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「望月の歌」は、出家を目前にした道長の家族や同僚、女房らへの感謝の歌だと個人的には思う。だが本人も言うように「誇りたる歌」になっているし「思ふ」が二度出てきており、おそらく上手な歌ではないが。前提として、道長は家族や側近らが早逝しないという奇跡的な強運の持ち主であり、そのことは本人も自覚していた。彼の権勢は、不満を言いながらも彼を支えてくれた人々のおかげ。「盃」を「望月」と見立て、盃を持つ人々がこれまで欠けることはなかったことを思うと、この世はあたかも自分のための世のようであった、尽くしてくれた皆に感謝したい、という気持ちではないだろうか。「今夜、望月になった」のではなく「これまでずっと望月だった」と詠んでいるのだから素直に読むべきだし、人生を振り返って皆の前で詠むのだから、皆に感謝する歌と考えるのが自然。頼通、妍子だけでなく誰しも不満はあるだろう、だからこそ心の中では感謝しているのである。
皆の唱和はその場の皆が、皆への感謝と受け取ったからだと思いました。
私望月の解釈は「嬉しいけど哀しい」。10話のまひろの言葉通りです。理由のひとつは、柄本さんが「なし」と一瞬止めて詠んだからで、自分の権勢、娘達の幸せが満月のようであって欲しい、と切なる願いを込めたと感じました。これはまひろとの長年の愛とは別(これもまひろから見た望月の視点で同時に描かれている二重構造)な描き方でしょうか。ご指摘の通り嫌でございますは、望月とともに若き道長との対比としても重要なセリフだと感じました。深すぎる望月のうたでした。
>娘達の幸せなるほど、その願いは込められているでしょうね。
「望月の歌」は、出家を目前にした道長の家族や同僚、女房らへの感謝の歌だと個人的には思う。だが本人も言うように「誇りたる歌」になっているし「思ふ」が二度出てきており、おそらく上手な歌ではないが。
前提として、道長は家族や側近らが早逝しないという奇跡的な強運の持ち主であり、そのことは本人も自覚していた。彼の権勢は、不満を言いながらも彼を支えてくれた人々のおかげ。「盃」を「望月」と見立て、盃を持つ人々がこれまで欠けることはなかったことを思うと、この世はあたかも自分のための世のようであった、尽くしてくれた皆に感謝したい、という気持ちではないだろうか。「今夜、望月になった」のではなく「これまでずっと望月だった」と詠んでいるのだから素直に読むべきだし、人生を振り返って皆の前で詠むのだから、皆に感謝する歌と考えるのが自然。頼通、妍子だけでなく誰しも不満はあるだろう、だからこそ心の中では感謝しているのである。
皆の唱和はその場の皆が、皆への感謝と受け取ったからだと思いました。
私望月の解釈は「嬉しいけど哀しい」。10話のまひろの言葉通りです。理由のひとつは、柄本さんが「なし」と一瞬止めて詠んだからで、自分の権勢、娘達の幸せが満月のようであって欲しい、と切なる願いを込めたと感じました。これはまひろとの長年の愛とは別(これもまひろから見た望月の視点で同時に描かれている二重構造)な描き方でしょうか。ご指摘の通り嫌でございますは、望月とともに若き道長との対比としても重要なセリフだと感じました。深すぎる望月のうたでした。
>娘達の幸せ
なるほど、その願いは込められているでしょうね。