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こういう砦に毛が生えた様な建屋の無骨な城が超好き。莫大な資金を投じた豪華な城よりも、知恵で堅固化した要塞跡を見て当時の状況を想像するのが凄く楽しい。
本当にキレイに整備されてますね😃よく○○城跡の看板だけ立ってる所もありますから整備されてる方に感謝ですね👏
城郭や曲輪の形状がわかりやすいように、管理人さんが除草をしてくださっていて貴重な城跡が見れるのはありがたいですね。背の高い草に覆われていてはきれいに形状わかりませんよね。空堀の形状、坂の傾斜などを見ていますと、当時の攻め手側の苦労を除草されている管理人さんが一番実感していると思います。
ああ、子供の時にこの近くに暮らしてたら、最高の遊びができるなあ。
・・・すばらしい。なにがって、、、この動画の作品性が!
複雑な縄張りの割には管理が行き届いていて比高もあまりないので城好き初心者にもおすすめの城ですね時間や体力的に付近の武州松山城とセットで見学しても良いかもしれません
ここからそう遠くない畠山重忠の館跡と博物館には行ったことありますが、ここは本当に行ってみたい。夏は汗が止まらなくなりそうなので、晩秋以降を考えてます。
うちの近所にもいくつかの城址があるけれど、みんなただの山か丘の様(しかもひとつは開発で破壊されました)でサイトや本に載っている縄張りの図面を見ても、どこが掘割やら曲輪やら竪堀やら・・きちんと形が残っているというのは重要なんですね。うらやましい..
ここ夏休みの序盤に他県から来た大学の友達に紹介して一緒に行ったんですがメチャクチャ喜んでくれました‼️ 杉山城のある埼玉県比企郡には中世の城跡が60近く残っていて、その内の杉山城を含めた4城(杉山城・菅谷館・武蔵松山城・小倉山城)は国指定史跡になっていて、遺構も素晴らしいので城好きにはオススメです‼️
三島の東海道箱根の北条流築城の山中城に類似した点も見受けられます。
杉山城は嵐山渓谷に行った時に知りました。近くの比企丘陵には城跡がいくつもあります。
お見事ですね。整備してくれてるのもうれしい。是非、行ってみたいです。
解説があることで、映像見ながら自分が武士になった気分になりました!ここの土地の所有者の方に感謝ですね。杉山城 私も行ってみたくなりました(/・ω・)/
八王子城に行った際、ガイドさんが木や藪を伐採すれば遺構が綺麗にわかるといっていました。杉山城は城全体が綺麗に整備されており管理者の方の努力が伝わってきました。
木を全て伐採してしまうと確かに城の形は分かりやすくなりますが、一方で雨が直接地面に当たって土壌が崩れてしまうおそれもありそう
先日、戦国時代の宣教師の記録をみてたら、「鉄の甲冑をバターのように切る日本刀がある」とかかれていました。その製法は既に失われていますが。築城も、当時ならではの天才的な失われたノウハウがあっても何の不思議もないかと思います。。
友達に山中城って連れて行ってもらったけど堀の形が面白かった
障子堀ですね。ワッフルみたいで美味しそうですね。
月刊の歴史雑誌にこういうマニアックな城がよく特集されてますな。
これだけ強固で綺麗に残ったって事はマジノ要塞状態だったのかもですね。冬になったらまた行きたいです。
20年程前行った時には何も整備されてなくヤブが生える道を上がって本丸跡に行きました こんなにも変わってたんですね
素晴らしい築城技術で作られたお城ですね。すごい防御力です。誰が作ったか?(城主は?)が、ほんとうに気になりますね。
チャンネル登録しました。
一度訪れてみたいです♥️
HPを見ると長享の乱直後、山内上杉氏の城ではないか?とありました。比企城館跡群、素晴らしい!!!!史跡指定も納得です。畿内戦国史に比べると単純化されやすい関東戦国史ですが、広く理解が進むことを希望します。
ここから下道で帰宅しました❤️
洪積台地が広がって、入り組んだ水路や湿原や内水域が無限に広がっていた関東平野は台地の突端を縄張りに合わせて掘り切り斜面をかき揚げ傾斜や高さを調節し環濠や水路を張り巡らせれば容易に平山城が作成できる優位さも普請方の創作意欲を向上させたでしょうし、鎌倉公方の継承と扇ヶ谷山内各管領家の内部対立が起こした擾乱が城の普請の需要を上げていたから普請の技術が枯れた技術になっていたのかも。
以前、滝山城に行ったときも土塁や史実をみてすごいなって思いましたが、嵐山町出身の私、杉山城すごく嬉しいです。菅谷出身ですが佐久間◯◯さん頑張ってくれてますね。(^^)
現代まで残る土木技術の高さが窺えます。こうした技術があってこそ、利根川や神田川の付け替えなどにもつながっていたのでしょう。
これは楽しそう
戦国時代、関東だけは他の地域と異なって正に血みどろの闘いが繰り広げられていた、というような話を聞いたことがありますが、正にその話を具現化したような城跡ですね。比企郡だけで60もの城跡があるという話も納得です。こんな城を力攻めしても損害が増えるばかりで効果が低いので、充分な兵力で蟻の這い出る隙間も無くして兵糧攻め、が正解なのでしょうが、それだけのことをする戦略的な価値はないでしょう。つまりここは、落ちない城です。
うわー!行きたい!土塁を巡って攻守両方の目線で楽しんでみたい。
宮崎の都於郡城もなかなかです。
パッと浮かぶのが太田道灌公···ですがどうなんでしょう?しかし素晴らしいですねぇ···
福島県の神指城🏯も素敵!
鉢形城が近いので長尾 景春を思い浮かべてしまう。川越市も近いし、関東の覇権争いの時代を支えたのかもと思うと素人ながらワクワクします。
当時のままって感じですね、中世の城址に行くと樹木が繁っていて「敵が見えないじゃないか」と思ってしまうw山城なのに河原の石が落ちてたり、あの上の曲輪から投石したのかとか想像するのが楽しいっす
攻め手としては無策で進むと多大な犠牲が出るでしょうね。規模が小さいだけに犠牲を出しまくって相手の矢や弾の消耗後に総攻撃。この時、的を絞らせないように全方位からの飽和攻撃(数の暴力)。軍事力があれば大筒で外側より削っていく、相手にしない、内応、兵糧攻めでしょうか。
10年以上前に筍が出ていたころに訪問しました。車は住職に断って南3の丸近くのお寺に止めさせていただきました。南2の丸辺り屏風折れの横矢掛りが印象に残っています。縄張りの面白さが堪能できる希有な城ですね。半日あちこち見て回っても疲れを感じませんでした。かいのすけさんのわかりやすい説明有り難うございます。
コメントありがとうございます。私も杉山城は夢中になって回ってしまいました!
真田丸て、こんな感じだったのかな~( 一一)
激戦地に作られた小さい堅い山城。
発掘調査の結果山内上杉氏によって造られた城であったことがわかったそうです
嵐山小山ICのすぐ近くで、車で行きやすいのもポイント高いですね。今度行ってみます。
続日本100名城ですね。あれ、ハンコ探しが大変です(笑)しかし遺構は素晴らしい。
子どものころ、迷路として遊んでた
1.5倍速奨励。
これほどの城なら文献が残っていても良いはずなのに…、一国一城令で破棄されたのか例外として使われたのか…破棄なら木が茂ったり、雨で崩れて朽ち果ててもおかしくないし…
埋蔵金伝説のあるお城ですかね?確か井戸に、、、
城郭の完成度の高さ故に長らくは後北条氏の城と思われていたのが、発掘調査によって(現時点で)後北条氏の時代の遺物が出土しなかったので、余計カオスな状態になっている事で有名ですね。周囲の城が明らかに後北条氏によって再利用されている為に、この杉山城も本来ならば後北条氏が再利用&改築してて当然ってレベルな筈なのが、その痕跡が現時点まで見付からずにむしろ廃城後も綺麗に残ってる(これ程厄介な城の場合は破却されてもおかしくないので)時点で城郭研究家や歴史ファンにはかなり重要なポジションとして注目されています。
説明の語り途中で位置をググってしまいました語りを中断して申し訳ない。今帰って来ましたので続けてくださいませ。(笑)
何か聞いたこと有るなぁと思ったら 非株式会社的な人らが現調行ってた城だねまぁアッチは遊び半分だからコッチでちゃんと説明してもらって有難い
直接攻めるのは難しそうですね。交通を遮断して孤立させ、機能停止を狙う程度でしょうか。あまり大きい城にも見えず、圧倒的な人数を割く価値があるのか? など込で、本当に攻めにくそうですね。
場所的にも北条の家臣だろうな
学生時代、武蔵嵐山駅から歩いて行ったがめちゃくちゃ遠かった思い出
立地的には北条氏の系統の城ではないかな?
タイトルが海原雄山の「このアライを作ったのは誰だ!」みたいですねw
坂東の城は意外に一国一城の破城と言っても放置されただけだったりするから、建屋などの上物と湛水施設以外は残っている例がけっこうありますね。
雨が降れば グチャグチャ
知らなかった。。
山城なんてすぐ落ちそうだけどそうでもないんだろうな。
発掘調査の推測の時期がずれるけど、太田道灌の癖が感じられますな少数で大軍に痛撃を与え小城にそれほどのメリットなしと判断させ退け、城主と主要家臣団さえ生き残っていれば幾らでも復権可能。戦国当時の考え方が濃厚かと
城マニアにはたまらないお城ですね。見てくれしか考えない僕にはビミョー
軍神景虎を激昂させたと言われる臼井城攻防戦を指揮した白井入道も、城にふらりとやってきた城主の親戚みたいな伝聞があるだけで、あれだけの技術と統率をもつ人物が、来歴不明だったりしますよね。のぼう様もしかり、坂東武者は底知れない妖しさがありますよね。
実際見ましたが、規模が小さく千人はこもれないだろうから戦国末期には活用できなかったんだろうと思った。各郭の面積が狭い。地元の豪族か村人の逃げ場なのかと。逆に大規模な城郭で重要な地点にあったら大名の城へ変化して残らなかったんだろうな。
この城を作ったのは名もない職人さんたちですただ「作れ」と命じただけのやつを「作った人」と自称するのはあまりに図々しいです
それを言ったら大坂城も豊臣秀吉ではなく名すら残っていない職人が作ったことになりますし、違うと思います。
砲撃には弱そうだね。
城は敵兵を呼び込んで討取るための巨大な兵器のようだ…信玄に追い詰められた家康は大手門を開け、篝火を炊いていたといわれるが…信玄でも怖くて攻められないわ。
縄張りが全て残ってるのは素晴らしいね、城の価値は縄張りにあってインチキ天守や本丸なんかには何の価値も無いって事が解ってない人間が多すぎ
小規模に見えるんだが。土と地形で工夫するのは低コストだ。
自衛隊で模擬戦闘やってみて欲しい。
あらやだ、城マニア垂涎の城らしいわね。
『謎の』といえば、村雨城
Bメンニシテクダサイ😀
「ここから攻め手視点で」と言いながら逆視点になるのがわかりづらい
たいしたことない。むしろショボすぎてw
こういう砦に毛が生えた様な建屋の無骨な城が超好き。
莫大な資金を投じた豪華な城よりも、知恵で堅固化した要塞跡を見て当時の状況を想像するのが凄く楽しい。
本当にキレイに整備されてますね😃
よく○○城跡の看板だけ立ってる所もありますから整備されてる方に感謝ですね👏
城郭や曲輪の形状がわかりやすいように、管理人さんが除草をしてくださっていて貴重な城跡が見れるのはありがたいですね。背の高い草に覆われていてはきれいに形状わかりませんよね。
空堀の形状、坂の傾斜などを見ていますと、当時の攻め手側の苦労を除草されている管理人さんが一番実感していると思います。
ああ、子供の時にこの近くに暮らしてたら、最高の遊びができるなあ。
・・・すばらしい。なにがって、、、この動画の作品性が!
複雑な縄張りの割には管理が行き届いていて
比高もあまりないので城好き初心者にもおすすめの城ですね
時間や体力的に付近の武州松山城とセットで見学しても良いかもしれません
ここからそう遠くない畠山重忠の館跡と博物館には行ったことありますが、ここは本当に行ってみたい。
夏は汗が止まらなくなりそうなので、晩秋以降を考えてます。
うちの近所にもいくつかの城址があるけれど、みんなただの山か丘の様(しかもひとつは開発で破壊されました)でサイトや本に載っている縄張りの図面を見ても、どこが掘割やら曲輪やら竪堀やら・・きちんと形が残っているというのは重要なんですね。うらやましい..
ここ夏休みの序盤に他県から来た大学の友達に紹介して一緒に行ったんですがメチャクチャ喜んでくれました‼️
杉山城のある埼玉県比企郡には中世の城跡が60近く残っていて、その内の杉山城を含めた4城(杉山城・菅谷館・武蔵松山城・小倉山城)は国指定史跡になっていて、遺構も素晴らしいので城好きにはオススメです‼️
三島の東海道箱根の北条流築城の山中城に類似した点も見受けられます。
杉山城は嵐山渓谷に行った時に知りました。
近くの比企丘陵には城跡がいくつもあります。
お見事ですね。整備してくれてるのもうれしい。是非、行ってみたいです。
解説があることで、映像見ながら自分が武士になった気分になりました!
ここの土地の所有者の方に感謝ですね。
杉山城 私も行ってみたくなりました(/・ω・)/
八王子城に行った際、ガイドさんが木や藪を伐採すれば遺構が綺麗にわかるといっていました。杉山城は城全体が綺麗に整備されており管理者の方の努力が伝わってきました。
木を全て伐採してしまうと確かに城の形は分かりやすくなりますが、一方で雨が直接地面に当たって土壌が崩れてしまうおそれもありそう
先日、戦国時代の宣教師の記録をみてたら、「鉄の甲冑をバターのように切る日本刀がある」とかかれていました。その製法は既に失われていますが。築城も、当時ならではの天才的な失われたノウハウがあっても何の不思議もないかと思います。。
友達に山中城って連れて行ってもらったけど堀の形が面白かった
障子堀ですね。ワッフルみたいで美味しそうですね。
月刊の歴史雑誌にこういうマニアックな城がよく特集されてますな。
これだけ強固で綺麗に残ったって事はマジノ要塞状態だったのかもですね。冬になったらまた行きたいです。
20年程前行った時には何も整備されてなくヤブが生える道を上がって本丸跡に行きました こんなにも変わってたんですね
素晴らしい築城技術で作られたお城ですね。すごい防御力です。誰が作ったか?(城主は?)が、ほんとうに気になりますね。
チャンネル登録しました。
一度訪れてみたいです♥️
HPを見ると長享の乱直後、山内上杉氏の城ではないか?とありました。
比企城館跡群、素晴らしい!!!!史跡指定も納得です。
畿内戦国史に比べると単純化されやすい関東戦国史ですが、広く理解が進むことを希望します。
ここから下道で帰宅しました❤️
洪積台地が広がって、入り組んだ水路や湿原や内水域が無限に広がっていた関東平野は台地の突端を縄張りに合わせて掘り切り斜面をかき揚げ傾斜や高さを調節し環濠や水路を張り巡らせれば容易に平山城が作成できる優位さも普請方の創作意欲を向上させたでしょうし、鎌倉公方の継承と扇ヶ谷山内各管領家の内部対立が起こした擾乱が城の普請の需要を上げていたから普請の技術が枯れた技術になっていたのかも。
以前、滝山城に行ったときも土塁や史実をみてすごいなって思いましたが、嵐山町出身の私、杉山城すごく嬉しいです。菅谷出身ですが佐久間◯◯さん頑張ってくれてますね。(^^)
現代まで残る土木技術の高さが窺えます。こうした技術があってこそ、利根川や神田川の付け替えなどにもつながっていたのでしょう。
これは楽しそう
戦国時代、関東だけは他の地域と異なって正に血みどろの闘いが繰り広げられていた、というような話を聞いたことがありますが、正にその話を具現化したような城跡ですね。比企郡だけで60もの城跡があるという話も納得です。
こんな城を力攻めしても損害が増えるばかりで効果が低いので、充分な兵力で蟻の這い出る隙間も無くして兵糧攻め、が正解なのでしょうが、それだけのことをする戦略的な価値はないでしょう。つまりここは、落ちない城です。
うわー!行きたい!土塁を巡って攻守両方の目線で楽しんでみたい。
宮崎の都於郡城もなかなかです。
パッと浮かぶのが太田道灌公···ですがどうなんでしょう?
しかし素晴らしいですねぇ···
福島県の神指城🏯も素敵!
鉢形城が近いので長尾 景春を思い浮かべてしまう。
川越市も近いし、関東の覇権争いの時代を支えたのかもと思うと素人ながらワクワクします。
当時のままって感じですね、中世の城址に行くと樹木が繁っていて「敵が見えないじゃないか」と思ってしまうw
山城なのに河原の石が落ちてたり、あの上の曲輪から投石したのかとか想像するのが楽しいっす
攻め手としては無策で進むと多大な犠牲が出るでしょうね。
規模が小さいだけに犠牲を出しまくって相手の矢や弾の消耗後に総攻撃。
この時、的を絞らせないように全方位からの飽和攻撃(数の暴力)。
軍事力があれば大筒で外側より削っていく、相手にしない、内応、兵糧攻めでしょうか。
10年以上前に筍が出ていたころに訪問しました。車は住職に断って南3の丸近くのお寺に止めさせていただきました。南2の丸辺り屏風折れの横矢掛りが印象に残っています。縄張りの面白さが堪能できる希有な城ですね。半日あちこち見て回っても疲れを感じませんでした。かいのすけさんのわかりやすい説明有り難うございます。
コメントありがとうございます。私も杉山城は夢中になって回ってしまいました!
真田丸て、こんな感じだったのかな~( 一一)
激戦地に作られた小さい堅い山城。
発掘調査の結果山内上杉氏によって造られた城であったことがわかったそうです
嵐山小山ICのすぐ近くで、車で行きやすいのもポイント高いですね。今度行ってみます。
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子どものころ、迷路として遊んでた
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これほどの城なら文献が残っていても良いはずなのに…、一国一城令で破棄されたのか例外として使われたのか…
破棄なら木が茂ったり、雨で崩れて朽ち果ててもおかしくないし…
埋蔵金伝説のあるお城ですかね?確か井戸に、、、
城郭の完成度の高さ故に長らくは後北条氏の城と思われていたのが、発掘調査によって(現時点で)後北条氏の時代の遺物が出土しなかったので、余計カオスな状態になっている事で有名ですね。
周囲の城が明らかに後北条氏によって再利用されている為に、この杉山城も本来ならば後北条氏が再利用&改築してて当然ってレベルな筈なのが、その痕跡が現時点まで見付からずにむしろ廃城後も綺麗に残ってる(これ程厄介な城の場合は破却されてもおかしくないので)時点で城郭研究家や歴史ファンにはかなり重要なポジションとして注目されています。
説明の語り途中で位置をググってしまいました語りを中断して申し訳ない。今帰って来ましたので続けてくださいませ。(笑)
何か聞いたこと有るなぁと思ったら 非株式会社的な人らが現調行ってた城だね
まぁアッチは遊び半分だからコッチでちゃんと説明してもらって有難い
直接攻めるのは難しそうですね。
交通を遮断して孤立させ、機能停止を狙う程度でしょうか。
あまり大きい城にも見えず、圧倒的な人数を割く価値があるのか? など込で、本当に攻めにくそうですね。
場所的にも北条の家臣だろうな
学生時代、武蔵嵐山駅から歩いて行ったがめちゃくちゃ遠かった思い出
立地的には北条氏の系統の城ではないかな?
タイトルが海原雄山の「このアライを作ったのは誰だ!」みたいですねw
坂東の城は意外に一国一城の破城と言っても放置されただけだったりするから、建屋などの上物と湛水施設以外は残っている例がけっこうありますね。
雨が降れば グチャグチャ
知らなかった。。
山城なんてすぐ落ちそうだけどそうでもないんだろうな。
発掘調査の推測の時期がずれるけど、太田道灌の癖が感じられますな
少数で大軍に痛撃を与え小城にそれほどのメリットなしと判断させ退け、
城主と主要家臣団さえ生き残っていれば幾らでも復権可能。戦国当時の考え方が濃厚かと
城マニアにはたまらないお城ですね。
見てくれしか考えない僕にはビミョー
軍神景虎を激昂させたと言われる臼井城攻防戦を指揮した白井入道も、城にふらりとやってきた城主の親戚みたいな伝聞があるだけで、あれだけの技術と統率をもつ人物が、来歴不明だったりしますよね。のぼう様もしかり、坂東武者は底知れない妖しさがありますよね。
実際見ましたが、規模が小さく千人はこもれないだろうから戦国末期には活用できなかったんだろうと思った。各郭の面積が狭い。地元の豪族か村人の逃げ場なのかと。
逆に大規模な城郭で重要な地点にあったら大名の城へ変化して残らなかったんだろうな。
この城を作ったのは名もない職人さんたちです
ただ「作れ」と命じただけのやつを「作った人」と自称するのはあまりに図々しいです
それを言ったら大坂城も豊臣秀吉ではなく名すら残っていない職人が作ったことになりますし、違うと思います。
砲撃には弱そうだね。
城は敵兵を呼び込んで討取るための巨大な兵器のようだ…信玄に追い詰められた家康は大手門を開け、篝火を炊いていたといわれるが…信玄でも怖くて攻められないわ。
縄張りが全て残ってるのは素晴らしいね、城の価値は縄張りにあってインチキ天守や本丸なんかには何の価値も無いって事が解ってない人間が多すぎ
小規模に見えるんだが。土と地形で工夫するのは低コストだ。
自衛隊で模擬戦闘やってみて欲しい。
あらやだ、城マニア垂涎の城らしいわね。
『謎の』といえば、村雨城
Bメンニシテクダサイ😀
「ここから攻め手視点で」と言いながら逆視点になるのがわかりづらい
たいしたことない。むしろショボすぎてw