【特集】政界引退を表明した義家弘介氏の”リアル”とは(河野啓)
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- เผยแพร่เมื่อ 8 ม.ค. 2025
- ゲスト:元北海道放送でテレビディレクターの河野啓
(2025年1月8日(水)OA)
発信型ニュース・プロジェクト「荻上チキ・Session」
★月~金曜日 18:00~21:00 TBSラジオで生放送
パーソナリティ:荻上チキ、南部広美
番組HP:荻上チキ・Session (www.tbsradio.j...)
番組メールアドレス:ss954@tbs.co.jp (mailto:ss954@tbs.co.jp)
番組Xアカウント:@Session_1530 (x.com/Session_...) ハッシュタグは #ss954 (x.com/search?q...)
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自民党から出馬する経緯を聞きたかったです。
先生からセンセイに鞍替えしたが所詮ヤンキーはヤンキーでしかなかった。
裏金もらってた義家、ほんとのヤンキーだった。
自民党もタレントを議員にしたりと票のことしか考えてないからね。社会の先生ならもう少し政治のことを勉強すべきだった、と思う。自民党議員になったこと、驚きでしかなかった。
勘違いして権力を手に入れたかった無能議員
前半部分を聞いたが、義家は要するに社会に甘えていたと言わざるをえない。聞くに値しないと思った。
「猿が人間に成るについての労働の役割」です。私も学生時代に読んでいます。記者さんは知ってたのかな?
義家氏は「三つ子の魂100までも」の好例です。
「猿が人間に成るについての労働の役割」岩波文庫はエンゲルスの著作ですね。懐かしいです。いまは絶版なのかもしれませんね。
もてはやされて、天狗になって、単純に金に転んだって話でしょ。議員になれば金も名誉も!ってそこに昇ったつもりが沼に沈んでいったんだろうね。せめて議員報酬を他国並みに下げれば、こんな風に残念な感じで、夢や希望や目標を失うこともなく、コツコツと理想に向かうこともできたのかもって思うと、なんだか哀れにさえ感じる。
ドキュメンタリー作家にしてはあまりにも視点にフェアさに欠けるのでは…教師の職を蔑ろにして講演漬けになり議員になるまでの流れは義家本人の問題が多分にある
ドラマのヤンキー先生、ほぼ全話見てた。
竹野内豊の演技、よかったなあ。
市原隼人や神田沙也加も出てたね……。
伊藤整 『雪明かりの道』
余市の濱のかがり火は おそろしい業火のやうであった
政治屋
義家氏本人のことは措いて、
この記者が教育を語る時の主観的ヒロイズム視点が、とても気になりました。
一度挫折した子どもが回復して成長する中で、本人の内部で主観的なストーリーが果たす役割は大きいとは思いますが、それはあくまで個人の自尊心の支え方に過ぎません。
他方「教師たちは本気だった、義家は純粋だった」という、主観的純粋さは、
客観的に、学園でも再度中退せざるを得ない子ども達が一定いた事、学校の象徴扱いされた義家氏の思想的基盤が、実は入れ替え可能なほど、脆弱だったことの理解の助けにはなっていません。
むしろ、記者の様な、「内心の純粋さで個人の善良さが証明されるだけでなく社会的価値も評価され正当化される」というヒロイズム視線こそが、
思想的脆弱性の根にあるのではないでしょうか。
記者のヒロイズムと義家氏のヒロイズムに、とても似たものを感じます。
1人の前途ある若くて未熟な青年教師を、メディアのヒロイズムがスポイルしたにもかかわらず、その張本人である記者は、「あいつは途中で変わった、あの頃まではキラキラしていたんだ!」と、繰り返しているように感じました。
右派思想は帝国軍人の内面の覚悟や純粋な忠義によって侵略自体を正当化してしまうように、内面的純粋さを何よりも重視する側面があります。
未熟で純粋な義家氏が自分の一番の評価ポイントに、一番高値をつけてくれる自民党になびき、その後はその支持者の求める虚像へと、自らを適応させて行ったことは、
自分を支えていたコミュニティからはぐれ、弱くなった人間の適応として、とても自然なことです。
逆説的に、なぜ義家氏が迷子になってしまったのか、一端が伺えた番組でした。
ヤンキーか優等生か初期設定の違いはありますが、なんとなく、アドルフカウフマンの話を聞かされた気分です。
何かわるぐちばかり、