ขนาดวิดีโอ: 1280 X 720853 X 480640 X 360
แสดงแผงควบคุมโปรแกรมเล่น
เล่นอัตโนมัติ
เล่นใหม่
待ってました!先生😀👍わかりやすい解説ありがとございます⛩️
早速のコメントを頂戴し、誠に有難うございます!今後ともご理解していただきやすい解説に努めますので変わらぬご支援のほど宜しくお願い致しますm(_ _)m
コメントをいただき有難うございました。ハッキリしていることは、天石門別八倉比売神社は、江戸期に蜂須賀藩が古墳(八倉比売神社古墳群の1号墳)の一角を削って建立されているということですね。
いつもわかりやすい動画配信、ありがとうございます。阿波は不思議な所ですね。これからも御身体気をつけて、勉強させて下さい。
早速にコメントを頂戴し感謝申し上げます!そうなんですよね、阿波は本当に不思議な所なんです。お気遣い有難うございますm(_ _)m 励みになります。今後ともご支援のほど宜しくお願い致します。
いつも貴重な配信ありがとうございます。大変勉強になります😊ところで、私的なことなのですが、父によると藤井さんのお父様と私の父はいとこ同士らしいです。なので藤井さんの動画は別の意味でも関心を持って見させていただいています🌸
コメントを拝見して驚いております?!そうなんですか?父の兄弟は7人(男6人、女1人、うち1人は幼くして死去)で父は末っ子なんですが‥‥差し支えなければ、私の「古代史塾」のメルアド(fujii@kodaishi.org)へお父様のお名前を教えていただけませんでしょうか。それがダメでしたら今何県にお住まいかだけでも教えていただければどなたかが分かると思いますので宜しくお願い致します。
数年前に行きました!苔むした青石段がとても素敵です 先生のお話を聞いてから行けば良かった 二カ所とも塚を見ていないのです😢 いつもありがとうございます。
早速コメントを頂戴し感謝申し上げます❗️それは残念でしたですね。是非とももう一度探訪してみて下さい🎵他県では決っして見ることの出来ない古事記太古の真実の舞台です✨ 今後ともご支援のほどどうか宜しくお願い致しますm(_ _)m
動画楽しみにしておりました。古代史入門は興味深く拝読いたしました。検証や資料がとても丁寧で分かりやすかったです。これから甦る皇都阿波への旅、購入したいと思います。日本の始まりは、エビデンスのある阿波としか思えません。
早速のコメント、誠に有難うございます!仰るとおり日本の元つ国は阿波であるとの確信の下に活動をさせていただいております。また小著お買い上げ感謝申し上げます。新刊本もご一読のほど宜しくお願い致します。「古代史入門」は邪馬台国時代から平城遷都までのいわば通史、新刊本「甦る皇都阿波への旅」は古事記の物語・神々の鎮座地の舞台が阿波であることを50のテーマを設けて徳島県内を巡る形で案内紹介させていただいている岩利大閑氏の「道は阿波より始まる」3冊本の紹介本で同著の入門書にもなっているものです。今後ともご支援のほどどうか宜しくお願い致しますm(_ _)m
「古代史入門」をやっと読み終わって、10日前から「甦る皇都阿波への旅」を読み始めました。私は行政書士を生業としてるので、法学の背景のある先生の議論の展開・論証がすごくしっくり来ます。天石門別神社へもぜひ行ってみたいです。実は2月に帰省したときにレンタカーを借りて行ってみたのですが、登り口まで行って道が舗装されていないので躊躇し断念しました。今回の動画も大変興味深かったです。
いつもにコメントを頂戴し誠に有難うございます。そうでしたか!?是非お天気の良いときに再チャレンジをしてみて下さいませ。登り口まで行かれたのなら道に迷うことはないですね。ナビがあればなお心強いですね。案内標識もあります。私の車はフォレスターですが、少々道幅の狭い対向出来ない箇所もございますが大丈夫です。めったに車には出くわしません。出逢っても地元の方なら相手が退避箇所で待ってくれたり対応してくれますので。どうしても案内が欲しいと思われましたら、日程さえ合えばご案内させていただきます。(古代史塾のメルアドfujii@kodaishi.orgまで連絡先を教えていただければやり取りをさせていただきます。)私は国家試験勉強をしておりましたがゴール出来ず県に奉職した次第です(苦笑)今後ともご支援のほどどうか宜しくお願い致します。
@@藤井栄-t6s 藤井先生、ありがたいお申し出、感謝に堪えません。その際にはぜひご連絡させていただきます。
ご自愛下さい 応援してます!
早速にコメントを頂戴し、有難うございました!お気遣い感謝申し上げますm(_ _)m
動画配信ありがとうございます。当方も、古事記に興味を持ち、阿波(徳島)が発祥地だと信じています。参考になるかもしれませんが、板野町に高尾山があるんですね。山頂から吉野川河口、眉山、気延山、高越山、徳島平野がいかに低いかが、見ることができるんですよ。当方にとって高尾山は、古事記に思いをはせられることができる、不思議な山なんですね。
早速にコメントを頂戴し有難うございます!仰るとおり、板野町も山間部・平野部ともに古い古い土地柄で古墳もあり、色んな史跡・伝承もある阿波でも古代の重要な地の一つですね。今後ともご関心を寄せていただき、変わらぬご支援のほど宜しくお願い致します。
手力さんは、私の田舎の伊賀で「てぢからさん」という名前で幼少の頃から信仰してきました。戸隠から来られた神様だと思い込んでました。伊賀の佐那具のサナは、製鉄に関係した地名だと聞いたことがありました。私は奈良女子大学で日本史を専攻していましたが、地元伊賀には古い遺跡や史跡もなく、伊賀には歴史が無い 伊賀の歴史は浅いな~と思ってましたが、恥ずかしながら、阿波に興味を持ったこともなかったです。阿波といえば、私は伊賀の大山田の阿波という地名のほうが馴染みがありましたが、伊賀の阿波も特に古い歴史は何もありません。伊賀はつまらないところだなと帰省する度 ガッカリしてます。壬申の乱も阿波が舞台だとは。私の実家の前の道が大和魂街道で、壬申の乱の舞台だと思ってました。徳島 阿波國、行ってみたいです。動画もまた楽しみにしています。
コメントをいただき感謝申し上げます。いやいやご謙遜を!私は伊賀市にある合併前の旧阿波村(上阿波・下阿波)に大きな関心を抱いております。ご当地「下阿波字宮谷」には延喜式内社「阿波神社」が鎮座しサルタヒコやワカヒルメなど阿波の神様が祀られておりますから。山中ながら訪れたときの感慨は忘れません。私は毎年車で全国へ「阿波古代史探訪の旅」に出かけておりますが、三重県とは縁が深いのです。他にも、阿波ゆかりの神社(しかも延喜式内社)が、伊勢市二見町の「粟王子神社」、鳥羽市の「伊射波神社」として鎮座しています。 ご興味がおありでしたら、小著『古代史入門』、『甦る皇都阿波(ヤマト)への旅』をご一読いただき、携えてご来徳島いただければ、太古の風情を感じることが出来るかと存じます。ご不明の点等ございましたらいつでもご遠慮なく私のホームページのメルアド(fujii@kodaishi.org)までご連絡いただければと思います。有難うございました。
@@藤井栄-t6s ご丁寧な返信ありがとうございます。神社に興味を持ったのが数年前で、今住んでる千葉県の安房神社にもまだお参りしたことがなく(^^;上阿波は高校の友人の実家があるところです。↑情報も知らなかったです。藤井先生の著書、2冊とも興味深いです。最近は次々と発売されてるコロナワクチンの本の収集とmRNAワクチン レプリコンワクチン反対運動のことで頭がいっぱいで、衆議院議員原口一博先生らが阻止しようと尽力されてる来年秋以降の人為的パンデミックが起こされる前に淡路島や阿波に行ってみたくて。著書、読んでみたいと思ってます。笹田孝至氏の『皇都ヤマトは阿波だった』を読み始めたところです。実家の屋号がヤマトで。返信ありがとうございました。原口一博代議士の『ブランデミック戦争 作られたパンデミック』というタイトルの本を予約してます。10月から自己増殖レプリコンワクチンが始まったら、日本人どうなるの?と不安な毎日ですが、藤井先生の動画に癒されました。ありがとうございます。
信州の真田家も諏訪と同様に阿波が発祥かな?
真田家のルーツはよく分かりませんが、諏訪大社の元社は阿波、徳島県石井町諏訪の「タケミナトミ神社」が元社です。今後とも阿波にご関心をお持ちいただけると嬉しいです✨感謝❗️
佐那河内という人が一時期話題になりましたね。佐村河内守です
それは存じませんでした。そんな名字の方がいらっしゃるんですね。ビックリです。また何か情報がございましたらコメントいただけると有り難いです。有難うございました。
@@藤井栄-t6s この人ですth-cam.com/video/1-qfvv32GVM/w-d-xo.htmlsi=fdE6QMpQS-Jo6sl-
私の仮説なら「佐那県=徳島」を阿波高天原説を否定した上で説明可能です。父・天背男=天石門別命=天手力男神、母・八倉比賣、子・阿波忌部の祖天日鷲命であれば天手力男神が阿波に鎮座しているのは当然です。
答えになっていませんね。
アウト❗️です。
そんな全く的外れな解釈をするから阿波が分からないのです。もっともっとお勉強をなさって出直して下さいませ。
【仮に】天手力男神が佐那河内に鎮座していたのだとしてもなぜそこが「高天原」だとなるのですか?大陸まで使者が行く時代ですよ?「斎部宿禰本系帳」を丸呑みする訳にはいかないのですが天日鷲命の父として天背男命、一云天石門別命。后神・八倉比賣命とあるのです。即ち父・天石門別命=天手力男神、母・八倉比賣、子・阿波忌部の祖天日鷲命であれば天手力男神が阿波に鎮座していても何も不思議はないのです。
ちなみに【手力男神者、坐佐那那縣也】について【地名なのに神社を出すなと嘲笑されておられました】ので記載しておきます。『三重県多気郡佐奈村』1889年(明治22年)仁田村・西山村・五佐奈村・四神田村・油夫村・五桂村・平谷村・神坂村・前村・長谷村の区域をもって佐奈村が成立。1955年(昭和30年)多気郡相可町・津田村と新設合併して多気町が発足。同日佐奈村廃止。三重県多気郡多気町五佐奈は現存。地名ではありませんが記紀と佐那について◆古事記「此曙立王者、伊勢之品遲部君、伊勢之佐那造之祖」開花天皇-彦坐王-大俣王-曙立王◆日本書紀「吾則應到伊勢之狹長田五十鈴川上」
高天原は東関東地域にありました。 天照大御神の時代には静岡県富士宮市の富士浅間神社の辺りに都が置かれていました。 天手力男命の古墳は熊本県の弁慶ヶ穴古墳です。 このことは、池田任三著の画像解析によって判明した古墳墓碑に記述されています。
残念ながら支離滅裂で何をおっしゃりたいのか分かりません。もう一度古事記を読んでお考え下さい。古来関東は「東夷」の地で古事記神代の世界とは無縁の地ですから。
地名は変えない方が良いですね、「牛」と「大人」では違いますね。今の人たちが「大人」を「うし」と読む事を知るのは大事だと思います。いつも有難うございます。
コメント有難うございました。そうですよね。でき得るならば変えないで欲しいですよね。全国を探訪していると話し言葉のやり取りで時代と共に音感によって違う漢字が当てられている例が多いようです。
確かに「手力男神者、坐佐那那縣也」に関しては『本物の研究者』による再考証が必要かも知れませんね。しかし、当の徳島で「御間都比古が考昭天皇だ」とか「皇都ヤマトは阿波だった」などと言っているようでは相手にされるはずもありません。私が危惧し警鐘を鳴らすのはそういう事なんです。阿波の素晴らしい本当の歴史が失われていく事なんです。
藤井さんは阿波ヤマト財団とは距離をおいているようなのですが同じような主張をしているかの団体がユダヤだのイスラエルだの言っている事についてはどう考えられますか?あのような状態だから「阿波説」が学会から相手にされないのは当然だと思いませんか?
藤井さんは「敵」を見誤っている。私は【阿波説を学問として扱っている】からアレコレ言うのです。私の言っている事がおかしければ軽ぅ~く論破して下されば結構。(信念の強さではなく理論と証拠で。)それに比べ阿波ヤマト財団・徳島商工会議所に所属するヤマモト氏などはどうであろうか?「阿波説」をオカルト研究で著名な『山口敏太郎氏のチャンネル』にまで売り込みしています。「阿波説をUFOや未確認生物と同列に扱っている」のですよ。こんなものが真面な研究者に相手にされるでしょうか?どちらが阿波説を蔑んでいるのかよくお考え下さい。
元々は推古天皇以前までは四国・徳島県を中心とした歴史と思いますが、大挙して奈良・明日香地方へと都を遷宮したのは人口の増大もあり、また大和政権が全国にその覇権を及ぼすには四国では交通の便が悪かったのではないかと思います。それと、当時の政権中枢が四国の歴史を隠したのはやはり剣山?に鎮座する聖櫃(アーク)の存在を知られたくなかったからではないかと勘繰っています。
コメント興味深く拝読致しました。有難うございますm(_ _) m710年の阿波から奈良平城京への遷都の最大の理由は地震であったと考えております。と申しますのは、天武13年(685)冬10月伊豆海底火山の大噴火によって古今未曾有の大地震と大津波に襲われ倭王城府は大被害に見舞われたことが日本書紀に書かれているからです。(小学館日本古典文学全集4「日本書紀」3439頁、『道は阿波より始まる』(その三112頁))土佐・伊予が大被害に遭っているのに阿波が無傷であったわけがありませんね。これがきっかけとなって我が国古代史上初めての上級官僚を集めた “ 遷都会議 ” が開かれているのです。如何でしょうか。NPO法人阿波国古代研究所理事長笹田孝至氏は、藤原不比等の謀略によって藤原氏祖先の不都合な出来事を隠し、阿波を隠国(こもりく)にするために遷都したと主張しておられますが、一時は賛同していたものの今は違うと私は考えています。歴史上の出来事の起こる要因は複数あるとはよく言われることですが、いくら権力を掌握していたとしても他豪族をみな敵に回して民を押さえつけて一族のまがまがしい出来事を隠すためだけに遷都をするなど出来るわけがありません。どんな独裁国家でも民の目を意識せざるを得ないのは古今東西同じですよね。上述の大地震で上から下まで恐怖に恐れおののいた、これが最大の遷都理由であると考えております。以上の事は、より詳しく小著『甦る皇都阿波への旅』テーマ22「阿波から奈良へなぜ遷都したのか ~ 震天動地の恐怖 ~」:88頁に書かせていただいておりますので宜しかったらご一読下さいませ。
補足:上記日本書紀のくだりは、日本書紀3 の 439頁です。失礼しました。
@@藤井栄-t6s 藤井さん>藤原氏祖先の不都合な出来事を隠し編纂時の藤原氏にそこまでの権力はない。天武10年に日本書紀の編纂を命じられた人たちを確認してください。>一族のまがまがしい出来事どこから出た何の話ですか?>大地震でが最大の遷都理由その推測は良しとして日本書紀は何でそれを隠さなくてはならないのですか?笹田氏よりは少しマシですが日本書記が壬申の乱に奈良県の神社を記載したりして「阿波からの遷都を隠した理由」の説明がないです。
磐座の跡を石組みして神社に再利用したのでは無いかなそれとも古墳の石室が露出したのを石組み直して再利用した徳島に在る神社の卑弥呼の墓と称すモノが正にそれ神社の境内に有り神社も古墳の上に建っている小さい石の祠は蛇神の為でないかな蛇の住処を表している?
コメントをいただき感謝申し上げます。そうですねえ、ともかく古い古い時代ですからねえ。なかなか特定は困難かと存じます。今後とも阿波にご関心をお寄せいただければ有り難いです。
さすがに式内社でも式外社でもない神社で神代を語るのはどうかと思います。式内社・御間都比古神社ですら消失し【付近住民は御間都比古が何者であるかも知らない状態】だった事をお忘れなきように。さて、動画の内容からすると藤井さんは「天手力男神=天石門別神」説だと思うのですが「古事記」はこの二柱を明確に別神として記しています。もちろん『古屋家家譜』などに天石門別安国玉命の別名に大刀辛雄命があるのは存じています。私も「天手力男神=天石門別神」は無きにしも非ずとは思っているのです。しかしながら「先代旧事本紀」ですら後世のものとして切って捨ててしまうような藤井さんが【古事記には別神と記されるこの二柱】を何故にイコールだとしたのか根拠をお聞かせ願えますかね?手力男神は岩戸隠れの際はアマテラスを引きずり出して(『日本書紀』の一書や『古語拾遺』では「引き開けて」)とあるので岩屋戸を開けた神として天石門別神と習合してしまったという可能性も考えられないでしょうか?「古事記」と「天神本紀」の記述に従い「天手力男神 ≠ 天石門別神」であればこの動画は全く意味がわからない物です。
あれまッ、性懲りもなく今度はこっちへチャチを入れに来たんですか❗️だから言ってるじゃありませんか。揚げ足を撮りたいが為に摘み食いして自分に都合の良いように問題整理をするからこんな初歩的ミスの質問をするのです。動画の初めから終わりまでよ~く注意して見てみて下さい。既に答えは示してますよ。全く貴方という方は基本が出来ていません。ジックリジックリ見直して下さい。逆に念のため、こちらの問題提起には答えられないのですか。佐那那縣は何処にあるのですか?
@@藤井栄-t6s藤井さんやっぱり答えられませんね😅
@@anti2awa796 先ほどキチンと返信したはずのコメントが消えているので、記憶に従って再度返信致します。あちらがダメならまたこちらですか。あいも変わらぬ不誠実なコメントですね。何にも分かっていないですねアンチアワさん、この動画もまた別の動画ですのでサービスで1回だけお答えを差し上げますからよ~く聞いて下さいよ。そうやって何が何でも反対して1本取ってやろうとあがくからこんな初歩的なミス、ドジを踏むのです。答えは動画の中にあるではありませんか。最初から最後までつまみ食いなどせずにジックリジックリ動画を繰り返し見ることです。貴方は何にも分かってないし、理解も出来ていない。しっかりお勉強をなさることです。逆に質問しますが、「佐那那縣」は阿波以外のどこにあるのですか?学者も説明出来ないことですのでご自分のその頭で考えてお答え下さい。そこまでです。
@@anti2awa796 お答えは1時間前にキチンとしていますよ。嫌がらせいっぱいの貴方のコメントにもね。貴方は何にも理解できていないし、分かっていないですね。答えは動画の中にあるじゃあありませんか。人を貶めてやろう、やっつけてやろうなどと良からぬことを考えて見るから大事なことをすっぽかしてこんな初歩的なミスを犯すのです。よ~く反省して下さい。そしてもっと誠実な人となるよう精進して下さい。答えは画面の中ですよ。
時間の無駄なので貴方のお相手はここまでです。もっともっとお勉強をなさって下さいませ。そしてもっともっと人格を磨いて下さい。
藤井さん、大サービスでもう一回見ましたが藤井さんが古事記の記述を無視して「天手力男神=天石門別神」とした理由なんて何一つ述べてないですね。全く30分をムダにしましたよ。私は天手力男神=天石門別神が間違いだと言っているわけではないですよ。私もまだ自分なりの答えを出しかねているのです。揚げ足取りだなどとお下品な考えはおやめ下さい。先代旧事本紀すら後世のものだと切って捨てる藤井さんがどういう理由で「古事記」が明白に別神とするこれら二柱を同神と思うにいたったか教えて欲しかっただけですから。まさか『古屋家家譜』を採用したとは言いますまい?藤井さんも神社を研究しているなら祭神など簡単にすり替えされる事は御存知でしょう?阿波市阿波町の賀茂神社の祭神・意富加牟積命ほか二柱は江戸から明治にかけての捏造である事は私が証明しました。あ、でも神社の研究をしているのに地名「天皇」の由来も知らなかったのでしたね。こりゃ参りました。もちろん推定ですが当該の天石門別神社の祭神三柱は福知山市大江町の「元伊勢三社」を江戸時代あたりに模倣したものでしょう。下手すりゃこの祀り方になったのは明治~昭和じゃないですか?室町時代以前の記録はおそらくないと思います。
藤井さんは「道は阿波より始まる」のような阿波説本しか読んでこられなかったので「天石門別神が何者か?」など考えた事もなかったのでしょうか?それとも=天手力男神だと思う何かがあったのでしょうか?どうしてそう思ったのか教えて下さってもよくありませんか?さて、天石門別安国玉主命=大刀辛雄命だとする甲斐国一之宮浅間神社の「古屋家家譜」では天石門別安国玉主命の注記に妻神八倉比売命と書かれています。天石門別安国玉主命が=天石門別神であるかは慎重な検討が必要とは思うのですが安房国の洲宮神社の「斎部宿禰本系帳」においても天石門別命の后神は八倉比賣命だとしているのです。(しかも二柱の子が天日鷲命)重要なので繰り返しますがどちらの史料も『天石門別の后神は八倉比賣』であるとしています。先代旧事本紀すらバッサリ切り捨てる藤井さんが『天石門別八倉比賣大神御本記』などという【偽書】を真に受けて八倉比賣=大日靈女命なる与太話をまさか信じているとは思わないのですが、藤井さんは「天石門別神」についていったいどう解釈しておられるのかご教示願えないだろうか?
藤井さんの質問には順番に答えていきますが私の質問には全く回答がありませんね。中身のない中傷ばかりされても困ります。藤井さんは書籍を販売されたり講演されたりするプロで私は完全にアマチュアです。私から逃げ回るなんて恥ずかしい話ですよ。さて、藤井さん。はっきり言います。天石門別神を御存知なかったですね?后神が八倉比売と伝承されるこの神について調べていたら阿波説なんて妄想は出来ないはずです。あなたは記紀ですらまともに読んでないでしょう?そうでなければ皇国日本と徳島県に捏造という呪詛を撒き散らしたバケモノ岩利の著した「道は阿波より始まる」などに騙されるはずがないのです。あなたが読み込んだのは「道は阿波より始まる」だけです。岩利がまともな人間だと言うなら道は阿波より始まるに掲載された「太龍寺縁起」をここに書いてごらんなさい。出来ないでしょう?藤井さんは、より知らない人を騙す片棒を担いでいることを忘れないで欲しい。邪馬台国ジャワ島・スマトラ島説を専門家が積極的に否定しない理由はわかりますか?それはヤマト国阿波説(皇都阿波説)が専門家に否定されない理由と同じです。完全に論外ってやつです。藤井さんがもう戻れない所まで来ているのはわからなくもないが私の話が聞ける藤井さんは本当は幸運なのですよ。
「天石門別神について考証していない」なんて阿波の歴史を語る上で考えられない事ですよ!釈日本紀で天津羽羽神の父であると明記されているのですから。天津羽羽神は一説に阿波波神、阿波咩命と同神とされます。藤井さんご自慢の社号に「阿波」を持つ神の神社の祭神ですね。「続日本後紀」阿波神は三嶋大社の本后ともあります。三嶋神は江戸末期に事代主とする説が出ましたがこれは完全に間違いである事が証明されています。古い伝承では大山祇神ですが謎が多いですね。大山祇とは単に「山の神様」の意味ですから神吾田津姫の父神とは限らないです。大山祇と言えば伊予国風土記の「和多志大神」も気になる存在ですね。藤井さんは「道は阿波より始まる」以外の書物も読まないといけませんよ。
待ってました!先生😀👍
わかりやすい解説ありがとございます⛩️
早速のコメントを頂戴し、誠に有難うございます!
今後ともご理解していただきやすい解説に努めますので変わらぬご支援のほど宜しくお願い致しますm(_ _)m
コメントをいただき有難うございました。
ハッキリしていることは、天石門別八倉比売神社は、江戸期に蜂須賀藩が古墳(八倉比売神社古墳群の1号墳)の一角を削って建立されているということですね。
いつもわかりやすい動画配信、ありがとうございます。阿波は不思議な所ですね。これからも御身体気をつけて、勉強させて下さい。
早速にコメントを頂戴し感謝申し上げます!
そうなんですよね、阿波は本当に不思議な所なんです。お気遣い有難うございますm(_ _)m
励みになります。今後ともご支援のほど宜しくお願い致します。
いつも貴重な配信ありがとうございます。
大変勉強になります😊
ところで、私的なことなのですが、父によると藤井さんのお父様と私の父はいとこ同士らしいです。
なので藤井さんの動画は別の意味でも関心を持って見させていただいています🌸
コメントを拝見して驚いております?!
そうなんですか?父の兄弟は7人(男6人、女1人、うち1人は幼くして死去)で父は末っ子なんですが‥‥
差し支えなければ、私の「古代史塾」のメルアド(fujii@kodaishi.org)へお父様のお名前を教えていただけませんでしょうか。それがダメでしたら今何県にお住まいかだけでも教えていただければどなたかが分かると思いますので宜しくお願い致します。
数年前に行きました!苔むした青石段がとても素敵です 先生のお話を聞いてから行けば良かった 二カ所とも塚を見ていないのです😢 いつもありがとうございます。
早速コメントを頂戴し感謝申し上げます❗️
それは残念でしたですね。是非とももう一度探訪してみて下さい🎵
他県では決っして見ることの出来ない古事記太古の真実の舞台です✨
今後ともご支援のほどどうか宜しくお願い致しますm(_ _)m
動画楽しみにしておりました。古代史入門は興味深く拝読いたしました。検証や資料がとても丁寧で分かりやすかったです。これから甦る皇都阿波への旅、購入したいと思います。日本の始まりは、エビデンスのある阿波としか思えません。
早速のコメント、誠に有難うございます!仰るとおり日本の元つ国は阿波であるとの確信の下に活動をさせていただいております。
また小著お買い上げ感謝申し上げます。新刊本もご一読のほど宜しくお願い致します。「古代史入門」は邪馬台国時代から平城遷都までのいわば通史、新刊本「甦る皇都阿波への旅」は古事記の物語・神々の鎮座地の舞台が阿波であることを50のテーマを設けて徳島県内を巡る形で案内紹介させていただいている岩利大閑氏の「道は阿波より始まる」3冊本の紹介本で同著の入門書にもなっているものです。今後ともご支援のほどどうか宜しくお願い致しますm(_ _)m
「古代史入門」をやっと読み終わって、10日前から「甦る皇都阿波への旅」を読み始めました。私は行政書士を生業としてるので、法学の背景のある先生の議論の展開・論証がすごくしっくり来ます。天石門別神社へもぜひ行ってみたいです。実は2月に帰省したときにレンタカーを借りて行ってみたのですが、登り口まで行って道が舗装されていないので躊躇し断念しました。今回の動画も大変興味深かったです。
いつもにコメントを頂戴し誠に有難うございます。
そうでしたか!?是非お天気の良いときに再チャレンジをしてみて下さいませ。登り口まで行かれたのなら道に迷うことはないですね。ナビがあればなお心強いですね。案内標識もあります。私の車はフォレスターですが、少々道幅の狭い対向出来ない箇所もございますが大丈夫です。めったに車には出くわしません。出逢っても地元の方なら相手が退避箇所で待ってくれたり対応してくれますので。
どうしても案内が欲しいと思われましたら、日程さえ合えばご案内させていただきます。(古代史塾のメルアドfujii@kodaishi.orgまで連絡先を教えていただければやり取りをさせていただきます。)
私は国家試験勉強をしておりましたがゴール出来ず県に奉職した次第です(苦笑)今後ともご支援のほどどうか宜しくお願い致します。
@@藤井栄-t6s 藤井先生、ありがたいお申し出、感謝に堪えません。その際にはぜひご連絡させていただきます。
ご自愛下さい 応援してます!
早速にコメントを頂戴し、有難うございました!
お気遣い感謝申し上げますm(_ _)m
動画配信ありがとうございます。
当方も、古事記に興味を持ち、阿波(徳島)が発祥地だと信じています。
参考になるかもしれませんが、板野町に高尾山があるんですね。
山頂から吉野川河口、眉山、気延山、高越山、徳島平野がいかに低いかが、見ること
ができるんですよ。当方にとって高尾山は、古事記に思いをはせられることができる、
不思議な山なんですね。
早速にコメントを頂戴し有難うございます!
仰るとおり、板野町も山間部・平野部ともに古い古い土地柄で古墳もあり、色んな史跡・伝承もある阿波でも古代の重要な地の一つですね。
今後ともご関心を寄せていただき、変わらぬご支援のほど宜しくお願い致します。
手力さんは、私の田舎の伊賀で「てぢからさん」という名前で幼少の頃から信仰してきました。
戸隠から来られた神様だと思い込んでました。
伊賀の佐那具のサナは、製鉄に関係した地名だと聞いたことがありました。
私は奈良女子大学で日本史を専攻していましたが、地元伊賀には古い遺跡や史跡もなく、伊賀には歴史が無い 伊賀の歴史は浅いな~と思ってましたが、恥ずかしながら、阿波に興味を持ったこともなかったです。
阿波といえば、私は伊賀の大山田の阿波という地名のほうが馴染みがありましたが、伊賀の阿波も特に古い歴史は何もありません。
伊賀はつまらないところだなと帰省する度 ガッカリしてます。
壬申の乱も阿波が舞台だとは。私の実家の前の道が大和魂街道で、壬申の乱の舞台だと思ってました。
徳島 阿波國、行ってみたいです。動画もまた楽しみにしています。
コメントをいただき感謝申し上げます。
いやいやご謙遜を!
私は伊賀市にある合併前の旧阿波村(上阿波・下阿波)に大きな関心を抱いております。ご当地「下阿波字宮谷」には延喜式内社「阿波神社」が鎮座しサルタヒコやワカヒルメなど阿波の神様が祀られておりますから。山中ながら訪れたときの感慨は忘れません。
私は毎年車で全国へ「阿波古代史探訪の旅」に出かけておりますが、三重県とは縁が深いのです。
他にも、阿波ゆかりの神社(しかも延喜式内社)が、伊勢市二見町の「粟王子神社」、鳥羽市の「伊射波神社」として鎮座しています。
ご興味がおありでしたら、小著『古代史入門』、『甦る皇都阿波(ヤマト)への旅』をご一読いただき、携えてご来徳島いただければ、太古の風情を感じることが出来るかと存じます。ご不明の点等ございましたらいつでもご遠慮なく私のホームページのメルアド(fujii@kodaishi.org)までご連絡いただければと思います。
有難うございました。
@@藤井栄-t6s ご丁寧な返信ありがとうございます。
神社に興味を持ったのが数年前で、今住んでる千葉県の安房神社にもまだお参りしたことがなく(^^;
上阿波は高校の友人の実家があるところです。↑情報も知らなかったです。
藤井先生の著書、2冊とも興味深いです。最近は次々と発売されてるコロナワクチンの本の収集とmRNAワクチン レプリコンワクチン反対運動のことで頭がいっぱいで、衆議院議員原口一博先生らが阻止しようと尽力されてる来年秋以降の人為的パンデミックが起こされる前に淡路島や阿波に行ってみたくて。著書、読んでみたいと思ってます。
笹田孝至氏の『皇都ヤマトは阿波だった』を読み始めたところです。実家の屋号がヤマトで。
返信ありがとうございました。
原口一博代議士の『ブランデミック戦争 作られたパンデミック』というタイトルの本を予約してます。10月から自己増殖レプリコンワクチンが始まったら、日本人どうなるの?と不安な毎日ですが、藤井先生の動画に癒されました。ありがとうございます。
信州の真田家も諏訪と同様に阿波が発祥かな?
真田家のルーツはよく分かりませんが、諏訪大社の元社は阿波、徳島県石井町諏訪の「タケミナトミ神社」が元社です。
今後とも阿波にご関心をお持ちいただけると嬉しいです✨
感謝❗️
佐那河内という人が一時期話題になりましたね。佐村河内守です
それは存じませんでした。そんな名字の方がいらっしゃるんですね。ビックリです。また何か情報がございましたらコメントいただけると有り難いです。有難うございました。
@@藤井栄-t6s この人です
th-cam.com/video/1-qfvv32GVM/w-d-xo.htmlsi=fdE6QMpQS-Jo6sl-
私の仮説なら「佐那県=徳島」を阿波高天原説を否定した上で説明可能です。
父・天背男=天石門別命=天手力男神、母・八倉比賣、子・阿波忌部の祖天日鷲命であれば天手力男神が阿波に鎮座しているのは当然です。
答えになっていませんね。
アウト❗️です。
そんな全く的外れな解釈をするから阿波が分からないのです。もっともっとお勉強をなさって出直して下さいませ。
【仮に】天手力男神が佐那河内に鎮座していたのだとしてもなぜそこが「高天原」だとなるのですか?大陸まで使者が行く時代ですよ?
「斎部宿禰本系帳」を丸呑みする訳にはいかないのですが天日鷲命の父として天背男命、一云天石門別命。后神・八倉比賣命とあるのです。
即ち父・天石門別命=天手力男神、母・八倉比賣、子・阿波忌部の祖天日鷲命であれば天手力男神が阿波に鎮座していても何も不思議はないのです。
ちなみに【手力男神者、坐佐那那縣也】について
【地名なのに神社を出すなと嘲笑されておられました】ので記載しておきます。
『三重県多気郡佐奈村』
1889年(明治22年)仁田村・西山村・五佐奈村・四神田村・油夫村・五桂村・平谷村・神坂村・前村・長谷村の区域をもって佐奈村が成立。
1955年(昭和30年)多気郡相可町・津田村と新設合併して多気町が発足。同日佐奈村廃止。三重県多気郡多気町五佐奈は現存。
地名ではありませんが記紀と佐那について
◆古事記
「此曙立王者、伊勢之品遲部君、伊勢之佐那造之祖」
開花天皇-彦坐王-大俣王-曙立王
◆日本書紀
「吾則應到伊勢之狹長田五十鈴川上」
高天原は東関東地域にありました。
天照大御神の時代には静岡県富士宮市の富士浅間神社の辺りに都が置かれていました。
天手力男命の古墳は熊本県の弁慶ヶ穴古墳です。
このことは、池田任三著の画像解析によって判明した古墳墓碑に記述されています。
残念ながら支離滅裂で何をおっしゃりたいのか分かりません。
もう一度古事記を読んでお考え下さい。
古来関東は「東夷」の地で古事記神代の世界とは無縁の地ですから。
地名は変えない方が良いですね、「牛」と「大人」では違いますね。
今の人たちが「大人」を「うし」と読む事を知るのは大事だと思います。
いつも有難うございます。
コメント有難うございました。
そうですよね。でき得るならば変えないで欲しいですよね。
全国を探訪していると話し言葉のやり取りで時代と共に音感によって違う漢字が当てられている例が多いようです。
確かに「手力男神者、坐佐那那縣也」に関しては『本物の研究者』による再考証が必要かも知れませんね。しかし、当の徳島で「御間都比古が考昭天皇だ」とか「皇都ヤマトは阿波だった」などと言っているようでは相手にされるはずもありません。
私が危惧し警鐘を鳴らすのはそういう事なんです。阿波の素晴らしい本当の歴史が失われていく事なんです。
藤井さんは阿波ヤマト財団とは距離をおいているようなのですが同じような主張をしているかの団体がユダヤだのイスラエルだの言っている事についてはどう考えられますか?あのような状態だから「阿波説」が学会から相手にされないのは当然だと思いませんか?
藤井さんは「敵」を見誤っている。私は【阿波説を学問として扱っている】からアレコレ言うのです。私の言っている事がおかしければ軽ぅ~く論破して下されば結構。(信念の強さではなく理論と証拠で。)
それに比べ阿波ヤマト財団・徳島商工会議所に所属するヤマモト氏などはどうであろうか?「阿波説」をオカルト研究で著名な『山口敏太郎氏のチャンネル』にまで売り込みしています。「阿波説をUFOや未確認生物と同列に扱っている」のですよ。こんなものが真面な研究者に相手にされるでしょうか?どちらが阿波説を蔑んでいるのかよくお考え下さい。
元々は推古天皇以前までは四国・徳島県を中心とした歴史と思いますが、大挙して奈良・明日香地方へと都を遷宮したのは人口の増大もあり、また大和政権が全国にその覇権を及ぼすには四国では交通の便が悪かったのではないかと思います。それと、当時の政権中枢が四国の歴史を隠したのはやはり剣山?に鎮座する聖櫃(アーク)の存在を知られたくなかったからではないかと勘繰っています。
コメント興味深く拝読致しました。有難うございますm(_ _) m
710年の阿波から奈良平城京への遷都の最大の理由は地震であったと考えております。と申しますのは、天武13年(685)冬10月伊豆海底火山の大噴火によって古今未曾有の大地震と大津波に襲われ倭王城府は大被害に見舞われたことが日本書紀に書かれているからです。(小学館日本古典文学全集4「日本書紀」3439頁、『道は阿波より始まる』(その三112頁))
土佐・伊予が大被害に遭っているのに阿波が無傷であったわけがありませんね。これがきっかけとなって我が国古代史上初めての上級官僚を集めた “ 遷都会議 ” が開かれているのです。如何でしょうか。
NPO法人阿波国古代研究所理事長笹田孝至氏は、藤原不比等の謀略によって藤原氏祖先の不都合な出来事を隠し、阿波を隠国(こもりく)にするために遷都したと主張しておられますが、一時は賛同していたものの今は違うと私は考えています。歴史上の出来事の起こる要因は複数あるとはよく言われることですが、いくら権力を掌握していたとしても他豪族をみな敵に回して民を押さえつけて一族のまがまがしい出来事を隠すためだけに遷都をするなど出来るわけがありません。どんな独裁国家でも民の目を意識せざるを得ないのは古今東西同じですよね。
上述の大地震で上から下まで恐怖に恐れおののいた、これが最大の遷都理由であると考えております。
以上の事は、より詳しく小著『甦る皇都阿波への旅』テーマ22「阿波から奈良へなぜ遷都したのか ~ 震天動地の恐怖 ~」:88頁に書かせていただいておりますので
宜しかったらご一読下さいませ。
補足:上記日本書紀のくだりは、
日本書紀3 の 439頁です。失礼しました。
@@藤井栄-t6s 藤井さん
>藤原氏祖先の不都合な出来事を隠し
編纂時の藤原氏にそこまでの権力はない。天武10年に日本書紀の編纂を命じられた人たちを確認してください。
>一族のまがまがしい出来事
どこから出た何の話ですか?
>大地震でが最大の遷都理由
その推測は良しとして日本書紀は何でそれを隠さなくてはならないのですか?
笹田氏よりは少しマシですが日本書記が壬申の乱に奈良県の神社を記載したりして「阿波からの遷都を隠した理由」の説明がないです。
磐座の跡を石組みして神社に再利用したのでは無いかな
それとも古墳の石室が露出したのを石組み直して再利用した
徳島に在る神社の卑弥呼の墓と称すモノが正にそれ
神社の境内に有り
神社も古墳の上に建っている
小さい石の祠は蛇神の為でないかな蛇の住処を表している?
コメントをいただき感謝申し上げます。
そうですねえ、ともかく古い古い時代ですからねえ。
なかなか特定は困難かと存じます。
今後とも阿波にご関心をお寄せいただければ有り難いです。
さすがに式内社でも式外社でもない神社で神代を語るのはどうかと思います。式内社・御間都比古神社ですら消失し【付近住民は御間都比古が何者であるかも知らない状態】だった事をお忘れなきように。
さて、動画の内容からすると藤井さんは「天手力男神=天石門別神」説だと思うのですが「古事記」はこの二柱を明確に別神として記しています。もちろん『古屋家家譜』などに天石門別安国玉命の別名に大刀辛雄命があるのは存じています。私も「天手力男神=天石門別神」は無きにしも非ずとは思っているのです。
しかしながら「先代旧事本紀」ですら後世のものとして切って捨ててしまうような藤井さんが【古事記には別神と記されるこの二柱】を何故にイコールだとしたのか根拠をお聞かせ願えますかね?
手力男神は岩戸隠れの際はアマテラスを引きずり出して(『日本書紀』の一書や『古語拾遺』では「引き開けて」)とあるので岩屋戸を開けた神として天石門別神と習合してしまったという可能性も考えられないでしょうか?
「古事記」と「天神本紀」の記述に従い「天手力男神 ≠ 天石門別神」であればこの動画は全く意味がわからない物です。
あれまッ、性懲りもなく今度はこっちへチャチを入れに来たんですか❗️
だから言ってるじゃありませんか。
揚げ足を撮りたいが為に摘み食いして自分に都合の良いように問題整理をするからこんな初歩的ミスの質問をするのです。
動画の初めから終わりまでよ~く注意して見てみて下さい。
既に答えは示してますよ。
全く貴方という方は基本が出来ていません。ジックリジックリ見直して下さい。
逆に念のため、こちらの問題提起には答えられないのですか。
佐那那縣は何処にあるのですか?
@@藤井栄-t6s藤井さん
やっぱり答えられませんね😅
@@anti2awa796 先ほどキチンと返信したはずのコメントが消えているので、記憶に従って再度返信致します。
あちらがダメならまたこちらですか。あいも変わらぬ不誠実なコメントですね。何にも分かっていないですねアンチアワさん、この動画もまた別の動画ですのでサービスで
1回だけお答えを差し上げますからよ~く聞いて下さいよ。そうやって何が何でも反対して1本取ってやろうとあがくからこんな初歩的なミス、ドジを踏むのです。
答えは動画の中にあるではありませんか。最初から最後までつまみ食いなどせずにジックリジックリ動画を繰り返し見ることです。
貴方は何にも分かってないし、理解も出来ていない。しっかりお勉強をなさることです。
逆に質問しますが、「佐那那縣」は阿波以外のどこにあるのですか?学者も説明出来ないことですのでご自分のその頭で考えてお答え下さい。そこまでです。
@@anti2awa796 お答えは1時間前にキチンとしていますよ。嫌がらせいっぱいの貴方のコメントにもね。貴方は何にも理解できていないし、分かっていないですね。
答えは動画の中にあるじゃあありませんか。人を貶めてやろう、やっつけてやろうなどと良からぬことを考えて見るから大事なことをすっぽかしてこんな初歩的なミスを犯すのです。よ~く反省して下さい。そしてもっと誠実な人となるよう精進して下さい。答えは画面の中ですよ。
時間の無駄なので貴方のお相手はここまでです。もっともっとお勉強をなさって下さいませ。そしてもっともっと人格を磨いて下さい。
藤井さん、大サービスでもう一回見ましたが藤井さんが古事記の記述を無視して「天手力男神=天石門別神」とした理由なんて何一つ述べてないですね。全く30分をムダにしましたよ。私は天手力男神=天石門別神が間違いだと言っているわけではないですよ。私もまだ自分なりの答えを出しかねているのです。揚げ足取りだなどとお下品な考えはおやめ下さい。先代旧事本紀すら後世のものだと切って捨てる藤井さんがどういう理由で「古事記」が明白に別神とするこれら二柱を同神と思うにいたったか教えて欲しかっただけですから。まさか『古屋家家譜』を採用したとは言いますまい?
藤井さんも神社を研究しているなら祭神など簡単にすり替えされる事は御存知でしょう?阿波市阿波町の賀茂神社の祭神・意富加牟積命ほか二柱は江戸から明治にかけての捏造である事は私が証明しました。あ、でも神社の研究をしているのに地名「天皇」の由来も知らなかったのでしたね。こりゃ参りました。
もちろん推定ですが当該の天石門別神社の祭神三柱は福知山市大江町の「元伊勢三社」を江戸時代あたりに模倣したものでしょう。下手すりゃこの祀り方になったのは明治~昭和じゃないですか?室町時代以前の記録はおそらくないと思います。
藤井さんは「道は阿波より始まる」のような阿波説本しか読んでこられなかったので「天石門別神が何者か?」など考えた事もなかったのでしょうか?それとも=天手力男神だと思う何かがあったのでしょうか?どうしてそう思ったのか教えて下さってもよくありませんか?
さて、天石門別安国玉主命=大刀辛雄命だとする甲斐国一之宮浅間神社の「古屋家家譜」では天石門別安国玉主命の注記に妻神八倉比売命と書かれています。天石門別安国玉主命が=天石門別神であるかは慎重な検討が必要とは思うのですが安房国の洲宮神社の「斎部宿禰本系帳」においても天石門別命の后神は八倉比賣命だとしているのです。(しかも二柱の子が天日鷲命)
重要なので繰り返しますがどちらの史料も『天石門別の后神は八倉比賣』であるとしています。
先代旧事本紀すらバッサリ切り捨てる藤井さんが『天石門別八倉比賣大神御本記』などという【偽書】を真に受けて八倉比賣=大日靈女命なる与太話をまさか信じているとは思わないのですが、藤井さんは「天石門別神」についていったいどう解釈しておられるのかご教示願えないだろうか?
藤井さんの質問には順番に答えていきますが私の質問には全く回答がありませんね。中身のない中傷ばかりされても困ります。藤井さんは書籍を販売されたり講演されたりするプロで私は完全にアマチュアです。私から逃げ回るなんて恥ずかしい話ですよ。
さて、藤井さん。はっきり言います。天石門別神を御存知なかったですね?后神が八倉比売と伝承されるこの神について調べていたら阿波説なんて妄想は出来ないはずです。あなたは記紀ですらまともに読んでないでしょう?そうでなければ皇国日本と徳島県に捏造という呪詛を撒き散らしたバケモノ岩利の著した「道は阿波より始まる」などに騙されるはずがないのです。あなたが読み込んだのは「道は阿波より始まる」だけです。
岩利がまともな人間だと言うなら道は阿波より始まるに掲載された「太龍寺縁起」をここに書いてごらんなさい。
出来ないでしょう?藤井さんは、より知らない人を騙す片棒を担いでいることを忘れないで欲しい。
邪馬台国ジャワ島・スマトラ島説を専門家が積極的に否定しない理由はわかりますか?それはヤマト国阿波説(皇都阿波説)が専門家に否定されない理由と同じです。完全に論外ってやつです。藤井さんがもう戻れない所まで来ているのはわからなくもないが私の話が聞ける藤井さんは本当は幸運なのですよ。
「天石門別神について考証していない」なんて阿波の歴史を語る上で考えられない事ですよ!釈日本紀で天津羽羽神の父であると明記されているのですから。
天津羽羽神は一説に阿波波神、阿波咩命と同神とされます。藤井さんご自慢の社号に「阿波」を持つ神の神社の祭神ですね。「続日本後紀」阿波神は三嶋大社の本后ともあります。三嶋神は江戸末期に事代主とする説が出ましたがこれは完全に間違いである事が証明されています。古い伝承では大山祇神ですが謎が多いですね。大山祇とは単に「山の神様」の意味ですから神吾田津姫の父神とは限らないです。大山祇と言えば伊予国風土記の「和多志大神」も気になる存在ですね。
藤井さんは「道は阿波より始まる」以外の書物も読まないといけませんよ。