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和宮さんといえば、自分は大河ドラマの篤姫で堀北真希さんが演じられたのが印象深かったです。最初は有栖川宮という大好きな方がいて、嫌々で江戸に降嫁したが、江戸で家茂さんのことが大好きになったが、その家茂さんが早世して、さらには徳川幕府の崩壊と天璋院に負けを取らぬ大変な人生を送った方だと思いました。でも幕末、和宮もまた徳川家の存続を一生懸命嘆願していて、徳川の女として生きられ、和宮の生き方にまた尊敬しかない。
😂負けを取らぬ、ではありません。『負け劣らぬ』です。誤字変換ですか?それとも知らなかった?
@@natsuishii9302なんだか煽っているというか不親切だと取られかねませんから、もう少し言い方に気をつけた方がいいかもしれません。
「和宮様御留」は子供の時見たTVドラマで大竹しのぶさんがフキ役で徐々に気を病んでいく演技が怖く凄まじくて自分の中では長らく史実でした。(今もちょっとあるw)あのドラマもう一度見たいです。
堀北真希さんの和宮がとても可愛らしくて好きでした。無口で内気で、プライドが高く、接し方が難しい人という感じで登場したのが、だんだんと家茂と仲良くなっていき、天璋院とも最終的には戦友のようになっていたのが印象的でした。でも家茂が亡くなって悲しかった🥹ラブラブだったのが救いですが...身内がどんどん亡くなって、自身も若くして亡くなったのがなんとも悲しいお姫様です。
小学生の頃、和宮様御留のドラマを姉と一緒に見た記憶があります。岡田奈々さん大竹しのぶさん池上季実子さんが和宮を演じられ子供ながらとても印象に残るドラマでした。なので、私は将軍に輿入れされた和宮様関連のドラマを見るたび和宮は替え玉だったと信じていました😅
和宮のことを初めて知ったのは「和宮様御留」 (大竹しのぶ版)なのでものすごく恐ろしいイメージしかありませんでした😢 しかし大人になってから史実の方を知ると、家茂さんがめっちゃ良い人なので結婚自体は幸せだったんだなとわかりました。替え玉とか家茂さんに失礼ですよね。
漫画大奥では、家茂と和宮のこの後の展開は毎回涙なしではいられない話で、特に西陣織について和宮の和歌の詳しい解説を聞きたいです🙇
今、NHKBSで篤姫を再度見直しているので、きりゅうさんのお話はとてもタイムリーでした。天璋院さんも和宮さんも歴史に名を残す伝説的な存在になるとは思っていなかったでしょうね。そういう意味では、歴史というのは本当に面白いですね。
昔有吉さんの和宮御留書読んで泣きました😢大奥で女の子を送り込んだのでおぉとなりました。
フジテレビの大奥での安達祐実和宮ちゃんがお雛様みたいに可愛くって~♡このお話し聞いていても、あのイメージで聞いていました。天璋院さんは菅野美穂ちゃんで。
今回の”大奥”では、家定と胤篤の愛が切なく美しかったです。病がちな家定に会えずに最期の時さえ知らせてもらえない悲惨な状態で、死して後1ヶ月以上経ってから初めて家臣を通して噂で知るとは、あまりに彼の気持ちを蔑ろにしています。彼の悲嘆の涙と家定との思い出のシーンでの会話”上様と同じ時を刻みたい。”、”奥でも表でも共に時を刻む。”という二人の言葉が、余計にはかなさと哀しみを高めました。和宮は女性だった!ことで、これからの展開が期待されます。
今日も楽しい解説ありがとうございます😁なんか中山道には和宮さんゆかりの地がいっぱいあるそうですね。当時は物凄い大騒ぎで道を直したり宿を新しく建てたり大変だったようですね😅
いくら嫁姑関係でも、天皇の妹を下座、外様支流の娘を上座にはできない!いかにも当時言われそうなことですね!だから島津藩から働きかけて薩摩に戻そうとしたという逸話、初めて聞きました。それを断固断る天璋院も、彼女のイメージ通りです。今回の一番の驚きは、増上寺の和宮のお墓を発掘調査した11:39という点です。天皇陵は今でも古代の天皇も含め発掘はできないので、こんな近い明治期前に実在した天皇の妹のお墓を調査できたということが、あまりに意外でした!有栖川宮と聞くと、すぐに東京広尾の有栖川宮記念公園が思い浮かびます。若い頃近くに住んでいたので、よく行きました。素晴らしい庭園と様々な動植物、季節によっては花々も楽しめ、都立中央図書館もあるアカデミックさが、当時の私には、とても素敵に感じられました。
和宮の墓が発掘調査されたのは、そもそも1945年5月に山の手大空襲で東京の山の手が爆撃を受けた際、増上寺の徳川将軍家の霊廟も焼失したことが発端です。そして戦後、徳川将軍家の霊廟跡地にプリンスホテルが建てられ、また近隣に東京タワーが建つことになったため、将軍たちの遺体を改葬することになったのだそうです。そこで1958年、将軍たちの遺体や副葬品などの歴史的・人類学的研究も兼ねて、和宮のは過去にも含む墓所が発掘されました。その際、和宮の棺には湿板写真集のガラス板があり、そこには直垂姿の男性が写っていたのに、すぐに保管せずに置いておいたためにガラス板から被写体が消えてしまいました。その男性は家茂だったのか、有栖川宮だったのか。化学が進んで消えてしまった写真を復元できるようになる日がくるのかこないのか。
和宮様御留って、大竹しのぶさん主演のドラマを子供の時に祖母から見せられたんですが(かなり昔のドラマ)観たことがあります。身代わりの娘が精神崩壊して、祇園祭のコンコンチキチンを踊るところとか子供心には怖かったです💧
和宮の替え玉の件ですが、何十年前か忘れましたが、和宮の遺骨が見つかり、調べられました。そのとき、手首から先がなかったそうです。和宮は茶道や華道をしていたのに、片手がないと出来ないので。…と、替え玉説が、出たと記憶してます。
「和宮様御留」でフキの替え玉にされた大店のお嬢さんは、「上司から替え玉を探せ」と言われた武士の許嫁に連れて行かれたと記憶しています。 こちらも引き裂かれて悲劇でした。 フキ役は大竹しのぶさんの他に、斎藤由貴さんのバージョンもあったかと。
❤和宮の本、読みました。面白いし、読みやすいです〜🎉
イヤイヤ嫁いで、でも天璋院篤姫と2人だけ将軍と隣にお墓あるんですもんね。幕末に苦労した方々だけど、深い愛があったと思いたいです
最初の大河ドラマて井伊直弼主人公だったような気がする
仲良くなった、原因の必要悪、徳川慶喜
ドラマ版、今後の土御門さんの活躍が楽しみです。
和宮替え玉説は初めて知った時はショッキングでしたね。替え玉の少女役が大竹しのぶさん、さらにその身代わりの少女役が池上季実子さんだったドラマでしたが、精神を病んで死んでいく大竹しのぶさんの姿が恐ろしかったですね。
もうかっちゃんサイコーだわ粋な呑兵衛のホラ話🤣(いつか大河でもう一度だめんずかっちゃん主役で作って欲しい)嫁と姑の女と女のプライドバトルは現代でも血で血を争う戦いだから(私はめんどくさがり屋なので即!放棄しました)大奥も後三話でファイナル。さみしいけど楽しく見ていきたい!それにしてもあの千代さんが転生して和宮になるとは😮しかも再現度がめちゃ高くてびっくりポン!や
目と鼻の先に和宮さんの行列の宿跡があるのに、ただの昔からの由緒正しい人の住まいかとずっと思っていました。青天を衝けで初めて詳細を知り、とんでもない距離を山を超えて、大量の荷物と人を携えお嫁入りした事を知りビックリ!それからは旅先で宿跡を見かけると車を降りて碑や古くなった宿跡を見学するようになりました。
平坦な説明で、思わず聞き耳を立ててしまう。見事ですね。く~さん、なんでマスクしてんねん?
天璋院も鹿児島育ちで江戸風に馴染むのは大変だったんでしょうね。嫁の勤めとして一生懸命馴染んできたんだと思います。なら、和宮も嫁の勤めを果たすべきだと考えるのも自然なのかな?そういう時代でもありましたし。互いに自我をちゃんと持っているからこそのぶつかり合いで、お互いの自我を尊重しようと思うまでに幕府の瓦解という大事件がなかったら、和解できなかったのかもしれませんね。運命ってどう転がるか分からないねぇ、、、
昔のドラマで仙道敦子さんが和宮さんをされたのは実年齢が1番近くてリアルな感じがしました
いつも楽しく拝聴してます!質問です!きりゅうさんが8:29くらいで和宮は「内親王宣下を受けている」とおっしゃっていましたが、内親王宣下とはなんですか?今の皇室は天皇の娘として産まれたら自動的に内親王になると思うのですが、昔は「内親王です」っていう宣言がなければ内親王ではなかったということですかね?どんな基準で宣言されるもので(母親の身分とか?)、何歳くらいのときにするものですか?またその宣下がない場合の天皇の子供は何になるのでしょう?(またはなんと呼ばれるのでしょう?)待遇にどんな違いがあったのでしょうか?教えてください!これからも楽しみにしています😊
島崎藤村の「夜明け前」でも和宮降嫁の大行列が中山道とおるので宿場がえらいことになった、助郷で沿道どころか人足が遠くの国の村からも駆り出されて挙句行き倒れて帰ってこないところもあったってさらっと書いてあったりして、下々までどえらい騒ぎだったんだろうと思いました。碓氷峠の道も実際作り直されたようですし。
安政の大獄は、歴史で、習ったしました。公武合体も、歴史で、習いました。
菅野美穂さんと安達祐実さんの大奥を覚えています。確か和宮で「なんとかでおじゃります」と、おじゃる丸みたいな言葉だったような…道中 大井川等を渡るのは大変だったろうなぁと思いますお金もかかるしねぇ😂
明治維新直前の日本では和宮vs天璋院、フランス革命直前はアントワネットvsデュバリー夫人…時代の変革期の女の闘いって深く歴史に刻まれますね…
岸井ユキノさんの和宮、怪演を期待してしまいますね。家定と胤篤、良いですね。もっと見ていたかったです。井伊直弼、当時の幕府からしたら尊皇攘夷の志士などはテロリスト以外の何物でも無かったろうから、厳しい態度で臨んだのも無理は無いと思ってます。大河の一作目が、花の生涯 井伊直弼が主人公だったのが今でも不思議です。
「和宮様御留」の大ファンで本はもちろんドラマも舞台もいろんなバージョンを見ましたなのでどうしても素通りできなくて…そしてキャストは若干まぜこぜです😅最初こそこんなにゴタゴタしていたお輿入れも最後家茂さんが京都で亡くなってしまった後 届いた西陣織を見て「着るとても 今は甲斐なき唐衣 綾も錦も君ありてこそ」(空蝉の~もあり)この和歌が 未だに忘れられません😢今度の大奥では勧行院さんと庭田嗣子が同じ人のように書いてあるので どんなことになるのかしっかり見届けたいと思います✊
自分の中でナンバーワン和宮は安達祐実さんの和宮😊
和宮の描いた漫画?落書きを久能山東照宮展で見て、和宮の印象が変わりました。絵が上手いです。実は面白いお姫様だったのでは、ないでしょうか。新資料があったら、解説お願い致します
江戸時代はあの頃に終わってよかったとは思います。ですがしかし、討幕派が攘夷といい外国人を攻撃してたのに途中から開国とか言って、彼らの損得のために陰謀に巻き込まれた人々が傷ついた。討幕派の嘘くささが嫌いです。天璋院と篤姫に討幕派が戻ってきなさいというと、二人は「幕府と縁を結ぶために嫁がされたのだから江戸を守る」と。筋が通っているのは女たちだった。
『大奥』で、家定が篤姫に、自分で作ったカステラをかなり強引に勧めるシーンがありましたが、『篤姫』26話にも、家定が篤姫に自分で作った"ポルトガルより伝わりし菓子"を"もっと!もっとじゃ!"と勧めるシーンがあります。オマージュだと思い1人盛り上がったのですが、気づいた方いらっしゃいますか?きりゅうさんはどう思われますか?それから、家定の自分でお菓子を作るのが趣味というのは史実なのでしょうか?
ドラマで和宮様の替え玉を斉藤由貴さんがやって幼なじみを的場浩司さんがやったのを思い出しました。
和宮さんは江戸開城後に一度、京にお帰りになったそうですが(1870_1874年・京滞在)また江戸(東京)に戻ったそうですね。1877年に薨去なったそうですが、通算の江戸滞在期間の約12年間~食事他生活をずっと京の御所風で通したのかな?と思ったら、夫の家茂さんと同様に甘いものが好物で脚気衝心による原因との話を見つけてビックリしました!いわゆる【江戸わずらい】ですよね・・・ビタミンB1不足の原因は京も同じだけど、家康さんの粗食(だが栄養バランスは勝っている?)の良き伝統は失われちゃったんだなぁ・・・麦飯か胚芽米を食べれば良かった!
替え玉の話で行くと、実は明治天皇が替え玉なんじゃないかという話がありまして・・・あ、これ以上は怖くて言えません🤐
フルベッキ
ラットさんがちらっと言った「エスカレーターは京都と東京いっしょか」ってところ、よくご存知で!と思いまして。京都も大阪と同じく、最初は左を空けてたのですが、関東からの観光客が多いのでそちらに合わせ、右側を開けるようにしたという経緯があります。ので、京都と大阪を往復する京阪や阪急の駅では、左右両方に立ち止まる人がいて、先に立ち止まったもん勝ちになるか、両方塞がるという光景が見られます。ちなみに、エスカレーターは歩くことを想定して作らなれてないので、左右どちらも立ち止まってご利用ください・・という落ちに、数年前になりましたね
なんで天璋院帰りたくなかったの??
岩倉具視といえば、加山雄三さんは岩倉具視の玄孫ですね。なんだかんだいって幕末は約150年前、今もご存命の明治生まれ、大正生まれの方のおじいさんおばあさんは江戸時代の生まれだった可能性もあり、そんなに遠い昔ではないんですよね。“先祖”というにはあまりにも誓い時代なので、大河で幕末を画くのは難しいと聞いたことがあります。例え戦国時代であっても先祖を悪役として描かれたら、末裔の方は面白くないだろうけど、それでも400年以上経っている。でも幕末の場合、地続き感が濃いのでご子孫の感情が生々しいだろうと予想されるからだとか。
輿を担ぐのは八瀬童子(やせのどうじ)ですね。牛車といえば木曽義仲が、牛車の乗り方を知らずに車の中で転げまわったり、降り方も逆だったので京童に失笑されたりとサンザンな目に会ったようで、牛車はともかく、今でも地方出身者は何かとターゲットになるようですヾ(⌒▽⌒ )ノ彡☆ばんばん!
勝海舟の話がちょろっと出てきたのでそれに因んで、勝海舟の父「勝小吉」の話をリクエストします。昔、「親子鷹」NHKでは「小吉の妻」と言う時代劇があったので勝海舟の父、勝小吉はなかなかユニークな人物だったようでとても興味があります。勝海舟は勝子吉あっての勝海舟だと思っています。是非とも「勝子吉」の話を教えて下さい。お願いします。
th-cam.com/video/XiyF6gNd8Ns/w-d-xo.html
和宮は有栖川宮と婚約してたのでは?。
ラットちゃん、髪又少し短く成りましたか❓セットかな❓似合います💖ショートヘアーは手間がかかるので中々挑戦出来ません😅エスカレーターは左右均等に乗るように設計されているので、左右どちらかを開けて乗ってしまう事が続くと故障の原因に成り、危険なので、左右開けずに乗って欲しいそうです❗急いでいる人は早く家を出て下さい( *´艸`)(笑)ε=┌(;・∀・)┘💖💖💖┌(;・∀・)┘💖💖💖
増上寺の徳川家のお墓の発掘調査で、和宮の御遺骨を調査した結果、左手首の先がどうしても見つからなかったという結果が出ています。と、いうことは❓有吉佐和子著『和宮様御留』ちょっとポチってきます🤔
当たり前。ハチヤマユミの意味。皇族に突きつけて。仁美
コミックのとりかえばやは、原作オリジナルってわけではないんですね!そして、きりゅうさんのタイムトラベル先のお友達、かっちゃんの登場も嬉しい❤
とはいっても原作の和宮が口にした「“とりかえばや”や」は、「とりかえばや物語」が念頭にあり、姉弟を取り替えるという意味だと思います。一方、実際の和宮の替え玉疑惑は女性同士での入れ替えだから、微妙に違いますけどね。それでも、いろんな説をうまく取り入れてオリジナルストーリーを組みていることはスゴいと思います。
@@user-さわ ホントですよね〜!
和宮様御留·····。だいぶ前に斉藤由貴さんでのSPドラマで見た記憶が💦身代わり説·····確か道中の滞在した地に和宮様のものと伝わるお墓もあるとかって話もチラッと聞きました。
質問です。和宮替え玉説の中には偽物が裸で寝てたというものがありますが、当時の人は裸で寝てたんですか?
替え玉設定有吉佐和子さんの小説だけの話ではないのですか?よく怪しい 話を出してくる話がありますが何を根拠と私は思うのですが
「天璋院が上座で和宮が下座」で和宮様が悔し涙を流した、というのが事実ならば、有吉佐和子さんの替え玉説は否定的ですね。ただしもう少し前たとえば12代将軍家慶の時代などでは、「前将軍の正室」が「皇女だが嫁いできた嫁」よりも上座という作法が当たり前だった可能性もあるのでは?と思いました。というのは、江戸時代の将軍宣下式では、江戸まで下ってきた勅使が将軍宣下を行なう時「将軍が上座」で「勅使が下座」だったとのことでして、14代家茂の将軍宣下式で初めて「勅使が上座」、「将軍が下座」になったという経緯があり、幕府の権威が高かったか低かったかに左右されていたような気がするのです。
私は宮中が将軍より身分を高くして送ったのにムカつきます。あと大奥に入るのに時間がかかったのは日を選んだのもあるのではないでしょうか?
和宮さんといえば、自分は大河ドラマの篤姫で堀北真希さんが演じられたのが印象深かったです。最初は有栖川宮という大好きな方がいて、嫌々で江戸に降嫁したが、江戸で家茂さんのことが大好きになったが、その家茂さんが早世して、さらには徳川幕府の崩壊と天璋院に負けを取らぬ大変な人生を送った方だと思いました。でも幕末、和宮もまた徳川家の存続を一生懸命嘆願していて、徳川の女として生きられ、和宮の生き方にまた尊敬しかない。
😂負けを取らぬ、ではありません。
『負け劣らぬ』です。誤字変換ですか?それとも知らなかった?
@@natsuishii9302なんだか煽っているというか不親切だと取られかねませんから、もう少し言い方に気をつけた方がいいかもしれません。
「和宮様御留」は子供の時見たTVドラマで大竹しのぶさんがフキ役で徐々に気を病んでいく演技が怖く凄まじくて自分の中では長らく史実でした。(今もちょっとあるw)
あのドラマもう一度見たいです。
堀北真希さんの和宮がとても可愛らしくて好きでした。無口で内気で、プライドが高く、接し方が難しい人という感じで登場したのが、だんだんと家茂と仲良くなっていき、天璋院とも最終的には戦友のようになっていたのが印象的でした。でも家茂が亡くなって悲しかった🥹ラブラブだったのが救いですが...身内がどんどん亡くなって、自身も若くして亡くなったのがなんとも悲しいお姫様です。
小学生の頃、和宮様御留のドラマを姉と一緒に見た記憶があります。岡田奈々さん大竹しのぶさん池上季実子さんが和宮を演じられ子供ながらとても印象に残るドラマでした。なので、私は将軍に輿入れされた和宮様関連のドラマを見るたび和宮は替え玉だったと信じていました😅
和宮のことを初めて知ったのは「和宮様御留」 (大竹しのぶ版)なのでものすごく恐ろしいイメージしかありませんでした😢 しかし大人になってから史実の方を知ると、家茂さんがめっちゃ良い人なので結婚自体は幸せだったんだなとわかりました。替え玉とか家茂さんに失礼ですよね。
漫画大奥では、家茂と和宮のこの後の展開は毎回涙なしではいられない話で、特に西陣織について和宮の和歌の詳しい解説を聞きたいです🙇
今、NHKBSで篤姫を再度見直しているので、きりゅうさんのお話はとてもタイムリーでした。天璋院さんも和宮さんも歴史に名を残す伝説的な存在になるとは
思っていなかったでしょうね。そういう意味では、歴史というのは本当に面白いですね。
昔有吉さんの和宮御留書読んで泣きました😢
大奥で女の子を送り込んだのでおぉとなりました。
フジテレビの大奥での安達祐実和宮ちゃんがお雛様みたいに可愛くって~♡このお話し聞いていても、あのイメージで聞いていました。天璋院さんは菅野美穂ちゃんで。
今回の”大奥”では、家定と胤篤の愛が切なく美しかったです。病がちな家定に会えずに最期の時さえ知らせてもらえない悲惨な状態で、死して後1ヶ月以上経ってから初めて家臣を通して噂で知るとは、あまりに彼の気持ちを蔑ろにしています。彼の悲嘆の涙と家定との思い出のシーンでの会話”上様と同じ時を刻みたい。”、”奥でも表でも共に時を刻む。”という二人の言葉が、余計にはかなさと哀しみを高めました。
和宮は女性だった!ことで、これからの展開が期待されます。
今日も楽しい解説ありがとうございます😁なんか中山道には和宮さんゆかりの地がいっぱいあるそうですね。当時は物凄い大騒ぎで道を直したり宿を新しく建てたり大変だったようですね😅
いくら嫁姑関係でも、天皇の妹を下座、外様支流の娘を上座にはできない!いかにも当時言われそうなことですね!だから島津藩から働きかけて薩摩に戻そうとしたという逸話、初めて聞きました。それを断固断る天璋院も、彼女のイメージ通りです。今回の一番の驚きは、増上寺の和宮のお墓を発掘調査した11:39という点です。天皇陵は今でも古代の天皇も含め発掘はできないので、こんな近い明治期前に実在した天皇の妹のお墓を調査できたということが、あまりに意外でした!
有栖川宮と聞くと、すぐに東京広尾の有栖川宮記念公園が思い浮かびます。若い頃近くに住んでいたので、よく行きました。素晴らしい庭園と様々な動植物、季節によっては花々も楽しめ、都立中央図書館もあるアカデミックさが、当時の私には、とても素敵に感じられました。
和宮の墓が発掘調査されたのは、そもそも1945年5月に山の手大空襲で東京の山の手が爆撃を受けた際、増上寺の徳川将軍家の霊廟も焼失したことが発端です。
そして戦後、徳川将軍家の霊廟跡地にプリンスホテルが建てられ、また近隣に東京タワーが建つことになったため、将軍たちの遺体を改葬することになったのだそうです。
そこで1958年、将軍たちの遺体や副葬品などの歴史的・人類学的研究も兼ねて、和宮のは過去にも含む墓所が発掘されました。
その際、和宮の棺には湿板写真集のガラス板があり、そこには直垂姿の男性が写っていたのに、すぐに保管せずに置いておいたためにガラス板から被写体が消えてしまいました。
その男性は家茂だったのか、有栖川宮だったのか。
化学が進んで消えてしまった写真を復元できるようになる日がくるのかこないのか。
和宮様御留って、大竹しのぶさん主演のドラマを子供の時に祖母から見せられたんですが(かなり昔のドラマ)観たことがあります。身代わりの娘が精神崩壊して、祇園祭のコンコンチキチンを踊るところとか子供心には怖かったです💧
和宮の替え玉の件ですが、何十年前か忘れましたが、和宮の遺骨が見つかり、調べられました。そのとき、手首から先がなかったそうです。和宮は茶道や華道をしていたのに、片手がないと出来ないので。…と、替え玉説が、出たと記憶してます。
「和宮様御留」でフキの替え玉にされた大店のお嬢さんは、「上司から替え玉を探せ」と言われた武士の許嫁に連れて行かれたと記憶しています。 こちらも引き裂かれて悲劇でした。 フキ役は大竹しのぶさんの他に、斎藤由貴さんのバージョンもあったかと。
❤和宮の本、読みました。面白いし、読みやすいです〜🎉
イヤイヤ嫁いで、でも
天璋院篤姫と2人だけ
将軍と隣にお墓あるんですもんね。
幕末に苦労した方々だけど、深い愛があったと思いたいです
最初の大河ドラマて井伊直弼主人公だったような気がする
仲良くなった、原因の必要悪、徳川慶喜
ドラマ版、今後の土御門さんの活躍が楽しみです。
和宮替え玉説は初めて知った時はショッキングでしたね。替え玉の少女役が大竹しのぶさん、さらにその身代わりの少女役が池上季実子さんだったドラマでしたが、精神を病んで死んでいく大竹しのぶさんの姿が恐ろしかったですね。
もうかっちゃんサイコーだわ粋な呑兵衛のホラ話🤣(いつか大河でもう一度だめんずかっちゃん主役で作って欲しい)
嫁と姑の女と女のプライドバトルは現代でも血で血を争う戦いだから(私はめんどくさがり屋なので即!放棄しました)
大奥も後三話でファイナル。さみしいけど楽しく見ていきたい!
それにしてもあの千代さんが転生して和宮になるとは😮しかも再現度がめちゃ高くてびっくりポン!や
目と鼻の先に和宮さんの行列の宿跡があるのに、ただの昔からの由緒正しい人の住まいかとずっと思っていました。
青天を衝けで初めて詳細を知り、とんでもない距離を山を超えて、大量の荷物と人を携えお嫁入りした事を知りビックリ!
それからは旅先で宿跡を見かけると車を降りて碑や古くなった宿跡を見学するようになりました。
平坦な説明で、思わず聞き耳を立ててしまう。見事ですね。
く~さん、なんでマスクしてんねん?
天璋院も鹿児島育ちで江戸風に馴染むのは大変だったんでしょうね。嫁の勤めとして一生懸命馴染んできたんだと思います。なら、和宮も嫁の勤めを果たすべきだと考えるのも自然なのかな?そういう時代でもありましたし。
互いに自我をちゃんと持っているからこそのぶつかり合いで、お互いの自我を尊重しようと思うまでに幕府の瓦解という大事件がなかったら、和解できなかったのかもしれませんね。
運命ってどう転がるか分からないねぇ、、、
昔のドラマで仙道敦子さんが和宮さんをされたのは実年齢が1番近くてリアルな感じがしました
いつも楽しく拝聴してます!
質問です!きりゅうさんが8:29くらいで和宮は「内親王宣下を受けている」とおっしゃっていましたが、内親王宣下とはなんですか?
今の皇室は天皇の娘として産まれたら自動的に内親王になると思うのですが、昔は「内親王です」っていう宣言がなければ内親王ではなかったということですかね?
どんな基準で宣言されるもので(母親の身分とか?)、何歳くらいのときにするものですか?またその宣下がない場合の天皇の子供は何になるのでしょう?(またはなんと呼ばれるのでしょう?)
待遇にどんな違いがあったのでしょうか?教えてください!
これからも楽しみにしています😊
島崎藤村の「夜明け前」でも和宮降嫁の大行列が中山道とおるので宿場がえらいことになった、助郷で沿道どころか人足が遠くの国の村からも駆り出されて挙句行き倒れて帰ってこないところもあったってさらっと書いてあったりして、下々までどえらい騒ぎだったんだろうと思いました。碓氷峠の道も実際作り直されたようですし。
安政の大獄は、歴史で、習ったしました。公武合体も、歴史で、習いました。
菅野美穂さんと安達祐実さんの大奥を覚えています。確か和宮で「なんとかでおじゃります」と、おじゃる丸みたいな言葉だったような…
道中 大井川等を渡るのは大変だったろうなぁと思います
お金もかかるしねぇ😂
明治維新直前の日本では和宮vs天璋院、フランス革命直前はアントワネットvsデュバリー夫人…時代の変革期の女の闘いって深く歴史に刻まれますね…
岸井ユキノさんの和宮、怪演を期待してしまいますね。
家定と胤篤、良いですね。もっと見ていたかったです。
井伊直弼、当時の幕府からしたら尊皇攘夷の志士などはテロリスト以外の何物でも無かったろうから、厳しい態度で臨んだのも無理は無いと思ってます。
大河の一作目が、花の生涯 井伊直弼が主人公だったのが今でも不思議です。
「和宮様御留」の大ファンで本はもちろんドラマも舞台もいろんなバージョンを見ました
なのでどうしても素通りできなくて…
そしてキャストは若干まぜこぜです😅
最初こそこんなにゴタゴタしていたお輿入れも最後家茂さんが京都で亡くなってしまった後 届いた西陣織を見て
「着るとても 今は甲斐なき唐衣 綾も錦も君ありてこそ」(空蝉の~もあり)
この和歌が 未だに忘れられません😢
今度の大奥では勧行院さんと庭田嗣子が同じ人のように書いてあるので どんなことになるのかしっかり見届けたいと思います✊
自分の中でナンバーワン和宮は安達祐実さんの和宮😊
和宮の描いた漫画?落書きを久能山東照宮展で見て、和宮の印象が変わりました。絵が上手いです。実は面白いお姫様だったのでは、ないでしょうか。新資料があったら、解説お願い致します
江戸時代はあの頃に終わってよかったとは思います。ですがしかし、討幕派が攘夷といい外国人を攻撃してたのに途中から開国とか言って、彼らの損得のために陰謀に巻き込まれた人々が傷ついた。討幕派の嘘くささが嫌いです。天璋院と篤姫に討幕派が戻ってきなさいというと、二人は「幕府と縁を結ぶために嫁がされたのだから江戸を守る」と。筋が通っているのは女たちだった。
『大奥』で、家定が篤姫に、自分で作ったカステラをかなり強引に勧めるシーンがありましたが、
『篤姫』26話にも、家定が篤姫に自分で作った"ポルトガルより伝わりし菓子"を"もっと!もっとじゃ!"と勧めるシーンがあります。
オマージュだと思い1人盛り上がったのですが、気づいた方いらっしゃいますか?きりゅうさんはどう思われますか?
それから、家定の自分でお菓子を作るのが趣味というのは史実なのでしょうか?
ドラマで和宮様の替え玉を斉藤由貴さんがやって幼なじみを的場浩司さんがやったのを思い出しました。
和宮さんは江戸開城後に一度、京にお帰りになったそうですが(1870_1874年・京滞在)また江戸(東京)に戻ったそうですね。1877年に薨去なったそうですが、通算の江戸滞在期間の約12年間~食事他生活をずっと京の御所風で通したのかな?と思ったら、夫の家茂さんと同様に甘いものが好物で脚気衝心による原因との話を見つけてビックリしました!いわゆる【江戸わずらい】ですよね・・・ビタミンB1不足の原因は京も同じだけど、家康さんの粗食(だが栄養バランスは勝っている?)の良き伝統は失われちゃったんだなぁ・・・麦飯か胚芽米を食べれば良かった!
替え玉の話で行くと、実は明治天皇が替え玉なんじゃないかという話がありまして・・・
あ、これ以上は怖くて言えません🤐
フルベッキ
ラットさんがちらっと言った「エスカレーターは京都と東京いっしょか」ってところ、よくご存知で!と思いまして。
京都も大阪と同じく、最初は左を空けてたのですが、関東からの観光客が多いのでそちらに合わせ、右側を開けるようにしたという経緯があります。ので、京都と大阪を往復する京阪や阪急の駅では、左右両方に立ち止まる人がいて、先に立ち止まったもん勝ちになるか、両方塞がるという光景が見られます。
ちなみに、エスカレーターは歩くことを想定して作らなれてないので、左右どちらも立ち止まってご利用ください・・という落ちに、数年前になりましたね
なんで天璋院帰りたくなかったの??
岩倉具視といえば、加山雄三さんは岩倉具視の玄孫ですね。
なんだかんだいって幕末は約150年前、今もご存命の明治生まれ、大正生まれの方のおじいさんおばあさんは江戸時代の生まれだった可能性もあり、そんなに遠い昔ではないんですよね。
“先祖”というにはあまりにも誓い時代なので、大河で幕末を画くのは難しいと聞いたことがあります。
例え戦国時代であっても先祖を悪役として描かれたら、末裔の方は面白くないだろうけど、それでも400年以上経っている。
でも幕末の場合、地続き感が濃いのでご子孫の感情が生々しいだろうと予想されるからだとか。
輿を担ぐのは八瀬童子(やせのどうじ)ですね。牛車といえば木曽義仲が、牛車の乗り方を知らずに車の中で転げまわったり、降り方も逆だったので京童に失笑されたりとサンザンな目に会ったようで、牛車はともかく、今でも地方出身者は何かとターゲットになるようですヾ(⌒▽⌒ )ノ彡☆ばんばん!
勝海舟の話がちょろっと出てきたのでそれに因んで、勝海舟の父「勝小吉」の話をリクエストします。
昔、「親子鷹」NHKでは「小吉の妻」と言う時代劇があったので勝海舟の父、勝小吉はなかなかユニークな人物だったようでとても興味があります。勝海舟は勝子吉あっての勝海舟だと思っています。是非とも「勝子吉」の話を教えて下さい。お願いします。
th-cam.com/video/XiyF6gNd8Ns/w-d-xo.html
和宮は有栖川宮と婚約してたのでは?。
ラットちゃん、髪又少し短く成りましたか❓セットかな❓似合います💖ショートヘアーは手間がかかるので中々挑戦出来ません😅
エスカレーターは左右均等に乗るように設計されているので、左右どちらかを開けて乗ってしまう事が続くと故障の原因に成り、危険なので、左右開けずに乗って欲しいそうです❗
急いでいる人は早く家を出て下さい( *´艸`)(笑)
ε=┌(;・∀・)┘💖💖💖
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増上寺の徳川家のお墓の発掘調査で、和宮の御遺骨を調査した結果、左手首の先がどうしても見つからなかったという結果が出ています。
と、いうことは❓
有吉佐和子著『和宮様御留』ちょっとポチってきます🤔
当たり前。ハチヤマユミの意味。皇族に突きつけて。仁美
コミックのとりかえばやは、原作オリジナルってわけではないんですね!
そして、きりゅうさんのタイムトラベル先のお友達、かっちゃんの登場も嬉しい❤
とはいっても原作の和宮が口にした「“とりかえばや”や」は、「とりかえばや物語」が念頭にあり、姉弟を取り替えるという意味だと思います。
一方、実際の和宮の替え玉疑惑は女性同士での入れ替えだから、微妙に違いますけどね。
それでも、いろんな説をうまく取り入れてオリジナルストーリーを組みていることはスゴいと思います。
@@user-さわ ホントですよね〜!
和宮様御留·····。
だいぶ前に斉藤由貴さんでのSPドラマで見た記憶が💦
身代わり説·····確か道中の滞在した地に和宮様のものと伝わるお墓もあるとかって話もチラッと聞きました。
質問です。和宮替え玉説の中には偽物が裸で寝てたというものがありますが、当時の人は裸で寝てたんですか?
替え玉設定有吉佐和子さんの小説だけの話ではないのですか?よく怪しい 話を出してくる話がありますが何を根拠と私は思うのですが
「天璋院が上座で和宮が下座」で和宮様が悔し涙を流した、というのが事実ならば、有吉佐和子さんの替え玉説は否定的ですね。
ただしもう少し前たとえば12代将軍家慶の時代などでは、「前将軍の正室」が「皇女だが嫁いできた嫁」よりも上座という作法が当たり前だった可能性もあるのでは?と思いました。
というのは、江戸時代の将軍宣下式では、江戸まで下ってきた勅使が将軍宣下を行なう時「将軍が上座」で「勅使が下座」だったとのことでして、14代家茂の将軍宣下式で初めて「勅使が上座」、「将軍が下座」になったという経緯があり、幕府の権威が高かったか低かったかに左右されていたような気がするのです。
私は宮中が将軍より身分を高くして送ったのにムカつきます。
あと大奥に入るのに時間がかかったのは日を選んだのもあるのではないでしょうか?