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「それはただの運搬じゃ?」「それはただの保管じゃ?」マリーの冷静なツッコミが笑える
革命裁判所よりも遥かに公正で公平な裁判で驚きました…
マリーちゃんも、動物裁判の被告となった動物たちと同じように陪審員や弁護士が付いた裁判を受けることができたら、ここまで革命裁判所を貶さなくなっていたかも。
税金免除の為に裁判が行われたと本で読んだな。領主に直接訴えると逮捕されたりされかねないので裁判にする事で教会とか裁判所の認定で被害を確定させ、それを証拠に領主に訴えると言う農民の知恵的な方法だった。
言われてみればたしかに飼い主が居ない虫さんによる被害とかそんな感じかも
一見稚拙に思えても実は桁外れな誠実さとある意味緻密な思い入れは中世絵画にも通じている気がする。
「全ては神によって創造されたものっていう前提がある」と考えたらしっくりきた
中世の裁判っていうと「領主に逆らったから死刑」とか「地主に逆らったから死刑」みたいな理不尽と不正が横行するイメージでしたけど、意外とちゃんと弁護が機能してたんですね。いや、相手が動物だからこそ、利益誘導が起こらなかったのでしょうか? ともあれ面白い回でした。
全ての価値観や倫理観、道徳観などを宗教に依存しているからこんなおかしな事を…なんて思っていたものですが、解説されているように事例を読み解くと相応に理性的で丁寧な裁判が行われているんですよね。何より何百年間も行われているし、当時の人達なりに理不尽に裁きを与え納得するしくみだったんでしょうね。
人喰い熊はやはり死刑か
そう!現代の人里を脅かす熊たちもその場で銃撃なんて野蛮なことをせず裁判所に出廷させねば!(なおそのリスク…)
毛虫を破門にするという手続きを取ること自体、キリスト教(+アリストテレス主義)の思想とは本来相容れないものですから宗教云々は関係ないでしょう。
動物裁判はまともなのになんでもないのに殺される魔女裁判……
当時の弁護人と裁判官の動物に対する誠実さと正義に尊敬を隠せない。
一見すると「なんじゃこりゃ?」と思うような出来事から当時の世情を考察できるのはおもしろいですね。市中引き回しにされた鐘、どんな感じだったのか見てみたい。ちょっと楽しそうw
なんかめっちゃ一部分が削れてそう
毎回ハイクオリティな内容の動画を作成できるなんて凄いなぁ…
一件野蛮に見えて、その実非常に文明的な行いである動物裁判大好き
文明的とかいう意味が変わりすぎる言葉
今は多様性の社会だけど、動物裁判は未来的とすら感じる
というかバイソンの大量絶滅と言い、スポーツハンティングといい、近代の方が劣っているのではと思ってしまう。
品行方正なロバの事例大好き
うまく言えないけど、意味が分かる。名ロバとでも言うか。
”魔女に捧げるトリック”で初めて知った。それを解説してくれるとは思いませんでした。解説お疲れさまです。
虫の被害などは被害を統治者に認めてもらうために行っていると考えると合理的なのではないか。最初の豚も異常な事件を終わらせるために裁判という形式に従うのが必要だったのではないかと思う。そのまま処分すると祟られそうだ。
下ネタ方面の話題になると、知的な話題と分かってはいても照れちゃうパトラちゃんからしか摂取出来ない栄養素がある。
〆はいつだってばいぶぁーいと決まっている
転換点の話題は、確かに興味深いですねー。毎回、色んな参考文献凄いです。🙏
逆転裁判でオウムを尋問するという場面がありまして……動物裁判というとアレを常に思い出します
D L 6 号 事 件 を 忘 れ る な
現代でもたまに動物や植物を原告とした代理裁判が行われることがありますが、これは主に環境破壊に関するもので、「うん十億円の賠償を求めて訴えました!」というのを笑い物にされることが多いです。でもこの金額は、問題となった環境破壊による損失額で、それを提示することで問題の大きさを広く知ってもらおうという意図があります。動物を使うのは話題性を高めるためで、もちろん「勝ってウン十億円せしめよう!」という性質の裁判ではありません。中世の動物裁判にも何かしらの意図があったと考えられますね。
動画内でも語られてるけど、自然という無秩序を人間が支配して秩序に変えていると思い込んで安心したかったってことかと。
フランスの地域圏の地図が再編前のものですね。でも再編後はアルザス地域圏は合併によりなくなってしまったので、アルザス地方の位置を地図で示すのがむずかしいですね。
自然に対する考え方の違いの話で日本では天然物の食べ物が好まれるが、ヨーロッパでは養殖物の方が好まれるという話を思い増しました。
自然との戦いだったヨーロッパが、自然に対して自信をつけた一つの事象のように思いました🐽
最後の本紹介みたいにたまにおすすめの書籍を紹介をする動画も観てみたいな
裁判も、社会秩序を守り人々が納得するためのものだからな。現代の価値観では虫が作物を荒らせば問答無用で駆除だし、人間と動物を同じ土俵に立たせるあたり、昔はそれだけ「人間と動物の距離が近かった」のだと感じる。
日本も三世一身の法や江戸時代の新田開発による大規模開墾や、天井川を形成するほどの築堤や利根川や大和川の付け替えなどを行ってきましたし、農耕社会はどうしても自然を克服対象とせざるを得ないように思います。一方で地中海世界では「全知全能の神」が人間と契約を行うという観念に違和感が持たれないほど、契約に根本的価値を認めていたため、契約とセットである裁判も実利的必要性を超えて重視されていたのではないかと思いました。
大して考えもせずぼんやりと、一神教だから契約社会・・・みたいに思ってましたがむしろ逆に契約が好きだから一神教を生み出したっちゅうことですか確かにそうですね・・・勉強になりました
弁護士・弁護人っていつからいたんだろう?裁判官はなんとなくその集団のリーダーとかがやり始めた気がするけど。リクよろしければ「大豆の歴史」見てみたいです。メジャーな作物なので、結構リクエストされてるかもしれませんが。彼らのポテンシャルを考えると、枝豆から節分から黄な粉まで幅広い……なるほど、世界史じゃなくて日本だけじゃねーの
数年前に猛威を奮った大群バッタは国際的裁判になってしまう
今でいう「人権」なる概念の、萌芽的な慣習だったのかもですね
動画をありがとうございます。12世紀以降にこういうことが起こってきたことの考察が興味深かったです。ありがとうございました。😀
とても面白かったです! 動物裁判って宗教の迷信的な中世の時代のものと思っていましたが、むしろ理性的で公平(であろうとした結果の)ものなんだなと感じました
本日も大変勉強になりました。動画をアップしていただきましてありがとうございます。
勉強になります。現代の私たちも似ている感覚があるかもしれませんね。
直接的な繋がりがあるわけではないものの、動物裁判は現代のアニマルライツの源流のようにも思えますね。相手が動物であっても一個人の裁量で事を運ぶのではなく、手続きを踏み、議論を経て決断を下すのは法治国家として機能していたことも伺えます。合理的に作られたはずの規則が不合理な事態を招くのは現代でもよく見られることですしね。
全然関係ないはずの本がリンクして楽しい!って意味では室町時代の「虹の立つところに市を立てる」って風習を紹介してる本と参照はないながらも現代絵本論の本で同じことを言及しているのを読んだときに思いましたね。
係争によって利益を得るシステムや職業が多数生まれ なんでも訴訟しようぜ!とか現代でもあり得そうな理由もありそう
とっても面白かったです。今現在が状況や人心が中世だという説がありますが、似てるかもしれないと思いました。テクノロジーがどんどん進化して、恵まれた環境の中でヒトは妙に優しくなっている。キリスト教圏がアミニズム的信仰と融和しているのは知っていましたが、そういうわけで、アジア圏と付き合いができてるのかもしれないと思いました。イスラム圏は偶像崇拝を禁じてるので多神教的思考と親交しにくいのかもしれないと思いました。パトラちゃんの声、落ち着くわ~
いつも楽しく聞かせてもらってます。ぜひフランス革命時代の何かを聞きたいです!
とても興味深く拝見しました。確かに現代の基準、価値観でみれば奇妙だけど、当時の人達なりに、法的権利や平等というものに、たとえ動物が対象であっても、論理的かつ真摯に向き合っていたのだな、と感じました。現代でも動物の権利についてはヨーロッパで考え始められることが多い印象ですが、こういったことが下地になっているのかも?と思いました
新米の裁判官とか弁護士からしたらいい経験になりそうだけどね
動物に向かって裁判官が「汝の罪を〜」とか大真面目に言っているのを想像するとちょっと笑ってしまう
日本でも火消し同士の喧嘩の判決で半鐘が島流しってのが有りましたね。
法に基づく裁判と公開処刑は当時の庶民にとっては目新しい貴重な娯楽でもあっただろうからな。当事者たちものりのりだったんだろう。それにしてもカブトムシの幼虫が未成年の発想は凄い。
おそらく現代も、未来では滑稽に思える事だらけなのかもしれないなぁと考えてしまう歴史の一つですな
運搬と保管で吹いてしまったw
動物保護の考えも動物裁判の発展なのかもしれませんね。最近のクマ被害は動物裁判だったらどう裁くんだろうかと想像しました。
これは「嘘を嘘と…」のあの人が訴えられてたのと同じで、責任の所在に対して法がはっきりされていないから動物が訴えられてたって感じよね。動物の管理責任者に問題があるか、被害にあった人間が逸脱した行為をしたのか、保護者が被害にあった子供を見ていなかったとか
この回めっちゃ好き。マジメにイかれてる人間ほどおかしいものはないな。ということは、我々の多くの行動も500年後にはそう言われてしまうのだろうか…
八百万的な自然信仰の東アジアに対する自然を切り開き克服し文明を築いたヨーロッパの歴史、何が出来る訳でもないが被害者へのせめてもの慰みにという解釈は、なるほどただの未開の野蛮人じゃないんだなと非常に納得できました。
「ゔぁいゔぁ〜い」助かる
動物にも法の下での平等、というのはある意味未来すぎる考えなのかもしれない。遠い将来には「昔の人は動物に権利を認めない野蛮人だった」とか言われるのかも。というか、下手したら人間よりも動物の方がしっかり弁護されてそう。
そういえば、映画ナポレオンでマリーちゃん実写版出演(違
2003年辺野古地区開発に関してサンフランシスコ連邦地方裁判所で行われた訴訟の原告に沖縄ジュゴンが名を連ねており、これも動物裁判と言えるかもしれません
熊害に人心が沸騰し対立する昨今、人間だけでなく動物にも法を適用し平等に裁定を行うという営みはともすれば現代よりも理性的な行いかもしれませんね唯一絶対の神の御許には人類もそれ以外の動物も役割が違うだけで平等という考え方があるのではないでしょうかこんな思索を巡らす機会を与えてくれてパトマリに感謝!
本で読んだ「神が人間のために作られた動物が人間に危害を加えるなんてありえない!悪魔がとり憑いたか何かだ!」というのはどういう裁判になるんだろう?
人以外の生物に国境線は関係ないのに、外来種と言ってる今もあまり変わってないのかも。
中世の動物裁判=今の有識者会議
我が福井県の消費量が1位の油揚げ&厚揚げを奪うなんて・・・(なお今日の夜は厚揚げの味噌汁でした)
そういえば基本的馬権を主張する学者先生もいらっしゃったなぁ
現代のヨーロッパ人がペットを家族同様に暑かったりヴィーガンになるのも、この当時の動物裁判的世界観が根底にあるのかも。
問答無用でクマとかスズメバチとか退治してる現代のほうが野蛮かもしれん
熊さんにも正当な裁きの場を与えるべき!!って主張するのが出てきそう(・(ェ)・)
人喰い熊🐻を裁判にかける前に犠牲者が増えそう暴れたりして
傍聴席は感情をコントロールできないヒス持ちクレーマーがいっぱい居そう
くまさんに弁護士つけて裁判しよう(提案)
@@user-YJSP_810 弁護士が、熊に食い殺される
毛虫を裁判にかけるとはすごいですね。農作物に害を齎したからなのですね。農民が勝手に毛虫を殺したら、農民が犯罪者として処罰される危険があったのかもしれないですね。もしもそうならば、西欧の農民というのもなかなか大変ですね。日照りについて、太陽を召喚したり、船の難波について、嵐や海を召喚したりしなかったとすれば、それはそれで不公平ではないか、法の下の平等に反すると思いますが、身分法の一種かもしれないてすね。
当時の農民はほとんど文盲だから当然訴状を読むことができないし、お金がないから裁判費用も捻出できない。権力者や知識人との繋がりがないから弁護人だって用意できない。動物裁判はそんな人たちにとって裁判の規則や手順を知るためのお芝居だったのかも知れませんね。仮に自分が何だか恐ろしい裁判というものにかけられても、真っ当に弁護してくれる人がいて場合によっては情状酌量もありうる。立場の弱い人たちにとっての安心材料になったに違いありません。
安心にも不安にもなる事を想像するともう一歩は深い理由があると思います。庶民も貴族にいつ好き勝手に訴えられるかも分からない。人々は状況を自分に有利と考える部分と不利と考える部分があるので受け取り方もどちらかに偏っていた可能性も勿論考えられます。電子タバコを合法にしてる国ではその理由を段階的禁煙を促すと言い、禁止してる国では未喫煙者にとっては段階的本格喫煙に繋げかねないという理由。・それらの国政府がなぜ禁止したり合法にしたりしたのかの背景、本音・政府の国民に対する大義名分の違い・国民の受け取り方それらは実際に現地に住まないと分かりにくいもの。時代が違ったらもう肌での理解のしようがない。例えば50年前は面識無い男同士はまずタイマン張ってた、ケンカが強い奴がもてて勉強できるかどうかは全く関係無かった感覚は今の人には分かりようが無い。この場合は少なくともヨーロッパに住んだ事がある人でないと正解に近づきにくいです。国ごとの喫煙率と飲酒率を調べた事がありますが、イスラム圏やミャンマーなど宗教慣習的・権威的な国は飲酒が少なくて喫煙が多い、欧米のように自由がある国では飲酒が多くて喫煙が少ない。サブサハラ(アフリカ中部)ではどちらも少ないのは貧しいからってのは分かるけど、他の地域では酒か煙草どちらかやりたがるのには、これまた昔の男にしか分からないであろう「イキり」があると思います。本来不合理な行動をやって見せる事で生命力の強さを同性にも異性にも誇示する動物として普遍的な心理。
当事者たちの大真面目な振る舞いはまるで御伽噺を聴いているようだw
歴史って調べれば調べる程、当時の人達が持てる知識と技術とお金を総動員して積み上げたものだと理解できますよね。勿論失敗の選択も、せめてこの知識が有れば…技術が…お…ともなりますがバカだからそういう選択をしたのでなく、止むを得ず選んでしまったと言うのが殆ど。まぁ稀に数人のアホな権力者が反対を押し切って…と言うのもありますけどね
中世キリスト教は、天使信仰が流行しすぎたので対策として「裁判して天使を破門する」とかやってますからねぇ手続きを重視するのはローマ要素なんでしょうかね。
それでもやっぱりフォークで魚を獲りに行くみたいな目的に対する手段を間違えてる感は拭えない。やっぱり目的をきちんと見据える事って大事なんだと思いました。
何か「モンティパイソン」のコントにありそうな話だったけど、ふたを開けてみるとちゃんとその時代のルールに則った裁判だったのね今みたいな「判官びいき」的な裁判じゃなくて良かったよ
真面目かーい、いや面白い話しを聞かせてもらったありがとう
イスラム教が豚を忌避するのは、危険だからって理由もあったのかも
100年後AIによる裁判が一般化され、ゆっくり動画で「100年前は人間による裁判が一般的だったんだぜ」「うわぁ、なんて愚かだったんだ」とネタにされているよ
世の中(人間)の行動原理って、今と変わらないと思うんです。権力者:裁判までやったんだ。ゴチャゴチャぬかすな。弁護士:金と名声のためなら、サイ〇パスだって弁護してやんぜ。。。 ちょっと世を拗ねすぎかな?興味深い話題、有難うございました!
このじゃがいもとかいう植物、聖書に書かれた方法で増えないな・・・悪魔の植物やな、火あぶりの刑で
今みたいに行政がはっきり仕事分業してないから行政手続きが裁判という形になっていたのでは?
ロバの件、飼い主のほうが酷い人間として地域で知られた人だったんじゃ?人間相手にも無理矢理やってたかも
これ「税の免除や削減の申請」を動物を被告とした裁判で代用したってこと?盗賊に襲われたから税を払えないと同じ扱い(領主の治安維持義務不履行みたいな話)あと中世の処女権が結婚税の言い替えだった話の詳細知りたい
ペットの歴史が知りたいです!
害虫や獣に裁判を受ける権利があるのだとしたら、領民がこれらを勝手に駆除したら訴えられる可能性もあると言うことかな…
中世後期に人間と自然の関係性について審議する場が生まれたことは、自然保護思想の萌芽といえるかもしれない
ネズミたちは独自の言語を扱っており、彼らに通告するのに仏語は適当でない。改めてネズミたちの言語を用いて召喚すべきである。
公正世界仮説の負の面を軽減しようとする試みの一つの気もする。不運・不幸・天災の類を裁きの対象にすることで、「悪いことをしたから悪いことが起きるのだ」という考えから抜けられる気がする。日本だと「地震のナマズをやっつける」絵が流行ったりしていたけど、それにも似てる気がした。
動物と決闘裁判を行った事例ってないのかな・・・
アガサクリスティーの作品で「物言わぬ証人」という物がありますが、なんとなく「動物裁判」の影響もあるのではと考えてしまいました。承認が犬なので「物言わない」ので、犯人も特定できないというそんなジレンマを感じさせられるそんな内容の推理小説だったように思います。
好きなチャンネルに福井県名物の「竹田の油あげ」出てきて嬉しくなってもた、、!
心底西洋的で日本人からするとヘンテコな部分もあるけど、筋が通っててイイ!
リクエスト……このチャンネルの趣旨とは違うかもしれませんが、個人的にWW2時代の芸能事情に少し興味があります。
動物との性的逸脱行為といったら、某北海道漫画のあの人。
私も今まで動物裁判を滑稽なものと見ていたので、考え方が変わりました。盲目的な動物愛護を唱えるつもりはありませんが、最近の野生動物による被害発生→駆除の流れを昔のヨーロッパ人が見たら、「なんて野蛮な」と思うかもしれませんね。
「ヨーロッパ人」から見たら、ですね。家畜のシステムも、動物の一生を人間の都合で支配するなんて、なんて野蛮な。と、狩猟民族は思うでしょうね
デカルトとかカントみたいに「動物は理性や道徳心ないんやからモノ扱いでええやろ」という発想自体が極論だっただけですしね。むしろ欧米の方が動物愛護の面では「先んじて」いて、あのナチスですらも動物愛護には熱心だったらしいし、最近の例だと日本による捕鯨が批判されたりしてますね。動物愛護法成立前の日本だと、デカルトの発想そのまんまで法律が運用されていて、自分のペットを殺傷された場合は器物損壊罪で訴える事が広く行われれていたそうですから(その方が量刑が重かったため)ちなみに動物愛護法成立のきっかけは神戸連続児童殺傷事件だったとのことで、犯人の酒鬼薔薇は小学生の頃から猫の殺傷を繰り返してたそうですから、「動物をみだりに殺傷するような輩はいずれ矛先が人間にも向くやろ」ということで、モラル崩壊による殺傷事件防止も目的のようです。そういう意味では戦国の気風が未だ残っていて、病気になった人間や動物の遺棄がまん延してた空気を終わらせる目的もあった「生類憐みの令」と似ている面はあるかもしれません。
18:41「とうてい」....合成音声が軽く吹き出してる?
昔NHKの人形劇で岩が裁判だったか尋問にかけられる話あったな
欧州が現代において「先進国」たり得るのに不可欠な成長過程を見ているようでした表面だけパクった上に自分達の方が霊格が高いと驕ったり、深く知ろうともせず過去や他人の栄光に縋ってる人たちは反省すべき
そんな欧州も今は元気なのはドイツだけ、、、おいたわしや
江戸時代に日本も鐘を流罪にしたりしてますし
ローマのサーカスの役割とか動物を大事にすることで、人間はさらに大事にするとかね。日本にも生類憐みの令とかありましたし。
22:32 ここからの地球環境の変化と人々の生活の変化が解説されているおすすめの本を知っている人がいたら教えてもらえませんか?
魔女裁判よりまともに感じますね
ケモナー男のお相手が一匹じゃなくて、大量なの草www
動物を破門にするとは、興味深いですね。破門にされない大多数の動物は、最後の審判で復活を遂げるということなのでしようか。しかし、領主の飼馬や貴婦人のペットが最後の審判で復活しないとすると、その方が余程不自然ですね。ただ、気になるのは、動物たち、人間に飼われているわけではない動物も含めて、カトリックの『洗礼』は受けているのか、いない筈です。また、死亡するとき、特に、食用になる家畜も含めて、カトリックによる『臨終の塗油』はされてなかつた筈と思いますが、どうなのでしよう。これでは、最後の審判で復活できるのでしようか?
おもしろい😮
人の法の下での平等というより、神を代弁する教会の下では人も生物も平等、という感覚なのかな?
聖水(駆除剤)だったのではもしかすると弁護人の実績作りの側面もあったのかな?能力を見せるデモンストレーション的な
今の日本で動物裁判あったら「クマは空腹だったから!」「クマの熊権を守れ!」とかで何年もズルズルやって不起訴になりそう
「それはただの運搬じゃ?」
「それはただの保管じゃ?」
マリーの冷静なツッコミが笑える
革命裁判所よりも遥かに公正で公平な裁判で驚きました…
マリーちゃんも、動物裁判の被告となった動物たちと同じように陪審員や弁護士が付いた裁判を受けることができたら、ここまで革命裁判所を貶さなくなっていたかも。
税金免除の為に裁判が行われたと本で読んだな。領主に直接訴えると逮捕されたりされかねないので裁判にする事で教会とか裁判所の認定で被害を確定させ、それを証拠に領主に訴えると言う農民の知恵的な方法だった。
言われてみればたしかに飼い主が居ない虫さんによる被害とかそんな感じかも
一見稚拙に思えても実は桁外れな誠実さとある意味緻密な思い入れは中世絵画にも通じている気がする。
「全ては神によって創造されたものっていう前提がある」と考えたらしっくりきた
中世の裁判っていうと「領主に逆らったから死刑」とか「地主に逆らったから死刑」みたいな理不尽と不正が横行するイメージでしたけど、意外とちゃんと弁護が機能してたんですね。いや、相手が動物だからこそ、利益誘導が起こらなかったのでしょうか? ともあれ面白い回でした。
全ての価値観や倫理観、道徳観などを宗教に依存しているからこんなおかしな事を…なんて思っていたものですが、解説されているように事例を読み解くと相応に理性的で丁寧な裁判が行われているんですよね。何より何百年間も行われているし、当時の人達なりに理不尽に裁きを与え納得するしくみだったんでしょうね。
人喰い熊はやはり死刑か
そう!現代の人里を脅かす熊たちもその場で銃撃なんて野蛮なことをせず裁判所に出廷させねば!
(なおそのリスク…)
毛虫を破門にするという手続きを取ること自体、キリスト教(+アリストテレス主義)の思想とは本来相容れないものですから宗教云々は関係ないでしょう。
動物裁判はまともなのになんでもないのに殺される魔女裁判……
当時の弁護人と裁判官の動物に対する誠実さと正義に尊敬を隠せない。
一見すると「なんじゃこりゃ?」と思うような出来事から当時の世情を考察できるのはおもしろいですね。
市中引き回しにされた鐘、どんな感じだったのか見てみたい。ちょっと楽しそうw
なんかめっちゃ一部分が削れてそう
毎回ハイクオリティな内容の動画を作成できるなんて凄いなぁ…
一件野蛮に見えて、その実非常に文明的な行いである動物裁判大好き
文明的とかいう意味が変わりすぎる言葉
今は多様性の社会だけど、動物裁判は未来的とすら感じる
というかバイソンの大量絶滅と言い、スポーツハンティングといい、近代の方が劣っているのではと思ってしまう。
品行方正なロバの事例大好き
うまく言えないけど、意味が分かる。
名ロバとでも言うか。
”魔女に捧げるトリック”で初めて知った。それを解説してくれるとは思いませんでした。
解説お疲れさまです。
虫の被害などは被害を統治者に認めてもらうために行っていると考えると合理的なのではないか。最初の豚も異常な事件を終わらせるために裁判という形式に従うのが必要だったのではないかと思う。そのまま処分すると祟られそうだ。
下ネタ方面の話題になると、知的な話題と分かってはいても照れちゃうパトラちゃんからしか摂取出来ない栄養素がある。
〆はいつだってばいぶぁーいと決まっている
転換点の話題は、確かに興味深いですねー。
毎回、色んな参考文献凄いです。🙏
逆転裁判でオウムを尋問するという場面がありまして……動物裁判というとアレを常に思い出します
D L 6 号 事 件 を 忘 れ る な
現代でもたまに動物や植物を原告とした代理裁判が行われることがありますが、これは主に環境破壊に関するもので、「うん十億円の賠償を求めて訴えました!」というのを笑い物にされることが多いです。
でもこの金額は、問題となった環境破壊による損失額で、それを提示することで問題の大きさを広く知ってもらおうという意図があります。動物を使うのは話題性を高めるためで、もちろん「勝ってウン十億円せしめよう!」という性質の裁判ではありません。
中世の動物裁判にも何かしらの意図があったと考えられますね。
動画内でも語られてるけど、自然という無秩序を人間が支配して秩序に変えていると思い込んで安心したかったってことかと。
フランスの地域圏の地図が再編前のものですね。でも再編後はアルザス地域圏は合併によりなくなってしまったので、アルザス地方の位置を地図で示すのがむずかしいですね。
自然に対する考え方の違いの話で日本では天然物の食べ物が好まれるが、ヨーロッパでは養殖物の方が好まれるという話を思い増しました。
自然との戦いだったヨーロッパが、自然に対して自信をつけた一つの事象のように
思いました🐽
最後の本紹介みたいにたまにおすすめの書籍を紹介をする動画も観てみたいな
裁判も、社会秩序を守り人々が納得するためのものだからな。
現代の価値観では虫が作物を荒らせば問答無用で駆除だし、人間と動物を同じ土俵に立たせるあたり、
昔はそれだけ「人間と動物の距離が近かった」のだと感じる。
日本も三世一身の法や江戸時代の新田開発による大規模開墾や、天井川を形成するほどの築堤や利根川や大和川の付け替えなどを行ってきましたし、農耕社会はどうしても自然を克服対象とせざるを得ないように思います。一方で地中海世界では「全知全能の神」が人間と契約を行うという観念に違和感が持たれないほど、契約に根本的価値を認めていたため、契約とセットである裁判も実利的必要性を超えて重視されていたのではないかと思いました。
大して考えもせずぼんやりと、
一神教だから契約社会・・・みたいに思ってましたが
むしろ逆に契約が好きだから一神教を生み出した
っちゅうことですか
確かにそうですね・・・
勉強になりました
弁護士・弁護人っていつからいたんだろう?
裁判官はなんとなくその集団のリーダーとかがやり始めた気がするけど。
リク
よろしければ「大豆の歴史」見てみたいです。メジャーな作物なので、結構リクエストされてるかもしれませんが。彼らのポテンシャルを考えると、枝豆から節分から黄な粉まで幅広い……
なるほど、世界史じゃなくて日本だけじゃねーの
数年前に猛威を奮った大群バッタは国際的裁判になってしまう
今でいう「人権」なる概念の、萌芽的な慣習だったのかもですね
動画をありがとうございます。12世紀以降にこういうことが起こってきたことの考察が興味深かったです。ありがとうございました。😀
とても面白かったです! 動物裁判って宗教の迷信的な中世の時代のものと思っていましたが、むしろ理性的で公平(であろうとした結果の)ものなんだなと感じました
本日も大変勉強になりました。動画をアップしていただきましてありがとうございます。
勉強になります。現代の私たちも似ている感覚があるかもしれませんね。
直接的な繋がりがあるわけではないものの、動物裁判は現代のアニマルライツの源流のようにも思えますね。相手が動物であっても一個人の裁量で事を運ぶのではなく、手続きを踏み、議論を経て決断を下すのは法治国家として機能していたことも伺えます。
合理的に作られたはずの規則が不合理な事態を招くのは現代でもよく見られることですしね。
全然関係ないはずの本がリンクして楽しい!って意味では
室町時代の「虹の立つところに市を立てる」って風習を紹介してる本と
参照はないながらも現代絵本論の本で同じことを言及しているのを読んだときに思いましたね。
係争によって利益を得るシステムや職業が多数生まれ なんでも訴訟しようぜ!とか現代でもあり得そうな理由もありそう
とっても面白かったです。
今現在が状況や人心が中世だという説がありますが、似てるかもしれないと思いました。テクノロジーがどんどん進化して、恵まれた環境の中でヒトは妙に優しくなっている。
キリスト教圏がアミニズム的信仰と融和しているのは知っていましたが、そういうわけで、アジア圏と付き合いができてるのかもしれないと思いました。
イスラム圏は偶像崇拝を禁じてるので多神教的思考と親交しにくいのかもしれないと思いました。
パトラちゃんの声、落ち着くわ~
いつも楽しく聞かせてもらってます。ぜひフランス革命時代の何かを聞きたいです!
とても興味深く拝見しました。
確かに現代の基準、価値観でみれば奇妙だけど、当時の人達なりに、法的権利や平等というものに、たとえ動物が対象であっても、論理的かつ真摯に向き合っていたのだな、と感じました。
現代でも動物の権利についてはヨーロッパで考え始められることが多い印象ですが、こういったことが下地になっているのかも?と思いました
新米の裁判官とか弁護士からしたらいい経験になりそうだけどね
動物に向かって裁判官が「汝の罪を〜」とか大真面目に言っているのを想像するとちょっと笑ってしまう
日本でも火消し同士の喧嘩の判決で半鐘が島流しってのが有りましたね。
法に基づく裁判と公開処刑は当時の庶民にとっては目新しい貴重な娯楽でもあっただろうからな。
当事者たちものりのりだったんだろう。
それにしてもカブトムシの幼虫が未成年の発想は凄い。
おそらく現代も、未来では滑稽に思える事だらけなのかもしれないなぁと考えてしまう歴史の一つですな
運搬と保管で吹いてしまったw
動物保護の考えも動物裁判の発展なのかもしれませんね。
最近のクマ被害は動物裁判だったらどう裁くんだろうかと想像しました。
これは「嘘を嘘と…」のあの人が訴えられてたのと同じで、責任の所在に対して法がはっきりされていないから動物が訴えられてたって感じよね。動物の管理責任者に問題があるか、被害にあった人間が逸脱した行為をしたのか、保護者が被害にあった子供を見ていなかったとか
この回めっちゃ好き。マジメにイかれてる人間ほどおかしいものはないな。ということは、我々の多くの行動も500年後にはそう言われてしまうのだろうか…
八百万的な自然信仰の東アジアに対する自然を切り開き克服し文明を築いたヨーロッパの歴史、何が出来る訳でもないが被害者へのせめてもの慰みにという解釈は、なるほどただの未開の野蛮人じゃないんだなと非常に納得できました。
「ゔぁいゔぁ〜い」助かる
動物にも法の下での平等、というのはある意味未来すぎる考えなのかもしれない。
遠い将来には「昔の人は動物に権利を認めない野蛮人だった」とか言われるのかも。
というか、下手したら人間よりも動物の方がしっかり弁護されてそう。
そういえば、映画ナポレオンでマリーちゃん実写版出演(違
2003年辺野古地区開発に関してサンフランシスコ連邦地方裁判所で行われた訴訟の原告に沖縄ジュゴンが名を連ねており、
これも動物裁判と言えるかもしれません
熊害に人心が沸騰し対立する昨今、人間だけでなく動物にも法を適用し平等に裁定を行うという営みはともすれば現代よりも理性的な行いかもしれませんね
唯一絶対の神の御許には人類もそれ以外の動物も役割が違うだけで平等という考え方があるのではないでしょうか
こんな思索を巡らす機会を与えてくれてパトマリに感謝!
本で読んだ「神が人間のために作られた動物が人間に危害を加えるなんてありえない!悪魔がとり憑いたか何かだ!」というのはどういう裁判になるんだろう?
人以外の生物に国境線は関係ないのに、外来種と言ってる今もあまり変わってないのかも。
中世の動物裁判=今の有識者会議
我が福井県の消費量が1位の油揚げ&厚揚げを奪うなんて・・・(なお今日の夜は厚揚げの味噌汁でした)
そういえば基本的馬権を主張する学者先生もいらっしゃったなぁ
現代のヨーロッパ人がペットを家族同様に暑かったりヴィーガンになるのも、この当時の動物裁判的世界観が根底にあるのかも。
問答無用でクマとかスズメバチとか退治してる現代のほうが野蛮かもしれん
熊さんにも正当な裁きの場を与えるべき!!って主張するのが出てきそう(・(ェ)・)
人喰い熊🐻を裁判にかける前に犠牲者が増えそう暴れたりして
傍聴席は感情をコントロールできない
ヒス持ちクレーマーがいっぱい居そう
くまさんに弁護士つけて裁判しよう(提案)
@@user-YJSP_810
弁護士が、熊に食い殺される
毛虫を裁判にかけるとはすごいですね。農作物に害を齎したからなのですね。
農民が勝手に毛虫を殺したら、農民が犯罪者として処罰される危険があったのかもしれないですね。
もしもそうならば、西欧の農民というのもなかなか大変ですね。
日照りについて、太陽を召喚したり、船の難波について、嵐や海を召喚したりしなかったとすれば、それはそれで不公平ではないか、法の下の平等に反すると思いますが、身分法の一種かもしれないてすね。
当時の農民はほとんど文盲だから当然訴状を読むことができないし、お金がないから裁判費用も捻出できない。権力者や知識人との繋がりがないから弁護人だって用意できない。
動物裁判はそんな人たちにとって裁判の規則や手順を知るためのお芝居だったのかも知れませんね。仮に自分が何だか恐ろしい裁判というものにかけられても、真っ当に弁護してくれる人がいて場合によっては情状酌量もありうる。立場の弱い人たちにとっての安心材料になったに違いありません。
安心にも不安にもなる事を想像するともう一歩は深い理由があると思います。庶民も貴族にいつ好き勝手に訴えられるかも分からない。人々は状況を自分に有利と考える部分と不利と考える部分があるので受け取り方もどちらかに偏っていた可能性も勿論考えられます。電子タバコを合法にしてる国ではその理由を段階的禁煙を促すと言い、禁止してる国では未喫煙者にとっては段階的本格喫煙に繋げかねないという理由。
・それらの国政府がなぜ禁止したり合法にしたりしたのかの背景、本音
・政府の国民に対する大義名分の違い
・国民の受け取り方
それらは実際に現地に住まないと分かりにくいもの。時代が違ったらもう肌での理解のしようがない。例えば50年前は面識無い男同士はまずタイマン張ってた、ケンカが強い奴がもてて勉強できるかどうかは全く関係無かった感覚は今の人には分かりようが無い。この場合は少なくともヨーロッパに住んだ事がある人でないと正解に近づきにくいです。
国ごとの喫煙率と飲酒率を調べた事がありますが、イスラム圏やミャンマーなど宗教慣習的・権威的な国は飲酒が少なくて喫煙が多い、欧米のように自由がある国では飲酒が多くて喫煙が少ない。サブサハラ(アフリカ中部)ではどちらも少ないのは貧しいからってのは分かるけど、他の地域では酒か煙草どちらかやりたがるのには、これまた昔の男にしか分からないであろう「イキり」があると思います。本来不合理な行動をやって見せる事で生命力の強さを同性にも異性にも誇示する動物として普遍的な心理。
当事者たちの大真面目な振る舞いは
まるで御伽噺を聴いているようだw
歴史って調べれば調べる程、当時の人達が持てる知識と技術とお金を総動員して積み上げたものだと理解できますよね。勿論失敗の選択も、せめてこの知識が有れば…技術が…お…ともなりますがバカだからそういう選択をしたのでなく、止むを得ず選んでしまったと言うのが殆ど。まぁ稀に数人のアホな権力者が反対を押し切って…と言うのもありますけどね
中世キリスト教は、天使信仰が流行しすぎたので対策として「裁判して天使を破門する」とかやってますからねぇ
手続きを重視するのはローマ要素なんでしょうかね。
それでもやっぱりフォークで魚を獲りに行くみたいな目的に対する手段を間違えてる感は拭えない。
やっぱり目的をきちんと見据える事って大事なんだと思いました。
何か「モンティパイソン」のコントにありそうな話だったけど、ふたを開けてみるとちゃんとその時代のルールに則った裁判だったのね
今みたいな「判官びいき」的な裁判じゃなくて良かったよ
真面目かーい、いや面白い話しを聞かせてもらったありがとう
イスラム教が豚を忌避するのは、危険だからって理由もあったのかも
100年後AIによる裁判が一般化され、ゆっくり動画で「100年前は人間による裁判が一般的だったんだぜ」「うわぁ、なんて愚かだったんだ」とネタにされているよ
世の中(人間)の行動原理って、今と変わらないと思うんです。
権力者:裁判までやったんだ。ゴチャゴチャぬかすな。
弁護士:金と名声のためなら、サイ〇パスだって弁護してやんぜ。。。 ちょっと世を拗ねすぎかな?
興味深い話題、有難うございました!
このじゃがいもとかいう植物、聖書に書かれた方法で増えないな・・・悪魔の植物やな、火あぶりの刑で
今みたいに行政がはっきり仕事分業してないから行政手続きが裁判という形になっていたのでは?
ロバの件、飼い主のほうが酷い人間として地域で知られた人だったんじゃ?
人間相手にも無理矢理やってたかも
これ「税の免除や削減の申請」を動物を被告とした裁判で代用したってこと?
盗賊に襲われたから税を払えないと同じ扱い(領主の治安維持義務不履行みたいな話)
あと中世の処女権が結婚税の言い替えだった話の詳細知りたい
ペットの歴史が知りたいです!
害虫や獣に裁判を受ける権利があるのだとしたら、領民がこれらを勝手に駆除したら訴えられる可能性もあると言うことかな…
中世後期に人間と自然の関係性について審議する場が生まれたことは、自然保護思想の萌芽といえるかもしれない
ネズミたちは独自の言語を扱っており、彼らに通告するのに仏語は適当でない。
改めてネズミたちの言語を用いて召喚すべきである。
公正世界仮説の負の面を軽減しようとする試みの一つの気もする。
不運・不幸・天災の類を裁きの対象にすることで、「悪いことをしたから悪いことが起きるのだ」という考えから抜けられる気がする。
日本だと「地震のナマズをやっつける」絵が流行ったりしていたけど、それにも似てる気がした。
動物と決闘裁判を行った事例ってないのかな・・・
アガサクリスティーの作品で「物言わぬ証人」という物がありますが、なんとなく「動物裁判」の影響もあるのではと考えてしまいました。承認が犬なので「物言わない」ので、犯人も特定できないというそんなジレンマを感じさせられるそんな内容の推理小説だったように思います。
好きなチャンネルに福井県名物の「竹田の油あげ」出てきて嬉しくなってもた、、!
心底西洋的で日本人からするとヘンテコな部分もあるけど、筋が通っててイイ!
リクエスト……
このチャンネルの趣旨とは違うかもしれませんが、個人的にWW2時代の芸能事情に少し興味があります。
動物との性的逸脱行為といったら、某北海道漫画のあの人。
私も今まで動物裁判を滑稽なものと見ていたので、考え方が変わりました。盲目的な動物愛護を唱えるつもりはありませんが、最近の野生動物による被害発生→駆除の流れを昔のヨーロッパ人が見たら、「なんて野蛮な」と思うかもしれませんね。
「ヨーロッパ人」から見たら、ですね。
家畜のシステムも、動物の一生を人間の都合で支配するなんて、なんて野蛮な。と、狩猟民族は思うでしょうね
デカルトとかカントみたいに「動物は理性や道徳心ないんやからモノ扱いでええやろ」という発想自体が極論だっただけですしね。
むしろ欧米の方が動物愛護の面では「先んじて」いて、あのナチスですらも動物愛護には熱心だったらしいし、最近の例だと日本による捕鯨が批判されたりしてますね。
動物愛護法成立前の日本だと、デカルトの発想そのまんまで法律が運用されていて、自分のペットを殺傷された場合は器物損壊罪で訴える事が広く行われれていたそうですから(その方が量刑が重かったため)
ちなみに動物愛護法成立のきっかけは神戸連続児童殺傷事件だったとのことで、犯人の酒鬼薔薇は小学生の頃から猫の殺傷を繰り返してたそうですから、「動物をみだりに殺傷するような輩はいずれ矛先が人間にも向くやろ」ということで、モラル崩壊による殺傷事件防止も目的のようです。そういう意味では戦国の気風が未だ残っていて、病気になった人間や動物の遺棄がまん延してた空気を終わらせる目的もあった「生類憐みの令」と似ている面はあるかもしれません。
18:41「とうてい」....合成音声が軽く吹き出してる?
昔NHKの人形劇で岩が裁判だったか尋問にかけられる話あったな
欧州が現代において「先進国」たり得るのに不可欠な成長過程を見ているようでした
表面だけパクった上に自分達の方が霊格が高いと驕ったり、深く知ろうともせず過去や他人の栄光に縋ってる人たちは反省すべき
そんな欧州も今は元気なのはドイツだけ、、、おいたわしや
江戸時代に日本も鐘を流罪にしたりしてますし
ローマのサーカスの役割とか
動物を大事にすることで、人間はさらに大事にするとかね。
日本にも生類憐みの令とかありましたし。
22:32 ここからの地球環境の変化と人々の生活の変化が解説されているおすすめの本を知っている人がいたら教えてもらえませんか?
魔女裁判よりまともに感じますね
ケモナー男のお相手が一匹じゃなくて、大量なの草www
動物を破門にするとは、興味深いですね。破門にされない大多数の動物は、最後の審判で復活を遂げるということなのでしようか。
しかし、領主の飼馬や貴婦人のペットが最後の審判で復活しないとすると、その方が余程不自然ですね。
ただ、気になるのは、動物たち、人間に飼われているわけではない動物も含めて、カトリックの『洗礼』は受けているのか、いない筈です。また、死亡するとき、特に、食用になる家畜も含めて、カトリックによる『臨終の塗油』はされてなかつた筈と思いますが、どうなのでしよう。これでは、最後の審判で復活できるのでしようか?
おもしろい😮
人の法の下での平等というより、神を代弁する教会の下では人も生物も平等、という感覚なのかな?
聖水(駆除剤)だったのでは
もしかすると弁護人の実績作りの側面もあったのかな?
能力を見せるデモンストレーション的な
今の日本で動物裁判あったら「クマは空腹だったから!」「クマの熊権を守れ!」とかで何年もズルズルやって不起訴になりそう