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当時に8mmを回していたので、上等な家庭環境だったのでしょうね。貴重な映像をたよって現地に出向くことは、亡き方々への最高の供養と感じます。亡き人のことを想っているかぎり、その方は心の中でずっと生きています。素晴らしい映像ありがとうございました。
曾祖母様、お若くして亡くなられたのですね…映像の方々が血縁かもしれないという貴方の切ない気持ちが伝わりますどうか貴方は御身体を大事になさってください
8mm、VTR、デジカメとハードウエアは変われど、映像記録に力を入れる家系なんですね。貴重な映像、いつもありがとうございます。
今回のVはいいものです、何故か泣けてきます。
1950年代生まれ、長年そして今も小平駅を利用して暮らしています。懐かしい、のひとことです。ありがとうございます。
観て居て、何か涙が出て来ました😢
いつも楽しく拝見していますが、今日は胸が締め付けられる思いがしました。8ミリはおじ様が撮影されたのでしょうか。お父様といいオダキュウさんといい、映像撮影にご熱心で、おかげさまでいつも楽しませていただいています。今は誰とも分からなくなってしまった親戚、というのはとても切ないですね。私も両親の結婚式の写真などを見るたびにそう思います。また亡くなった親戚の写真などをAIで動画化する喜びや感動もよく分かります。私はいつか、去年亡くした妻の画像を動かしたいのですが、今はまだとても出来ません。ともあれ、今日は特別に素晴らしい動画をあげていただきありがとうございました♪
ありがとうございます!自分も旅立って10年以上経つ父の写真はまだ動かせてません。しばらくは想い出を噛みしめる時期なのかもしれませんね。
ご親戚の8mmとは、貴重で思い入れも相当おありでしょう。確かにお身内がAIで動くと言うのは、感動ものですね🥹小平に時に縁がある訳でもないのですが、非常に惹き込まれました。貴重な映像有難うございました。
実家が石材店です。納骨の風景や石塔建ててる姿を見て亡父を思い出して涙が止まらなかったです。今も尊敬する寡黙な父。
いつもノスタルジックな映像配信を頂き有難うございます。私は偶然にも板橋区大山の出身で曾祖母様の映像の1950年代前半には既に生まれており、商店街のどこかで曾祖母様と擦れ違っていたかもしれませんね。これからも素敵な映像を楽しみにしています。
昭和・平成・令和、、、時代と共に親類縁者の繋がりが遠く、薄く、疎くなっていく感じが否めません。例のコロナの時も影響してお葬式は簡素化、うちも叔父の葬式に父は兄弟でしたが不参加でした。知らない親戚が大勢集まる様な事も、これからは無くなって行くんでしょうねぇ。。。🥲🥲🥲
我が家(祖父母)も小平霊園に眠っています。都心に引っ越してから、墓参り行ってないな。。。広々としてとても良い霊園です。
小平霊園が開設される前年の1947年当時、小平駅と青梅街道の間には、豆腐屋、八百屋、床屋の3軒しかなく、翌48年から霊園の分譲が始まるとともに、石材店が次々と開店し、商店街が形成されていった(小平教育委員会「郷土こだいら」1967)そうです。しかし70年以上が経過し、霊園ともに開発された街の記憶も、段々と薄れていくようです。
偶然でしょうか。今日小平霊園の近くをサイクリングしていました。50年代の貴重な映像有難う御座いました。
最近は家族葬が主流ですが、以前は、たまに葬式があると親戚中が集まって「元気にしてた?」って声をかけてくる親戚の人、いませんかその人、見た事ある顔なんだけど誰だか分からないまま終わって、すっきりしないまま帰宅する時があります失礼に当たりそうで「誰ですか?」なんて訊けないから、分かったふりして「元気ですよ」と返すしかないのです。。それもまた失礼か
生まれてからずっと新宿線沿線民なので小平は馴染みのある駅です駅前に石屋さんが並び霊園の入り口に続いている、そんなイメージでしたが最近は結構石屋さんが廃業されているんですね
いつも有難うございます。小平霊園の映像、以前アップしていたと思います。祖父母までは判っても曽祖父母となるとご先祖様という感覚になります。親戚が仲良しは良いことです。
ありがとうございます。懐かしいです。1985年当時、私は大学を卒業してすぐに小平市にある企業に就職しました。(現在はありません。)その当時、駅からちば屋さんのお店が見えました。大きな墓地は地形に変化が少ないので、駅前の佇まいが変わらないのですね。エゴかもしれませんが、思い出の地はあまり変わってほしくないものです。
墓参り、、、年末に行って来ました。時期に関係なく心を整えたい時に行くようにしています。
小平霊園絶賛造成中の風景、私は生まれていませんでした。割と近くに住んでいて、動画内の昔の風景もソコソコ分かりました。それにしても、移動手段が大きく様変わりしているのに驚きました。
墓参り・・・。そろそろ親友が亡くなって5年経つことを思い出しました。。。行きたいですね。
角に有った元「ちば家」さんには、ラーメン屋が営業していましたが、令和2年に閉店したようです。ちば屋さんは、そこからすぐ近くに移転して「石かつちば屋」で営業しています。
牛丼カレーの店に惹かれる
この小平の近くに住んでいます。実は先週、久米川の伯母が95歳で大往生してちばやさんの近くの大野家さんで葬儀を行ったので感慨深いです。
確か、80年代には石屋さんをやっていたような。通勤でよく見かけました。その頃は、他にも石屋さんがあったような?
Merci beaucoup pour cette très belle vidéo ! ✌
うちのお墓、市川家さんでお世話になってます。
新青梅街道通ると昔からあって父親が昭和44年祖父が亡くなった時には空きがなかったらしいです小平駅から石材店が並び立派な霊園ですよね
故郷、親族とは縁が切れた田舎者の私、妻子には大阪四天王寺近くの「一心寺」に納骨してくれと言ってありますがどうなる事やら、、。骨仏け、いつも賑やかな大阪弁、色不異空 空不異色 色即是空 空即是色 一心寺では人間は皆親戚親族の思いがします、誰も訪ねてくれなくなっても、、、。
今晩は小平市は
ピアノ音がもの悲しいです。
当時に8mmを回していたので、上等な家庭環境だったのでしょうね。
貴重な映像をたよって現地に出向くことは、亡き方々への最高の供養と感じます。
亡き人のことを想っているかぎり、その方は心の中でずっと生きています。
素晴らしい映像ありがとうございました。
曾祖母様、お若くして亡くなられたのですね…
映像の方々が血縁かもしれないという貴方の切ない気持ちが伝わります
どうか貴方は御身体を大事になさってください
8mm、VTR、デジカメとハードウエアは変われど、映像記録に力を入れる家系なんですね。
貴重な映像、いつもありがとうございます。
今回のVはいいものです、何故か泣けてきます。
1950年代生まれ、長年そして今も小平駅を利用して暮らしています。懐かしい、のひとことです。ありがとうございます。
観て居て、何か涙が出て来ました😢
いつも楽しく拝見していますが、今日は胸が締め付けられる思いがしました。8ミリはおじ様が撮影されたのでしょうか。お父様といいオダキュウさんといい、映像撮影にご熱心で、おかげさまでいつも楽しませていただいています。
今は誰とも分からなくなってしまった親戚、というのはとても切ないですね。私も両親の結婚式の写真などを見るたびにそう思います。
また亡くなった親戚の写真などをAIで動画化する喜びや感動もよく分かります。私はいつか、去年亡くした妻の画像を動かしたいのですが、今はまだとても出来ません。
ともあれ、今日は特別に素晴らしい動画をあげていただきありがとうございました♪
ありがとうございます!
自分も旅立って10年以上経つ父の写真はまだ動かせてません。
しばらくは想い出を噛みしめる時期なのかもしれませんね。
ご親戚の8mmとは、貴重で思い入れも相当おありでしょう。
確かにお身内がAIで動くと言うのは、感動ものですね🥹
小平に時に縁がある訳でもないのですが、非常に惹き込まれました。
貴重な映像有難うございました。
実家が石材店です。納骨の風景や石塔建ててる姿を見て亡父を思い出して涙が止まらなかったです。今も尊敬する寡黙な父。
いつもノスタルジックな映像配信を頂き有難うございます。私は偶然にも板橋区大山の出身で曾祖母様の映像の1950年代前半には既に生まれており、商店街のどこかで曾祖母様と擦れ違っていたかもしれませんね。これからも素敵な映像を楽しみにしています。
昭和・平成・令和、、、時代と共に親類縁者の繋がりが遠く、薄く、疎くなっていく感じが否めません。
例のコロナの時も影響してお葬式は簡素化、うちも叔父の葬式に父は兄弟でしたが不参加でした。
知らない親戚が大勢集まる様な事も、これからは無くなって行くんでしょうねぇ。。。🥲🥲🥲
我が家(祖父母)も小平霊園に眠っています。
都心に引っ越してから、墓参り行ってないな。。。
広々としてとても良い霊園です。
小平霊園が開設される前年の1947年当時、小平駅と青梅街道の間には、豆腐屋、八百屋、床
屋の3軒しかなく、翌48年から霊園の分譲が始まるとともに、石材店が次々と開店し、商店
街が形成されていった(小平教育委員会「郷土こだいら」1967)そうです。しかし70年以上
が経過し、霊園ともに開発された街の記憶も、段々と薄れていくようです。
偶然でしょうか。
今日小平霊園の近くをサイクリングしていました。
50年代の貴重な映像有難う御座いました。
最近は家族葬が主流ですが、以前は、たまに葬式があると親戚中が集まって「元気にしてた?」って声をかけてくる親戚の人、いませんか
その人、見た事ある顔なんだけど誰だか分からないまま終わって、すっきりしないまま帰宅する時があります
失礼に当たりそうで「誰ですか?」なんて訊けないから、分かったふりして「元気ですよ」と返すしかないのです。。それもまた失礼か
生まれてからずっと新宿線沿線民なので小平は馴染みのある駅です
駅前に石屋さんが並び霊園の入り口に続いている、そんなイメージでしたが最近は結構石屋さんが廃業されているんですね
いつも有難うございます。小平霊園の映像、以前アップしていたと思います。祖父母までは判っても曽祖父母となるとご先祖様という感覚になります。親戚が仲良しは良いことです。
ありがとうございます。懐かしいです。1985年当時、私は大学を卒業してすぐに小平市にある企業に就職しました。(現在はありません。)その当時、駅からちば屋さんのお店が見えました。大きな墓地は地形に変化が少ないので、駅前の佇まいが変わらないのですね。エゴかもしれませんが、思い出の地はあまり変わってほしくないものです。
墓参り、、、年末に行って来ました。時期に関係なく心を整えたい時に行くようにしています。
小平霊園絶賛造成中の風景、私は生まれていませんでした。
割と近くに住んでいて、動画内の昔の風景もソコソコ分かりました。
それにしても、移動手段が大きく様変わりしているのに驚きました。
墓参り・・・。そろそろ親友が亡くなって5年経つことを思い出しました。。。
行きたいですね。
角に有った元「ちば家」さんには、ラーメン屋が営業していましたが、令和2年に閉店したようです。ちば屋さんは、そこからすぐ近くに移転して「石かつちば屋」で営業しています。
牛丼カレーの店に惹かれる
この小平の近くに住んでいます。実は先週、久米川の伯母が95歳で大往生してちばやさんの近くの大野家さんで葬儀を行ったので感慨深いです。
確か、80年代には石屋さんをやっていたような。通勤でよく見かけました。その頃は、他にも石屋さんがあったような?
Merci beaucoup pour cette très belle vidéo ! ✌
うちのお墓、市川家さんでお世話になってます。
新青梅街道通ると昔からあって父親が昭和44年祖父が亡くなった時には空きがなかったらしいです小平駅から石材店が並び立派な霊園ですよね
故郷、親族とは縁が切れた田舎者の私、妻子には大阪四天王寺近くの「一心寺」に納骨
してくれと言ってありますがどうなる事やら、、。
骨仏け、いつも賑やかな大阪弁、色不異空 空不異色 色即是空 空即是色 一心寺では
人間は皆親戚親族の思いがします、誰も訪ねてくれなくなっても、、、。
今晩は小平市は
ピアノ音がもの悲しいです。