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35年経っても…プロで打者水野は観てみたかった打者転向を一番期待したし、インパクトは当時最高の選手です
一昨年の夏、高知のよさこいから徳島の阿波踊りに向かう途中、池田高校の近くに宿をとりました。「こんなところから池田ナインは来ていたのか!」と驚き、その偉大さに改めて胸を打たれました。
荒木、石井、水野共にプロで日本一メンバーなのも凄いですね。
後にプロ野球で沢村賞・日本シリーズMVPを獲得した石井丈裕さんが荒木大輔さんの控えだったんですよね。そして荒木さんも石井さんも1992・1993年のヤクルト対西武の日本シリーズで複数回先発投手を任されてますね。これも凄いことです。
畠山も
蔦監督の「1、2の3で打てばええんじゃ!」が聞こえてくる様な光景ですね。
この当時に二本もスタンドに入れた水野は凄いな。あと、滅多打ちにされたけど、荒木のストレートもカーブも高校生としては一級品だなぁ。
荒木大輔さん(現在日本ハム二軍監督)がテレビで言ってましたけど、両校の選手は年に一度集まって同窓会をしているそうです。
水野のバッティング。物凄いパワフル。
″攻めダルマ″の蔦監督が作り上げた究極のチームで、しかも恐るべし破壊力!
早実の荒木は1年生デビュー時が一番良かった。あと早実二塁の小沢もいい選手だったなぁ😊
早稲田実業の荒木も石井も球が切れてるのに、それを強引に打ち返す水野のパワーが凄いですね。これは高校野球じゃありません。甲子園が超満員になる筈ですね。
これは筋トレキメてますわ
荒木は立ち投げだから球威ない
この試合、大学一年の時、一塁側で友達とともに観戦していました。たしか江上、水野が打ちまくって非常に驚いたのを覚えています。
やまびこ打線懐かしい。プロになる荒木、石井から最終的に14点取る打線て凄いな。池田高校~PL学園の時代は漫画みたいだった。
1979年の箕島、1980年~1982年の早実絡みも漫画ですよね。1985年のPLまでずっと漫画でした。
水野と桑田は、バッターの姿をプロで見たかった選手。
野手な
清原ピッチャー、桑田野手でも行けた気がする
@@user-ls6wm7gs1p 甲子園では、ピッチャー清原は2度ほど見れましたね。そのうちの1度は、我が県代表の浜松商業戦でしたね。
甲子園じゃないけど、井端はいわく、岩瀬はバッターでも名球会いけたらしい
高校野球を見始めました頃が、映像の頃になりますので全てが懐かしいと思います。この頃の金属バットの打球音が、一番高校野球らしいと思います。
荒木からホームランを打ち主役になっていく水野も桑田にホームランを打たれ破れ去る・・美しい流れだ
当時小6バックネット裏で観戦。初めての甲子園球場だった。
愛甲金村荒木水野桑田清原 この数年が濃かった
ですよね。付け加えるならばそれ以前のサッシー酒井、バンビ坂本、牛島・香川の浪商バッテリーなどキャラの立った選手が目白押しでしたよね。毎年楽しみだった。
中京の野中投手もよかったです。82年は三振とれる勢いあり、83年も池田🆚中京は熱戦でしたね☺️
あと、逆転のPL西田木戸のバッテリー、球道君の高知商中西なんかも印象的でしたね。
あと79年の箕島石井、嶋田も。
2本目のホームランを打った投手は、西武に入った石井丈裕選手ですね。荒木選手と同学年で、社会人になってから注目された人ですね。これは貴重な動画。ありがとうございます。
ある意味、高校野球の概念が大きく変わった試合でした。
島村俊治さんの実況懐かしい!
蔦監督が後年、畠山、水野のいた時代を振り返り「あの頃勝てたんは、ええ選手が揃っていたこともあるけど、うちが他がやらなかった練習を先駆けてやったからや。でもうちが結果を出すと資金力のある私立がうちのやり方を取り入れようになる、それで逆にうちが太刀打ち出来んようになった。」とおっしゃってました。春のセンバツで優勝したあと本を出版したり講演で全国をまわったことを批判する声も当時ありましたが、野球部の活動資金を集めるための活動の一環であり、決して金儲けが目的ではありませんでした。
水野は2年時のこのイメージが強いから、投手より打者になると思ったし成功すると思っていた。
現在、朝日新聞でこの試合についての連載を行っていますが、昨日と今日が水野ののホ-ムランの場面。まさか映像で見れるとは思いませんでした。アップに感謝、感謝。
この満塁ホームランの後、もう一度荒木が再登板したけどまた滅多打ちされてた金属音が耳に残っていますね😨 最後の夏にこんなに打たれるとは……
それが人生だよ。
我らが池高 感動をありがとう。池高の活躍は今はもう昔ですね。でもこのころの高校野球は面白かったですね。田舎のチームが大都会のチームに勝つのですから。
畠山、水野大先輩ですが、池高母校です。。あんな山間の小さな町からこんな爆発的なチームが生まれたのは今でも信じられないですねほんと山に挟まれてますから、やまびこ打線いいネーミングだと思います。校歌も母校ながら好きですね笑 残念ながらこのようなチームを見ることはもうないと思います、、、
諦めるのはまだ早い!全国に池高のファンがいます^^個人的に取手二高と池高は選手もよかったが校歌も神!!
外のボール球を踏み込んでセンターバックスクリーンとかw 水野ハンパねぇー!
水野さん、詰まってたと言いつつバックスクリーン左へのホームランはすごかった、生観戦してました
バックスクリーン時のベース回る馬力ある走力も圧巻
今でも水野のプロ選手としての消化不良感は残念でならない💦
同感。何で投手で入ったんだろう?ぶっちゃけ投手としては並だったから、先輩の畠山みたいに早々に見切り付けて打者に転向していればまだまだ現役張れたと思う。そうさせなかったコーチ陣もカスだな。
やっぱり荒木凄かったー今見てもしびれます😆😆
荒木はいい球投げてるのになあ。それを打ち崩す池田はホント凄い。
荒木は1、2年生時が甲子園ではよかったように思えた三年生は球威が無いなあと素人ながら思った
@@只野仁-o1v水野も二年のほうが良かったね。三年になって責任がのしかかってのじゃないかな。
水野はプロで打者になるべきだった。
オールスターで代打でサヨナラ打を打ったのが印象的❤
自宅から学校までの途中にあった自動車修理工場からラジオの実況中継が聞こえてた。今は地元の代表が試合しててもどっからも聞こえてこない。ちょっと寂しい。
高校野球では、池田高校が一番好き。蔦監督、攻めだるま。やまびこ打線。水野は、打者でプロ入りするべきだった。この時代の高校野球が一番面白かったな。箕島~ドカベン香川~荒木大輔~池田~桑田、清原
荒木、石井。ローテーションピッチャー2人もいたのですね。それを完全に打ち崩した水野は凄かった。プロでバッターだったらどのくらい活躍しただろうか?
印象に残る、江上水野
荒木さんはこの時の経験が活きたから、85年の猛虎打線は怖く感じなかったそうですよ。
そうですネッ!野球は負けて何かを得るってスポーツです~⚾😔
桑田と違うタイプの野球センスを感じます☺水野❗
荒木を水野が打ち崩し、その水野は桑田に・・このころの高校野球は楽しかったな~。
sibakinkin まさしくリアル高校生(荒木と同学年)の時観ていたのでこの試合は衝撃的だったなぁ。そして、この無敵と思われた池田がまさかPLに粉砕されるとは・・・楽しい、というよりどこか茫然として画面に見入ってました。
楽しくもあり、ショッキングでしたね。前年度のスーパースターが次々と滅多打ちに遭うなんて思いもしませんでしたからね。
taka12391967 かつて、優秀な選手揃いなのに、なかなか頂点に立てず、準決 決勝と連続大逆転勝ちで壁を破ったPL、春3回のVに比べて、夏は8強すらなく、星稜との球史に残る延長18回戦で、2度の死線を乗り越えてベスト8への壁を破り、そのままその夏を制した箕島。過去に強豪チームが、難攻不落の壁を破り、その後の悲願達成に繋げた試合は、どれも類を見ない名勝負でしたが、この年の池田も、早実という好敵手相手に、記録的な猛打戦と能力の高い投手力が噛み合い、粉砕して圧勝したこの試合は、PL 箕島と同じく、四国勢唯一の、夏の優勝無しの徳島県勢の呪縛の壁を破り、見事、県勢悲願の初優勝に繋げた、高校野球史に残る試合だと思います。
その後水野は肩を痛めて大して活躍できずに若くして引退・・・それで今の若い子に「水野なんか」とか言われるのが悔しい。 当時はPLvs池田ってのが甲子園の最大のライバル対決で凄い盛り上がりだった・・・水野の投球は桑田に劣ってなかったんだよ。 あの頭へのデッドボールが無ければ・・・それも今や語る人も少なくなった・・・悲あの試合、水野も完璧にPL打線を抑え込んでどうなるか解らなかったのに、あのデッドボールの後にフラフラして「投げれるか?」とか何度も確認される中での強行出場で、次の回に明らかに球威もコントロールもおかしくなって打たれた。池田の人気は凄かったから、その後、数年は「あの日、調子が良かった水野にコントロールの良い桑田が当てるはずない。 狙われたんだ」とかなってたなぁ・・・「あのデッドボールが無かったら」を見たかった。 最高のライバル対決だったのに・・・
@@石元正志-m9g しかし、ツーリングで大歩危小歩危行ったりするけど、あのくっっっそど田舎からでも甲子園で優勝する凄いチームを作ることが出来る事に時代を感じますね(^.^;まだ、筋トレとかあまりしてなかった時代にすぐに池田はとりいれたり。今はネットですぐだからなぁ。
この年、水野は2年で背番号9でレフトを守ってたと思います😃
後期団塊ジュニア世代の僕にしてみれば、桑田清原時代から高校野球を見始めた。だから水野は伝説。うわさには聞いていたけど、迫力がすごいね。
荒木が打たれた後に映る荒木ファンの女子たち…この試合は歓声よりも悲鳴のほうがよく聞こえた。
プロ通算勝利では荒木大輔(39勝)水野(39勝)と奇しくも同じで、エース荒木の控えで登板した石井丈裕(68勝)が1番プロでは成功したと言えそう。しかも高卒入団の2人に対して大学、社会人を経歴して24歳でプロ入りだから尚更。
翌春の選抜に登場した水野に帝京のピッチャーとか完全にびびってたもんな。
蔦監督は、とにかくおもいっきり飛ばせ!と指導してたんだよね。
あれが池田高校野球のやまびこ打線ですね。これが、蔦監督のめざしていた野球ですね。やはり今見ても鳥肌が立ちます。
あの監督の采配ってのは 細かい指示はなくて 「打って 打って 打ちまくるんや!」です
荒木カッコいいなぁ。アウトローのカーブとストレートのコントロール半端ない
バックスクリーン横に、ラッキーゾーン越えの打球。こんなの当時のプロでも無かった。
荒木大輔は速球派だったんだな。ストレート結構速い。ドラフトで巨人が1位指名するわけだ。
え!?荒木は高校1年生から140㎞出てましたよ当時の140㎞だから今のガンなら多分140後半出てました
え?荒木は1年の時は力が無さすぎて、ボールがお辞儀してたから打ち取れたと回顧してるが
この頃から高校野球を見始めた
こんなパワフルな徳島県代表は甲子園で見られなくなってしまった。
セネガルエチオピア 去年の鳴門はホームラン3本でたよ
ととま なお1人はサイン勘違いで打った模様
映像見る限り高校では荒木>石井なのが納得かも
大スターの荒木大輔がでてきて、『バケモノがでた~。』2年水野(投手)が荒木を粉砕して、『バ、バケモノか~?!』3年水野を1年桑田(投手)が粉砕、『バ、バ、バ、バケモノッ?!?』あの衝撃は忘れない。
荒木投手の球ってこんなに打たれるほど悪くないように見える
それを打ちまくるのがやまびこ打線
バッティングは水ものをよく表した光景。当人は打てることを確信して打った気はしないし、ホームランを狙ってホームランを打った気もしない。
玉もフォームも仕草もまさにスターカッコいい
荒木は本当に完成したピッチャーでしたが、水野のバックスクリーンは甲子園史上、最高のホームランと思います。何度見ても素晴らしい。
この頃の高校野球はドカベン:実写版みたいだった。キャラクターが多彩で、みな個性があった。早実の荒木は調布リトルで世界一になったピッチャー。ルックスも人気あったし、投手としては縦に落ちるカーブ(ドロップ)がすごく良かったなー。そのアイドル:荒木を徳島のやまびこ打線が木っ端微塵!これがまたスゴかった^^;。懐かしい。
荒木大輔の投げるボールはキレもあって際どいところに来て素晴らしいが、池田打線がその荒木から7点も取ったことにびっくり。石井丈裕も出てきたが、この頃は荒木と比べるとレベル的に言うと落ちる感じ。
下からすくうのではなく上からボールを潰しにいく打ち方でバックスクリーンまで飛ばすってどれだけポテンシャル高いのか…
清原はそれ以上に凄かった
当時の池田は凄かった
荒木大輔は投げ方や、そのあとの仕草がスマートでかっこいいんだよね。調布リトルの世界大会で世界一になったくらいだから、半端ない経歴だけどアマチュア時代に投げすぎたのかプロでは故障でぱっとしなかったけど、まあカッコ良かった。
水野が元気すぎるw
荒木キレキレだ。球も走ってる。でも、やまびこ打線の打球が速い!
水野はバッターとして十分プロでやれたと思う。
元祖二刀流は水野さんでしょう\(^^)/
普通に毎年3割30本レベルだったかと。
確かプロ入り後オールスターで代打に起用されてロッテの牛島からサヨナラ犠飛を打ったな^_^
@@中嶋一生 何だそりゃ?犠飛?話題にすな!
荒木クンと、同じ高校3年だった、青春の中盤だったけど、ひとつのものがぬけ落ちた感じがして、青春後半戦に向かいました😃☺悲しい、懐かしい😢⤵⤴思い出⤴✨
今見ても荒木はコントロールがいい。伊達に5回も甲子園出てないな。ただこの頃の金属バットはよく飛ぶからなあ。
池田の全盛期が高校野球の全盛期でしたね。この頃の高校野球の人気は凄かった。
他のチーム相手なら荒木は間違いなく抑えていた位カーブも直球も良かったが、池田打線が更に上だった。水野の打った球もキャッチャーが構えた所に正確に行った外角のストレートで全く悪くなかったが、水野はホームベースにかぶさるぐらいの構えで且つバットを目一杯長く持っていたから殆どど真ん中の感覚でまっ芯で楽々とらえ、しかもバックスクリーン中段のホームラン。プロでもあそこまで飛ばすことはまずない。彼は当時まだ外野手で2年生だった筈。本人も希望していたようだが、本当にプロでは打者として活躍してもらいたかった。
山あいの町の子供たちに一度でいいから大海を見せてやりたかったんぢゃ!蔦監督が完成させたパワフル高校野球。それが、今や、普遍化されましたね。
この年から夏春連覇した池田が一番高校野球史上好きなチームでした。池田対早実の試合のアップ見たいですが誰かアップしてませんか?
中3の水野さんの家に蔦監督がまっさらのスパイクとグローブを持ってきて「池田に来てくれ」と言ったのは有名な話。ちなみに水野さんの家は池田からかなり遠い位置です。
毎日朝練のために朝一番の電車に乗って通ってたという話でしたねぇ
@@ジャック-s8y 電車ではなく、汽車ですね。徳島県は電車がありません。
当時は畠山や三浦(横浜商)などが速球投手で、荒木投手は技巧派のイメージが強かったが今見るといいストレート投げてますね。
三浦は技巧派じゃないですか
@@マゴマゴ-g2p 三浦投手は 甲子園で 14球も連続して カーブを投げたことが あったようです
今じゃ信じられないが、この大会前までは池田は優勝の経験が無く、この試合でも早稲田が有利と見る向きが多数派だった。当事者の池田の選手たちも、組み合わせ抽選で早稲田と聞き「甲子園もこれで終わりか」と観念していたとのこと。「やまびこ打線」の言葉から、この大会は池田が強打で他校を蹂躙したような印象があるが、二桁得点したのはこの試合と決勝だけで、日大二や東洋大姫路戦などはヒヤヒヤのクロスゲームだった。
本当に見事だ!
素晴らしいですね!
荒木と石井から本塁打を放った当時2年の水野は翌年には1年の桑田に本塁打を打たれたな
荒木も水野も高校時代のフォームが一番良い
荒木さんイケメンすぎる!
水野は怪物でしたね。夏、春、夏の3連覇を目指した池田がPLにコテンパンにやられたんでしたね。懐かしい。
PLの下位打線にやられた。清原に対してはいい投球をしたが、下位打線に対しては・・・・・・。あと、カーブにやられた感じもある。PLは手強い相手はあったことは・・・・・・。
筋トレやってマシン相手のバッティング練習にほとんど時間を割いた当時の池田。エースで4番の畠山は南海に入団、3番の江上はニッセイで社会人野球やってたな。
46秒辺りのストレートの伸びすごい阿波の金太郎すげーー!
元巨人のエース金太郎君の相性で親しまれた当時池田高校はやまびこ打線で水野ピッチャーで高校時代夏の甲子園で2本のホームラン凄いね
当時小学生でした。3:15 早実のアルプス、水野さんに一本目の特大アーチ打たれて、静まり返る大輔ギャルたち。一人怒って地団駄踏んでる子がいる。(強豪とはいえ)田舎の公立の丸太のような腕をした少年たちが、都会のスマートな私立のイケメン投手をメッタ打ち。令和の甲子園では考えれない。
水野はなんで野手にならなかったんだろう。なんか、凄く惜しい…
今見てもいい球投げるなぁ、荒木。
江上、畠山、水野のクリーンアップを擁した82年の池田は高校野球史上最強だと個人的には思います
田舎者の中学生だった自分には、1年生から活躍する大都会・東京代表の早実:荒木がキザに見えて大嫌いだった。この試合も当然、池田を応援していた。でも途中からは、荒木が可哀想に見えてしょうがなかった。プロ入り後、怪我を重ねながら現役で頑張る荒木が好きになった。
yantyakun オイラは当時から東京住みでしたが、やはり荒木はそんなに好きではなかったです。でも、ほとんどあなたと同じような心境で見てましたよ。1年生の時から甲子園を沸かせ続けた最後がこれなのか?と思った時好きとか、嫌いの感情を超えて、決して同情の念ではないけどなんか、荒木と一緒に茫然としてる自分がいましたですよw
まあ女子に人気あったし同性には嫌われるだろうな元木も同様
田舎の幼稚園児ながら、当時、キザに見えて大嫌いでした。同じようにプロ入り後は、頑張る姿を見て好きに変わりました。
荒木大輔が交代するときに悲鳴が上がったけど代わって出てきたピッチャーが後の西武のエース石井丈裕とは 早実は豪華な投手陣でしたね
まさかこの時は石井丈裕が後にプロで最多勝、MVP獲得する選手になるとは夢にも思えなかった。大学は早稲田ではなくて法政に進んでそこから開花しましたね。
荒木がヤクルトに入り、そのヤクルトを92シリーズで破ったのが西武の大エース石井丈だったってのが皮肉だね。
荒木の影武者だった石井
荒木投手、テンポよく投げ、カーブが決まるのに、それを打ち返す水野選手を始めとする池田のやまびこ打線の凄さ。
大輔くん(;_;)今見ても切なくて悔し涙が出てくる。
本当ーっにそうですネッ自分わぁ荒木大輔と歳も学年も同じで最後の夏の甲子園大会テレビで早実を応援してました!連投の疲れと1番の原因は女性ファンが追っかけて宿舎で缶詰状態いろいろなプレッシャーの中で1年生夏の甲子園大会決勝で負けた時に後4回甲子園に来ますと言ってそれを実現して甲子園大会で負けた後また来るんだと甲子園の土は1度も持って帰らなかったとの事です✨また早実に荒木大輔の様な選手が出て来る事を願ってる早稲田実業ファンです⚾(^_^ゞ
そりゃ 早稲田を応援していた方にしてみりゃ、 池高が 憎いだろうぜ!
徳島県人ですがあれには吃驚しました。早実は一昨年の準優勝校でエースに荒木、次に石井がいたのと早実は打線が良いのでちょっと無理かなと思いました。でも結果は圧勝です。不思議なものです。ただ荒木、石井に同情したいのはその前の時に雨で中断になったり、甲子園のグランドが良くなかったのと東洋大姫路と熊工が接戦だったのでやりくかったと思います。最後は中京がまとめていましたね。もし池田は決勝に行くと中京かと思いました。
水野は肩壊したときにバッターに専念すれば良かったと思います。もともとピッチャーとしては素人目でもドッジボールみたいなパワーまかせの野手投げに見えますし、バッターだったら勝負強い中西太さんみたいな強打者になったのではと。(中西さんは見たことはないのでイメージですが)
水野満塁打った瞬間の解説者の【うわっ】が好き
プロ野球で二刀流の水野を見たかったです。
水野のこのバッティング見てると、プロ入り後は打者で通用したみたいで勿体無く思う
金属バットの打球音がハンパない。
2番手Pは後に西武で活躍した石井か。プロじゃ荒木大輔より遥かに上の実績だけど、この当時は全く大したピッチャーじゃなかったんだな。
この頃は面白いフォームですね。
球種がストレートしかないピッチャーでしたからね…。球速こそ荒木さんよりありましたが、監督も恐くて使いづらかったと思います。
@@gingaexpress6539 プロに入って新人時代はカーブピッチャーと言われ、中継ぎ専門。そこから、覚えたカット気味のスライダーとチェンジアップ効果のパームボールが 冴えにさえ、先発もやらせてもらえるくらいに信頼を勝ち取り、92年日本シリーズMVP、胴上げ投手だった。甲子園優勝投手 渡辺智 より結局は長く活躍した。
元気がはちきれている感じがよいw
この時の早実のセカンド小沢はドカベンの殿馬みたいな良い選手だったプロに行かなかったのが惜しい
水野のこのバッティングフォームでバカスカ打つのが楽しい
これも含め、昔の映像を見ているとプロアマ問わずにキャッチングの技術は格段に上がってるな~と感じる。プロでも山倉・中尾・大矢・若菜などみんな両手捕りだもんね。でも荒木さんはなかなかいい球放ってるね。こうして見るとキレもコントロールも当時抱いていた印象よりいいわ。
そうですよね。今の時代だと右投手のインコースのくさいボールはミットを縦にして捕球することが常識になってますが、この頃はみんなミットを横にして捕球してますからね。しかも両手だし。この頃は審判との駆け引きとか意識してなかったんですかね?
35年経っても…
プロで打者水野は観てみたかった
打者転向を一番期待したし、インパクトは当時最高の選手です
一昨年の夏、高知のよさこいから徳島の阿波踊りに向かう途中、池田高校の近くに宿をとりました。「こんなところから池田ナインは来ていたのか!」と驚き、その偉大さに改めて胸を打たれました。
荒木、石井、水野共にプロで日本一メンバーなのも凄いですね。
後にプロ野球で沢村賞・日本シリーズMVPを獲得した石井丈裕さんが荒木大輔さんの控えだったんですよね。そして荒木さんも石井さんも1992・1993年のヤクルト対西武の日本シリーズで複数回先発投手を任されてますね。これも凄いことです。
畠山も
蔦監督の「1、2の3で打てばええんじゃ!」が聞こえてくる様な光景ですね。
この当時に二本もスタンドに入れた水野は凄いな。
あと、滅多打ちにされたけど、荒木のストレートもカーブも高校生としては一級品だなぁ。
荒木大輔さん(現在日本ハム二軍監督)がテレビで言ってましたけど、両校の選手は年に一度集まって同窓会をしているそうです。
水野のバッティング。物凄いパワフル。
″攻めダルマ″の蔦監督が作り上げた究極のチームで、しかも恐るべし破壊力!
早実の荒木は1年生デビュー時が一番良かった。
あと早実二塁の小沢もいい選手だったなぁ😊
早稲田実業の荒木も石井も球が切れてるのに、それを強引に打ち返す水野のパワーが凄いですね。これは高校野球じゃありません。甲子園が超満員になる筈ですね。
これは筋トレキメてますわ
荒木は立ち投げだから球威ない
この試合、大学一年の時、一塁側で友達とともに観戦していました。たしか江上、水野が打ちまくって非常に驚いたのを覚えています。
やまびこ打線懐かしい。プロになる荒木、石井から最終的に14点取る打線て凄いな。
池田高校~PL学園の時代は漫画みたいだった。
1979年の箕島、1980年~1982年の早実絡みも漫画ですよね。1985年のPLまでずっと漫画でした。
水野と桑田は、バッターの姿をプロで見たかった選手。
野手な
清原ピッチャー、桑田野手でも行けた気がする
@@user-ls6wm7gs1p
甲子園では、ピッチャー清原は2度ほど見れましたね。
そのうちの1度は、我が県代表の浜松商業戦でしたね。
甲子園じゃないけど、井端はいわく、岩瀬はバッターでも名球会いけたらしい
高校野球を見始めました頃が、映像の頃になりますので全てが懐かしいと思います。この頃の金属バットの打球音が、一番高校野球らしいと思います。
荒木からホームランを打ち主役になっていく水野も桑田にホームランを打たれ破れ去る・・美しい流れだ
当時小6バックネット裏で観戦。初めての甲子園球場だった。
愛甲金村荒木水野桑田清原 この数年が濃かった
ですよね。付け加えるならばそれ以前のサッシー酒井、バンビ坂本、牛島・香川の浪商バッテリーなどキャラの立った選手が目白押しでしたよね。毎年楽しみだった。
中京の野中投手もよかったです。82年は三振とれる勢いあり、83年も池田🆚中京は熱戦でしたね☺️
あと、逆転のPL西田木戸のバッテリー、球道君の高知商中西なんかも印象的でしたね。
あと79年の箕島石井、嶋田も。
2本目のホームランを打った投手は、西武に入った石井丈裕選手ですね。
荒木選手と同学年で、社会人になってから注目された人ですね。
これは貴重な動画。ありがとうございます。
ある意味、高校野球の概念が大きく変わった試合でした。
島村俊治さんの実況懐かしい!
蔦監督が後年、畠山、水野のいた時代を振り返り
「あの頃勝てたんは、ええ選手が揃っていたこともあるけど、うちが他がやらなかった練習を先駆けてやったからや。でもうちが結果を出すと資金力のある私立がうちのやり方を取り入れようになる、それで逆にうちが太刀打ち出来んようになった。」とおっしゃってました。
春のセンバツで優勝したあと本を出版したり講演で全国をまわったことを批判する声も当時ありましたが、野球部の活動資金を集めるための活動の一環であり、決して金儲けが目的ではありませんでした。
水野は2年時のこのイメージが強いから、投手より打者になると思ったし成功すると思っていた。
現在、朝日新聞でこの試合についての連載を行っていますが、昨日と今日が水野のの
ホ-ムランの場面。まさか映像で見れるとは思いませんでした。アップに感謝、感謝。
この満塁ホームランの後、もう一度荒木が再登板したけどまた滅多打ちされてた金属音が耳に残っていますね😨 最後の夏にこんなに打たれるとは……
それが人生だよ。
我らが池高 感動をありがとう。池高の活躍は今はもう昔ですね。でもこのころの高校野球は面白かったですね。田舎のチームが大都会のチームに勝つのですから。
畠山、水野大先輩ですが、池高母校です。。
あんな山間の小さな町からこんな爆発的なチームが生まれたのは今でも信じられないですね
ほんと山に挟まれてますから、やまびこ打線いいネーミングだと思います。
校歌も母校ながら好きですね笑 残念ながらこのようなチームを見ることはもうないと思います、、、
諦めるのはまだ早い!全国に池高のファンがいます^^
個人的に取手二高と池高は選手もよかったが校歌も神!!
外のボール球を踏み込んでセンターバックスクリーンとかw 水野ハンパねぇー!
水野さん、詰まってたと言いつつバックスクリーン左へのホームランはすごかった、生観戦してました
バックスクリーン時のベース回る馬力ある走力も圧巻
今でも水野のプロ選手としての消化不良感は
残念でならない💦
同感。何で投手で入ったんだろう?ぶっちゃけ投手としては並だったから、先輩の畠山みたいに早々に見切り付けて打者に転向していればまだまだ現役張れたと思う。そうさせなかったコーチ陣もカスだな。
やっぱり荒木凄かったー今見てもしびれます😆😆
荒木はいい球投げてるのになあ。
それを打ち崩す池田はホント凄い。
荒木は1、2年生時が甲子園ではよかったように思えた
三年生は球威が無いなあと素人ながら思った
@@只野仁-o1v
水野も二年のほうが良かったね。
三年になって責任がのしかかってのじゃないかな。
水野はプロで打者になるべきだった。
オールスターで代打でサヨナラ打を打ったのが印象的❤
自宅から学校までの途中にあった自動車修理工場からラジオの実況中継が聞こえてた。
今は地元の代表が試合しててもどっからも聞こえてこない。ちょっと寂しい。
高校野球では、池田高校が一番好き。蔦監督、攻めだるま。やまびこ打線。水野は、打者でプロ入りするべきだった。この時代の高校野球が一番面白かったな。箕島~ドカベン香川~荒木大輔~池田~桑田、清原
荒木、石井。
ローテーションピッチャー2人もいたのですね。
それを完全に打ち崩した水野は凄かった。
プロでバッターだったらどのくらい活躍しただろうか?
印象に残る、江上水野
荒木さんはこの時の経験が活きたから、85年の猛虎打線は怖く感じなかったそうですよ。
そうですネッ!野球は負けて何かを得るってスポーツです~⚾😔
桑田と違うタイプの野球センスを感じます☺水野❗
荒木を水野が打ち崩し、その水野は桑田に・・
このころの高校野球は楽しかったな~。
sibakinkin まさしくリアル高校生(荒木と同学年)の時観ていたのでこの試合は衝撃的だったなぁ。そして、この無敵と思われた池田がまさかPLに粉砕されるとは・・・楽しい、というよりどこか茫然として画面に見入ってました。
楽しくもあり、ショッキングでしたね。前年度のスーパースターが次々と滅多打ちに遭うなんて思いもしませんでしたからね。
taka12391967 かつて、優秀な選手揃いなのに、なかなか頂点に立てず、準決 決勝と連続大逆転勝ちで壁を破ったPL、春3回のVに比べて、夏は8強すらなく、星稜との球史に残る延長18回戦で、2度の死線を乗り越えてベスト8への壁を破り、そのままその夏を制した箕島。過去に強豪チームが、難攻不落の壁を破り、その後の悲願達成に繋げた試合は、どれも類を見ない名勝負でしたが、この年の池田も、早実という好敵手相手に、記録的な猛打戦と能力の高い投手力が噛み合い、粉砕して圧勝したこの試合は、PL 箕島と同じく、四国勢唯一の、夏の優勝無しの徳島県勢の呪縛の壁を破り、見事、県勢悲願の初優勝に繋げた、高校野球史に残る試合だと思います。
その後水野は肩を痛めて大して活躍できずに若くして引退・・・それで今の若い子に「水野なんか」とか言われるのが悔しい。 当時はPLvs池田ってのが甲子園の最大のライバル対決で凄い盛り上がりだった・・・水野の投球は桑田に劣ってなかったんだよ。 あの頭へのデッドボールが無ければ・・・
それも今や語る人も少なくなった・・・悲
あの試合、水野も完璧にPL打線を抑え込んでどうなるか解らなかったのに、あのデッドボールの後にフラフラして「投げれるか?」とか何度も確認される中での強行出場で、次の回に明らかに球威もコントロールもおかしくなって打たれた。
池田の人気は凄かったから、その後、数年は「あの日、調子が良かった水野にコントロールの良い桑田が当てるはずない。 狙われたんだ」とかなってたなぁ・・・「あのデッドボールが無かったら」を見たかった。 最高のライバル対決だったのに・・・
@@石元正志-m9g
しかし、ツーリングで大歩危小歩危行ったりするけど、あのくっっっそど田舎からでも甲子園で優勝する凄いチームを作ることが出来る事に時代を感じますね(^.^;
まだ、筋トレとかあまりしてなかった時代にすぐに池田はとりいれたり。今はネットですぐだからなぁ。
この年、水野は2年で背番号9でレフトを守ってたと思います😃
後期団塊ジュニア世代の僕にしてみれば、桑田清原時代から高校野球を見始めた。だから水野は伝説。うわさには聞いていたけど、迫力がすごいね。
荒木が打たれた後に映る荒木ファンの女子たち…
この試合は歓声よりも悲鳴のほうがよく聞こえた。
プロ通算勝利では荒木大輔(39勝)水野(39勝)と奇しくも同じで、エース荒木の控えで登板した石井丈裕(68勝)が1番プロでは成功したと言えそう。しかも高卒入団の2人に対して大学、社会人を経歴して24歳でプロ入りだから尚更。
翌春の選抜に登場した水野に帝京のピッチャーとか完全にびびってたもんな。
蔦監督は、とにかくおもいっきり飛ばせ!と指導してたんだよね。
あれが池田高校野球のやまびこ打線ですね。これが、蔦監督のめざしていた野球ですね。やはり今見ても鳥肌が立ちます。
あの監督の采配ってのは 細かい指示はなくて 「打って 打って 打ちまくるんや!」です
荒木カッコいいなぁ。アウトローのカーブとストレートのコントロール半端ない
バックスクリーン横に、ラッキーゾーン越えの打球。こんなの当時のプロでも無かった。
荒木大輔は速球派だったんだな。
ストレート結構速い。
ドラフトで巨人が1位指名するわけだ。
え!?荒木は高校1年生から140㎞出てましたよ
当時の140㎞だから今のガンなら多分140後半出てました
え?
荒木は1年の時は力が無さすぎて、ボールがお辞儀してたから打ち取れたと回顧してるが
この頃から高校野球を見始めた
こんなパワフルな徳島県代表は甲子園で見られなくなってしまった。
セネガルエチオピア 去年の鳴門はホームラン3本でたよ
ととま なお1人はサイン勘違いで打った模様
映像見る限り高校では荒木>石井なのが納得かも
大スターの荒木大輔がでてきて、
『バケモノがでた~。』
2年水野(投手)が荒木を粉砕して、
『バ、バケモノか~?!』
3年水野を1年桑田(投手)が粉砕、
『バ、バ、バ、バケモノッ?!?』
あの衝撃は忘れない。
荒木投手の球ってこんなに打たれるほど悪くないように見える
それを打ちまくるのがやまびこ打線
バッティングは水ものをよく表した光景。当人は打てることを確信して打った気はしないし、ホームランを狙ってホームランを打った気もしない。
玉もフォームも仕草もまさにスター
カッコいい
荒木は本当に完成したピッチャーでしたが、水野のバックスクリーンは甲子園史上、最高のホームランと思います。
何度見ても素晴らしい。
この頃の高校野球はドカベン:実写版みたいだった。キャラクターが多彩で、みな個性があった。
早実の荒木は調布リトルで世界一になったピッチャー。ルックスも人気あったし、投手としては縦に落ちるカーブ(ドロップ)がすごく良かったなー。
そのアイドル:荒木を徳島のやまびこ打線が木っ端微塵!これがまたスゴかった^^;。懐かしい。
荒木大輔の投げるボールはキレもあって際どいところに来て素晴らしいが、池田打線がその荒木から7点も取ったことにびっくり。
石井丈裕も出てきたが、この頃は荒木と比べるとレベル的に言うと落ちる感じ。
下からすくうのではなく上からボールを潰しにいく打ち方でバックスクリーンまで飛ばすってどれだけポテンシャル高いのか…
清原はそれ以上に凄かった
当時の池田は凄かった
荒木大輔は投げ方や、そのあとの仕草がスマートでかっこいいんだよね。
調布リトルの世界大会で世界一になったくらいだから、半端ない経歴だけどアマチュア時代に投げすぎたのかプロでは故障でぱっとしなかったけど、まあカッコ良かった。
水野が元気すぎるw
荒木キレキレだ。球も走ってる。でも、やまびこ打線の打球が速い!
水野はバッターとして十分プロでやれたと思う。
元祖二刀流は水野さんでしょう\(^^)/
普通に毎年3割30本レベルだったかと。
確かプロ入り後オールスターで代打に起用されてロッテの牛島からサヨナラ犠飛を打ったな^_^
@@中嶋一生 何だそりゃ?犠飛?話題にすな!
荒木クンと、同じ高校3年だった、青春の中盤だったけど、ひとつのものがぬけ落ちた感じがして、青春後半戦に向かいました😃☺悲しい、懐かしい😢⤵⤴思い出⤴✨
今見ても荒木はコントロールがいい。伊達に5回も甲子園出てないな。ただこの頃の金属バットはよく飛ぶからなあ。
池田の全盛期が高校野球の全盛期でしたね。
この頃の高校野球の人気は凄かった。
他のチーム相手なら荒木は間違いなく抑えていた位カーブも直球も良かったが、池田打線が更に上だった。水野の打った球もキャッチャーが構えた所に正確に行った外角のストレートで全く悪くなかったが、水野はホームベースにかぶさるぐらいの構えで且つバットを目一杯長く持っていたから殆どど真ん中の感覚でまっ芯で楽々とらえ、しかもバックスクリーン中段のホームラン。プロでもあそこまで飛ばすことはまずない。彼は当時まだ外野手で2年生だった筈。本人も希望していたようだが、本当にプロでは打者として活躍してもらいたかった。
山あいの町の子供たちに一度でいいから大海を見せてやりたかったんぢゃ!
蔦監督が完成させたパワフル高校野球。それが、今や、普遍化されましたね。
この年から夏春連覇した池田が一番高校野球史上好きなチームでした。池田対早実の試合のアップ見たいですが誰かアップしてませんか?
中3の水野さんの家に蔦監督がまっさらのスパイクとグローブを持ってきて
「池田に来てくれ」と言ったのは有名な話。
ちなみに水野さんの家は池田からかなり遠い位置です。
毎日朝練のために朝一番の電車に乗って通ってたという話でしたねぇ
@@ジャック-s8y 電車ではなく、汽車ですね。徳島県は電車がありません。
当時は畠山や三浦(横浜商)などが速球投手で、荒木投手は技巧派のイメージが強かったが今見るといいストレート投げてますね。
三浦は技巧派じゃないですか
@@マゴマゴ-g2p 三浦投手は 甲子園で 14球も連続して カーブを投げたことが あったようです
今じゃ信じられないが、この大会前までは池田は優勝の経験が無く、この試合でも早稲田が有利と見る向きが多数派だった。当事者の池田の選手たちも、組み合わせ抽選で早稲田と聞き「甲子園もこれで終わりか」と観念していたとのこと。「やまびこ打線」の言葉から、この大会は池田が強打で他校を蹂躙したような印象があるが、二桁得点したのはこの試合と決勝だけで、日大二や東洋大姫路戦などはヒヤヒヤのクロスゲームだった。
本当に見事だ!
素晴らしいですね!
荒木と石井から本塁打を放った当時2年の水野は
翌年には1年の桑田に本塁打を打たれたな
荒木も水野も高校時代のフォームが一番良い
荒木さんイケメンすぎる!
水野は怪物でしたね。夏、春、夏の3連覇を目指した池田がPLにコテンパンにやられたんでしたね。懐かしい。
PLの下位打線にやられた。清原に対してはいい投球をしたが、下位打線に対しては・・・・・・。あと、カーブにやられた感じもある。PLは手強い相手はあったことは・・・・・・。
筋トレやってマシン相手のバッティング練習にほとんど時間を割いた当時の池田。
エースで4番の畠山は南海に入団、3番の江上はニッセイで社会人野球やってたな。
46秒辺りのストレートの伸びすごい
阿波の金太郎すげーー!
元巨人のエース金太郎君の相性で親しまれた当時池田高校はやまびこ打線で水野ピッチャーで高校時代夏の甲子園で2本のホームラン凄いね
当時小学生でした。
3:15 早実のアルプス、水野さんに一本目の特大アーチ打たれて、静まり返る大輔ギャルたち。一人怒って地団駄踏んでる子がいる。
(強豪とはいえ)田舎の公立の丸太のような腕をした少年たちが、都会のスマートな私立のイケメン投手をメッタ打ち。
令和の甲子園では考えれない。
水野はなんで野手にならなかったんだろう。なんか、凄く惜しい…
今見てもいい球投げるなぁ、荒木。
江上、畠山、水野のクリーンアップを擁した82年の池田は高校野球史上最強だと個人的には思います
田舎者の中学生だった自分には、1年生から活躍する大都会・東京代表の早実:荒木がキザに見えて大嫌いだった。
この試合も当然、池田を応援していた。
でも途中からは、荒木が可哀想に見えてしょうがなかった。
プロ入り後、怪我を重ねながら現役で頑張る荒木が好きになった。
yantyakun オイラは当時から東京住みでしたが、やはり荒木はそんなに好きではなかったです。でも、ほとんどあなたと同じような心境で見てましたよ。1年生の時から甲子園を沸かせ続けた最後がこれなのか?と思った時好きとか、嫌いの感情を超えて、決して同情の念ではないけどなんか、荒木と一緒に茫然としてる自分がいましたですよw
まあ女子に人気あったし同性には嫌われるだろうな
元木も同様
田舎の幼稚園児ながら、当時、キザに見えて大嫌いでした。
同じようにプロ入り後は、頑張る姿を見て好きに変わりました。
荒木大輔が交代するときに悲鳴が上がったけど代わって出てきたピッチャーが後の西武のエース石井丈裕とは 早実は豪華な投手陣でしたね
まさかこの時は石井丈裕が後にプロで最多勝、MVP獲得する選手になるとは夢にも思えなかった。
大学は早稲田ではなくて法政に進んでそこから開花しましたね。
荒木がヤクルトに入り、そのヤクルトを92シリーズで破ったのが西武の大エース石井丈だったってのが皮肉だね。
荒木の影武者だった石井
荒木投手、テンポよく投げ、カーブが決まるのに、それを打ち返す水野選手を始めとする池田のやまびこ打線の凄さ。
大輔くん(;_;)
今見ても切なくて悔し涙が出てくる。
本当ーっにそうですネッ自分わぁ荒木大輔と歳も学年も同じで最後の夏の甲子園大会テレビで早実を応援してました!連投の疲れと1番の原因は女性ファンが追っかけて宿舎で缶詰状態いろいろなプレッシャーの中で1年生夏の甲子園大会決勝で負けた時に後4回甲子園に来ますと言ってそれを実現して甲子園大会で負けた後また来るんだと甲子園の土は1度も持って帰らなかったとの事です✨また早実に荒木大輔の様な選手が出て来る事を願ってる早稲田実業ファンです⚾(^_^ゞ
そりゃ 早稲田を応援していた方にしてみりゃ、 池高が 憎いだろうぜ!
徳島県人ですがあれには吃驚しました。早実は一昨年の準優勝校でエースに荒木、次に石井がいたのと早実は打線が良いのでちょっと無理かなと思いました。でも結果は圧勝です。不思議なものです。ただ荒木、石井に同情したいのはその前の時に雨で中断になったり、甲子園のグランドが良くなかったのと東洋大姫路と熊工が接戦だったのでやりくかったと思います。最後は中京がまとめていましたね。もし池田は決勝に行くと中京かと思いました。
水野は肩壊したときにバッターに専念すれば良かったと思います。
もともとピッチャーとしては素人目でもドッジボールみたいなパワーまかせの野手投げに見えますし、バッターだったら勝負強い中西太さんみたいな強打者になったのではと。(中西さんは見たことはないのでイメージですが)
水野満塁打った瞬間の解説者の【うわっ】が好き
プロ野球で二刀流の水野を見たかったです。
水野のこのバッティング見てると、プロ入り後は打者で通用したみたいで勿体無く思う
金属バットの打球音がハンパない。
2番手Pは後に西武で活躍した石井か。
プロじゃ荒木大輔より遥かに上の実績だけど、この当時は全く大したピッチャーじゃ
なかったんだな。
この頃は面白いフォームですね。
球種がストレートしかないピッチャーでしたからね…。
球速こそ荒木さんよりありましたが、監督も恐くて使いづらかったと思います。
@@gingaexpress6539 プロに入って新人時代はカーブピッチャーと言われ、中継ぎ専門。そこから、覚えたカット気味のスライダーとチェンジアップ効果のパームボールが 冴えにさえ、先発もやらせてもらえるくらいに信頼を勝ち取り、92年日本シリーズMVP、胴上げ投手だった。甲子園優勝投手 渡辺智 より結局は長く活躍した。
元気がはちきれている感じがよいw
この時の早実のセカンド小沢はドカベンの殿馬みたいな良い選手だった
プロに行かなかったのが惜しい
水野のこのバッティングフォームでバカスカ打つのが楽しい
これも含め、昔の映像を見ているとプロアマ問わずにキャッチングの技術は格段に上がってるな~と感じる。
プロでも山倉・中尾・大矢・若菜などみんな両手捕りだもんね。
でも荒木さんはなかなかいい球放ってるね。こうして見るとキレもコントロールも当時抱いていた印象よりいいわ。
そうですよね。今の時代だと右投手のインコースのくさいボールはミットを縦にして捕球することが常識になってますが、この頃はみんなミットを横にして捕球してますからね。しかも両手だし。この頃は審判との駆け引きとか意識してなかったんですかね?