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大好きな田中一村。それで先生が奄美に行って描かれたホノホシ海岸の絵も、是非ともと、譲っていただきましたよね😄一村が住んでいた奄美は死ぬまでには是非行ってみたい場所です。今度の長期旅行✈️の前後は、東京に泊まる予定です。幸運な事です。是非とも田中一村展、見に行きますよ〜😂😍
小学生の頃に描いた絵にお父さんが加筆したら、それが嫌で、加筆された部分をちぎって捨ててしまったので一部欠落した作品が展示されていました。恐るべき神童ですね。中央画壇からは評価されなかったけれど生涯全身全霊を込めて画作を続けられたのは幸せな人生だったと思います。とはいえご本人の苦悩等も感じられるとても良い展覧会でした。
先日行ってきました。この方はあくまで日本画にこだわり続けましたが、それでも中央画壇との決別があったからこそ、あのような素晴らしい奄美の描き方ができたと思いました。千葉時代までは長く長く何かを模索しているようでしたが、人生の終盤になって制作の地を見つけ、独自の表現を開花させられたことは、画家としてとても良かったと思いました。願わくは長生きしてあの世界観をもっと描いてほしかったです。
@@merrywidow8243 コメント有り難うございます😃奄美の作品はほんと一村しか出来ない景色ですよね!!
おはようございます。黄昏の大工です。たまたま夜中にNHK で、田中一村の特集見ました。絵が、好きで、才能が、あって、この人 人生幸せだったんでしょうか?運も大いにあって、あらためて先生が、画家で、生計をたてて家族とくらす。素晴らしいことやな。思います。 時代もちがいますが。😊
❤私も美しい奄美に2度程行きました アダンの樹を魂を込めて力強く描かれていて南国の海の音や風や匂いまで感じられて😅私の心を引き付けました❤ 芸術家としての生き方はゴーギャンに似ているかな?なんて思いました
奄美パークの田中一村のは何度か見ましたー。見る年代毎に、感じ方がかわっていった事を思い出します。大好きで、クリアファイルとかグッズももってました。だいぶ奄美に帰ってないので、今見るとどう感じるのか、関西での展示が楽しみです〜。田中一村さん存命中は、描いてと頼まれても断ってたと聞きました。でも、お世話になった人には、描いてあげると言っても、いらないと断られたと。そういうエピソードも、面白いですよね〜。
大好きな田中一村取り上げて下さって有難うございます❗何年か前に大阪から滋賀県の展覧会見に行きました。絵を描く気がない時は一村の画集を見て描く気を起こしてます。
@@のばら-p8b それはそれは素晴らしい!頑張ってください!
田中一村のご紹介ありがとうございました😌椰子の木描いた人、くらいしか知らなかったです。奄美で何を思って絵を描いていたのでしょう。ぜひ東京会期中に見に行こうと思います!
来月行こうと思います。楽しみです。
一村の生き方好きです現代で言うと「生活費を稼いだら働かず倹約に励みひたすら創作し資金が無くなりだしたら再び働いて・・・」クリエイターの理想の一つだと思います
@@kakakakasisisi1111 なかなか出来ない所業ですね。
先日、行ってきました✨7、8歳の作品から始まって、歳を順に追っていくような感覚でした。絵が変わったように見えたあたりも興味深かったです。後期も行こうと思います。
@@natsuito76 そんな前からのがあるんですね!東京、羨ましい、、
けんつです。こちらの動画をまだ見ておらず、たまたまネットの広告で出てきたのをクリックして知りました。めちゃめちゃ好きなタイプの絵で「あれ?小木曽先生の動画のタイトルにあった???」と気が付きました💦来週にでも見に行ってこようと思います。楽しみ✨図録も買ってきまーす入れ替えもあるんですね。それも楽しみです
子供のころは神童で・・・というのはよく聞く話です。東京美術学校の日本画卒の方を以前知ってて、彼から聞いた話ですが、入学したら線引きの練習ばかりを徹底して何か月もやらされ、次に葉っぱを渡されて、葉脈までよく見て線描で描け、と言われたそうです。我々はフラクタルという概念を知っていますが、当時はそんなものはなく、よく見てないと何度も描き直しを強いられて、それから創作その他に入っていったということでした。一村にとっては馬鹿馬鹿しいことだったのかもしれませんね。しかし、こんな最小限の東洋画の基礎ずらやらなくなった戦後の日本画は・・・
是非日本画の芸大にお申し付けくださいませ。
かなりソリッドな人生ですね!50で移住かぁ…と自分と照らし合わせながら観ていました近日中に行ってきます!
@@michimichi478 さん。どうよ、青ヶ島あたり。一応東京やで。
@@painterogiso 僕の場合、まずは代表作を作るとこからですね!頑張ります!
こんばんは。先ほど日曜美術館で「田中一村」の番組やっていました。観れてよかったです!!話が変わりますが、ジャイアンツの優勝おめでとうございます😊
なかなかメンバーシップの登録が出来ず悩んでいます。間もなく日本に一時帰国するので、田中一村展を是非見に行きたいと思います。楽しみです。
@@hitomikanai290 さま。メンバーになるというボタンありますか??昨日からちょっとない人がいる事が判明したんですよ。。
@@painterogiso さま。Joinボタンはあります。カードは通常の使用は可能ですが、何故か受け付けてもらえません。カードが3Dセキュ対応をしていない?何方かこの3Dセキュについてご存知ですか?
行ってきました。彼の絵は凄いね。日本では最高の(岡本太郎さんなんてぶっ飛ぶ)絵描きだと思います。なぜって?墨絵で、こんな絵を書いたからでないですかね。絵描きならわかると思うのですが、油絵は色を重ねるのは大変で(なので私はアクリル)、水彩も大変。私は水墨画は描けませんが、水彩のように、きちんと重ねる順番が見えてないと、できないと思う。アメリカの抽象画家の私は彼とは全く違い、自由に重ねてますが、水墨は無理だろう。その冷眼には彼の崇高な孤独がありますね。
奄美の田中一村美術館に行ったことがあります。少し変わった建築で高床式だったと思います。終の住処にも行きましたが、えーっ❗️と思うホントにボロッボロの家で、ここでよく描けてたなーって感じです。日本画材も入手困難で高価なものだったろうし、画家の執念のようなものが感じられますね。いわゆる日本画とはちょっと違った感性で素晴らしいものです。
ゴッホしかり、田中一村しかり、生前は光を当てられること無く、没後もてはやされ、作品は資産家や大会社、美術品収集家によって値段が膨大に跳ね上がる。これって、本人が望まれたことなんでしょうかネ~???何だか悲しさを感じるのは私の偏見でしょうか?
「アダンの海辺」をみたくて上野に行ってきました。とても心に沁みる絵でした。ボタニカルアートで植物を描いていますが、もっと違う目で見て植物を描いてみたいと思いました。
奥様にお子様絵で生活小木曽先生は眩しい存在と感じますどうして自分でクズとおっしゃるのか疑問を感じます田中一村展行ってみたい気がします
高校生の時、田中一村の作品と出会い日本画家を志しました。
@@jomakoto えー!そうだったんですか!?それは凄い経験ですね!
同級生が母校(美大)の教授になっちゃったんで、そこだけシンパシー感じちゃいました。
生前作品が売れなかったであろう作家の著作権が気になります。一村の場合は姉、甥が継承されたということでしょうか?お身内の方がすべての作品を持っているのなら良いのですが、一村亡きあと家に残ったものを遺品整理と称して勝手に持ち出した人はいないのでしょうか?人気を集めている現在。回顧展、グッズなどの収益が正当な方に渡っていることを望みますが。
展覧会の主催者に問い合わせください。
ありがとうございます。
奄美大島に行って記念館や生家、大島紬の職場を見に行きました売り絵をやりたいなくて後援会を袖にして奄美大島に移住したけど、生活の為の仕事が大半で移住してから思ったように作品を描けなかった南画をやりながら好きな絵を描いた方が良かったのでは?と思います
評価の定まった名画が数十億円、なかには数百億円で取引される。一村の悲劇を教訓とするならば、我々の様な一市民が自分の眼を信じて数十万円で未だ無名の画家の絵を買うことだと思う。
気になる画家の一人です。まだ怖くて見に行けません。
上手な絵でも流行してる画風じゃないと落選するもんなんですかね?
@@billclay6175 日展風があるんじゃないですか?
大好きな田中一村。それで先生が奄美に行って描かれたホノホシ海岸の絵も、是非ともと、譲っていただきましたよね😄一村が住んでいた奄美は死ぬまでには是非行ってみたい場所です。今度の長期旅行✈️の前後は、東京に泊まる予定です。幸運な事です。是非とも田中一村展、見に行きますよ〜😂😍
小学生の頃に描いた絵にお父さんが加筆したら、それが嫌で、加筆された部分をちぎって捨ててしまったので一部欠落した作品が展示されていました。恐るべき神童ですね。中央画壇からは評価されなかったけれど生涯全身全霊を込めて画作を続けられたのは幸せな人生だったと思います。とはいえご本人の苦悩等も感じられるとても良い展覧会でした。
先日行ってきました。この方はあくまで日本画にこだわり続けましたが、それでも中央画壇との決別があったからこそ、あのような素晴らしい奄美の描き方ができたと思いました。
千葉時代までは長く長く何かを模索しているようでしたが、人生の終盤になって制作の地を見つけ、独自の表現を開花させられたことは、画家としてとても良かったと思いました。
願わくは長生きしてあの世界観をもっと描いてほしかったです。
@@merrywidow8243 コメント有り難うございます😃奄美の作品はほんと一村しか出来ない景色ですよね!!
おはようございます。黄昏の大工です。たまたま夜中にNHK で、田中一村の特集見ました。絵が、好きで、才能が、あって、この人 人生幸せだったんでしょうか?運も大いにあって、あらためて先生が、画家で、生計をたてて家族とくらす。素晴らしいことやな。思います。 時代もちがいますが。😊
❤私も美しい奄美に2度程行きました
アダンの樹を魂を込めて力強く描かれていて南国の海の音や風や匂いまで感じられて😅
私の心を引き付けました❤ 芸術家としての生き方はゴーギャンに似ているかな?
なんて思いました
奄美パークの田中一村のは何度か見ましたー。見る年代毎に、感じ方がかわっていった事を思い出します。大好きで、クリアファイルとかグッズももってました。だいぶ奄美に帰ってないので、今見るとどう感じるのか、関西での展示が楽しみです〜。田中一村さん存命中は、描いてと頼まれても断ってたと聞きました。でも、お世話になった人には、描いてあげると言っても、いらないと断られたと。そういうエピソードも、面白いですよね〜。
大好きな田中一村取り上げて下さって有難うございます❗何年か前に大阪から滋賀県の展覧会見に行きました。絵を描く気がない時は一村の画集を見て描く気を起こしてます。
@@のばら-p8b それはそれは素晴らしい!頑張ってください!
田中一村のご紹介ありがとうございました😌椰子の木描いた人、くらいしか知らなかったです。奄美で何を思って絵を描いていたのでしょう。ぜひ東京会期中に見に行こうと思います!
来月行こうと思います。楽しみです。
一村の生き方好きです
現代で言うと「生活費を稼いだら働かず倹約に励みひたすら創作し資金が無くなりだしたら再び働いて・・・」
クリエイターの理想の一つだと思います
@@kakakakasisisi1111 なかなか出来ない所業ですね。
先日、行ってきました✨
7、8歳の作品から始まって、歳を順に追っていくような感覚でした。
絵が変わったように見えたあたりも興味深かったです。
後期も行こうと思います。
@@natsuito76 そんな前からのがあるんですね!東京、羨ましい、、
けんつです。こちらの動画をまだ見ておらず、たまたまネットの広告で出てきたのをクリックして知りました。
めちゃめちゃ好きなタイプの絵で「あれ?小木曽先生の動画のタイトルにあった???」と気が付きました💦
来週にでも見に行ってこようと思います。楽しみ✨
図録も買ってきまーす
入れ替えもあるんですね。それも楽しみです
子供のころは神童で・・・というのはよく聞く話です。東京美術学校の日本画卒の方を以前知ってて、彼から聞いた話ですが、入学したら線引きの練習ばかりを徹底して何か月もやらされ、次に葉っぱを渡されて、葉脈までよく見て線描で描け、と言われたそうです。我々はフラクタルという概念を知っていますが、当時はそんなものはなく、よく見てないと何度も描き直しを強いられて、それから創作その他に入っていったということでした。一村にとっては馬鹿馬鹿しいことだったのかもしれませんね。しかし、こんな最小限の東洋画の基礎ずらやらなくなった戦後の日本画は・・・
是非日本画の芸大にお申し付けくださいませ。
かなりソリッドな人生ですね!50で移住かぁ…と自分と照らし合わせながら観ていました
近日中に行ってきます!
@@michimichi478 さん。どうよ、青ヶ島あたり。一応東京やで。
@@painterogiso 僕の場合、まずは代表作を作るとこからですね!頑張ります!
こんばんは。
先ほど日曜美術館で「田中一村」の番組やっていました。観れてよかったです!!
話が変わりますが、
ジャイアンツの優勝
おめでとうございます😊
なかなかメンバーシップの登録が出来ず悩んでいます。間もなく日本に一時帰国するので、田中一村展を是非見に行きたいと思います。楽しみです。
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@@painterogiso さま。Joinボタンはあります。カードは通常の使用は可能ですが、何故か受け付けてもらえません。カードが3Dセキュ対応をしていない?何方かこの3Dセキュについてご存知ですか?
行ってきました。彼の絵は凄いね。日本では最高の(岡本太郎さんなんてぶっ飛ぶ)絵描きだと思います。なぜって?墨絵で、こんな絵を書いたからでないですかね。絵描きならわかると思うのですが、油絵は色を重ねるのは大変で(なので私はアクリル)、水彩も大変。私は水墨画は描けませんが、水彩のように、きちんと重ねる順番が見えてないと、できないと思う。アメリカの抽象画家の私は彼とは全く違い、自由に重ねてますが、水墨は無理だろう。その冷眼には彼の崇高な孤独がありますね。
奄美の田中一村美術館に行ったことがあります。
少し変わった建築で高床式だったと思います。
終の住処にも行きましたが、
えーっ❗️と思うホントにボロッボロの家で、ここでよく描けてたなーって感じです。
日本画材も入手困難で高価なものだったろうし、画家の執念のようなものが感じられますね。
いわゆる日本画とはちょっと違った感性で素晴らしいものです。
ゴッホしかり、田中一村しかり、生前は光を当てられること無く、没後もてはやされ、作品は資産家や大会社、美術品収集家によって値段が膨大に跳ね上がる。これって、本人が望まれたことなんでしょうかネ~???何だか悲しさを感じるのは私の偏見でしょうか?
「アダンの海辺」をみたくて上野に行ってきました。とても心に沁みる絵でした。
ボタニカルアートで植物を描いていますが、もっと違う目で見て植物を描いてみたいと思いました。
奥様にお子様絵で生活小木曽先生は眩しい存在と感じますどうして自分でクズとおっしゃるのか疑問を感じます田中一村展行ってみたい気がします
高校生の時、田中一村の作品と出会い日本画家を志しました。
@@jomakoto えー!そうだったんですか!?それは凄い経験ですね!
同級生が母校(美大)の教授になっちゃったんで、そこだけシンパシー感じちゃいました。
生前作品が売れなかったであろう作家の著作権が気になります。一村の場合は姉、甥が継承されたということでしょうか?
お身内の方がすべての作品を持っているのなら良いのですが、一村亡きあと家に残ったものを遺品整理と称して勝手に持ち出した人はいないのでしょうか?
人気を集めている現在。回顧展、グッズなどの収益が正当な方に渡っていることを望みますが。
展覧会の主催者に問い合わせください。
ありがとうございます。
奄美大島に行って記念館や生家、大島紬の職場を見に行きました
売り絵をやりたいなくて後援会を袖にして奄美大島に移住したけど、生活の為の仕事が大半で移住してから思ったように作品を描けなかった
南画をやりながら好きな絵を描いた方が良かったのでは?と思います
評価の定まった名画が数十億円、なかには数百億円で取引される。一村の悲劇を教訓とするならば、我々の様な一市民が自分の眼を信じて数十万円で未だ無名の画家の絵を買うことだと思う。
気になる画家の一人です。まだ怖くて見に行けません。
上手な絵でも流行してる画風じゃないと落選するもんなんですかね?
@@billclay6175 日展風があるんじゃないですか?