【人生とは】中村 元 ブッダの人と思想 01
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- เผยแพร่เมื่อ 7 ก.พ. 2025
- 中村 元(なかむら はじめ、1912年(大正元年)11月28日 - 1999年(平成11年)10月10日)は、日本のインド哲学者、仏教学者、比較思想学者[1]。東京大学名誉教授、日本学士院会員。勲一等瑞宝章、文化勲章、紫綬褒章受章
エピソード
博士論文は7年がかりで完成させた[3]。その原稿はリヤカーで弟に手伝ってもらって運び込んだ。指導教授の宇井伯壽も「読むのが大変だ」と悲鳴をあげたという[3][8]。
サンスクリット語・パーリ語に精通し、初期仏教の仏典などの解説や翻訳に代表される著作は多数にのぼる。「人々の役に立つ、生きた学問でなければならない」が持論で、訳書に極力やさしい言葉を使うことを企図していた[4]。その最も端的な例として、サンスクリットのニルヴァーナ(Nirvāṇa)およびパーリ語のニッバーナ(Nibbāna)を「涅槃」と訳さず「安らぎ」と訳したことがあげられる。訳注において「ここでいうニルヴァーナは後代の教義学者たちの言うようなうるさいものではなくて、心の安らぎ、心の平和によって得られる楽しい境地というほどの意味であろう。」としている。
中村が20年かけ1人で執筆していた『佛教語大辞典』が完成間近になった時、ある出版社が原稿を紛失してしまった[3][4]。中村は「怒ったら原稿が見付かるわけでもないでしょう」と怒りもせず、翌日から再び最初から書き直して8年かけて完結させ、別の出版社(東京書籍)から全3巻で刊行した[3][4][9]。完成版は4万5000項目の大辞典であり、改訂版である『広説佛教語大辞典』では更に8000項目が追加され、没後に全4巻が刊行がされた。
日本以外にも、国際的な仏教学者の権威としてアメリカ・ヨーロッパなど各地で講義・講演した[4]。音声録音が多数残されている。NHK『こころの時代』など放送番組にも度々出演した。
1980年、福永法源が空海から天声とともに授かったと称する真っ白な紙(三法行)を中村に見せたところ、中村は驚き、「これには釈迦がいちばん解けなかったことが現れている。何も書いていない紙が必要なんです。書いてあるものを読むだけでは頭に入るだけです。ところが何も書いていないから、自分で書くしかない。書けば身に付く。これが行というものですよ」「有るようでない。無いようである。これが空の世界なんです。まさにこれは釈迦が説きたかった世界の実態なのです」などとほめそやしたと、法源の著書『最高への道標』に書かれた
今のスピリチュアルは、己の中の悪魔を認めない善人ばかりじゃないかwww