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張遼は、義に厚いなど人間性に優れている反面、同僚武将に対して仲の良し悪しがハッキリしていたようなので関羽同様に気難しい一面もあったのかもしれませんね。楽進や李典からみると、張遼は外様武将でありながら上司だったので複雑な関係だった。一方で、同じ降将の立場である徐晃などと親しかったのでしょう。
軍神って呼称この人にも贈呈されていいレベル。
遼来来!
何しろ、気難しい関羽とも親交がある人ですからね。ただ、楽進や李典みたいな例外はあるにしても、君主、同僚、部下から信頼され慕われていた張遼と違い、関羽はあちこちで人間関係でトラブルを起こしてしまうのだが・・(部下や民衆には優しかったから、下の人間からは支持されやすかったのだけど)。張遼のこういう奥ゆかしさが関羽にあれば、あの悲劇は起きなかっただろうに・・。
唐の時代中華史の名将を選んだ「武廟六十四将」にも選ばれた名将(三国志からは張遼・鄧艾・関羽・張飛・周瑜・呂蒙・陸遜・陸抗)正史が凄すぎて逆に演義で活躍を抑えられた人。
同じ様に君主を裏切った訳じゃないのに「裏切り者」扱いされる賈詡・・・
武勇を磨きたくて最初から呂布のそばに居たんじゃないかなぁと思うと主君は呂布→曹操。今までのイメージ通りだった張遼、好き!
張遼と言えば合肥の戦い。普通三国志演義は着色して書かれるが、張遼だけは正史の活躍が凄すぎて抑えられて書かれていた。李典と楽進とは折り合いが悪かったが、「国家の大事に私情を挟まず」戦った2人も又良い対応でした。関羽は樊城の戦いの時に2人の武将に裏切られて敗死したのが張遼との違いと考えております。
曹操と敵対していたわけですから、降将として周囲から差別され、文句も言わず汚い仕事もし、人知れず苦労したと思います。白狼山の戦いや合肥の戦いなど、命懸けで戦いました。死んでないのが不思議です。実力があったから、先輩からの妬みもあったでしょう。でも、合肥の戦いでは人の好き嫌いを仕事に持ち込まず、一丸となって勝利しました。そんな彼が周囲から認められて、本当に良かったです。
うん、すごい
ある意味、関羽より安心して任せられる。
取材すればするほど完璧超人の張遼だからアンチ魏の演技筆者も悪く描けなかったのかな
どこかで聞いたことある話だなぁ〜と思ったら、伊達政宗も同じような話があるのを思い出しました。
張遼は武力、知力、人格etc……三國志の武将でも総合力で一二を争う人物なんじゃないでしょうか(´・ω・`)?
上下両方から信頼信用されて、慕われる武将ですなぁ。裏表の無い人物程、失敗しても、咎められません。銀英伝のビッテンフェルトみたいな武将です!
張遼の存在を銀英伝で喩えるならば、ミッターマイヤーをおいて他にいないと私は思います。最前線に出て体を張り、李典の様な理屈っぽい奴を嫌う(ミッターマイヤーも、陰険なオーベルシュタインの事はボロクソに言っている)現場主義の武人。上官や同僚から頼りにされ、部下からも慕われる将軍。寡黙で仕事人気質な楽進とはあまり絡みがなかったから、仲が悪かったと誤解されているのでしょう。張遼・楽進も郭嘉との絡みはあり、将軍としての戦い方を心得ていました。だから、共闘出来たのです。曹操にとって郭嘉は、ラインハルトにとってのキルヒアイス同然で、郭嘉没後、張遼・楽進は曹操軍の中核として、キルヒアイス亡き後のミッターマイヤー・ロイエンタール同然に機能しています。曹操には咎められましたが、敵将昌豨の家族に礼を尽くした事もポイント。義将と評されるに相応しい振る舞いをしています。張遼は将兵を見捨てる事なく、現場で魏軍随一の精鋭に鍛え上げ、その将兵は曹丕の親衛隊へと優先的に取り立てられているのです。張遼の最期は、郭嘉同様に病をおして曹休の副将で参戦しての事でした。
会いたい人殆どいないけど、張遼には会ってみたかった
大人も子供もまとめて泣かせる!ところで!来来は怖い!偉い人に頭を下げられたらそれは色々許しちゃう。
自分の非を認めて相手に謝罪する。なかなか出来ないことです。張遼は武勇だけでなく、知性と教養も備えた人物だと思います。しかし、現代の組織において、彼程の人物を使いこなせるかどうかは些か以上に疑問です。曹操という時代を超えた傑物だからこそ、張遼も輝けたと思います。
山田ぁぁぁぁぁぁあああ!!!!
張遼は人の鏡ですよ関羽よりも張遼が人できてます
これだけ人間的にも出来た人だったんなら何故楽進や李典とはとことん仲が悪かったのか気になっちゃいますね
楽進が張遼と仲が悪かった理由は不明ですが、李典は呂布軍との戦いで自分の親族を失っています。呂布軍の将だった張遼のことをよく思わないのは仕方ないでしょう。でも合肥の戦いでは私情を捨てて協力しあったのだから、張遼もすごいけど李典も楽進もすごいですよね。
@@真砂葵 なるほど李典とはそういう因縁あったんですね、感謝です
楽進や張遼は単純に功を争うライバル関係だったのかと、魏にはそんな功を争う武将たちをとりもつ趙儼(だったかな?)というような人物もいますからね。
旗揚げ当初から主君を支えてきたのにポッと出、しかも大勢味方を殺された元敵が自分達と同等の扱いを受けている確かに戦果は凄いから最低限の大人の対応はするけれど...器の大小関係なく、そんな奴嫌いになるよね
合肥の戦いで、まさしく「無双」できた理由がわかる内容でした(*´∀`)♪張遼自身が強いのに、輪をかけて部下たちが訓練や強制ではない忠誠心を持っているなら、一軍全てが近衛兵団みたいな強さになりますよね。そりゃ遼来遼来になりますわ✨きっと蜀の武将だったら、某コーエー(笑)のゲームで、関羽、張飛と並んで武力99だったんだろうなぁ。いや、リアル無双が有るから、張遼の武力が99で、関羽と張飛が98になっていたかも(笑)ちなみに、コーエーの「三国志孔明伝(だったかしら?」では、終盤に蜀の武将になってくれました。張遼、何となくカッコいい武将だとは思っていましたが、さらに好きになりました✨
@@Fahrenheit76 さん。返信ありがとうございます。そこら辺はわかっているので大丈夫です(^^)司馬遼太郎の歴史観、いわゆる司馬史観に目くじら立てる人が理解出来ない程に、フィクションと現実はわりきってますからね♪馬超や趙雲がイケメンのチート武勇な猛将と言うのは何も光栄と言うか歴史ゲームの罪でけはなく、そのゲーム制作の基盤の一つである三国志演義にも由縁がありますし、また、歴史を解説した本であっても、書き手によって、その切り口によって正反対の論調にもなりますし(^^)もちろん貴方の警告は警告として受け止めますが、言ってみればその警告を受容しながらも、今回の一例である光栄のゲームはゲームで「そういう見方もあるんだな」と受容できれば、歴史への多角的解釈が広がるのではないでしょうか?(*´ω`*)我々現代に生きるものが、その人生の職場なり学校なりで、ある人に対する評価が自分と他人では真逆だったりするのですから、過去の事は尚、一つの見方だけで進めて行くのは残念でもったいないと、わたしは思います(*´∀`)
@@Fahrenheit76 さん。ありがとうございます(^^)わたしも歴史が好きになった時、入り口として光栄のゲームにはまりました✨あれは、ひとまず人物の名前を覚えるのにとても役に立ちますよね(*´ω`*)あと、脳内空想ドラマもバンバン作ってのめり込んでました(笑)
謙虚さ…悲しいかな今の世の中に欠けてるものですな
主についていって積極的に裏切らなかったとはいえ、こんだけ主君変えてりゃ周囲からどういう風に見られるか気を使うだろうし、(2度ある事は3度あるし4度目も…?) 呂布軍在籍時には曹操の本拠地を激しくドンパチしてる訳で身内に犠牲者がいて恨まれても文句は言えないだろう。(李典楽進当たりの不仲はそれが原因?) 特に関羽投降後は贈り物を貰ったり好待遇でも空気を読まず、兄者ラブな関羽を目の当たりにして同じ新参の投降者として学んだり思う事があったんだろうと思う。(味方から関羽の( ´д)ヒソ(´д`)ヒソ(д` )話は少なからず耳にしただろう)
📝目次📝-------------------------------------------------目次 00:00張遼には裏切り者のイメージ、ありません 00:32知略も巡らし、心を打つ張遼 01:20自らを省みる張遼 02:02主君にとても気に入られていた張遼 02:47味方多く、敵は少なく 03:36あり難きもの 04:10退場に華を添えて 04:58三国志ライター センのひとりごと 05:43💬皆さまのコメントをお待ちしています----------------------------------------------あなたは張遼の凄さについてどう思いますか?参考になった皆様の考察・歴史感をコメント欄に固定化させていただきます。※あなたの考察やご意見をコメント欄までお待ちしています。
張遼は、義に厚いなど人間性に優れている反面、同僚武将に対して仲の良し悪しがハッキリしていたようなので関羽同様に気難しい一面もあったのかもしれませんね。楽進や李典からみると、張遼は外様武将でありながら上司だったので複雑な関係だった。一方で、同じ降将の立場である徐晃などと親しかったのでしょう。
軍神って呼称この人にも贈呈されていいレベル。
遼来来!
何しろ、気難しい関羽とも親交がある人ですからね。ただ、楽進や李典みたいな例外はあるにしても、君主、同僚、部下から信頼され慕われていた張遼と違い、関羽はあちこちで人間関係でトラブルを起こしてしまうのだが・・(部下や民衆には優しかったから、下の人間からは支持されやすかったのだけど)。張遼のこういう奥ゆかしさが関羽にあれば、あの悲劇は起きなかっただろうに・・。
唐の時代中華史の名将を選んだ
「武廟六十四将」にも選ばれた名将
(三国志からは張遼・鄧艾・関羽
・張飛・周瑜・呂蒙・陸遜・陸抗)
正史が凄すぎて逆に演義で活躍を抑えられた人。
同じ様に君主を裏切った訳じゃないのに「裏切り者」扱いされる賈詡・・・
武勇を磨きたくて最初から呂布のそばに居たんじゃないかなぁ
と思うと主君は呂布→曹操。
今までのイメージ通りだった張遼、好き!
張遼と言えば合肥の戦い。
普通三国志演義は着色して書かれるが、張遼だけは正史の活躍が凄すぎて抑えられて書かれていた。
李典と楽進とは折り合いが悪かったが、「国家の大事に私情を挟まず」戦った2人も又良い対応でした。
関羽は樊城の戦いの時に2人の武将に裏切られて敗死したのが張遼との違いと考えております。
曹操と敵対していたわけですから、降将として周囲から差別され、文句も言わず汚い仕事もし、人知れず苦労したと思います。白狼山の戦いや合肥の戦いなど、命懸けで戦いました。死んでないのが不思議です。実力があったから、先輩からの妬みもあったでしょう。でも、合肥の戦いでは人の好き嫌いを仕事に持ち込まず、一丸となって勝利しました。そんな彼が周囲から認められて、本当に良かったです。
うん、すごい
ある意味、関羽より安心して任せられる。
取材すればするほど
完璧超人の張遼だから
アンチ魏の演技筆者も悪く描けなかったのかな
どこかで聞いたことある話だなぁ〜
と思ったら、伊達政宗も同じような話があるのを
思い出しました。
張遼は武力、知力、人格etc……三國志の武将でも総合力で一二を争う人物なんじゃないでしょうか(´・ω・`)?
上下両方から信頼信用されて、慕われる武将ですなぁ。裏表の無い人物程、失敗しても、咎められません。銀英伝のビッテンフェルトみたいな武将です!
張遼の存在を銀英伝で喩えるならば、ミッターマイヤーをおいて他にいないと私は思います。
最前線に出て体を張り、李典の様な理屈っぽい奴を嫌う(ミッターマイヤーも、陰険なオーベルシュタインの事はボロクソに言っている)現場主義の武人。上官や同僚から頼りにされ、部下からも慕われる将軍。
寡黙で仕事人気質な楽進とはあまり絡みがなかったから、仲が悪かったと誤解されているのでしょう。張遼・楽進も郭嘉との絡みはあり、将軍としての戦い方を心得ていました。だから、共闘出来たのです。曹操にとって郭嘉は、ラインハルトにとってのキルヒアイス同然で、郭嘉没後、張遼・楽進は曹操軍の中核として、キルヒアイス亡き後のミッターマイヤー・ロイエンタール同然に機能しています。
曹操には咎められましたが、敵将昌豨の家族に礼を尽くした事もポイント。義将と評されるに相応しい振る舞いをしています。
張遼は将兵を見捨てる事なく、現場で魏軍随一の精鋭に鍛え上げ、その将兵は曹丕の親衛隊へと優先的に取り立てられているのです。張遼の最期は、郭嘉同様に病をおして曹休の副将で参戦しての事でした。
会いたい人殆どいないけど、張遼には会ってみたかった
大人も子供もまとめて泣かせる!
ところで!
来来は怖い!
偉い人に頭を下げられたら
それは色々許しちゃう。
自分の非を認めて相手に謝罪する。なかなか出来ないことです。
張遼は武勇だけでなく、知性と教養も備えた人物だと思います。
しかし、現代の組織において、彼程の人物を使いこなせるかどうかは些か以上に疑問です。
曹操という時代を超えた傑物だからこそ、張遼も輝けたと思います。
山田ぁぁぁぁぁぁあああ!!!!
張遼は人の鏡ですよ関羽よりも張遼が人できてます
これだけ人間的にも出来た人だったんなら何故楽進や李典とは
とことん仲が悪かったのか気になっちゃいますね
楽進が張遼と仲が悪かった理由は不明ですが、李典は呂布軍との戦いで自分の親族を失っています。呂布軍の将だった張遼のことをよく思わないのは仕方ないでしょう。
でも合肥の戦いでは私情を捨てて協力しあったのだから、張遼もすごいけど李典も楽進もすごいですよね。
@@真砂葵 なるほど李典とはそういう因縁あったんですね、感謝です
楽進や張遼は単純に功を争うライバル関係だったのかと、
魏にはそんな功を争う武将たちをとりもつ趙儼(だったかな?)というような人物もいますからね。
旗揚げ当初から主君を支えてきたのに
ポッと出、しかも大勢味方を殺された元敵が自分達と同等の扱いを受けている
確かに戦果は凄いから最低限の大人の対応はするけれど...
器の大小関係なく、そんな奴嫌いになるよね
合肥の戦いで、まさしく「無双」できた理由がわかる内容でした(*´∀`)♪
張遼自身が強いのに、輪をかけて部下たちが訓練や強制ではない忠誠心を持っているなら、一軍全てが近衛兵団みたいな強さになりますよね。
そりゃ遼来遼来になりますわ✨
きっと蜀の武将だったら、某コーエー(笑)のゲームで、関羽、張飛と並んで武力99だったんだろうなぁ。
いや、リアル無双が有るから、張遼の武力が99で、関羽と張飛が98になっていたかも(笑)
ちなみに、コーエーの「三国志孔明伝(だったかしら?」では、終盤に蜀の武将になってくれました。
張遼、何となくカッコいい武将だとは思っていましたが、さらに好きになりました✨
@@Fahrenheit76 さん。返信ありがとうございます。そこら辺はわかっているので大丈夫です(^^)
司馬遼太郎の歴史観、いわゆる司馬史観に目くじら立てる人が理解出来ない程に、フィクションと現実はわりきってますからね♪
馬超や趙雲がイケメンのチート武勇な猛将と言うのは何も光栄と言うか歴史ゲームの罪でけはなく、そのゲーム制作の基盤の一つである三国志演義にも由縁がありますし、また、歴史を解説した本であっても、書き手によって、その切り口によって正反対の論調にもなりますし(^^)
もちろん貴方の警告は警告として受け止めますが、言ってみればその警告を受容しながらも、今回の一例である光栄のゲームはゲームで「そういう見方もあるんだな」と受容できれば、歴史への多角的解釈が広がるのではないでしょうか?(*´ω`*)
我々現代に生きるものが、その人生の職場なり学校なりで、ある人に対する評価が自分と他人では真逆だったりするのですから、過去の事は尚、一つの見方だけで進めて行くのは残念でもったいないと、わたしは思います(*´∀`)
@@Fahrenheit76 さん。
ありがとうございます(^^)
わたしも歴史が好きになった時、入り口として光栄のゲームにはまりました✨あれは、ひとまず人物の名前を覚えるのにとても役に立ちますよね(*´ω`*)あと、脳内空想ドラマもバンバン作ってのめり込んでました(笑)
謙虚さ…
悲しいかな今の世の中に欠けてるものですな
主についていって積極的に裏切らなかったとはいえ、こんだけ主君変えてりゃ周囲からどういう風に見られるか気を使うだろうし、(2度ある事は3度あるし4度目も…?) 呂布軍在籍時には曹操の本拠地を激しくドンパチしてる訳で身内に犠牲者がいて恨まれても文句は言えないだろう。(李典楽進当たりの不仲はそれが原因?) 特に関羽投降後は贈り物を貰ったり好待遇でも空気を読まず、兄者ラブな関羽を目の当たりにして同じ新参の投降者として学んだり思う事があったんだろうと思う。(味方から関羽の( ´д)ヒソ(´д`)ヒソ(д` )話は少なからず耳にしただろう)
📝目次📝
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目次 00:00
張遼には裏切り者のイメージ、ありません 00:32
知略も巡らし、心を打つ張遼 01:20
自らを省みる張遼 02:02
主君にとても気に入られていた張遼 02:47
味方多く、敵は少なく 03:36
あり難きもの 04:10
退場に華を添えて 04:58
三国志ライター センのひとりごと 05:43
💬皆さまのコメントをお待ちしています
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あなたは張遼の凄さについてどう思いますか?
参考になった皆様の考察・歴史感をコメント欄に固定化させていただきます。
※あなたの考察やご意見をコメント欄までお待ちしています。