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(現代語訳)静かに思いを巡らせましょう。正しい教えに従い、身を委ねるのです。それは自らの見解を捨て去り、教えのままに進むことですが、正しい教えがこの世で行われていなければ、願いがどんなに強くてもどうすることもできません。幸いにして、今は正しい教えに出会えることができました。そのことを喜び、お釈迦さまの示すことをしっかりと受け止めましょう。師の前では、出自や家柄、外見などは関係ありません。他人の欠点を拾い上げたり、その行いの是非を論じたりしてはなりません。ただひたすらに師の教えを尊重し、毎日三度の礼拝をつとめ、思いわずらう必要はありません。
患悩の心を起こすことなかれ、は今の私にぴったりでした。ずっと懺悔滅罪に出てくる三世、生き変わり死に変り、と現実の人の死は別の次元で捉えるべきことと思いました。修証義は今すぐ償うことがあったりして、命は何らかの形で生まれたり死んだりしながら命が繋がれていく、というふうに思ったら違ってしまうでしょうか?なかなか難しいことですが、修証義の中では命が受け継がれていくようなところが良く出てきているように思いました。この次の世に石ころに生まれたら、石ころの仏様がいらっしゃって、人間はどのようにみえるのかな、と想像します。間違った方向に解釈が向かっているようでしたら、正しい方向にお導き頂きたく、お願い申し上げます。
お久しぶりです。他人の発言で学ぶべきものがあれば、過去の言動の功罪を問わない、みたいな趣旨のことを解説してはったときに、ふと思い出した戒があります。不説過戒。。。僕らは、生きてさえいれば、性格の合う人とも出会い、また性格の合わない、こちらが不快な気分になることを発する人に会うこともあるけど……全ての人に対して非難のようなことは言わないようにしようね、って言われてるような気がいつもします。今日は曹洞宗にとっては大切な日でしたね(つい最近知りました(^^;)朝昼晩の読経を初めて3年になりますが、今年はいつものコースに少し+αで臨んでいます。いつもありがとうございます……南無帰依仏南無帰依法南無帰依僧……
こんばんは。27節を修証紙は心が温かくなるお経だなぁと思いました。修証義の教えを大切に丁寧に護っていくことは私の心、気持ちも取り繕うことなく安らかになっていくように思いました。
二十七節は学ぶ時の姿勢、教える時の心構えの両面で勉強になります。反省が多めですm(_ _)m
うわぁ〜…耳が痛いです。正しく生きられるように、今日も頑張ります。
(現代語訳)静かに思いを巡らせましょう。正しい教えに従い、身を委ねるのです。それは自らの見解を捨て去り、教えのままに進むことですが、正しい教えがこの世で行われていなければ、願いがどんなに強くてもどうすることもできません。幸いにして、今は正しい教えに出会えることができました。そのことを喜び、お釈迦さまの示すことをしっかりと受け止めましょう。師の前では、出自や家柄、外見などは関係ありません。他人の欠点を拾い上げたり、その行いの是非を論じたりしてはなりません。ただひたすらに師の教えを尊重し、毎日三度の礼拝をつとめ、思いわずらう必要はありません。
患悩の心を起こすことなかれ、は今の私にぴったりでした。
ずっと懺悔滅罪に出てくる三世、生き変わり死に変り、と現実の人の死は別の次元で捉えるべきことと思いました。
修証義は今すぐ償うことがあったりして、命は何らかの形で生まれたり死んだりしながら命が繋がれていく、というふうに思ったら違ってしまうでしょうか?
なかなか難しいことですが、修証義の中では命が受け継がれていくようなところが良く出てきているように思いました。
この次の世に石ころに生まれたら、石ころの仏様がいらっしゃって、人間はどのようにみえるのかな、と想像します。
間違った方向に解釈が向かっているようでしたら、正しい方向にお導き頂きたく、お願い申し上げます。
お久しぶりです。
他人の発言で学ぶべきものがあれば、過去の言動の功罪を問わない、
みたいな趣旨のことを解説してはったときに、ふと思い出した戒があります。
不説過戒。。。
僕らは、生きてさえいれば、性格の合う人とも出会い、また性格の合わない、
こちらが不快な気分になることを発する人に会うこともあるけど……
全ての人に対して非難のようなことは言わないようにしようね、って言われてるような気がいつもします。
今日は曹洞宗にとっては大切な日でしたね(つい最近知りました(^^;)
朝昼晩の読経を初めて3年になりますが、今年はいつものコースに少し+αで臨んでいます。
いつもありがとうございます……南無帰依仏南無帰依法南無帰依僧……
こんばんは。27節を修証紙は心が温かくなるお経だなぁと思いました。修証義の教えを大切に丁寧に護っていくことは私の心、気持ちも取り繕うことなく安らかになっていくように思いました。
二十七節は学ぶ時の姿勢、教える時の心構えの両面で勉強になります。反省が多めですm(_ _)m
うわぁ〜…耳が痛いです。
正しく生きられるように、今日も頑張ります。