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T-SQUAREにセナのテーマを担当させてバンバン流そうとしたフジテレビの思惑を破壊した曲。
速かった。とにかく速すぎた。アクティブサスペンションは凄かった。何よりマンセルがマンセルらしかった。
RED5といえばこの人しかいない。何というか力でねじ伏せるドライビングスタイルがみていて魅了された。ときに破茶滅茶な事もしていたけどこの人ならではでおもしろかった。この人の人間味あふれる走りが良くも悪くもとても魅力的だったので私はF-1に取り憑かれた。ありがとう。
本当にそう思います。2番や27番はしっくりこないですね。RED5こそマンセルだと思います。
最強・最速のエンターティナー。
SHOW-YAが好きだったこともあるけど、名曲です。マンセルのイメージに合ってる。
川井ちゃん:Dreams Come True(夢叶ったね)ロザンヌ夫人:Long Way(長かったわ)
結婚してお金が無い時代にマンセルのレース費用を奥さんがパートで働いて工面していたからな~。マンセルが愛人作らずどこ行くのも奥さん連れて行くのも納得。
1992年のマンセルは本当に強かった。この年のメキシコGPが衛星生中継されたんですが、当時高校生の私は通学途中にラジオ付きウォークマンでテレビ音声だけ拾いながら生中継を聴いてました。雑音が多くてあんまりうまく聞けなかったんだけど、そんな中この曲が流れてきて、「あーあまたマンセルの独走だったか・・・」とガックリきたのを覚えています。
もう、この音楽、聞きたくないと思いましたね。セナがモナコで勝った時は発狂しました(笑)でもこの速さは異次元でした。
@@fukusuke211974このルノーエンジンの最速を創ったのはエイドリアンニューウェイですからね。
マンセルがチェッカー受けた時に流れると頑張った感が半端ないです!
😢😂🎉マンセル🎉🎉懐かしい🎉この時が一番燃えた❤
マンセルの闘争本能全開の豪快な走り方大好きだった。たまに、他の人なら絶対起きない様な凡ミス(タイヤ外れたり、黒旗無視からのセナ撃墜)やらかしてリタイアしちゃうのも含めて魅力的だった。
まぁ、ポルトガルのGPタイヤ外れちゃったのマンセルのせいではないけどね( ^o^ )
確か92年のベルギーGPでマンセルは後追いの若造のシューマッハーには負けたくない!と言っていた記事を見たのを思い出す。
カナダグランプリ最終ラップのヘアピンでストップした“事件”も忘れられない。
何かやらかしても、とぼけた態度。何故か憎めない。
F1界の ドカベン岩鬼みたいな三振かホームランみたいな感じが好きで(笑)優しくて人間味もあるが…
この時代の全てがかっこいい!
あら!古い人間かな😢
マンセルは本当に見せるdriverだった俺は影に隠れたパトレーゼのが好きだった
あなたとは、仲良くなるそうですね
全く同意見🎵
いぶし銀のパトレーゼ最高‼️
1991年、少なくともフランスのポールまで、マンセルと互角以上の速さと存在感見せつけましたよね。
思えば素晴らしいNo.2ドライバーでしたよね。近い実力を持ちながら虎視眈々と2番手を走行し、マンセルに何かがあればそのまま優勝してポイントを持ち帰る。
この曲、マンセルが優勝する度に掛かっていたね。マンセルはF1界の暴れん坊将軍だね。
92年、開幕戦からいきなり5戦連続でこの曲が流れた時はホントに参った。半分呆れて見てたかも。91年に取りこぼしたレースが少なくなかったウィリアムズルノーそしてマンセル。今度は完全無欠となって帰ってきたその真の姿を見せつけられたイメージもあります。
OP曲がTRUTHではなくて、この曲だったってことなの??
開幕5連勝って意味でしょ。当時新記録。
sasa dasa 当時というか92年からですが、優勝が決まった瞬間から優勝者に設定された曲がかかったんです。92年はマンセルが圧倒的な速さで開幕5連勝したので、ずっとこのpeace of mindが掛かりまくりました。そしてあの50回記念のモナコ、歴史に残るレースをアイルトン・セナが制した瞬間の、Tスクエアのfacesもまた感動の忘れられない曲です、40台のおじさんにとっては。
@@くまくま-m8z モナコGPでセナが優勝した時はFacesが流れたのは感激しました。
でもモナコで初めてFacesを流した時はイントロで終わっちゃってサビまで流れなかったんだよね。翌戦カナダのポールで改善されて初めてサビを聴けたという。
マンセルの豪快な感じが伝わってくる。
まさにそのとおりです。
F1中継を見るきっかけになったのは、マンセルの影響です。FW14Bはもちろん、1986年のFW11や1987年のFW11Bのマンセルの走りは凄まじかったです(^o^)
懐かしいなぁ~、CD持ってた。
同じく!!
セナが優勝したのにこの曲が流れたときがありました。92年のハンガリーGP。マンセルが2位でチェッカーを受けたことによって、優勝より偉大な記録を残したからなんですが(^^)
答え当ててみせましょうか、ズバリ、マンセルがホンダ系エンジン勢に打ち勝ち自身初のF1タイトルを獲得したからですよね?^^
@@零チャンネル-i1f それをプロストがウイリアムズで打ち勝ちたかったんだよね。
マンセルといえばウィリアムズのイメージが強いけど、フェラーリ時代のマンセルも好き。終盤にスピンして、ベルガーと猛烈な二位争いをしてプロストとワンツーフィニッシュを飾ったメキシコGPが最高!!
マンセル大好きだった私にとっては聴くだけでテンション上がる曲良くも悪くも、今のF1では絶対に適応できない走りであり、順応できないキャラ。今のドライバーは基本的に「良い子」でなくちゃ戦えないからね。「アホの子ドライバー」(誉め言葉)として最後にタイトル獲れたのがマンセルじゃないかな?
「唯一の白黒の旗チェッカーフラッグ!後は全部ユニオンジャック!」セナ好きの古館が悔しそうに絶叫してたなw
セナがこのシーズンからウィリアムズに移籍していたらどんな実況をしていたと思いますか?^^
この曲好きなんだよなぁ♩FW14Bは本当にバランスとれた名車だったよね。前年のFW14がすでに見事なパッケージだったから数年は改良版だけで圧倒的な強さを発揮するなんてなかなか無いよ。
@洋楽とロックスターが好き そのチートマシンを作り出したのがデイモンヒルですよね。^^
@洋楽とロックスターが好き FW14Bの熟成やアクティブサスの開発に貢献したのもヒルですし、当時のウィリアムズの最速マシンを作り上げたのは紛れも無くヒルなのですよ。^^y
@洋楽とロックスターが好き ヒルもウィリアムズの最速マシンを作り上げたのは僕だと堂々と言えば良かったと思いませんか、ヒルのレーススタイルは93年シーズンにチームメイトだったアランプロストの影響が大きいみたいですよ。^^y
94年マンセル加入時にヒルの言う通りになぜやらない!とスタッフを一括。ニューエイもヒル首にされて怒ってマクへ。見た目は地味だが実力認められていた。
1992年シーズンに臨むマンセルの気合は凄かった。引退が近い事を予見していたかのように。実際にそうなってしまったが。温暖なアメリカに移住してトレーニングしダイエットに成功。チームメイトに情報を閉ざすため、セッションが終わるとすべてのダイアルを0に戻す徹底ぶり。カナダGPでセナの鬼ブロックにキレてリアイヤするまで落ちついたレースをし開幕5連勝。
スパロボパックたか。この音源、そんな気がする。それと、マンセルにふさわしい曲ですね。荒々しいドライビングイギリス人離れした闘争心がむき出しの1992モナコの追いかけっこが思い出されます。
1992年のF1は、マンセルの圧勝だった
この曲を聞いたら気合い入りますね🎶
この年のFW14Bは本当に凄いマシンだったよなぁ。
リアクティブサスペンション!素晴らしいです!
FW14BにヤマハV12を搭載していたらどうなってたと思いますか?^^
@@零チャンネル-i1f エンジンの信頼性が劣るので流石に快走とは行かんでしょうねぇ。
マンセルの(レッド5)メッチャ大好き❗💕🥰👍
SHOW-YAのキーボードの人が作曲したみたいだね!
リカルド・パトレーゼとのコンビも最強だった。
百戦練磨ならぬ二百戦練磨だからね(笑)
セナがこのシーズンにウィリアムズへ移籍していたらどうなってたと思いますか?;^^
ナイジェルマンセル。前人未到の開幕5連勝!
オリンピックイヤーになるととてつもないマシンが現れると言うジンクスあるけどこのFW14Bは最たる例かと。この前のMP4/4もそうだしこの後のFW18もとんでもないマシンだった。
ということは、来年どこかのチームにそんなマシンが現れるかも、、、
それがレッドブルかアルファタウリならいいのだが
メルセデスだったね・・・
F2004もとんでもなかったですね。
すみません昨日アップグレードでセナマンセルベルガーロニーアレジのテーマを購入したしたけど無い為探して寄り道しました
1992年の開幕から5連続この曲を聴きました。マンセルにちょうどあったテーマ曲でした。そして、当時の古館アナの実況がマッチしていた気がします。1992年のマンセル独走でも、飽きずにみれたのは、なぜでしょうか。
tamotu2005 劣勢になったセナの走りも興奮しましたからねこの次の年も
それは当時は自動車も単車も新幹線もスピードに飢えて狂って熱狂していた時代ですから、F1含むモータースポーツも一大ブームでしたし。^^b
マンセル以外に本当の熱いドライバーは居ない!私の気持ち😂私はカート時代にマンセルのヘルメットのカラーリングをアライヘルメットに注文して作って走りました!
前年のFW14をアクティブサスペンション対応にした程度だったが速かった。確かエイドリアン・ニューウェイがデザインした車だったけど、彼がデザインする車は競争力が高いね。マンセルはこの年でF1を去り翌年インディ参戦していきなりチャンピオンになったんだよね。その後のマクラーレンは酷かったけど、、、
この曲を聞き飽きた頃にモナコでFACESが流れたのが印象的。
92年に9回も流れた曲
たしか予選でも流れてたから+14回になると思う。
イギリスの警察官は、スピード違反を犯したドライバーに対し「お前、ナイジェル・マンセルになったつもりか⁉️」と言った。
Sir Frank Williams R I P.....
ナイジェルもデイモン同様苦労人ですよね、二人のタイトル獲得は正にこれまでの苦労が報われた瞬間でしたよね。^^y
この年のウィリアムズの圧倒っぷりったらそりゃ凄い14Bがダメなら15Cを前倒しで使用するといったほどにまで余裕もあった
エンジンが同じV10の無限ホンダやヤマハV12でも圧勝出来たでしょうかね?^^
たしか逆じゃなかったかな?開幕時は15の熟成を待って投入する予定が、なんか14Bでタイトル獲れちゃいそうだから、14Bでいいやってなって、その間充分過ぎる程熟成された15は15Cにまで進化して、翌年牙を剥く事になったと。
なんじゃこの神曲は
この曲見つけてきたうp主さんに敬意しかありません。
Nigel is Show Man .
髭とレッド5のウィリアムズが似合う愛妻家
なんか曲の雰囲気からしてマンセルの人生を物語っているようだ
そうですね思えばデビュー時の頃の彼の一般的な評価は「其の他大勢」的な扱いでしたがヨーロッパGPから頭角を表し何時しか「ワールドチャンピオンに限り無く近い英国人」と評価される様になっていく迄は苦闘の連続でしたからね。
@@user-qt6jl3mp2n 92年のベルギーGPでマンセルはシューマッハーに「F1後追いの若造に負けたくない!」と思っていたんだよね。セナはシューマッハーに「お前に色々と忠告してやるよ!」と言っていたのをシューマッハーと対立ムードでピットでケンカしてましたよね。
92年当時リ・アクティブサスとトラクションコントロールで武装されたウイリアムズは別次元の車。謎だったのは何故パトレーぜが一勝しかできなかったのか?
+邦人スクアッター 一説には、リアクティブサスでコーナーリングスピードが上がって、その速度にマンセルだけ付いてこれた、というか強引にねじ伏せれた。でも優等生パトレーゼにはどうにもこうにも合わなかった。それが速度差になった。。。 本当のとこはどうなんでしょうね。
+邦人スクアッター 意外とシンプルにリアクティブの超高速コーナリングに体が耐えられるか耐えられないかだったりとか?
マンセルと担当エンジニアが完全にセッティングを隠したらしい。走行を終える度に各ダイアルを0の位置に戻していたという話が。まあ、ベネトンでも不調だったので、パトレーゼ自身がアクティブサスが苦手だったのは事実だと思われる。
皆さんのおっしゃる通りだと思います。91年のパッシブサスFW14ではポールをカナダ、メキシコ、フランスと連続でとったりポルトガルでとったり、優勝2回したり。マンセルを慌てさせました。
でもパトレーゼは最強のNo.2だぞ。
シューマッハ・プロストのテーマ曲が聞きたい。
1995年のマンちゃん、いくらF1とインディーのダブルチャンピオンでも10億の契約しといて、コックピットが狭くて苦しいって勝手に車止めたら、そりゃ解雇でしょ。
すばらちい
俺のドライブミュージック😮😮😮😅
マンセルおやじ❤max'b
レッド5はナイジェルマンセル
RED FIVE MANSELL
この年、アレジにもウィリアムズからのオファーあったけど、フェラーリブランドに負けて蹴ったんだよな。マンセル、アレジのコンビだったら、どうなってたんだろう..
セッティング能力・開発能力のあるパトさんがいないととんでもない事になっていたかもw
ジャンアレジがウィリアムズへ行っていたらタイトル何回程取れたでしょうかね?^^
諸刃の剣=ナイジェルマンセル
Great song. What it's name ??
すみません今マンセルのテーマで検索しましたマンセルのテーマも有るみたいですねベルガーも有りらますか?
ehhh. "peace on mind" perhaps:)
フュージョン最高!!!!!\(^o^)/
FW14
マンセルにシケインは無い
5
ウイリアムズを完璧にコントロールしたのはマンセルだけ。セナ・プロもいまいちだった。。😅
こころわくね
此処から出て行け
+ようぼく昼行灯ようぼく どうしたんですか?
T-SQUAREにセナのテーマを担当させてバンバン流そうとしたフジテレビの思惑を破壊した曲。
速かった。とにかく速すぎた。アクティブサスペンションは凄かった。何よりマンセルがマンセルらしかった。
RED5といえばこの人しかいない。
何というか力でねじ伏せるドライビングスタイルがみていて魅了された。
ときに破茶滅茶な事もしていたけどこの人ならではでおもしろかった。
この人の人間味あふれる走りが良くも悪くもとても魅力的だったので私はF-1に取り憑かれた。
ありがとう。
本当にそう思います。2番や27番はしっくりこないですね。RED5こそマンセルだと思います。
最強・最速のエンターティナー。
SHOW-YAが好きだったこともあるけど、名曲です。マンセルのイメージに合ってる。
川井ちゃん:Dreams Come True(夢叶ったね)
ロザンヌ夫人:Long Way(長かったわ)
結婚してお金が無い時代にマンセルのレース費用を奥さんがパートで働いて工面していたからな~。マンセルが愛人作らずどこ行くのも奥さん連れて行くのも納得。
1992年のマンセルは本当に強かった。
この年のメキシコGPが衛星生中継されたんですが、
当時高校生の私は通学途中に
ラジオ付きウォークマンでテレビ音声だけ拾いながら
生中継を聴いてました。
雑音が多くてあんまりうまく聞けなかったんだけど、
そんな中この曲が流れてきて、「あーあまたマンセルの独走だったか・・・」
とガックリきたのを覚えています。
もう、この音楽、聞きたくないと思いましたね。セナがモナコで勝った時は発狂しました(笑)でもこの速さは異次元でした。
@@fukusuke211974
このルノーエンジンの最速を創ったのはエイドリアンニューウェイですからね。
マンセルがチェッカー受けた時に流れると頑張った感が半端ないです!
😢😂🎉マンセル🎉🎉懐かしい🎉この時が一番燃えた❤
マンセルの闘争本能全開の豪快な走り方大好きだった。
たまに、他の人なら絶対起きない様な凡ミス(タイヤ外れたり、黒旗無視からのセナ撃墜)やらかしてリタイアしちゃうのも含めて魅力的だった。
まぁ、ポルトガルのGPタイヤ外れちゃったのマンセルのせいではないけどね( ^o^ )
確か92年のベルギーGPでマンセルは後追いの若造のシューマッハーには負けたくない!と言っていた記事を見たのを思い出す。
カナダグランプリ最終ラップのヘアピンでストップした“事件”も忘れられない。
何かやらかしても、とぼけた態度。何故か憎めない。
F1界の ドカベン岩鬼みたいな三振かホームランみたいな感じが好きで(笑)優しくて人間味もあるが…
この時代の全てがかっこいい!
あら!古い人間かな😢
マンセルは本当に見せるdriverだった
俺は影に隠れたパトレーゼのが好きだった
あなたとは、仲良くなるそうですね
全く同意見🎵
いぶし銀のパトレーゼ最高‼️
1991年、少なくともフランスのポールまで、マンセルと互角以上の速さと存在感見せつけましたよね。
思えば素晴らしいNo.2ドライバーでしたよね。近い実力を持ちながら虎視眈々と2番手を走行し、マンセルに何かがあればそのまま優勝してポイントを持ち帰る。
この曲、マンセルが優勝する度に掛かっていたね。マンセルはF1界の暴れん坊将軍だね。
92年、開幕戦からいきなり5戦連続でこの曲が流れた時は
ホントに参った。半分呆れて見てたかも。
91年に取りこぼしたレースが少なくなかったウィリアムズルノー
そしてマンセル。今度は完全無欠となって帰ってきた
その真の姿を見せつけられたイメージもあります。
OP曲がTRUTHではなくて、この曲だったってことなの??
開幕5連勝って意味でしょ。当時新記録。
sasa dasa 当時というか92年からですが、優勝が決まった瞬間から優勝者に設定された曲がかかったんです。
92年はマンセルが圧倒的な速さで開幕5連勝したので、ずっとこのpeace of mindが掛かりまくりました。
そしてあの50回記念のモナコ、歴史に残るレースをアイルトン・セナが制した瞬間の、Tスクエアのfacesもまた
感動の忘れられない曲です、40台のおじさんにとっては。
@@くまくま-m8z モナコGPでセナが優勝した時はFacesが流れたのは感激しました。
でもモナコで初めてFacesを流した時はイントロで終わっちゃってサビまで流れなかったんだよね。翌戦カナダのポールで改善されて初めてサビを聴けたという。
マンセルの豪快な感じが伝わってくる。
まさにそのとおりです。
F1中継を見るきっかけになったのは、マンセルの影響です。
FW14Bはもちろん、1986年のFW11や1987年のFW11Bのマンセルの走りは凄まじかったです(^o^)
懐かしいなぁ~、CD持ってた。
同じく!!
セナが優勝したのにこの曲が流れたときがありました。92年のハンガリーGP。
マンセルが2位でチェッカーを受けたことによって、優勝より偉大な記録を残したからなんですが(^^)
答え当ててみせましょうか、ズバリ、マンセルがホンダ系エンジン勢に打ち勝ち自身初のF1タイトルを獲得したからですよね?^^
@@零チャンネル-i1f
それをプロストがウイリアムズで打ち勝ちたかったんだよね。
マンセルといえばウィリアムズのイメージが強いけど、フェラーリ時代のマンセルも好き。終盤にスピンして、ベルガーと猛烈な二位争いをしてプロストとワンツーフィニッシュを飾ったメキシコGPが最高!!
マンセル大好きだった私にとっては聴くだけでテンション上がる曲
良くも悪くも、今のF1では絶対に適応できない走りであり、順応できないキャラ。
今のドライバーは基本的に「良い子」でなくちゃ戦えないからね。
「アホの子ドライバー」(誉め言葉)として最後にタイトル獲れたのがマンセルじゃないかな?
「唯一の白黒の旗チェッカーフラッグ!後は全部ユニオンジャック!」
セナ好きの古館が悔しそうに絶叫してたなw
セナがこのシーズンからウィリアムズに移籍していたらどんな実況をしていたと思いますか?^^
この曲好きなんだよなぁ♩FW14Bは本当にバランスとれた名車だったよね。前年のFW14がすでに見事なパッケージだったから数年は改良版だけで圧倒的な強さを発揮するなんてなかなか無いよ。
@洋楽とロックスターが好き そのチートマシンを作り出したのがデイモンヒルですよね。^^
@洋楽とロックスターが好き FW14Bの熟成やアクティブサスの開発に貢献したのもヒルですし、当時のウィリアムズの最速マシンを作り上げたのは紛れも無くヒルなのですよ。^^y
@洋楽とロックスターが好き ヒルもウィリアムズの最速マシンを作り上げたのは僕だと堂々と言えば良かったと思いませんか、ヒルのレーススタイルは93年シーズンにチームメイトだったアランプロストの影響が大きいみたいですよ。^^y
94年マンセル加入時にヒルの言う通りになぜやらない!とスタッフを一括。ニューエイもヒル首にされて怒ってマクへ。見た目は地味だが実力認められていた。
1992年シーズンに臨むマンセルの気合は凄かった。
引退が近い事を予見していたかのように。実際にそうなってしまったが。
温暖なアメリカに移住してトレーニングしダイエットに成功。
チームメイトに情報を閉ざすため、セッションが終わるとすべてのダイアルを0に戻す徹底ぶり。
カナダGPでセナの鬼ブロックにキレてリアイヤするまで落ちついたレースをし開幕5連勝。
スパロボパックたか。この音源、そんな気がする。それと、マンセルにふさわしい曲ですね。荒々しいドライビング
イギリス人離れした闘争心がむき出しの1992モナコの追いかけっこが思い出されます。
1992年のF1は、マンセルの圧勝だった
この曲を聞いたら
気合い入りますね🎶
この年のFW14Bは本当に凄いマシンだったよなぁ。
リアクティブサスペンション!素晴らしいです!
FW14BにヤマハV12を搭載していたらどうなってたと思いますか?^^
@@零チャンネル-i1f エンジンの信頼性が劣るので流石に快走とは行かんでしょうねぇ。
マンセルの(レッド5)メッチャ大好き❗💕🥰👍
SHOW-YAのキーボードの人が作曲したみたいだね!
リカルド・パトレーゼとのコンビも最強だった。
百戦練磨ならぬ二百戦練磨だからね(笑)
セナがこのシーズンにウィリアムズへ移籍していたらどうなってたと思いますか?;^^
ナイジェルマンセル。前人未到の開幕5連勝!
オリンピックイヤーになるととてつもないマシンが現れると言うジンクスあるけどこのFW14Bは最たる例かと。この前のMP4/4もそうだしこの後のFW18もとんでもないマシンだった。
ということは、来年どこかのチームにそんなマシンが現れるかも、、、
それがレッドブルかアルファタウリならいいのだが
メルセデスだったね・・・
F2004もとんでもなかったですね。
すみません昨日アップグレードでセナマンセルベルガーロニーアレジのテーマを購入したしたけど無い為探して寄り道しました
1992年の開幕から5連続この曲を聴きました。マンセルにちょうどあったテーマ曲でした。そして、当時の古館アナの実況がマッチしていた気がします。1992年のマンセル独走でも、飽きずにみれたのは、なぜでしょうか。
tamotu2005
劣勢になったセナの走りも興奮しましたからね
この次の年も
それは当時は自動車も単車も新幹線もスピードに飢えて狂って熱狂していた時代ですから、F1含むモータースポーツも一大ブームでしたし。^^b
マンセル以外に本当の熱いドライバーは居ない!私の気持ち😂
私はカート時代にマンセルのヘルメットのカラーリングをアライヘルメットに注文して作って走りました!
前年のFW14をアクティブサスペンション対応にした程度だったが速かった。
確かエイドリアン・ニューウェイがデザインした車だったけど、彼がデザインする車は競争力が高いね。
マンセルはこの年でF1を去り翌年インディ参戦していきなりチャンピオンになったんだよね。その後のマクラーレンは酷かったけど、、、
この曲を聞き飽きた頃にモナコでFACESが流れたのが印象的。
92年に9回も流れた曲
たしか予選でも流れてたから+14回になると思う。
イギリスの警察官は、スピード違反を
犯したドライバーに対し
「お前、ナイジェル・マンセルになったつもりか⁉️」
と言った。
Sir Frank Williams R I P.....
ナイジェルもデイモン同様苦労人ですよね、二人のタイトル獲得は正にこれまでの苦労が報われた瞬間でしたよね。^^y
この年のウィリアムズの圧倒っぷりったら
そりゃ凄い
14Bがダメなら15Cを前倒しで使用するといったほどにまで余裕もあった
エンジンが同じV10の無限ホンダやヤマハV12でも圧勝出来たでしょうかね?^^
たしか逆じゃなかったかな?開幕時は15の熟成を待って投入する予定が、
なんか14Bでタイトル獲れちゃいそうだから、14Bでいいやってなって、
その間充分過ぎる程熟成された15は15Cにまで進化して、翌年牙を剥く事になったと。
なんじゃこの神曲は
この曲見つけてきたうp主さんに敬意しかありません。
Nigel is Show Man .
髭とレッド5のウィリアムズが似合う
愛妻家
なんか曲の雰囲気からしてマンセルの人生を物語っているようだ
そうですね思えばデビュー時の頃の彼の一般的な評価は「其の他大勢」的な扱いでしたがヨーロッパGPから頭角を表し何時しか「ワールドチャンピオンに限り無く近い英国人」と評価される様になっていく迄は苦闘の連続でしたからね。
@@user-qt6jl3mp2n
92年のベルギーGPでマンセルはシューマッハーに「F1後追いの若造に負けたくない!」と思っていたんだよね。セナはシューマッハーに「お前に色々と忠告してやるよ!」と言っていたのをシューマッハーと対立ムードでピットでケンカしてましたよね。
92年当時リ・アクティブサスとトラクションコントロールで武装されたウイリアムズは別次元の車。謎だったのは何故パトレーぜが一勝しかできなかったのか?
+邦人スクアッター 一説には、リアクティブサスでコーナーリングスピードが上がって、その速度にマンセルだけ付いてこれた、というか強引にねじ伏せれた。でも優等生パトレーゼにはどうにもこうにも合わなかった。それが速度差になった。。。 本当のとこはどうなんでしょうね。
+邦人スクアッター
意外とシンプルにリアクティブの超高速コーナリングに体が耐えられるか耐えられないかだったりとか?
マンセルと担当エンジニアが完全にセッティングを隠したらしい。
走行を終える度に各ダイアルを0の位置に戻していたという話が。
まあ、ベネトンでも不調だったので、パトレーゼ自身がアクティブサスが苦手だったのは事実だと思われる。
皆さんのおっしゃる通りだと思います。91年のパッシブサスFW14ではポールをカナダ、メキシコ、フランスと連続でとったりポルトガルでとったり、優勝2回したり。マンセルを慌てさせました。
でもパトレーゼは最強のNo.2だぞ。
シューマッハ・プロストのテーマ曲が聞きたい。
1995年のマンちゃん、いくらF1とインディーのダブルチャンピオンでも10億の契約しといて、コックピットが狭くて苦しいって勝手に車止めたら、そりゃ解雇でしょ。
すばらちい
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RED FIVE MANSELL
この年、アレジにもウィリアムズからのオファーあったけど、
フェラーリブランドに負けて蹴ったんだよな。
マンセル、アレジのコンビだったら、どうなってたんだろう..
セッティング能力・開発能力のあるパトさんがいないと
とんでもない事になっていたかもw
ジャンアレジがウィリアムズへ行っていたらタイトル何回程取れたでしょうかね?^^
諸刃の剣=ナイジェルマンセル
Great song. What it's name ??
すみません今マンセルのテーマで検索しましたマンセルのテーマも有るみたいですねベルガーも有りらますか?
ehhh. "peace on mind" perhaps:)
フュージョン最高!!!!!\(^o^)/
FW14
マンセルにシケインは無い
5
ウイリアムズを完璧にコントロールしたのはマンセルだけ。セナ・プロもいまいちだった。。😅
こころわくね
此処から出て行け
+ようぼく昼行灯ようぼく
どうしたんですか?