「自分」とは何か -私と宇宙は、同じか?-

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  • เผยแพร่เมื่อ 18 ก.ย. 2024
  • 長浜ラーメンが食べたいです
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ความคิดเห็น • 10

  • @ぉ゙っ
    @ぉ゙っ 27 วันที่ผ่านมา

    人は言語の曖昧さを楽しんでる。だから議論も解決に向かわなくとも人は楽しんでる。言語で表せない概念もあるし、人によって言葉の捉え方が違う、だから議論する必要が生まれる。それを人が楽しんでいるだけ

    • @intj1426
      @intj1426  27 วันที่ผ่านมา

      おっしゃる通り、言葉では定義不能なものがあります。言語よりも上の抽象度は、つまり、感じろということなのでしょうが、それが伝わるように言葉を尽くすのは、不毛である気もしながら、活動をしています。
      コメントありがとうございました😌

  • @now_comments
    @now_comments หลายเดือนก่อน

    初見です。独り言なんですけど、話の内容も見た目もどストライクで私の意識はご尊顔に向いてました。なう(2024/08/18 18:28:18)

  • @03gunjou61
    @03gunjou61 หลายเดือนก่อน +2

    「私」が重要ではない人はいないという話にとても興味を持ちました。私も無差別通り魔事件を起こすような人がむしろ世界に対して人よりも強い執念を持っているように思います。では、別段思想も持っているわけではなく、例えば現代社会に多いような「生きづらさ」などによって、だれかを巻き込もうともせずにポツンと自殺してしまう人にもこれは言えるでしょうか?私にはこれが「私」に対する執着がなくなった結果に思えるのですが、つきのまどさんはどうお考えでしょうか?それとも、これは脳が健常で秩序的な思考のできる人に当てはまるものであって、先に書いたような人は異常であるのでしょうか。

    • @intj1426
      @intj1426  หลายเดือนก่อน +7

      コメントありがとうございます。
      自殺というのは、自分を捨てることと、確かに似ていると思います。
      実はこの手の動画を、過去に出していだことがあるのですが、残しておくべきでした。
      その動画の中で、僕は、「自殺というのは、自分に対して、あるいは世界に対して、『具体的になるから』こそ起きる」と、語っていたように思います。
      無差別殺人のお話もそうですが、これもイメージとしては、非常に「具体的」なイメージです。
      よく、問題にぶち当たった時、「壁に鼻を突き合わせて悩む」というような表現があると思いますが、この表現にも「具体的」なイメージを持ちます。
      この「壁」は、実は「自分自身である」と考える時、人は、「自分自身に鼻を突き合わせて死ぬ」とも言えるのではないでしょうか。
      そう考えると、自分にとって、やはり重要度の高い、具体的な世界の中で去っていく。そうも見えます。
      この世界、あるいは宇宙、あるいは世間が、「自分でいっぱいになる」から、そこを投げ出したくなる。そういう理屈なのではないでしょうか。
      投げ出した後は、確かに「無」なので、自分に対する執着が無くなるように思えますが、そう感じている本人は、この世にはいません。つまり、楽を感じるわけではありません。ほんの少し、解き放たれるような感覚が芽生えるかも知れませんが、基本的には最後までその自分の世界に苦しんでいるような気がします。
      救われるなら、生きているうちに自分から解放され、また別の自分に会いたいですよね。それが本当の「執着から解き放たれる」ということになるのではないでしょうか。
      具体から抽象へ、近くから遠くへ、そんな転換が必要なのではないか、と思います。
      答えになっているかわかりませんが、この手の動画もまた出していきたいと思います。
      試聴してくださって、ありがとうございました。
      貴重なご意見でした。

    • @intj1426
      @intj1426  หลายเดือนก่อน +3

      あ、健常のお話についてですが、僕は人間が自殺をしたいと考えるのも、健常の一つの表れだと思っています。
      全く異常ではありません。

    • @03gunjou61
      @03gunjou61 หลายเดือนก่อน +1

      ​@@intj1426丁寧なご回答ありがとうございます!
      やはり自分への執着は切っても切り離せないもので、自殺もそれだからこその意識活動の結果(健常?と言うべきかはわかりませんが)であって、異常なわけではないという風に解釈しました。
      それにしても、自分に執着のある人でも「自分」でいっぱいになったときには解放されたいと思うのでしょうか。そして死後意識活動がなくなれば今の「自分」はいなくなるとすれば、また別の「自分」に会えるのは早くても死んだ後になるのでしょうが、死後は意識活動ができず、また別の「自分」に会ったとも生まれ変わったとも感じられない。それなのに「会いたい」「生まれ変わりたい」というのはとても不思議ですよね。
      私自身そして今生きている人全員が死を経験しておらず本当のところが分からない。だからこそ各々が死生観なるものを作り出して生きているのでしょうが、それを見つめ直すきっかけになりました。ありがとうございます!
      この動画で初めてつきのまどさんを知ったのですが、具体的な事象や表現などを抽象的なことに置き換えていって、最終的に等式でつながるような理論の建て方がすごく好きで、ワクワクしながら拝見させて頂きました。これからの動画も楽しみにしております!

    • @intj1426
      @intj1426  หลายเดือนก่อน +1

      ご丁寧なコメント、ありがとうございます。
      僕は普通の人間なので、こういうのがあると頑張ろうと感じます。
      以前、宗教についての動画をあげていました。またあげようかと思います。
      死んだ後については、宗教的なお話になると思うので、この機会にと思いました。
      仮に人間が生まれ変わるとして、そこには差別の論理が働いている、というような内容でした。
      よければ、またご視聴ください😌

  • @お気に入り-b2j
    @お気に入り-b2j หลายเดือนก่อน

    やば

    • @intj1426
      @intj1426  หลายเดือนก่อน

      今後も、キモイ動画作り頑張ります🎥