社長の的確な判断が要所要所で凄い。初めからファミコンの名前で出てたら今のゲーム機の名称はどうなっていたんだろう
「ゲームがやりたいからハードを買う」という当たり前の事に気付けていたのが一番すごい。
今でもハードはただの箱理論貫き通してますもんね任天堂。
山内元社長の修理の決断とかゲーム&ウォッチの限界の判断とか経営者として有能過ぎるなぁ。
この方がいたからこそ有能な人材が力を発揮できて今の任天堂があるんだなぁ。
現代のハードからすれば単純に見えるファミコンも、当時多くの人が頭を悩ませながら必死に作り出した代物なんだと思い知らされる。でも結果として日本に於ける『テレビゲーム』という文化の定着にもっとも大きく貢献したハードが出来上がって、一時期テレビゲームそのものを差してファミコンて呼ばれることがあったのは誇るべき事象だと思う。
『ゲームが好きだ!』と公言している人達は、夜話さんのチャンネルは絶対に観るべき動画だと勝手に思っています。
起承転結もさることながら、自然と聞き入ってしまい、時折相づちまでしてしまう語り口。
そして、コメント欄の方々!
皆さんのプチ情報等もあいまって、当時を思い出したり、また新たに違う見方を発見でき、本当に楽しいです!
有難う御座います!
私は1980年生まれで、ゲームの進化とともに大人になりました。
それがどれほど幸福なことだったか。
素晴らしいドキュメンタリーをありがとうございました。
上村さんがその発売直前まで知らなかったスーパーマリオ。
この、ファミコンの大成功を確定付ける金字塔的作品が、かつて彼にショックを与え、後にファミコンの設計目標を明確にさせた宮本さんによる作品だったというのが運命的で泣けますねぇ……。
当時ファミコンを買ってもらえず、最近になり当時のファミコン実機を手に入れました。当然そのままでは遊べないので改造のため分解したのですが、開発者の色んな考えが詰め込まれているのが分かり深く感心しました。
コントローラーは子供が乱暴に引っ張っても断線しない様に巻き付けて設置しているし、コストカットと修理のし易さのためか内部のタッピングビスは全て同じ長さのものが使われています。
ジョイスティックを十字キーにした理由を見て納得しました。
素晴らしい動画でした!
「優れたソフトがないとハードは売れない」と言われます。実際いかに優れたハードであっても優れたソフトがなければ評価されません。
晩年の山内社長はハードの進化を眺めながら「ハードが高機能化するとソフトの開発費が上がってゲーム業界がダメになる(新規参入や革新的なゲームができなくなる)」とおっしゃったと聞きます。PS3あたりからその傾向は強くなっているように思います。
ただその中でも心意気を受け継いだ任天堂は奮戦しているよう感じます。まだまだ捨てたものではないでしょう。
ゆっくりの中でもほんと余計なやり取りもなく解説にも没入感を与えてくれるゲーム夜話はほんと素晴らしい。
他のゆっくりは面白くないやり取りが聞くに耐えん。
セガが任天堂に勝てなかった理由がわかった気がする。
結局セガはすごい技術を持ってたけどユーザーである子供の気持ちに向いていなかったんだなぁ。
どうしても技術屋としてのプライドが見え隠れして素直になれなかったと思う。
自分を一回り大きくさせる魔法が入った様な解説で、とても楽しく視聴させていただきました。
サクセスストーリーをまるでプロジェクトXのように苦悩と成功を織り混ぜて、
懐かしくも色褪せない素晴らしい音楽と共に解説が聞けるなんて幸せです。
オリンピックの開会式でもゲーム音楽が使用され、
今回の解説で取り上げられた方々がいなければあの開会式は生まれなかったのかもしれませんね。
話しは変わりますが、以前のエンディングをまた使用して頂けないでしょうか?
シムシティの年次報告のBGMと月明かりに浮かぶゲーム夜話ENDが、余韻を残しながら名作に思いを更けられるのでとても好きでした。御一考していただければ幸いです。
山内社長の先見の明がすごい
僕がの子供の時楽しんでいたファミコンが誕生するのに、こんなに沢山の失敗や挫折、それでも諦めない執念があったなんて…。
大人になった今、最後の“忘れられない夜”のエピソードに心から感動して涙が出ました。素敵な作品をありがとうございました。
そして素晴らしい解説動画を作り上げてくださった夜話さん、本当にありがとうございました😊
まさにゲームが文化となる歴史的瞬間。簡潔かつ魅力に溢れた解説を楽しませていただきました。
ファミコン生誕40周年。ゲームの始まりと進化の時代をともに歩む楽しみと喜びを、今後も味わっていきたいものです。
今の時点から見たら必然のように感じるけど、リアルタイムでは試行錯誤と綱渡りの決断の連続なんですよね。
コントローラーの形が今でも基本的には変わってないことなど、ファミコンという存在は個人的にはノーベル賞ものかそれ以上の発明だと思ってます。
うボツです。
ドラクエと同様に運命的出会いがあって、開発される共通点は、面白いですね。
ゲーム機本体価格が1万円超えても良いという風潮を作ったことが、後世への影響力が大きかったと思います。
本体の色についてはすげー驚いた そうだったのか、、、、
発売当時、兄はファミコン、私はセガが欲しかった(オ―ガスが好きだったから)だがポパイも出るからとファミコンにした。購入事態は、マリオブラザースの発売日まで待つ事となった。やはりハードの売行きはソフトしだいだと思う。
私もコントローラー壊れた時は町場のゲームショップに持ち込んだなあ。
プレイしてるとAボタンが勝手に反応するという変な壊れ方だった。
映画が出来そうな内容、久々にファミコンやりたくなった
毎度、面白い解説お疲れ様です
ファミコンは全然世代では無いですが、洗練されたデザインとシンプルな配色で本体の画像を見てるだけでワクワクします!!
子供が踏むことまで想定するとは、、、
『神は細部に宿る』を地で行っておりますな!!
よく考えたらTVを独占するゲーム機をファミリーコンピュータの名前にしたのが凄い。子供が帰ってくるのが夕方で父親が夜なのはあるけど
ビデオチップ不具合は買った当時から画面に出てたなあ、画面の中央付近にゴミが表示されててプレイに悪影響及ぼしてた
ゼビウスにいたってはソルバルウが真っ白になって最後はフリーズした
リコールで■が●になって戻ってきた時は角が引っかかる問題が解消されて感動したなあ。
お話のまとめ方いつもわかりやすく
ワクワクする形に仕上がっていて本当に楽しく見させてもらっています。
横井さんの動画復活も楽しみです。
これからも素敵な動画期待しています。頑張ってください。
6:59 コントローラーを従来(ジョイスティック)のものから新しい形(十字キー)に設計を変更
8:24 家族が集まる居間で遊ばれる
なんか変に既視感を感じたんだけど、Wiiのコンセプトである
・コントローラーを従来のものから新しいものへと路線変更
・居間に置いても邪魔にならず、家族全員で触るもの
とかぶった部分があるように感じたからなんだろうな。
歴史は繰り返すと言うけど、ゲームハードの歴史もファミコンから一周してWiiでまた戻ったんでしょうね。
軍平さんの回、久々に見ようと思ったら見当たらなくて残念に思ってたので嬉しいです!
ゲームの黎明期を築いた人たちは既に他界しているけど
その志は今も任天堂にあって、いろいろなことを模索しながら引き継がれているんだろうね
ファミコン秘話 面白かったです!
そろそろテイルズオブファンタジアが知りたいですね!
お年寄りもゲームのことをファミコンと呼ぶものなぁ
それだけ影響力が凄い商品だったのだろうなぁ
ファミコンが無ければ、今の自分は存在していないと言っても過言ではない。
当時の自分がアホ過ぎたためか、4代買い替える羽目になってしまったけど
さすがにメーカーも10時間連続で遊び倒されると考えていなかったのだろうなぁ。
もう一つの壊れる要素は、旅行先や家の中でも時間によって設置を変えていたから
その時に雑に扱っていたことも原因だったと思う。
ついでに旅行先に持って行っていた場所が海の近くだったりしたから
毎年海風の浸食を受けていたのかもしれない…
ファミコンがあったおかげで子供時代の思い出がとても鮮やかなイメージで残っています。
開発に携わられた方々ありがとうございました!
83年の年末に私の父が「アメ横でコンピュータゲーム買ってきたぞ」といって、プレイした、
初代マリオブラザーズは未だに記憶に残ってる。
ファミコン以前のゲーム機のコントローラーは酷いのもありましたからねぇ… 横に四つ並んだボタンで上下左右を移動させるとか、まともにゲームできねぇよと。ファミコンは普及し過ぎてスタンダードになってしまったので、発売当時の凄さを伝えるのに苦労しますね。
テレビ番組『キングコングのあることないこと』のファミコン特集回で麒麟川島さんが、限界までコストを下げるために本体の色はあずき色とクリーム色になったと言っていたけど違ったのか。あるコト認定されてたのに
もうこの一連の動画は作品と言ってもいいのではないでしょうか!
動画を楽しく拝見しました。
今でもニンテンドーからはハードの作りやソフトのラインナップ、それから今ではオンライン機能など端々にユーザー目線を感じます。
つい先日ようやくSwitchを買ったら発送元が京都だったのも、なんかさすがニンテンドーだなあと思いました(関係あるかわかりませんが)
4:50 現在も故障の多いSwitchコントローラー修理してる修理屋さんがいらっしゃいますね。
(TH-cam上にも動画があります。)
メーカー保証が無くなるので最終手段ですが。
本体の色と素材の件は長年間違って伝えられてきました。やはり山内社長はカリスマ社長ですね。ゲーム文化がない頃の企業間の連結もすばらしい。
ファミコンのcpuの性能、音源の性能、表現できる色の数などなど、その当時のパソコンと比べてどうだったのか的な言及があればなあ。NASAのアポロ計画の頃のパソコンがファミコン程度だったなんて話も聞くし。
スーパーマリオ出るまではファミコン本体がそこまで売れてなかったてのは驚いた。
上村さんのご冥福を心よりお祈り致します
ファミコン、パソコンとアーケードゲームは意識しつつも、違う路線を選んだ事が成功した理由なんでしょうね
確か、83年のクリスマスに買ってもらった記憶がします。クラスのみんなは、コンピューターを買ったと思ってました笑
ファミコン全盛期にファミコンを買ってもらえなかった数少ない人間です…
俺84年の正月明けに買ってるわ。当時コントローラーのボタンが四角のゴム製で引っ込んで戻らねぇ時が
あったんだわ。故障で修理出したらコントローラー付け替えてあったのにはビックリだったねぇ。
「ファミコン誕生物語」素晴らしかったです!
本当にタダで見て良いの?
と思うほど意義深い回だったと思います。
大変だと思いますが、
定期的にハードの誕生物語をぜひお聞きしたいです。
特にメガドライブやサターン、ドリームキャストなどのセガの哀しきw愛機たちの物語をいつかゲーム夜話さんの語り口で拝聴したいです。