難病“多発性硬化症”と闘うウクライナ避難者「命と健康に感謝」病気と向き合いモデルの仕事に挑戦【大分】
ฝัง
- เผยแพร่เมื่อ 7 ก.พ. 2025
- 2022年、ウクライナから大分県別府市に避難してきたコロレンコ・オレーナさん35歳。避難生活が続く中、「多発性硬化症」という難病を再発し闘病生活を送っています。ウクライナで約10年間ファッションモデルなどとして活躍していたオレーナさんは、日本でもモデルの仕事に挑戦。病気と向き合いながら新たな挑戦を続ける女性を取材しました。
避難生活2か月目、ある症状が…
2022年5月、コロレンコ・オレーナさんは夫と娘と共にウクライナのへルソン市から別府市に避難してきました。
ーーコロレンコ・オレーナさん
「爆撃による不安が続き、食べるものもなくミサイルが窓の近くに落ちるかどうかも分からず不安でしかたなかった。そして、家を出る決心をした」
別府で始まった新しい日々。
しかし、避難生活2か月目、ある症状が彼女を襲いました。
ーーコロレンコ・オレーナさん
「ひどい頭痛に頻繁に悩まされ、視力も落ちた」
検査の結果は日本で難病に指定されている「多発性硬化症」でした。
オレーナさんは約10年前、ウクライナにいた時にこの難病を発症。
今回、再発が確認されました。
ーーコロレンコ・オレーナさん
「私は再発すると思っていなかった。母親も同じ病気で、病気や症状を知っていたので、この病気を受け入れるのはとても辛かった」
「多発性硬化症」と向き合う
再発して以降、別府市内の病院に通い治療をしてきましたが、ことし5月、左目に異常が見られ緊急入院することに。
症状を抑えるためステロイド剤を点滴する入院生活が始まりました。
こうした医療費を含む生活費は当初、市に寄せられた寄付金で賄われていましたが、現在は日本財団が支援しています。
ーー別府医療センター脳神経内科 竹内創医師
「多発性硬化症というのは脳やせき髄といった中枢神経に自分の免疫が何らかの作用をして傷害を受ける炎症性の病気という風に言われている。オレーナさんの場合は視力の低下、物の見えにくさと記憶ができない覚えにくいといった症状がある」
2017年に行われた調査では、多発性硬化症の患者は日本国内に約1万8000人いると推定されていて、現時点では治療法が確立しておらず完全に治すことはできないと言われています。
この日、オレーナさんは目の動きや体のバランス感覚が正常か診察を受けていました。
視力も改善し経過は良好、特に異常はありませんでした。
そして翌日、約2週間の入院生活を終え退院することに。
現在は、月に1度通院しながら再発していないかなどを確認しています。
ーーコロレンコ・オレーナさん
「先生は話をよく聞いてくれるし、今後どうしたら自分がよく生きていけるかということを指南してくれるのでとても嬉しく思っている」
ウクライナでモデルとして活躍、大分でも
7月、オレーナさんは大分市の公民館を訪れました。
実はオレーナさん、ウクライナで約10年間ファッションモデルなどとして活躍していて、今回デッサン教室のモデルに挑戦することに。
ーーコロレンコ・オレーナさん
「ウクライナでモデルをしていたから、家にずっといるよりモデルの声がかかってさせてもらうのは先生に感謝している。生活の中で刺激になるし嫌なことも忘れられる。感謝で一杯」
教室にはウクライナからの避難者を支援しているNPO法人の小野一馬さんの姿も。
ウクライナの状況や避難者の生活などについて教室の生徒に説明していました。
ーーNPO法人 小野一馬さん
「彼女は引き寄せの法則じゃないけど日本に来れてよかった。しかも、別府市で医療に明るい支援者がいてよかった。我々もちゃんと支援できてるからよかった」
この日、オレーナさんはポーズを変えながら約1時間のモデルの仕事をやり遂げました。
デッサン教室の生徒は「1日も早く戦争が終わってほしいという思いで一杯。だから普通にモデルを描いているわけじゃなく、願いを込めて描かないとと思う」と話していました。
ーーコロレンコ・オレーナさん
「私は日本の方々に、命と健康にどれだけ感謝すべきかを伝えたいと心から思う。世界中の人々が自分の人生と一瞬一瞬を大切にしてほしいと願っている。それが最も重要なことだから」
オレーナさんは車の免許をとるなど難病と闘いながら精力的に活動しています。異国で生活する避難者たちに対して、私たちには引き続き暖かい支援が求められます。
難病抱えてるのに10年もファッションモデルやって、出産までしてるなんて既に超人だと思う。
ウクライナ情勢が落ち着いて、早く自分の町で平和に暮らせますように。
自分も多発性硬化症を患っております視力は問題は無かったけど足に力が入れませんでした。薬とリハビリをやってだいぶマシになりました。
多発性硬化症って、進行する一方の病気と思っていましたが、そうではないようで、自分の無知さを恥じました。
医師は、若くても患者の身になり、よく話を聞いてくれる人が一番ですね。
医師によって全く病気の未来が変わってくると言っても過言ではありません。
厳密に言うと進行する病気です。
ですが、進行度が人によって様々っていう感じです。
一度発症してから、あまり体に症状が出ない状態がどれくらい長く保てるかが勝負、みたいな感じです。
症状が何かしら体に出る度にに少しずつ悪化しています。
症状が体に出ることを用語で(再発)と言いますが、再発を少しずつ繰り返していくのがこの病気ですが、再発する期間が人によってはこの人のように10年の間隔があったり、半年や1年ごとに再発したり、本当に人によって異なるんです。もっと進行が早ければ1ヶ月ごとに何かしらの症状が出るひともいます。
そして症状が出るたびに体はある程度はステロイドで治療できたとしても完全に元の状態に復活することはないです。
なので、いかにして再発するまでの期間を延ばせるかが鍵になっていて、今はその再発をなるべく長い期間食い止める薬が結構多くあるのもこの病気の特徴なので、ひと昔前みたいに「多発性硬化症=車椅子、寝たきり確定」という認識がなくなってきています。
もちろんそれでも人によっては車椅子生活になってしまうひとも多くいますが。
生き甲斐のある生活。
好きな仕事をして楽しい時間を持つこと。
どんな良薬よりも良い薬に為るのかと。
これからのご活躍を期待しています。❤
多発性硬化症て今は亡き林家こん平師匠もそうだった...
容姿を活かして仕事は探せば見つかりそう