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動画内ではエレベーターの中でスカウトされたんじゃないと言っていたけど、本人の優さんははそう言ってますね。後日にそのスカウトマンの所に写真を撮りに言って厚化粧させられ、家に帰って母に怒られたとか。多分、スカウトマンがその写真を東京のサンミュージックに送って、この方がハワイに行ったんじゃないかと思います。推測ですが。そうだったら、優さんにしたらエレベーターの中でスカウトされたことになりますよね。
動画の中でコマーシャルの話で「恋コロン髪にもシャンプーヘアコロンシャンプー&リンス」だったかな?男なのに優さんがコマーシャルしてたのでつかってました当時男子校に通ってて野郎共に「エエ匂いするのー」と匂いかがれてモテモテでした(笑)今でも早見優さんはアイドルです
デビューして3年後ぐらいに、お母さんが亡くなった時、インタビューで、優さんといっしょに、お父さんが出ていて、「頑張っていたから、今は、抱きしめてあげたい。」と言ったら、記者が、「え~って」言ったら、「いやな意味ではなくて、娘だから。」と言っていたので、お父さんだと思った。その後、お父さんから話があり、一緒に、ジャズコンサートしたりしていたね。やはり親子だものな。お母さんとは、別れたから、いろいろあったろうけど、娘は愛しいに違いない。お父さんが亡くなるまで、交流があったろうけど。DNAは、さすがだね。最初から比べると、だいぶ上手くなった歌手の一人だね。
優ちゃんのお母さんが亡くなったのは…1992年の3月です。
夏色のナンシーを発売するまで、『Love Light』『アンサーソングは哀愁』『あの頃にもう一度』と、マイナー調の曲が3曲連続で続いたのが、不思議でした。(もちろん3曲共に良い曲ですが)もっと明るい曲調の方が優ちゃんに合ってるのに。。と子供ながらに思ってました。あの3曲は、他の82年組との差別化という意味での戦略だったのでしょうか?
Love Lightはファンの間で隠れ名曲みたいになってて人気ですね私も好きですが
最初、松本伊代さんと、わからなかったですよ。だんだん区別出来たが!
舘ひろし
楽しい番組を、ありがとうございます。優さんはお父様の井上さんも、Jazzシンガーでしたね。個人的に、よく存じ上げております。ところで、楽しいお話を拝見出来るのは有り難いのですが、取り上げるアーティスト、タレントをどういう順番で決めておられるのでしょうか。デビュー順からいったら、早見優さんは、酒井法子さんよりも、遥かに先輩なのに、彼女より後。サンミュージックに貢献した売り上げとしても、今のステータスとしても、大スターである松田聖子さんが出てこない理由は、なんなんでしょう? 今でも多くのファンがおられる、故・岡田有紀子さん。事務所に、飛ぶ鳥跡を濁していった、大和さくらの話も、ぜひ聞いてみたいですね。
優ちゃんは顔よし、スタイルよし、性格よしで個人的には文句のつけようがない女の子でした。今は亡き西城秀樹もデビュー当時から、妹である河合奈保子や石川秀実よりもかわいがっていたと聞いてます。もし若い頃からつきあってたら早見優と西城秀樹は結婚していたかもしれませんね。話はそれましたが、彼女は当時のトップアイドルの一人だったことは間違いないのですが、大きく売れたとは思いません。彼女と同じ年の自分の周りでも聖子と明菜のファンがほとんどでした。彼女は女の子のファンがとても多かったですね。自分の妹は優ちゃんと河合奈保子と小泉今日子が大好きでした。まあ、優ちゃんよりノリピーのほうが芸能界やプロダクションに貢献したとは思ってますけど。
動画内ではエレベーターの中でスカウトされたんじゃないと言っていたけど、本人の優さんははそう言ってますね。
後日にそのスカウトマンの所に写真を撮りに言って厚化粧させられ、家に帰って母に怒られたとか。
多分、スカウトマンがその写真を東京のサンミュージックに送って、この方がハワイに行ったんじゃないかと思います。
推測ですが。
そうだったら、優さんにしたらエレベーターの中でスカウトされたことになりますよね。
動画の中でコマーシャルの話で「恋コロン髪にもシャンプーヘアコロンシャンプー&リンス」だったかな?男なのに優さんがコマーシャルしてたのでつかってました
当時男子校に通ってて野郎共に「エエ匂いするのー」と匂いかがれてモテモテでした(笑)
今でも早見優さんはアイドルです
デビューして3年後ぐらいに、お母さんが亡くなった時、インタビューで、優さんといっしょに、お父さんが出ていて、「頑張っていたから、今は、抱きしめてあげたい。」と言ったら、記者が、「え~って」言ったら、「いやな意味ではなくて、娘だから。」と言っていたので、お父さんだと思った。その後、お父さんから話があり、一緒に、ジャズコンサートしたりしていたね。やはり親子だものな。お母さんとは、別れたから、いろいろあったろうけど、娘は愛しいに違いない。お父さんが亡くなるまで、交流があったろうけど。DNAは、さすがだね。最初から比べると、だいぶ上手くなった歌手の一人だね。
優ちゃんのお母さんが亡くなったのは…1992年の3月です。
夏色のナンシーを発売するまで、
『Love Light』『アンサーソングは哀愁』『あの頃にもう一度』
と、マイナー調の曲が3曲連続で続いたのが、不思議でした。(もちろん3曲共に良い曲ですが)
もっと明るい曲調の方が優ちゃんに合ってるのに。。と子供ながらに思ってました。
あの3曲は、他の82年組との差別化という意味での戦略だったのでしょうか?
Love Lightはファンの間で隠れ名曲みたいになってて
人気ですね私も好きですが
最初、松本伊代さんと、わからなかったですよ。だんだん区別出来たが!
舘ひろし
楽しい番組を、ありがとうございます。優さんはお父様の井上さんも、Jazzシンガーでしたね。個人的に、よく存じ上げております。ところで、楽しいお話を拝見出来るのは有り難いのですが、取り上げるアーティスト、タレントをどういう順番で決めておられるのでしょうか。
デビュー順からいったら、早見優さんは、酒井法子さんよりも、遥かに先輩なのに、彼女より後。
サンミュージックに貢献した売り上げとしても、今のステータスとしても、大スターである松田聖子さんが出てこない理由は、なんなんでしょう? 今でも多くのファンがおられる、故・岡田有紀子さん。事務所に、飛ぶ鳥跡を濁していった、大和さくらの話も、ぜひ聞いてみたいですね。
優ちゃんは顔よし、スタイルよし、性格よしで個人的には文句のつけようがない女の子でした。今は亡き西城秀樹もデビュー当時から、妹である河合奈保子や石川秀実よりもかわいがっていたと聞いてます。もし若い頃からつきあってたら早見優と西城秀樹は結婚していたかもしれませんね。話はそれましたが、彼女は当時のトップアイドルの一人だったことは間違いないのですが、大きく売れたとは思いません。彼女と同じ年の自分の周りでも聖子と明菜のファンがほとんどでした。彼女は女の子のファンがとても多かったですね。自分の妹は優ちゃんと河合奈保子と小泉今日子が大好きでした。まあ、優ちゃんよりノリピーのほうが芸能界やプロダクションに貢献したとは思ってますけど。