【危険】なぜカルト教会が生まれるのか。根本の理由を解説します。あなたの教会もほおっておくとカルトになるかも……!?
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- เผยแพร่เมื่อ 29 ธ.ค. 2024
- 教会のカルト化が跡を絶ちません。なぜ教会はカルト化してしまうのか。根本の理由を解説します。
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牧仕:小林拓馬
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▼小林拓馬プロフィール
クラウドチャーチ牧仕。1992年長野県生まれ。高校卒業程度認定試験→ 早稲田大学国際教養学部卒。元TBSテレビ報道局政治部記者/news23ディレクター。イスラエル・ハイファ大学のほか、アメリカ、カナダ、韓国、インドネシアにも留学。現在、牧仕業のかたわら、長野県東御市での地域おこしににも携わる。「まったり聖書ラボ」で聖書の話も発信中! ひとりの夫。2児の父。
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※動画内に聖書の言葉が引用されている場合は、特に断りがない限り「聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会」から、著作権法第32条に基づき引用しています。
勝手な憶測で私が都合の悪いコメントを削除しているというウソを書いている方々がいらっしゃいますが、私がそのような健全な議論についてのコメントを削除することはありません。
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承知しました
了解です。お互いにまじめに意見を述べているのですから。
初めまして、浄土真宗の仏教の者です。
クリスマス礼拝の時、近所の教会の兄弟姉妹が異教徒である私も暖かく歓迎で生まれて初めての分厚い聖書と教会を足踏みクリスマス礼拝やキャンドルサービスと賛美歌を感動し、お茶会でキリスト教徒とそうではない人達との交流をしました。
悪名高い新興宗教だけではなく、正式なキリスト教でも日曜礼拝主義とかわかりやすいくらい、聖書は一から読んで理解しないと危ない気がして、ますは仏教であろうがキリスト教であろうが自分の信仰する宗教と自分自信と家族を大事にする事です。
カルトの人たちは自分たちが決してカルト教会とは認識していないかもしれない。
そう、それがカルトの特性で今の時代でも統一教会もエホバもその信者達は自分達がカルトとは思ってはいない、プロテスタント教会も自分達に誤りがある事が認識出来ない、
拓馬さんのような牧仕が現れて本当に良かった。
私は3年くらい前から教会に行くことを止めて、家で聖書の学び会をしたり、インターネットを使って個人に伝道をしています。もちろん献金などもらいません。
仕事をしながらなので大変ですが、止めません。
聖書の表面を軽くなでるような説教しかしない牧師のいる教会、信者を私生活まで支配してくるような牧師のいる教会に行くのはそれだけで時間の無駄です。
信者はみな万人祭司です。
大革命ですね
ほぼ同感です
どうせいままで人間が勝手につくった
システムだから
変えて欲しい!
だからいままで
教会に行けなかった
日曜礼拝主義は、とてもよくわかります。礼拝、伝道会、祈祷会を3公会と言い、それに出席しないクリスチャンは不真面目なクリスチャンとみなされます。厳しすぎる教会はカルトになりやすいですね。
日曜日休めない仕事に就くことも強制ではないですが、禁止されています。
カルト化に注意して教会生活をしたいと思いました。
非常に興味深いテーマでご説明ありがとうございました。カルト教会がどのように生まれるのか、そしてそれがどのような過程を経て危険な形態に発展するのかについての説明は非常に有益でした。新使徒改革派などのニューエイジ的要素とハイブリッドされた宗派が急増している現状について、このテーマは、教会のリーダーシップや信者が注意深く向き合うべき重要な問題を提起していると思います。
ありがとうございます!
ヒエラルキー構造は、非常に心の持ちようが難しいことだと思いました。
尊敬という観点で言うと、「よく指導の任に当たっている長老は、二重に尊敬を受けるにふさわしいとしなさい。(1テモテ5:17)」とありますが、一方で「兄弟愛をもって心から互いに愛し合い、尊敬をもって互いに人を自分よりまさっていると思いなさい。(ロマ12:10)」とあるように、骨折っている人に対して特に尊敬の念を示し、きっと何か手伝ったり、労ったり、そうした事をすべきだとは思うのですが、しかしその長老自身も人を自分よりまさっていると謙遜する事が良いことであり、結局は互いに尊敬し、愛し合うことに終着するのだと思います。そこを世的な尊敬や、上下関係のようなものに、自動的に置き換えてしまうと、様々な不和が生じるのかもしれませんね。
ですがやはり、以前もどれかの動画でコメントさせて頂いたのですが、他の方のコメントへの返信からも感じるように、組織として集まる事自体を否定しているようなニュアンスに感じてしまう部分はあります。クラウドチャーチの集まりも素晴らしいとは思うのですが、圧倒的な組織が生み出す働きというものも確かにあると感じでいます。要するに、転々としている人達ばかりになってしまうと、チームワークや信頼感というものが強まる事は無いと思うのです。パウロがテモテを愛したような、親子のような関係が果たして築かれるのか、着いて行った弟子とイエスのような信頼関係が生まれるのか、考えてしまいます。いや、そういった部分も強制する事なく、自然と生まれる関係や信頼に、それを成される主に委ねているのであれば、それもその通りだと、今書いていて勝手に思いました(笑)
海外在住です。私の町には車で3分から20分以内の範囲におよそ5、60ぐらいの教会があり、大方はプロテスタントです。この4年ぐらいの間、5つの教会にそれぞれ1年前後滞在しました。最近は信者との交流を目的に毎週色々な教会を見て回っています。今のところの結論は、どの教会も拓馬さんが上で語っておられる「カルト条件」に、最低一つは当てはまるということ。それが明解になり、もはや期待しないことにしました。同じ教会に10年、20年といられる人のほうが理解できない。その教会が他と比べて決して正しいとか優れているとかは言えないので、なおさら思います。変化とか成長を目指していないクリスチャンはきっと、護りと保守の体制に入ってるんでしょうね。
まず牧師が軌道を外れていれば自ずと信者も堕落していくので、彼らと接すればその教会の立ち位置がほぼ解ります。
そもそもキリストの昇天以降は「恵みの時代」に入っているわけで、「律法の時代」の十一献金のことにはいっさい触れられていない。それでも大方の教会が自分たちの欲を正当化するために、旧約時代の十一献金を持ち出すことがそもそもカルトだと考えます。教会や牧師の私利私欲を正当化するために、律法の時代の制度を利用すること自体がキリストの道から外れている。でも聖書をきちんと読まない信者はまんまと騙されていくわけです。
ちょっと気になるところが多々ありました。カルトは、聖書の神のみ心から、外れて、人間のやり方だとなりやすいです。トップは神ですから、人間がトップではないのです。教会のそれぞれの役割りはあって当たり前ですね。また、献金を強制するのではなく、自分の心で決めたとおりにしなさいと、コリント二の9章に書いてあります。十分の一献金も試してみなさいと預言書にありますから、神は金額に関係なく、捧げる人を愛してくださいます。要は心ですよ。ただ、指導者がお金集めに夢中になることが、教会をゆがめてしまいます。それから、日曜礼拝が定まってきたのは、イエス様の復活のあとからです。その日を主の日としたのです。しかし、現在は多様な社会ですから、その教会によって、曜日を決めたら良いと思います。そして、礼拝は神のみ言葉を語る場所です。御言葉のメッセージを伝えることは神の御心です。他のことにすり替えてはなりませんね。
これですね
改革、改善しようとする姿勢は全く勧められることですが、ほとんどの現代における一般的な教会を健全なものも含めてカルトに含めてしまうなかなか過激な論調なので、「この世のほとんどの教会は信用できませんよ」という形になってしまい、健全なものさえ乱暴に排除してしまうと総合的な福音の広がりの効率において結果的にかなり阻害される形になると想像できないだろうか
そうなると福音の広がりをないがしろにしながら少ないこの方のやり方に集約してしまう形になってしまうというのが多くの人にとって怪しい印象を与えてしまうのは勿体ない上に非効率なのでは
動画内で心配されることは自然なことですが、例えば聖書はある一点において筋が通っており、一つ一つのみ言葉だけでも鋭いものですが、箇所によっては多くの読み違えをしてしまうものも多いです
また厳密にいえば祭祀と牧師は別のものでしょう
その御言葉や歴史、それにこれまでの教会やイスラエルの民の歩んできた多くの過ちと失敗について精通している者がいなければそれこそ自己解釈に拍車がかかってしまいカルト化の加速の危険性も否定できません
解釈において疑問や納得できないところがあればそれこそ納得できるまで牧師に聞くべきですしその為に遣わされているのですから
ただ現実的に牧師は減少していく一方な状況であり、一人一人の仕事の負担が増えるばかりでこのご時世で牧師になることを決断される方は大したものです
ですからこのご時世ではそういった時間を取るにもお互いの知恵と工夫や計画的な長い時間と祈りがより必要となってくるでしょう
また献金は神様への捧げものでありそれは聖別されて神ご自身の計画の為に有効的に使っていって欲しいと皆願うものであり、その管理においても常に祈りを通して教会員で管理、監視して必要だとされるところへと運用してくものです
この方の言う通りシステムに加わっていくのであればそれに納得した上で運用していくものです
寧ろ教会に通い始めてそれらシステムに不信や不満を持つなどの場合であればそれは進んで問うべきことであり、第三者からの新しい監視の機会として必要なものでしょう
また人が多ければ多いほど負担も減りますし、献金できないという人であっても伝道の為の働きに力を入れるということでも捧げものとして十分なものでしょう
拡大のカタチとしては理にかなっていて力強いものです
十分の一というものもこれそれこそ個人の自由ですが、これは神様の働きの助けとなるように、またそれを通して祝福が広がるように、感謝、献身、祝福、等々生涯を通した神様とのあり方の表れであり、自己の生活において決して無視することのできない大きな割合を捧げることで自身を常に神の御側に、神様を常に自分の心に置くという最も古典的ないわゆる「儀式」というものの一つでしょう
実生活においてクリスチャンとしての振る舞いを維持し続けるということは並大抵のことではありません
御言葉は当時謎だったようなものでも現代では科学的に説明がつくようなものもあり、意味のないことはないと信仰するものですから十分の一も同じでしょう
またカトリックとの対比ですが、そもそもプロテスタントというものがカトリックのあり方を否定して生まれたものであり、カトリックの悪とされるところを除こうとしたものです
そもそも聖書にちゃんと基づいてさえいればこの方の言っている通り、すべては神様の働きと御言葉に遣えるものであってヒエラルキーなんてものは存在しません
ただ保守的だろうが改革派であろうがどのようなシステムであれ問題のある人というのはどの立場においても発生はゼロではありません
牧師においてそのような問題が発見された場合を処理するためなどにも教団の理事などの組織が必要となってくるのでしょう
そもそもが正義感や罪に対する意識が高い人が集まる傾向はありますから互いの監視が可能であればどのような組織であれ腐敗に対する対抗力は他に比べ強いでしょうが、それでもカルトは発生します、特に新興という形で
聖書に書いてある通り異端はこのまま増え続けるとありますので、カルトを抑えることはおそらくできないでしょうが、このように意見をぶつけってお互いに御言葉に基づいているかどうかを指摘しあうということも御言葉にあるように互いに咎め、励まし合いが必要な現象の一つなのでしょう
より合理的で知恵を使った方法を探し続けることは大事であり推奨されることですが、本当に伝道のことを考えるのであればもう少しやり方を考える必要はあるかもしれません
これですね
改革、改善しようとする姿勢は全く勧められることですが、ほとんどの現代における一般的な教会を健全なものも含めてカルトに含めてしまうなかなか過激な論調なので、「この世のほとんどの教会は信用できませんよ」という形になってしまい、健全なものさえ乱.暴に排除してしまうと総合的な福音の広がりの効率において結果的にかなり阻害される形になると想像できないだろうか
そうなると福音の広がりをないがしろにしながら少ないこの方のやり方に集約してしまう形になってしまうというのが多くの人にとって怪しい印象を与えてしまうのは勿体ない上に非効率なのでは
動画内で心配されることは自然なことですが、例えば聖書はある一点において筋が通っており、一つ一つのみ言葉だけでも鋭いものですが、箇所によっては多くの読み違えをしてしまうものも多いです また厳密にいえば祭祀と牧師は別のものでしょう
その御言葉や歴史、それにこれまでの教会やイスラエルの民の歩んできた多くの過ちと失敗について精通している者がいなければそれこそ自己解釈に拍車がかかってしまいカルト化の加速の危険性も否定できません
解釈において疑問や納得できないところがあればそれこそ納得できるまで牧師に聞くべきですしその為に遣わされているのですから
ただ現実的に牧師は減少していく一方な状況であり、一人一人の仕事の負担が増えるばかりでこのご時世で牧師になることを決断される方は大したものです
ですからこのご時世ではそういった時間を取るにもお互いの知恵と工夫や計画的な長い時間と祈りがより必要となってくるでしょう
また献金は神様への捧げものであり、それは聖別されて神ご自身の計画の為に有効的に使っていって欲しいと皆願うものであり、その管理においても常に祈りを通して教会員で管理、監視して必要だとされるところへと運用してくものです
この方の言う通りシステムに加わっていくのであればそれに納得した上で運用していくものです
寧ろ教会に通い始めてそれらシステムに不信や不満を持つなどの場合であればそれは進んで問うべきことであり、第三者からの新しい監視の機会として必要なものでしょう
また人が多ければ多いほど負担も減りますし、献金できないという人であっても伝道の為の働きに力を入れるということでも捧げものとして十分なものでしょう
拡大のカタチとしては理にかなっていて力強いものです
十分の一というものもこれそれこそ個人の自由ですが、これは神様の働きの助けとなるように、またそれを通して祝福が広がるように、感謝、献身、祝福、等々生涯を通した神様とのあり方の表れであり、自己の生活において決して無視することのできない大きな割合を捧げることで自身を常に神の御側に、神様を常に自分の心に置くという最も古典的ないわゆる「儀式」というものの一つでしょう
実生活においてクリスチャンとしての振る舞いを維持し続けるということは並大抵のことではありません
御言葉は当時謎だったようなものでも現代では科学的に説明がつくようなものもあり、意味のないことはないと信仰するものですから十分の一も同じでしょう
またカトリックとの対比ですが、そもそもプロテスタントというものがカトリックのあり方を否定して生まれたものであり、カトリックの悪とされるところを除こうとしたものです そもそも聖書にちゃんと基づいてさえいればこの方の言っている通り、すべては神様の働きと御言葉に遣えるものであってヒエラルキーなんてものは存在しません
ただ保守的だろうが改革派であろうがどのようなシステムであれ問題のある人というのはどの立場においても発生はゼロではありません
牧師においてそのような問題が発見された場合を処理するためなどにも教団の理事などの組織が必要となってくるのでしょう
そもそもが正義感や罪に対する意識が高い人が集まる傾向はありますから互いの監視が可能であればどのような組織であれ腐敗に対する対抗力は他に比べ強いでしょうが、それでもカルトは発生します、特に新興という形で
聖書に書いてある通り異端はこのまま増え続けるとありますので、カルトを抑えることはおそらくできないでしょうが、このように意見をぶつけってお互いに御言葉に基づいているかどうかを指摘しあうということも御言葉にあるように互いに咎め、励まし合いが必要な現象の一つなのでしょう
より合理的で知恵を使った方法を探し続けることは大事であり推奨されることですが、本当に伝道のことを考えるのであればもう少しやり方を考える必要はあるかもしれません
素晴らしい!個人的とてもいいと思います。
キリスト教全体に存在する問題であると感じてました。
不健全な教会、、一見してわからないしレベルも様々と思う。牧師、指導者も初めからそうではなく徐々に不健全な関わりとなっていくと実感している。私も信徒と言う名前にとても違和感を感じてきた。聖霊が内住している者にとって、ポジティブなものでもネガティブなものであっても、、ネーミングは知らないうちに脳にインプットされ実体となっていくと思う。、、本来の自分は「神の子」とされたはず、なのに、、本来は「イエスの信徒の意?」のはずが、、「牧師の信徒」と脳の中ですり替えが起こり、、「牧師の信徒」というアイデンティティとなってしまったと自覚している。
牧師を先生と呼ぶ内に、信徒の身分である自身と、先生と言われる牧師との間に、知らず知らずのうちに身分の差ができていたと思う。徐々に牧師も信徒も錯覚していくと思う。この世の組織システム同様、当然の現象と思う。
だから神の教会には組織システムは危険なのだとイエス様は警告されたと思う。
健全な教会しか知らない方には多分、不健全な教会の現状は理解できないと思う。牧師、指導者も、神様の御心のため献身して行っているという自覚があるから、気づく事は難しいと思う。タブーとされてきた事、私のように教会のあり方に疑問を感じたりする事自体が悪、不信仰と思われ、また自身もそのように感じていた事で、人生の多くの部分を苦しむ時間となった。長い年月、この疑問、葛藤、苦みを共有したり考えたりする場を祈り求めてきた。
善か悪か?と糾弾し合う場ではなく、今までタブーとされてきた事を多くの人々が考える良い機会と受け取っています。
イエス様の十字架と復活は、善悪の知識の木から、いのちの木へとアップデートされて
生きるようにされた。教会生活は苦しむ場ではなく、
神様を喜び、感謝して幸いな生活を送るようにと召し出された者であったと、自身の回復の途上にある事を主に感謝!
拓馬さんや、他にもこのような発信をされる
方々の存在は神様によって召し出されたのだと、ただ主に感謝している。
終わりの時代の今、黙示録2障3章の7つの教会に宛てられたイエス様からの手紙の重みを実感しています。
始めまして、貴方様の御意見に全く同感です❗️
本当に体験した方でないとですね。
励まされました。感謝です。😊
クラウドチャーチでは、洗礼式とか聖餐式は、実際どのように行なっているのですか?それは誰が司式するのですか?
以前通っていたアメリカの小さなカリスマ派の教会では、週3回の礼拝/祈祷会の度に献金をまるで"魚の競り"の様に "ハイ、じゃあ今日500ドル出せる人~?🙋♂️ 400ドル?200ドルは~?"と段々値段を下げていき、たまにどこからか中古のコンピューター等を持って来て "これを300ドルで買える人~?"とかやっていました(お説教の時間よりも献金の時間の方がいつも長かったです) 低所得者の人達が多い地域だったので、教会を維持するのが大変なのは分かりますが、献金が少ない週だと、教会のリーダーをみんなの前に立たせて "リーダーからちゃんと献金しないとみんながついて来ないでしょ!😡"と耳を真っ赤にして泣きそうになっているリーダーを30分くらい攻め立てていました...(彼は一生懸命に働いてギリギリの給料で家族を養っていました...彼は仕事に使う車のガソリン代を払うのもやっとの状況でした...🥺) そこまでしてまで教会の建物を維持する必要はないですよね~!でもこの牧師は、プール付きの大きな家に住んでいましたよ。まさに"羊を食い物にして肥え太ったオオカミ"そのものでした!私がその教会を出る時もすごく怖い思いをしました。完全にカルト教会でした。今はその教会の建物自体が解体されて別の建物が建っています。イエス様が"宮清め"をして下さったのでしょう。
こんにちは。
人が集まる場所は、無いより有った方がいいですし、そこに行けば牧師や他の誰かと語れると言うのも悟りに繋がったりするので、建物の存在は意義があると思います。
当然、教会運営は、ある程度の費用がかかりますし、優秀な牧師に育って貰う事は、兄弟姉妹の(悟りの為に)益になりますから、牧師の生活を支えるのも大事。その費用として、献金は不可欠です。
ですが、それとカルトは別問題と思います。
カルト化する教会は、牧師達が聖書(神様)の教えを第一にせず、人間の考えを第一にした信仰を行っている事が原因だと思います。
意見が分かれる時は、神様の教えが正しい。(この世の被造物を全部造られた能力の持ち主ですからね)
人間の考えを第一にした信仰では、聖書の教えが正しく理解出来ないので、いつの間にか罪を増やしている事にも気付かず、その罪にサタンが寄ってきてサタンに身体を乗っ取られ、サタンの技を行いカルト化して行くと思います。
つまり、罪が人間をサタンにしてしまうのです。
逆に、罪を作らず清くなる努力をしていると、やがてキリストの身体に作り変えられます。聖書では、「キリストを着る」と言う言い方をしていますよね。
だから、聖書にはあれをしてはいけない、これは罪だと沢山の罪が書かれているのです。
クリスチャンは罪がない、リセットされたんだと言い張る牧師も居ますが、傲慢だと思います。
人は、クリスチャンであっても無くても知らず知らずのうちに罪を犯したりしています。無知の罪もありますからね。
一番弟子のペトロも、イエスに「サタンよ去れ」と言われた事がありました。
あの時、ペトロに罪が有ったので、ペトロの身体にサタンが入りサタンの技を行ったのです。
イエスを裏切ったイスカリオテのユダに至っては、メシアを売ると言う大きな罪を犯したので、死ぬまでサタンにその身体を乗っ取られていたのではと思います。
聖書にも書かれている様に、サタンはこの世に存在しています。
《ルカによる福音書 10章》
18イエスは言われた。「わたしは、サタンが稲妻のように天から落ちるのを見ていた。
サタンが居る事に気付いていないクリスチャンが余りに多すぎると思います。
神様も居ますし、サタンも居ます。だから、カルト化する教会もあるのです。
と言うわけで、神様(聖書)の教えを第一とせず人間の俗的な考えを第一にする主流派は、罪を犯しても罪と気づかないのでサタンにやられ易い教会。カルト化しやすい教会と言えると思います。
例えば、主流派から出て来たエキュメニカル派。
全ての宗教をごちゃ混ぜにしてひとつに統一しようとする宗教界の「バベルの塔」を作る運動を展開。これ、サタンの技です。
エキュメニカル派の代表・カトリックの司祭達が、神様が嫌う同性愛の餌食として多くの少年達を襲ってきた事がニュースにも出てバレましたよね。彼らは、長年ジャニーズ事務所と同じ事をしてきたのです。
これ、反社会的行為ですしカルトです。
これまでバレなかったのは、権力とお金の力を使い悪い噂に蓋をしてきたからと思います。
因みに、統一教会や日本基督教団、創価学会、大本教もエキュメニカル派です。
世界は、サタン(人間サタンも)が牛耳っています。
聖書にもそれが書かれていますよね。
《ルカによる福音書 4章》
5更に、悪魔はイエスを高く引き上げ、一瞬のうちに世界のすべての国々を見せた。
6そして悪魔は言った。「この国々の一切の権力と繁栄とを与えよう。それはわたしに任されていて、これと思う人に与えることができるからだ。
長文、失礼致しました。
大賛成です👍👍👍
組織を維持するには、仕方がないと思う反面、その行為が信仰が進んだ深まったと言う意味にはならないよね、と思いました。
兄弟、カルトぬんぬんもいいと思うが
聖書によると最後教会はラオデキヤになると予言している
カルト化はラオデキヤの特徴の一端でしかない
「冷たくもなく熱くもない」「自分は富んでいる、富める者となった」あと割愛。
昨今の教会は宗教でしかないかと!
わたしたちはキリスト教を信じたのではなく
主イエス・キリストの中へと信じることだと
聖書は語っています。
今晩は、拓馬さん あらら 相当大胆な発言をなされましたね。確かに今の教会はおっしゃっておられる矛盾点を抱えながら集まって入る方々は多いと思います。でも、教会主義の羊さんに蹴飛ばされそうな内容でしたね。でも、教会のカルト化問題は本当に見直されなければいけない問題だと思いました。マザーテレサが言っていた言葉を思い出しましたよ。人は3人集まれば組織を作りたがると
久しぶりに来てみましたが、、、
同意できるところと同意できないところがあると感じました。
行く教会は基本的には1つにするべきです。
こちらにアーメンです。
そうでなければ、どうやって教会というキリストの体に、責任を持ってコミットしていくのでしょうか。
いつもお客さん感覚で教会に行けばよいということですね?
現在は、イエス・キリストが肉体を持っておられる時代ではありませんから、直接イエス・キリストに奉仕することはできません。
となると、キリストの体である教会を建て上げることによって、神様の恵みに応えることになります。
また、パウロたちの時代にあっても、宣教は教会を建てることによって、なされていきました。
そのあり方を考える時、その地方教会に徹底的にコミットしている信徒がいなかったという事はありえないとわかると思います。
初代教会のすべての教会は、教会籍はなくとも、それぞれの地域協会に、それぞれの信徒はしっかりと根付いていた記録があります。
いつも、転々としていたなどという記録は絶対に存在しません。
今日はA教会、来週はB教会、来週はC教会、これがエクレシアというのは、ちょっと小林さんのなさっている働きに、都合よく解釈しすぎですね。
もちろん人間ですから、自分自分の働きに都合よく解釈する事は、当然起こり得ることかと思いますが。
ヒエラルキーの問題や、極端なマイチャーチ主義の問題については、同意できます。
ただ、やはり、今週はこの教会、来週はあちらの教会ということには、キリスト教会の発展よりも、むしろ衰退を促すことになるとしか思えませんが、いかがでしょうか。
この辺は、小林さんご自身が、信徒時代に本当に教会の兄弟姉妹に支えられ、教会を自らの人生に必要なものとして愛して、その一員となった経験がない故の言葉と思ってしまいました。
(あくまで私がそう感じただけです。)
あと、終盤でおっしゃっておりました、健全な関係を保持するために、外から献金を集めるという話ですが、それこそ聖書のどこにそのような表記があるのでしょうか。
斬新で、今の時代の方々には受けるようにも感じましたが、少々聖書よりビジネスの世界の知恵を取り入れすぎではないでしょうか。
それならば、既存の教会の献金のあり方の方が、はるかに聖書的に感じますが。
やはり少々飛躍しすぎて、小林さんの都合に良くなりすぎていませんか。
自分の所属して、お世話になっている教会に、捧げることの方が自然だと思いました。
また、パウロ自身が、言っている事は、専業牧師が、その働きの対価として、給料をもらう事は当たり前であると書いています。
また、パウロは確かにテントメーカーをしましたが、当然のようにローマ市民である資産家です。
彼は、自分の食い扶持は、自分の資産で補うことができていました。
完璧な教会と言うものは存在しませんが、このシステムで、カルト化などせず、主に喜ばれる働きをしている教会も数多くありますから、そのことを重ね重ね伝えながら、問題の指摘をされると良いのかもしれません。
今回の動画は、見る人によっては、このシステムで健全に運営されている教会にせっかく足を運んでも、その健全な教会をカルトだと断定してしまって、救われなくなる人もいると感じました。
人間は基本的には独善的だと思いますが、せっかく健全に機能している教会に足を運ぶ人が、つまずくような極端な言い方は避けたほうがよろしいと思います。
あと、小林さんのおっしゃっている、お金のかかるシステムの見直し、会堂を本当に必要とするかなどは、地域性や、集まる人々の年齢など様々考慮しつつ、これからの教会は本当に考えるべきだとは思っています。
こんばんは! 教会堂、ハウスチャーチ、公民館など・・・、物理的な建築物である、”箱”の話は重要ではないと思います。
「キリストの体は教会」はその通りと理解してますが、私たちキリスト者は聖霊によってバプテスマを受け、キリストという教会に接ぎ木され一体化しました。
キリストと一体化された我々人間が集う(教会=エクレシア)箱は、個人の好みの問題で自由であるべきと考えます。毎週通う箱に集う兄弟姉妹が好きだから1つにすべし、も尊重しますし、能動的に行きたい箱が2つ、3つあれば週代わりで通うことは普通にありだと思いますよ。また、どうも箱は・・?という方は集わなくてもオンラインの集いもいいですね。
「ひとつだけの組織的教会に責任を持ってコミットしていくべき」って聖書のどこに書いてありますか?
おっしゃっているような「キリストの体」たる聖書時代のエクレシアは、その地域にいた信者の集まり全体を指すものであり、現代の「○○キリスト教会」などといった組織的地域教会を指すものではありません。
私たちは「日本のエクレシア」「関東のエクレシア」「長野のエクレシア」などであり、○○教会という組織的教会はただのハコにすぎません。いろいろな組織教会の方々とのつながりこそが、キリストの体なのです。
コメントありがとうございます。誤解する方もいると思うのですが、私は「エクレシアはキリストの体」であると思っています。ただそのエクレシアは、現代のキリスト教会のような個別具体的な組織的教会とは異なるというのが私の認識です。「日本のエクレシア」として、つながっていけばいいんじゃないでしょうか。
@@ura.cloudchurch
聖書はそれを書くまでもなく、そうであったという現状があると、それを教えとしてわざわざ書かないという側面があるのをご存知だと思います。
当時の初代教会は、それは語る必要もなく、その状態だったということがあります。
あと、私も質問いたしました、小林さんのおっしゃった、外から献金を集める方法の根拠を聖書的に示してください。
>行く教会は基本的には1つにするべきです。
こちらにアーメンです。
>そうでなければ、どうやって教会というキリストの体に、責任を持ってコミットしていくのでしょうか。
いつもお客さん感覚で教会に行けばよいということですね?
これの根本的問題は、『行く場所を絞るかどうか…なのでしょうか?』 👈私はロードさんのご意見お聞きして、んー?と首を傾げました。
あくまで私見ですが、『一人一人の教会に対する気持ち』の問題だと推測します。何箇所行ったとしても、お客さん感覚でなければ問題ないですから…。
逆に一箇所でも、お客さん感覚で行ってるなら…。
*ここが、結婚(LGBT問題に関わる部分)と異なる部分です。`結婚` は `性的行為` と対になっていますが … `複数の教会と関わること` と `お客さん感覚で協会に行くこと` は対になっていません。 👈`このような思い込み=認知の歪み`といいます
>現在は、イエス・キリストが肉体を持っておられる時代ではありませんから、直接イエス・キリストに奉仕することはできません。
となると、キリストの体である教会を建て上げることによって、神様の恵みに応えることになります。
確かに、教会を建て上げることも神の喜ぶ働きの一つだと思います。ですが、それだけが神の喜ぶ働きですか?
小林さんの仰るやり方も、神の喜ぶ働きかもしれませんよね…。
・ロードさんの意見は、否定しません
・ですが、ロードさんの思い込み[認知の歪み]は否定させて頂きます
>あと、終盤でおっしゃっておりました、健全な関係を保持するために、外から献金を集めるという話ですが、それこそ聖書のどこにそのような表記があるのでしょうか。
斬新で、今の時代の方々には受けるようにも感じましたが、少々聖書よりビジネスの世界の知恵を取り入れすぎではないでしょうか。
それならば、既存の教会の献金のあり方の方が、はるかに聖書的に感じますが。
>やはり少々飛躍しすぎて、小林さんの都合に良くなりすぎていませんか。
外から献金を集めるのが正しい…とは書かれてませんね(汗)。ですが、内から集めるのが `正しい` とも書かれてません。
「少々飛躍しすぎて、都合いいよね」という部分には賛同します。なので、やりたい人は参考にして下さいがいいのかなと思います。 👈言い切る言い方は、裏小林流なのかもしれませんね(汗)。実際、リアルに話す時は「参考にして下さい」程度の言い方です。どちらが神の喜ぶ姿なのか、私には分からないので…【私は、(分かるまで)見守っています】。
>完璧な教会と言うものは存在しませんが、このシステムで、カルト化などせず、主に喜ばれる働きをしている教会も数多くありますから、そのことを重ね重ね伝えながら、問題の指摘をされると良いのかもしれません。
>今回の動画は、見る人によっては、このシステムで健全に運営されている教会にせっかく足を運んでも、その健全な教会をカルトだと断定してしまって、救われなくなる人もいると感じました。
>人間は基本的には独善的だと思いますが、せっかく健全に機能している教会に足を運ぶ人が、つまずくような極端な言い方は避けたほうがよろしいと思います。
このやり方で上手く言ってる教会が多くあるのは事実ですね。なので、この部分については、ロードさんに賛同いたします。
人に躓きを与えるのは、神の喜ぶことでは有りませんね…。確かに、躓きにならないよう気を付けて頂く必要はあるのかもですね…。
>あと、小林さんのおっしゃっている、お金のかかるシステムの見直し、会堂を本当に必要とするかなどは、地域性や、集まる人々の年齢など様々考慮しつつ、これからの教会は本当に考えるべきだとは思っています。
そうですね(汗)。
今の教会は組織化してるところもあります。
クラウドチャーチはこれからのクリスチャンにとっての原点って言えるでしょう。
私自身も賛成しています。
一定、検討する部分はあると思います。しかし、この方式で、聖書を学んだ方が、聖書理解をできるかどうかが不安です。
ほとんどカルトだわ、だから、行かないんだわ
ヒエラルキースタイルなくならないかなぁと切に思う。
せめて同じ人ばかりが役員に選ばれるのではなく一年ずつみんながやるとか。
礼拝も必要なものだけをシンプルにとか出来ないかなぁ。
どんどん手間で面倒くさく派手になっていっているような気がする。
休みに行くより疲れちゃう。
みんな月曜日から仕事や家庭でも忙しいしね。
心身がタフな人しか行けないよ。
今回も幸いなメッセージでした。ありがとうございました。
「私は“キリスト教”から救われました」とキリスト教徒の友人に話したら凄く嫌な顔されました。
拓馬さん、、なんか大変ですね、、😢
この動画の1番伝えたい本質が伝わってない方々が多くて残念です。。
拓馬さんは当たり前の話をしているし異教から来た習慣や伝統に捉われた教会から離れて本来のエクレシアに戻りイエス様から離れないようにって拓馬さんはずーーーっと以前から同じこと言ってます。
拓馬さんは幅広い提案をしてくれてると思います。〇〇してみてはどうでしょうか?〇〇がいいと思います。
自分の動画で自分の考えを述べる、とてもシンプル!!
牧師のニーズと人々のニーズが合わないのが、カルトになりやすいのではないかです。牧師は教会員を増やしたい、献金をたくさん集めたい。このニーズを満たしたいと思うと牧師はマインドコントロールをしたいと思うのですね。
長老=シンプルに"おじいさん"👍話変わりすぎて失礼な質問ですが、たくまさんのメイン収入は?
動画で話しているように細かな仕事などを組み合わせているのがメイン収入です。あと普通に人の収入事情を聞くのは失礼です。
私の言っていた教会は、教会堂代は2億円。
今は返し終わりましたが。
その教会堂は、教会の知り合いのクリスちゃんの方から買いました。不動産屋さんを通さず。無理に押し付けられた感じです。
また、牧師給料は、75万円です。
自分のコメントに頂いたコメントに、コメントしようと思って、、もう一つの(自分のコメントに対するコメントのない方)で試しに操作していたら(やり方がわからず)、、誤って違うところをクリックしたようでコメントが消えてしまったのか、見当たらなくなってしまいました。消してしまったのが自分のコメントでホッとしました。
この場で自分の思いや考えを共有できて、
同じ思いでいてくださる方のコメントを読ませて頂きとても励まされました。ハレルヤ!
感謝。
カルト運営組織
ピラミッド構造・・・ローマカソリック!
個人宅に集まるのはいいですね
カトリックで洗礼を受けた者ですが、コロナ禍以降は1回くらいしか教会に行っていません。
カトリックがカルトのそもそもの元凶なら、私も異端なのでしょうか?
洗礼を受け直した方が良いのでしょうか?
もしjasmineさんがイエスをキリストとして救い主として信じ受け入れ、イエス様があなたの罪のために十字架につけられて死なれ、あなたを永遠のいのちに生かすために死者の中から甦って下さったと信じるなら、そして再び私たちを迎えるために天から戻って来られると信じておられるなら、jasmineさんは確かにイエス様によって救われていますよ。
後は、兄弟姉妹を赦し、日々愛を持って生きていけば、確かに主の救いはjasmineさんの中に成就すると信じます。
洗礼は、上記の信仰を神と人の前に公に宣言する儀式です。本当の洗礼は、水の後に来ます。聖霊と火の洗礼(バプテスマ)がそれに続きます。
主の祝福がjasmineさんの上にありますように。
大丈夫です
私もカトリックです
プロテスタントの様々な問題にうんざりしてカトリックにかわる方々もおられます
プロテスタントの方々が批判する幼児洗礼授けられた方が
50年後に教会に戻って来たりします。
プロテスタントの方々が勝手に想像してる以上にカトリックは自由があります
カトリック、プロテスタントとかのくくりではなくキリスト者としてどうかが問われるべきでしょう
日本FEBCとか検索して聴いてみてもよいですよ
カトリック、プロテスタント、正教会など超教派の神父牧師、司祭、修道士の方々の話しも聞けますし無料の聖書講座の受講もできますし
質問などにも答えて下さいます。
心の平安が得られますよ。
私は今はそちらは聴いてないですが受洗後よく聴いてました。
カトリック教会他の地域にある教会はまた違った雰囲気だったりするので遠くても隣の市の教会にミサに行ったりとかできますから
可能なら行ってみてもよいですよ。神父も様々な方がおられます。
いろいろ学んでみて違うと思ったら教会かわるなりすればよろしいかと。
私は変わろかと思った事は何度もありますがとどまってます。
プロテスタントの他教会への批判に辟易して😅
たくま様
言えていますが、
元より、我々は世間一般の 組織 に そうしたヒエラルキー的側面が有ると経験していると思いますが。
カソリック教会の体質を引き継いだ云々 以外に
人の集まりって、どうしてもそうなりがちなのでは?
そこを指摘されているのがイエスさまの言葉に有ると思います。
ありがとうございます!