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三好・松永と将軍義輝の争いは本当に興味深い。これも麒麟が来るの見どころの一つですね。
先生、おさらいをありがとうございました‼️
毎回勉強させていただいております。『信長公記』は側に仕えた同時代の記録だけに、主君へのひいき目の表現はあるものの、やはり一級資料ですね。面白いのは森蘭丸についての記載は多いのですが、いつも「森乱」と記しています。近習同士、太田牛一のライバル視があったのでしょうか(笑)。
真実は確認しようがないから謎だらけなんですが!専門の方からこういうお墨付きを頂くと心が躍ります!!ますます今年の大河ドラマが楽しみです
えど友セミナーで、小和田先生の〔明智光秀〕を受講して、TH-camでおさらい、楽しみが倍増します。
最近の投稿で桶狭間の戦いの時に織田信長が今川義元の本陣とは知らずにたまたま攻撃してしまったとの記述がありました。よく言われているのは、情報戦を駆使して信長が不利な状況を跳ね返したと聞きますが、実際のところはどうだったのか小和田先生はどのようにお考えでしょうか?
明智実。明智光秀嫡流だ。明智実が、大河ドラマ名を、麒麟がくると名付け、前半(第1回から第21回まで、6週中断するまで)の、侍のセリフ、表情、撮影アングル、衣装原作は、僕が考えた原作のまま、採用されてた。齋藤利政と齋藤高政の肖像画が、左右に並んでいて、一時停止させしばらく見つめた所、細い目と大きなでこ、大きな頭の形がよく似てるのを確認した。齋藤利政は、らっきょの様にあごが突き出てるが、齋藤高政はあごが突き出ていない、という違いはあるが、これ位は親子と考える。昭和以来、戦国大名の通史本では、齋藤利政と齋藤高政はぱっと見で顔付が似てない、齋藤高政は熊みたいな顔をしてる、らっきょの顔したあごの突き出た齋藤利政とは全然似てない、と書いてあったが、通史本が間違いだったようだ。僕がNHK歴史番組、岐阜市歴史博物館に知らせて、齋藤利政と齋藤高政の肖像画を、左右に並べて歴史番組、博物館図録を作らせてたが、見ても判断できなかったが、今日、2人は親子の可能性が高い、と判断できた。古事鏡さん、祝着である、1556年の長良川の戦い以来、464年親子関係が不明だったが、解決されそうだ。動画をアップしてるので、ご覧ください。3000本動画作ったけど、その中から「麒麟がくる」制作のため必要な動画を精選し、麒麟がくるの池端俊作さん、他のスタッフに見せてるものです。2020年9月26日。
「信長公記」にはいろいろと細かなことが書かれているのですね。大変勉強になりました。斎藤道三が義龍より弟を可愛がっていた点、ドラマでは弟たちが兄義龍に謀殺される回だけしか登場しませんでしたのでやや唐突感がありましたが、隣国の尾張にも知られていたということは事実だったのでしょうね。
当時の朝廷も将軍家にあっては極度の財政難。内裏の修理、将軍御所の普請もできない状態。帝の葬儀も滞る始末。守護代の奉行の身分で朝廷に4000貫文、伊勢神宮に700貫文を献上した織田信秀、ここにも織田弾正忠家の実力が有る。朝廷・将軍家による和睦調停には当然見返りが有ったはず。朝廷・将軍家には官位というお札が有る。
小和田先生もテレワークされているのですか?撮影と編集は違う方達でしょうけど、大学の関係者なのでしょうか?
以前の動画で、娘さんの助言でユーチューブを始めた、と仰っていたので撮影も編集も娘さんかな?と勝手に想像していました。
明智光秀 ああー、なるほど。そりゃ娘さんに感謝ですな、こんな貴重なお話を無料で毎日聴けるなんて、歴史好きからしたら一生の宝もんですから。コロナの中でもこうやって学べる機会がある事はとても幸せですね
@@kiyonosk いやいや、実際はどなたが撮影、編集されているかは知りませんよ。私の勝手な妄想ですので。
歴史人が愛読してます。(。-ω-)
明智光秀の本出されましたが私としては今川義元に専念が合理的かと思います。てかしつくしちゃったか
三好・松永と将軍義輝の争いは本当に興味深い。これも麒麟が来るの見どころの一つですね。
先生、おさらいをありがとうございました‼️
毎回勉強させていただいております。『信長公記』は側に仕えた同時代の記録だけに、主君へのひいき目の表現はあるものの、やはり一級資料ですね。面白いのは森蘭丸についての記載は多いのですが、いつも「森乱」と記しています。近習同士、太田牛一のライバル視があったのでしょうか(笑)。
真実は確認しようがないから謎だらけ
なんですが!
専門の方からこういうお墨付きを頂くと心が躍ります!!
ますます今年の大河ドラマが楽しみです
えど友セミナーで、
小和田先生の〔明智光秀〕を受講して、TH-camでおさらい、楽しみが倍増します。
最近の投稿で桶狭間の戦いの時に織田信長が今川義元の本陣とは知らずにたまたま攻撃してしまったとの記述がありました。
よく言われているのは、情報戦を駆使して信長が不利な状況を跳ね返したと聞きますが、実際のところはどうだったのか小和田先生はどのようにお考えでしょうか?
明智実。明智光秀嫡流だ。明智実が、大河ドラマ名を、麒麟がくると名付け、前半(第1回から第21回まで、6週中断するまで)の、侍のセリフ、表情、撮影アングル、衣装原作は、僕が考えた原作のまま、採用されてた。齋藤利政と齋藤高政の肖像画が、左右に並んでいて、一時停止させしばらく見つめた所、細い目と大きなでこ、大きな頭の形がよく似てるのを確認した。齋藤利政は、らっきょの様にあごが突き出てるが、齋藤高政はあごが突き出ていない、という違いはあるが、これ位は親子と考える。昭和以来、戦国大名の通史本では、齋藤利政と齋藤高政はぱっと見で顔付が似てない、齋藤高政は熊みたいな顔をしてる、らっきょの顔したあごの突き出た齋藤利政とは全然似てない、と書いてあったが、通史本が間違いだったようだ。僕がNHK歴史番組、岐阜市歴史博物館に知らせて、齋藤利政と齋藤高政の肖像画を、左右に並べて歴史番組、博物館図録を作らせてたが、見ても判断できなかったが、今日、2人は親子の可能性が高い、と判断できた。古事鏡さん、祝着である、1556年の長良川の戦い以来、464年親子関係が不明だったが、解決されそうだ。動画をアップしてるので、ご覧ください。3000本動画作ったけど、その中から「麒麟がくる」制作のため必要な動画を精選し、麒麟がくるの池端俊作さん、他のスタッフに見せてるものです。2020年9月26日。
「信長公記」にはいろいろと細かなことが書かれているのですね。大変勉強になりました。
斎藤道三が義龍より弟を可愛がっていた点、ドラマでは弟たちが兄義龍に謀殺される回だけしか登場しませんでしたのでやや唐突感がありましたが、隣国の尾張にも知られていたということは事実だったのでしょうね。
当時の朝廷も将軍家にあっては極度の財政難。内裏の修理、将軍御所の普請もできない状態。帝の葬儀も滞る始末。
守護代の奉行の身分で朝廷に4000貫文、伊勢神宮に700貫文を献上した織田信秀、ここにも織田弾正忠家の実力が有る。
朝廷・将軍家による和睦調停には当然見返りが有ったはず。朝廷・将軍家には官位というお札が有る。
小和田先生もテレワークされているのですか?
撮影と編集は違う方達でしょうけど、大学の関係者なのでしょうか?
以前の動画で、娘さんの助言でユーチューブを始めた、と仰っていたので撮影も編集も娘さんかな?と勝手に想像していました。
明智光秀 ああー、なるほど。
そりゃ娘さんに感謝ですな、こんな貴重なお話を無料で毎日聴けるなんて、歴史好きからしたら一生の宝もんですから。
コロナの中でもこうやって学べる機会がある事はとても幸せですね
@@kiyonosk
いやいや、実際はどなたが撮影、編集されているかは知りませんよ。
私の勝手な妄想ですので。
歴史人が愛読してます。(。-ω-)
明智光秀の本出されましたが私としては今川義元に専念が合理的かと思います。てかしつくしちゃったか