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元々は東京出身で戦争で高岡で育った父はこのダイヤで東京に就職で出てきたのですね。最後となった家族旅行で北陸新幹線に乗せることが出来ました。別れとなった新高岡の駅を出る時の父の表情は一生忘れることはないでしょう。
北陸羽越新幹線などが始まりますよ。
富山で生まれてから母や祖母に連れられ、富山駅を利用してきました。そんなわたしが日本を離れる時に、寝台列車に乗ったのも富山駅。日本を離れて四半世紀近くですが、北陸新幹線を利用する時も、昭和50年代から平成の頃の列車を思い出します。素晴らしい動画をありがとうございます。スウェーデンから視聴させて頂いております。
後にL特急の優等列車「雷鳥」の多くが、ここ富山駅の始発終点になりましたね。北陸新幹線開業前は、在来線のいろいろな列車の発着でさぞや賑わっていた事が容易に想像できます。思い出深い大阪行きの寝台特急「つるぎ」、当時はまだ急行だったんですね。4年前北陸新幹線を使い、富山駅経由で飛騨高山に行ったことがあります。富山駅に着いてびっくり。駅そのものはきれいで近代的になったかもしれませんが在来線ホームには列車が停まっておらず、本当にかつてはいろいろな列車が走っていたのと思えるほど閑散としておりました。唯一の救いは、大好物の富山駅の名物駅弁「マスの寿司」が健在だったことでした。動画と4年前のギャップを知り、何となく寂しい気持ちになりました。またまたとても参考になる動画をありがとうございました。
いつもご視聴とコメントありがとうございます。ついこの間まではさまざまな列車が走っていた記憶がありますが、新幹線開業で一気に変わりましたね。在来線ホームの変化や閑散具合は、山陽新幹線の開業後もこのようなものだったのかなと感じさせますね。
お疲れ様です。そして週末の楽しみ、ありがとうございました。北陸本線上り下りに加えて高山本線もあり、見どころはたくさんありましたネ。高山本線も、夜行が設定されてたんですね。
北陸LED新幹線の山が始まりますよ。
動画お疲れ様です。まだ準急や循環列車のあった時代。特別急行は雷鳥もしらさぎも登場前なので列車は行き交えど特急街道とは程遠い時代ですね。
いつもご視聴とコメントありがとうございます。特急街道には程遠いものの、この時代の優等列車のバリエーションの多さは面白いですね。駅のホームで発着する列車を眺めてみたいなと思いました。
この時代、新潟県内は単線非電化の旧線であり、日本海縦貫線の貨物列車の需要は増え続けていたので、富山〜直江津は日本一の過密区間とも言われていたようですね。
3:08 城端線からの直通列車は国鉄時代から現在も運転されてる(現在は富山止まり 折り返しの列車も高岡駅送り込みを兼ねて気動車を使用する)
概要欄のタイトルが1964年では無く1974年になってますよ!因みに1964年9月と言うと富山まで電化の1ヶ月前(電化完成8月だが、本格的には10月から)で白山等の客車急行は富山機関区のDF50が牽引していました。後時代が多少違いますが松本清張の小説ゼロの焦点で、主人公が長岡周りの急行に乗って金沢に行くんですよね!(時代的には急行北陸かな?)。
いつもご視聴とコメントありがとうございます。タイトルのご指摘ありがとうございました。修正致しました。当時は客車がまだまだ活躍していた時代ですね。夜行の普通列車は風情があったでしょうね。
待ってましたよ、北陸本線と高山本線。リクエストは北陸本線では、特急「雷鳥」と特急「ひだ」の時刻表旅をリクエストします。
全ての新幹線の山が始まりますよ。
@@アスパラトマト-p6u ええ、出来れば特急「雷鳥」の時刻表の旅は昭和55年の時刻でお願いします。
いつもありがとうございます。大阪行きの夜行列車が急行2本(うち1本は青森発着の日本海号)、普通2本と言うことからも結構な需要があったことと思います。この時点では大阪~金沢は電化されて電車急行が走っていたものの富山にはその恩恵がなかったということなのかもしれませんね。北陸新幹線が出来てこの地域も東京志向が強まりましたね。来年の3月にはその新幹線が敦賀まで出来るそうですね。鉄道そのものが速くなるのは良いのですが、語らいながら一夜を過ごしたり同じボックスに同席された方々との思い出が少なくなるのも残念なことかなと思うこの頃です。😮
ハピライン福井さまかなと思いますよ。
いつもご視聴とコメントありがとうございます。仰る通りで、新幹線の開通によって、東京志向が高くなっていきますね。在来線での旅の楽しさが少しずつ失われていきますね。夜行列車のロビーカーで乗り合わせた人達と、語りながら夜を過ごしたのは今となってはかけがえのない思い出ですね。
ちょっと前まで夜行列車が多数走っていた気がするのですが、あっという間に減ってなくなりましたね。もはや復活はしないと思いますが、また走ってほしいものです。それにしても長距離普通列車は多いですね。(20年位前には米原行とかはあったと思いますが)
いつもご視聴とコメントありがとうございます。20年前は食パンのニックネームの419系も走っていましたね。新幹線の開業で、特急はなくなり、北陸本線自体も短くなってしまいます。様子が大きく変わっていきますね。
同じ富山県内ですが高岡駅版をお願い出来ないでしょうか?時期によっては富山駅より列車の行き交いが激しいと思います。何しろ今の高岡駅が寂し過ぎて、活き活きしてた高岡駅を記録に残したいのです。他力本願ですがどうかお願いしますm(_ _)m
そういえばこれより古い時刻表で北陸本線に変な普通列車があったな、と思って1958年(昭和33年)のを見てみましたら、7時25分富山発(糸魚川始発)の列車は、米原まで行った後方向を変えて東海道本線の掛川駅まで行ってました。当時は糸魚川5時22分発、富山7時35分発、米原に14時46分に到着すると、岐阜、名古屋、豊橋、浜松を経由して掛川20時24分到着でした。どういう需要を見込んでこういうルートを…と思ってしまいます。
その3ヶ月後、交直流両用の電車特急481系がデビューして、大阪から「雷鳥」名古屋から「しらさぎ」として運行開始する以後、敦賀~富山迄北陸本線は特急急行が勢力を増し賑やかになっていく来年北陸新幹線敦賀延伸になり在来線の賑わいが衰えていく
いつもご視聴とコメントありがとうございます。新幹線開業により、在来線の賑わいが衰えていくのはどの時代もどの地域も同じですね。新幹線で早く移動できることは間違いありませんが、閑散とした在来線ホームを見ると、鉄道好きの1人としては複雑な思いがありますね。
富山駅ですか。金沢駅は前に紹介してましたから。来年3月に北陸新幹線敦賀開業で敦賀〜大聖寺間は「ハピラインふくい」に、大聖寺〜金沢間はIRいしかわ鉄道に移管され、北陸本線は敦賀〜米原間に縮小されます。
北陸新幹線にもLED新幹線かなと思いますよ。
特急に格上げされる前の「ひだ」「白山」、別の区間の特急になった「加越」、そして当初は大阪ー新潟間の昼間気動車急行で後に青森行に延伸された夜行客車急行、そして新潟行きに戻った夜行電車急行になった「きたぐに」、そして長距離客車鈍行など、富山駅は賑やで行き先も上野、名古屋、大阪そして新潟以北と行き先のバリエーションも多かったように思われます。今は東京以外は不便になったように感じる富山。来る北陸新幹線の敦賀延伸で一層不便になると思われるのが何かなぁ...と思う今日この頃です。
いつもご視聴とコメントありがとうございます。仰る通りですね。特急街道になる前ではありますが、優等列車や普通列車のバリエーションの多さは見ていて飽きないですね。当時の各列車の利用状況もあわせて、写真に収めたかったなと思います。関西から北陸地方は乗り換えが必須になる区間が増えてしまいますね。過渡期の現在は、かえって遠くなったように感じる人もいるのでしょうね。
お、きたきた!さぁ、今日は白鳥号に乗ってどこまで行くか。
いつもご視聴とコメントありがとうございます。お待たせいたしました。楽しんでいただければ幸いです。
北陸本線も新幹線が敦賀まで延長されるとついに敦賀ー米原間という「ほとんど滋賀県」。これじゃ湖北線になっちゃいますね・・・。
第三セクター鉄道の始まりですよね、花が咲いてきますよね。
長距離列車 特にディーゼル車は途中で燃料入れたりするんですかね?超初心的質問でゴメンなさい🙇♀️(電化区間ならそれは無いですが)
普段は所定の仕業(区間)で必要になる量の倍は積んでいるみたいですね。でも長距離となると積む量も物凄くなりそうですね。それでも緊急事態としてガス欠になった事があってそれは鉄道運転事故として国に報告義務があるらしいです。
@@daifuku371 さんありがとうございます😃
いつもご視聴とコメントありがとうございます。車両にはかなりの燃料を積むことができると聞いたことはありますが、必要量の倍積んでいたとは知りませんでした。最近になっても、稀に燃料切れのニュースがありますね。
急行や中長距離鈍行が主役の時代ですねぇ。城端線直通があることが興味深い特急全盛時代は、「白鳥」「新潟雷鳥」「白山」時代、「サンダーバード」「はくたか」「北越」時代と、どっちでしょうかね?(どちらも「日本海」「北陸」「きたぐに」は外せません!)1曲目、久しぶりに使いましたね~
北陸新幹線と羽越新幹線の直通新幹線が始まりますよ。
一往復ある米原〜長野の普通列車は、どういう意図で設定されていたのか気になりますね。
いつもご視聴とコメントありがとうございます。他の長距離普通列車のように、荷物などを運ぶ目的もあったのかもしれません。どのような意図か気になりますね。
当時から高山線の列車は、普通列車でも猪谷を越えて高山方面まで直通しているものが多かった、ということが分かります。今みたいに、やれ県境だ、やれ会社境だといって、猪谷乗り換えを強制させているダイヤは不自然だ、ということが言えますね。※中には名古屋まで走ってた、なんてのもあり、びっくりです。
この時代、福井と敦賀で運転系統が切り替わってたんだな。
なってい早起きな駅だったんですかね?(もっとも金沢には3時代の始発がありましたが)そして・・・循環準急しろがね見落としちゃだめですよw
モータリゼーションの発展もそうなんですが、新幹線の整備が進むほど在来線がダメになっていくのを感じざるを得ません。どちらも同じ軌間ならこんなことにはならなかったかもしれません。(フランスのTGVみたいに、専用軌道と在来線を縦横無尽に走ることもできたでしょう。)フリーゲージトレインの開発が断念されたことにより、もはや昭和30年から昭和末期のように、便利でどこにでも行ける鉄道ではなくなってしまいました。
それならば第三セクター鉄道の山が始まりますよ。
いつもご視聴とコメントありがとうございます。新幹線により速く移動できるようになりましたが、旅をしている感覚は薄れてしまいましたね。北海度で起きているようなローカル線の廃線が日本各地で起きないか心配ですね。
昭和50年代に富山16:23〜金沢〜米原方面 の快速で何度もお世話になった世代です。帰りの金沢→富山で快速を逃して、旧式客車で高岡でえらい待たされたのも覚えとるっちゃ。富山港線(旧ライトレール)は今回のアップでは外したがかな?京浜東北線と似た色の電車を踏切待ちしながら小学校に通っとったがで。富山港線の時刻表(富山〜岩瀬浜)の今昔をリクエストさせて下さい。
横から申し訳ありません。概要欄にも出てきますが、この時代の首都圏や関西の国電や富山港線のような短距離の都市交通の一翼を担う路線は全国版の時刻表では始発と終電のみが書かれ、その他は間隔だけが記載されていたものと思います。地元の方なら新聞の折り込み広告に駅の時刻表が載るケースもありましたが、それ以外の場合は電話で問い合わせるか現地で時刻表を見るしかなかったものと考えます。来るまでしばらく大きな駅で待てばよいと考えていたのでしょうね。今なら検索システムで瞬時に出てくる時代。乗り継ぎやその後の行程を自ら考えることも少なくなった気がします。
いつもご視聴とコメントありがとうございます。私も大変興味がありますが、残念ながら知るすべがないところが残念なところです。過去の富山港線の時刻表はきっと日本のどこかに残っているのではないかと思います。時刻表復刻版が世に出てくる流れにのって、そういった貴重な史料も出てきて欲しいですね。
特別急行列車が白鳥だけって?貴重列車だったんですね。急行日本海も格上げ前、ひだは準急行後の名列車の黎明期この貴重な時期の列車に乗ってみたいと思いました。
第三セクター鉄道の山が始まりますよ。
この年の12月に481系がデビューし、雷鳥、しらさぎが運行開始しました。
元々は東京出身で戦争で高岡で育った父はこのダイヤで東京に就職で出てきたのですね。最後となった家族旅行で北陸新幹線に乗せることが出来ました。別れとなった新高岡の駅を出る時の父の表情は一生忘れることはないでしょう。
北陸羽越新幹線などが始まりますよ。
富山で生まれてから母や祖母に連れられ、富山駅を利用してきました。そんなわたしが日本を離れる時に、
寝台列車に乗ったのも富山駅。日本を離れて四半世紀近くですが、北陸新幹線を利用する時も、昭和50年代から平成の頃の列車を思い出します。
素晴らしい動画をありがとうございます。スウェーデンから視聴させて頂いております。
後にL特急の優等列車「雷鳥」の多くが、ここ富山駅の始発終点になりましたね。北陸新幹線開業前は、在来線のいろいろな列車の発着でさぞや賑わっていた事が容易に想像できます。
思い出深い大阪行きの寝台特急「つるぎ」、当時はまだ急行だったんですね。4年前北陸新幹線を使い、富山駅経由で飛騨高山に行ったことがあります。富山駅に着いてびっくり。駅そのものはきれいで近代的になったかもしれませんが在来線ホームには列車が停まっておらず、本当にかつてはいろいろな列車が走っていたのと思えるほど閑散としておりました。唯一の救いは、大好物の富山駅の名物駅弁「マスの寿司」が健在だったことでした。動画と4年前のギャップを知り、何となく寂しい気持ちになりました。
またまたとても参考になる動画をありがとうございました。
いつもご視聴とコメントありがとうございます。
ついこの間まではさまざまな列車が走っていた記憶がありますが、新幹線開業で一気に変わりましたね。
在来線ホームの変化や閑散具合は、山陽新幹線の開業後もこのようなものだったのかなと感じさせますね。
お疲れ様です。そして週末の楽しみ、ありがとうございました。
北陸本線上り下りに加えて高山本線もあり、見どころはたくさんありましたネ。
高山本線も、夜行が設定されてたんですね。
北陸LED新幹線の山が始まりますよ。
動画お疲れ様です。
まだ準急や循環列車のあった時代。
特別急行は雷鳥もしらさぎも登場前なので列車は行き交えど特急街道とは程遠い時代ですね。
いつもご視聴とコメントありがとうございます。
特急街道には程遠いものの、この時代の優等列車のバリエーションの多さは面白いですね。駅のホームで発着する列車を眺めてみたいなと思いました。
この時代、新潟県内は単線非電化の旧線であり、日本海縦貫線の貨物列車の需要は増え続けていたので、富山〜直江津は日本一の過密区間とも言われていたようですね。
3:08 城端線からの直通列車は
国鉄時代から現在も運転されてる
(現在は富山止まり 折り返しの列車も高岡駅送り込みを兼ねて気動車を使用する)
概要欄のタイトルが1964年では無く1974年になってますよ!因みに1964年9月と言うと富山まで電化の1ヶ月前(電化完成8月だが、本格的には10月から)で白山等の客車急行は富山機関区のDF50が牽引していました。後時代が多少違いますが松本清張の小説ゼロの焦点で、主人公が長岡周りの急行に乗って金沢に行くんですよね!(時代的には急行北陸かな?)。
いつもご視聴とコメントありがとうございます。
タイトルのご指摘ありがとうございました。修正致しました。
当時は客車がまだまだ活躍していた時代ですね。夜行の普通列車は風情があったでしょうね。
待ってましたよ、北陸本線と高山本線。
リクエストは北陸本線では、特急「雷鳥」と特急「ひだ」の時刻表旅をリクエストします。
全ての新幹線の山が始まりますよ。
@@アスパラトマト-p6u ええ、出来れば特急「雷鳥」の時刻表の旅は昭和55年の時刻でお願いします。
いつもありがとうございます。
大阪行きの夜行列車が急行2本(うち1本は青森発着の日本海号)、普通2本と言うことからも結構な需要があったことと思います。
この時点では大阪~金沢は電化されて電車急行が走っていたものの富山にはその恩恵がなかったということなのかもしれませんね。
北陸新幹線が出来てこの地域も東京志向が強まりましたね。
来年の3月にはその新幹線が敦賀まで出来るそうですね。
鉄道そのものが速くなるのは良いのですが、語らいながら一夜を過ごしたり同じボックスに同席された方々との思い出が少なくなるのも残念なことかなと思うこの頃です。😮
ハピライン福井さまかなと思いますよ。
いつもご視聴とコメントありがとうございます。
仰る通りで、新幹線の開通によって、東京志向が高くなっていきますね。
在来線での旅の楽しさが少しずつ失われていきますね。夜行列車のロビーカーで乗り合わせた人達と、語りながら夜を過ごしたのは今となってはかけがえのない思い出ですね。
ちょっと前まで夜行列車が多数走っていた気がするのですが、あっという間に減ってなくなりましたね。もはや復活はしないと思いますが、また走ってほしいものです。それにしても長距離普通列車は多いですね。(20年位前には米原行とかはあったと思いますが)
いつもご視聴とコメントありがとうございます。
20年前は食パンのニックネームの419系も走っていましたね。
新幹線の開業で、特急はなくなり、北陸本線自体も短くなってしまいます。様子が大きく変わっていきますね。
同じ富山県内ですが高岡駅版をお願い出来ないでしょうか?時期によっては富山駅より列車の行き交いが激しいと思います。
何しろ今の高岡駅が寂し過ぎて、活き活きしてた高岡駅を記録に残したいのです。
他力本願ですがどうかお願いしますm(_ _)m
そういえばこれより古い時刻表で北陸本線に変な普通列車があったな、と思って1958年(昭和33年)のを見てみましたら、7時25分富山発(糸魚川始発)の列車は、米原まで行った後方向を変えて東海道本線の掛川駅まで行ってました。当時は糸魚川5時22分発、富山7時35分発、米原に14時46分に到着すると、岐阜、名古屋、豊橋、浜松を経由して掛川20時24分到着でした。どういう需要を見込んでこういうルートを…と思ってしまいます。
その3ヶ月後、交直流両用の電車特急481系がデビューして、大阪から「雷鳥」名古屋から「しらさぎ」として運行開始する
以後、敦賀~富山迄北陸本線は特急急行が勢力を増し賑やかになっていく
来年北陸新幹線敦賀延伸になり在来線の賑わいが衰えていく
いつもご視聴とコメントありがとうございます。
新幹線開業により、在来線の賑わいが衰えていくのはどの時代もどの地域も同じですね。
新幹線で早く移動できることは間違いありませんが、閑散とした在来線ホームを見ると、鉄道好きの1人としては複雑な思いがありますね。
富山駅ですか。金沢駅は前に紹介してましたから。
来年3月に北陸新幹線敦賀開業で敦賀〜大聖寺間は「ハピラインふくい」に、大聖寺〜金沢間はIRいしかわ鉄道に移管され、北陸本線は敦賀〜米原間に縮小されます。
北陸新幹線にもLED新幹線かなと思いますよ。
特急に格上げされる前の「ひだ」「白山」、別の区間の特急になった「加越」、そして当初は大阪ー新潟間の昼間気動車急行で後に青森行に延伸された夜行客車急行、そして新潟行きに戻った夜行電車急行になった「きたぐに」、そして長距離客車鈍行など、富山駅は賑やで行き先も上野、名古屋、大阪そして新潟以北と行き先のバリエーションも多かったように思われます。今は東京以外は不便になったように感じる富山。来る北陸新幹線の敦賀延伸で一層不便になると思われるのが何かなぁ...
と思う今日この頃です。
いつもご視聴とコメントありがとうございます。
仰る通りですね。特急街道になる前ではありますが、優等列車や普通列車のバリエーションの多さは見ていて飽きないですね。当時の各列車の利用状況もあわせて、写真に収めたかったなと思います。
関西から北陸地方は乗り換えが必須になる区間が増えてしまいますね。過渡期の現在は、かえって遠くなったように感じる人もいるのでしょうね。
お、きたきた!
さぁ、今日は白鳥号に乗ってどこまで行くか。
いつもご視聴とコメントありがとうございます。
お待たせいたしました。楽しんでいただければ幸いです。
北陸本線も新幹線が敦賀まで延長されるとついに敦賀ー米原間という「ほとんど滋賀県」。
これじゃ湖北線になっちゃいますね・・・。
第三セクター鉄道の始まりですよね、花が咲いてきますよね。
長距離列車 特にディーゼル車は
途中で燃料入れたりするんですかね?
超初心的質問でゴメンなさい🙇♀️
(電化区間ならそれは無いですが)
普段は所定の仕業(区間)で必要になる量の倍は積んでいるみたいですね。でも長距離となると積む量も物凄くなりそうですね。
それでも緊急事態としてガス欠になった事があってそれは鉄道運転事故として国に報告義務があるらしいです。
@@daifuku371 さん
ありがとうございます😃
いつもご視聴とコメントありがとうございます。
車両にはかなりの燃料を積むことができると聞いたことはありますが、必要量の倍積んでいたとは知りませんでした。
最近になっても、稀に燃料切れのニュースがありますね。
急行や中長距離鈍行が主役の時代ですねぇ。城端線直通があることが興味深い
特急全盛時代は、「白鳥」「新潟雷鳥」「白山」時代、「サンダーバード」「はくたか」「北越」時代と、どっちでしょうかね?(どちらも「日本海」「北陸」「きたぐに」は外せません!)
1曲目、久しぶりに使いましたね~
北陸新幹線と羽越新幹線の直通新幹線が始まりますよ。
一往復ある米原〜長野の普通列車は、どういう意図で設定されていたのか気になりますね。
いつもご視聴とコメントありがとうございます。
他の長距離普通列車のように、荷物などを運ぶ目的もあったのかもしれません。どのような意図か気になりますね。
当時から高山線の列車は、普通列車でも猪谷を越えて高山方面まで直通しているものが多かった、ということが分かります。
今みたいに、やれ県境だ、やれ会社境だといって、猪谷乗り換えを強制させているダイヤは不自然だ、ということが言えますね。
※中には名古屋まで走ってた、なんてのもあり、びっくりです。
この時代、福井と敦賀で運転系統が切り替わってたんだな。
なってい早起きな駅だったんですかね?
(もっとも金沢には3時代の始発がありましたが)
そして・・・循環準急しろがね見落としちゃだめですよw
ハピライン福井さまかなと思いますよ。
モータリゼーションの発展もそうなんですが、新幹線の整備が進むほど在来線がダメになっていくのを感じざるを得ません。どちらも同じ軌間ならこんなことにはならなかったかもしれません。(フランスのTGVみたいに、専用軌道と在来線を縦横無尽に走ることもできたでしょう。)フリーゲージトレインの開発が断念されたことにより、もはや昭和30年から昭和末期のように、便利でどこにでも行ける鉄道ではなくなってしまいました。
それならば第三セクター鉄道の山が始まりますよ。
いつもご視聴とコメントありがとうございます。
新幹線により速く移動できるようになりましたが、旅をしている感覚は薄れてしまいましたね。北海度で起きているようなローカル線の廃線が日本各地で起きないか心配ですね。
昭和50年代に富山16:23〜金沢〜米原方面 の快速で何度もお世話になった世代です。
帰りの金沢→
富山で快速を逃して、
旧式客車で高岡でえらい待たされたのも覚えとるっちゃ。
富山港線(旧ライトレール)は今回のアップでは外したがかな?
京浜東北線と似た色の電車を踏切待ちしながら小学校に通っとったがで。
富山港線の時刻表(富山〜岩瀬浜)の今昔をリクエストさせて下さい。
横から申し訳ありません。
概要欄にも出てきますが、この時代の首都圏や関西の国電や富山港線のような短距離の都市交通の一翼を担う路線は全国版の時刻表では始発と終電のみが書かれ、その他は間隔だけが記載されていたものと思います。
地元の方なら新聞の折り込み広告に駅の時刻表が載るケースもありましたが、それ以外の場合は電話で問い合わせるか現地で時刻表を見るしかなかったものと考えます。
来るまでしばらく大きな駅で待てばよいと考えていたのでしょうね。
今なら検索システムで瞬時に出てくる時代。乗り継ぎやその後の行程を自ら考えることも少なくなった気がします。
いつもご視聴とコメントありがとうございます。
私も大変興味がありますが、残念ながら知るすべがないところが残念なところです。
過去の富山港線の時刻表はきっと日本のどこかに残っているのではないかと思います。時刻表復刻版が世に出てくる流れにのって、そういった貴重な史料も出てきて欲しいですね。
特別急行列車が白鳥だけって?貴重列車だったんですね。急行日本海も格上げ前、ひだは準急行後の名列車の黎明期この貴重な時期の列車に乗ってみたいと思いました。
第三セクター鉄道の山が始まりますよ。
この年の12月に481系がデビューし、雷鳥、しらさぎが運行開始しました。