【仕舞】菊慈童 梅若基徳 【日本語字幕あり】 kikujidou

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  • เผยแพร่เมื่อ 14 ต.ค. 2024
  • 仕舞 菊慈童
    シテ方 観世流 能楽師
    梅若基徳
    日本語字幕に謡の節を入れております。
    是非字幕を表示して、一緒に謡いながらご覧ください!
    西宮能楽堂は、兵庫県西宮市鳴尾町に2017年開館した能楽堂です。
    能楽をはじめとした動画をアップして参りますので、是非チャンネル登録をお願い致します。
    西宮能楽堂は、一般財団法人日本伝統芸術文化財団によって、管理・運営しております。
    【一般財団法人 日本伝統芸術文化財団】
    当財団は、「日本の伝統芸能である能楽を核とする多彩な芸能・芸術を愉しむことにより、人々の心身の円満な状況を促し豊かな人間性を涵養すること及び特に児童・青少年の健全な発達に寄与し、文化芸術の振興と同時に地域社会の健全な発展や国際的理解を促進する」ことを目的とし、「親しみやすく、だれもが参加できる、わかりやすい」公演を目指し、日本の伝統芸能を中心にさまざまな事業を積極的に展開していきます。
    一般財団法人 日本伝統芸術文化財団
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    西宮能楽堂
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    #西宮能楽堂 #能 #noh #西宮市 #鳴尾 #甲子園 #能楽堂 #伝統芸能 #日本 #japan #japaneseculture

ความคิดเห็น • 6

  • @小泉美樹-n7x
    @小泉美樹-n7x 9 หลายเดือนก่อน +1

    旅館の晩御飯なんかに出てくる、一人鍋用の焜炉(?)にこの曲の謡本がプリントされているのをよく見かけます。昔謡の稽古をしていた頃、自分でも謡ったことがありますが、楽しい曲ですよね。

  • @mabovithzelthz4580
    @mabovithzelthz4580 2 ปีที่แล้ว +7

    解説が無かったので、勝手に要約して載せました。
    この曲は、中国を舞台にした唐物の曲の一つで、慈童という不思議な人物が主人公。慈童の伝説の掲載された『太平記』の記述は以下の通り。
    【前略~慈童は古代中国、周の穆王に仕えた童子だった。ある時、皇帝の枕をまたぐ過ちを犯し、死刑は免れたが流罪に処され、酈縣山に捨てられた。穆王は慈童を憐れみ、密かに法華経の二句の偈を書いた枕を託し、毎朝、偈を唱えて礼拝するように教導した。慈童が忘れないように菊の葉に偈を写すと、葉の露が霊薬となり、飲んだ慈童は仙人となって八百余年も不老長寿を保った。慈童は魏の文帝の時代に彭祖(ほうそ)と名を改め、長寿の術を帝に伝え、菊の盃を受け継いだ帝は万年の長寿を祝った。これが今の重陽の宴である。後~後略】
    魏の文帝の世に、酈縣山(れっけんざん/てっけんざん)の麓から霊水が湧き出たため、その源流を探るべく、勅使一行が派遣された。勅使は山中に一軒の庵を発見。周辺を散策して様子を窺うと、庵から、一人の風変わりな少年が現れた。勅使が怪しみ名を尋ねる。少年は『自分は慈童という者だ。周の穆王(ぼくおう)に仕えた』周の穆王は物語の時代から見て、七百年もの昔。勅使はますます怪しみ『化け物だろう』と問い詰めると、慈童は『皇帝より直筆の二句(四句)の偈(経典の言葉)が入った枕を賜った』と語り、その証拠として見せる。勅使もその有難さに感銘を受け、二人でその言葉を唱え味わう。慈童は『自分が二句(四句)の偈を菊の葉に写したところ、そこに結ぶ露が不老不死の霊水となり、それを飲み続けたから七百歳にもなったのだ』と語り、喜びの楽を舞う。慈童は、その露の滴りが谷に淵を作り、霊水が湧いていると述べ、勅使らとともに霊水を酒として酌み交わす。帝に長寿を捧げ、末永い繁栄を祈念、慈童は山中の仙家に帰りゆく。
    能では、魏の文帝の勅使が、人跡未踏の深い山中で少年姿の慈童に出会う。幻想的な情景の中で、物語が進行。心の洗われるような、めでたく清涼な趣のある曲。憂き世を離れ、夢のような異郷世界に遊ぶ心地へと誘う。

    • @umewaka1214
      @umewaka1214 ปีที่แล้ว +1

      詳しい解説を有難うございます。

    • @muscle-ray2
      @muscle-ray2 หลายเดือนก่อน

      日本の能楽では「幻想的で清らかな仙境に遊ぶ」香り高い境地に昇華されています。
      しかし、古代中国の元の話は、そもそも「帝の枕をまたぐ」で分かるとおり、帝はこの少年を夜な夜な寝所に侍らせて怪しいことをしてるわけです。高貴な身分の人のこういう男色趣味は、たぶん世界中たいていの国で行なわれていたのでしょう。日本の戦国大名も「色小姓」とBL(今で言えば)を楽しみました。殿様の寝所のまわりには基本的に女性しか近寄れないから、彼ら美少年は万一の際に殿様の身を護衛する役割もあるわけなので。
      明治以降、日本では同性愛は不当にタブー化されたため、能の世界でもこの曲を舞う際にそうした「美少年菊慈童」のルーツの話題は避けられていたかも知れないが、近年ようやくLGBTQが社会的に容認されて、この件もごまかさずに語れるようになったと思います。それは伝統文化の継承の上で好ましい流れだと思うんですよ。曲の背景をより正確に理解する意味でも。
      令和6年9月9日
      重陽(菊の節句)

  • @sno6093
    @sno6093 3 ปีที่แล้ว +2

    2021/10/14/旧暦重陽の節句に。

    • @umewaka1214
      @umewaka1214 ปีที่แล้ว

      おめでとございました♪