……渋谷の恋人横丁近辺に。客が皆、無言で……声を出したり、喋るとオーナー?何かに怒られる喫茶!エドさんの言うジャズ喫茶とは又、チョット違う、純粋なジャズ喫茶……ジャズ喫茶は当時2種類あったかも…
ロカビリーのお話. ロカビリーは、ロックンロールとヒルビリーをミックスした和製英語である。との説明もあります、どれが正しいのかわかりませんがロカビリーの華やかな時代があったのは事実です。
同伴喫茶いったなぁ
いや待て。これ撮影してるのエドさんの奥さんじゃなかったっけ?いくら昔のこととはいえそんな赤裸々な話していいのか(笑)
我が家の何処かに歌声喫茶で配ってた歌詞本がどっかにあったな…行った記憶はないけど。たしか純喫茶と言えば、アルコールを出さない喫茶店だったような…それはそうと純喫茶と言えばインベーダーゲーム台コーナー。ゆっくり休もうとして入って通された席が、ゲーム台だったときのガッカリ感。ゲーム台だから半端に低いし、ゲームの操作盤やブラウン管で脚伸ばせないし…金返せ!(柄悪い)と何度思ったことか。今は無くなったけど京急黄金町駅前の喫茶店だよ。(笑)話は変わりますが、ロックンロールでギターも勿論だけど、ピアノ担当。これが上手い人なら良いけど、暗い顔してつまらなそうに下手だと盛大にコケた記憶が。尤もボクは年齢の関係で、ソコまで古くなく今から30年くらい前の話…
KFC is karaage-ya ?😀
ロカビリーは恐らくアメリカ英語ではないかと。アメリカ人とギリシャ人と一緒にストレイキャッツのことロカビリージャンルで話したことあるので。
今回もすっ~ごく面白い!目が離せないというか、耳が離せない。いつもありがとうございます。
いつも楽しく拝見しています。同年代なのでああそうだったなーってっ思って当時を思い出します。裏話もとても面白いですね。
エドさん!毎日ありがとです。楽しくて、これ以上笑いジワが・・リンダ、困っちゃう!ウフフフ・・同伴喫茶ご存知ですか?店内が暗く二人がけの椅子の背が高い・・な〜んでだか??大分あとかも・・・
エドさんの話を聞いていると、まさに都内の高校生、若者っていう感じを受けます。私はエドさんの弟さんと同世代です。高校は東京といっても東京都下の小平高校でしたが、在校時は都内の高校生はみんなエドさんのような人ばかりと思ってましたし、卒業して都内の高校卒業した人と触れ合うと、やはり文化の違いを痛感しました。それでも半年くらいでそんなもの消えてなくなりましたが、、。
今日のエドさんの話を聞いて50年前のあの感じが蘇りましたー!
喫茶店、七分類、改めて、あったなッ〜と感心してしまいました。歌声喫茶、ダサかった、コメント、まさに、その通り!音楽喫茶で、紙に好きな曲書いてわたしてなぁ〜!高田馬場なくなりましたが、新宿にらんぶる、まだあり、昭和文化遺産にしたいですね!
懐かしいですね。
常々、感じていましたが、活字に起こして、本つくれます。出たら、買いますので、是非!仲雅美さん、数年前、東中野駅前、ポレポレ座て、タブレット純さんと、対バンして元気出ました!今回も最高!
そうですか~⤴️
ノーパン喫茶は知ってましたが美人喫茶は知りませんでした😓
水原ひろしさんがドラマーでしたか~😵
今回もお宝話有り難う御座いました🙌💃
いつも勉強になります🎵🐟️
東京昔ばなし、ワクワクするよ。喫茶店面白かった!いろんな話待ってますよ^^^
ゴーゴー喫茶もありましたよ🎸🎸
エドさん、こんばんは。
純喫茶、ジャズ喫茶、同伴喫茶までは知っています
しかし、美人喫茶は知りませんでした。
愛犬テケちゃん、また登場させて下さいね。
この話、とても面白かったです。温故知新ですね❗GSの頃のジャズ喫茶をもっと詳しく、話して下さい❗
新宿の喫茶穂高と3階の同伴はよく利用しました、懐かしい! 新宿周りの茶店のマッチまだ持ってます。
本来の喫茶は二の次のレジャーランド的テーマパーク的な店でしたね。70年代にはロック喫茶とかノーパン喫茶があり、楽しませてもらいました( ^ω^ )
歌声喫茶以外は6種類とも体験しました。ジャズ喫茶はアシベでモップスを。音楽喫茶ではナンパしてリクエスト曲を書きまくったり。美人喫茶のハシゴをしたり。同伴喫茶は入ると薄暗い中で皆んな凄いんで競争心がメラメラと彷彿したり。歌舞伎町は時間貸しの狭い部屋まであって何でも揃っていたような。新宿西口辺りでフーテンたちがシンナー吸ってラリっていたり。あーー!
純喫茶の意味わかりました。なるほど、そう言うことだったんですね。
7番目はノーパン喫茶かと思いました!イブちゃんていましたよね?いけねえ、あれは70年代か!
オーディオのみのジャズ喫茶は68年に一回だけ経験。中に入るとカウンターに6,7人が止まり木に座って皆さん一様に俯き加減で左右のスピーカーから聞こえるジャズに聞き入ってる。考えるロダンあり、新興宗教に取りつかれたように頭を振る人あり、指でカウンターを小刻みに叩く人あり。異様な雰囲気なのですぐに出ました。10年ぐらい前からJBLやAccuphaseなどのオーディオを揃えてオスカートリオ、ビルエバンストリオ、マイルス、コルトレーンなどのCDも集めて楽しんでいます。喫茶店の人たちの心がやっと分かるようになりました。
懐かしいありがとうございました
新宿歌舞伎町西部新宿駅の前に3階の円形の
喫茶店がありました。トースト食べ放題と
書いてありましたので入ったらミニスカートの
女の子か薄いトーストを一枚ずつ配り一階から
三階まで行って戻って来るので2枚目が食べられる
のが1時間くらいかかって!何処が食べ放題か‼️
頭にきた事を思い出しました
食い物の恨みは怖いねーー⁉️
勉強になりました・・・
エドさんより5才下ですが。
登場する歌手等の名前・顔がわかるので
関わり合いが、面白いです。
また、昔の話教えてください。
ぼくは、1971年生まれですが、時代をさかのぼって、かまやつさんたちの当時の話が聞けるから、楽しい。
カーネル、古賀政男で吹きました(笑)
上野駅周辺には、ドアがオレンジ色や紫色の透明ドアの美人喫茶があって
ボラれるという話でした。
巣鴨は駅前に、スロットレーシングカーの巣鴨サーキットがあって
よく行きました、一階がふくふくまんじゅう 笑。
喫茶店が7つに分類されてたのは知らなかったですね💦
純喫茶は知ってました(^^)
同伴喫茶はなんとなく同伴じゃないとダメなのかな?ってくらいで、お店の中のことまではわからなかったです〜(^◇^;)
エドさん、奥さんが撮影されてるのに学生の時に付き合ってた女の子と同伴喫茶の前で40分往復して他愛のない会話って💦
おもしろすぎます⭐️
日劇のエピソードも勉強になりました。
ありがとうございます🙇♂️
タイムマシンがあったら、エドさんが話してくださる時代に、20歳の姿で行きたいですねぇ…。
「モテル京浜」は中学・高校時代の友達のお父さんが始められました。
その友達は、あとを引き継ぎ名を「ニュー京浜」にかえて経営しております。
ご贔屓に!
ジャズ喫茶は生演奏をするお店だったんですね。ジャズ喫茶というと、すごく高そうなオーディオ機材を揃えてジャズのレコードを聴かせるお店だと思っていました。
懐かしいです~。渋谷のライオンとか行きましたね~。
エドさん、おはようございます。私昭和39年生まれですからほとんど知りません。でも、ロカビリーの語源だけでなくリズム迄教えていただいてためになります。角筈とか、同伴喫茶とかそんな懐かしい話詳細にこれからもよろしくお願いします。
古賀政男、裕三さんがすまし顔で長髪の冬樹さんが道に倒れている絵が浮かんできて大笑いしました。
懐かしいですねー。同伴喫茶(笑)今50代後半ですが、高校生の頃、池袋や新宿にはまだ何店かありました!そのあと無くなっていきましたが。金のない高校生には、便利な場所でした(笑)淡い思い出です(笑)
エド山口さん ロカビリーは和製英語じゃなくて本場アメリカでも通じる言葉ですよー
あとケンタッキーの一号店は名古屋ですよ
いつも楽しく拝見させて頂いてます。いい時代にリアルタイムで色んな音楽体験をなさってこられたエドさんのお話大変興味深いです。記憶違いってのは多々あることで間違っていれば後からちゃんと訂正される姿勢がとても素晴らしいなと思います。色んな方が指摘されているようにロカビリーってのは日本の造語ではないと思います。しかし日本でロカビリーっていうと山下敬二郎さんのダイアナだとか、本場アメリカのロカビリーともまたちょっと違った意味合いのものになってしまってたんじゃないだろうか?とも思います。細かい事いってすみません。ありがとうございます。
当時、家にありましたよ。「ともしび」の歌詞本。姉がはまってて、家でも歌ってて、いやでもロシア民謡覚えちゃいました。
手帳サイズの小さな歌詞本。あれ店で売ってたみたいです。五木寛之の「青春の門」でも歌声喫茶が出てました。
エド山口さんがベースを弾く動画も見てみたいです! ジャズとかのベースの詳しい解説とか聞いてみたいです!
古いことは、忘れようと思うのですが、知っている名称が多数出て、ウッカリ見始めると次々とみてしまいます。寝るのが遅くなる。そんな年じゃないつもり、が、バレるな!。(笑) 21世紀は、もえ系のメイドさんが『ご主人様、お帰りなさいませ!』。秋葉原しばらく行ってません。
初耳の話題:満載:動画。知った気に成ってた自分が恥ずかしい😓小学1年生の謙虚な気持ちの小生,68才の年寄りです。バリバリ·ミュージシャン:エド山口さんの価値観=「歌声喫茶」の肩身が狭い(爆笑)😸。でもTVのバラエティー等で,歌声喫茶に✨郷愁感じる団塊世代✨あんがい多い見たいですよ。エド山口さんは“我が姉御”と同世代✨戦後の主役:“団塊のお兄さん”ですよね~💖
ありがとうございます。
ジャズ喫茶は70年以降は名曲喫茶から分裂した「ロック喫茶」「フォーク喫茶」と同系統の「ジャズ喫茶」という意味が強いですよね。特定ジャンルのレコードを比較的大音量で流す店。軽音楽の生演奏が聴ける意味のジャズ喫茶は60年代までのような気がします。よしだたくろうさんの歌詞にも「ジャズ喫茶でドラムを叩いてた」ってありましたね。
1957年、コーラル・レコードからJohnny Burnette And Rock'n' Roll Trioが
「Rock Billy Boogie」を発売してますし
アメリカでは「Rockabilly」というタイトルのアルバムは多数発売してます。
Rockabillyは「Rock And Roll」と「Hillbilly」が融合した合成語で日本での造語ではないと思います。
蛇足ながら、1979年に「Robert Gordon Rock Billy Boogie」を発売してます。
今で言うピュアロカはロカビリーというジャンルとして全世界で理解されますが、日本ではポール・アンカも当時ロカビリーですから、そういう意味では日劇のロカビリーは日本独特のジャンルでしょうね ちなみにドドンパは日本発ですけどイタリアで大ヒットしちゃってます(ドドンパ・イタリアーノ)
喫茶店の名前、山の名前が多かったとのこと。流行りやったんですね。
神戸、三ノ宮、生田筋に「上高地」て名前の喫茶店ありました。
よくはやってた。今もあるんやろか❓
この記憶は1968〜1972年ぐらいの頃の事です。
ジャズ、歌声、名曲、純はもちろん、同伴も覚えていますが音楽と美人は
あんまり記憶にないなあ。良く行ったのは名曲、純、でもジャズ喫茶でも
生演奏じゃなくてジャズのレコードをかけているところも有りましたね。
東中野で生まれて育ったので、歌舞伎町は懐かしい。同伴喫茶、、、思い出で、、倒れそう。楽しい話をありがとう。この話で分かり合える人いなくなった。「こんな風に過ぎてゆくのなら」、、、浅川マキさんをよろしく。昭和22年生まれ。久しぶりにうまい酒をお代わりしたよ。
美人喫茶は初耳です。
他は、一応知っていましたが、
具体的にどの様なものなのかが、
自分の中で曖昧になっていた。
今回、この様な市井の喫茶文化を、
詳しく知ることが出来ました。
エドさん、ありがとうございます。
話にあった(軽音楽)ジャズ喫茶は、ジャズのレコードをかけてくれる
ジャズ喫茶と同様に、リクエスト
をすれば、ジャズのレコードを
かけてくれたのだろうか?
軽音楽で思い出すのは、高校の
時に吹奏楽部に在籍していて、
軽音楽やる時は、Big Bandの
編成に組み換えました。この時、
どの高校も演奏するのは、
ジャズばかりではなかった様な
気がします。
ムゲンの話、聞いてみたいですね。
ムゲンに外国のバンドが出演されて
いる筈ですが、どの様なバンドが
演奏していたか?知りたいです。
勉強になります
「ともしび」は確か、西武新宿駅の向こう側だったと思う。 まだ、あった8番目「深夜喫茶」、終電がなくなると家に帰れない。しかし、旅館やホテルに泊まるほどお金はない私たちが、朝までの時を過ごしたのが「深夜喫茶」、コーヒー1杯、100円の時代にコーヒー500円だったかな?
新宿のジャズ喫茶は「ACB(アシベ)」、ザ・タイガースなんかが出演していた。無論、高校性は入場御法度。見つかれば最低「定額」(そりゃ携帯じゃなくて「停学」、常習だと「退学」も・・そんな時代だったんだよな?
毎回楽しみに聞いてます!
パラダイスキングの初期のドラムは水原弘じゃ無くて、今も現役のjazzドラマーのジョージ大塚ではないのかなぁ?!
あっ そうそう 私は1972,3年頃 パラキンとは対バンしていました。
私が中学生の時ノーパン喫茶が流行りました(笑)
エドさん、懐かしいな~ クリスマスには繁華街の喫茶店は強制的にケーキが付き、新宿穂高なんかでも1,000円以上したっけ
えっ!あの、水原弘さんがドラマーだった!ビックリポン!
いつも懐かし映像やら昔のドラマの主題歌を聞くたび、死ぬほど歌がうまい人だなぁと思ってました。
I’m just going to
@@wadecapone l
「へェーーーーーッ!」 よッ! 生き字引!
みんなが小雑誌の様な歌詞カード持って、歌ってる感じ・・・何となく記憶に有る! TVで見たのかな~ッ!?
モダンジャズ専門の喫茶店もあったよね
やっぱり昭和はおもしろいなあ
エドさん、ロカビリーは日本語の造語じゃ無いですよ!しっかり米国で生まれた言葉ですよ〜
横レスすみません!90年代のストレイ・キャッツなどはネオ・ロカと呼ばれてましたね。
私、田舎者ですが、エドさんと同世代ですので、お話についていけています。ジャズ喫茶はJAZZレコードを
聴かせる喫茶というイメージもありますね。昔はそれなりに良かった時代でしたよ。パラキンのキューピーちゃん、
人気者でしたね。
当時学生の頃は大久保駅のガード下に
アルタミラて喫茶店があり何時もそこに
沈殿していました🎶👍
新宿にコムと言う漫画喫茶があってそこには若い漫画家のタマゴが集まってた、その中ではお互いのことえを「おたく」と呼び合ってました。これが今のオタクの原形だと思う!
今ほど,ニッポン放送は,うえやなぎさんの番組で『内藤やす子 六本木ララバイ』かかりましたよ。(^_-)vm(__)m
昭和45~6年頃、銀座ACB(アシベ)でコーヒー1杯確か・¥400でした・・・
当時国鉄東海道線、沼津~東京運賃¥550
東海道新幹線、三島~東京・特急料金運賃合せて¥1050だったです・・
銀座ACBでゴールデンカップス見たときのことは・・忘れられません!・・いまだに・
やっぱり、同伴喫茶あると思ってた
画廊喫茶ってのもありましたよね。
漫画喫茶は新しすぎる
フォーク喫茶も新宿百人町にフォークヴィレッジと新橋の赤レンガ通りの裏にもあった・・・
同伴喫茶でお世話になったのが有楽町駅前の有楽フルーツ店の裏にある”IZUMI”ドリンクに小さいケーキが
セットで千円だったかも・・・ラブホテルは目黒駅アメリカ橋の手前にある‷オンザ ヒル” それから権之助坂
を下った所にある”目黒エンペラー”にもお世話になった。
同伴喫茶はなんとも昭和ぽくていいですね。歌声喫茶は少し前にリバイバルで出て来て、親戚の叔父さんが行ってましたが、選曲でおばさんらと揉めたりと大変そうでしたわ。😅
いちど 業界のひとに 聞いてみたかったんですけど?
水原弘さんといい 「変なおんな」
小林旭さん 「自動車ショー歌」
橋幸夫 さん「メキシカンロック」(笑)
なんで? ああいゆ 一流どころが?
コメディソング 歌うの?
イメージくるうなー (笑)🎯
m(_ _)m
でも歌声喫茶は、おそらく全国共通の定義でいけるおもいます。昭和45年前後から流行り(多分、始め体験していないので不明)、昭和55年頃迄辛うじて有りました。
私はエド山口さんと同年代の人達と歌声喫茶のリーダーバンドに参加していましたが、昭和53年頃からは既に「古臭くて恥ずかしい」と認識しながら開き直ってやってました。世間ではBohemian RapsodyとかHotel California とかが圧倒的な構成力・演奏力で評価を得ていましたしたし、怪物バンドのSASもデビューしていましたから、
お店は埼玉県の大宮駅西口の再開発前の喫茶「白鳥」です。
他の方の投稿にも出てくる透明のオレンジ色のドアで、通常は純喫茶の営業ですが、歌声喫茶日というのが1日/週程度あり、その日はメニューが5種類程度に減らされ、10年くらい前にタイムスリップした感覚で歌本を配り、リーダーが歌い(バンドのリードVO)でバンドで伴奏すると言うスタイルでした。「カチューシャ」「涙くんさようなら」「22才の別れ」「岬巡り」「黄色い船」とかを演奏したと思います。歌声喫茶の日は、400円か500円の固定価格で100円程度の割りましだったのだろうと思います。
ロカビリーは和製英語ではなく、1950年代初期にメンフィス辺りで作られた、と記憶しています。有名な曲にも"Rockabilly Boogie"というものがあります。
th-cam.com/video/Uv1xvMjxqcQ/w-d-xo.html
ElvisやEddie Cochranの音楽もロカビリーと呼ばれていたそうです。
美人喫茶 懐かしや
銀座だったかな
先輩におごってもらった
お姉さん 席に案内してくれて コーヒー持ってくると「お砂糖は、いくつ? ミルクは?」でワタシ 二つ 入れて下さい
で、お姉さん入れてスプーンで混ぜてくれた
疑ってたけど 本当に美人だった。
田園入ったことあるよ~
エドさんノーパン喫茶はもっとあとでしたかね
ノーパン喫茶もありましたよ。
ロカビリーって世界共通じゃないんですかね…
その後に登場するジャンルでネオロカもサイコビリーも世界共通な気がするので
ストレイキャッツの「Rockabilly Rules」って曲もありますしね。
@@tomoxiraixi たしかに!
同伴喫茶の謎が理解できました。ありがとうございます。( ゚□゚)!☀️
上野にあるから行って御覧よ
話が違うので申し訳ありませんがエドさんの大好きなすさき丸の大船長が亡くなられました、残念です😥
いままで断片でしか知らなかった情報とか、いろいろ謎が解けました。
ハッハッハ さすがエドさん大したもの 自分達が演奏を盗みに行ったジャズ喫茶は もうサイケ一色でした😅
あんまり縁がないですね!
柔道部で年に数える程しか休みがなかったですから・・・。
話はずれますが、黒い瞳のコード進行すごいですね。
昔の西部劇のテーマに似た進行があったような気がしますが、かなり雰囲気が濃い。
私はエド山口さんより8才ばかり若いせいか?埼玉県在住だったせいか?、JAZZ喫茶ってのは行ったことがないです。後日、テレビや漫画では「主にLPで名演奏のJAZZのレコードをリクエストに応え、良いオーディオ機材機器で聞かせ、コーヒーとピーナツ程度のメニューしかない」と言う様なものと認識していました。エド山口の紹介にある音楽喫茶や名曲喫茶(これはクラッシック限定らしい)に近いですね。
一方、今で言うライヴハウスを`70年頃はJAZZ喫茶と呼んだ向きもあるみたいで、(関東では聞いたことがない)、坐・タイガースが大阪のJAZZ喫茶に出演していたと言うエピソードは結構違和感を持って聞きました。
業容の定義は
地方や時代で変わりますから、色々有って良いと思います。本邦初のビートルズトリビュートバンドの1973年発売のThe bad boysのLPのライナーノーツにも「ディスコに出演」とあり、「ディスコで生バンドがエイトビートの曲はやらないだろう」と45年前に違和感を感じていました。
クラブ↗︎クラブ↘︎では全く違うタイプの店ですしね。生演奏もするけどボックスシートのあるラウンジなんてのも、、
水原弘さんは両親がよく歌ってました オープンリールしか無かった時代に
二人で録音して遊んでました あのテープ残ってたらなぁ・・・
歌声喫茶は最近再ブレイクしてますね
美人喫茶っていうんだ! 黒岩重吾の小説に出てくるんだけど
なんで喫茶店にオーディションがあるのか不思議だった
同伴喫茶の話を奥様の前で・・・^^;
十文字の娘と同伴喫茶に行った話は妙にリアル。雙葉や白百合の娘は誘っても絶対に行かないよ。
学生時代に新宿の穂高に言った記憶があります。たしか、トースト食べ放題でしたので仲間と5人で8枚切の厚さのトーストを全部で70枚くらい食べてウェイトレスのお姉さんに思いっきり怒られた思いでがあります。
エド山口と言うより、エロ山口の方がインパクトあったな!(笑)頑張れや!
純喫茶といえば、マイアミでしょう
歌声喫茶は都会生まれの人が見ればダセ~と感じるのはあそこは集団就職の集まりの若い根っこの会だからなんだ、自分は行く前から分かってたので一回も行かなかった。
エド山口さん、ロカビリー(rockabilly)は和製英語ではないと思いますが、、、、
kotobank.jp/word/rockabilly-1244927
特殊喫茶(お酒が飲める今で言うカフェバー)というのもあったのでは…
ゲゲゲの鬼太郎を格好良く弾く親父。12:40
わたくしは、過去、西巣鴨に住んでいて、都電沿いの各とおりや、商店街を、買い物だとか・散歩したことがあります。2020/05/14 投稿。
21~2年前、姫路Kでお世話になりました。
そのときの話で『グッチは歌い出しと・・・』が今だに記憶に残っています。
ジャズ喫茶ですが、わたしの住まいする神戸では数千枚のレコードを置き、
JBLのスピーカーやマッキントッシュのアンプでジャズを聞かせている店のことを
そのように言っていました。
また、神戸には、そんなジャズ喫茶が沢山ありました。
ちなみに、当時生演奏している店を「ゴーゴー喫茶」と言っていました。
rockabillyという言葉は日本で作られたんですか?56年にはアメリカの雑誌等で使われている言葉だと思いますが。。。
美人喫茶って名前だけは知ってるけど、入ったことは無いな。
同伴喫茶は、歌舞伎町で一度、入ったかな。
純喫茶は日常的に通ったけど、ジャズ喫茶に行ったことが無いのが、無念!
池袋ドラムとか、行ってみたかった。
池袋ドラム、寺内タケシとブルージーンズを聴きに行きました。懐かしい。
@@y8k3a うらやましい。
同伴喫茶は復活してほしいなぁ 今はカラオケかヒルズのトイレしか無いもんな
純喫茶は昭和29年の風営法改正時に、喫茶店でお色気を売りにする「アルサロ喫茶」「ヌード喫茶」などが一時的に増えたために、エロではない事を強調するために生まれた名前だったと記憶します。
しかし、「連れ込み旅館」って何十年ぶりに聞いた言葉…w
最近30歳ぐらいの人と話して連れ込み旅館という言葉を自分が使ったら「連れ込み旅館って何ですか?」と言われたよ、その何気ない言葉でも全く自分は時代に取り残されているんだなと感じた次第。
田端の「段」懐かしい。地元です。
その頃「ダサい」ってワードはなかったですよね なんと言っていたのでしょうか、、、、!
私が当時よく利用したのは、純喫茶、名曲喫茶です。歌声喫茶は超苦手です。生理的に受け付けません。そう、名曲喫茶といえば、1970年代後半に渋谷道元坂の「ライオン」をよく利用していました。職場が近くにあり、昼めしで、そこのモーニングセットを食べていました。何しろトースト、目玉焼き、ソーセージ、その他日替わりおかず、コーヒーがついて今の値段で300円位でした。とにかく内部は荘厳でした。なお、私、敬愛する、ジャズピアニスト、守安祥太郎さんが31歳の若さで自殺しましたが、その原因の一つに、ここで働いていた女給さんに振られたという説もあります。
同伴喫茶は夜モナミビル横で立ちんぼのオかまが商売するとこでした、俺は騙された奴をビルの上から見てた方
ゴーゴー喫茶は!?
純粋にジャズだけを聴かせる、ジャズ喫茶なんかも有りましたが……渋谷の恋人横丁近辺に。
客が皆、無言で……声を出したり、喋るとオーナー?何かに怒られる喫茶!
エドさんの言うジャズ喫茶とは又、チョット違う、純粋なジャズ喫茶……ジャズ喫茶は当時2種類あったかも…
ロカビリーのお話.
ロカビリーは、ロックンロールとヒルビリーをミックスした和
製英語である。との説明もあります、
どれが正しいのかわかりませんがロカビリーの華やかな
時代があったのは事実です。
同伴喫茶いったなぁ
いや待て。これ撮影してるのエドさんの奥さんじゃなかったっけ?
いくら昔のこととはいえそんな赤裸々な話していいのか(笑)
我が家の何処かに歌声喫茶で配ってた歌詞本がどっかにあったな…
行った記憶はないけど。
たしか純喫茶と言えば、
アルコールを出さない喫茶店だったような…
それはそうと純喫茶と言えばインベーダーゲーム台コーナー。
ゆっくり休もうとして入って通された席が、
ゲーム台だったときのガッカリ感。
ゲーム台だから半端に低いし、
ゲームの操作盤やブラウン管で脚伸ばせないし…
金返せ!(柄悪い)
と何度思ったことか。
今は無くなったけど京急黄金町駅前の喫茶店だよ。(笑)
話は変わりますが、
ロックンロールでギターも勿論だけど、
ピアノ担当。
これが上手い人なら良いけど、
暗い顔してつまらなそうに下手だと盛大にコケた記憶が。
尤もボクは年齢の関係で、
ソコまで古くなく今から30年くらい前の話…
KFC is karaage-ya ?😀
ロカビリーは恐らくアメリカ英語ではないかと。アメリカ人とギリシャ人と一緒にストレイキャッツのことロカビリージャンルで話したことあるので。