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昭和を知るための推薦本amzn.to/3e2t1Ijインパール作戦を知るための推薦本amzn.to/3yXWBqq
私はインパール人です。インパール作戦はマニープル人々が日本作戦と知らせています。戦争のとき私のおじいちゃんは日本軍があって、食べ物を上げて助けてたと言う話はお母さんから聞きました。食べ物無くてもみんな大変でしたて言われた。子供の頃からおじいちゃんの物語で日本はどんな国わからないときから日本に行きたい、日本人に友達になりたいと思っています。インパール人々は日本人は大好きです。その経験はインパールに行ってた人たちだけわかると思います。戦争は戦争です。その時代は国と国は戦争時代かなあ。私もおじいちゃんの物語で日本に行きたい気持ちが強くして日本に来ました。動画ありがとうございます。
@どや 日本語はまだです。ありがとうございます。
祖父はインパール作戦帰還兵でした。左胸に弾を受けながらも生還し、86歳まで生きました。私が小学生の頃は白骨街道の話を夏休みの自由研究に毎年のように話してくれましたが、作戦自体がどんなものだったのか、この動画で初めて知りました。ありがとうございました。
この動画、確かに間違ってはないけどインパール作戦の悪い面のみに目を向けてる節がありますHeinkel氏のインパール作戦の解説動画も見ることをおすすめします
@@そらきち-u4t レスありがとうございます。早速見てみます。
すごい!どうやっておじい様は生き残ることができたのですか!?詳しく聞きたいです!
@@kana19841027 返信ありがとうございます。小学生の頃、夏休みの自由研究でしか聴かなかったので白骨街道の話しか聞きませんでした。私が大人になって、永遠の0が流行り出した頃に問い合わせ、胸の傷で二階級上がっていた事を知りました。あとは、失敗は部下のせい、手柄は自分のものにしていた上司がいて、引き上げ船の上で何人かで殺害しようとしていた上司がいて、「毛利、殺したろか」という祖父の寝言は祖父の死後も忘れる事はありません。湾岸戦争の年に祖父が心筋梗塞で入院し、その時に被弾した弾が見つかったのですが、大手術を終えて目覚めた祖父の一言目が「湾岸戦争どうなった?」で、呆気に取られたのを覚えています。
@@RH-Raina.Hうわ~おじい様ガチ怖ですね~💦寝言などに出てくるという事はおじい様の中ではまだ戦争中だったのでしょうか。沢山の御戦友をお亡くしになられたのですから😭もっと聞いてみたいですね💦物凄く過酷な状況にいらっしゃったので、物怖じしないご性格でしたか❓❓
私の曽祖父わインパール作戦で戦死しました…。お線香や祖父が作ったお米などを持って曽祖父が亡くなった場所で手を合わせたいなと漠然と思い、色々調べたり色んな方の助けを借りて2017年にウクルル、当時は31師団と15師団の補給基地があり現在は教会が建っている場所で手を合わせる事ができました。何の因果か…曽祖父の慰霊が終わり観光をしていたインドで出会ったインドの方と現在、結婚をして子供を授かりました、曽祖父がインドで戦死していなければ行こうとも思わなかったかもしれない地、しかし戦争が無ければ会えていたかもしれない曽祖父、考え深いし戦争の上にある平和、考え続けなければいけないのだと思いました。息子が生きる世界は平和でありますように…🕊
無茶口と影で言われてらしいけど、こんな上手いあだ名を言うなんて、今の自分たちとなんら変わらない若者達が沢山犠牲になったんだなあ、と思う。
無駄口じゃなくて?無駄無知じゃなくて?
@@混沌のぷぅーぷぅー大帝国 つまらなくて草
@@バラライカ-b5b お前の方がつまらなさそうだね
因みにイギリス軍も多くの犠牲者が出た。日本兵が、マラリア等の疫病にかかったせいでイギリス軍の兵士も疫病にかかりそのおかげで、戦後のインド、ビルマの統治に影響が出て、植民地を放棄せざる得なくなった⁉️
サザエさんの作者の義兄(姉の夫)もこれで亡くなった。しかも結婚したのはたったの1週間。本当に泣けてくる。
往年のイタリア映画「ひまわり」。ローレン、マストロヤンニのイタリア人夫婦も1週間の新婚生活だった。いつの世も変わらぬ戦時下の悲劇。
アズママナブ。
牟田口「銃剣が無くなれば腕で殴れ腕が無くなれば足で蹴れ足が無くなれば口で噛み付け」訓示じゃないよこんなの……
もはや、自暴自棄で草
日本が世界に誇る武士道の名著「葉隠」の一節をもじったものらしいので当時の日本男児・帝国軍人にはむしろ当然の訓示だったんです…
@@旅行中毒者EASTER 首相のあんたが言うな
当時の首相は東條だろ
スパルタン兵かな?
この世の中はこういう人が偉くなる部下の気持ちを考えれない人が偉くなり無理難題を押しつけるその流れはいまも変わっていない
同感です。さんざん専門家の意見と菅総理は言っていたくせに、東京五輪を反対されて都合が悪くなると、あいつを黙らせろと激怒する。こんな人間が、国のトップであり、偉い立場にあるのだと思うとぞっとする。
そういう人を偉い人として評価している日本人が無能なんだろ。君もその遺伝子をもっているんだよ。自覚した方がいい
無茶なノルマを部下に押し付けて自分はなにもしない、達成できなければ部下のせいにして責任を取らない、こんなヤツどこにでもいますよ💢
責任も何も、牟田口中将は責任を取る立場にないかもしれません。作戦の決行は主に大本営が決定するものであり、牟田口中将は現場の責任者に過ぎません。なので作戦終了時に更迭されて、組織としての責任は負わされています。作戦終了は大本営が決める事であり、現場の指揮官が勝手に終わらせる事は出来ません。今で言うと、一現場監督が工事中のマンションの工事を止めて更地にする権利はありますか?牟田口中将の立場は中間管理職位の立場だと考えて頂けるとわかりやすいかもしれません。前線からの要求と大本営からの圧力とで板挟み状態なのが現実なのかもしれません。多分、胃は相当に痛かったと思いますよ・・・インパール作戦の戦史は、戦後の戦史編集のときにかなり改竄されていますので、気を付けて下さい。
@@全国相面協会総帥 例えがおかしすぎます。マンションの現場監督だって深刻な事態が発生すれば、工事を一旦中止するでしょう。軍事作戦だって同じ、予想外の事態が発生すれば臨機応変に対処するために、ある程度の指揮命令権は与えられてるはずです。といっても、この時の軍の上層部は一部を除いて、バカばっかりです。
@@水平和太鼓 さん 作戦の開始と中止の判断は参謀本部にあります。現地軍司令官は中間管理職に過ぎません。現地司令官が判断出来るのであればガダルカナルでの川口旅団は早期に作戦を中止して撤退出来ましたし、山下大将がルソン島での決戦に意義はとらえられないと思います。作戦の開始と中止の判断は参謀本部にあり現地司令官ではありません。また、牟田口中将が師団長更迭をおこなったとありますが、皇道派の東条派の牟田口中将が天皇陛下が任命した師団長を現地司令官のたちを無断で更迭出来るとは思えません。その行為自体が統帥権の侵害にあたりますので、明らかに参謀本部か大本営の判断だと思われます。一部の方を除いてと申し上げておりますが、無能の人間が士官学校を卒業出来ますか?失礼な言い方ではありますが、一般の方では入れない難関を突破して入学している士官学校出身者が、とても無能とは思えません。インパール作戦に関しましても消して無駄な作戦ではなく、援蒋ルートを断ち、中国戦線を有利にして、インド解放への足がかり、B29の空爆を阻止を目的とする作戦です。理にかなっている作戦です。確かに面子にこだわり、自己保身に走った者も少なくはないですが、作戦関してな理にかなった作戦が多いです。
@@全国相面協会総帥 この時代の士官学校出身者は、無能が多いです。確かに難関な試験や盤上での戦技をクリアできる能力はありますが、実際の戦争で勝てるかどうかは別問題です。さらにもう一つ深刻な問題を抱えていまして、軍人の能力は士官学校の卒業年度と席次で発言権が決まってしまったこと。対してアメリカは、戦闘の結果によって、優秀な軍人は昇進して、作戦の指揮を取っています。インパール作戦で言えば、大筋のプランは良かったですが、時期と補給が悪すぎました。時期については、東条英機がバカです。
@@全国相面協会総帥 こういうやつが陰謀論とかを信じていくんだろうなー
曽祖父はビルマ及びインパール作戦に衛生兵として派遣され、無事生還しました。今年101歳になります。昔話を聞きましたがとても人間が生活できる場所ではなく。救えなかった多くの命があったと…たくさんの戦友を失ったと言っております
バ カ な 大 将 敵 よ り 怖 い
それ。
ぶふぉ
@大韓民国 植民地は黙っとれ
@@kctqxy それは草
@大韓民国 植民地黙れwww
牟田口が戦後ものうのうと生きてこの作戦を誇りに思ってたのが胸糞悪い
それ他のインパール作戦推進派(河辺正三や藤原岩市など)の人達からしたら良いスケープゴートになったなぁ。とか思われてそうだな。
連合国の英雄だから仕方ない
インパール作戦の兵士の遺族である、長谷川三姉妹(次女がサザエさんの作者で、長女が夫を亡くしてる)からすれば牟田口が自己弁護していたり、連合国から英雄なんて持て囃されてるなんて、本当に腸が煮えくり返りそうだと思うよ。牟田口さえ居なければ、長女は1週間で結婚生活が終わることは無かっただろうし、生還して、幸せな結婚生活だって送れたはずなのに。本当に無念でならない。
ムッソリーニみたいに処刑して晒し者にしてほしかった
それでも更迭された直後は謝罪してたから...それより上の連中は何もしてないのに批判喰らってないのはおかしい...
大伯父がビルマで戦死しているが、敵は英軍ではなく、無能な牟田口廉也だったんだな…
有能な敵より無能な上官の方が数億倍恐ろしいと言う良い例
正に今の日本じゃん。無能な菅総理大臣が、なんの根拠もなく、利権のために東京五輪を強行開催しようとする。正に令和のインパール作戦😭
@@伊藤正英-t7h 利益っていう根拠あるやん
まあ、上官も戦争後半なら資源もないし有能だったとしても充分な策も練れんでしょ。
連合国の英雄 牟田口
僕の曽祖父はインパール作戦の生き残りでした。僕が1〜2歳の時に亡くなってしまったので直接話を聞くことは出来なかったのですが母から聞いた事を今ここで話したいと思います。曽祖父は軍隊の訓練の時から【遅刻】というものは連帯責任だったぽくてそのチームの1人が遅刻するとそのチーム全員が司令官の靴の踵で頭をしばかれたそうです。僕の曽祖父は賢く、司令官に凄く媚びを売っていたらしいです。そのわけか、少々優遇されていたそうです。笑そしてビルマに進撃した時には靴の中にサソリが入っていてその毒が身体にまわって亡くなられた方も沢山いたらしいです。そのサソリを食べる人もいた、とも言っていたそうです。そんな中でも1番辛かったのが、今まで一緒に戦ってきた戦友が目の前で撃たれるのを見ると助けたくなるのが人間です。でもその戦友は「お前も死ぬから来るな、先に行け」と言うのですから本当に辛かったらしいです。こんな曽祖父の様な激動な人生を送った方達が昔の日本人には沢山いたんですね。もちろん兵士の方達は死にに行くようなものですから「お国のために、、、」なんて思ってる暇はなかったのは十分に承知しております。でも昔の兵士の方達のおかげで今の平和な日本があるのは事実です。本当に心から感謝しています。
@大韓民国 バカ丸出しだから黙っておきな
サブ垢同士が言い争ってるの見ると両方滑稽で仕方がないww
キモイ割に何回も攻め込まれて占領されてて草
@@土方歳三-y5r ネットの中でくらいネトウヨもパヨクも仲良くしてろよ(笑)
レスに涌いている意見は無視して、コメ主さんの意見に全面同意です。彼等の犠牲の上に今日の平和があるのは事実であり、そうした方々の墓標に唾する行為は外道の所業に他なりません。英霊の方々の魂の安らかならんことを。
牟田口さんは戦後も自己弁護に終始し、自分の葬式でも自己弁護の小冊子を配布して参列者を呆れさせた。
さん付けの必要なんてないだろ。墓場に唾かけられて当然のクズ
生還者の証言をテレビ取材観たことがあります。敵と地上戦を開始する時点で既に物資は尽きており、日本兵3人に割り当てられた武器はなんと三八式歩兵銃一丁だけだったそうです。つまり他の2名は地面に落ちてる石を投げて戦ったそうです。しかし敵は戦車を乗り回し、空からは航空機をもって襲ってきます。初めから勝算は0でした。
武器持っててもライフル一丁とか詰んでるな...
けっきょく牟田口は責任を取らず戦後ものうのうと生き残った今の政治家と同じだな
父方の曾祖父の兄(祖父の叔父)が職業軍人で連隊長としてインパール作戦に参加したそうです。叔父は祖父に『河が血で染まった』『多くの部下を失った』『あの作戦は失敗だった』と言ってたそうです。戦後は戦死した部下の家をまわりお経を上げていたそうです。最終的に叔父は少将まで昇りつめたそうです。
素晴らしいチャンネルをありがとうございます。
この話連続テレビ小説「エール」でありましたね……!森山直太朗さんの藤堂先生と窪田正孝さんの裕一先生との別れのシーンは胸が張り裂けそうになりましたね……!其れがインパール作戦でした。今も印象に残ってます……!
上層部がポンコツだったが最前線の指揮官や兵士が有能すぎたッ
牟田口も昔は最前線の指揮官…
盧溝橋事件の時とか
@@旅行中毒者EASTER さん牟田口中将はマレー作戦の時は前に出過ぎて敵弾で負傷してます。もともとは部下にも人気のあった司令官なんです。
部下に人気あったんですか....とても信じられない
@@旅行中毒者EASTER公爵首相殿インパール作戦の戦史自体も戦後の戦史編集の時にかなり改竄されて、責任が全て牟田口中将に集まるような内容になっているようです。詳しくはこの動画の私のコメントを見て下さい。特に師団長の更迭は、一現地司令官が出来ることではなく、ましてや、天皇陛下が任命する師団長を勝手に解任するとこは、統帥権を侵す事にもなりかねません。皇道派の東条一派の牟田口中将が自身のキャリアに傷を付けることを自らおこなうのかも疑問が残る点です。この点は推測になります。
20年ほど前に物故した母方の祖父は南方に行っていた事以外は戦争の事は母にもあまり話したがらなかったそうで、私も本人からは一度も話を聞いたことがありませんでした。晩年にぽつりぽつりと話すようになり母が聞いたところによると、耕作用の馬を家で飼っていた事から輜重兵として南支に配属され、はじめ後方で割と呑気にしていたのが南方に進軍するにつれてだんだんと状況が悪化していったようです。撤収した敵陣にコンデンスミルクの未開封の缶が大量に放置されているのを見て「あ、この戦争は負けるんだな」と思ったのだそうです。缶を開けて中身を舐めた時は一生のうちあれほど美味いものはなかったと感じたそうですが、その後、却って猛烈な渇きに襲われ死ぬほど後悔したそうです。状況はどんどん悪化し最後には道なき道を何日も逃げていく事になったそうで、密林を進んでいる中、振り返ると後ろを歩いていた僚友が一人二人と姿を消し、倒れた姿もないのだそうです。トラにやられたという事で、トラというのは本当に音もなく獲物を狩るのだそうで、祖父も死を覚悟したそうです。さらにマラリアにも感染し生死の境をさまよいながらもなんとか命を繋いで日本に戻ることができたそうです。後に図書館で郷土誌を調べていると、偶然、自分が生まれる前に祖父が寄稿した戦争体験記を見つけ祖父が参加していたのがこのインパール作戦である事を知り大変驚きました。その凄惨さは書籍などで知っていたため祖父が生き延びて自分に命を繋いでくれた事に感謝しかありません。母や伯父もそのような文を寄稿している事は知らなかったようです(郷土史について熱心に調べていたのは知っていたようですが)。寄稿文は自身と所属した連隊の戦歴を記述したもので事実を淡々と書いてありました。撤兵時の惨禍についても記載はありましたが、母に語った生々しい個々の体験についての記載は無く悪名高い牟田口将軍についても事実のみを記載して恨み言や批判は書いておらず、祖父の潔さを感じました。一方でビルマ方面での自身の所属した連隊や上官の勇戦については力を入れて書かれており、祖父の自部隊への誇りも感じられました。母に語った惨禍と郷土誌に寄せた寄稿文と祖父の先の戦争に対する複雑な想いを感じられました。
戦争で一番の不幸なのは、無能な指揮官に仕えることだな。愚策によって犠牲になった兵士が本当に気の毒でならない。
前の職場で、二言目には、「死に物狂いでやれ」と責任転嫁の精神論を吐き散らした上司を思い出す。
ブラック企業?!
その通りです、精神論は日常的にいう事ではありません、相手方と10:9〜10:8の戦力差で戦う時に発揮される類いのものです。
@@西洋人の欺瞞そう言うのやりたくないよなぁ、死にたくないんで。
現代戦では考えられない戦闘方法です。幹部候補生学校時代にレンジャー訓練に参加した事がありますが、このような飢餓状態が半年近く続けば体力的だけではなく、精神的にも病むのは当然でしょうね。自衛隊の訓練でも10日間の行程です。夜になると明かりが恋しくなった事を思い出します。そのような中で我々の両親の祖父は場所は違えども硫黄島で良く戦えたと今でも父よりも尊敬します。因みに私は元航空自衛隊幹部で定年退官後に僧侶となった者です。
東条より牟田口の方がA級戦犯に相応しい
まぁ、承認した大本営も同罪やから
寧ろ牟田口にやらせようとしてる河辺の方がクソや
うちのじいちゃんも行ってたんだ。ちゃんと話を聞いたけばよかった😢じいちゃんに会いたい😢
某テレビ番組で出てましたね。食糧や武器は敵から奪えってクレイジーな作戦w
孫氏の兵法に「故智将務食於敵、食敵一鐘、当吾二十鐘」とあって頭の良い将軍は敵の物資を奪って戦う、なぜなら敵は物資の欠乏で弱らせつつ自軍は遠い本国から物資を運ばない分の労力を消耗しないで済むから敵の物資一つ奪えば本国から苦労して運ぶより20倍の価値がある、と言ってるんですけどそれは牟田口のようにもうダメのドピンチで逆ギレまがいに部下に責任丸投げでやらせることじゃなくてもっとも緻密で慎重にやるんですけどね牟田口のはマジで場当たり的すぎるクレイジー作戦w
それ捏造なので気を付けて下さい。インパール作戦は15師団以外は飢餓に苦しんで居ません!しかも本当に苦しかったのは15師団の第60連隊であり、飢餓の理由も31師団の無断撤退時による物質略奪が原因で、60連隊の公式記録にも残されています。60連隊の公式記録には31師団の批判が多く書かれています。
まあこの時牟田口が本土へこの作戦のために補給を要請してもトータルで約二割分くらいしか送られてこなかったから敵から奪うくらいしかないのも事実。ていうか日本軍この作戦のとき初っ端相手から約二か月分の補給を鹵獲できてるしね~
@@ヌカスを許すな さん実際、作戦開始後2カ月は、作戦参加師団の補給は問題ありませんでした。
@@全国相面協会総帥 ん?作戦参加師団?物資を鹵獲できたのってインパール南方のテディムで英軍の師団を殲滅した第三十三師団じゃなかったっけ?別行動の三十一師団と十五師団も全部が全部補給に問題なかったの?
このチャンネル日本軍のいい所と悪い所を配信してるからすこ
松尾で上げるでもなく罵倒するでもなく中立的な立場なのがいいよ
牟田口は、兵士が苦しんでる間も芸者と豪華な食事に囲まれて過ごしてるしな
前線司令部に芸者を侍らせた将軍閣下は牟田口以外に例がないのではないですかね?
あんまり知られていないが盧溝橋事件の時も同じ二人組で戦争の発端になってたりするからなー牟田口は最後までインパール作戦の参加した遺族に謝らなかったのが胸糞
最後まで謝らなかったは間違えやぞ「最初は」謝ったから、、、
彼は連合国の勝利に貢献した偉大な軍人だ。
それはイタリア
@@まんじゅう4236-e9r ギリシャ侵攻、北アフリカ戦線...うっ頭が...
@@第一統領 連合国の英雄イタリー
牟田口じゃなかったらインパール勝てたのか?敗北必死なら勝利に貢献とは言えないよ連合国の勝利に貢献したのは山本五十六と南雲、東条英機
@@第一統領様 まぁ~落ち着いて下さい!うちの伍長総統も連合軍の勝利に貢献してますよ!防衛戦の死守命令の乱発・・・東部戦線の崩壊。伍長総統は戦術、戦略を理解していない!
この作戦の話を聞くたびに「戦争は補給が全てだ」とつくづく思う。
いや外交だろ
戦争の対義語が外交ですなので 戦争においてとならば 他の用語が入ります
クラウゼヴィッツいはく戦争とは他の手段をもってする政治の継続であるとか。あと外交を上手に行えば戦争を有利に進められる(どこかのブリカス)
参謀長の小畑信良少将が偵察の結果この作戦は無理だと進言したが却下。この司令官じゃ話にならんと別の人に力添えを頼んだところ面子を潰されたと解任。当時の陸軍では数少ない兵站の専門家が言っているのだから、大局的にもう少し耳を傾ければ良かったのに。まあいつの時代も余裕が無くなると一発逆転的な発想となるのですが、会社と違って兵隊の命が掛かっているのですからね。
むしろ外交の延長戦が戦争なんだよ。
我が先祖が日露戦争で司令官として生還し勲章賜わったが具体的に何したかを知りぞっとした当時小学生な我にゃ!
あの五三の桐の勲章ですか?うちの家にもありました!
@@栁小 (  ̄▽ ̄)スゲェェェ御先祖は上官の方だったんですか?それとも相当腕の立つ一般兵だったんですか?
@@Mr-lx4hr どうだろうよくわからんが遺影は勲章たくさんついてた
日露の将校とかハンパないな!ウチのジイ様も古い写真で第二次世界大戦では見た事ない様な軍服の写真あるなぁ。ダッフルコートみたいな
私の祖父はインパール作戦の生き残りだったと聞いたことがあります。私が小2の時に亡くなりました。戦争の時のことはいくら聞いても笑ったまま教えてくれませんでした。教えてくれたのはカエルがご馳走だったことだけです。こんなに酷い戦いだったなんて知りませんでした。
牟田口を許すな
なぜ、東京裁判で処刑されなかったのでしょうか?
無能な敵は有能な味方より頼もしいということ
@@赤松繁-n8k なんかラッキーがあったらしい(証人が死去とか)
@@adgjmptw1919実は牟田口くん、マレー作戦の時とか最前線で指揮取って作戦成功させたりとか、割と有能だし兵士からの人気もあったらしい。
日本軍は負けるべくして負けたんだなあって改めて認識する作戦と指揮官
更に言えば、要請していた補給部隊が1944年ってこともあり、かなり不足していたようだし
立案された作戦自体は英軍の状況を鑑みればそれほど無謀ではありませんでしたよ撤退判断の遅さとその後の対応は擁護できませんが
日本は戦略立てるの世界一下手くそですからね
その過ちから何も学ばず、安心安全の根拠もなしに、東京五輪を強行開催しようとする菅政権は、令和のインパール作戦と呼ばれています。
日本は島国だから戦略立てるの下手になった。
インパール作戦で戦死した将兵に巨人軍の選手でキャッチャーの吉原選手が居て巨人は吉原をスカウトして吉原は入団条件にバッテリーだった川上哲治も一緒に入団するなら良いと言って巨人は了承して巨人に入団し巨人では名キャッチャーと言われてチームメイトからは吉原が戦死しなければ川上哲治より先に巨人の監督になって居たと言われ背番号27番は名キャッチャーの背番号と言われて居る川上は晩年まで故居の熊本に帰省した時は必ず吉原の墓参りをして居た。
うちの地元が第31師団師団長佐藤幸徳中将の故郷で結構インパール作戦のこと調べてたから取り上げてくれてめちゃ嬉しい
佐藤師団長素晴らしい
部下の宮崎兵団長からは蛇蝎のごとく嫌われてたけどね。佐藤の野郎が撤退とか言いやがってアホか?と思ったぜ。俺ならキチンと撤退せず戦えたとね。そう言う宮崎も、小猿に士官服特別に作らせたり、小猿御付きの専属副官に人間の少尉を付けてたお方です。
@@ゆってぃ-s5i そうですかね?宮崎部隊囮にして独断で逃げてる辺りだいぶアレだと思うんですけどね...
@@使用停止アカウント アホな作戦立案して戦後ものうのうと生きていた牟田口と、師団の撤退命令を独断とはいえ出した佐藤中将とでは大分差があるでしょうな〜(すっとぼけ
@@Oosansyouuo_tatsugoro717 撤退した佐藤中将の部下にとっては名采配だと思う。でも、何も知らされずに時間稼ぎに使われた宮崎部隊を始めとする他の最前線部隊はたまったもんじゃないよね?それに、河辺あたりの軍人が牟田口に責任押し付けたみたいな側面があるのもお忘れなく。(作戦の要求・許可した軍上層部の方がよっぽどかのうのうと暮らしていた)そもそもあんなクソ少ない中で、状況打開させようとした上層部が一番頭おかしいし、そんな中であそこまでやれただけでも正直牟田口は有能だと思う。あと、牟田口は帰国当初はめちゃくちゃ謝罪してたよ。屑ムーブがあるのは否定しないけどね。てかなんでいきなり牟田口の名前が出てきたの?
インパール作戦知りたかったので助かります!
・・・うん悪いことは言わないからこの動画でインパールを知るのはやめたほうがいいと思う・・・こんな極端に悲惨な結果だけ語ってるやつじゃなくてなぜ、どういう経緯でこの作戦が立案、実行されたかから語っている動画を見ることをお勧めします。
この動画はマイルドにインパール作戦を表現しているので・・・生存者の話では、飢餓から、草も、木も、敵兵も食べたし、腐敗した味方の遺体も食べたそうです。
@@cvfpratulascivaff まあどれだけ悲惨だったかってのはその一文でわかるけどそれがいつの話かってことに着目しないからインパール作戦は悲惨な最悪の作戦だなんて言われるのでは?と思いますけどね~
私の曽祖父がインパール作戦から帰ってきたそうです。私が生まれる前に亡くなっているので詳しいことは聞いたことがないのですが、母からは何度か話を聞いたことがあります。このインパール作戦以外にも日中戦争に行ったらしいのですが、聞いた話によると、曽祖父は馬に乗っていたそうです。着物の染め物工場をやっていたらしく、軍人でもないのになぜ馬に乗っていたのか、なぜ過酷なインパール作戦から帰ってこれたのかは今となってはわかりません。もし生きて会えていたなら、もっと戦争について聞いてみたかった。
今も変わらんな、日本の縦割り体制。バカな上司に付いた部下の悲惨な末路
退職出来るなんて現代は幸せだね
昔、会社の元上司の葬儀に行ったら、上司の義理のお兄さん(嫁の兄)が自分はインパールの生き残りだとおっしゃって少し話を聞かせてくれた誰に話してもインパール作戦なんて地獄から生きて帰った話なんて壮大な法螺話としか思われなくて信じてもらえなくて困ってたそうだwもっとしっかり聞いて書き留めて後世に残しておくべきだった
もしかして15師団の第60連隊の方だったかもしれませんね!
自分の兵士達が命懸けでやってるのに田口も命懸けで物資を届けるのが筋だろ!
違うんだよ~送らないんじゃなくて送れないんだよ~物資がないんだよ~
さすが連合国の英雄牟田口
この声馴染みがあってなんか好き!
わかる。この声の人の名前教えてください
牟田口は、戦後にジンギスカン屋をやっていたらしい。サイコパスかなんかだったのかな?
学生の時に学友の祖父殿がインパール作戦の生き残りで話を聞くと、「撤退する際、銃や鉄兜に銃剣も捨ててタイへ落ちのびる時に戦友達が飢え死にや傷病死して、泣きながら許してくれ」と走りに走ってタイに撤退したと聞いた。
この作戦、小学校五年生が考えそうな考えだよね。
そこまでお馬鹿な小5は少なそうな
こんな救い用のない馬鹿が将校だもんなぁ、なんでぇ?なんでぇ?
ではこの作戦内容を詳細まで説明して下さい!
この作戦は何も間違ってない理にかなっている
作戦内容などが詳しく知りたいならHeinkelさんのインパール作戦動画がオススメですよ❗なぜ、失敗したかがよくわかりました。他の人の動画で別の人を宣伝するのはよくないですが…
わかりやすい!
この作戦自体が勝算が完全に0なのに強行されたとしか言いようがない。ちなみに撤退行動を支援して敵の進撃を遅滞させていた宮崎少将の部隊はイギリス軍の食糧を取りながらも遅滞作戦を遂行し撤退中でも飢えで歩けない兵士を抱えながら行動したそうです。
勝算はありました。英軍側の将校の証言でも作戦は理にかなっていることは証言として残っています。英軍側も必死でギリギリの勝利だったと言っておられました。
こんな印象操作動画の内容を鵜呑みにせずに調べてみたらわかると思いますよ~この作戦がどれほど合理的で、どれほどぎりぎりの状態から敗北したのかが
@@ヌカスを許すな さんそういえば、違う所のコメントで、援護射撃ありがとうございます。遅れましたが、お礼の申し上げます。
東京五輪の強行開催からインパール作戦を知り、観に来ました。開催自体が根拠なき安心安全なのに、菅総理は強行しそうな勢いであります😭
@@伊藤正英-t7h さんインパール作戦は勝算のある戦いでしたよ!詳しくは私のコメントを探して読んでみて下さい。
私の曽祖伯父(曽祖父の兄)は、インパール作戦に従軍したそうです。祖父からの話では、戦死したそうで、驚きました。曾祖伯父は軍曹を務めていたようで、職業軍人だったそうです。生きていれば、95歳ほどのようでそう思うと、複雑な思いです。この動画で、インパール作戦の内容が、細かく分かりました。ありがとうございます。
がち苦労して生き残った兵士がムカついてやりきれないから、戦後下山事件等の騒動を起こしたようですね。
太平洋戦争時、日本軍はアメリカ軍から「兵士は1流だが指揮する奴が3流」と言われたそうですよ。その真骨頂ですね(悪い意味で)。
まあアメリカからの言葉なら牟田口には適応しないとも思うけどね~アメリカが指摘したのは南雲さんとかかな?
米英ソと日本軍と対峙した国家からの日本の指揮官に対する評価はだいたい同じ「柔軟性が無く、机上の空論に固執する」
牟田口は作戦中、女遊びをしてたと聞いたことがある
ひょっとしたら大川周明みたいに梅毒で頭やられてたのかもしれませんね
それについては、証言や記録はありません。逆に前線近くでの戦闘指揮所で指揮を執っていた記録はあります。ただ、ひいきの芸者が病気にかかっていて、その芸者がある程度回復するまで、後方にいたとの証言はあります。その後は前線近くでの戦闘指揮所に向かったとの証言があります。インパール作戦の初期段階では牟田口中将は英軍を手玉に取っています。私が思いますに、牟田口中将は前線の要望と、上層部の圧力の板挟みになっていた可能性があります。詳しくは私のコメントを読んでいただけると助かります。
なお実際は序盤は上手く行っていたが中盤以降は国力に押し切られた。牟田口自身作戦前に大本営に自動車中隊や工兵隊、追加の物資を要求したが聞き入れてもらえず足りない分を現地調達するハメになってしまった実際当時現地の人間や家畜を徴用するのは普通で、ある程度物資を牛などに運ばせたら殺してそれを食料にするけど戦後なぜだか「牛以外の食料を持たせず作戦を強行した」と捻じ曲げられてしまった。参考→th-cam.com/video/2Z74IbJ71l4/w-d-xo.html
佐藤師団長は撤退時に物質を略奪しながら撤退したそうです。もともと31師団はインパールに対して迂回戦術を取るために物質は少なめ、重火器は携行しておらず、その為、作戦長期化により少々の物質不足に成ったといわれています。しかし最初から判っていた事なので、先に師団長が対応する問題だったと思われます。
道中に川がある時点で牛などが溺れる事は容易に予想出来るのでは…?(橋等作れば別の話ですが途中で空爆などで壊される気もしますし)
牟田口中将は処分を受けることなく戦後も恩給貰って普通に老後を送ってたそうですね、何か違和感がある。
違和感?不快感の間違いでは
大松監督よく生き残ったなぁ
この作戦に従事された【佐藤幸徳】師団長並びに【宮崎繁三郎】歩兵団長の動画も是非とも上げていただきたく思います!立場や功績は違えど立派なお人柄であるお二人共後世に名を残すべき方と思いますので、ぜひお願い致します。
ぜひ、お願いしたいですね❗
会社に辞表を提出して、残りの業務をしている時、後輩が上司に理不尽な叱責を受けていたので、「黙れ、牟田口!!」と言ったら顔を真っ赤にして殴りかかってきたので、正当防衛で入身投げで投げ飛ばしました。
かっこええ。
そこの場面にいたら笑ってしまいそう
牟田口中将は無能ではありません。作戦開始が1週間早ければ英軍が負けて白骨街道をつくったのは英軍だと!英軍側の人間が言っています。英軍側の運が良かったのはインパール北方のコヒマにかき集めた輸送機で兵員をピストン輸送したことであり、そのタイミングがズレいたらインパール作戦は成功していたと言われています。詳しくは私のコメントか、ユーチューブの動画のインパール作戦前半、後半を見て頂ければよくわかると思います。決して無謀な作戦ではなくて、牟田口中将は兵站、補給部隊を通常の倍以上を上層部に要求しています。芸者遊びの証言や記録もありません。インパール作戦も他の作戦と同様に証言や事実と異なることが、戦後の戦史編集の時にかなり改ざんされて辻褄が合わないことが多くあります。まして牟田口中将はマレー作戦時には前線に出過ぎて敵弾で負傷までしていますが、その戦功でマレー作戦を成功へと寄与しいています。現場の部下には前線で共に戦ってくれる、人気のあった司令官なんです。
無能じゃ無いなら撤退させろや
ちなみに1師団6000〜25000まででコメント欄によると日本軍は1師団2万5000人らしいです
@OSTトマト人間ゆっくり 現在お休み中 間違えました(´ω`)(超絶恥ずかしい)
@OSTトマト人間ゆっくり 現在お休み中 治させていただきます
インパール作戦時の補給は申請後が自動車輜重中隊41個と駄馬輜重中隊15個?かな?
これって多いの?
今も昔も人の上にたつ人で最低な人って、いるよね。
何年か前に庄内町で佐藤師団長の展示会がありましたそこで庄内町のお寺に佐藤師団長の部下が立ってた慰霊碑が有るのを知りました
牟田口は手柄を立てたかったんだろうよ。だから当初は自分が反対した作戦を強行した。
精神論って怖い…
今も安心安全という精神論だけで、無謀な東京五輪に突っ走ろうとしているのですが(*´・ω・)
インパール作戦の動機『東部インドで新たに援蒋ルートが出来たためそれの遮断』『大陸打通作戦の援護(陽動?)』『英領インドの独立運動の支援』『そもそもハ号作戦によりインパール方面に敵主力が居なかっため(イギリスがアメリカを脅して空輸機?を拝借しなかったらイギリス軍も白骨街道になってた可能性大)』
長文は頭がパンクするかも
@@たかきた-p3n この程度でパンクするようでは歴史学ぶの無理でしょ()
@たかきた遊びすぎかも知れないし、授業か仕事で疲れてたのかも知れない。取り敢えず頭を揉んだりリラックスしてみてはいかが?
作戦中、牟田口は後方で芸者を招いての宴会を連夜催し戦後も自決することなく天寿を全うだから呆れる。
優秀な敵より無能な味方の方が怖いってか。
優秀な敵も怖いけど手段を選ばない敵もめちゃくちゃ怖いよね~イギリスさんこの時アメリカから輸送機ぶんどってまで兵士をインパールに輸送してるし・・・ほんと連合同士でなにやってんのよ・・・あと日本のカミカゼも手段を選ばないって意味でアメリカからは恐れられたよね~
今も無能なトップが、専門家の意見を無視して、東京五輪を強行開催するのだと暴走していますが😅
軍隊が平地で列をつくって進軍する際は、味方航空機に守ってもらうのが大切なのかな?それか対空車両を引き連れないとダメって感じかな(ジャングルを超えた後じゃ難しそうだけど..)?
制空権の無い話は事実と異なります。制空権は作戦終了またで拮抗しておりました。かの有名な64戦隊(加藤隼戦闘隊)などが活躍して、戦線の空を守って居ました!
まあ両軍制空権が拮抗してるときでも実際は両軍とも互いの戦闘機を抑え込むので精一杯だったとか?事実日本軍も渡河中の英軍(なんて部隊だったかは忘れた)に爆撃して壊滅的な被害は与えてるらしいですしお互い戦闘機と地上援護でいっぱいいっぱいで爆撃機や輸送機はなかなか相手にすることができなかったみたいですね
@@ヌカスを許すな さんそうですね!両軍共に必死に戦っていたんですね!
コレヒドールかとイギリス空挺で補給し我が軍は大砲分解し牛の労力しかない‼️大本営は作戦却下したけど南方面軍に屈したインド取れれば兵站無視大本営は戦局打開かな⁉️
パワポケ2の戦争編では任月という横暴な司令が牟田口をモデルにしてたキャラになってるので体験できるぞ(謎の宣伝)
せめて、こいつを○すことができたら、とゲームをやっていて思いました😡
牟田口に文句があったら彼が生きてるうちに責任を取らせるべきだった。この男は戦後も長い間悠々と生きていたぞ。日本人はこの男を眼前で弾劾する勇気など誰も持ち合わせていなかった。また今からもあることだ日本人は本当の勇気が必要だと思う。
それを現代でyoutubeにコメントしてどうなる。
作戦で亡くなられた将兵や遺族の方々にとって本当の戦犯は牟田口だと思います。因みに神風攻撃隊を作った海軍の大西瀧治郎中将は終戦後、戦争とはいえ未来ある多くの若者を特攻隊で死なせてしまったと腹を切って自決したらしいですが牟田口は部下に責任を転嫁し天寿を全うとは💢。
連合国を勝利に導いた智将
今の日本を見るとブラック企業とかでこんな感じで下の人間に無理をしてそれで死人が出るっていう流れは変わってないんやなって思う
『自動車や馬の描写を描かないのはアンフェアでは?(補給申請の前ですら自動車中隊23個、駄馬中隊12個くらいなら有りますよ)』
うっそだぁ。
@@たかきた-p3n 作戦に参加した第三十三師団は高い砲兵火力と機械化充足率を誇る精鋭ですよ当時の日本軍で最も恵まれた師団の一つですね
こんな地獄のがまだマシな戦いでまともに戦争してた宮崎さんは一体何者なんだ…?
イギリスはレンヤムタグチという名将がいたから勝てたのかもしれないでもよくよく考えたらこんなん並みの人間じゃ勝つなんて無理ゲーだろ...
10万も居る上に飛行機は太平洋に取られてるので空輸も使えないし内陸なので海上輸送も使えませんからね…
@@性名-t5g 最初は牟田口ですら反対していたという話もありましたから...
牟田口という人。こんな大損害出した作戦でも更迭されることもなく陸軍の高官でありつづけた。ミッドウェーで空母4隻損失の大失敗やらかした山本五十六が更迭されることなく海軍の高官でありつづけたように。
あれ実際には空母4隻も失った原因はほぼ上層部にあるんですよね...
山本えっ⁉️あれは⁉️南雲のせいやろ⁉️
@@呉志 作戦の最終決定者は山本。
@@cando4707 山本えっ⁉️アイツちゃんと偵察しなかったからじゃないのやべえよ・・・・全部南雲が悪いって、報告したのに(鬼)・・・・
牟田口や辻󠄀 ロクデナシは生き残る理不尽な戦争。
白骨街道って印パール作戦のことばだったのですね!!こういうときには個人の力ではどうにもならない→ブラック企業従業員と同じ。ですね。ブラック企業内で奮闘していた頃。テレビゲームで言うハードレベルの挑戦だって思ってがんばっていたけれど結局失敗に終わった。
結局日本軍は一年で戦線を拡大させすぎて物資不足でしたからね…
インパールの責任を牟田口一人に押し付けるのは誤った印象操作。牟田口の当初作戦ではかなり充実した補給が計画されていたが、補給を削ったのは大本営。苦肉の策がジンギスカン作戦。
無茶口とかいうあだ名があったとか爺ちゃんが言ってた
宮崎繁三郎は英雄
撤退作戦計画、遂行を上手くまとめられましたね!
特務機関勤務歴のある方ですからそれも直接的間接的に野戦指揮の上手さに影響したのかもしれませんね。
これがよくわかるのは連続テレビ小説エール
牟田口中将の作戦中の写真が家に大量にあります。支那 盧溝橋 コヒマ シンガポール ビルマ などの場所だと思います。
命の在り方も上司次第。部下に擦り付けるとか涙出てくる。
彼は東京裁判を免除されている。その理由が「無謀な作戦を指揮し自軍に多大な損害を与えた功績により東京裁判を免除」となったという都市伝説。
この作戦まで牟田口さんは有能とされていたのに悲しいですよね
南方軍が上申して大本営が同調した二十一号作戦はインド東部(アッサム州)で、インパール作戦はそれよりも手前のインパールを攻略する作戦。全然別物では?てかお隣では同時期以降に作戦距離2400キロに及ぶ大陸打通作戦を成功させてるぞ?少なくもむぼ
大陸大通作戦や二十一号作戦に比べたらインパール作戦は十分に成功出来ると思うんだが。
@@東西南北-d7p 大失敗した訳ですけどもね
可能なら宮崎繁三郎の生涯についても取り上げて下さい。
今の政治家と一緒だわ❗酷すぎる❗
現代になっても牟田口みたいな人は組織で偉くなるよね。自衛隊が心配です。
僕の祖母の兄もこの作戦で亡くなった1人です
ジンギスカン作戦はコントすぎる
今はオリンピックインパール作戦か。
そのとおり。時代が変わり、牟田口から安倍と菅にその無能が変わろうとしている。反対意見など聞かず、安心安全という精神論だけで東京五輪を強行開催しようとしている。
牟田口はある意味日本兵を無駄死にさせて日本の降伏時期を早めた英雄ですね
どちらにせよ防御に徹したところで物量で押しつぶされるのがオチなんですから攻勢かけて敵の攻勢要因を潰すってのはロンメル将軍もやった立派な防衛行動なんですがね 当時の英軍の状況を鑑みれば作戦内容もそれほど無謀ではありませんでしたし失敗した際の撤退判断の遅さ、その後の対応は擁護出来ませんが
変なことを言うけど牟田口がこの作戦の失敗の原因だとかなり言われるけど実際は牟田口司令も最後まで反対してたし大本営が無理強いしてインパール作戦が実行されたけど第15師団らに1ヶ月以上保つように手配してたために1ヶ月以上戦闘を継続できたしかもインパール作戦は作戦通り進めていたら成功していたかもしれない作戦で実際かなり良いところまで進んでいたではなぜ失敗したか?記録では15師団だったか31師団だったかが命令違反して失敗した作戦だったらしい牟田口のエピソードで酒盛りしてたとか言うエピソードもあるがあったとか無かったとか色々言われてるため実際は不明だ
佐藤中将の撤退が決定的に成否を分けましたが、それでも指揮官は牟田口なのでインパール作戦その責任すべての所在は彼なんでしょうね総司令官の寺内の鶴の一声で始まった作戦らしいですが
@@闘将餺飥男 初めての特攻隊を送った大西中将でも責任取って割腹自決してるけど牟田口はそれすらしなかったから責任逃れだと思うね
@@ビスマルクロンメル元帥 他人には腹を斬れ斬れ言っといて自分は部下に腹斬った方が良い?とか聞くくらいですからねぇw
@@闘将餺飥男 誰も止めないから勝手に切ってどうぞって言われて結局しなかったし
実際途中までは上手く運んでましたからね問題は英マウントバッテン元帥がアメリカから輸送機を半ば強奪する形で借りて一気に増援部隊を送り込んできたこと
昭和を知るための推薦本
amzn.to/3e2t1Ij
インパール作戦を知るための推薦本
amzn.to/3yXWBqq
私はインパール人です。インパール作戦はマニープル人々が日本作戦と知らせています。戦争のとき私のおじいちゃんは日本軍があって、食べ物を上げて助けてたと言う話はお母さんから聞きました。食べ物無くてもみんな大変でしたて言われた。子供の頃からおじいちゃんの物語で日本はどんな国わからないときから日本に行きたい、日本人に友達になりたいと思っています。インパール人々は日本人は大好きです。その経験はインパールに行ってた人たちだけわかると思います。戦争は戦争です。その時代は国と国は戦争時代かなあ。私もおじいちゃんの物語で日本に行きたい気持ちが強くして日本に来ました。動画ありがとうございます。
@どや 日本語はまだです。ありがとうございます。
祖父はインパール作戦帰還兵でした。
左胸に弾を受けながらも生還し、86歳まで生きました。
私が小学生の頃は白骨街道の話を夏休みの自由研究に毎年のように話してくれましたが、作戦自体がどんなものだったのか、この動画で初めて知りました。
ありがとうございました。
この動画、確かに間違ってはないけどインパール作戦の悪い面のみに目を向けてる節があります
Heinkel氏のインパール作戦の解説動画も見ることをおすすめします
@@そらきち-u4t レスありがとうございます。早速見てみます。
すごい!どうやっておじい様は生き残ることができたのですか!?詳しく聞きたいです!
@@kana19841027 返信ありがとうございます。小学生の頃、夏休みの自由研究でしか聴かなかったので白骨街道の話しか聞きませんでした。私が大人になって、永遠の0が流行り出した頃に問い合わせ、胸の傷で二階級上がっていた事を知りました。あとは、失敗は部下のせい、手柄は自分のものにしていた上司がいて、引き上げ船の上で何人かで殺害しようとしていた上司がいて、「毛利、殺したろか」という祖父の寝言は祖父の死後も忘れる事はありません。
湾岸戦争の年に祖父が心筋梗塞で入院し、その時に被弾した弾が見つかったのですが、大手術を終えて目覚めた祖父の一言目が「湾岸戦争どうなった?」で、呆気に取られたのを覚えています。
@@RH-Raina.H
うわ~おじい様ガチ怖ですね~💦
寝言などに出てくるという事は
おじい様の中ではまだ戦争中だったのでしょうか。沢山の御戦友をお亡くしになられたのですから😭もっと聞いてみたいですね💦物凄く過酷な状況にいらっしゃったので、物怖じしないご性格でしたか❓❓
私の曽祖父わインパール作戦で戦死しました…。お線香や祖父が作ったお米などを持って曽祖父が亡くなった場所で手を合わせたいなと漠然と思い、色々調べたり色んな方の助けを借りて2017年にウクルル、当時は31師団と15師団の補給基地があり現在は教会が建っている場所で手を合わせる事ができました。何の因果か…曽祖父の慰霊が終わり観光をしていたインドで出会ったインドの方と現在、結婚をして子供を授かりました、曽祖父がインドで戦死していなければ行こうとも思わなかったかもしれない地、しかし戦争が無ければ会えていたかもしれない曽祖父、考え深いし戦争の上にある平和、考え続けなければいけないのだと思いました。息子が生きる世界は平和でありますように…🕊
無茶口と影で言われてらしいけど、こんな上手いあだ名を言うなんて、今の自分たちとなんら変わらない若者達が沢山犠牲になったんだなあ、と思う。
無駄口じゃなくて?
無駄無知じゃなくて?
@@混沌のぷぅーぷぅー大帝国 つまらなくて草
@@バラライカ-b5b お前の方がつまらなさそうだね
因みにイギリス軍も多くの犠牲者が出た。
日本兵が、マラリア等の疫病にかかったせいで
イギリス軍の兵士も疫病にかかり
そのおかげで、戦後のインド、ビルマの統治に影響が出て、
植民地を放棄せざる得なくなった⁉️
サザエさんの作者の義兄(姉の夫)もこれで亡くなった。
しかも結婚したのはたったの1週間。本当に泣けてくる。
往年のイタリア映画「ひまわり」。
ローレン、マストロヤンニのイタリア人夫婦も1週間の新婚生活だった。
いつの世も変わらぬ戦時下の悲劇。
アズママナブ。
牟田口
「銃剣が無くなれば腕で殴れ
腕が無くなれば足で蹴れ
足が無くなれば口で噛み付け」訓示じゃないよこんなの……
もはや、自暴自棄で草
日本が世界に誇る武士道の名著「葉隠」の一節をもじったものらしいので
当時の日本男児・帝国軍人にはむしろ当然の訓示だったんです…
@@旅行中毒者EASTER 首相のあんたが言うな
当時の首相は東條だろ
スパルタン兵かな?
この世の中はこういう人が偉くなる
部下の気持ちを考えれない人が偉くなり無理難題を押しつける
その流れはいまも変わっていない
同感です。さんざん専門家の意見と菅総理は言っていたくせに、東京五輪を反対されて都合が悪くなると、あいつを黙らせろと激怒する。こんな人間が、国のトップであり、偉い立場にあるのだと思うとぞっとする。
そういう人を偉い人として評価している日本人が無能なんだろ。
君もその遺伝子をもっているんだよ。
自覚した方がいい
無茶なノルマを部下に押し付けて自分はなにもしない、達成できなければ部下のせいにして責任を取らない、こんなヤツどこにでもいますよ💢
責任も何も、牟田口中将は責任を取る立場にないかもしれません。
作戦の決行は主に大本営が決定するものであり、牟田口中将は現場の責任者に過ぎません。
なので作戦終了時に更迭されて、組織としての責任は負わされています。
作戦終了は大本営が決める事であり、現場の指揮官が勝手に終わらせる事は出来ません。
今で言うと、一現場監督が工事中のマンションの工事を止めて更地にする権利はありますか?
牟田口中将の立場は中間管理職位の立場だと考えて頂けるとわかりやすいかもしれません。
前線からの要求と大本営からの圧力とで板挟み状態なのが現実なのかもしれません。
多分、胃は相当に痛かったと思いますよ・・・
インパール作戦の戦史は、戦後の戦史編集のときにかなり改竄されていますので、気を付けて下さい。
@@全国相面協会総帥 例えがおかしすぎます。マンションの現場監督だって深刻な事態が発生すれば、工事を一旦中止するでしょう。軍事作戦だって同じ、予想外の事態が発生すれば臨機応変に対処するために、ある程度の指揮命令権は与えられてるはずです。
といっても、この時の軍の上層部は一部を除いて、バカばっかりです。
@@水平和太鼓 さん
作戦の開始と中止の判断は参謀本部にあります。現地軍司令官は中間管理職に過ぎません。
現地司令官が判断出来るのであればガダルカナルでの川口旅団は早期に作戦を中止して撤退出来ましたし、
山下大将がルソン島での決戦に意義はとらえられないと思います。作戦の開始と中止の判断は参謀本部にあり現地司令官ではありません。
また、牟田口中将が師団長更迭をおこなったとありますが、皇道派の東条派の牟田口中将が天皇陛下が任命した師団長を現地司令官のたちを無断で更迭出来るとは思えません。その行為自体が統帥権の侵害にあたりますので、明らかに参謀本部か大本営の判断だと思われます。
一部の方を除いてと申し上げておりますが、無能の人間が士官学校を卒業出来ますか?
失礼な言い方ではありますが、一般の方では入れない難関を突破して入学している士官学校出身者が、とても無能とは思えません。
インパール作戦に関しましても消して無駄な作戦ではなく、援蒋ルートを断ち、中国戦線を有利にして、インド解放への足がかり、B29の空爆を阻止を目的とする作戦です。理にかなっている作戦です。
確かに面子にこだわり、自己保身に走った者も少なくはないですが、作戦関してな理にかなった作戦が多いです。
@@全国相面協会総帥 この時代の士官学校出身者は、無能が多いです。確かに難関な試験や盤上での戦技をクリアできる能力はありますが、実際の戦争で勝てるかどうかは別問題です。さらにもう一つ深刻な問題を抱えていまして、軍人の能力は士官学校の卒業年度と席次で発言権が決まってしまったこと。対してアメリカは、戦闘の結果によって、優秀な軍人は昇進して、作戦の指揮を取っています。
インパール作戦で言えば、大筋のプランは良かったですが、時期と補給が悪すぎました。時期については、東条英機がバカです。
@@全国相面協会総帥
こういうやつが陰謀論とかを信じていくんだろうなー
曽祖父はビルマ及びインパール作戦に衛生兵として派遣され、無事生還しました。
今年101歳になります。
昔話を聞きましたがとても人間が生活できる場所ではなく。救えなかった多くの命があったと…たくさんの戦友を失ったと言っております
バ カ な 大 将 敵 よ り 怖 い
それ。
ぶふぉ
@大韓民国 植民地は黙っとれ
@@kctqxy
それは草
@大韓民国
植民地黙れwww
牟田口が戦後ものうのうと生きてこの作戦を誇りに思ってたのが胸糞悪い
それ他のインパール作戦推進派(河辺正三や藤原岩市など)
の人達からしたら良いスケープゴートになったなぁ。
とか思われてそうだな。
連合国の英雄だから仕方ない
インパール作戦の兵士の遺族である、長谷川三姉妹(次女がサザエさんの作者で、長女が夫を亡くしてる)からすれば牟田口が自己弁護していたり、連合国から英雄なんて持て囃されてるなんて、本当に腸が煮えくり返りそうだと思うよ。
牟田口さえ居なければ、長女は1週間で結婚生活が終わることは無かっただろうし、生還して、幸せな結婚生活だって送れたはずなのに。本当に無念でならない。
ムッソリーニみたいに処刑して晒し者にしてほしかった
それでも更迭された直後は謝罪してたから...
それより上の連中は何もしてないのに批判喰らってないのはおかしい...
大伯父がビルマで戦死しているが、敵は英軍ではなく、無能な牟田口廉也だったんだな…
有能な敵より無能な上官の方が数億倍恐ろしいと言う良い例
正に今の日本じゃん。無能な菅総理大臣が、なんの根拠もなく、利権のために東京五輪を強行開催しようとする。正に令和のインパール作戦😭
@@伊藤正英-t7h 利益っていう根拠あるやん
まあ、上官も戦争後半なら資源もないし有能だったとしても充分な策も練れんでしょ。
連合国の英雄 牟田口
僕の曽祖父はインパール作戦の生き残りでした。
僕が1〜2歳の時に亡くなってしまったので直接話を聞くことは出来なかったのですが母から聞いた事を今ここで話したいと思います。
曽祖父は軍隊の訓練の時から【遅刻】というものは連帯責任だったぽくてそのチームの1人が遅刻するとそのチーム全員が司令官の靴の踵で頭をしばかれたそうです。僕の曽祖父は賢く、司令官に凄く媚びを売っていたらしいです。そのわけか、少々優遇されていたそうです。笑
そしてビルマに進撃した時には靴の中にサソリが入っていてその毒が身体にまわって亡くなられた方も沢山いたらしいです。そのサソリを食べる人もいた、とも言っていたそうです。
そんな中でも1番辛かったのが、今まで一緒に戦ってきた戦友が目の前で撃たれるのを見ると助けたくなるのが人間です。でもその戦友は「お前も死ぬから来るな、先に行け」と言うのですから本当に辛かったらしいです。
こんな曽祖父の様な激動な人生を送った方達が昔の日本人には沢山いたんですね。
もちろん兵士の方達は死にに行くようなものですから「お国のために、、、」なんて思ってる暇はなかったのは十分に承知しております。
でも昔の兵士の方達のおかげで今の平和な日本があるのは事実です。本当に心から感謝しています。
@大韓民国 バカ丸出しだから黙っておきな
サブ垢同士が言い争ってるの見ると両方滑稽で仕方がないww
キモイ割に
何回も攻め込まれて占領されてて草
@@土方歳三-y5r ネットの中でくらいネトウヨもパヨクも仲良くしてろよ(笑)
レスに涌いている意見は無視して、コメ主さんの意見に全面同意です。
彼等の犠牲の上に今日の平和があるのは事実であり、そうした方々の墓標に唾する行為は外道の所業に他なりません。英霊の方々の魂の安らかならんことを。
牟田口さんは戦後も自己弁護に終始し、自分の葬式でも自己弁護の小冊子を配布して
参列者を呆れさせた。
さん付けの必要なんてないだろ。墓場に唾かけられて当然のクズ
生還者の証言をテレビ取材観たことがあります。
敵と地上戦を開始する時点で既に物資は尽きており、
日本兵3人に割り当てられた武器はなんと三八式歩兵銃一丁だけだったそうです。
つまり他の2名は地面に落ちてる石を投げて戦ったそうです。
しかし敵は戦車を乗り回し、
空からは航空機をもって襲ってきます。
初めから勝算は0でした。
武器持っててもライフル一丁とか詰んでるな...
けっきょく牟田口は責任を取らず戦後ものうのうと生き残った
今の政治家と同じだな
父方の曾祖父の兄(祖父の叔父)が職業軍人で連隊長としてインパール作戦に参加したそうです。叔父は祖父に『河が血で染まった』『多くの部下を失った』『あの作戦は失敗だった』と言ってたそうです。戦後は戦死した部下の家をまわりお経を上げていたそうです。最終的に叔父は少将まで昇りつめたそうです。
素晴らしいチャンネルをありがとうございます。
この話連続テレビ小説「エール」でありましたね……!森山直太朗さんの藤堂先生と窪田正孝さんの裕一先生との別れのシーンは胸が張り裂けそうになりましたね……!其れがインパール作戦でした。今も印象に残ってます……!
上層部がポンコツだったが最前線の指揮官や兵士が有能すぎたッ
牟田口も昔は最前線の指揮官…
盧溝橋事件の時とか
@@旅行中毒者EASTER さん
牟田口中将はマレー作戦の時は前に出過ぎて敵弾で負傷してます。
もともとは部下にも人気のあった司令官なんです。
部下に人気あったんですか....
とても信じられない
@@旅行中毒者EASTER公爵首相殿
インパール作戦の戦史自体も戦後の戦史編集の時にかなり改竄されて、責任が全て牟田口中将に集まるような内容になっているようです。
詳しくはこの動画の私のコメントを見て下さい。
特に師団長の更迭は、一現地司令官が出来ることではなく、ましてや、天皇陛下が任命する師団長を勝手に解任するとこは、統帥権を侵す事にもなりかねません。
皇道派の東条一派の牟田口中将が自身のキャリアに傷を付けることを自らおこなうのかも疑問が残る点です。この点は推測になります。
20年ほど前に物故した母方の祖父は南方に行っていた事以外は戦争の事は母にもあまり話したがらなかったそうで、
私も本人からは一度も話を聞いたことがありませんでした。
晩年にぽつりぽつりと話すようになり母が聞いたところによると、耕作用の馬を家で飼っていた事から輜重兵として
南支に配属され、はじめ後方で割と呑気にしていたのが南方に進軍するにつれてだんだんと状況が悪化していったようです。
撤収した敵陣にコンデンスミルクの未開封の缶が大量に放置されているのを見て「あ、この戦争は負けるんだな」と
思ったのだそうです。缶を開けて中身を舐めた時は一生のうちあれほど美味いものはなかったと感じたそうですが、
その後、却って猛烈な渇きに襲われ死ぬほど後悔したそうです。
状況はどんどん悪化し最後には道なき道を何日も逃げていく事になったそうで、
密林を進んでいる中、振り返ると後ろを歩いていた僚友が一人二人と姿を消し、倒れた姿もないのだそうです。
トラにやられたという事で、トラというのは本当に音もなく獲物を狩るのだそうで、祖父も死を覚悟したそうです。
さらにマラリアにも感染し生死の境をさまよいながらもなんとか命を繋いで日本に戻ることができたそうです。
後に図書館で郷土誌を調べていると、偶然、自分が生まれる前に祖父が寄稿した戦争体験記を見つけ
祖父が参加していたのがこのインパール作戦である事を知り大変驚きました。
その凄惨さは書籍などで知っていたため祖父が生き延びて自分に命を繋いでくれた事に感謝しかありません。
母や伯父もそのような文を寄稿している事は知らなかったようです(郷土史について熱心に調べていたのは知っていたようですが)。
寄稿文は自身と所属した連隊の戦歴を記述したもので事実を淡々と書いてありました。
撤兵時の惨禍についても記載はありましたが、母に語った生々しい個々の体験についての記載は無く
悪名高い牟田口将軍についても事実のみを記載して恨み言や批判は書いておらず、祖父の潔さを感じました。
一方でビルマ方面での自身の所属した連隊や上官の勇戦については力を入れて書かれており、
祖父の自部隊への誇りも感じられました。
母に語った惨禍と郷土誌に寄せた寄稿文と祖父の先の戦争に対する複雑な想いを感じられました。
戦争で一番の不幸なのは、無能な指揮官に仕えることだな。
愚策によって犠牲になった兵士が本当に気の毒でならない。
前の職場で、二言目には、
「死に物狂いでやれ」と責任転嫁の精神論を吐き散らした上司を思い出す。
ブラック企業?!
その通りです、精神論は日常的にいう事ではありません、相手方と10:9〜10:8の戦力差で戦う時に発揮される類いのものです。
@@西洋人の欺瞞
そう言うのやりたくないよなぁ、死にたくないんで。
現代戦では考えられない戦闘方法です。幹部候補生学校時代にレンジャー訓練に参加した事がありますが、このような飢餓状態が半年近く続けば体力的だけではなく、精神的にも病むのは当然でしょうね。自衛隊の訓練でも10日間の行程です。夜になると明かりが恋しくなった事を思い出します。そのような中で我々の両親の祖父は場所は違えども硫黄島で良く戦えたと今でも父よりも尊敬します。因みに私は元航空自衛隊幹部で定年退官後に僧侶となった者です。
東条より牟田口の方がA級戦犯に相応しい
まぁ、承認した大本営も同罪やから
寧ろ牟田口にやらせようとしてる河辺の方がクソや
うちのじいちゃんも行ってたんだ。ちゃんと話を聞いたけばよかった😢じいちゃんに会いたい😢
某テレビ番組で出てましたね。食糧や武器は敵から奪えってクレイジーな作戦w
孫氏の兵法に「故智将務食於敵、食敵一鐘、当吾二十鐘」とあって
頭の良い将軍は敵の物資を奪って戦う、なぜなら敵は物資の欠乏で弱らせつつ自軍は遠い本国から物資を運ばない分の労力を消耗しないで済むから
敵の物資一つ奪えば本国から苦労して運ぶより20倍の価値がある、と言ってるんですけど
それは牟田口のようにもうダメのドピンチで逆ギレまがいに部下に責任丸投げでやらせることじゃなくてもっとも緻密で慎重にやるんですけどね
牟田口のはマジで場当たり的すぎるクレイジー作戦w
それ捏造なので気を付けて下さい。
インパール作戦は15師団以外は飢餓に苦しんで居ません!
しかも本当に苦しかったのは15師団の第60連隊であり、飢餓の理由も31師団の無断撤退時による物質略奪が原因で、60連隊の公式記録にも残されています。
60連隊の公式記録には31師団の批判が多く書かれています。
まあこの時牟田口が本土へこの作戦のために補給を要請してもトータルで約二割分くらいしか送られてこなかったから敵から奪うくらいしかないのも事実。ていうか日本軍この作戦のとき初っ端相手から約二か月分の補給を鹵獲できてるしね~
@@ヌカスを許すな さん
実際、作戦開始後2カ月は、作戦参加師団の補給は問題ありませんでした。
@@全国相面協会総帥 ん?作戦参加師団?物資を鹵獲できたのってインパール南方のテディムで英軍の師団を殲滅した第三十三師団じゃなかったっけ?別行動の三十一師団と十五師団も全部が全部補給に問題なかったの?
このチャンネル日本軍のいい所と悪い所を配信してるからすこ
松尾で上げるでもなく罵倒するでもなく中立的な立場なのがいいよ
牟田口は、兵士が苦しんでる間も
芸者と豪華な食事に囲まれて過ごしてるしな
前線司令部に芸者を侍らせた将軍閣下は牟田口以外に例がないのではないですかね?
あんまり知られていないが盧溝橋事件の時も同じ二人組で戦争の発端になってたりするからなー
牟田口は最後までインパール作戦の参加した遺族に謝らなかったのが胸糞
最後まで謝らなかったは間違えやぞ
「最初は」謝ったから、、、
彼は連合国の勝利に貢献した偉大な軍人だ。
それはイタリア
@@まんじゅう4236-e9r ギリシャ侵攻、北アフリカ戦線...うっ頭が...
@@第一統領 連合国の英雄イタリー
牟田口じゃなかったら
インパール勝てたのか?敗北必死なら勝利に貢献とは言えないよ
連合国の勝利に貢献したのは
山本五十六と南雲、東条英機
@@第一統領様
まぁ~落ち着いて下さい!
うちの伍長総統も連合軍の勝利に貢献してますよ!
防衛戦の死守命令の乱発・・・東部戦線の崩壊。
伍長総統は戦術、戦略を理解していない!
この作戦の話を聞くたびに「戦争は補給が全てだ」とつくづく思う。
いや外交だろ
戦争の対義語が外交です
なので 戦争においてとならば 他の用語が入ります
クラウゼヴィッツいはく戦争とは他の手段をもってする政治の継続であるとか。あと外交を上手に行えば戦争を有利に進められる(どこかのブリカス)
参謀長の小畑信良少将が偵察の結果この作戦は無理だと進言したが却下。この司令官じゃ話にならんと別の人に力添えを頼んだところ面子を潰されたと解任。当時の陸軍では数少ない兵站の専門家が言っているのだから、大局的にもう少し耳を傾ければ良かったのに。まあいつの時代も余裕が無くなると一発逆転的な発想となるのですが、会社と違って兵隊の命が掛かっているのですからね。
むしろ外交の延長戦が
戦争なんだよ。
我が先祖が日露戦争で司令官として生還し勲章賜わったが具体的に何したかを知りぞっとした当時小学生な我にゃ!
あの五三の桐の勲章ですか?
うちの家にもありました!
@@栁小 (  ̄▽ ̄)スゲェェェ
御先祖は上官の方だったんですか?それとも相当腕の立つ一般兵だったんですか?
@@Mr-lx4hr どうだろうよくわからんが遺影は勲章たくさんついてた
日露の将校とかハンパないな!
ウチのジイ様も古い写真で第二次世界大戦では見た事ない様な軍服の写真あるなぁ。ダッフルコートみたいな
私の祖父はインパール作戦の生き残りだったと聞いたことがあります。私が小2の時に亡くなりました。戦争の時のことはいくら聞いても笑ったまま教えてくれませんでした。教えてくれたのはカエルがご馳走だったことだけです。
こんなに酷い戦いだったなんて知りませんでした。
牟田口を許すな
なぜ、東京裁判で処刑されなかったのでしょうか?
無能な敵は有能な味方より頼もしいということ
@@赤松繁-n8k なんかラッキーがあったらしい(証人が死去とか)
@@adgjmptw1919実は牟田口くん、マレー作戦の時とか最前線で指揮取って作戦成功させたりとか、割と有能だし兵士からの人気もあったらしい。
日本軍は負けるべくして負けたんだなあって改めて認識する作戦と指揮官
更に言えば、要請していた補給部隊が1944年ってこともあり、かなり不足していたようだし
立案された作戦自体は英軍の状況を鑑みればそれほど無謀ではありませんでしたよ
撤退判断の遅さとその後の対応は擁護できませんが
日本は戦略立てるの世界一下手くそですからね
その過ちから何も学ばず、安心安全の根拠もなしに、東京五輪を強行開催しようとする菅政権は、令和のインパール作戦と呼ばれています。
日本は島国だから戦略立てるの下手になった。
インパール作戦で戦死した将兵に巨人軍の選手でキャッチャーの吉原選手が居て巨人は吉原をスカウトして吉原は入団条件にバッテリーだった川上哲治も一緒に入団するなら良いと言って巨人は了承して巨人に入団し巨人では名キャッチャーと言われてチームメイトからは吉原が戦死しなければ川上哲治より先に巨人の監督になって居たと言われ背番号27番は名キャッチャーの背番号と言われて居る川上は晩年まで故居の熊本に帰省した時は必ず吉原の墓参りをして居た。
うちの地元が第31師団師団長佐藤幸徳中将の
故郷で結構インパール作戦のこと調べてたから取り上げてくれてめちゃ嬉しい
佐藤師団長素晴らしい
部下の宮崎兵団長からは蛇蝎のごとく嫌われてたけどね。
佐藤の野郎が撤退とか言いやがってアホか?と思ったぜ。
俺ならキチンと撤退せず戦えたとね。
そう言う宮崎も、小猿に士官服特別に作らせたり、小猿御付きの専属副官に人間の少尉を付けてたお方です。
@@ゆってぃ-s5i そうですかね?宮崎部隊囮にして独断で逃げてる辺りだいぶアレだと思うんですけどね...
@@使用停止アカウント アホな作戦立案して戦後ものうのうと生きていた牟田口と、師団の撤退命令を独断とはいえ出した佐藤中将とでは大分差があるでしょうな〜(すっとぼけ
@@Oosansyouuo_tatsugoro717 撤退した佐藤中将の部下にとっては名采配だと思う。でも、何も知らされずに時間稼ぎに使われた宮崎部隊を始めとする他の最前線部隊はたまったもんじゃないよね?
それに、河辺あたりの軍人が牟田口に責任押し付けたみたいな側面があるのもお忘れなく。
(作戦の要求・許可した軍上層部の方がよっぽどかのうのうと暮らしていた)
そもそもあんなクソ少ない中で、状況打開させようとした上層部が一番頭おかしいし、そんな中であそこまでやれただけでも正直牟田口は有能だと思う。
あと、牟田口は帰国当初はめちゃくちゃ謝罪してたよ。
屑ムーブがあるのは否定しないけどね。
てかなんでいきなり牟田口の名前が出てきたの?
インパール作戦知りたかったので助かります!
・・・うん悪いことは言わないからこの動画でインパールを知るのはやめたほうがいいと思う・・・こんな極端に悲惨な結果だけ語ってるやつじゃなくてなぜ、どういう経緯でこの作戦が立案、実行されたかから語っている動画を見ることをお勧めします。
この動画はマイルドにインパール作戦を表現しているので・・・
生存者の話では、飢餓から、草も、木も、敵兵も食べたし、腐敗した味方の遺体も食べたそうです。
@@cvfpratulascivaff まあどれだけ悲惨だったかってのはその一文でわかるけどそれがいつの話かってことに着目しないからインパール作戦は悲惨な最悪の作戦だなんて言われるのでは?と思いますけどね~
私の曽祖父がインパール作戦から帰ってきたそうです。
私が生まれる前に亡くなっているので詳しいことは聞いたことがないのですが、母からは何度か話を聞いたことがあります。
このインパール作戦以外にも日中戦争に行ったらしいのですが、聞いた話によると、曽祖父は馬に乗っていたそうです。
着物の染め物工場をやっていたらしく、軍人でもないのになぜ馬に乗っていたのか、なぜ過酷なインパール作戦から帰ってこれたのかは今となってはわかりません。
もし生きて会えていたなら、もっと戦争について聞いてみたかった。
今も変わらんな、日本の縦割り体制。バカな上司に付いた部下の悲惨な末路
退職出来るなんて現代は幸せだね
昔、会社の元上司の葬儀に行ったら、上司の義理のお兄さん(嫁の兄)が自分はインパールの生き残りだとおっしゃって少し話を聞かせてくれた
誰に話してもインパール作戦なんて地獄から生きて帰った話なんて壮大な法螺話としか思われなくて信じてもらえなくて困ってたそうだw
もっとしっかり聞いて書き留めて後世に残しておくべきだった
もしかして15師団の第60連隊の方だったかもしれませんね!
自分の兵士達が命懸けでやってるのに
田口も命懸けで物資を届けるのが筋だろ!
違うんだよ~送らないんじゃなくて送れないんだよ~物資がないんだよ~
さすが連合国の英雄牟田口
この声馴染みがあってなんか好き!
わかる。この声の人の名前教えてください
牟田口は、戦後にジンギスカン屋をやっていたらしい。
サイコパスかなんかだったのかな?
学生の時に学友の祖父殿がインパール作戦の生き残りで話を聞くと、「撤退する際、銃や鉄兜に銃剣も捨ててタイへ落ちのびる時に戦友達が飢え死にや傷病死して、泣きながら許してくれ」と走りに走ってタイに撤退したと聞いた。
この作戦、小学校五年生が考えそうな考えだよね。
そこまでお馬鹿な小5は少なそうな
こんな救い用のない馬鹿が将校だもんなぁ、
なんでぇ?なんでぇ?
ではこの作戦内容を詳細まで説明して下さい!
この作戦は何も間違ってない
理にかなっている
作戦内容などが詳しく知りたいならHeinkelさんのインパール作戦動画がオススメですよ❗
なぜ、失敗したかがよくわかりました。
他の人の動画で別の人を宣伝するのはよくないですが…
わかりやすい!
この作戦自体が勝算が完全に0なのに強行されたとしか言いようがない。
ちなみに撤退行動を支援して敵の進撃を遅滞させていた宮崎少将の部隊はイギリス軍の食糧を取りながらも遅滞作戦を遂行し撤退中でも飢えで歩けない兵士を抱えながら行動したそうです。
勝算はありました。
英軍側の将校の証言でも作戦は理にかなっていることは証言として残っています。
英軍側も必死でギリギリの勝利だったと言っておられました。
こんな印象操作動画の内容を鵜呑みにせずに調べてみたらわかると思いますよ~この作戦がどれほど合理的で、どれほどぎりぎりの状態から敗北したのかが
@@ヌカスを許すな さん
そういえば、違う所のコメントで、援護射撃ありがとうございます。
遅れましたが、お礼の申し上げます。
東京五輪の強行開催からインパール作戦を知り、観に来ました。開催自体が根拠なき安心安全なのに、菅総理は強行しそうな勢いであります😭
@@伊藤正英-t7h さん
インパール作戦は勝算のある戦いでしたよ!
詳しくは私のコメントを探して読んでみて下さい。
私の曽祖伯父(曽祖父の兄)は、インパール作戦に従軍したそうです。
祖父からの話では、戦死したそうで、
驚きました。曾祖伯父は軍曹を務めていたようで、職業軍人だったそうです。
生きていれば、95歳ほどのようで
そう思うと、複雑な思いです。
この動画で、インパール作戦の内容が、
細かく分かりました。ありがとうございます。
がち苦労して生き残った兵士がムカついてやりきれないから、戦後下山事件等の騒動を起こしたようですね。
太平洋戦争時、日本軍はアメリカ軍から
「兵士は1流だが
指揮する奴が3流」と言われたそうですよ。
その真骨頂ですね(悪い意味で)。
まあアメリカからの言葉なら牟田口には適応しないとも思うけどね~アメリカが指摘したのは南雲さんとかかな?
米英ソと日本軍と対峙した国家からの日本の指揮官に対する評価はだいたい同じ
「柔軟性が無く、机上の空論に固執する」
牟田口は作戦中、女遊びをしてたと聞いたことがある
ひょっとしたら大川周明みたいに梅毒で頭やられてたのかもしれませんね
それについては、証言や記録はありません。
逆に前線近くでの戦闘指揮所で指揮を執っていた記録はあります。
ただ、ひいきの芸者が病気にかかっていて、その芸者がある程度回復するまで、後方にいたとの証言はあります。
その後は前線近くでの戦闘指揮所に向かったとの証言があります。
インパール作戦の初期段階では牟田口中将は英軍を手玉に取っています。
私が思いますに、牟田口中将は前線の要望と、上層部の圧力の板挟みになっていた可能性があります。
詳しくは私のコメントを読んでいただけると助かります。
なお実際は序盤は上手く行っていたが中盤以降は国力に押し切られた。
牟田口自身作戦前に大本営に自動車中隊や工兵隊、追加の物資を要求したが聞き入れてもらえず足りない分を現地調達するハメになってしまった
実際当時現地の人間や家畜を徴用するのは普通で、ある程度物資を牛などに運ばせたら殺してそれを食料にするけど戦後なぜだか「牛以外の食料を持たせず作戦を強行した」と捻じ曲げられてしまった。
参考→th-cam.com/video/2Z74IbJ71l4/w-d-xo.html
佐藤師団長は撤退時に物質を略奪しながら撤退したそうです。
もともと31師団はインパールに対して迂回戦術を取るために物質は少なめ、重火器は携行しておらず、その為、作戦長期化により少々の物質不足に成ったといわれています。しかし最初から判っていた事なので、先に師団長が対応する問題だったと思われます。
道中に川がある時点で牛などが溺れる事は容易に予想出来るのでは…?(橋等作れば別の話ですが途中で空爆などで壊される気もしますし)
牟田口中将は処分を受けることなく戦後も恩給貰って普通に老後を送ってたそうですね、何か違和感がある。
違和感?不快感の間違いでは
大松監督よく生き残ったなぁ
この作戦に従事された【佐藤幸徳】師団長並びに【宮崎繁三郎】歩兵団長の動画も是非とも上げていただきたく思います!
立場や功績は違えど立派なお人柄であるお二人共後世に名を残すべき方と思いますので、ぜひお願い致します。
ぜひ、お願いしたいですね❗
会社に辞表を提出して、残りの業務をしている時、後輩が上司に理不尽な叱責を受けていたので、「黙れ、牟田口!!」と言ったら顔を真っ赤にして殴りかかってきたので、正当防衛で入身投げで投げ飛ばしました。
かっこええ。
そこの場面にいたら笑ってしまいそう
牟田口中将は無能ではありません。
作戦開始が1週間早ければ英軍が負けて白骨街道をつくったのは英軍だと!英軍側の人間が言っています。
英軍側の運が良かったのはインパール北方のコヒマにかき集めた輸送機で兵員をピストン輸送したことであり、そのタイミングがズレいたらインパール作戦は成功していたと言われています。
詳しくは私のコメントか、ユーチューブの動画のインパール作戦前半、後半を見て頂ければよくわかると思います。
決して無謀な作戦ではなくて、牟田口中将は兵站、補給部隊を通常の倍以上を上層部に要求しています。
芸者遊びの証言や記録もありません。
インパール作戦も他の作戦と同様に証言や事実と異なることが、戦後の戦史編集の時にかなり改ざんされて辻褄が合わないことが多くあります。
まして牟田口中将はマレー作戦時には前線に出過ぎて敵弾で負傷までしていますが、その戦功でマレー作戦を成功へと寄与しいています。
現場の部下には前線で共に戦ってくれる、人気のあった司令官なんです。
無能じゃ無いなら撤退させろや
ちなみに1師団6000〜25000まででコメント欄によると日本軍は1師団2万5000人らしいです
@OSTトマト人間ゆっくり 現在お休み中 間違えました(´ω`)(超絶恥ずかしい)
@OSTトマト人間ゆっくり 現在お休み中 治させていただきます
インパール作戦時の補給は申請後が
自動車輜重中隊41個と駄馬輜重中隊15個?かな?
これって多いの?
今も昔も人の上にたつ人で最低な人って、いるよね。
何年か前に庄内町で佐藤師団長の展示会がありましたそこで庄内町のお寺に佐藤師団長の部下が立ってた慰霊碑が有るのを知りました
牟田口は手柄を立てたかったんだろうよ。だから当初は自分が反対した作戦を強行した。
精神論って怖い…
今も安心安全という精神論だけで、無謀な東京五輪に突っ走ろうとしているのですが(*´・ω・)
インパール作戦の動機
『東部インドで新たに援蒋ルートが出来たためそれの遮断』
『大陸打通作戦の援護(陽動?)』
『英領インドの独立運動の支援』
『そもそもハ号作戦によりインパール方面に敵主力が居なかっため
(イギリスがアメリカを脅して空輸機?を拝借しなかったら
イギリス軍も白骨街道になってた可能性大)』
長文は頭がパンクするかも
@@たかきた-p3n
この程度でパンクするようでは歴史学ぶの無理でしょ()
@たかきた
遊びすぎかも知れないし、
授業か仕事で疲れてたのかも知れない。
取り敢えず頭を揉んだりリラックス
してみてはいかが?
作戦中、牟田口は後方で芸者を招いての宴会を連夜催し
戦後も自決することなく天寿を全うだから呆れる。
優秀な敵より無能な味方の方が怖いってか。
優秀な敵も怖いけど手段を選ばない敵もめちゃくちゃ怖いよね~イギリスさんこの時アメリカから輸送機ぶんどってまで兵士をインパールに輸送してるし・・・ほんと連合同士でなにやってんのよ・・・あと日本のカミカゼも手段を選ばないって意味でアメリカからは恐れられたよね~
今も無能なトップが、専門家の意見を無視して、東京五輪を強行開催するのだと暴走していますが😅
軍隊が平地で列をつくって進軍する際は、味方航空機に守ってもらうのが大切なのかな?それか対空車両を引き連れないとダメって感じかな(ジャングルを超えた後じゃ難しそうだけど..)?
制空権の無い話は事実と異なります。
制空権は作戦終了またで拮抗しておりました。かの有名な64戦隊(加藤隼戦闘隊)などが活躍して、戦線の空を守って居ました!
まあ両軍制空権が拮抗してるときでも実際は両軍とも互いの戦闘機を抑え込むので精一杯だったとか?事実日本軍も渡河中の英軍(なんて部隊だったかは忘れた)に爆撃して壊滅的な被害は与えてるらしいですしお互い戦闘機と地上援護でいっぱいいっぱいで爆撃機や輸送機はなかなか相手にすることができなかったみたいですね
@@ヌカスを許すな さん
そうですね!両軍共に必死に戦っていたんですね!
コレヒドールかと
イギリス空挺で補給し
我が軍は大砲分解し
牛の労力しかない‼️
大本営は作戦却下したけど
南方面軍に屈した
インド取れれば
兵站無視
大本営は戦局打開かな⁉️
パワポケ2の戦争編では任月という横暴な司令が牟田口をモデルにしてたキャラになってるので体験できるぞ(謎の宣伝)
せめて、こいつを○すことができたら、とゲームをやっていて思いました😡
牟田口に文句があったら彼が生きてるうちに責任を取らせるべきだった。この男は戦後も長い間悠々と生きていたぞ。日本人はこの男を眼前で弾劾する勇気など誰も持ち合わせていなかった。また今からもあることだ日本人は本当の勇気が必要だと思う。
それを現代でyoutubeにコメントしてどうなる。
作戦で亡くなられた将兵や遺族の方々にとって本当の戦犯は牟田口だと思います。
因みに神風攻撃隊を作った海軍の大西瀧治郎中将は終戦後、戦争とはいえ未来ある多くの若者を特攻隊で死なせてしまったと腹を切って自決したらしいですが牟田口は部下に責任を転嫁し天寿を全うとは💢。
連合国を勝利に導いた智将
今の日本を見るとブラック企業とかでこんな感じで下の人間に無理をしてそれで死人が出るっていう流れは変わってないんやなって思う
『自動車や馬の描写を描かないのはアンフェアでは?(補給申請の前ですら自動車中隊23個、駄馬中隊12個くらいなら有りますよ)』
うっそだぁ。
@@たかきた-p3n
作戦に参加した第三十三師団は高い砲兵火力と機械化充足率を誇る精鋭ですよ
当時の日本軍で最も恵まれた師団の一つですね
こんな地獄のがまだマシな戦いでまともに戦争してた宮崎さんは一体何者なんだ…?
イギリスはレンヤムタグチという名将がいたから勝てたのかもしれない
でもよくよく考えたらこんなん並みの人間じゃ勝つなんて無理ゲーだろ...
10万も居る上に飛行機は太平洋に取られてるので空輸も使えないし内陸なので海上輸送も使えませんからね…
@@性名-t5g 最初は牟田口ですら反対していたという話もありましたから...
牟田口という人。
こんな大損害出した作戦でも更迭されることもなく陸軍の高官でありつづけた。
ミッドウェーで空母4隻損失の大失敗やらかした山本五十六が更迭されることなく海軍の高官でありつづけたように。
あれ実際には空母4隻も失った原因はほぼ上層部にあるんですよね...
山本
えっ⁉️あれは⁉️南雲のせいやろ⁉️
@@呉志 作戦の最終決定者は山本。
@@cando4707
山本
えっ⁉️アイツちゃんと偵察しなかったからじゃないの
やべえよ・・・・全部南雲が悪いって、報告したのに(鬼)・・・・
牟田口や辻󠄀 ロクデナシは生き残る理不尽な戦争。
白骨街道って印パール作戦のことばだったのですね!!
こういうときには個人の力ではどうにもならない→ブラック企業従業員と同じ。ですね。
ブラック企業内で奮闘していた頃。テレビゲームで言うハードレベルの挑戦だって思ってがんばっていたけれど結局失敗に終わった。
結局日本軍は一年で戦線を拡大させすぎて物資不足でしたからね…
インパールの責任を牟田口一人に押し付けるのは誤った印象操作。
牟田口の当初作戦ではかなり充実した補給が計画されていたが、補給を削ったのは大本営。
苦肉の策がジンギスカン作戦。
無茶口とかいうあだ名があったとか爺ちゃんが言ってた
宮崎繁三郎は英雄
撤退作戦計画、遂行を上手くまとめられましたね!
特務機関勤務歴のある方ですからそれも直接的間接的に野戦指揮の上手さに影響したのかもしれませんね。
これがよくわかるのは連続テレビ小説エール
牟田口中将の作戦中の写真が家に大量にあります。支那 盧溝橋 コヒマ シンガポール ビルマ などの場所だと思います。
命の在り方も上司次第。部下に擦り付けるとか涙出てくる。
彼は東京裁判を免除されている。その理由が「無謀な作戦を指揮し自軍に多大な損害を与えた功績により東京裁判を免除」となったという都市伝説。
この作戦まで牟田口さんは有能とされていたのに悲しいですよね
南方軍が上申して大本営が同調した二十一号作戦はインド東部(アッサム州)で、インパール作戦はそれよりも手前のインパールを攻略する作戦。
全然別物では?てかお隣では同時期以降に作戦距離2400キロに及ぶ大陸打通作戦を成功させてるぞ?少なくもむぼ
大陸大通作戦や二十一号作戦に比べたらインパール作戦は
十分に成功出来ると思うんだが。
@@東西南北-d7p 大失敗した訳ですけどもね
可能なら宮崎繁三郎の生涯についても取り上げて下さい。
今の政治家と一緒だわ❗
酷すぎる❗
現代になっても牟田口みたいな人は組織で偉くなるよね。自衛隊が心配です。
僕の祖母の兄もこの作戦で亡くなった1人です
ジンギスカン作戦はコントすぎる
今はオリンピックインパール
作戦か。
そのとおり。時代が変わり、牟田口から安倍と菅にその無能が変わろうとしている。反対意見など聞かず、安心安全という精神論だけで東京五輪を強行開催しようとしている。
牟田口はある意味日本兵を無駄死にさせて日本の降伏時期を早めた英雄ですね
どちらにせよ防御に徹したところで物量で押しつぶされるのがオチなんですから攻勢かけて敵の攻勢要因を潰すってのはロンメル将軍もやった立派な防衛行動なんですがね
当時の英軍の状況を鑑みれば作戦内容もそれほど無謀ではありませんでしたし
失敗した際の撤退判断の遅さ、その後の対応は擁護出来ませんが
変なことを言うけど
牟田口がこの作戦の失敗の原因だとかなり言われるけど
実際は牟田口司令も最後まで反対してたし大本営が無理強いしてインパール作戦が実行されたけど第15師団らに1ヶ月以上保つように手配してたために1ヶ月以上戦闘を継続できた
しかもインパール作戦は作戦通り進めていたら成功していたかもしれない作戦で実際かなり良いところまで進んでいた
ではなぜ失敗したか?
記録では15師団だったか31師団だったかが命令違反して失敗した作戦だったらしい
牟田口のエピソードで酒盛りしてたとか言うエピソードもあるがあったとか無かったとか色々言われてるため実際は不明だ
佐藤中将の撤退が決定的に成否を分けました
が、それでも指揮官は牟田口なのでインパール作戦その責任すべての所在は彼なんでしょうね
総司令官の寺内の鶴の一声で始まった作戦らしいですが
@@闘将餺飥男 初めての特攻隊を送った大西中将でも責任取って割腹自決してるけど牟田口はそれすらしなかったから責任逃れだと思うね
@@ビスマルクロンメル元帥 他人には腹を斬れ斬れ言っといて自分は部下に腹斬った方が良い?とか聞くくらいですからねぇw
@@闘将餺飥男 誰も止めないから勝手に切ってどうぞって言われて結局しなかったし
実際途中までは上手く運んでましたからね
問題は英マウントバッテン元帥がアメリカから輸送機を半ば強奪する形で借りて一気に増援部隊を送り込んできたこと