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子供の頃初代RX-7を初めて見た時、「どこのスーパーカーだ?」と衝撃を受けたのを覚えています。また、グループBのワークスカーも実物を見ましたが、元々コンパクトなエンジンをギリギリまで後方まで下げていたためエンジンが無いように見えます。知らない人は「これエンジンは後ろにあるん?」と言ってました。
私は、53年式を8年間、59年式を23年間乗っていた者です。燃費については、初期モデルの53年式も最後期の59年式も、通常の市街地での運用では平均6~7km/リットル、高速中心では10km/リットル前後でした。特にエコランしなくても、この燃費でした。「燃費が良い」とはお世辞にも言えませんが、当時の3,000ccクラスのクルマとそんなには変わらないと思います。もちろんアクセルを踏めばいつでも8,000rpmまでスムーズに回って楽しめましたし。本当に「良いクルマ」でした。現在はロータス・エリーゼに乗っています。
59年式だと6PIのタイプですか?RX-7は初期のサーマルリアクターから希薄燃焼に酸化触媒、最高期型の6PIとドライバビリティ改善と燃費向上だったけど燃費に関しては特に良くなってはいなかったようですね?
俺が免許と取った90年当時でも、まだ街中にこのRX7が走っていたのを覚えてる。その頃は20〜30万も出せば相当にいいタマが狙える時代で、そのコスパの良さも手伝ってか買われた7の大半がヤン車化してたなぁ〜でも恥ずかしい仕上がりじゃ無く、ポルシェよろしくなフルエアロで決めてる連中が凄く多かった。
町工場に「羨望のRX-7」という横断幕を見たのを思い出します。当時中学生でしたが、スーパーカー世代としては国産車にリトラが出たのが衝撃でした。マツダ凄すぎる。
わりと最近まで後期型ターボに乗っていました、20年ほど前に100万円程度で中古で買ったものです。毎年、いろんな個所の修理や再塗装、エンジンオーバーホールとか毎年結構お金がかかったなあ。でも、RX-7のある生活は楽しかったですよ。どの角度で見てもかっこいいし、峠ではゴーカートみたいな感じで楽しかった。 軽量でターボのおかげで高速道路も速かったし、今まで乗った車の中で最高でしたね。車を止めていると色んな人に興味を持たれて話しかけられるのも良い思い出です。最後はパーツの絶版により走れなくなり、泣く泣く手放すことになりました。タイムマシンで発売当時に戻って新車を手に入れたいと妄想しちゃいます。初代RX-7の動画UPありがとうございました!
全て中古ですが、6piを1台、ターボ2台乗り継ぎました。燃費は4.5~6位でしたね。オーバーステアは出るけどアンダーは出ない、楽しい車でした。ドア開けるとシートベルトしたまま地面でタバコの火を消せる位、着座位置が低いのも魅力でした。
ロータリー。過去サバンナ(RX3型)に乗ってた頃、燃費は平均で8㎞/lでした。高速巡航では10㎞/lでしたから其ほど悪い燃費ではありませんでした。ただ、冬場に暖気をしていると、突然2~3㎞/lに成る事も珍しくありませんでしたねぇ…
掛けるのはお金ではなく、情熱・・・素敵な考え方だと思う。SA、FC、FD全てかっこいい!
4年前にうちの子がマツダに修学旅行に行きました子供達はあらかじめ質問を用意しておくようにとなってたので「ロータリーエンジンはこの先無くなるのでしょうか?」と自分が質問を持たせておきましたうちの子が質問をするようで例の質問をした時の答えが、「ロータリーエンジンは変わった形で残るかもしれません」・・だったそうです既に開発していたのでしょうね~。
1980年台の大昔、ある仕事でマツダの役員と海外工場勤務のお偉いさんのお二人と、会食をしたことがあるんだが、当然色んな車の話になっった。僕は、いわゆるスーパーカー小僧だったので、「どんな車も夜ヘッドランプを前から見ればどの車かすぐ分かったけど、わからないのが一つだけあるんです。RX-7tとポルシェ、夜見ると判別できないんですよね〜」と話したら、向こうの二人は嬉しそうな顔をして、「君よいく分かったね。実はね。。。」「開発当時、ポルシェを一台購入して、徹底的に調べ上げて、全部分解して組み上げ直したんだよ。で、RX-7のヘッドランプはね、実は点灯した時の位置が、ポルシェと同じになるようにしたんだよ。夜、前から見れば、ポルシェに見えるさ。」という話を聞かされました。寸法を調べたわけじゃないけれど、なんかエンジニアの夢が詰まっている車なんだな〜と、こんな話を思い出しました。
初めて買ったクルマがこれでした。マツダメーカーの社員でしたので開発中の内部情報を漏れ聞く度に期待が高まり、実車を見たら買うのを決めました。沢山の想い出を作りました。
性能を抜きにしてかっこよさだけを見れば歴代RX-7最強なのが初代。「よろしくメカドック」でのRX-7とXXのバトルは激アツ。
レーシングワタナベのZもお忘れなく。
社長にも臆すること無く意見を言えるのは凄いと思う。と同時に、それを受け入れた社長の度量もかなり凄いと思った。
贅沢なことにSA22Cは自分の金で買った初めての車。実用燃費は7.5km/L。当時最後のFRファミリアのガワとエンジンを載せ替えただけなのでリヤが弱くてテールスライドするとそのまま回転数が上がって、慣性マスが大きいので回転落ちが遅いためにハーフクラッチでやり過ごす必要があり、ノーマルのシートでは体が支えられなかった。逆に加速時にはシフトアップ毎に所謂「ロータリーの蹴り」があり、シフトアップでトルク低下が無く、レシプロとは全く違う運転が必要だった。リヤのストラットを自作バーで繋いだり色々やったけどついぞ扱い切れなかった。初期型のサーマルリアクターは冬場エンジンを止めると、しばらくしてリアクター内に残った未燃焼ガスが発火して「パッカーン!」と毎回のように轟音が響いていた。職場の同僚から「お前の車が吹いた火炎放射でワシの車が焦げた」とか冗談で言われて本気で焦るくらいの音で困惑していた。マツダの営業から「燃費差で貯金ができる」とバカ売れした初代FFファミリアに乗り換えたがずっと後悔していた。
初代RX-7と言うと、どうしてもメカドックの那智渡のイメージがあります。
メカドック???
@@aska-pp3570 よろしくメカドック
ナベさんのフェアレディZも
おぉぉんっガッ!懐かしい!メカドック!?那智兄弟!?
メカドックの那智のセブンが めちゃくちゃカッコ良かったなぁ 今でも欲しい一台です 若い頃FC乗ってたのも 良い思い出
RX-7にべた惚れしたドイツ人の大男は、実は乗れなかった。運転席に無理矢理乗ると頭が天井につかえてしまい斜めになってしまう。しかし彼は発売と同時に迷わず買った。そしてすぐに鈑金屋に持ち込んで頭の部分を丸く叩き出してもらったのだ。これでRX-7の運転が出来る。凄い根性だよね。中古のAZ-1を日本で買ったアメリカ人の大男は、やはり頭が天井につかえてしまった。そこで彼は、シートレールを外してシートを床に直付けして座れるようにした。二人とも凄いよね。
SA22Cの登場は何より国産車にリトラクタブルヘッドライト採用が衝撃的でした。たしか、カタログに固定式ヘッドライト案の図もあったと思いましたが、これじゃなくて良かったって感じでした、そして後期型のころにいわゆるTWRスポイラーが流行りましたが、今でも秀逸なデザインだと思っています。
マスコミ対策でテスト用はカエル目も存在しました。
私もそうですが今でもパカパカライト大好きですね
若い頃、SA22C RX-7にTWRのフロントエアロとリアスポイラー、アウトストラーダのホイール、ピレリP7をつけて、乗ってました。大好きな車でした。
社員の言うこと訊くのも社長の器量。
SAも斬新なフォルムで凄いよな…リトラと低いノーズが時代を感じるけど好きだわ…RX-7はどれも格好良い!
意外と触れられないけど、Cピラーの形やリアガラスの、サイドまで大きく回り込むようなデザインってマツダ初のロータリースポーツであるコスモスポーツから引き継いでいて面白いんですよね〜。その後FC、FD、RX-8も全てこのデザインを採用してて胸熱。❤️🔥
斬新なフォルムというか、まんまポルシェ924。
15年前まで最終型ターボに乗ってました。初めて買った車は初期型で、峠のガードレールに刺さって廃車になりました。数年後に、やはりロータリーの良さに抗えず、ターボを85万で購入。ディーラーの営業マンの紹介でロータリーを得意とするショップを訪ねました。そこで交換すべきパーツを洗い出してもらいました。A4の紙4枚に渡り、びっしりと書き込まれたリストは,車を手放した今でも大切に持っています。パワステとオイルクーラーのパーツ不足には泣かされましたね。エンジンとターボはオーバーフォールし、足回りは全て新品交換。補強類もパーツがあるものは交換。オーバーヒート対策としてラジエターファンを電動にしたりと、時間もお金もつぎこみました。宝くじが当たったら、もう一度欲しい車ですネ。
SA22Cデビュー当時は小学生でしたけど、カウンタックやミウラにも見劣りしないカッコ良さでしたね~~♡♡♡
7乗ってました!燃費悪くてガソリン代がたいへんでした。でもどこまでもストレスなく回るエンジンは最高!でした。なるほどね、ロケットね、言われみればなるほどって感じでしたね。回頭性は非常に良かったですね。置いとけばよかったなぁー
自分も乗ってました。良く下がスカスカなんていわれてますが"RX-7の上に比べて"ってだけで他の車(SAの前に乗ってた130Zも含めて)には全然負けてなかったと思います。なんと言っても運転してても軽い車って感じが好きでした😃
そもそもこの車の企画は当時の大株主の住友の経営再建部隊がマツダは看板商品のロータリーで失地回復しないと未来は無いとロータリーの父山本さんに与えたミッションから始まったので社長の邪魔は入りにくいとこで一気に進んだ
rx7最終型のターボ乗ってますが、実燃費、、、悪く無い😅下道、7〜8高速で最高15.68を叩き出した時もある😊確かに楽し過ぎて、アクセルは踏みがちにはなりますねぇ(笑しかしながら、ほぼ同じ年式のランタボにも乗ってるけど、峠のスポーツ走行では同じペースならセブンの方が燃費良かったりする😅乗り方や改造して極悪燃費になるのは間違いないですねぇ20Bのコスモはどうあがいても、極悪、最悪燃費と言うのは間違いないですが(笑もし良ければ、今度、夢のドリームコンセプトカーRX500を特集してください❤博物館の500を友達がエンジンOHしてまた走れる様になります。
当時は、国産にライバル無し状態で強すぎて嫌いだった記憶があります。(本当は大好きな美味な存在)リトラにしたのは、固定ライトだとアメリカのライト規制(最低地上高)をクリア出来なかったからだと思ってました。
昭和54年式のSE-GTを昭和57年に免許取り立てで買ったな当時教習所の車は3速コラムだった時代で、ハンドリングも含めて全てが違っていた(笑)TWRフロントカウルでリアは雨宮をパテ埋め、ウェーバーにストレート排気コーエーCDI×2が当時の定番仕様初期雨宮の丸形ステッカーが泥棒に剥がされかけた事もあったわ(笑)この頃のロータリーエンジンは永久保証でディーラーでは5万円でフルOHしてくれた少々改造していても大丈夫だった良い時代(笑)
当時先輩が所有、1度狭い後ろに乗せてもらったことがある。音がとにかく聞いたことがない音。それと加速がスムーズでストレスなく回っている感じが「なんだこれは」と思った。当時はスポーツカーとかあることは知っていたし、私は「ランサー」に興味があった。しかしスポーツカーといううものがどういうものか、アクセルをそれなりの回転数まで回して走る時の、快感とか全然しらなかった・・。もったいない時代を送ったなと今ではそう感じるが、すべては過ぎた昔。旧車を紹介してもらってうれしいですね。有難うございました。
ボンネットがあまりに単調だという論評も目にしましたが、これはこれで良いですよね。輸出仕様はドアミラーなのに国内向けはフェンダーミラーなのもこの時代ならでは。
子供のころ、今でいう食玩の豪華版だった「ビッグワンガム」のおまけのプラモデルに、サバンナRX-7があったと記憶している。ボディカラーがライムグリーンのモデルだったので、リトラを上げた状態(おまけのプラモなのにヘッドライトが上下稼働できた)だとカエルみたいで可愛いって印象だったなw
28年前乗ってました。当時は中古で60万くらいだったかな?後期のターボでした。ロータリーだなんだ知識がなくスタイルのかっこよさで関東から見もせず電話のやり取りだけで購入。当時はロータリー専門のショップがたくさんありその中のひとつの店だったんですが購入時エンジンOHも依頼し納車。エンジンはOHしたものの他の補器類の不調でアイドリング不安定、信号待ちでは止まりそうでヒヤヒヤもんでした。何度ディーラーに持ち込んでも治らず(というか当時でも結構古い車両で分からない?)今もあるロータリーショップに持ち込み診てもらいエアフロ・スロットルボディ等フル交換。その時細かく不調の原因の説明を受けました。ほんとプロの職人さんって感じでしたね。戻ってきてほとんどバラして全塗装(セリカLBのモスグリーン)オルタやその他もあちこち交換しハヤシストリートにディーラーで広島に新品在庫があると純正のゴムっぽいウレタン?のリアスポも付け乗り回してました。転勤で栃木や山形にも住みましたが地元福島にしょっちゅう高速乗って帰ってました。高速リッター8くらい?街乗りである程度回すと3か4でしたね。今もこんなにかっこいい車ないと思ってますが部品のこと考えると乗れませんよね~
セブンのなかで一番好きです。見た目もスボーテイーだし、ターボが出たときもホントに良いなと思いました。後期のブラックテールもカッコ良かったですね🤗
免許取って初めて乗った車がこれでした😂中古車屋で一目惚れ❤それからいろいろ乗り継ぎましたが一番楽しい車でしたね👍もう一回乗りたいけど今やとても手が出せるお値段じゃないです🥹
素晴らしいクルマ!やはりマツダらしいというか、上司と喧嘩して作り上げるって凄い。例えばレガシィなんかも初代の開発時、桂田さん(というミスターレガシィと呼ばれるエンジニア)が、あのデザインは、運転席からの見切りを考えて、デザイナーと喧嘩して決めたというエピソードを思い出した。やはりマツダとスバルって、いい意味で変態だよね(笑)
発表会の時はマツダのディーラーの前に大行列ができたそうだもちろん爆売れリトラクタブルは怒涛の大ヒットになった。
やはり、よろしくメカドック!那智渡のマシン。
「エキセントリックシャフトは特注だがな」
中古だけどこのクルマに乗れた時代とMAZDAに感謝です。もっとハイパワーだったり豪華だったり車歴を重ねましたけどSA22Cのインパクトのある乗り味を超えるのは有りませんでした、あくまで個人の意見ですが…。サイドポートチューンの13Bが載ってましたけど10000回転近く回りましたけど3000回転回さないとアクセルに付いてこないし、3000回転以上だとせっかく取り付けたパイオニアのコンポが聞こえなかった。渋滞にハマれば黒煙吹くし…。高速でも一般道でも燃費が変わらなかったのが不思議です😮操縦性はオーバーステアの神、目を向ければ曲がってました(イメージ)歴代のRX-7の中でいっちゃんカッコイイと思ってます🎉
僕が小さい頃、近所のお兄さんがサバンナに乗っていて助手席に乗せてもらって近所にドライブに連れて行ってくれた思い出が蘇ります。😊
924のパクリって言われてたの、FC3Sじゃね?
24:37 「ど返し」では無く「度外視」では?最後の問題の答えは「2代目パルサー」かな?
ど返し←❌正しくは「度外視」よくぞ書いて下さいました🙇♂️
セミリトラクトラブルヘッドライトのピアッツァをお忘れじゃありませんか? cd値も0.36でフロントWウィッシュボーン後3リンクリジッド+コイル、前後輪共にアンチロールバー搭載ですからハンドリング&バンプの収まりは当時では最高峰に君臨していましたけど?(自分はアブソーバーにビルシュタインの水素ショック入れてましたけど
そういえば、杉良太郎が緑のRX-7に乗ってたドラマあったな子供心に異常にカッコ良かった思い出がある
小学生の時の憧れの車でした。大人になり12年落ち10万キロ超の初期型を購入し、乗ってました。燃費はノーマルキャブだと悪くないですよ、ウェーバーに交換すると悪かったです。足回りは前後固めてLSD入れるとドリフトでは楽しかったです。当時はAE86にも付いて行けないカタログスペックからは考えられないパワーのなさに閉口しました。でも、スタイルは今でも1番好きです。
ロータリーは、登りに弱いと,昔乗っていた職場のおっさんに聞いたことはある。他の車がそのまま行けるとこでも、シフトダウンしてたそうな。
回さないと走んない、でも回りだすとトコトン回るって言われてましたね。やたらマフラーから炎出してるのを見ました。憧れでした。
知り合いの会社には「社長が止めろと言ったら(開発を)止めるのか!」という社長の名言があるそうな。
SAのデイトナ仕様は本当にカッコいい
僕のあこがれの車です、当時は新車など到底買えず、ファミリアを中古で買った、でも良い車だったよ。FCが出て、7万キロの中古を買ってエンジン直した(ハウジングの研磨、アペックスシールの交換、少し知識が有って、チェンジャッキが使える場所さえあれば案外簡単に治せる、その車お釈迦にして、ディーラーの試乗車を安く買い、2代目の最終車の在庫落ちを買った、街角では、ソアラが目立ってた、時々あおられることもあるよ。今でも、倉庫にあるよ、エンジン関連の部品も、RX-8でロータリーが無くなったのは寂しいね、2万キロの中古が120万で買えたんで持ってるけど、これはこれで良い車だと思う、ただFDは高価だし、運転むずいし、一寸失敗作かなって思う。
1983年当時18歳。教習所に通っていて免許取る前にマツダディーラーでSA22Cの中古車を購入しました。当時はハイソカーブームで、友達は初代クレスタや430セドグロ、クラウンが人気でしたが。お金持ちが乗ってるスカイラインのジャパンターボやセリカXXなどを峠で追いかけまわしていたのが懐かしいです。確かに燃費は悪く、ガソリンスタンドで働いていたのですが、給料日の振込以上にガソリン代がかさんでしまい、マイナス分を会社に払った思い出があります。で子育てが一段落して、40歳超えてからFD3Sで峠に戻ったのもやはりロータリーの気持ち良さからでした。
924より断然スマートでカッコよかった。当時も今もほぼ全てのクルマにはない薄べったくて流麗なボディラインと低いドラポジが最高。
以前 父が知り合いから廃車の「ポルシェ924」を貰ってきて家の前に置いてありました。そのことを友人に話すと「見てみたい!」というので家に呼んで見せると…「何かRX-7(FC3S)みたいだな(苦笑)」まぁそうなるわな(笑)
このSA22の13年後にFD3型が発売されているという驚異。この時代の日本車の共通項だけど..............進化スピードが異常なのよね。90年代はほんま特異点だわ。今から13年前。2010年の車って、今の車と比べてどう感じるかで想像するとこの異常なまでの進化スピードに驚愕する。
80年から93年の13年のバイクの進化も異常という意外にない。
最終型からは7年です。
@@loyalsniper 開発年次の話をしているのに、生産年次の話をされても。。。
私は、昭和60年に3年落ちの57年式の6PIのGTXを100万ちょいで買いましたその時のターボの新車が220万以上くらいして手が出せなかったので中古を買いましたが15年くらい乗ってエンジンが壊れたのでそのまま廃車にして、今でも家の敷地内で草ヒロとなってます^^;いつかレストアしてまた乗りたいと思ってずっと捨てずに持ってましたが、もうドアはヒンジが腐ってもげてるし床も抜けて地面が見えてますし、もう再起不能かな?と思って最近ではあきらめてます^^;でも思い出の車だから手放せないんですよね~wちなみにエンジンはノーマルで普段の燃費はリッター5kmくらい、高速乗って長距離でも7キロ代が限界だったと思います。で最後の車はパルサーですよね?一緒ファミリアに見えるんで、話の流れからの引掛けですか?w
欧州向けのパルサーですね。現地名はチェリーでした。
最終のSA22Cターボを、ウェーバー仕様にして乗っていました。あまりにも燃費の悪さに泣く泣く手放しました。アクセル全開で、ガソリンメーターが目視で減って行くのがわかるぐらいでした。音も速さも最高の車でした。
激安中古のRX3でロータリーの魅力にハマり歴代セブンを乗り継ぎました、SAは買ってすぐダンドラペリにアホ太マフラーでアクセル踏めばタコメーターと逆方向に動く燃料計…心なしか「チャリンチャリン」と小銭をばら撒く音が聞こえた様な気がします😂ターボにも乗りましたが個人的にはNAの方が楽しかったナァ…
平成5年くらいに赤のターボ乗ってた。とにかく綺麗なスタイルで、暇が有れば眺めてはウットリしてたっけ(笑通勤ではリッター4キロを下回ることもしばしば…高速道路でのリッター7キロが最高燃費だった。
ガキの頃、鼻歌まじりにチャリ蹴ったくって友達ん家行く途中、スーツと追い抜いて行った車。RX―7だった。このスタイルが車に興味持つきっかけを作ってくれた
いや、懐かしいクルマの紹介をありがとうございます。先輩が購入して納車の日に「乗せてやるよ」と助手席に収まり、コーナーでいとも簡単にテールスライド。リカバリー操作を誤って立木に衝突、反動で後ろをコンクリの壁にぶつけ、納車初日で廃車になったというマシンでしたが、あのロータリーサウンドと滑らかで心地よい加速感、スペシャリティな全体感は忘れられません。クルマよりまず先にこちらの安否を確認してくれた優しい先輩でした。
初代7に乗ってたよ。燃費もそんな悪くなかった。8㎞/Lいってたと思うよ。
当時の小型乗用車(カローラクラス)が80万円前後だったから頑張れば買えたと言ってもR32~R34GT-Rを新車で買う感じだったんだけどね。ちなみにアルトが47万円の頃。そしてクラウン、セドリックと同価格帯以上だった。
よろしくメカドックで那智さんが乗ってたな
MAZDAは、かなりポルシェを意識してます。これは、開発者がはっきり応えてます。特に足周りに力を入れていて、ポルシェに追いつけ追い越せ!で開発されている。
北海道の田舎の直線でちょっと言えない数字を出すと燃料計の針が下がっていくのが目でみえるとんでもない車でした。格好いいし楽しかったけど狭くて財布には優しくなかったなあ。
RX-7のCMで「今確実に名車の歴史を刻む」というフレーズがありましたが、まさにそんな感じな車でしたねロータリーは燃費面がありますが、オイルを食うという指摘もあったような
燃焼室内にオイルが入る構造なので、オイルが燃焼するのは承知の上ですね。
昭和53年の規制があるなかでのリリースはやっぱスゴい。
映画「太陽を盗んだ男」の中で犯人役の沢田研二の乗るsa22と刑事役の菅原文太の乗るルーチェのカーチェイスシーンはカッコよかったなぁ。
菅原文太が乗っていたのはコスモAPです。
@@galaxygray 失礼しましたm(_ _)m
当時のジュリーは910ブルのCMに出てた。
910ブルのイメージキャラのCMも太陽を盗んだ男も1979年公開撮影は910ブルのCMより先だからマツダ車のPRが許されたと思う。
発売されてすぐに白のGTを買いました。思い出の深い車です。燃費は7km/ℓ程度でしたね。ファイナルを落としノンスリデフに組み替え純正のラリーサスを組付け楽しんでいました。もう40数年前の話です。
宇宙刑事シャイダーでシャイダーの相棒のアニーが乗り回してたクルマだ☀️懐かしい❤️
昭和55年式のSA22C、昭和60年式のFC-3S、平成元年式のFC-3S(後期)に乗ってました。当時、若かったので毎週のように峠に繰り出しては当時の2stバイクとバトルしてました。
那智渡、井上和彦さんを思い出します。
昔、叔父さんに借りて乗った事があります。緑色のが多かったので通称「アマガエル」。電気自動車ってきっとこんなだろう・・・って感じましたね。とにかく底なしにストレスなく回るエンジンに吃驚でした。
マツダ初代サバンナRX-7ですね。この車ウルトラマン80のパトロールカーで出てましたね。私はマツダサバンナRX-7のデザインが大好きです。
コスモスポーツも初代ウルトラマンに出てます❗️かっこ良かったんだ❗️
@@富喜夫川島 初代ではなく帰ってきたウルトラマンの方ですね
ウルトラマン80では、UGMの「スカウターS7」として出てましたよね。(^-^)ちなみに、コスモスポーツは「マットビハイクル(帰ってきたウルトラマン)」でしたね。
冬は暖気しないと走らない・・・、オイル喰って排ガスが臭い・・・、燃費が悪い・・・、プラグが焼き付いて外せなくなる・・・。困ったちゃんのRX-7・・・。
SA22Cは前期中期後期と総て乗ってたけど、自分的には操作性高かった。ノンスリ入れてなくてもお尻が適度に流れてくれてたし、パワステ無くても比較的に軽いハンドリングにキビキビ走るから燃費も気にならなかった。走りを楽しむ車に燃費を求めたらアカンやろってね。最後に乗ってたユーノスコスモ20Bも高速での加速良かったし、やっぱりロータリー大好きやなぁ。
デザイン初心者が陥る「自分の目で見て良いと思ったデザインを、頭の中で再構築したつもりでクリエイティブしたつもりが、アイデアの引き出し無く、結果的に同じものを作っちゃった」パターンのヤツ。残念だが、これがパクリと言うもの。今でも同じことやってるね?穴埋めて角丸にしたヤツ。
RX-7で印象に残ってるのは、村上もとかの「ドロファイター」に出ていたR-X-7SAMURAIですね。当局の取り締まりをかいくぐっての大陸横断ヤミレースでコンボイ相手の爆走また爆走!いやー、カッコ良かった!ひょっとしたら「赤いペガサス」のSV-01改よりも好きかも。
プロジェクトⅩのロータリーエンジン開発秘話は今観ても感動する。(・ω・`)
個人的にSAのイメージが 某漫画のあの人が乗ってるイメージが
初代コスモスポーツのデザインで突き抜け過ぎて反省したのか、SAはポルシェ924の劣化デザイン、FCはポルシェ944の劣化デザイン、FDでようやくコンプレックス脱却というイメージは拭いがたい。ロータリーのコンパクトさを生かして、もう少しオリジナリティの出しようがあったんじゃないかと。
日本テレビのドラマ「大激闘 マッドポリス」で渡瀬恒彦さんがサンルーフ付のこのモデルに乗ってましたね
昔解体にあったセブン買うか悩んだな
SAは所有したことないんだよなぁ💦 ほちぃロータリーは新しいほど燃費が良いイメージですFDは電装系と点火系弄ってたこともあってエアコン付けて峠を流してもリッター10キロは走れましたよガソリン満タンで東京から新潟を往復して帰ってこれました
RX-7turbo SE Limited て言う最上位グレードの革張りのを新車で買って10年乗ってましたー。足回りはBILSTEIN製だったかなー。手動でダイヤル調整出来るけどやりずらいから❌。1度だけローターにカーボンが付着して始動出来なくなるトラブルが出たけど何とか治りました。足回りに関しては中古車屋で試乗したノンターボのRX-7の方が私は好みでしたねー。調整機構無しでもビシッと決まってて如何にもスポーツカーらしい足回りだと思いました。今でも取り説だけは家に持ってます。燃費は平均8km位は出てたなー。高速なら12km位だったはず。それからロードスターに乗り換えましたー。
マジでかっこいい!
RX-7 運転して楽しく良いクルマでした。懐かしいですね〜本気で加速すると…燃料計の針がカクン!と下りましたね。クルマの為に働きてた感じでした。
当時の雑誌で、ドイツでも人気だったと読んだ記憶があります。ヴァンケルエンジンを日本が甦えさせたというのと、当時はあくまで排気量が課税対象だったので有利だったらしい。
こち亀で、バッテリーを取り換えても取り換えても直ぐ上がる、ってネタにされてた様な。
87年に田宮模型のプラモを作りましたね~❗もちろんキットのダサいフェンダーミラーは使わずに別パーツのドアミラーで(笑)「おむすび型のロータリーエンジン」という説明文をあちこちでよく見かけましたね。ロータリーエンジンの形をした純正アルミホイールや、まさかの前開きボンネットが面白すぎた。
結果的には、社長一押しのリアガラスは重い上に剛性最悪だから、やめてよかったと思う。というかこのリアガラスのせいで、RX-7はFCまでテールハッピーで事故率高めの車になってしまった。それを補って余りあるカッコよさがあるのも事実だけどね。
リアのサスペンションはリジットでしたが、ラテラルロッドがワットリンクで当時、凄く感銘した覚えが有ります。
中古車を買おうと思い、当時物の専用ホイールの、社外物を持っていますが、価格が結構してますね。いい物にめぐり逢うまで8で、楽しみます。又当時RX7ベースのコルベッティーと言うコルベットレプリカが、ありましたよねぇ。
初代ファミリアかな・・・RX-7はかっこ良くて憧れだったな~ただ・・・燃費が・・・ねぇ・・・その次に憧れたカッコイイ車はセリカXXとAE85以降のスプリンター・トレノセリカは2000GTのデザインも好きでプラモデルを買ったりもした。あと、ハコスカ!「横須賀でハコスカを乗り回す会」とかないかな?観てみたいわ~ww
私もsa乗ってました。田舎では昔はガススタ少なく夜早く閉まるから、下り坂見ればニュートラル走行ばっかしてた記憶がある。
78年でこのデザインは先進過ぎて凄かったと思います。まるで輸入車に見えます。私は79年生まれでこの車は幼少期に初期のグリーンを見かけたり、赤色のラジコンを持っていました。ラジコンなのにリトラが上がってライトも点く代物で子供心にカッコいい車だったという記憶があります。あと昔のマツダはコストをかけずに綺麗なデザインやユニークな車を量産してくれて、しかも低価格でユーザーに提供してくれましたが、最近のマツダは高コストを掛けた車ばかりになって価格も高額になってまるでレクサスみたいになったと個人的に思います。質感は上質になりましたけど価格も大分上がりました。一番安いデミオが200万円超えです...
確かマイルドヤンキーは広告代理店がここ10年ぐらいで作った用語ですよ当時はそんな言葉は存在していませんチンピラとでも言えばいいでしょと言いたくなるイラっと来る表現ですね
おじさんが白のRX‐7、おばさんが赤のファミリアハッチバックに乗っていました。当時RX‐7はスーパーカーだと思っていました。ファミリアはドアミラー、異形ヘッドライトでかっこよかったです。
この車で3人乗って200km走って大阪まで行った。前と後ろトイレ休憩のたびに変わったが、少々疲れた記憶がある(^^;)
高燃費だと燃費が悪いって意味だよ。好燃費なら分からなくもないけど。
印象が似てるってだけだと924だけじゃなくFiatのX1/9も結構パッと見が似てた。きちんと見るとFiatは完全に2シーターデザインだったりでかなり違うんですけどねw
ハイブリッドロータリー かやはり発電専用エンジンか 後は? トルクはターボで解消出来るから燃費をどうするが問題です ワンロータブラスターボならば可能性は有るかもと私は想い考えますが。
ロータリーね、計量コンパクト(補機類でそこまでコンパクトでは無い・)排ガス規制でエアポンプ回して排気薄めたりパワーが〜! (いや排気量換算じゃ無く、入れる燃料量で比較しては?)SAだっけ? リトラ連続してup/downするとズレてくるの上手い人は右左 別パカパカでパッシングしてたwサイドポート加工やペリw環境にも静粛性も燃費も無視した極悪、劣悪仕様にすると速いと思うケドネ〜好きだったけどネ
親父が購入。 当時中学生だったのですが、後席は苦しかった。
42年前、13Bペリに乗って言いました。高速でアクセルを思いっきり踏むとリッター500メートル位でした。でも、そんな事は問題に成らないほど軽快で速かったですね。
サバンナRX-7が出た時は日本車でもこんなスパーカーみたいな車作れるんだって素直に感動しました。ただどこの動画もそうなのですが、ロータリーの下りでファミリアロータリークーペが忘れられるのは何故でしょう?最初にレースに出た名車なのに・・・。あとタコメーターが中心にあるのはローターリーの回転がスムーズすぎてオーバーレブにならない様にという事もあったと思います。
ファミリアロータリークーぺはカッコいいと今でも思っているのは、自分だけでしょうか?😅実質的に最初に本格的に量産型として世に出た、一般市民にも手が届く初めてのロータリーであったのに。初代サバンナとコスモスポーツの間に挟まれて忘れられつつあるのは残念であります。(初代カペラも割と..)あの、天下の大悪党大久保清の愛車であったことなど、もはや誰も知りますまい..
ファミリアロータリークーペってのは、当時の連続○人鬼「大久保清」が犯行に使ってていたせいで、イメージが悪くなっちゃったss
@@孝昭城戸 クボキヨのせいで中嶋さんがレーサーデビューした車のイメージが壊された。
SAはどうだったか記憶無いですが、その後のFCはレッドまで回すとメーター内からブザー鳴りました。頭打ちなく際限なく回るロータリーエンジンはほんと日本が誇る技術の結晶です。正面タコメーターはやる気をそそりますね~燃費悪化の原因ですが(笑)
@@mini1000sprite でも、レースだと上には上がいたようでポルシェ935よりは良かったようです。その証拠に1981年の鈴鹿1000キロではシルエット仕様の「253」がピット回数の差であわや番狂わせの2位に入りました。
ポルシェの丸パクりと言うよりFIAT X1/9の方が似てるよね。
子供の頃初代RX-7を初めて見た時、「どこのスーパーカーだ?」と衝撃を受けたのを覚えています。また、グループBのワークスカーも実物を見ましたが、元々コンパクトなエンジンをギリギリまで後方まで下げていたためエンジンが無いように見えます。知らない人は「これエンジンは後ろにあるん?」と言ってました。
私は、53年式を8年間、59年式を23年間乗っていた者です。
燃費については、初期モデルの53年式も最後期の59年式も、通常の市街地での運用では平均6~7km/リットル、高速中心では10km/リットル前後でした。
特にエコランしなくても、この燃費でした。「燃費が良い」とはお世辞にも言えませんが、当時の3,000ccクラスのクルマとそんなには変わらないと思います。
もちろんアクセルを踏めばいつでも8,000rpmまでスムーズに回って楽しめましたし。本当に「良いクルマ」でした。
現在はロータス・エリーゼに乗っています。
59年式だと6PIのタイプですか?
RX-7は初期のサーマルリアクターから希薄燃焼に酸化触媒、最高期型の6PIとドライバビリティ改善と燃費向上だったけど燃費に
関しては特に良くなってはいなかったようですね?
俺が免許と取った90年当時でも、まだ街中にこのRX7が走っていたのを覚えてる。その頃は20〜30万も出せば相当にいいタマが狙える時代で、そのコスパの良さも手伝ってか買われた7の大半がヤン車化してたなぁ〜
でも恥ずかしい仕上がりじゃ無く、ポルシェよろしくなフルエアロで決めてる連中が凄く多かった。
町工場に「羨望のRX-7」という横断幕を見たのを思い出します。
当時中学生でしたが、スーパーカー世代としては国産車にリトラが出たのが衝撃でした。
マツダ凄すぎる。
わりと最近まで後期型ターボに乗っていました、20年ほど前に100万円程度で中古で買ったものです。
毎年、いろんな個所の修理や再塗装、エンジンオーバーホールとか毎年結構お金がかかったなあ。
でも、RX-7のある生活は楽しかったですよ。
どの角度で見てもかっこいいし、峠ではゴーカートみたいな感じで楽しかった。 軽量でターボのおかげで高速道路も速かったし、今まで乗った車の中で最高でしたね。
車を止めていると色んな人に興味を持たれて話しかけられるのも良い思い出です。
最後はパーツの絶版により走れなくなり、泣く泣く手放すことになりました。
タイムマシンで発売当時に戻って新車を手に入れたいと妄想しちゃいます。
初代RX-7の動画UPありがとうございました!
全て中古ですが、6piを1台、ターボ2台乗り継ぎました。燃費は4.5~6位でしたね。オーバーステアは出るけどアンダーは出ない、楽しい車でした。ドア開けるとシートベルトしたまま地面でタバコの火を消せる位、着座位置が低いのも魅力でした。
ロータリー。過去サバンナ(RX3型)に乗ってた頃、燃費は平均で8㎞/lでした。高速巡航では10㎞/lでしたから其ほど悪い燃費ではありませんでした。ただ、冬場に暖気をしていると、突然2~3㎞/lに成る事も珍しくありませんでしたねぇ…
掛けるのはお金ではなく、情熱・・・素敵な考え方だと思う。
SA、FC、FD全てかっこいい!
4年前にうちの子がマツダに修学旅行に行きました
子供達はあらかじめ質問を用意しておくようにとなってたので「ロータリーエンジンはこの先無くなるのでしょうか?」と自分が質問を持たせておきました
うちの子が質問をするようで例の質問をした時の答えが、「ロータリーエンジンは変わった形で残るかもしれません」・・だったそうです
既に開発していたのでしょうね~。
1980年台の大昔、ある仕事でマツダの役員と海外工場勤務のお偉いさんのお二人と、会食をしたことがあるんだが、当然色んな車の話になっった。僕は、いわゆるスーパーカー
小僧だったので、「どんな車も夜ヘッドランプを前から見ればどの車かすぐ分かったけど、わからないのが一つだけあるんです。RX-7tとポルシェ、夜見ると判別できないんですよね〜」と話したら、向こうの二人は嬉しそうな顔をして、「君よいく分かったね。実はね。。。」「開発当時、ポルシェを一台購入して、徹底的に調べ上げて、全部分解して組み上げ直したんだよ。で、RX-7のヘッドランプはね、実は点灯した時の位置が、ポルシェと同じになるようにしたんだよ。夜、前から見れば、ポルシェに見えるさ。」という話を聞かされました。寸法を調べたわけじゃないけれど、なんかエンジニアの夢が詰まっている車なんだな〜と、こんな話を思い出しました。
初めて買ったクルマがこれでした。マツダメーカーの社員でしたので開発中の内部情報を漏れ聞く度に期待が高まり、実車を見たら買うのを決めました。沢山の想い出を作りました。
性能を抜きにしてかっこよさだけを見れば歴代RX-7最強なのが初代。「よろしくメカドック」でのRX-7とXXのバトルは激アツ。
レーシングワタナベのZもお忘れなく。
社長にも臆すること無く意見を言えるのは凄いと思う。と同時に、それを受け入れた社長の度量もかなり凄いと思った。
贅沢なことにSA22Cは自分の金で買った初めての車。
実用燃費は7.5km/L。当時最後のFRファミリアのガワとエンジンを載せ替えただけなのでリヤが弱くてテールスライドするとそのまま回転数が上がって、慣性マスが大きいので回転落ちが遅いためにハーフクラッチでやり過ごす必要があり、ノーマルのシートでは体が支えられなかった。逆に加速時にはシフトアップ毎に所謂「ロータリーの蹴り」があり、シフトアップでトルク低下が無く、レシプロとは全く違う運転が必要だった。
リヤのストラットを自作バーで繋いだり色々やったけどついぞ扱い切れなかった。
初期型のサーマルリアクターは冬場エンジンを止めると、しばらくしてリアクター内に残った未燃焼ガスが発火して「パッカーン!」と毎回のように轟音が響いていた。職場の同僚から「お前の車が吹いた火炎放射でワシの車が焦げた」とか冗談で言われて本気で焦るくらいの音で困惑していた。
マツダの営業から「燃費差で貯金ができる」とバカ売れした初代FFファミリアに乗り換えたがずっと後悔していた。
初代RX-7と言うと、どうしてもメカドックの那智渡のイメージがあります。
メカドック???
@@aska-pp3570 よろしくメカドック
ナベさんのフェアレディZも
おぉぉんっガッ!懐かしい!メカドック!?那智兄弟!?
メカドックの那智のセブンが めちゃくちゃカッコ良かったなぁ 今でも欲しい一台です 若い頃FC乗ってたのも 良い思い出
RX-7にべた惚れしたドイツ人の大男は、実は乗れなかった。運転席に無理矢理乗ると頭が天井につかえてしまい斜めになってしまう。
しかし彼は発売と同時に迷わず買った。
そしてすぐに鈑金屋に持ち込んで頭の部分を丸く叩き出してもらったのだ。これでRX-7の運転が出来る。凄い根性だよね。
中古のAZ-1を日本で買ったアメリカ人の大男は、やはり頭が天井につかえてしまった。そこで彼は、シートレールを外してシートを床に直付けして座れるようにした。
二人とも凄いよね。
SA22Cの登場は何より国産車にリトラクタブルヘッドライト採用が衝撃的でした。
たしか、カタログに固定式ヘッドライト案の図もあったと思いましたが、これじゃなくて良かったって感じでした、
そして後期型のころにいわゆるTWRスポイラーが流行りましたが、今でも秀逸なデザインだと思っています。
マスコミ対策でテスト用はカエル目も存在しました。
私もそうですが今でもパカパカライト大好きですね
若い頃、SA22C RX-7にTWRのフロントエアロとリアスポイラー、アウトストラーダのホイール、ピレリP7をつけて、乗ってました。大好きな車でした。
社員の言うこと訊くのも社長の器量。
SAも斬新なフォルムで凄いよな…リトラと低いノーズが時代を感じるけど好きだわ…
RX-7はどれも格好良い!
意外と触れられないけど、Cピラーの形やリアガラスの、サイドまで大きく回り込むようなデザインってマツダ初のロータリースポーツであるコスモスポーツから引き継いでいて面白いんですよね〜。
その後FC、FD、RX-8も全てこのデザインを採用してて胸熱。❤️🔥
斬新なフォルムというか、まんまポルシェ924。
15年前まで最終型ターボに乗ってました。
初めて買った車は初期型で、
峠のガードレールに刺さって廃車になりました。
数年後に、やはりロータリーの良さに抗えず、
ターボを85万で購入。
ディーラーの営業マンの紹介でロータリーを得意とするショップを訪ねました。
そこで交換すべきパーツを洗い出してもらいました。
A4の紙4枚に渡り、びっしりと書き込まれたリストは,車を手放した今でも大切に持っています。
パワステとオイルクーラーのパーツ不足には泣かされましたね。
エンジンとターボはオーバーフォールし、足回りは全て新品交換。
補強類もパーツがあるものは交換。
オーバーヒート対策としてラジエターファンを電動にしたりと、時間もお金もつぎこみました。
宝くじが当たったら、もう一度欲しい車ですネ。
SA22Cデビュー当時は小学生でしたけど、カウンタックやミウラにも見劣りしないカッコ良さでしたね~~♡♡♡
7乗ってました!燃費悪くてガソリン代がたいへんでした。でもどこまでもストレスなく回るエンジンは最高!でした。なるほどね、ロケットね、言われみればなるほどって感じでしたね。回頭性は非常に良かったですね。置いとけばよかったなぁー
自分も乗ってました。良く下がスカスカなんていわれてますが"RX-7の上に比べて"ってだけで他の車(SAの前に乗ってた130Zも含めて)には全然負けてなかったと思います。なんと言っても運転してても軽い車って感じが好きでした😃
そもそもこの車の企画は当時の大株主の住友の経営再建部隊がマツダは看板商品のロータリーで失地回復しないと未来は無いとロータリーの父山本さんに与えたミッションから始まったので社長の邪魔は入りにくいとこで一気に進んだ
rx7最終型のターボ
乗ってますが、
実燃費、、、悪く無い😅
下道、7〜8
高速で最高15.68を
叩き出した時もある😊
確かに楽し過ぎて、
アクセルは踏みがちには
なりますねぇ(笑
しかしながら、
ほぼ同じ年式のランタボ
にも乗ってるけど、
峠のスポーツ走行では
同じペースなら
セブンの方が燃費良かったりする😅
乗り方や改造して
極悪燃費になるのは
間違いないですねぇ
20Bのコスモは
どうあがいても、
極悪、最悪燃費と言うのは間違いないですが(笑
もし良ければ、
今度、夢のドリーム
コンセプトカー
RX500を特集してください❤
博物館の500を
友達がエンジンOHして
また走れる様に
なります。
当時は、国産にライバル無し状態で強すぎて嫌いだった記憶があります。
(本当は大好きな美味な存在)
リトラにしたのは、固定ライトだとアメリカのライト規制(最低地上高)をクリア出来なかったからだと思ってました。
昭和54年式のSE-GTを昭和57年に免許取り立てで買ったな
当時教習所の車は3速コラムだった時代で、ハンドリングも含めて全てが違っていた(笑)
TWRフロントカウルでリアは雨宮をパテ埋め、ウェーバーにストレート排気コーエーCDI×2が当時の定番仕様
初期雨宮の丸形ステッカーが泥棒に剥がされかけた事もあったわ(笑)
この頃のロータリーエンジンは永久保証でディーラーでは5万円でフルOHしてくれた
少々改造していても大丈夫だった良い時代(笑)
当時先輩が所有、1度狭い後ろに乗せてもらったことがある。音がとにかく聞いたことがない音。それと加速がスムーズでストレスなく回っている感じが「なんだこれは」と思った。当時はスポーツカーとかあることは知っていたし、私は「ランサー」に興味があった。しかしスポーツカーといううものがどういうものか、アクセルをそれなりの回転数まで回して走る時の、快感とか全然しらなかった・・。もったいない時代を送ったなと今ではそう感じるが、すべては過ぎた昔。旧車を紹介してもらってうれしいですね。有難うございました。
ボンネットがあまりに単調だという論評も目にしましたが、これはこれで良いですよね。輸出仕様はドアミラーなのに国内向けはフェンダーミラーなのもこの時代ならでは。
子供のころ、今でいう食玩の豪華版だった「ビッグワンガム」のおまけのプラモデルに、サバンナRX-7があったと記憶している。ボディカラーがライムグリーンのモデルだったので、リトラを上げた状態(おまけのプラモなのにヘッドライトが上下稼働できた)だとカエルみたいで可愛いって印象だったなw
28年前乗ってました。当時は中古で60万くらいだったかな?後期のターボでした。ロータリーだなんだ知識がなくスタイルのかっこよさで関東から見もせず電話のやり取りだけで購入。当時はロータリー専門のショップがたくさんありその中のひとつの店だったんですが購入時エンジンOHも依頼し納車。エンジンはOHしたものの他の補器類の不調でアイドリング不安定、信号待ちでは止まりそうでヒヤヒヤもんでした。何度ディーラーに持ち込んでも治らず(というか当時でも結構古い車両で分からない?)今もあるロータリーショップに持ち込み診てもらいエアフロ・スロットルボディ等フル交換。その時細かく不調の原因の説明を受けました。ほんとプロの職人さんって感じでしたね。戻ってきてほとんどバラして全塗装(セリカLBのモスグリーン)オルタやその他もあちこち交換しハヤシストリートにディーラーで広島に新品在庫があると純正のゴムっぽいウレタン?のリアスポも付け乗り回してました。転勤で栃木や山形にも住みましたが地元福島にしょっちゅう高速乗って帰ってました。高速リッター8くらい?街乗りである程度回すと3か4でしたね。今もこんなにかっこいい車ないと思ってますが部品のこと考えると乗れませんよね~
セブンのなかで一番好きです。見た目もスボーテイーだし、ターボが出たときもホントに良いなと思いました。後期のブラックテールもカッコ良かったですね🤗
免許取って初めて乗った車がこれでした😂中古車屋で一目惚れ❤それからいろいろ乗り継ぎましたが一番楽しい車でしたね👍もう一回乗りたいけど今やとても手が出せるお値段じゃないです🥹
素晴らしいクルマ!やはりマツダらしいというか、上司と喧嘩して作り上げるって凄い。例えばレガシィなんかも初代の開発時、桂田さん(というミスターレガシィと呼ばれるエンジニア)が、
あのデザインは、運転席からの見切りを考えて、デザイナーと喧嘩して決めた
というエピソードを思い出した。やはりマツダとスバルって、いい意味で変態だよね(笑)
発表会の時はマツダのディーラーの前に大行列ができたそうだもちろん爆売れリトラクタブルは怒涛の大ヒットになった。
やはり、よろしくメカドック!
那智渡のマシン。
「エキセントリックシャフトは特注だがな」
中古だけどこのクルマに乗れた時代とMAZDAに感謝です。
もっとハイパワーだったり豪華だったり車歴を重ねましたけどSA22Cのインパクトのある乗り味を超えるのは有りませんでした、あくまで個人の意見ですが…。
サイドポートチューンの13Bが載ってましたけど10000回転近く回りましたけど3000回転回さないとアクセルに付いてこないし、3000回転以上だとせっかく取り付けたパイオニアのコンポが聞こえなかった。
渋滞にハマれば黒煙吹くし…。
高速でも一般道でも燃費が変わらなかったのが不思議です😮
操縦性はオーバーステアの神、目を向ければ曲がってました(イメージ)
歴代のRX-7の中でいっちゃんカッコイイと思ってます🎉
僕が小さい頃、近所のお兄さんが
サバンナに乗っていて
助手席に乗せてもらって近所に
ドライブに連れて行ってくれた
思い出が蘇ります。😊
924のパクリって言われてたの、FC3Sじゃね?
24:37 「ど返し」では無く「度外視」では?
最後の問題の答えは「2代目パルサー」かな?
ど返し←❌正しくは「度外視」よくぞ書いて下さいました🙇♂️
セミリトラクトラブルヘッドライトのピアッツァをお忘れじゃありませんか? cd値も0.36でフロントWウィッシュボーン後3リンクリジッド+コイル、前後輪共にアンチロールバー搭載ですからハンドリング&バンプの収まりは当時では最高峰に君臨していましたけど?(自分はアブソーバーにビルシュタインの水素ショック入れてましたけど
そういえば、杉良太郎が緑のRX-7に乗ってたドラマあったな
子供心に異常にカッコ良かった思い出がある
小学生の時の憧れの車でした。大人になり12年落ち10万キロ超の初期型を購入し、乗ってました。
燃費はノーマルキャブだと悪くないですよ、ウェーバーに交換すると悪かったです。
足回りは前後固めてLSD入れるとドリフトでは楽しかったです。当時はAE86にも付いて行けないカタログスペックからは考えられないパワーのなさに閉口しました。
でも、スタイルは今でも1番好きです。
ロータリーは、登りに弱いと,昔乗っていた職場のおっさんに聞いたことはある。他の車がそのまま行けるとこでも、シフトダウンしてたそうな。
回さないと走んない、でも回りだすとトコトン回るって言われてましたね。
やたらマフラーから炎出してるのを見ました。憧れでした。
知り合いの会社には「社長が止めろと言ったら(開発を)止めるのか!」という社長の名言があるそうな。
SAのデイトナ仕様は本当にカッコいい
僕のあこがれの車です、当時は新車など到底買えず、ファミリアを中古で買った、でも良い車だったよ。
FCが出て、7万キロの中古を買ってエンジン直した(ハウジングの研磨、アペックスシールの交換、少し知識が有って、チェンジャッキが使える場所さえあれば案外簡単に治せる、その車お釈迦にして、ディーラーの試乗車を安く買い、2代目の最終車の在庫落ちを買った、街角では、ソアラが目立ってた、時々あおられることもあるよ。
今でも、倉庫にあるよ、エンジン関連の部品も、RX-8でロータリーが無くなったのは寂しいね、2万キロの中古が120万で買えたんで持ってるけど、これはこれで良い車だと思う、ただFDは高価だし、運転むずいし、一寸失敗作かなって思う。
1983年当時18歳。教習所に通っていて免許取る前にマツダディーラーでSA22Cの中古車を購入しました。当時はハイソカーブームで、友達は初代クレスタや430セドグロ、クラウンが人気でしたが。お金持ちが乗ってるスカイラインのジャパンターボやセリカXXなどを峠で追いかけまわしていたのが懐かしいです。確かに燃費は悪く、ガソリンスタンドで働いていたのですが、給料日の振込以上にガソリン代がかさんでしまい、マイナス分を会社に払った思い出があります。で子育てが一段落して、40歳超えてからFD3Sで峠に戻ったのもやはりロータリーの気持ち良さからでした。
924より断然スマートでカッコよかった。
当時も今もほぼ全てのクルマにはない薄べったくて流麗なボディラインと低いドラポジが最高。
以前 父が知り合いから廃車の「ポルシェ924」を貰ってきて家の前に置いてありました。そのことを友人に話すと「見てみたい!」というので家に呼んで見せると…「何かRX-7(FC3S)みたいだな(苦笑)」まぁそうなるわな(笑)
このSA22の13年後にFD3型が発売されているという驚異。
この時代の日本車の共通項だけど..............進化スピードが異常なのよね。
90年代はほんま特異点だわ。
今から13年前。
2010年の車って、今の車と比べてどう感じるかで想像すると
この異常なまでの進化スピードに驚愕する。
80年から93年の13年のバイクの進化も異常という意外にない。
最終型からは7年です。
@@loyalsniper 開発年次の話をしているのに、生産年次の話をされても。。。
私は、昭和60年に3年落ちの57年式の6PIのGTXを100万ちょいで買いました
その時のターボの新車が220万以上くらいして手が出せなかったので中古を買いましたが
15年くらい乗ってエンジンが壊れたのでそのまま廃車にして、今でも家の敷地内で草ヒロとなってます^^;
いつかレストアしてまた乗りたいと思ってずっと捨てずに持ってましたが、もうドアはヒンジが腐ってもげてるし
床も抜けて地面が見えてますし、もう再起不能かな?と思って最近ではあきらめてます^^;
でも思い出の車だから手放せないんですよね~w
ちなみにエンジンはノーマルで普段の燃費はリッター5kmくらい、高速乗って長距離でも7キロ代が限界だったと思います。
で最後の車はパルサーですよね?一緒ファミリアに見えるんで、話の流れからの引掛けですか?w
欧州向けのパルサーですね。
現地名はチェリーでした。
最終のSA22Cターボを、ウェーバー仕様にして乗っていました。あまりにも燃費の悪さに泣く泣く手放しました。アクセル全開で、ガソリンメーターが目視で減って行くのがわかるぐらいでした。音も速さも最高の車でした。
激安中古のRX3でロータリーの魅力にハマり歴代セブンを乗り継ぎました、SAは買ってすぐダンドラペリにアホ太マフラーでアクセル踏めばタコメーターと逆方向に動く燃料計…心なしか「チャリンチャリン」と小銭をばら撒く音が聞こえた様な気がします😂
ターボにも乗りましたが個人的にはNAの方が楽しかったナァ…
平成5年くらいに赤のターボ乗ってた。
とにかく綺麗なスタイルで、暇が有れば眺めてはウットリしてたっけ(笑
通勤ではリッター4キロを下回ることもしばしば…
高速道路でのリッター7キロが最高燃費だった。
ガキの頃、鼻歌まじりにチャリ蹴ったくって友達ん家行く途中、スーツと追い抜いて行った車。RX―7だった。このスタイルが車に興味持つきっかけを作ってくれた
いや、懐かしいクルマの紹介をありがとうございます。先輩が購入して納車の日に「乗せてやるよ」と助手席に収まり、コーナーでいとも簡単にテールスライド。リカバリー操作を誤って立木に衝突、反動で後ろをコンクリの壁にぶつけ、納車初日で廃車になったというマシンでしたが、あのロータリーサウンドと滑らかで心地よい加速感、スペシャリティな全体感は忘れられません。クルマよりまず先にこちらの安否を確認してくれた優しい先輩でした。
初代7に乗ってたよ。燃費もそんな悪くなかった。8㎞/Lいってたと思うよ。
当時の小型乗用車(カローラクラス)が80万円前後だったから頑張れば買えたと言ってもR32~R34GT-Rを新車で買う感じだったんだけどね。
ちなみにアルトが47万円の頃。そしてクラウン、セドリックと同価格帯以上だった。
よろしくメカドックで那智さんが乗ってたな
MAZDAは、かなりポルシェを意識してます。
これは、開発者がはっきり応えてます。
特に足周りに力を入れていて、ポルシェに追いつけ追い越せ!で開発されている。
北海道の田舎の直線でちょっと言えない数字を出すと燃料計の針が下がっていくのが目でみえるとんでもない車でした。
格好いいし楽しかったけど狭くて財布には優しくなかったなあ。
RX-7のCMで「今確実に名車の歴史を刻む」というフレーズがありましたが、まさにそんな感じな車でしたね
ロータリーは燃費面がありますが、オイルを食うという指摘もあったような
燃焼室内にオイルが入る構造なので、オイルが燃焼するのは承知の上ですね。
昭和53年の規制があるなかでのリリースはやっぱスゴい。
映画「太陽を盗んだ男」の中で犯人役の沢田研二の乗るsa22と刑事役の菅原文太の乗るルーチェのカーチェイスシーンはカッコよかったなぁ。
菅原文太が乗っていたのはコスモAPです。
@@galaxygray 失礼しましたm(_ _)m
当時のジュリーは910ブルのCMに出てた。
910ブルのイメージキャラのCMも太陽を盗んだ男も1979年公開
撮影は910ブルのCMより先だから
マツダ車のPRが許されたと思う。
発売されてすぐに白のGTを買いました。思い出の深い車です。燃費は7km/ℓ程度でしたね。ファイナルを落としノンスリデフに組み替え純正のラリーサスを組付け楽しんでいました。もう40数年前の話です。
宇宙刑事シャイダーでシャイダーの相棒のアニーが乗り回してたクルマだ☀️懐かしい❤️
昭和55年式のSA22C、昭和60年式のFC-3S、平成元年式のFC-3S(後期)に乗ってました。当時、若かったので毎週のように峠に繰り出しては当時の2stバイクとバトルしてました。
那智渡、井上和彦さんを思い出します。
昔、叔父さんに借りて乗った事があります。緑色のが多かったので通称「アマガエル」。
電気自動車ってきっとこんなだろう・・・って感じましたね。とにかく底なしにストレスなく回るエンジンに吃驚でした。
マツダ初代サバンナRX-7ですね。この車ウルトラマン80のパトロールカーで出てましたね。私はマツダサバンナRX-7のデザインが大好きです。
コスモスポーツも初代ウルトラマンに出てます❗️かっこ良かったんだ❗️
@@富喜夫川島 初代ではなく帰ってきたウルトラマンの方ですね
ウルトラマン80では、UGMの「スカウターS7」として出てましたよね。(^-^)
ちなみに、コスモスポーツは「マットビハイクル(帰ってきたウルトラマン)」でしたね。
冬は暖気しないと走らない・・・、オイル喰って排ガスが臭い・・・、燃費が悪い・・・、プラグが焼き付いて外せなくなる・・・。
困ったちゃんのRX-7・・・。
SA22Cは前期中期後期と総て乗ってたけど、自分的には操作性高かった。ノンスリ入れてなくてもお尻が適度に流れてくれてたし、パワステ無くても比較的に軽いハンドリングにキビキビ走るから燃費も気にならなかった。走りを楽しむ車に燃費を求めたらアカンやろってね。最後に乗ってたユーノスコスモ20Bも高速での加速良かったし、やっぱりロータリー大好きやなぁ。
デザイン初心者が陥る「自分の目で見て良いと思ったデザインを、頭の中で再構築したつもりでクリエイティブしたつもりが、アイデアの引き出し無く、結果的に同じものを作っちゃった」パターンのヤツ。
残念だが、これがパクリと言うもの。今でも同じことやってるね?穴埋めて角丸にしたヤツ。
RX-7で印象に残ってるのは、村上もとかの「ドロファイター」に出ていたR-X-7SAMURAIですね。
当局の取り締まりをかいくぐっての大陸横断ヤミレースでコンボイ相手の爆走また爆走!
いやー、カッコ良かった!ひょっとしたら「赤いペガサス」のSV-01改よりも好きかも。
プロジェクトⅩのロータリーエンジン開発秘話は今観ても感動する。(・ω・`)
個人的にSAのイメージが 某漫画のあの人が乗ってるイメージが
初代コスモスポーツのデザインで突き抜け過ぎて反省したのか、SAはポルシェ924の劣化デザイン、FCはポルシェ944の劣化デザイン、FDでようやくコンプレックス脱却というイメージは拭いがたい。
ロータリーのコンパクトさを生かして、もう少しオリジナリティの出しようがあったんじゃないかと。
日本テレビのドラマ「大激闘 マッドポリス」で渡瀬恒彦さんがサンルーフ付のこのモデルに乗ってましたね
昔解体にあったセブン買うか悩んだな
SAは所有したことないんだよなぁ💦 ほちぃ
ロータリーは新しいほど燃費が良いイメージです
FDは電装系と点火系弄ってたこともあってエアコン付けて峠を流してもリッター10キロは走れましたよ
ガソリン満タンで東京から新潟を往復して帰ってこれました
RX-7turbo SE Limited て言う最上位グレードの革張りのを新車で買って10年乗ってましたー。足回りはBILSTEIN製だったかなー。
手動でダイヤル調整出来るけどやりずらいから❌。1度だけローターにカーボンが付着して始動出来なくなるトラブルが出たけど何とか治りました。足回りに関しては中古車屋で試乗したノンターボのRX-7の方が私は好みでしたねー。調整機構無しでもビシッと決まってて如何にもスポーツカーらしい足回りだと思いました。
今でも取り説だけは家に持ってます。燃費は平均8km位は出てたなー。高速なら12km位だったはず。それからロードスターに乗り換えましたー。
マジでかっこいい!
RX-7 運転して楽しく良いクルマでした。懐かしいですね〜本気で加速すると…燃料計の針がカクン!と下りましたね。クルマの為に働きてた感じでした。
当時の雑誌で、ドイツでも人気だったと読んだ記憶があります。
ヴァンケルエンジンを日本が甦えさせたというのと、当時はあくまで排気量が課税対象だったので有利だったらしい。
こち亀で、バッテリーを取り換えても取り換えても直ぐ上がる、ってネタにされてた様な。
87年に田宮模型のプラモを作りましたね~❗もちろんキットのダサいフェンダーミラーは使わずに別パーツのドアミラーで(笑)
「おむすび型のロータリーエンジン」という説明文をあちこちでよく見かけましたね。
ロータリーエンジンの形をした純正アルミホイールや、まさかの前開きボンネットが面白すぎた。
結果的には、社長一押しのリアガラスは重い上に剛性最悪だから、やめてよかったと思う。というかこのリアガラスのせいで、RX-7はFCまでテールハッピーで事故率高めの車になってしまった。それを補って余りあるカッコよさがあるのも事実だけどね。
リアのサスペンションはリジットでしたが、ラテラルロッドがワットリンクで当時、凄く感銘した覚えが有ります。
中古車を買おうと思い、当時物の専用ホイールの、社外物を持っていますが、価格が結構してますね。いい物にめぐり逢うまで8で、楽しみます。又当時RX7ベースのコルベッティーと言うコルベットレプリカが、ありましたよねぇ。
初代ファミリアかな・・・
RX-7はかっこ良くて憧れだったな~
ただ・・・燃費が・・・ねぇ・・・
その次に憧れたカッコイイ車はセリカXXとAE85以降のスプリンター・トレノ
セリカは2000GTのデザインも好きでプラモデルを買ったりもした。
あと、ハコスカ!「横須賀でハコスカを乗り回す会」とかないかな?観てみたいわ~ww
私もsa乗ってました。田舎では昔はガススタ少なく夜早く閉まるから、下り坂見ればニュートラル走行ばっかしてた記憶がある。
78年でこのデザインは先進過ぎて凄かったと思います。
まるで輸入車に見えます。
私は79年生まれでこの車は幼少期に初期のグリーンを見かけたり、赤色のラジコンを持っていました。
ラジコンなのにリトラが上がってライトも点く代物で子供心にカッコいい車だったという記憶があります。
あと昔のマツダはコストをかけずに綺麗なデザインやユニークな車を量産してくれて、しかも低価格でユーザーに提供してくれましたが、最近のマツダは高コストを掛けた車ばかりになって価格も高額になってまるでレクサスみたいになったと個人的に思います。
質感は上質になりましたけど価格も大分上がりました。
一番安いデミオが200万円超えです...
確かマイルドヤンキーは広告代理店がここ10年ぐらいで作った用語ですよ
当時はそんな言葉は存在していません
チンピラとでも言えばいいでしょと言いたくなるイラっと来る表現ですね
おじさんが白のRX‐7、おばさんが赤のファミリアハッチバックに乗っていました。
当時RX‐7はスーパーカーだと思っていました。
ファミリアはドアミラー、異形ヘッドライトでかっこよかったです。
この車で3人乗って200km走って大阪まで行った。前と後ろトイレ休憩のたびに変わったが、少々疲れた記憶がある(^^;)
高燃費だと燃費が悪いって意味だよ。
好燃費なら分からなくもないけど。
印象が似てるってだけだと924だけじゃなくFiatのX1/9も結構パッと見が似てた。
きちんと見るとFiatは完全に2シーターデザインだったりで
かなり違うんですけどねw
ハイブリッドロータリー かやはり発電専用エンジンか 後は? トルクはターボで解消出来るから燃費をどうするが問題です ワンロータブラスターボならば可能性は有るかもと私は想い考えますが。
ロータリーね、計量コンパクト(補機類でそこまでコンパクトでは無い・)
排ガス規制でエアポンプ回して排気薄めたり
パワーが〜! (いや排気量換算じゃ無く、入れる燃料量で比較しては?)
SAだっけ? リトラ連続してup/downするとズレてくるの
上手い人は右左 別パカパカでパッシングしてたw
サイドポート加工やペリw
環境にも静粛性も燃費も無視した極悪、劣悪仕様にすると速いと思うケドネ〜
好きだったけどネ
親父が購入。 当時中学生だったのですが、後席は苦しかった。
42年前、13Bペリに乗って言いました。高速でアクセルを思いっきり踏むとリッター500メートル位でした。でも、そんな事は問題に成らないほど軽快で速かったですね。
サバンナRX-7が出た時は日本車でもこんなスパーカーみたいな車作れるんだって素直に感動しました。ただどこの動画もそうなのですが、ロータリーの下りでファミリアロータリークーペが忘れられるのは何故でしょう?最初にレースに出た名車なのに・・・。あとタコメーターが中心にあるのはローターリーの回転がスムーズすぎてオーバーレブにならない様にという事もあったと思います。
ファミリアロータリークーぺはカッコいいと今でも思っているのは、自分だけでしょうか?😅実質的に最初に本格的に量産型として世に出た、一般市民にも手が届く初めてのロータリーであったのに。初代サバンナとコスモスポーツの間に挟まれて忘れられつつあるのは残念であります。(初代カペラも割と..)あの、天下の大悪党大久保清の愛車であったことなど、もはや誰も知りますまい..
ファミリアロータリークーペってのは、当時の連続○人鬼「大久保清」が犯行に使ってていたせいで、イメージが悪くなっちゃったss
@@孝昭城戸
クボキヨのせいで中嶋さんがレーサーデビューした車のイメージが壊された。
SAはどうだったか記憶無いですが、その後のFCはレッドまで回すとメーター内からブザー鳴りました。頭打ちなく際限なく回るロータリーエンジンはほんと日本が誇る技術の結晶です。正面タコメーターはやる気をそそりますね~燃費悪化の原因ですが(笑)
@@mini1000sprite
でも、レースだと上には上がいたようでポルシェ935よりは良かったようです。その証拠に1981年の鈴鹿1000キロではシルエット仕様の「253」がピット回数の差であわや番狂わせの2位に入りました。
ポルシェの丸パクりと言うよりFIAT X1/9の方が似てるよね。