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志村けんさんと桂歌丸師匠は今もまだどこかで生きているのではないかと思ってしまいます。六代目三遊亭円楽師匠の「ジジイ!早すぎるんだよー!!」は見ていてグッと来ました。それほど多くの噺家さんたちに愛されていた存在だったんですね。
こういう思い出話は本当にいい供養になると思いました
「歌丸ジェノサイド」「やるかジジイ」、歌丸師匠が司会者だった頃の笑点は毎回観たり録画してたのが懐かしい。
楽さん(圓楽師匠)を救ったり、若くして結婚したり、声優したり(笑)堅物に見えて優しいし、人間味あるし大好きです。生前地方で楽屋にお邪魔した際に、あんた重い病気なんだってね~、あんた得してるよ、治ったら人に今より優しくなれる。今も所作が綺麗だ。体が腐ろうが、生き方を腐らないようにね。と言われたのがとても感慨深いですよ
とても良い回ですね。桂歌丸さんの落語をSpotifyでいつも大切に聴いています。
桂歌丸師匠笑点引退頃には酸素ボンベを持ち込んだ命がけの高座だったんですね、面白い話を沢山聞かせていただきありがとうございました。
歌丸師匠は横浜の誇り。
一度直に見たかったです!🥺😢
亡くなる72日前、仙台で新しい寄席の開場記念の落語会で歌丸師匠と枝太郎さんを拝見しました。枝太郎さんの高座での幽霊を見たんでしょうな、歌丸師匠が高座のマクラで「幽霊の手の形が違う、後でみっちり小言です」って説教予告してました。
歌丸師匠は若くして頭が薄くなり見た目がおじいさんで笑点で死亡、生ミイラ、骸骨ネタで笑いを受けていた方なのでまだ生きていると思っています。特に最晩年の酸素しながら落語へ望んでいた姿は男の中の男と思いますので、本名の巌にふさわしい行動と思いました。トロント在住時歌丸師匠とお話しする機会があり、人柄も素晴らしい方だと思っています。
それ以上に歌丸ジェノサイドで腸が捩れました😹歌丸師匠、永遠なれ。
こんにちは。歌丸師匠の思い出の前編を、やっと拝見出来ました。師匠が想像を遥かに超える落語の鬼でいらした事を再認識しつつも枝太郎さんのスキンヘッドとヨネスケさんへの弟子入り拒否エピに爆笑致しました🤣🤣🤣でも、そのお話を笑って受け止められてるヨネスケさんは懐が深い❓ですね😁墓参りは、ほんに最寄り駅からの坂道が息切れで倒れるかと思うぐらい勾配がキツくて大変ですが、訪れた二回とも墓前で🍃が吹いて疲れを和らげてくれたので来年も伺おうと思います😊
ヨネスケさん ベスト格好良い♪歌丸さんの紺屋高尾好きでしたいまでもユーチューブや、ビデオなので、動いている歌丸さん(佇まいが良い)を見ています。お話されてる間は生きてるんで、まだ皆の胸で生きてます!!
兄弟子・歌丸師匠のお話、楽しそう!
ヨネスケ師匠…火葬場でも最後大声出されていましたよね💧あの光景は一生忘れません😊
命日に合わせて墓参り後の動画放映は、素晴らしいです😂
ヤンキー工業高校な我が母校学校行事だかなんかで毎年市民会館に落語を聴きに行っていたのだけど、当時は落語のおもしろさがわからず、誰も落語家さんの落語を聞いていなかった。で、三年の時だか歌丸師匠が来てくれたが、もちろん誰も最初は聞いていなかったのだが、途中から誰もが話に聴き入ってシーンとしたり声を出して笑ったりしていた。歌丸師匠が帰る時タクシーの周りでヤンキーも一般生徒も歌丸コールしてた。あの時の光景は衝撃だった。
枝太郎師匠が元々は米丸師匠の弟子になりたかったというのはどこかのインタビュー記事を読んで知っていましたが、もしかしたらヨネスケ一門になっていたかもしれないのは初めて知りました。枝太郎師匠と共演したタレントさんたちにまで「ヨネスケ師匠の弟子にはなりたくない」と弄られたと面と向かって言われているのに、それを笑って許すヨネスケ師匠の器量の大きさを感じます。米丸師匠も自分は老い先短いからと紹介した弟子に先立たれるとは思わなかったでしょうね…ご高齢の為最近は高座に上がられることは無くなりましたが、歌丸師匠の分まで長生きして頂きたいです。
自分は笑点での歌丸師匠と三遊亭小圓遊師匠のケンカのような掛け合いが思い出に残っています。
歌丸師匠の噺で私は落語を好きになりました。生で聴きに行こうと思えばいつでも行けたのに足を運ばなかった事、未だに後悔しています。あと、全く関係ないのですが米助師匠のスーツ姿が素敵だと思いました。圓生師匠に似ているように見えるのは私だけでしょうか。
メンバーの紹介がなんとなく三波伸介さんを彷彿とさせるなと感じていました。今でも思い出します。歌丸師匠のお姿を。
わざと三波伸介スタイルを導入したんでしょうねぇ。分かりやすいおもしろさがありますから…。
俺に対する当てつけか!で笑ってしまいました。
そんな枝太郎師匠も自らの師匠の頭髪に近づきつつある
僕も缶コーヒーを飲みながら見てたらむせてました。
枝太郎さんはいいお弟子さんですね。
こういうその当時話せば失礼になってしまうかもしてない話をお互い笑って話せるのは良いなと感じます。米助門下か…。確かに「突撃!隣の晩ごはん」のイメージしかない。
枝太郎師匠は歌丸師のお弟子さんなんですね。笑点での歌丸vs楽太郎の前の歌丸vs小円遊が懐かしいです。談志師の話が出ましたが,別なところにもコメントしましたが晩年の談志師が顔付けされたホール落語には必ずと言っていいほど歌丸師が出演していました。(ニッカン飛び切り寄席等々)談志師の代演としてお客さんが納得し,かつ気持ちよく代演してくれるということで顔付けされていたのではないでしょうか。壮年期から古典に回帰されて圓朝物に取り組み,会をあげて「じょしらく」への協力をはじめ,昇太会長の抜擢等今日の芸術協会の隆盛の基礎を作ったのは歌丸師の功績だと思います。
あのなんとも言えない、司会は三波伸介さんだったんですね。小円遊師匠との罵倒合戦が懐かしかったです。小遊三師匠の事を「小円遊さん」とかたい平師匠の事を「こん平さん」と言ったり面白かったです。
たい平師匠は「そりゃないでしょ歌丸師匠!」って顔してて しくじった歌丸師匠は謝罪の意込めて「たい平師匠」と敬称つけてたなw その時「やべぇ間違えた」「何せこんちゃんとは長かったからつい出ちゃった」って表情だったw
私も歌丸師匠のあの笑点が見れないととても悲しいです😢
真打ちまで生きてないと言いながら未だに存命の米丸師匠米丸師匠は96歳これからもお元気でいてほしい桂子師匠も亡くなったし現役最高齢の芸人は米丸師匠なのかな?
上方には90代の師匠いらっしゃらないから米丸師匠は現役最高齢噺家だね
見させていただきました。今後の歌丸門下のご躍進を期待します、意識の無い人の傍で大声を出すのは好楽師匠が九蔵時代に昏睡する彦六師匠の耳元で「師匠死んじゃ嫌だ!」で彦六師匠が覚醒して「煩くて死ねねぇ」で返す話を思い出しました、三途の河の向こうにはかねて不仲との小圓遊師匠がいてそのせいで追い返されたと思っていましたが米助師匠が呼び戻されたのですね。昇太師匠の笑点の司会も三波伸介風かと思っていたら歌丸師匠譲りだったとは。
故小円遊師匠とは不仲じゃなかった むしろ「小円遊師匠が『アニさん(歌丸師匠が年長)は来ちゃだめだよ まだ早いよ』と追い返した」の方が真実味あるよ
笑点だけでなく、東映の【トラック野郎 男一匹桃次郎】でも警官役で小圓遊さんと共に出演していますが、罵りあいながらも、仲の良さが見てとれますね。(*´・∀・)
舞台の上で不仲っぽくても実際は仲良い、なんて方が多かった方でしたね本当に……
素晴らしい話でした、続きも待ち遠しいです。
今年で桂歌丸師匠が3回忌。時が流れるのは早いな……。ちなみに、個人的に好きである5代目三遊亭圓楽師匠は今年で11回忌目なんだよな…
三回忌は昨年ですね。そういう意味でも、早いものですね。個人の思い出話は一番の御供養ですね。まして噺家さんのエピソードですから、弟子が続くうちは尽きないでしょう。これからも記憶に残る大師匠です。
@@miyasanto 失礼しました。4 回忌でした。時が流れるのは早くても人々の記憶に残る偉大な噺家さんには間違いないですな…
歌丸さん、大好きでした❤️小さい時に笑点見たら、自分のおじいちゃんが出てる‼︎ってゆうくらい歌丸さんと自分のおじいちゃんがそっくりだったので😆しかも、本名の名前まで一緒だったのでそれまたビックリしました。大人になってからは、笑点の大喜利の意味もわかるようになり、今も欠かさず毎週見てますよ‼️あと、ヨネスケさんは、タレントさんだと思ってました😙
伯山先生の真打昇進を何人抜きでするのに反対したのはそういう過去があったんだな、、、。歌丸師匠
三波伸介さんを手本に…。確かにそう言われたらそんな気がします。よく歌丸ジェノサイド(座布団全員没収)なんて言われてましたが、そう言う背景があるから生まれたのですね。歌丸師匠、もっと早くタバコをやめられていた恐らく今でも高座に上がられてた思います。それ考えるとやはり亡くなられたのは、残念です。
歌丸師匠の同期の人たちの中で一般には一番知名度も高感度もあると思う。落語界では色々あの人がいい子の人がいいってあるかもだけど、一般の人にこれだけ名前と顔一致して知られてる人なんてなかなかいない。
歌丸さんがいかに生きたか。すばらしい生きざまですね。談志さん圓楽さんが王さん長島さんなら落語界の野村監督でしょう。
歌丸師匠の芸に対する執念は凄かったですね。まさに「芸人」だと思いました。今頃あの世で小円遊さんと喧嘩してるのかな?
国立演芸場での高座を観ることができました。喘息という呼吸器疾患を抱えているので、もっと苦しいはずの歌丸師匠の高座が酸素を送られているとはいえ、まったく苦しそうに感じさせないところがすごかったです。
生前は二の酉に真金町に行って、師匠の提灯見ては、あ、生きてると思ったなぁ。
9
東京の落語家の方達の会話って、粋ですね。嘘のようなホントの話しとか、厳しい上下関係も芸への追求心。迫力あります。スゴイ。
長生きも芸のうちか。今日からそうやって生きていく。
この辺りは私の地元ですね。霊園は名の如く大きな岡の上にありますので、坂が大変だったと思います歌丸師匠は、私の通っていた幼稚園の大先輩だとお聞きしております。なので勝手ながら特別な敬愛を抱いております
天満天神 繁盛亭 オープンのさい お祝いのスピーチで50周年記念の時またお祝いの言葉を述べにきます と云うスピーチが思い出されます。
桂米丸師匠が時々桂歌丸師匠の弟子と間違われることがあると確か笑点で言われていましたがあり得ると思います。😮
歌丸師匠亡くなって早三年 月日過ぎるのは早いもんですねぇ
ヨイショでもなんでもなく、歌丸師匠と米助師匠なら米助師匠でしょ。桂米丸大師匠おかみさんと同意見。歌丸師匠おっかなそうだもの。実際おっかなかったわけで。(^O^)
歌丸師匠のお墓見れると思ったら見れませんでしたね!
個人情報(故人情報か)に関わる部分あるからだろうな
真金町って町名は歌丸師匠で知りました。ファンとしても町名で呼べる噺家さんが少なくなった気がします。
ナニナニ町!と声かかる噺家さん減ったなぁ… 中央4丁目!じゃどこの中央4丁目か分かんないし 南町!じゃ「南町ならそこら中にあんだろ」だし…
今は個人情報の問題があるんでしょうねご本人は勿論ご家族もストーカーに狙われないとも限らないし笑点メンバーも区単位での住所は公表(?)してるけど流石に町名までは出してないですが、唯一寄席として自宅を公開している好楽師匠は「よっ!池之端!」って呼ばれてもいいような気はしますがね。(既に呼ばれてたらスイマセン)
かつては、小説の単行本の奥付に著者の住所が載っていたり、志村けんさんもいかりや長介さんのご自宅を突撃して弟子入り志願したくらいですから、噺家さんのお住まいも寄席ファンなら知っていて当たり前だったんですよね。良くも悪しくも昭和は遠くなりました。
@@michiee310 「しのぶ亭!」の方が通りが良いかもw
@@user-さわ さんプロ野球の選手名鑑も選手の自宅の住所が書かれていた時代もあったようですね。
100万の話好きだわ。
枝太郎さんだ岩手の星!
落語を聞きに行くといつも感じていたのはどんな噺でも歌丸さん本人が強すぎて入って行けなかった
歌丸ジェノサイド誕生秘話が見れるなんて思わなかった。
お墓参りは私も欠かさないで行っています。
あの世で楽太郎(円楽)さんや先代の圓楽さんと大喜利しているのかな?笑点はベテランや若手頑張っていますよ‼️
歌丸と枝太郎と円楽を見ていると先代圓楽と好楽を思い出す
凄い苦労をしてたんだなと痛感。同期が同期だからそう考えると笑点はいいチャンスだったのかもしれないねあと思うにタバコを墓前に添えるのは歌丸師匠喜ぶと思う
師匠の笑点は数々の伝説を作ってくれましたね。何回腹抱えて笑ったことか。この動画に直接関係ないんですが、先日「巷の噺」で観たのですが、好楽師匠が芸協に移ったって本当でしょうか?
ヨネスケさんが弟弟子、枝太郎さんは直系の弟子なんですね😱近すぎる関係?だから喋り辛い?のに良く喋る気になったなぁ😥
六代目円楽襲名の時に「米さん、アタシャね、あれから弟子の淹れたお茶は飲まないようにしてる‼️🤣」って、言ってましたね‼️🤣世間じゃ歌春師匠か枝太郎師匠がお茶に毒を・・・なんてネタにしてましたね🎵🤭もう三年ですか・・・(つд;*)
歌丸師匠の司会スタイルは三波伸介さんを真似たのか。先代圓楽師匠はぶっきらぼうで大雑把だったからな
三波伸介さんが当時座布団配りだった松崎真さんの紹介する見立てを思い出しました
早いですねもう歌丸師匠が亡くなって三回忌になるんですね😢
命日を一回目とするので三回忌は昨年ですね。年が一回りしたので例外で二回忌では無く一周忌です。
@@QTX1234 ご無礼いたしました常識が無いもので
入門秘話の話でハリポタの組み分けの時のハリー思い出したw
笑点メンバーで唯一歌さん看取ったの山田君だけです。ジジイ、早過ぎるんだよ!
あんまり、東西を区別するのは好きじゃないですが、『桂枝太郎』っていう名前は、元々上方ですねぇ。京都の噺家で『先斗町の枝太郎』と言われた師匠で、『大丸屋騒動』という大ネタが十八番だったそうです。米朝師匠の著書にありました。
TVタレント、ヨネスケを作ったのは歌丸師匠だったのか!?
一般的な考え方を持つ芸人は誰も伸びていない。破天荒な生き方をすれば、当然一般的には理解されてない事ゆえ苦労が多いのは当然。見える景色が全く異なる人の苦労は「一般人が見た感想(周囲が客観的に観た)」でしかない。ゆえに、あぁこの人苦労してるなと感じた人は芸人ではない。
枝太郎師匠、喜久扇師匠をディすっている
もう三年経ったのですね。芸道に厳しい方でしたね。
歌丸師匠と穴兄弟です
ヨネスケって落語できるの?師匠を語るなんて、おこがましくない?
【コラボ希望】チャンネル初心者🔰で、いきなり希望を書き込む無礼をお許し下さいm(_ _)m。ヨネスケさん、もし噺家さん以外の方とのコラボが可能でしたら元・広島東洋カープの高橋慶彦さん運営の「よしひこチャンネル」とのコラボを熱烈希望致します🙏話は長くなりますが実は私、♥️歴28年のカープ女子でもあり、コロナ禍が始まった年から上記のチャンネルを観始めて去年の五輪前後に常連となり先月、円楽さんの訃報を聞くまでは毎日欠かさず観るぐらいハマっていました🤣昨春のコロナ禍も一因の一人暮らし再開(再構築中)の影響で幸せだった頃を思い出させる落語関連の動画からは遠ざかってましたが先月の円楽さんの訃報に際し、歌丸師匠と円楽さんの師弟以上の絆(愛)の強さを別の意味で痛感させられたと同時にCARPも落語も両方、自分の人生に不可欠なことを教えられたので、最近知ったヨネスケさんのチャンネルを現在、少しずつ観始めています😊この一年半の間、私は高橋慶彦によってコアなカープ女子に仕立てられ🤣また、その彼を育てた古葉監督が少なからず歌丸師匠と重なるので、ヨネスケさんとのコラボで80年代プロ野球の熱さと、11月に監督の一周忌を迎えるにあたり(間に合わないかもしれませんが)慶彦さんヨネスケさん夫々に偉大な師匠と兄弟子について語って頂きたく思い、厚かましいことは承知の上、書き込ませて頂きました。駄文、長々と失礼いたしました💦
志村けんさんと桂歌丸師匠は今もまだどこかで生きているのではないかと思ってしまいます。六代目三遊亭円楽師匠の「ジジイ!早すぎるんだよー!!」は見ていてグッと来ました。それほど多くの噺家さんたちに愛されていた存在だったんですね。
こういう思い出話は本当にいい供養になると思いました
「歌丸ジェノサイド」「やるかジジイ」、歌丸師匠が司会者だった頃の笑点は毎回観たり録画してたのが懐かしい。
楽さん(圓楽師匠)を救ったり、若くして結婚したり、声優したり(笑)
堅物に見えて優しいし、人間味あるし大好きです。
生前地方で楽屋にお邪魔した際に、あんた重い病気なんだってね~、あんた得してるよ、治ったら人に今より優しくなれる。今も所作が綺麗だ。体が腐ろうが、生き方を腐らないようにね。
と言われたのがとても感慨深いですよ
とても良い回ですね。桂歌丸さんの落語をSpotifyでいつも大切に聴いています。
桂歌丸師匠笑点引退頃には酸素ボンベを持ち込んだ命がけの高座だったんですね、面白い話を沢山聞かせていただきありがとうございました。
歌丸師匠は横浜の誇り。
一度直に見たかったです!🥺😢
亡くなる72日前、仙台で新しい寄席の開場記念の落語会で歌丸師匠と枝太郎さんを拝見しました。
枝太郎さんの高座での幽霊を見たんでしょうな、歌丸師匠が高座のマクラで「幽霊の手の形が違う、後でみっちり小言です」って説教予告してました。
歌丸師匠は若くして頭が薄くなり見た目がおじいさんで笑点で死亡、生ミイラ、骸骨ネタで笑いを受けていた方なのでまだ生きていると思っています。特に最晩年の酸素しながら落語へ望んでいた姿は男の中の男と思いますので、本名の巌にふさわしい行動と思いました。トロント在住時歌丸師匠とお話しする機会があり、人柄も素晴らしい方だと思っています。
それ以上に歌丸ジェノサイドで腸が捩れました😹
歌丸師匠、永遠なれ。
こんにちは。歌丸師匠の思い出の前編を、やっと拝見出来ました。師匠が想像を遥かに超える落語の鬼でいらした事を再認識しつつも枝太郎さんのスキンヘッドとヨネスケさんへの弟子入り拒否エピに爆笑致しました🤣🤣🤣でも、そのお話を笑って受け止められてるヨネスケさんは懐が深い❓ですね😁
墓参りは、ほんに最寄り駅からの坂道が息切れで倒れるかと思うぐらい勾配がキツくて大変ですが、訪れた二回とも墓前で🍃が吹いて疲れを和らげてくれたので来年も伺おうと思います😊
ヨネスケさん ベスト格好良い♪
歌丸さんの紺屋高尾好きでした
いまでもユーチューブや、ビデオなので、動いている歌丸さん(佇まいが良い)を見ています。お話されてる間は生きてるんで、まだ皆の胸で生きてます!!
兄弟子・歌丸師匠のお話、楽しそう!
ヨネスケ師匠…火葬場でも最後大声出されていましたよね💧
あの光景は一生忘れません😊
命日に合わせて墓参り後の動画放映は、素晴らしいです😂
ヤンキー工業高校な我が母校
学校行事だかなんかで毎年市民会館に落語を聴きに行っていたのだけど、
当時は落語のおもしろさがわからず、誰も落語家さんの落語を聞いていなかった。
で、三年の時だか歌丸師匠が来てくれたが、もちろん誰も最初は聞いていなかったのだが、
途中から誰もが話に聴き入ってシーンとしたり声を出して笑ったりしていた。
歌丸師匠が帰る時タクシーの周りでヤンキーも一般生徒も歌丸コールしてた。
あの時の光景は衝撃だった。
枝太郎師匠が元々は米丸師匠の弟子になりたかったというのはどこかのインタビュー記事を読んで知っていましたが、もしかしたらヨネスケ一門になっていたかもしれないのは初めて知りました。
枝太郎師匠と共演したタレントさんたちにまで「ヨネスケ師匠の弟子にはなりたくない」と弄られたと面と向かって言われているのに、それを笑って許すヨネスケ師匠の器量の大きさを感じます。
米丸師匠も自分は老い先短いからと紹介した弟子に先立たれるとは思わなかったでしょうね…
ご高齢の為最近は高座に上がられることは無くなりましたが、歌丸師匠の分まで長生きして頂きたいです。
自分は笑点での歌丸師匠と三遊亭小圓遊師匠のケンカのような掛け合いが思い出に残っています。
歌丸師匠の噺で私は落語を好きになりました。
生で聴きに行こうと思えばいつでも行けたのに足を運ばなかった事、未だに後悔しています。
あと、全く関係ないのですが米助師匠のスーツ姿が素敵だと思いました。
圓生師匠に似ているように見えるのは私だけでしょうか。
メンバーの紹介がなんとなく三波伸介さんを彷彿とさせるなと感じていました。今でも思い出します。歌丸師匠のお姿を。
わざと三波伸介スタイルを導入したんでしょうねぇ。
分かりやすいおもしろさがありますから…。
俺に対する当てつけか!で笑ってしまいました。
そんな枝太郎師匠も自らの師匠の頭髪に近づきつつある
僕も缶コーヒーを飲みながら見てたらむせてました。
枝太郎さんはいいお弟子さんですね。
こういうその当時話せば失礼になってしまうかもしてない話をお互い笑って話せるのは良いなと感じます。米助門下か…。確かに「突撃!隣の晩ごはん」のイメージしかない。
枝太郎師匠は歌丸師のお弟子さんなんですね。
笑点での歌丸vs楽太郎の前の歌丸vs小円遊が懐かしいです。
談志師の話が出ましたが,別なところにもコメントしましたが晩年の談志師が顔付けされたホール落語には必ずと言っていいほど歌丸師が出演していました。(ニッカン飛び切り寄席等々)談志師の代演としてお客さんが納得し,かつ気持ちよく代演してくれるということで顔付けされていたのではないでしょうか。
壮年期から古典に回帰されて圓朝物に取り組み,会をあげて「じょしらく」への協力をはじめ,昇太会長の抜擢等今日の芸術協会の隆盛の基礎を作ったのは歌丸師の功績だと思います。
あのなんとも言えない、司会は三波伸介さんだったんですね。小円遊師匠との罵倒合戦が懐かしかったです。小遊三師匠の事を「小円遊さん」とかたい平師匠の事を「こん平さん」と言ったり面白かったです。
たい平師匠は「そりゃないでしょ歌丸師匠!」って顔してて しくじった歌丸師匠は謝罪の意込めて「たい平師匠」と敬称つけてたなw その時「やべぇ間違えた」「何せこんちゃんとは長かったからつい出ちゃった」って表情だったw
私も歌丸師匠のあの笑点が見れないととても悲しいです😢
真打ちまで生きてないと言いながら未だに存命の米丸師匠
米丸師匠は96歳これからもお元気でいてほしい
桂子師匠も亡くなったし現役最高齢の芸人は米丸師匠なのかな?
上方には90代の師匠いらっしゃらないから米丸師匠は現役最高齢噺家だね
見させていただきました。今後の歌丸門下のご躍進を期待します、意識の無い人の傍で大声を出すのは好楽師匠が九蔵時代に昏睡する彦六師匠の耳元で「師匠死んじゃ嫌だ!」で彦六師匠が覚醒して「煩くて死ねねぇ」で返す話を思い出しました、三途の河の向こうにはかねて不仲との小圓遊師匠がいてそのせいで追い返されたと思っていましたが米助師匠が呼び戻されたのですね。昇太師匠の笑点の司会も三波伸介風かと思っていたら歌丸師匠譲りだったとは。
故小円遊師匠とは不仲じゃなかった むしろ「小円遊師匠が『アニさん(歌丸師匠が年長)は来ちゃだめだよ まだ早いよ』と追い返した」の方が真実味あるよ
笑点だけでなく、東映の【トラック野郎 男一匹桃次郎】でも警官役で小圓遊さんと共に出演していますが、罵りあいながらも、仲の良さが見てとれますね。(*´・∀・)
舞台の上で不仲っぽくても実際は仲良い、なんて方が多かった方でしたね本当に……
素晴らしい話でした、続きも待ち遠しいです。
今年で桂歌丸師匠が3回忌。
時が流れるのは早いな……。
ちなみに、個人的に好きである
5代目三遊亭圓楽師匠は
今年で11回忌目なんだよな…
三回忌は昨年ですね。そういう意味でも、早いものですね。
個人の思い出話は一番の御供養ですね。まして噺家さんのエピソードですから、弟子が続くうちは尽きないでしょう。
これからも記憶に残る大師匠です。
@@miyasanto
失礼しました。4 回忌でした。
時が流れるのは早くても
人々の記憶に残る偉大な噺家さん
には間違いないですな…
歌丸さん、大好きでした❤️
小さい時に笑点見たら、自分のおじいちゃんが出てる‼︎ってゆうくらい歌丸さんと自分のおじいちゃんがそっくりだったので😆しかも、本名の名前まで一緒だったのでそれまたビックリしました。
大人になってからは、笑点の大喜利の意味もわかるようになり、今も欠かさず毎週見てますよ‼️
あと、ヨネスケさんは、タレントさんだと思ってました😙
伯山先生の真打昇進を何人抜きでするのに反対したのはそういう過去があったんだな、、、。歌丸師匠
三波伸介さんを手本に…。
確かにそう言われたらそんな気がします。
よく歌丸ジェノサイド(座布団全員没収)なんて言われてましたが、そう言う背景があるから生まれたのですね。
歌丸師匠、もっと早くタバコをやめられていた恐らく今でも高座に上がられてた思います。
それ考えるとやはり亡くなられたのは、残念です。
歌丸師匠の同期の人たちの中で一般には一番知名度も高感度もあると思う。落語界では色々あの人がいい子の人がいいってあるかもだけど、一般の人にこれだけ名前と顔一致して知られてる人なんてなかなかいない。
歌丸さんがいかに生きたか。すばらしい生きざまですね。談志さん圓楽さんが王さん長島さんなら落語界の野村監督でしょう。
歌丸師匠の芸に対する執念は凄かったですね。
まさに「芸人」だと思いました。
今頃あの世で小円遊さんと喧嘩してるのかな?
国立演芸場での高座を観ることができました。
喘息という呼吸器疾患を抱えているので、もっと苦しいはずの歌丸師匠の高座が酸素を送られているとはいえ、まったく苦しそうに感じさせないところがすごかったです。
生前は二の酉に真金町に行って、師匠の提灯見ては、あ、生きてると思ったなぁ。
9
東京の落語家の方達の会話って、粋ですね。
嘘のようなホントの話しとか、厳しい上下関係
も芸への追求心。迫力あります。スゴイ。
長生きも芸のうち
か。今日からそうやって生きていく。
この辺りは私の地元ですね。霊園は名の如く大きな岡の上にありますので、坂が大変だったと思います
歌丸師匠は、私の通っていた幼稚園の大先輩だとお聞きしております。なので勝手ながら特別な敬愛を抱いております
天満天神 繁盛亭 オープンのさい お祝いのスピーチで50周年記念の時また
お祝いの言葉を述べにきます と云うスピーチが思い出されます。
桂米丸師匠が時々桂歌丸師匠の弟子と間違われることがあると確か笑点で言われていましたがあり得ると思います。😮
歌丸師匠亡くなって早三年 月日過ぎるのは早いもんですねぇ
ヨイショでもなんでもなく、歌丸師匠と米助師匠なら米助師匠でしょ。桂米丸大師匠おかみさんと同意見。歌丸師匠おっかなそうだもの。実際おっかなかったわけで。(^O^)
歌丸師匠のお墓見れると
思ったら
見れませんでしたね!
個人情報(故人情報か)に関わる部分あるからだろうな
真金町って町名は歌丸師匠で知りました。
ファンとしても町名で呼べる噺家さんが少なくなった気がします。
ナニナニ町!と声かかる噺家さん減ったなぁ… 中央4丁目!じゃどこの中央4丁目か分かんないし 南町!じゃ「南町ならそこら中にあんだろ」だし…
今は個人情報の問題があるんでしょうね
ご本人は勿論ご家族もストーカーに狙われないとも限らないし
笑点メンバーも区単位での住所は公表(?)してるけど流石に町名までは出してないですが、唯一寄席として自宅を公開している好楽師匠は「よっ!池之端!」って呼ばれてもいいような気はしますがね。(既に呼ばれてたらスイマセン)
かつては、小説の単行本の奥付に著者の住所が載っていたり、志村けんさんもいかりや長介さんのご自宅を突撃して弟子入り志願したくらいですから、噺家さんのお住まいも寄席ファンなら知っていて当たり前だったんですよね。
良くも悪しくも昭和は遠くなりました。
@@michiee310 「しのぶ亭!」の方が通りが良いかもw
@@user-さわ さん
プロ野球の選手名鑑も選手の自宅の住所が書かれていた時代もあったようですね。
100万の話好きだわ。
枝太郎さんだ
岩手の星!
落語を聞きに行くと
いつも感じていたのは
どんな噺でも歌丸さん
本人が強すぎて入って行けなかった
歌丸ジェノサイド誕生秘話が見れるなんて思わなかった。
お墓参りは私も欠かさないで行っています。
あの世で楽太郎(円楽)さんや先代の圓楽さんと大喜利しているのかな?
笑点はベテランや若手頑張っていますよ‼️
歌丸と枝太郎と円楽を見ていると先代圓楽と好楽を思い出す
凄い苦労をしてたんだなと痛感。同期が同期だから
そう考えると笑点はいいチャンスだったのかもしれないね
あと思うにタバコを墓前に添えるのは歌丸師匠喜ぶと思う
師匠の笑点は数々の伝説を作ってくれましたね。何回腹抱えて笑ったことか。
この動画に直接関係ないんですが、先日「巷の噺」で観たのですが、好楽師匠が芸協に移ったって本当でしょうか?
ヨネスケさんが弟弟子、枝太郎さんは直系の弟子なんですね😱
近すぎる関係?だから喋り辛い?のに良く喋る気になったなぁ😥
六代目円楽襲名の時に
「米さん、アタシャね、あれから弟子の淹れたお茶は飲まないようにしてる‼️🤣」
って、言ってましたね‼️🤣
世間じゃ歌春師匠か枝太郎師匠がお茶に毒を・・・なんてネタにしてましたね🎵🤭
もう三年ですか・・・(つд;*)
歌丸師匠の司会スタイルは三波伸介さんを真似たのか。先代圓楽師匠はぶっきらぼうで大雑把だったからな
三波伸介さんが当時座布団配りだった松崎真さんの紹介する見立てを思い出しました
早いですね
もう
歌丸師匠が亡くなって
三回忌になるんですね😢
命日を一回目とするので三回忌は昨年ですね。
年が一回りしたので例外で二回忌では無く一周忌です。
@@QTX1234 ご無礼いたしました
常識が無いもので
入門秘話の話でハリポタの組み分けの時のハリー思い出したw
笑点メンバーで唯一歌さん看取ったの山田君だけです。ジジイ、早過ぎるんだよ!
あんまり、東西を区別するのは好きじゃないですが、『桂枝太郎』っていう名前は、元々上方ですねぇ。京都の噺家で『先斗町の枝太郎』と言われた師匠で、『大丸屋騒動』という大ネタが十八番だったそうです。米朝師匠の著書にありました。
TVタレント、ヨネスケを作ったのは歌丸師匠だったのか!?
一般的な考え方を持つ芸人は誰も伸びていない。
破天荒な生き方をすれば、当然一般的には理解されてない事ゆえ苦労が多いのは当然。
見える景色が全く異なる人の苦労は「一般人が見た感想(周囲が客観的に観た)」でしかない。
ゆえに、あぁこの人苦労してるなと感じた人は芸人ではない。
枝太郎師匠、喜久扇師匠をディすっている
もう三年経ったのですね。
芸道に厳しい方でしたね。
歌丸師匠と穴兄弟です
ヨネスケって落語できるの?
師匠を語るなんて、おこがましくない?
【コラボ希望】
チャンネル初心者🔰で、いきなり希望を書き込む無礼をお許し下さいm(_ _)m。
ヨネスケさん、もし噺家さん以外の方とのコラボが可能でしたら元・広島東洋カープの高橋慶彦さん運営の「よしひこチャンネル」とのコラボを熱烈希望致します🙏
話は長くなりますが実は私、♥️歴28年のカープ女子でもあり、コロナ禍が始まった年から上記のチャンネルを観始めて去年の五輪前後に常連となり先月、円楽さんの訃報を聞くまでは毎日欠かさず観るぐらいハマっていました🤣
昨春のコロナ禍も一因の一人暮らし再開(再構築中)の影響で幸せだった頃を思い出させる落語関連の動画からは遠ざかってましたが先月の円楽さんの訃報に際し、歌丸師匠と円楽さんの師弟以上の絆(愛)の強さを別の意味で痛感させられたと同時にCARPも落語も両方、自分の人生に不可欠なことを教えられたので、最近知ったヨネスケさんのチャンネルを現在、少しずつ観始めています😊
この一年半の間、私は高橋慶彦によってコアなカープ女子に仕立てられ🤣また、その彼を育てた古葉監督が少なからず歌丸師匠と重なるので、ヨネスケさんとのコラボで80年代プロ野球の熱さと、11月に監督の一周忌を迎えるにあたり(間に合わないかもしれませんが)慶彦さんヨネスケさん夫々に偉大な師匠と兄弟子について語って頂きたく思い、厚かましいことは承知の上、書き込ませて頂きました。
駄文、長々と失礼いたしました💦