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このデモテープが日本ビクターから届いて試聴してみたとき、オリジナルとの余りの違いに作曲者の吉田拓郎は失禁脱糞したと語っています。彼はあくまでも岡本おさみの書いた詩にフォークソングのメロディをつけたつもりだったのに、森進一が歌う襟裳岬は、すっかり演歌になっていたからです。ところが大方の予想に反して、これがミリオンセラー、その年のレコード大賞を獲得しました。まぁ、名曲であることに変わりはありませんけどね。
素晴らしい逸話をご教示いただきありがとうございます。固定コメントにさせていただきます。
そうだったんですか。
拓郎もセルフカバーしてるので,それを聞くと,まあ確かに軽妙に歌うフォークソングなんだよねえそれはそれでいいんだけど,深みが違うっていうかね拓郎が楽曲提供している歌手はそれぞれに味があって,うまくてイイ感じなのが多い
編曲された方をほめていましたね、「なるほど、トランペットの音で曲がすぐ分かる、これが流行歌なんだと」本当にびっくりしたそうですね。
拓郎もその時代その低度だったんだね 汚いアフロヘアをなびかせ結婚がどうの歌ってた程度だしな
歌詞が、とても文学的です。歌詞を上手く引き出しているメロディーと、森進一さんの歌唱力です。 レコード大賞に相応しい名曲です。私も、45年前の8月に、現地の襟裳岬に訪れています。その日は夏なのに、結構、風が強かったですよ。
襟裳岬、確かに何もなかった。けど、何かここらの中で思いでは残ってます。
わけのわからない事で、悩んているうちに、老いぼれてしまう、。本当その通りだと思います、、楽しい事を考えよう。
全く同感だ。
もちろん
子供の頃は訳もわからず聴いてたけど歌詞が染み入る様になって来てしまった。
人生&人間模様を歌った歌う,まさにその通りです。私は大好きな曲です
「何もない春」は、悲しみが暖炉で燃え尽きて、悲しみや悩みが「何もない(希望に満ちた)春」です。
森進一さんの歌を聞いてからず~と夢見てた襟裳岬✨やっと行けました😍素晴らしい景色でした✨風なかったです😊また行きたい❤
和子さん、コメントありがとうございました。襟裳岬行かれたんですね!風がなかったのは幸運ですね。ここは360度ずっと見ていられるいい所でした。次回は是非お泊り下さい(笑) 朝や夕方の景色いいですよぉ
「襟裳岬」は森進一さんの歌手生命にかかわる大切な楽曲でした、森さんはこの詩によってふたたび立ち上がることができました。皆が知るあり得ない出来事も乗り越えられました。そして、令和に至っても国民に愛される歌手として君臨されております。ご自愛を願うばかりです。
ありえない出来事てなんですか?
@@ntch1000 森進一さんが売り出したころ、森さんとは面識のないファンが起こした「婚約不履行」が原因でお母様が自死した事件ですよ、知りたかったらご自分で調べてください。
@@俊子小野寺 まじかー
作曲者の拓郎さんも似たような事で刑務所入りしましたね。この曲プロデュースした人はこの曲では裏方として追い付け追い越せ引っこ抜きましたw
選手生命に関わるって、スポーツ選手が大ケガでもしたん😅
何も無いなんて事はない。わざわざ、寒い友達が訪ねてくるんですよ、温まりに。一番大切なものがある。素敵な歌詞です。
岡本おさみ31歳、拓郎27歳、森進一26歳の時の作品。この人たち、この年齢で、もうすっかり哲学者的だ。
昔から大好きだったこの歌、憧れの襟裳岬に昨年やっと行くことができました。拓郎さんも観たであろう景色がとても雄大で、もう少し頑張ろうと思いました。
襟裳岬、行ってみたいなー。この歌、好きです。ありがとうございます。
yasuyuki616さんコメントありがとうございます。襟裳はいいところですよ。襟裳岬・とある旅館の一泊 という動画で襟裳の魅力を動画にしてますので宜しければご覧になってみてください。
もうこのイントロが❤あと、凄くKey高いよ😮😮
Eu gosto muito dessa música cantada por Mori Shinichi !! 👏👏👍🤗
襟裳岬、視聴すると、ハワイ公演一緒に、行ったこと思い出されます。現地てコンサートした歓劇した。一緒に記念撮影したこと、ディナーショー、ジェット機にのり、何度も握手した、たくさん思い出ありがとうございます
この曲は、フルコーラス聴いてこそ価値がありますね〜 特に最後の詩の盛り上がりが最高ですね〜
この歌が流行った頃,地元の人は「襟裳の春は何もない春です」という歌詞に憤っていたという話があるんだけど.馬鹿にしやがってってことかな.でも当時雑誌でこの歌を英訳すると...みたいなのを読んだ記憶があり,「何もない」とはpeacefulという意味に解されるとしてあってなるほどと思ったね.文字通りのnothingじゃなくて,揉め事,事件事故のない静かで平和な春ということです.そういう風に読み取れるようでありたい.
ジョン永遠さん コメントありがとうございます。そうか・・・nothingって取られちゃう・・・文字通りに解釈しちゃうとそういう取り方もありえますね。おっしゃられた「揉め事,事件事故のない静かで平和な春」という解釈。これが沁みるんですよね。
同感だ。
岡本おさみの書いた詞を拓郎の提案で何箇所も変えて名曲「襟裳岬」ができたと言う話を聞いて改めて吉田拓郎はやっぱり天才だなぁ〜と思います。
襟裳岬この歌を聞くと本当に襟裳岬思い出します❤本当に何もないところだったけど ふるさと思い出し幼友達を懐かしいです😊ありがとうございます❤❤
今でもイントロ聴くと気持ちが落ちつきます。何度聴いても良い😂
襟裳岬、なんもないよ!でも、景色は絶景!売店のスルメイカ焼きが美味。
この歌のおかげで、体中に旅心が充満して、その後の人生に多大な影響を受けてました。しかし、まだ肝心のこの襟裳岬には行けていない。その前に、日高本線が廃線になってしまった!超大型地震が、この地を襲う前に、何とか訪れたいと思っております。
NZ.カイタイアさん コメントありがとうございます日高本線の廃線は本当に痛かったですね。いまは鵡川までしか来ていませんので、もはや「日高」じゃないだろって感じですが・・・それと地震ですね。東日本大震災の割れ残りがあると言われているエリアなので、それによって景色が崩れてしまうことは考えられますね。。能登地震でも多くの景色が失われてしまいました。行ける時に行く。行きたいと思ったらすぐに行く。旅の大原則なのかもしれません。
襟裳岬❤森進一
父と毎年みていた岬🌊✨☃✨🌏✨🌈✨🐲
実家にいる時、毎夜灯台の灯りを眺めていました😊
襟裳岬周辺は、この曲誕生の更に以前に船村徹氏の劇作で、当時人気だった舟木一夫と内藤洋子のサントラアルバムにもなった物語がありました。やがて上京した二人には悲劇の終焉がおとずれます。その舞台…百人浜・広尾町・浦河町 昆布の浜辺… … 私の遠い青春です。
kazu hさん 貴重なコメントありがとうございます。その作品は存じ上げませんでしたが、いま調べてみました。「その人は昔」(1967)という作品のようですね。th-cam.com/video/31lFiBP3QVs/w-d-xo.html
昨年9月に念願の函館(五稜郭や函館山等々)行きましたが、ここは一生行かない(行けない)と思うので貴重な動画ありがとうございました
テニスのおじい様 コメントありがとうございます。確かに私もここに行くのには日程調整が大変で数年がかりで行った感じになりました。ほとんどの方は場所的な問題から夕方前には帰ってしまい人がいなくなります。宿泊するとホント独り占めの襟裳岬も堪能できる場所です。
懐かしいですね~😊森進一は、襟裳岬だけ聴いてたかな。
こころにグッと来る歌い上げる森進一さんの素晴らしさが今になってやっと解りました。当時高校生でした(;_;)
運転免許を取って初めてドライブしたのが襟裳岬でした。黄金道路から襟裳岬までの海岸線沿いの景色が好きで何回もドライブしてました。襟裳岬は風が強かったり霧が出やすいのですが、不思議と自分がドライブした時はほとんど天気が良く穏やかだったのを覚えています。
D兄弟さん コメントありがとうございます。黄金道路は私も運転したんですが、最近はトンネルが多くなったみたいで、旧道行ってみたいなと思うどころが何か所かありましたけど、もう入れなくなっちゃってるんですよね。まだトンネルできる前に行かれたのかな。だとしたら羨ましい^^
吉田拓郎がこのアレンジを聞いてひっくり返ったのは有名だよね。でもね、彼ら実は共通の部分を取り上げているんだよw3番の出だし、吉田拓郎は岡本おさみにそこだけダメ出しして歌詞を変えさせたし、その変えさせた部分を森進一は、「そこが歌えないなら歌手やめます」とそこまで言わせた、そういう曰く付きなんだよねw
人生の筋書き、一部です
襟裳町の生活は漁業,質の良い日高昆布生産で有名我が家も湯豆腐等に使用してます。
森進一さんの代表曲の一つですね。しかし作曲が吉田拓郎さんのためか、さほど演歌っぽくないようです。
水浦頼康 さん コメントありがとうございます。言われてみると私の中では演歌のカテゴリではなかったかもしれません。北海道旅の車内ではずっと流してました。
国立公園指定おめでとうございます。
北海道は20年以上行ってないけど、襟裳岬に行くと森進一の襟裳岬なんか流してるんで興ざめだった。やはり島倉千代子の襟裳岬で願いたい。
襟裳岬は、僕が8歳で作詞した。小学校で、地図を見ながら、想像で詩を書きなさいとうるさかった、詩ではなく、作詞した。初めて襟裳岬の動画を見た、サンクス。
地理の図鑑を念入りに見ました。
訂正。年表で確認すると、7歳で作詞した。
よくわからない歌詞ですね。全体の雰囲気は夏が過ぎ、これから秋、冬を向かえるようなのに、「襟裳の春は~」なんですね。
このデモテープが日本ビクターから届いて試聴してみたとき、
オリジナルとの余りの違いに作曲者の吉田拓郎は失禁脱糞したと語っています。
彼はあくまでも岡本おさみの書いた詩にフォークソングのメロディをつけたつもりだったのに、
森進一が歌う襟裳岬は、すっかり演歌になっていたからです。
ところが大方の予想に反して、これがミリオンセラー、その年のレコード大賞を獲得しました。
まぁ、名曲であることに変わりはありませんけどね。
素晴らしい逸話をご教示いただきありがとうございます。固定コメントにさせていただきます。
そうだったんですか。
拓郎もセルフカバーしてるので,それを聞くと,まあ確かに軽妙に歌うフォークソングなんだよねえ
それはそれでいいんだけど,深みが違うっていうかね
拓郎が楽曲提供している歌手はそれぞれに味があって,うまくてイイ感じなのが多い
編曲された方をほめていましたね、「なるほど、トランペットの音で曲がすぐ
分かる、これが流行歌なんだと」本当にびっくりしたそうですね。
拓郎もその時代その低度だったんだね 汚いアフロヘアをなびかせ結婚がどうの歌ってた程度だしな
歌詞が、とても文学的です。
歌詞を上手く引き出しているメロディーと、森進一さんの歌唱力です。
レコード大賞に相応しい名曲です。
私も、45年前の8月に、現地の襟裳岬に訪れています。その日は夏なのに、結構、風が強かったですよ。
襟裳岬、確かに何もなかった。けど、何かここらの中で思いでは残ってます。
わけのわからない事で、悩んているうちに、老いぼれてしまう、。
本当その通りだと思います、、楽しい事を考えよう。
全く同感だ。
もちろん
子供の頃は訳もわからず聴いてたけど歌詞が染み入る様になって来てしまった。
人生&人間模様を歌った歌う,まさにその通りです。
私は大好きな曲です
「何もない春」は、悲しみが暖炉で燃え尽きて、悲しみや悩みが「何もない(希望に満ちた)春」です。
森進一さんの歌を聞いてからず~と夢見てた襟裳岬✨やっと行けました😍素晴らしい景色でした✨風なかったです😊また行きたい❤
和子さん、コメントありがとうございました。
襟裳岬行かれたんですね!
風がなかったのは幸運ですね。
ここは360度ずっと見ていられるいい所でした。
次回は是非お泊り下さい(笑) 朝や夕方の景色いいですよぉ
「襟裳岬」は森進一さんの歌手生命にかかわる大切な楽曲でした、森さんはこの
詩によってふたたび立ち上がることができました。皆が知るあり得ない出来事
も乗り越えられました。そして、令和に至っても国民に愛される歌手として
君臨されております。ご自愛を願うばかりです。
ありえない出来事てなんですか?
@@ntch1000 森進一さんが売り出したころ、森さんとは面識のない
ファンが起こした「婚約不履行」が原因でお母様が自死した事件ですよ、
知りたかったらご自分で調べてください。
@@俊子小野寺 まじかー
作曲者の拓郎さんも似たような事で刑務所入りしましたね。
この曲プロデュースした人はこの曲では裏方として追い付け追い越せ引っこ抜きましたw
選手生命に関わるって、スポーツ選手が大ケガでもしたん😅
何も無いなんて事はない。
わざわざ、寒い友達が訪ねてくるんですよ、温まりに。
一番大切なものがある。
素敵な歌詞です。
岡本おさみ31歳、拓郎27歳、森進一26歳の時の作品。この人たち、この年齢で、もうすっかり哲学者的だ。
昔から大好きだったこの歌、憧れの襟裳岬に昨年やっと行くことができました。
拓郎さんも観たであろう景色がとても雄大で、もう少し頑張ろうと思いました。
襟裳岬、行ってみたいなー。この歌、好きです。ありがとうございます。
yasuyuki616さんコメントありがとうございます。襟裳はいいところですよ。襟裳岬・とある旅館の一泊 という動画で襟裳の魅力を動画にしてますので宜しければご覧になってみてください。
もうこのイントロが❤あと、凄くKey高いよ😮😮
Eu gosto muito dessa música cantada por Mori Shinichi !! 👏👏👍🤗
襟裳岬、視聴すると、ハワイ公演一緒に、行ったこと思い出されます。現地てコンサートした歓劇した。一緒に記念撮影したこと、ディナーショー、ジェット機にのり、何度も握手した、たくさん思い出ありがとうございます
この曲は、フルコーラス聴いてこそ価値がありますね〜 特に最後の詩の盛り上がりが最高ですね〜
この歌が流行った頃,地元の人は「襟裳の春は何もない春です」という歌詞に憤っていたという話があるんだけど.馬鹿にしやがってってことかな.
でも当時雑誌でこの歌を英訳すると...みたいなのを読んだ記憶があり,「何もない」とはpeacefulという意味に解されるとしてあってなるほどと思ったね.文字通りのnothingじゃなくて,揉め事,事件事故のない静かで平和な春ということです.
そういう風に読み取れるようでありたい.
ジョン永遠さん コメントありがとうございます。そうか・・・nothingって取られちゃう・・・文字通りに解釈しちゃうとそういう取り方もありえますね。
おっしゃられた「揉め事,事件事故のない静かで平和な春」という解釈。これが沁みるんですよね。
同感だ。
岡本おさみの書いた詞を拓郎の提案で何箇所も変えて名曲「襟裳岬」ができたと言う話を聞いて改めて吉田拓郎はやっぱり天才だなぁ〜と思います。
襟裳岬この歌を聞くと本当に襟裳岬思い出します❤本当に何もないところだったけど ふるさと思い出し幼友達を懐かしいです😊ありがとうございます❤❤
今でもイントロ聴くと気持ちが落ちつきます。何度聴いても良い😂
襟裳岬、なんもないよ!
でも、景色は絶景!売店のスルメイカ焼きが美味。
この歌のおかげで、体中に旅心が充満して、その後の人生に多大な影響を
受けてました。しかし、まだ肝心のこの襟裳岬には行けていない。
その前に、日高本線が廃線になってしまった!
超大型地震が、この地を襲う前に、何とか訪れたいと思っております。
NZ.カイタイアさん コメントありがとうございます
日高本線の廃線は本当に痛かったですね。いまは鵡川までしか来ていませんので、もはや「日高」じゃないだろって感じですが・・・
それと地震ですね。東日本大震災の割れ残りがあると言われているエリアなので、それによって景色が崩れてしまうことは考えられますね。。能登地震でも多くの景色が失われてしまいました。
行ける時に行く。行きたいと思ったらすぐに行く。旅の大原則なのかもしれません。
襟裳岬❤森進一
父と毎年みていた岬🌊✨☃✨🌏✨🌈✨🐲
実家にいる時、毎夜灯台の灯りを眺めていました😊
襟裳岬周辺は、この曲誕生の更に以前に船村徹氏の劇作で、当時人気だった舟木一夫と内藤洋子のサントラアルバムにもなった物語がありました。やがて上京した二人には悲劇の終焉がおとずれます。その舞台…百人浜・広尾町・浦河町 昆布の浜辺… … 私の遠い青春です。
kazu hさん 貴重なコメントありがとうございます。
その作品は存じ上げませんでしたが、いま調べてみました。
「その人は昔」(1967)という作品のようですね。
th-cam.com/video/31lFiBP3QVs/w-d-xo.html
昨年9月に念願の函館(五稜郭や函館山等々)行きましたが、ここは一生行かない(行けない)と思うので貴重な動画ありがとうございました
テニスのおじい様 コメントありがとうございます。確かに私もここに行くのには日程調整が大変で数年がかりで行った感じになりました。
ほとんどの方は場所的な問題から夕方前には帰ってしまい人がいなくなります。
宿泊するとホント独り占めの襟裳岬も堪能できる場所です。
懐かしいですね~😊森進一は、襟裳岬だけ聴いてたかな。
こころにグッと来る
歌い上げる森進一さんの
素晴らしさが
今になってやっと解りました。
当時高校生でした(;_;)
運転免許を取って初めてドライブしたのが襟裳岬でした。
黄金道路から襟裳岬までの海岸線沿いの景色が好きで何回もドライブしてました。
襟裳岬は風が強かったり霧が出やすいのですが、不思議と自分がドライブした時はほとんど天気が良く穏やかだったのを覚えています。
D兄弟さん コメントありがとうございます。
黄金道路は私も運転したんですが、最近はトンネルが多くなったみたいで、旧道行ってみたいなと思うどころが何か所かありましたけど、もう入れなくなっちゃってるんですよね。
まだトンネルできる前に行かれたのかな。だとしたら羨ましい^^
吉田拓郎がこのアレンジを聞いてひっくり返ったのは有名だよね。
でもね、彼ら実は共通の部分を取り上げているんだよw
3番の出だし、吉田拓郎は岡本おさみにそこだけダメ出しして歌詞を変えさせたし、
その変えさせた部分を森進一は、「そこが歌えないなら歌手やめます」とそこまで言わせた、そういう曰く付きなんだよねw
人生の筋書き、一部です
襟裳町の生活は漁業,質の良い日高昆布生産で有名我が家も湯豆腐等に使用してます。
森進一さんの代表曲の一つですね。しかし作曲が吉田拓郎さんのためか、さほど演歌っぽくないようです。
水浦頼康 さん コメントありがとうございます。
言われてみると私の中では演歌のカテゴリではなかったかもしれません。北海道旅の車内ではずっと流してました。
国立公園指定おめでとうございます。
北海道は20年以上行ってないけど、襟裳岬に行くと森進一の襟裳岬なんか流してるんで興ざめだった。
やはり島倉千代子の襟裳岬で願いたい。
襟裳岬は、僕が8歳で作詞した。小学校で、地図を見ながら、想像で詩を書きなさいとうるさかった、詩ではなく、作詞した。初めて襟裳岬の動画を見た、サンクス。
地理の図鑑を念入りに見ました。
訂正。年表で確認すると、7歳で作詞した。
よくわからない歌詞ですね。
全体の雰囲気は夏が過ぎ、これから秋、冬を向かえるようなのに、
「襟裳の春は~」なんですね。