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癌で亡くなった母親も痛みにが強くモルヒネを利用しました。結果として夜か昼かもわからなくなり会話も成り立たなくなりましたが、痛みから逃してあげられて良かったと思います。
胆管癌ステージ4から肺へ転移して間質性肺炎になった父が酸素飽和濃度下がって医師から沈静させる方法がありますが意識が戻る可能性は低いと言われました。呼吸が苦しそうでだったのでお願いして眠たったま安らかな最後を迎えました。鎮痛も同じようなことになので本人の意思と家族の理解は大切と思いました。痛く苦しのは本人だということを忘れずに居て欲しい。
私の母も最期はモルヒネを使いました。せん妄という幻覚に襲われましたが、母の好きな音楽をイヤフォンで聴かせたらすぐに落ち着きました。逝く時は安らかに微笑んでました。
末期がんで、のたうち回って苦しんでいる姿を見るより、鎮静して、穏やかに、最後を迎えたほうがいいですよね。患者本人は、意識が朦朧としていても、はっきりと耳から、家族が話している声が、聞き取れています。そんな時に、家族が、患者さんを安心させる言葉をかけてあげて、心を穏やかにさせてあげるのが一番だと思っています。のたうち回っていたら、家族の言葉すら、まともに聞く事が出来ません。ですから、鎮静、麻薬は絶対に必要だと思います。
@@安藤秋乃武 さま。私も今の末期癌の治療我慢の限界が来たら鎮静で安楽死するつもりです。家族にも話しました。医師は薬で辛くなくして下さるし最期まで家族と会話できると医師は言っていたから腹を決めています。私は大学病院に通いながら訪問医療を頼んでいます。訪問医療の主治医も大学病院の主治医も素晴らしく優しい医師で感謝です🧑⚕️👩⚕️✨
@@Alaska8888 様、もし僕が、末期癌になったらどう思ってしまうのか?多分、死にたくなってしまうと思います。人間、明日の事すらわかりません。でも、愛された家族がそばにいてくれるのならば、つらくても、どんな形でも、少しでも、1分1秒でも、思い出を残したくなると思います。誰だって、好きで病気にかかる人はいません。かと言って、神様のいたずらは、あまりにも不公平。家族には、いつも手を🫱握っててほしいし、包んでくれるような声をかけてほしいと。僕だったら考えます。
@@Alaska8888 様。考えられないくらい、おつらいかと思います。彼氏か旦那さんがみえますか?もしみえるのでしたら、しっかり抱きしめてもらってください。いつも❗️そして、まだ、やりたい事があるのでしたら、思いっきりしてください❗️僕が旦那さんだったら、少しでもあなたのそばにいて、いつも、あなたを、思いっきり抱きしめてあげていると、思います。また、あなたがしたい事があったら、医師の判断を無視してでも、あなたの願いを叶えてあげると思います。
@@Alaska8888 絶対に、死んじゃダメだっ❗️
@@安藤秋乃武 さま✨生きられる限界まで生きたいと思います。絶対に死んじゃダメだ!と仰って下さりありがとうございました🙏✨♡
混濁で会話ができなくなるけど、痛いよりもよっぽどいいと思う。
私よりも痛い病気の患者もたくさん、大学病院通院してると会う患者さん、半端な病気してないです日本では安楽死出来ないから、主治医にスイス行きますねと言ったら、オランダもやってると聞きました。主治医に出国する時の、理由聞かれたら安楽死に行きますと言ったら出国させますかねと話せるほど優しい先生です。月一回が楽しみ。看護婦さんも優しい。
私も癌になったらモルヒネお願いするでしょうー父は癌でしたー苦しみ抜いて死んでいきました。モルヒネをお願いしたかっのに出来ませんでした。
@@じゅんじゅん-w3c6g こんにちは始めまして・・・。モルヒネと云う薬ですが、末期がんの痛みに使用する薬、世間一般の噂でいいイメージでないですね。痛いのはストレスの原因なので不調を感じたら何でも相談できる主治医が最高の処方箋。有名大学の教授の診察治療は何度も受けた自身は神経性疼痛の一種でしたのでモルヒネ口径剤服用何度も試しました医療用麻薬と言われてる薬もありますこの薬が出始めた頃、先生に聞くと麻薬ですと答える医師が多かったです私の服用経験上最も怖い薬?。と云うのは副作用が麻薬中毒者と同。厚生省が認可してるから安全と思うしかありません。重度の痛み止でする点滴も重度患者さんから待合室で教えて貰い月1度討ってます先生曰く古くからある治療剤ですが患者さんの使用頻度が少ない為知らない医師も多いです。私が体内に入れたペースメーカーも殆どの医師が知らない新治療法です。この欄で私の治療法を紹介しましたがあくまでも参考にして下さい。私の痛みが10点だと世の中には70点、80点の方もいます。海を渡り安楽死に行く人も聞きましたがやっぱり怖いから辞めて帰国する人も報道番組で知りました。私と似た病気で痛みが我慢できず乳飲み子を置いて命を絶った有名女子アナ。あの痛みに耐えられる人はこの世にいないでしょう。
数年前までは日本で末期ガンになると苦しんで死ぬという概念がありましたが、こういう動画を見ると日本もようやくここまで来たかと安心します 次は尊厳死についても認められる社会になると良いなと思います
極端な言い方ですが...生きる権利があるなら「死ぬ権利」も認められるべきではないでしょうか?
数年どころか20年くらい前でだいぶ変わってましたよ
イギリスでは尊厳死が可決しましたね。
父は末期ガンで在宅医療を受けていました。痛みには強かったのであまり麻薬を使いたがりませんでしたが、、亡くなる2日前ほどにはほとんど意識もなくなってましたが、痛みがかなり強く出たし、悶え苦しみだしました。モルヒネを使いたいと訪問医に相談。在宅の場合は家族がモルヒネ座薬を使うことになるんですね。それも初めて知り、、おまけに直ぐにそのモルヒネ座薬が手に入らず(薬局でもなかなか扱ってるところが少ないらしいです)。もう亡くなるなとは見えていたけど、痛みに苦しんではかわいそうだったです。モルヒネをお願いしてから翌日昼間にやっと手に入り、、座薬。夕方になくなりました。在宅医療を受けてる方は、もしもの時用でモルヒネは早めに手配しておくことをおすすめしたいです。
勉強になりました。亡くなった妻が最後にオキシコドン(オキシコンチン)を使っていました。思いだして泣いてしまいました。ありがとうございました。
間質性肺炎になった父も最終段階で医療用麻薬を使っていました。息苦しい状態が続き、見ている家族も辛かったのですが使うことにより楽になり、最後は眠るように逝きました。正しい知識が必要と実感しました。
私の旦那様は、末期ガンでしたが、せんもうになり私の心も壊れそうでした。壊れていたかもしれません。最後の2週間は体を丸めて、苦しみました。見ていられません!早く穏やかになって楽になってほしい。それしか考えませんでした。そして亡くなる3日くらいに先生が、私に聞こえるくらいの声で、さぁ使いますか!といわれたのですが、そのときはわかりませんでしたが、モルヒネだったんですね。ですからそれから痛む顔もしませんでしたし、まるまることも無くなり、見ている私は少し安堵しました。痛みとたくさん戦ったので安らかに眠るようになくなったのは今の私は、安らかな旦那様の顔しか思い出せません。それで良かったそう思い70才の今を、生きています。
モルヒネ、戦場で下半身が吹き飛び、衛生兵が駆け付け、痛に苦しむ兵士に対して、せめて最後は痛みを無くして穏やかな死を与えてあげると言うイメージ。医師「生きている側の都合で、死にゆくものを止めてはいけない」と言っていたことに、私は同意しました。
大腸がんⅳですが1年前からワントラムと併用しています。そしてまだ生きています!痛みは限りなくなくなりますが吐き気と便秘が酷いです。しかし大変助かっています。日常生活を送れるありがたさ、皆さん頑張りましょう。
膀胱癌ステージ4から恥骨骨転移した際にモルヒネを使用しましたが痛みが治まらず緩和ケアの先生からタペンタを服用するようになりました。タペンタ服用から2日後頭がおかしくなり1週間ほど別人の様になりましたが本人としては殆ど覚えていません。その後タペンタの量を減らしその代わりにナルサスを同時に服用しました。余命1年と宣告されましたが何度かの手術、抗がん剤と放射線治療をして現在7年延命しています。昨年末から抗がん剤治療も休み定期検査で再発していないか確認して医療麻薬は服用を続けています。個人差はあると思いますが私には医療麻薬が手放せません。痛みを我慢するストレスなど考えると服用して良かったです。
@@癌サバイバー さま✨私もナルサス服用しています。痛みが強い末期癌患者には良い薬だと思います。私も医療用麻薬はもう手放せませんし我慢する必要はないとおもっています。現在もご健在であるとのこと。これからの人生もどうか穏やかに過ごせますように✨
死が確定なら麻薬一択です。鎮痛剤や湿布と同じで我慢する必要はありません。痛みは悪い所を感知し治そうとする体の手段ですが、治らない時には悪さしかありません。拷問と同じです。あくまで私の私見です。
腹水の苦しさを紛らわすために麻薬系の貼り薬使ったら、お袋は数日で逝っちゃった。スプーン半分の水でもむせてしまって、まともに水が飲めなく、水をガブガブ飲みてぇって言ってたのに、薬を使ったら喉の乾きまで無くなってしまった。それから3日くらいで逝っちゃった。使わなきゃ良かったのか、楽になって良かったのか、未だにわかんない。
早く楽になったほうがいいよ長く苦しむのを見たくないから
マッサージしても気持ちいいと言わなくなったけども、面白い想い出話に笑顔が出たよ。一日前に。
農薬と同じ石油から作った神経ブロック剤。痛みはブロックだが、死にます!内海聡医師 著 精神科は今日もやりたい放題。小倉譲 著 インチキ精神医学。
今際の際を地獄の苦しみによって長引かせて良いのか問題
ありだと思います本人の痛みが緩和されるのなら
とっても勉強になります。ありがとうございます。
母も兄もモルヒネの点滴を始めてから眠ったままになり結構早く逝きましたもともと二人共余命宣告が数週間みたいなことを言われていたのもあるから短かったのかもしれませんがモルヒネを始めたらもう終わりだなというイメージはあります
夫はオキシドコンをのんでましたが、よく眠っていました。でもきれたら痛くて痛くて、一時的になりますがオキノームを飲んでました。末期ガンで大学病院から緩和ケア看取りまでの病院へ転院しました。最初は在宅の話もでましたが、家では無理でしょうとのことで転院となり、オキシドコンの点滴に栄養剤をなりました。そのおかげで痛みは緩和されています。ただ脳転移のせいかオキシドコンのせいか眠っています。
痛み止めだけでは身の置き所の無さや不安から来る悪夢を取り除けないというホスピスのアドバイスで、鎮痛剤だけではなく鎮静剤と精神安定剤の3種合わせワザで父を見送りました。亡くなる1週間前にはまだしっかりしていましたので、先生や看護師さんから本人への説明、私からも父にはその3種を使って絶対に苦しくならないようにするから辛くなったら我慢せず伝えてほしい、と説明していました。1日1日量が増え種類が変わり、殆ど寝ているような感じでしたが、呼び掛けると話せないものの、指先を動かして返答してくれたので、今際の際まで意識はあったと思われます。事実上の『消極的安楽死』だと個人的には思います。確かなことは穏やかな死を迎えられる人は幸福だということです。
@@user-buruy 私も今治療中の末期癌が辛くなったら鎮静で合法的安楽死を考えています。私はまだ若いから主治医は躊躇するかもしれないけど私はもう精一杯苦しんだしもうやりたい事もない。モルヒネも効かない骨転移で本当生き地獄。後悔するなら結婚もしたかったし子供👶も欲しかった。まだ可能な年齢だけど末期癌で結婚した人なんか聞いたことない。赤ちゃん👶産んだ人もね。やるせない。
@@Alaska8888 私は家族の立場でしたが、ご自身で全て決めて行動して…大変だと思います。今の先生に緩和ケアの相談が出来るなら、緩和ケア専門医を早めに紹介してもらっておくのが良いのかもしれません。私の父は土壇場でしたが、より快適で充実した日々を送るためにも良いように思います。どうぞお大事になさってください。
36歳の従妹が乳癌で乳房全摘出手術、1年後に癌が脳転移となり末期状態、それでも「モルヒネは絶対打たない」と全身の激しい痛みに耐えながら癌と闘っていました。しかしあまりに激しい全身の痛みの為、日を追う毎に白目を剥き出し口からは泡を吹き出すようになり医者から「いくら本人のたっての要望とはいえここまでモルヒネ投与をしない患者は初めてです、しかしこのままではショック死してしまいます、モルヒネ投与で安らかに逝かせてあげるのが良い選択肢だと思います」と言われて私は彼女の両親を説得して医者にモルヒネ投与をお願いしました。鬼の形相で苦しむ彼女の表情が穏やかとなり眠るように逝きました。後日奇譚で両親の夢枕に彼女が現れ、「従兄(私)の夢枕に現れたいのだけど入れないのでお父さんお母さんから『ありがとう、おかげで苦しまずに逝くことが出来たと伝えて』」と言われたらしく私の選択は間違っていなかったとホッと胸を撫でおろす事が出来ました。人は癌の苦しみのまま逝ってはいけない。
うちの妹もガンの最期は2週間くらいはモルヒネ使ってたな。あれで少しでも痛みから逃れて逝けたなら良かったんだと思う。
私も15歳の頃、白血病になってモルヒネ使った事あります、もう15年経って30歳になりました(*^^*)
大変だったみたいですが、ここまで生きてらっしゃって嬉しいです😊
幸せになってね
@@user-nx2ns8ik8o とても頑張られたのでしょうね。お疲れ様でした。これからの人生お元気で過ごされますように心から願っております✨
先日、息を引き取った姉。癌は、患者本人も看取る家族も苦しいですね。最後は、痛み止めで殆んど眠っていましたが痛くなかったのなら それで良かったのかな…。と思います。私自身も去年 癌の手術をしました。今は寛解していますが 姉の姿を見て 将来の自分の姿を重ね合わせ 色々と考えさせられました。
医療用麻薬って、終末期医療でしか使わないものだと思い込んでました。ここのコメントを見ていて、そうとは限らないと知りました。
痛みを和らげる事が一番です。その為の緩和ケアです。父もお世話になりました。患者にとって一番いい選択です_(..)_
医療用麻薬の解説ありがとうございます
残された大切な時間のために、麻薬でも何でも使って最後の時間を有意義に過ごしたいとは思わんもんかね。まあ、そういう人は苦しみ抜いて、無駄な時間をすり減らすのも良いだそうさ。
管理が大変なのよね... 入院中はいいけどね。
40年以上前、母が胆石の発作により救急で近場の総合病院に運ばれました。入院後に、とてもひどい痛みには、モルヒネ塩酸塩の注射しかなかったようです。人としてのQOL確保には、モルヒネ塩酸塩の注射しかなかったようですが、全く問題ないと思います。
映画監督の深作欣二さんが処方されたのがモルヒネでしたね。服用すると痛みは治まるが映画撮影ができない状態になるため「バトルロワイアル」では痛みを堪えて撮影していたらしいです。
癌じゃないけど自己免疫疾患の関節炎で「モルヒネ」(医療用麻薬)1日3回常用で飲んでます。副作用の便秘さえ気を付ければ大丈夫です。他の副作用は私はほぼ無いです(対オピオイドの下剤は必須です!便秘で心不全を起こして入院したので)ただ、もう4年近く飲んでますが耐性は付く気がします。最初は「痛み70%オフ!」位の魔法みたいな薬だと思いましたが、今はモルヒネでも抑えられないので「カロナール」の副作用でモルヒネの作用を上げる効果を狙った頓服、としてカロナールも頓服で飲んでいます(更にアイシング)。胃腸の病気(イレウス系)で何度も死にかけたり、自己免疫疾患の方で癌の人が使う痛み止めは殆ど使ってしまってます(ワントラム等、Jack阻害薬、癌の母より私の方が癌治療の痛み止めを網羅していてびっくりしました)夜間救急で「アヘンチンキ(液体)」まで出されましたが、色もだし流石に怖くて飲めませんでした💦モルヒネは下剤のコントロールがもの凄く難しいです(下剤は3種類位1日で飲んでますがプレドニンの作用も有り、コントロールが本当に難しいです。外出出来ない位)が、そこまで怖い薬では無いです。後、筋肉注射の「ソセゴン」はかなり効きます。痛みで息が出来ないのに、打ったら15分位で話せる位まで復活出来るので(麻薬に近いから緊急時しか打って貰えませんが)ただ、打って直ぐはキラキラが目の前に飛びます(経験談でした)
キレイ事ばかり言うやつらに末期ガンの痛みを1分でも味会わせてやればよく解ると思うな。我が身になってみないとわからんヤツがたくさんいる。
自分の母は去年の3月に亡くなりました痛みを少しでも和らげる事が一番ですが亡くなる数日前になると余り効きめがないのか投与しても1時間もしない間に痛みがでていてつらそうでした
オピオイド系鎮痛薬が米国で問題になった時期がありましたね。オピオイド系のトラブル事例を見ると、痛みを感じてから使わないと快楽目的使用で起こりうるようなトラブルが発生しやすいみたいな感じでしたね。
父親が末期の癌でモルヒネを使用。母の顔や娘の顔も忘れ、文字が書けずでした。看護婦さん点滴抜いてくれと言われた時は精神やられました
モルヒネを投与されてすぐ眠ったままになり ほんの数日で亡くなりましたこうなるという説明がなかったので 非常に強いショックとして残っていますが 説明を聞いて理解しました
緩和ケアしてもつらそうでした。口から緑の液体を流しながら辛そうに亡くなりました。
それは緑膿菌感染ですよ
昭和後期……病気の親へ先生が決断してモルヒネを使用され、数日後に親が亡くなりました。ただ、先生が多くの患者さんと接し、その経験で判断された。当時としては最適な選択だったと思っています。 家族としては生きていて欲しい、でも本人は病気で苦しんでいる……人は…その時に最適と思う行動しかとれない……
尿路結石で激痛が治まらず通りかった所に大きな病院が有ったので転がり込んだ座薬も効かなくなってきてたのでと話をしたら即検査してくれて医師から麻薬使うと言われ 打って貰いましたもう痛みが無くなってハッピーでポワーンとしてしまって物が二重に見えました😂
ありがとうございます
以前入院中に同室の方が医療用麻薬使った。でも痛くて痛くて悶えてた‼️癌でも無く何かの検査入院だった気がする。生き地獄だったんだろうと思う。
私は末期癌になり普通の痛み止めが効かなくなり、医療用麻薬を使用お願いしました。オキシコドン、オキノームですね。私はまだ末期癌になり半年でまだ動けるのですが、医療用麻薬使用しないと完全に痛みが取れません。効果ない日もありますが、飲まないよりマシです。ほんと、医療用麻薬使用したからって最後ではありません。私は無知で、なんの抵抗もなかったのですんがり医療用麻薬を使用出来ました。ほんとお守りです。
自分も末期癌に関わらず、治る見込みのない病気になったらモルヒネ打ってもらいたい。できれば安楽死が1番良い。早く日本でも安楽死ができるよう法改正を望む。
病気の進行や体力なども関係しているんでしょうね。自分はヘルニアで寝ている事も出来なかったんですがロキソニン ボルタレン トラマール で結局オピオイドに辿り着き車椅子ではありますがなんとか生活できてます。御守りっていう表現は使った事のある人なら納得の表現だと思います。
大体、2週間です。その時間を大切に使いましょう。
夫の心房細動のアブレーション治療で、医療用麻薬を少し使ったと聞きました少しぼやーとしてましたね
悪性新生物の治療の際は、対症療法として痛み止を使う事がある。これは抗悪性腫瘍剤の使用で腫瘍が攻撃され痛みを伴うためだと思う。目的は痛みを緩和して治療に専念するため。風邪の時に咳止めや解熱剤を使うのと同じ理由。また腫瘍そのものだけで痛みが出ることは考えにくい。腫瘍が血液をたくさん消費するため、貧血が起こり、体がだるいとか転倒すると言った感じだと思う。この症状だけで必ずガンだと言うことではない。
咳止め薬は、麻薬や覚醒剤
@@パイナップル-k3e そういえば、風邪薬には覚せい剤入っています。乱用には気を付けたいですね。
モルヒネは、末期以外にも使用されていますよ。例えば手術の前の緊張感を取るためにも使用されます。
癌ではないですが交通事故でICUでの集中治療を受けたことがあり、後で聞いたところ医療用麻薬を投与されていたようでした。副作用も後遺症もなく回復できましたが治療中辛い痛みが無かったのは緩和ケアのおかげですね。見舞いに来た家族曰く、ほとんど寝ていたそうです。
医療用麻薬何度か使ったことがある。上部内視鏡検査の麻酔、かなり苦い。歯科治療の際使用 もし使用しなかったら激痛で失神すると思う。
随分前の話です、ムンテラやインフォームドコンセントが一般的でない頃のことでした。私の父は、とても痛む謎の病気(私には当時知らされていなかった)にかかっていました。入院中の父は、ある点滴をうってもらうと、その痛みが和らぎ、劇的に調子が良くなり、この点滴さえあれば、父がかかっている病気が治ると、父は信じ切っていました。しかし、私が見た父は、だんだんやせ細るとともに、点滴が効いている間以外は会話すらままならないので、私には決して「治癒」しているようには見えず、適切な治療を医者は行っているのであろうか?という疑問を持っていました。やがて、父にはこの点滴が効かなくなり、父は耐え難い痛みに苦しみながら、絶命しました。当時、私の母に父の病気のことについて聞いても「すぐに治る」としか答えてもらえず、私には父の病気、父がうってもらった点滴、その事実は教えてもらえなかったので、いまだにわかりません。その母とも、現在は絶縁状態、生きているか、死んでいるか?それすらわかりません。これは私の推測ですが、父は、癌にかかっており、発覚した時には、治る見込みがなかったため、その事実は父には知らされず、延命療法として、モルフィネをうたれていたが、やがてそれに耐性がついてしまい、効かなくなったのではないか、そして、父が存命中、母が父の遺産相続についての手続きを、弁護士?愛人?と進めており、父の死後、そのすべてをかっさらって行方をくらませたのではないか?私は大人になってから、このように考えるようになりました。当時は、癌にかかっても、本人には告知されることなく、家族の一部にしか知らされていなかったです。もし、父が「癌にかかっている、もう、治る見込みがなく、余命は〇日だから、〇ぬまえに相続や遺言を済ませ、これから耐え難い痛みと向き合うことになるから、それを和らげるために、モルフィネ投与を伴う緩和ケアを行います」と、当時の医者が父に告知していれば、結果は違ったのかもしれません。本音を言えば、父の遺産は欲しかったけど、父の私に対する一番の遺産である「私に受け継がれた遺伝子」があるから、現在私は、さほどお金に困らずに生活できています。しかし、モルフィネに耐性がついてしまい、想像を絶する痛みの中、絶命した父の〇を思い返すと、今でも私は苦しくなります。ムンテラやインフォームドコンセントが患者のすべてに行われ、その患者すべてが〇についてそれぞれが向かい合い、モルフィネ投与や緩和ケアを受け入れた患者は、病で苦しむことなく安らかに旅立つことを、私は願ってやみません。
医療技術が進歩して寿命が伸びていますし、QOLを考えるとこういう情報の浸透や、そこに特化した薬や対処法が更に進化してくれるといいなと思います最期を迎える時は安らかに過ごしたいと思っています
癌発症し、末期だったら痛み緩和をしたい、モルヒネは避けたく無いと思います。
タリージェはどうですか?ヘルニアで使ってます効果切れるの早目です。背骨にドレーンが刺さっているため痛いです寝られない。モルヒネ欲しい。
大雑把に表現すると・・・ご家族さん、市販の風邪薬は飲んだことありますか?飲んだことあるのでしたら、同じ麻薬です。という表現がいいのかな?もっと寄り添った表現がいいですね。
MSコンチンとパッチ、今はフェントステープかな?出来るだけ安らかな最期を迎えてほしいですね。
癌で痛みが出るげは神経を圧迫される為でしょうか?父も医療用麻薬を使ったらあっという間に亡くなりました。種類まではわかりません。
うちの父は、膵癌の末期で、大腸小腸転移で閉塞となり、貼るタイプのモルヒネを使用した翌日に急変して無くなりました。
うちも母が亡くなるときはモルヒネを使ってあげたい。亡くなるのはつらいけど…
ワタシはガンではない激しい疼痛(腸腰筋膿瘍とその治療薬による副作用の腸閉塞)でモルヒネ、オキノーム、オキシコドンを使いました。筋肉が壊死して溶ける痛みと腸閉塞で腸が張り破けそうになる痛みとガンの痛み どれが耐え難いでしょうね
私の父は膵臓がんで腰や肩に強い痛みがありモルヒネをかなりの量使ってました腹部にゼリーみたいなのを塗ってましたが それがモルヒネだだたのでしょうか? なので強いモルヒネはゼリータイプとおもっています
膵臓ガンであった父の最後の方は、モルヒネに加えて、フェンタニル、プロポフォールが繋がって点滴されていました。もう瞳孔開き、舌下も毛細血管が収縮して黒くなり落ちてました。意識があるのか、ないのか?わからないけど…声かけにも関わらず反応なく
母はモルヒネ使う前にフェントステープ使ってました最終的にはモルヒネも効きませんでした。
昔は体力を奪うとか言われた時代もあったけど、使ったほうが余命が長いまであるQOLが上がるので、ガン以外でも疼痛治療に普通に使われてますね
うちの主人は、多発性骨髄腫と診断され、オキシコドンを出されています。
呼吸もだんだん少なくなっていくんだよね
フェンタニルやヘロインが良いのでは❓️❓️
某スポーツ選手が麻薬に手を出したきっかけが医療用みたいな話はどうなのだろうか?
ウチの親父はモルヒネ使うまで持たなかったから痛みの中逝ったのだとおもうと…
45年前父が肝臓ガン末期2日前苦しみもがき先生に話すと本人にどうしても我慢できない?確認強い注射打つよ、と本人打つてくれと、1本目打つて2本目打ち3本目先生我慢できないですか?本人苦しいと、先生家族に3本目打つと身体が耐えられないどうしますか?本人苦しんでいるお願いいたしますと決断しました。その後安らかに天界へ苦しそうな顔が穏やかな顔に本人末期ガンの苦しみから解放されたと思います
トラマドールを使いながら、大企業のマネージャとしてもう五年ほど普通に働いております。
麻薬と言うから不安になるんじゃ? ネタとして? 麻酔でいいんじゃないんでしょうか?
私の父は、今年1月に亡くなりましたが、医者にちゃんとした説明がなく、医療用麻薬を使用され、1週間も持たず心不全を惹き起こし亡くなりました。正直納得いかないまま数ヶ月経ちます。必ずしも教科書通りの使い方をすれば、いいとゆう訳ではないのでは、と思います。特に高齢になれば、どこもかしこも悪くなっているから。少し後悔が残る使用のされ方を経験したと感じてます。
癌の父でしたが、前日まで普通に会話出来ていたのに、痛みがひどくなってきたからと投与されました。意識混濁で二度と会話することも無く、次の日に逝ってしまいました。これもう、安楽死と変わらないのでは?禁止してるくせに意味がわかりませんでした。否定はしませんよ。ただあんなに即効性があるとは思いませんでした。説明して欲しかったです。
動画見ましたか?モルヒネが原因でお亡くなりになったと思い込んでるんですか?
うちの旦那モルヒネきかなかっまみたい先生が言ってました。
苦痛は母のガンでまいった!死後、穏やかな表情に戻った!苦痛で延命するのは考えものだ!スイスの安楽死を法制化すべきである!
痛みで余命数日の人達が服用してるからでしょう私は痛みで使いましたが、教授曰くイカに成ってしまうよと笑ってました。筋肉の感覚も失って終い、歩くのも難儀しました飲んでも命には全く関係ないです。現在、痛み止で体内に入ってるバクロフェンありますが中の薬をモルヒネに換える認可待ってますがコロナで認可審議中断も再開したら、何処の医局が担当するかと争って決まらないと聞いた。おぃおぃー 患者の事を考えてよ。何処でも良いよ。
母が癌の末期の時に貼るタイプの薬(モルヒネ)を使ってたなあ。使い始めて2か月位普通に生活出来てた。弱いと痛みが出て、強いと眠くなるので、訪問看護と相談しながら少しずつ強くして行った。亡くなる数日前までは話も出来てた。痛みが強い時は使った方が良いね。
😊 9:15
医療用麻薬を使ったとか癌で身内を亡くした話じゃないのでここにコメントするのは場違いかなと思いますがうちの父は脳幹の近くで出血して発見された時には意識がなく、元から延命は希望しないと話していたため私たち家族は病室で泣きながらただ何も出来ずにその時を待っていました。酸素はMAXの量で投与されてたんですが、酸素飽和度は上がらず時折看護師さんが痰を吸引しにくるんですけど呼吸もままならない中、とても苦しそうで見ていて辛かったです早朝に搬送され昼過ぎまでの短い時間だっんですけど声をかけてあげられなかった、とか苦しそうだから吸引もやめてもらった方がよかったのでは?とか様々後悔が湧いてきます死ぬなんて縁起でもないと思わず年齢に関係なくその時に少しでも迷いが減るように家族や恋人と話し合うことも大事だなと感じます
肝硬変の父が腰痛で入院していたある日、病院から電話がかかってきて「モルヒネを使っていいですか?」と聞かれました。モルヒネの怖さなど全く知らなかった私は、病気に効く薬ならと思い「はい」と軽く返事をしました。しかし次にお見舞いに行った時、明らかに父の症状が悪くなっていました。それから2週間程で亡くなりました。驚きました。もっと知っていれば「使いません」と言ったかもしれません。モルヒネを打ってからおかしくなっていきました。肝硬変が進んで多少は癌化していたようですが、あれはただのぎっくり腰でした。担当の先生がいないとかで、どんどんおかしな方向へ行き「癌が悪化して痛がっている」という勘違いがあったのかと思います。私もまだ若く何もわかりませんでしたが、きちんと知識を付けていれば勘違いを訂正できたのではと後悔しています。
週1で打ちたい
まああっという間です家族にも許可なく使用されて最後は統合失調とせん妄で終わらせられました
癌で亡くなった母親も痛みにが強くモルヒネを利用しました。結果として夜か昼かもわからなくなり会話も成り立たなくなりましたが、痛みから逃してあげられて良かったと思います。
胆管癌ステージ4から肺へ転移して間質性肺炎になった父が酸素飽和濃度下がって医師から
沈静させる方法がありますが意識が戻る可能性は低いと言われました。呼吸が苦しそうでだったので
お願いして眠たったま安らかな最後を迎えました。鎮痛も同じようなことになので本人の意思と
家族の理解は大切と思いました。痛く苦しのは本人だということを忘れずに居て欲しい。
私の母も最期はモルヒネを使いました。せん妄という幻覚に襲われましたが、母の好きな音楽をイヤフォンで聴かせたらすぐに落ち着きました。逝く時は安らかに微笑んでました。
末期がんで、のたうち回って苦しんでいる姿を見るより、鎮静して、穏やかに、最後を迎えたほうがいいですよね。患者本人は、意識が朦朧としていても、はっきりと耳から、家族が話している声が、聞き取れています。そんな時に、家族が、患者さんを安心させる言葉をかけてあげて、心を穏やかにさせてあげるのが一番だと思っています。のたうち回っていたら、家族の言葉すら、まともに聞く事が出来ません。ですから、鎮静、麻薬は絶対に必要だと思います。
@@安藤秋乃武 さま。
私も今の末期癌の治療我慢の限界が来たら
鎮静で安楽死するつもりです。家族にも話しました。医師は薬で辛くなくして下さるし最期まで家族と会話できると医師は言っていたから腹を決めています。私は大学病院に通いながら訪問医療を頼んでいます。
訪問医療の主治医も大学病院の主治医も
素晴らしく優しい医師で感謝です
🧑⚕️👩⚕️✨
@@Alaska8888 様、もし僕が、末期癌になったらどう思ってしまうのか?多分、死にたくなってしまうと思います。人間、明日の事すらわかりません。でも、愛された家族がそばにいてくれるのならば、つらくても、どんな形でも、少しでも、1分1秒でも、思い出を残したくなると思います。誰だって、好きで病気にかかる人はいません。かと言って、神様のいたずらは、あまりにも不公平。家族には、いつも手を🫱握っててほしいし、包んでくれるような声をかけてほしいと。僕だったら考えます。
@@Alaska8888 様。考えられないくらい、おつらいかと思います。彼氏か旦那さんがみえますか?もしみえるのでしたら、しっかり抱きしめてもらってください。いつも❗️そして、まだ、やりたい事があるのでしたら、思いっきりしてください❗️僕が旦那さんだったら、少しでもあなたのそばにいて、いつも、あなたを、思いっきり抱きしめてあげていると、思います。また、あなたがしたい事があったら、医師の判断を無視してでも、あなたの願いを叶えてあげると思います。
@@Alaska8888 絶対に、死んじゃダメだっ❗️
@@安藤秋乃武 さま✨
生きられる限界まで生きたいと思います。
絶対に死んじゃダメだ!と仰って下さりありがとうございました🙏✨♡
混濁で会話ができなくなるけど、痛いよりもよっぽどいいと思う。
私よりも痛い病気の患者もたくさん、
大学病院通院してると会う患者さん、半端な病気してないです
日本では安楽死出来ないから、主治医にスイス行きますね
と言ったら、オランダもやってると聞きました。
主治医に出国する時の、理由聞かれたら安楽死に
行きますと言ったら出国させますかねと話せるほど
優しい先生です。月一回が楽しみ。看護婦さんも優しい。
私も癌になったらモルヒネお願いするでしょうー父は癌でしたー苦しみ抜いて死んでいきました。モルヒネをお願いしたかっのに出来ませんでした。
@@じゅんじゅん-w3c6g こんにちは
始めまして・・・。
モルヒネと云う薬ですが、末期がんの痛みに使用する薬、世間一般の噂でいいイメージでないですね。
痛いのはストレスの原因なので不調を感じたら何でも相談できる主治医が最高の処方箋。有名大学の教授の診察治療は何度も受けた自身は神経性疼痛の一種でしたので
モルヒネ口径剤服用何度も試しました
医療用麻薬と言われてる薬もあります
この薬が出始めた頃、先生に聞くと
麻薬ですと答える医師が多かったです
私の服用経験上最も怖い薬?。
と云うのは副作用が麻薬中毒者と同。
厚生省が認可してるから安全と思う
しかありません。
重度の痛み止でする点滴も重度患者さんから待合室で教えて貰い月1度討ってます
先生曰く古くからある治療剤ですが
患者さんの使用頻度が少ない為
知らない医師も多いです。
私が体内に入れたペースメーカーも
殆どの医師が知らない新治療法です。
この欄で私の治療法を紹介しましたが
あくまでも参考にして下さい。
私の痛みが10点だと世の中には
70点、80点の方もいます。
海を渡り安楽死に行く人も聞きましたが
やっぱり怖いから辞めて帰国する人も
報道番組で知りました。
私と似た病気で痛みが我慢できず
乳飲み子を置いて命を絶った有名女子
アナ。あの痛みに耐えられる人は
この世にいないでしょう。
数年前までは日本で末期ガンになると苦しんで死ぬという概念がありましたが、こういう動画を見ると日本もようやくここまで来たかと安心します 次は尊厳死についても認められる社会になると良いなと思います
極端な言い方ですが...
生きる権利があるなら「死ぬ権利」も認められるべきではないでしょうか?
数年どころか20年くらい前でだいぶ変わってましたよ
イギリスでは尊厳死が可決しましたね。
父は末期ガンで在宅医療を受けていました。痛みには強かったのであまり麻薬を使いたがりませんでしたが、、亡くなる2日前ほどにはほとんど意識もなくなってましたが、痛みがかなり強く出たし、悶え苦しみだしました。
モルヒネを使いたいと訪問医に相談。在宅の場合は家族がモルヒネ座薬を使うことになるんですね。それも初めて知り、、おまけに直ぐにそのモルヒネ座薬が手に入らず(薬局でもなかなか扱ってるところが少ないらしいです)。もう亡くなるなとは見えていたけど、痛みに苦しんではかわいそうだったです。
モルヒネをお願いしてから翌日昼間にやっと手に入り、、座薬。夕方になくなりました。
在宅医療を受けてる方は、もしもの時用でモルヒネは早めに手配しておくことをおすすめしたいです。
勉強になりました。
亡くなった妻が最後にオキシコドン(オキシコンチン)を使っていました。
思いだして泣いてしまいました。
ありがとうございました。
間質性肺炎になった父も最終段階で医療用麻薬を使っていました。
息苦しい状態が続き、見ている家族も辛かったのですが
使うことにより楽になり、最後は眠るように逝きました。
正しい知識が必要と実感しました。
私の旦那様は、末期ガンでしたが、せんもうになり私の心も壊れそうでした。壊れていたかもしれません。
最後の2週間は体を丸めて、苦しみました。見ていられません!早く穏やかになって楽になってほしい。それしか考えませんでした。
そして亡くなる3日くらいに先生が、私に聞こえるくらいの声で、さぁ使いますか!といわれたのですが、そのときはわかりませんでしたが、モルヒネだったんですね。ですからそれから痛む顔もしませんでしたし、まるまることも無くなり、見ている私は少し安堵しました。痛みとたくさん戦ったので安らかに眠るようになくなったのは今の私は、安らかな旦那様の顔しか思い出せません。
それで良かった
そう思い70才の今を、生きています。
モルヒネ、戦場で下半身が吹き飛び、衛生兵が駆け付け、痛に苦しむ兵士に対して、せめて最後は痛みを無くして穏やかな死を与えてあげると言うイメージ。
医師「生きている側の都合で、死にゆくものを止めてはいけない」と言っていたことに、私は同意しました。
大腸がんⅳですが1年前からワントラムと併用しています。そしてまだ生きています!
痛みは限りなくなくなりますが吐き気と便秘が酷いです。
しかし大変助かっています。
日常生活を送れるありがたさ、皆さん頑張りましょう。
膀胱癌ステージ4から恥骨骨転移した際にモルヒネを使用しましたが痛みが治まらず緩和ケアの先生からタペンタを服用するようになりました。
タペンタ服用から2日後頭がおかしくなり1週間ほど別人の様になりましたが本人としては殆ど覚えていません。
その後タペンタの量を減らしその代わりにナルサスを同時に服用しました。
余命1年と宣告されましたが何度かの手術、抗がん剤と放射線治療をして現在7年延命しています。
昨年末から抗がん剤治療も休み定期検査で再発していないか確認して医療麻薬は服用を続けています。
個人差はあると思いますが私には医療麻薬が手放せません。
痛みを我慢するストレスなど考えると服用して良かったです。
@@癌サバイバー さま✨
私もナルサス服用しています。痛みが強い末期癌患者には良い薬だと思います。
私も医療用麻薬はもう手放せませんし
我慢する必要はないとおもっています。
現在もご健在であるとのこと。
これからの人生もどうか穏やかに過ごせますように✨
死が確定なら麻薬一択です。鎮痛剤や湿布と同じで我慢する必要はありません。
痛みは悪い所を感知し治そうとする体の手段ですが、治らない時には悪さしかありません。拷問と同じです。
あくまで私の私見です。
腹水の苦しさを紛らわすために麻薬系の貼り薬使ったら、お袋は数日で逝っちゃった。
スプーン半分の水でもむせてしまって、まともに水が飲めなく、水をガブガブ飲みてぇって言ってたのに、
薬を使ったら喉の乾きまで無くなってしまった。
それから3日くらいで逝っちゃった。
使わなきゃ良かったのか、楽になって良かったのか、未だにわかんない。
早く楽になったほうがいいよ
長く苦しむのを見たくないから
マッサージしても気持ちいいと言わなくなったけども、面白い想い出話に笑顔が出たよ。一日前に。
農薬と同じ石油から作った神経ブロック剤。痛みはブロックだが、死にます!内海聡医師 著 精神科は今日もやりたい放題。小倉譲 著 インチキ精神医学。
今際の際を地獄の苦しみによって長引かせて良いのか問題
ありだと思います
本人の痛みが緩和されるのなら
とっても勉強になります。
ありがとうございます。
母も兄もモルヒネの点滴を始めてから眠ったままになり結構早く逝きました
もともと二人共余命宣告が数週間みたいなことを言われていたのもあるから短かったのかもしれませんが
モルヒネを始めたらもう終わりだなというイメージはあります
夫はオキシドコンをのんでましたが、よく眠っていました。でもきれたら痛くて痛くて、一時的になりますがオキノームを飲んでました。末期ガンで大学病院から緩和ケア看取りまでの病院へ転院しました。最初は在宅の話もでましたが、家では無理でしょうとのことで転院となり、オキシドコンの点滴に栄養剤をなりました。そのおかげで痛みは緩和されています。
ただ脳転移のせいかオキシドコンのせいか眠っています。
痛み止めだけでは身の置き所の無さや不安から来る悪夢を取り除けないというホスピスのアドバイスで、鎮痛剤だけではなく鎮静剤と精神安定剤の3種合わせワザで父を見送りました。亡くなる1週間前にはまだしっかりしていましたので、先生や看護師さんから本人への説明、私からも父にはその3種を使って絶対に苦しくならないようにするから辛くなったら我慢せず伝えてほしい、と説明していました。1日1日量が増え種類が変わり、殆ど寝ているような感じでしたが、呼び掛けると話せないものの、指先を動かして返答してくれたので、今際の際まで意識はあったと思われます。事実上の『消極的安楽死』だと個人的には思います。確かなことは穏やかな死を迎えられる人は幸福だということです。
@@user-buruy
私も今治療中の末期癌が辛くなったら
鎮静で合法的安楽死を考えています。
私はまだ若いから主治医は躊躇するかもしれないけど私はもう精一杯苦しんだし
もうやりたい事もない。モルヒネも効かない骨転移で本当生き地獄。後悔するなら結婚もしたかったし子供👶も欲しかった。
まだ可能な年齢だけど末期癌で結婚した人なんか聞いたことない。赤ちゃん👶産んだ人もね。やるせない。
@@Alaska8888 私は家族の立場でしたが、ご自身で全て決めて行動して…大変だと思います。今の先生に緩和ケアの相談が出来るなら、緩和ケア専門医を早めに紹介してもらっておくのが良いのかもしれません。私の父は土壇場でしたが、より快適で充実した日々を送るためにも良いように思います。どうぞお大事になさってください。
36歳の従妹が乳癌で乳房全摘出手術、1年後に癌が脳転移となり末期状態、それでも「モルヒネは絶対打たない」と全身の激しい痛みに耐えながら癌と闘っていました。しかしあまりに激しい全身の痛みの為、日を追う毎に白目を剥き出し口からは泡を吹き出すようになり医者から「いくら本人のたっての要望とはいえここまでモルヒネ投与をしない患者は初めてです、しかしこのままではショック死してしまいます、モルヒネ投与で安らかに逝かせてあげるのが良い選択肢だと思います」と言われて私は彼女の両親を説得して医者にモルヒネ投与をお願いしました。鬼の形相で苦しむ彼女の表情が穏やかとなり眠るように逝きました。後日奇譚で両親の夢枕に彼女が現れ、「従兄(私)の夢枕に現れたいのだけど入れないのでお父さんお母さんから『ありがとう、おかげで苦しまずに逝くことが出来たと伝えて』」と言われたらしく私の選択は間違っていなかったとホッと胸を撫でおろす事が出来ました。人は癌の苦しみのまま逝ってはいけない。
うちの妹もガンの最期は2週間くらいはモルヒネ使ってたな。あれで少しでも痛みから逃れて逝けたなら良かったんだと思う。
私も15歳の頃、白血病になってモルヒネ使った事あります、もう15年経って30歳になりました(*^^*)
大変だったみたいですが、ここまで生きてらっしゃって嬉しいです😊
幸せになってね
@@user-nx2ns8ik8o
とても頑張られたのでしょうね。お疲れ様でした。これからの人生お元気で過ごされますように心から願っております✨
先日、息を引き取った姉。癌は、患者本人も看取る家族も苦しいですね。最後は、痛み止めで殆んど眠っていましたが痛くなかったのなら それで良かったのかな…。と思います。私自身も去年 癌の手術をしました。今は寛解していますが 姉の姿を見て 将来の自分の姿を重ね合わせ 色々と考えさせられました。
医療用麻薬って、終末期医療でしか使わないものだと思い込んでました。ここのコメントを見ていて、そうとは限らないと知りました。
痛みを和らげる事が一番です。
その為の緩和ケアです。父もお世話になりました。患者にとって一番いい選択です_(..)_
医療用麻薬の解説ありがとうございます
残された大切な時間のために、麻薬でも何でも使って
最後の時間を有意義に過ごしたいとは思わんもんかね。
まあ、そういう人は苦しみ抜いて、無駄な時間をすり減らすのも良いだそうさ。
管理が大変なのよね... 入院中はいいけどね。
40年以上前、母が胆石の発作により救急で近場の総合病院に運ばれました。
入院後に、とてもひどい痛みには、モルヒネ塩酸塩の注射しかなかったようです。
人としてのQOL確保には、モルヒネ塩酸塩の注射しかなかったようですが、
全く問題ないと思います。
映画監督の深作欣二さんが処方されたのがモルヒネでしたね。服用すると痛みは治まるが映画撮影ができない状態になるため「バトルロワイアル」では痛みを堪えて撮影していたらしいです。
癌じゃないけど自己免疫疾患の関節炎で「モルヒネ」(医療用麻薬)1日3回常用で飲んでます。
副作用の便秘さえ気を付ければ大丈夫です。
他の副作用は私はほぼ無いです(対オピオイドの下剤は必須です!便秘で心不全を起こして入院したので)
ただ、もう4年近く飲んでますが耐性は付く気がします。最初は「痛み70%オフ!」位の魔法みたいな薬だと思いましたが、今はモルヒネでも抑えられないので「カロナール」の副作用でモルヒネの作用を上げる効果を狙った頓服、としてカロナールも頓服で飲んでいます(更にアイシング)。
胃腸の病気(イレウス系)で何度も死にかけたり、自己免疫疾患の方で癌の人が使う痛み止めは殆ど使ってしまってます(ワントラム等、Jack阻害薬、癌の母より私の方が癌治療の痛み止めを網羅していてびっくりしました)
夜間救急で「アヘンチンキ(液体)」まで出されましたが、色もだし流石に怖くて飲めませんでした💦
モルヒネは下剤のコントロールがもの凄く難しいです(下剤は3種類位1日で飲んでますがプレドニンの作用も有り、コントロールが本当に難しいです。外出出来ない位)が、そこまで怖い薬では無いです。
後、筋肉注射の「ソセゴン」はかなり効きます。
痛みで息が出来ないのに、打ったら15分位で話せる位まで復活出来るので(麻薬に近いから緊急時しか打って貰えませんが)
ただ、打って直ぐはキラキラが目の前に飛びます(経験談でした)
キレイ事ばかり言うやつらに末期ガンの痛みを1分でも味会わせてやればよく解ると思うな。我が身になってみないとわからんヤツがたくさんいる。
自分の母は去年の3月に亡くなりました
痛みを少しでも和らげる事が一番ですが亡くなる数日前になると余り効きめがないのか投与しても1時間もしない間に痛みがでていてつらそうでした
オピオイド系鎮痛薬が米国で問題になった時期がありましたね。オピオイド系のトラブル事例を見ると、痛みを感じてから使わないと快楽目的使用で起こりうるようなトラブルが発生しやすいみたいな感じでしたね。
父親が末期の癌でモルヒネを使用。母の顔や娘の顔も忘れ、文字が書けずでした。看護婦さん点滴抜いてくれと言われた時は精神やられました
モルヒネを投与されてすぐ眠ったままになり ほんの数日で亡くなりました
こうなるという説明がなかったので 非常に強いショックとして残っていますが 説明を聞いて理解しました
緩和ケアしてもつらそうでした。口から緑の液体を流しながら辛そうに亡くなりました。
それは緑膿菌感染ですよ
昭和後期……病気の親へ先生が決断してモルヒネを使用され、数日後に親が亡くなりました。
ただ、先生が多くの患者さんと接し、その経験で判断された。当時としては最適な選択だったと思っています。
家族としては生きていて欲しい、でも本人は病気で苦しんでいる……人は…その時に最適と思う行動しかとれない……
尿路結石で激痛が治まらず通りかった所に大きな病院が有ったので転がり込んだ
座薬も効かなくなってきてたのでと話をしたら即検査してくれて
医師から麻薬使うと言われ 打って貰いました
もう痛みが無くなってハッピーでポワーンとしてしまって物が二重に見えました😂
ありがとうございます
以前入院中に同室の方が医療用麻薬使った。
でも痛くて痛くて悶えてた‼️
癌でも無く何かの検査入院だった気がする。
生き地獄だったんだろうと思う。
私は末期癌になり普通の痛み止めが効かなくなり、
医療用麻薬を使用お願いしました。
オキシコドン、オキノームですね。
私はまだ末期癌になり半年でまだ動けるのですが、
医療用麻薬使用しないと完全に痛みが取れません。
効果ない日もありますが、飲まないよりマシです。
ほんと、医療用麻薬使用したからって最後ではありません。
私は無知で、なんの抵抗もなかったのですんがり医療用麻薬を使用出来ました。
ほんとお守りです。
自分も末期癌に関わらず、治る見込みのない病気になったらモルヒネ打ってもらいたい。できれば安楽死が1番良い。早く日本でも安楽死ができるよう法改正を望む。
病気の進行や体力なども関係しているんでしょうね。
自分はヘルニアで寝ている事も出来なかったんですがロキソニン ボルタレン トラマール で結局オピオイドに辿り着き車椅子ではありますがなんとか生活できてます。
御守りっていう表現は使った事のある人なら納得の表現だと思います。
大体、2週間です。
その時間を大切に使いましょう。
夫の心房細動のアブレーション治療で、医療用麻薬を少し使ったと聞きました
少しぼやーとしてましたね
悪性新生物の治療の際は、対症療法として痛み止を使う事がある。これは抗悪性腫瘍剤の使用で腫瘍が攻撃され痛みを伴うためだと思う。目的は痛みを緩和して治療に専念するため。風邪の時に咳止めや解熱剤を使うのと同じ理由。また腫瘍そのものだけで痛みが出ることは考えにくい。腫瘍が血液をたくさん消費するため、貧血が起こり、体がだるいとか転倒すると言った感じだと思う。この症状だけで必ずガンだと言うことではない。
咳止め薬は、麻薬や覚醒剤
@@パイナップル-k3e そういえば、風邪薬には覚せい剤入っています。乱用には気を付けたいですね。
モルヒネは、末期以外にも使用されていますよ。例えば手術の前の緊張感を取るためにも使用されます。
癌ではないですが交通事故でICUでの集中治療を受けたことがあり、後で聞いたところ医療用麻薬を投与されていたようでした。
副作用も後遺症もなく回復できましたが治療中辛い痛みが無かったのは緩和ケアのおかげですね。
見舞いに来た家族曰く、ほとんど寝ていたそうです。
医療用麻薬何度か使ったことがある。上部内視鏡検査の麻酔、かなり苦い。歯科治療の際使用 もし使用しなかったら激痛で失神すると思う。
随分前の話です、ムンテラやインフォームドコンセントが一般的でない頃のことでした。
私の父は、とても痛む謎の病気(私には当時知らされていなかった)にかかっていました。入院中の父は、ある点滴をうってもらうと、その痛みが和らぎ、劇的に調子が良くなり、この点滴さえあれば、父がかかっている病気が治ると、父は信じ切っていました。
しかし、私が見た父は、だんだんやせ細るとともに、点滴が効いている間以外は会話すらままならないので、私には決して「治癒」しているようには見えず、適切な治療を医者は行っているのであろうか?という疑問を持っていました。
やがて、父にはこの点滴が効かなくなり、父は耐え難い痛みに苦しみながら、絶命しました。
当時、私の母に父の病気のことについて聞いても「すぐに治る」としか答えてもらえず、私には父の病気、父がうってもらった点滴、その事実は教えてもらえなかったので、いまだにわかりません。
その母とも、現在は絶縁状態、生きているか、死んでいるか?それすらわかりません。
これは私の推測ですが、父は、癌にかかっており、発覚した時には、治る見込みがなかったため、その事実は父には知らされず、延命療法として、モルフィネをうたれていたが、やがてそれに耐性がついてしまい、効かなくなったのではないか、そして、父が存命中、母が父の遺産相続についての手続きを、弁護士?愛人?と進めており、父の死後、そのすべてをかっさらって行方をくらませたのではないか?
私は大人になってから、このように考えるようになりました。
当時は、癌にかかっても、本人には告知されることなく、家族の一部にしか知らされていなかったです。もし、父が「癌にかかっている、もう、治る見込みがなく、余命は〇日だから、〇ぬまえに相続や遺言を済ませ、これから耐え難い痛みと向き合うことになるから、それを和らげるために、モルフィネ投与を伴う緩和ケアを行います」と、当時の医者が父に告知していれば、結果は違ったのかもしれません。
本音を言えば、父の遺産は欲しかったけど、父の私に対する一番の遺産である「私に受け継がれた遺伝子」があるから、現在私は、さほどお金に困らずに生活できています。しかし、モルフィネに耐性がついてしまい、想像を絶する痛みの中、絶命した父の〇を思い返すと、今でも私は苦しくなります。
ムンテラやインフォームドコンセントが患者のすべてに行われ、その患者すべてが〇についてそれぞれが向かい合い、モルフィネ投与や緩和ケアを受け入れた患者は、病で苦しむことなく安らかに旅立つことを、私は願ってやみません。
医療技術が進歩して寿命が伸びていますし、QOLを考えるとこういう情報の浸透や、そこに特化した薬や対処法が更に進化してくれるといいなと思います
最期を迎える時は安らかに過ごしたいと思っています
癌発症し、末期だったら痛み緩和をしたい、モルヒネは避けたく無いと思います。
タリージェはどうですか?ヘルニアで使ってます効果切れるの早目です。背骨にドレーンが刺さっているため痛いです寝られない。モルヒネ欲しい。
大雑把に表現すると・・・
ご家族さん、市販の風邪薬は飲んだことありますか?
飲んだことあるのでしたら、同じ麻薬です。
という表現がいいのかな?
もっと寄り添った表現がいいですね。
MSコンチンとパッチ、今はフェントステープかな?
出来るだけ安らかな最期を迎えてほしいですね。
癌で痛みが出るげは神経を圧迫される為でしょうか?父も医療用麻薬を使ったらあっという間に亡くなりました。種類まではわかりません。
うちの父は、膵癌の末期で、大腸小腸転移で閉塞となり、貼るタイプのモルヒネを使用した翌日に急変して無くなりました。
うちも母が亡くなるときはモルヒネを使ってあげたい。亡くなるのはつらいけど…
ワタシはガンではない激しい疼痛(腸腰筋膿瘍とその治療薬による副作用の腸閉塞)でモルヒネ、オキノーム、オキシコドンを使いました。筋肉が壊死して溶ける痛みと腸閉塞で腸が張り破けそうになる痛みとガンの痛み どれが耐え難いでしょうね
私の父は膵臓がんで腰や肩に強い痛みがありモルヒネをかなりの量使ってました
腹部にゼリーみたいなのを塗ってましたが それがモルヒネだだたのでしょうか? なので強いモルヒネはゼリータイプとおもっています
膵臓ガンであった父の最後の方は、モルヒネに加えて、フェンタニル、プロポフォールが繋がって点滴されていました。
もう瞳孔開き、舌下も毛細血管が収縮して黒くなり落ちてました。
意識があるのか、ないのか?わからないけど…声かけにも関わらず反応なく
母はモルヒネ使う前にフェントステープ使ってました最終的にはモルヒネも効きませんでした。
昔は体力を奪うとか言われた時代もあったけど、使ったほうが余命が長いまである
QOLが上がるので、ガン以外でも疼痛治療に普通に使われてますね
うちの主人は、多発性骨髄腫と診断され、オキシコドンを出されています。
呼吸もだんだん少なくなっていくんだよね
フェンタニルやヘロインが良いのでは❓️❓️
某スポーツ選手が麻薬に手を出したきっかけが医療用みたいな話はどうなのだろうか?
ウチの親父はモルヒネ使うまで持たなかったから痛みの中逝ったのだとおもうと…
45年前父が肝臓ガン末期2日前苦しみもがき先生に話すと本人にどうしても我慢できない?確認強い注射打つよ、と本人打つてくれと、1本目打つて2本目打ち3本目先生我慢できないですか?本人苦しいと、先生家族に3本目打つと身体が耐えられないどうしますか?本人苦しんでいるお願いいたしますと決断しました。その後安らかに天界へ苦しそうな顔が穏やかな顔に本人末期ガンの苦しみから解放されたと思います
トラマドールを使いながら、大企業のマネージャとしてもう五年ほど普通に働いております。
麻薬と言うから不安になるんじゃ? ネタとして? 麻酔でいいんじゃないんでしょうか?
私の父は、今年1月に亡くなりましたが、医者にちゃんとした説明がなく、医療用麻薬を使用され、1週間も持たず心不全を惹き起こし亡くなりました。正直納得いかないまま数ヶ月経ちます。必ずしも教科書通りの使い方をすれば、いいとゆう訳ではないのでは、と思います。特に高齢になれば、どこもかしこも悪くなっているから。少し後悔が残る使用のされ方を経験したと感じてます。
癌の父でしたが、前日まで普通に会話出来ていたのに、痛みがひどくなってきたからと投与されました。
意識混濁で二度と会話することも無く、次の日に逝ってしまいました。
これもう、安楽死と変わらないのでは?禁止してるくせに意味がわかりませんでした。
否定はしませんよ。ただあんなに即効性があるとは思いませんでした。説明して欲しかったです。
動画見ましたか?
モルヒネが原因でお亡くなりになったと思い込んでるんですか?
うちの旦那モルヒネきかなかっまみたい先生が言ってました。
苦痛は母のガンでまいった!
死後、穏やかな表情に戻った!
苦痛で延命するのは考えものだ!
スイスの安楽死を法制化すべきである!
痛みで余命数日の人達が服用してるからでしょう
私は痛みで使いましたが、教授曰く
イカに成ってしまうよと笑ってました。
筋肉の感覚も失って終い、歩くのも難儀しました
飲んでも命には全く関係ないです。
現在、痛み止で体内に入ってるバクロフェンありますが
中の薬をモルヒネに換える認可待ってますが
コロナで認可審議中断も再開したら、何処の医局が
担当するかと争って決まらないと聞いた。
おぃおぃー 患者の事を考えてよ。何処でも良いよ。
母が癌の末期の時に貼るタイプの薬(モルヒネ)を使ってたなあ。
使い始めて2か月位普通に生活出来てた。
弱いと痛みが出て、強いと眠くなるので、訪問看護と相談しながら少しずつ強くして行った。
亡くなる数日前までは話も出来てた。
痛みが強い時は使った方が良いね。
😊 9:15
医療用麻薬を使ったとか
癌で身内を亡くした話じゃないので
ここにコメントするのは場違いかなと思いますが
うちの父は脳幹の近くで出血して
発見された時には意識がなく、
元から延命は希望しないと話していたため
私たち家族は病室で泣きながら
ただ何も出来ずにその時を待っていました。
酸素はMAXの量で投与されてたんですが、酸素飽和度は上がらず
時折看護師さんが痰を吸引しにくるんですけど
呼吸もままならない中、とても苦しそうで見ていて辛かったです
早朝に搬送され昼過ぎまでの短い時間だっんですけど
声をかけてあげられなかった、とか
苦しそうだから吸引もやめてもらった方がよかったのでは?とか
様々後悔が湧いてきます
死ぬなんて縁起でもないと思わず
年齢に関係なく
その時に少しでも迷いが減るように家族や恋人と話し合うことも大事だなと感じます
肝硬変の父が腰痛で入院していたある日、病院から電話がかかってきて「モルヒネを使っていいですか?」と聞かれました。モルヒネの怖さなど全く知らなかった私は、病気に効く薬ならと思い「はい」と軽く返事をしました。しかし次にお見舞いに行った時、明らかに父の症状が悪くなっていました。それから2週間程で亡くなりました。驚きました。もっと知っていれば「使いません」と言ったかもしれません。モルヒネを打ってからおかしくなっていきました。肝硬変が進んで多少は癌化していたようですが、あれはただのぎっくり腰でした。担当の先生がいないとかで、どんどんおかしな方向へ行き「癌が悪化して痛がっている」という勘違いがあったのかと思います。私もまだ若く何もわかりませんでしたが、きちんと知識を付けていれば勘違いを訂正できたのではと後悔しています。
週1で打ちたい
まああっという間です
家族にも許可なく使用されて最後は統合失調とせん妄で終わらせられました