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「その日の天使」に関連する話として、拝聴した放送局は失念したけれど、らもさんへのインタビュー実話として。 幾つもの締切が明日に迫り「もうどうにもならない、死のう…」と本気で考えていた時、たまたま移動販売車の「焼き芋おおお~、焼き芋おおお~」が聞こえて、「なにが焼き芋じゃっ!こっちは生きるか死ぬかじゃっ!」と腹が立って死ぬのを止めたそうです(笑) その時に、らもさんを生かしてくれた焼き芋屋さんありがとう。 そして、らもさんありがとう。
らもさんってほんまに退廃的で哀しい雰囲気やのに、書く言葉言う言葉ひとつひとつが温かくて優しいねんな😢 何回も助けられました。
優しさだけではなく、哀切的な感じがまた人を惹きつけるのでしょうね
明るい事と笑える様な面白い事を考える事とは基本的には違うと本人は仰っていた。いくら気持ちが落ち込んでいようが笑える様な話は書けたらしい。太宰治、尾崎放哉、らもさん…何故かそんな人達のファンである
俺もです。中島らも様の言葉は俺にとっては金言です。
20:57 ありがとー
@@afterschool123 NHKあの人に会いたいの動画で見ましたよ!
断酒8年目です。連続飲酒の時、今夜全てのバーで を読みながら飲んでましたアルコール依存症で入院、その時何より医者に驚かれ、助かったのは病識が私にあったことです。小説読みながら黄疸チェックしてました。ガダラの豚で再飲酒シーンもありましたが自分がどうなってるのか分かっていて内科狙ってましたが肝臓がめちゃくちゃ強く、先に脳萎縮しました…が、らもさんは命の恩人です!小説持ってない本多分無いです奥さんの本や娘さんの本、娘さんのは一冊ありますがやはり血筋を感じます(笑)らもさんが亡くなったときは不思議と、らしいな…で終わりましたが、本当に一度会いたかった。今の世の中見て苦虫噛んでいるのかな?いまだに大好きです。らもさんご紹介ありがとうございました。
私が精神的に病んでた時、、、中島らもとナンシー関を図書館で借りて、気が狂ったみたいに読み、毎日をやり過ごしてた日々を懐かしく思います。。。お二人共「な行」で、な行に近づくと私の顔👩が徐々に緩んでくるのが自分で分かる位でした。。。当時変なお二人の作家に出会えて救われてました。。。おっしゃる通り優しい人でした。。。感謝🙏
わかります。まさに、らもさん自身が、その日の天使、として現れたことが私も何度かあります。
らもさんと忌野清志郎さんが亡くなった時は、本当に寂しくて泣いた。有名人が死んで涙を流すなんて思わなかった。今でも二人を思うとこみ上げる時があります。
お二人とも愛の人だったので、失うと、頼るべきものがなくなったようで、喪失感が大きいですよね。
権力に抗う姿勢と、弱い者に対する優しい眼差しを一貫して持ち続けた二人だったと思います。本当に愛とユーモアの人でした。こんな動画を見るとまた思い出してしまいます。
良い趣味してるなあ。君も善い人間なんだろうね。
だんだん差し障りのない言葉が充満していき冷たく、つまらん世の中になっていく。あっちの方が楽しそう。
1年前のコメントへの返信で恐縮ですが清志郎さんとらもさんは僕が大好きなお二人で僕と趣向が類似していて"やはり根っこはつながっているんだろうな"と感じました。お二人とも目の奥が純粋で優しいですよね。このお二人の死を哀傷するコメ主様も純粋で優しいお人柄なのだろうなと察します
らもさんがおらんかったら生きてなかった感謝しかないです。
新聞での明るいお悩み相談室…あんな面白い回答してくれる人はもういないでしょうね。私はらもさんの、運が悪くても死ぬだけだ]の名言が大好きです。
運が悪くても死ぬだけだ。らもさんらしい、やさしくてユーモラスな名言ですね。
宝島に掲載されていた「啓蒙かまぼこ新聞」を楽しみにしてたなぁ。ラジオの月光通信なんか最高に面白かった!当時、僕にとっては中島らもと戸川純がヒーローとヒロインでした
頭が人より大きいから、通常より脳が大きいんじゃないかと思って医者にレントゲンをとってもらった。その写真を見た医者から「君は人より頭蓋骨が厚い」と言われてずっこけたという面白い逸話がありますね。
らもさんは優しい、都合の良い優しさではなく、人間の根幹が優しい、らもさんの小説は素晴らしい、全巻揃えてます。らもさん、そちらの世界は楽しいですか?お酒飲んで、ブルースしてるかな?
明るい悩み相談室以来のファンどす。自由で優しくて愛おしい変人
アップありがとうございます中島らもさん、大好きですラリってても、言葉が優しく、分かりやすくて、洒落てて、敬語も使いこなせてて、地頭良いのが滲み出してましたよね
ありがとうございます。そうですね、めちゃめちゃなようでいて、知性や品のようなものが感じられるのも魅力だと思います。
中島らもさん、好きです。奥様のミーさんも、相当の文章家ですね。娘さんの中島さなえさんも、面白いコラムを書いていました。らもさんの文豪っぷりが、家族に伝染したのかな?
娘さんのコラムも面白いですよね。らもさんの血を感じて、うれしくなります。
灘に行って一番良かった事は「本物の天才に会えたこと」って言ってましたね「授業は理解しつつスワヒリ語とか勉強してるんですよ」
自身もその一人なのにさもたまたま紛れ込んだ、みたいな表現が素敵ですね。
20年前に活字の魅力を教えてくれた作家です。
思春期に家族との軋轢に苦しんでいた時「その日の天使」を読んで救われた。あの話が自分にとって天使そのものだった。よって中島らもは天使である。酔いどれで不器用でやさしい堕天使。彼が階段から落ちて、結果的に亡くなったと報道で知ったとき大爆笑した。なんて彼らしい最期だろう、最後の最後まで洒落のめした人だと思ったから。ひとしきり爆笑したあと号泣した。年老いて身の回りの整理をするときになってもらもさんの本だけは手元に残そうと思ってる。
僕の人生を変えてくれた人です。この人の本に出会わなければ僕の人生は18歳で終わっていたような気がする。この人の本を読めと僕に勧めてくれた家庭教師の先生にも感謝します。
NHKのあの人に会いたいに放送されましたね。作家、中島らもさんは小説、演劇、新作落語、人生相談のコラムまで幅広いジャンルで多彩ぶりを発揮して大きな著作では正統ではなく異端を、王道ではなく邪道をというモットーでしたね。また自らの旗揚げした劇団では役者としても活躍しましたね。中島らもは幼少期は偉人伝を読んでいて山田風太郎で目覚めた。灘中学時代は地元で神童で灘高のときドロップアウトされたが大阪芸術大学に入学して卒業後印刷屋の営業マンを経てコピーライターへの道へ行きまた30歳の時の広告を掲載されました。中でも明るい悩み相談室は10年続きましたね。しかし一方でらもさんは薬やアルコールの影響で仕事の執筆依頼やテレビ、ラジオのレギュラーを抱える中の仕事のストレスが溜まってしましたね。49歳の時は精神安定剤の副作用で字が書けなくなった。らもさんは転落事故で亡くなった。52歳の若さだった。息子さんの晶穂さんも凄いし娘のさなえさんも小説家でエッセイストですね。中島らも没後15周年では娘のさなえさんはSaxを拭いてましたよね。
その日の天使も、ゴミクズみたいな~も、僕にとってもほんとうに大切な言葉です。こうして改めて紹介していただけてなんだかうれしい気持ちになりました、ありがとうございます!
ありがとうございます。そう言っていただけると嬉しいです
配信者さんの感受性溢れる語り口が良い。
ありがとうございます!励みになります
中島らもの至言は「もうダメやないと思った時に、ヘタレかけた時に表の焼き芋屋が通った。「焼き芋〜♪焼き芋〜♪」それがおかしくてね。何が焼き芋や?と笑っちゃって。一日一日必ず一人天使がいる。気づかないだけ。」(NHKアーカイブスあの人に会いたいより)
中島らもは大好きで本全部持ってたけど引っ越しのタイミングでほとんど手放しました 晩年アルコールで体を壊したり無茶苦茶な生活をしていました それがもったいなく残念で辛かったですね
私的には三島と太宰と同等羨望の人です。
あの方のエッセイが大好きだったな。独身の頃、寝る前に爆笑して日々の嫌な事が吹き飛んだ。もっと長生きして欲しかったな😢。
彼が存在してたら、みうらじゅんも霞んでしまうだろうな。
らもさんが存命なら今のSNSに毒された世の中に一石投じる存在だったでしょうね。そしてくだらない人たちにぶっ叩かれてもいたでしょう。そんな晩年を見ずに済んでいるけど生きていてほしかったな。自虐的だしトゲのあるような物言いが目立ちますが文章から滲み出る優しさと分け隔てない愛には勇気づけられました。僕は30歳で、らもさんを知ったのは亡くなってからですが一番好きな作家さんです。生きていたら講演会なり飲み屋でバッタリなり、本当に会ってみたかった。
昭和の太宰治 退廃的な奇才で暖かみもある
らもさんの言葉を噛み砕いて説明しようとするとその言葉に宿る大事な何かが逃げていってしまう感じがするので紹介するだけにして欲しい。らもさんの言葉を借りるなら、それは野暮ってもんですよ。
例えば…『こうして生きてみるとわかるのだが、めったにはない、何十年に一回くらいしかないかもしれないが、「生きていてよかった」と思う夜がある。一度でもそういうことがあれば、その思いだけがあれば、あとはゴミクズみたいな日々であっても生きていける。』と言う言葉の中で「その思いだけがあれば」という言葉を動画内で「思い出」と言い換えているけど、思い出としてしまうとエピソード的なニュアンスになってしまって、たまに良いことがあればいくらか悪いことがあっても生きて行けるみたいな軽い感じになってしまう。らもさんは自身が生きていることを肯定的に捉えることができたもっと心の中のことを表現してるんだと思う。こういうとまた違う気もする(笑)やはり、そのままの言葉を読む側に委ねるべきなんだと思う。
@@めふぃすと-q1n 「僕が踏んだ町、僕が踏まれた街」だったでしょうか。そのあとがきの中にある、この後アホみたいに面白いおっさん時代が訪れる、みたいな文章のおかげで僕は自分がおっさんになるのを楽しみに生き続けることができました。でもって幸運なことに「そんな夜」を何度か迎えることができています。路地裏の煙漂う闇の中に何とはないぬくもりを感じさせるらもさんの文章は転んだ後にもデヘヘと笑って砂を掴ませてくれる優しさと恥ずかしさと強さと哀しさと可笑しさの、「まあしゃあないな」な感じがあふれていて若い時もおっさんになった今もずっと楽しく読ませていただいてます。
中島らもの本ほとんど持ってたよ。実家にまだあるかな。
らもさん、大好きで本をたくさん持っています。オーケン→らもさん→町田康と読み漁りました。頭の中にあるモヤモヤを言語化してくれるような気がして、読むと気持ちが落ち着きました。取り上げていただきありがとうございます。「ん-」が多いのがちょっと気になりました。( ´艸`)
ありがとうございます!んー、気をつけます😅
人生には悲しい事しか無いのに、小説で悲しい話しを作るのはしょうもないって考え方の作家さんだから。落としてくれたのは優しい言葉達。
爆笑問題さんと、らもさんの動画、感銘を受けるよー
1000円で酔えるお店の「せんべろ」という造語を造ったのもらもさんです☺️
おお、そうなんですね。それは知りませんでした
@@afterschool123 せんべろ探偵が行くって本も出されてます☺️
@@afterschool123 NHKあの人に会いたいで放送されましたよね。
出典は失念しましたが、ある雑誌のコラムで、某市でのロック系軽音コンサート主催を市営会館に断られた学生が自分の伝(つて)の市会議員を通して、開催できるようにしたというエピソードに対し、"ロックするもんが、議員使って圧力かけるって、(本末転倒で)アホかいな。"と記述されてた記憶があります。
その日の天使...はドアーズの詩からですね。ゴミグズみたいな...は大槻ケンヂが影響受けたりしてエッセイにも書いてましたね。私は中島らもの影響で恋愛至上主義を気取った時もありました。文学もロックだと語ってましたが、生き方もロックでしたよ。そして、人間でいる限り悲しい時間は過ごさないようにしてます。
オーケンさんは自分が書くエッセーのため、写経の如くらもさんのエッセーを写書きして練習していたと仰っていた。
@@人見広介-p2b ファンと知ったらもさん、喜んでたよなー。リリパットアーミーの舞台にオーケンが出るかもって時も何の役にさせるか書いてたしね。
@@カセイ-o6w 確か初めの対談がオーケンさんの「人生いろいろ」という対談集だったと思うが、違うかもしれないが…らもさんのファンでもあり、本は何回も何回も読んでエピソードはよく存じてはいたが、実際話を聞いてみると面白かったとオーケンさんが仰っておりました。らもさんの死は漫画版タイガーマスクの伊達直人の死みたいに呆気なかったとも仰っておりました。
@@人見広介-p2b 互いに躁鬱の波から逃れて、何かに選ばれた人達だからね。オーケンは昭和軽薄体の文体とかにも触れて、基礎固めがらもさんだったような。俺も人体模型の夜でショートショートの練習したりしてました笑
人間万事塞翁が馬のバランスは平凡に生きる上で極上のスキルだと思ってます
古本屋とかに行くと必ず探して、有れば持ってても何となく買ってしまう。電子版も持ってるんだけど。もうすぐ没後20年。早いなー
らもさんは僕の心の師です
成人式のゲストにらもが来たよ。
いいんだぜー♪分かる人には分かる
いいよな、あの曲
必然の集積人は、あの時こうすればよかった、ああすれば良かったと後悔するが、その時はそうしか出来なかったのである。だから後悔するのは意味がない。(要約)この言葉は気持ちが少し楽になる。そういや、らもチチの魔界ツアーズというラジオ番組で国語の試験の時、この内容のエッセーが出題されたという投稿があり、この事柄についてらもさんがチチ松村さんとお話されていた記憶もありました。
ダウンタウンより、中島らものほうが格がうえ。並ぶのは上岡龍太郎じゃないかな?
今までにも、これから将来にも、この人ほどの個性的で嫌いになれない、いや、愛さずにはいられない、真面目にふざけたこと言うオッサンはお目にかかれないだろうなぁ~おなじアル中でもこれぐらいドッシリと粋なこと🤣🤣🤣いうなら秋○の宮も国民からう~ん、と感心されるだろうに!!ただ者ではないと😂🎉らもさん、いつもラリってるようで何いってんだかわからないなんてことはなかった!!むしろ、えっ!!こ、こんな答えが…どこの引き出しにあったの?的な…
とらちゃん的日常もあったぞ~
バンドオブザナイトを中学生の時読んだが、よく分からなかった覚えがある
いいですね。思いねんらも
らもさん大好きです
本庄まなみさんが、ダウンタウンと同じぐらいに中島らもを好きなのは、彼女がインテリだからです。知能指数が並み以下の人は、中島らもさんの名前さえ知らないでしょう。
私生活でらもさんくらい面白かったのが団鬼六氏。二人ともデカダンデカダンって言ってた時期が有ったはず。純粋で繊細で酒好き。
らもの本面白いね。
灘中8位合格は完璧にギフテッドになる、しかも相当上のギフテッド。
スーパーでカネテツ見ると作品を読んだこと思い出します。らもさんの年齢超えちまったw
この動画の中に【その日の天使👼】を、見つけました。
渡辺さんは商売で絡んだけど一瞬で嫌いにさせる天才だった、拗らせすぎなんだよなあの爺さん
落語もしてましたよね!
遺作の「ロカ」のストーリーの結末がどうお考えになっていたのか、気になりますね。
関西の戯作者、好きだった
開高健&遠藤周作あたりで文学は滅びた‥ことを十分わかっていたのでエンタメ路線を極めた人物。台詞ギャグを描かせたら‥肩をならべる作家は太田光ぐらいでしょう。
中島らも御仁はお近づきになりたい人…末席に入れて貰ってエッセンスを感じたい人です…こう言う先輩に遊んで貰わないと人生楽しくないよw
ラモーンズが起源かと思ってた。
リップサービスなのか後付けなのかそれもアリかなとラジオで語っていた。
ADHDは基本IQが高い傾向にあるらしいんだけど集中力が無いからIQテストでも低かったりするって何かに書いてあったのできっと低い時はIQテストに集中出来なかったんだろうw
WAISIIIという試験がある知能指数にも読み書き順序の把握、記憶、計算等色々な種類があるのだが、この各配点が高低差が大きく凸凹であるとADHDの可能性があると言われる。
保久良山は、ほくらさんといってました。
酒とタバコとシンナー、あと、女が I.Qを下げるのか....そうか...
自分の知能指数と上手く折り合いつかないから破綻してる人。の印象。
保久良山 「ほくらやま」ではなく、「ほくらさん」では?
依存症で狂気の人でしたね。端から見ると面白いが本人は何かに追われてるようで
お父さんお母さん教師やつったかなあ。わかぎえふさんとかね。
私も、子供の頃からIQがものすごく高かったのですよ!💩自分で言うのもなんですが!💩
私にとっては失楽園の方が読むに値しない駄文の群れに見えますけどね😅不倫を文学かの様に美化して書く必要性を全く感じないので…
やっぱり 尻軽オンナの ブース
アル中
「その日の天使」に関連する話として、拝聴した放送局は失念したけれど、らもさんへのインタビュー実話として。 幾つもの締切が明日に迫り「もうどうにもならない、死のう…」と本気で考えていた時、たまたま移動販売車の「焼き芋おおお~、焼き芋おおお~」が聞こえて、「なにが焼き芋じゃっ!こっちは生きるか死ぬかじゃっ!」と腹が立って死ぬのを止めたそうです(笑) その時に、らもさんを生かしてくれた焼き芋屋さんありがとう。 そして、らもさんありがとう。
らもさんってほんまに退廃的で哀しい雰囲気やのに、書く言葉言う言葉ひとつひとつが温かくて優しいねんな😢 何回も助けられました。
優しさだけではなく、哀切的な感じがまた人を惹きつけるのでしょうね
明るい事と笑える様な面白い事を考える事とは基本的には違うと本人は仰っていた。いくら気持ちが落ち込んでいようが笑える様な話は書けたらしい。
太宰治、尾崎放哉、らもさん…何故かそんな人達のファンである
俺もです。中島らも様の言葉は
俺にとっては金言です。
20:57 ありがとー
@@afterschool123 NHKあの人に会いたいの動画で見ましたよ!
断酒8年目です。
連続飲酒の時、今夜全てのバーで を読みながら飲んでました
アルコール依存症で入院、その時何より医者に驚かれ、助かったのは病識が私にあったことです。小説読みながら黄疸チェックしてました。
ガダラの豚で再飲酒シーンもありましたが自分がどうなってるのか分かっていて内科狙ってましたが肝臓がめちゃくちゃ強く、先に脳萎縮しました…が、
らもさんは命の恩人です!
小説持ってない本多分無いです
奥さんの本や娘さんの本、娘さんのは一冊ありますがやはり血筋を感じます(笑)
らもさんが亡くなったときは不思議と、らしいな…で終わりましたが、本当に一度会いたかった。今の世の中見て苦虫噛んでいるのかな?
いまだに大好きです。
らもさんご紹介ありがとうございました。
私が精神的に病んでた時、、、中島らもとナンシー関を図書館で借りて、気が狂ったみたいに読み、毎日をやり過ごしてた日々を懐かしく思います。。。お二人共「な行」で、な行に近づくと私の顔👩が徐々に緩んでくるのが自分で分かる位でした。。。当時変なお二人の作家に出会えて救われてました。。。おっしゃる通り優しい人でした。。。感謝🙏
わかります。まさに、らもさん自身が、その日の天使、として現れたことが私も何度かあります。
らもさんと忌野清志郎さんが亡くなった時は、本当に寂しくて泣いた。
有名人が死んで涙を流すなんて思わなかった。今でも二人を思うとこみ上げる時があります。
お二人とも愛の人だったので、失うと、頼るべきものがなくなったようで、喪失感が大きいですよね。
権力に抗う姿勢と、弱い者に対する優しい眼差しを一貫して持ち続けた二人だったと思います。
本当に愛とユーモアの人でした。こんな動画を見るとまた思い出してしまいます。
良い趣味してるなあ。
君も善い人間なんだろうね。
だんだん差し障りのない言葉が充満していき冷たく、つまらん世の中になっていく。あっちの方が楽しそう。
1年前のコメントへの返信で恐縮ですが清志郎さんとらもさんは僕が大好きなお二人で僕と趣向が類似していて"やはり根っこはつながっているんだろうな"と感じました。お二人とも目の奥が純粋で優しいですよね。このお二人の死を哀傷するコメ主様も純粋で優しいお人柄なのだろうなと察します
らもさんがおらんかったら生きてなかった
感謝しかないです。
新聞での明るいお悩み相談室…あんな面白い回答してくれる人はもういないでしょうね。私はらもさんの、運が悪くても死ぬだけだ]の名言が大好きです。
運が悪くても死ぬだけだ。らもさんらしい、やさしくてユーモラスな名言ですね。
宝島に掲載されていた「啓蒙かまぼこ新聞」を楽しみにしてたなぁ。ラジオの月光通信なんか最高に面白かった!
当時、僕にとっては中島らもと戸川純がヒーローとヒロインでした
頭が人より大きいから、通常より脳が大きいんじゃないかと思って医者にレントゲンをとってもらった。
その写真を見た医者から
「君は人より頭蓋骨が厚い」
と言われてずっこけたという面白い逸話がありますね。
らもさんは優しい、都合の良い優しさではなく、人間の根幹が優しい、らもさんの小説は素晴らしい、全巻揃えてます。らもさん、そちらの世界は楽しいですか?お酒飲んで、ブルースしてるかな?
明るい悩み相談室以来のファンどす。
自由で優しくて愛おしい変人
アップありがとうございます
中島らもさん、大好きです
ラリってても、言葉が優しく、分かりやすくて、洒落てて、敬語も使いこなせてて、地頭良いのが滲み出してましたよね
ありがとうございます。そうですね、めちゃめちゃなようでいて、知性や品のようなものが感じられるのも魅力だと思います。
中島らもさん、好きです。
奥様のミーさんも、相当の文章家ですね。
娘さんの中島さなえさんも、面白いコラムを書いていました。
らもさんの文豪っぷりが、家族に伝染したのかな?
娘さんのコラムも面白いですよね。らもさんの血を感じて、うれしくなります。
灘に行って一番良かった事は「本物の天才に会えたこと」って言ってましたね
「授業は理解しつつスワヒリ語とか勉強してるんですよ」
自身もその一人なのにさもたまたま紛れ込んだ、みたいな表現が素敵ですね。
20年前に活字の魅力を教えてくれた作家です。
思春期に家族との軋轢に苦しんでいた時「その日の天使」を読んで救われた。あの話が自分にとって天使そのものだった。
よって中島らもは天使である。酔いどれで不器用でやさしい堕天使。
彼が階段から落ちて、結果的に亡くなったと報道で知ったとき大爆笑した。なんて彼らしい最期だろう、最後の最後まで洒落のめした人だと思ったから。
ひとしきり爆笑したあと号泣した。年老いて身の回りの整理をするときになってもらもさんの本だけは手元に残そうと思ってる。
僕の人生を変えてくれた人です。
この人の本に出会わなければ僕の人生は18歳で終わっていたような気がする。
この人の本を読めと僕に勧めてくれた家庭教師の先生にも感謝します。
NHKのあの人に会いたいに放送されましたね。
作家、中島らもさんは小説、演劇、新作落語、人生相談のコラムまで幅広いジャンルで多彩ぶりを発揮して大きな著作では正統ではなく異端を、王道ではなく邪道をというモットーでしたね。また自らの旗揚げした劇団では役者としても活躍しましたね。
中島らもは幼少期は偉人伝を読んでいて山田風太郎で目覚めた。
灘中学時代は地元で神童で灘高のときドロップアウトされたが大阪芸術大学に入学して卒業後印刷屋の営業マンを経てコピーライターへの道へ行きまた30歳の時の広告を掲載されました。中でも明るい悩み相談室は10年続きましたね。しかし一方でらもさんは薬やアルコールの影響で仕事の執筆依頼やテレビ、ラジオのレギュラーを抱える中の仕事のストレスが溜まってしましたね。49歳の時は精神安定剤の副作用で字が書けなくなった。らもさんは転落事故で亡くなった。52歳の若さだった。
息子さんの晶穂さんも凄いし娘のさなえさんも小説家でエッセイストですね。中島らも没後15周年では娘のさなえさんはSaxを拭いてましたよね。
その日の天使も、ゴミクズみたいな~も、僕にとってもほんとうに大切な言葉です。こうして改めて紹介していただけてなんだかうれしい気持ちになりました、ありがとうございます!
ありがとうございます。そう言っていただけると嬉しいです
配信者さんの感受性溢れる語り口が良い。
ありがとうございます!励みになります
中島らもの至言は「もうダメやないと思った時に、ヘタレかけた時に表の焼き芋屋が通った。「焼き芋〜♪焼き芋〜♪」それがおかしくてね。何が焼き芋や?と笑っちゃって。一日一日必ず一人天使がいる。気づかないだけ。」(NHKアーカイブスあの人に会いたいより)
中島らもは大好きで本全部持ってたけど引っ越しのタイミングでほとんど手放しました 晩年アルコールで体を壊したり無茶苦茶な生活をしていました それがもったいなく残念で辛かったですね
私的には三島と太宰と同等
羨望の人です。
あの方のエッセイが大好きだったな。
独身の頃、寝る前に爆笑して日々の嫌な事が吹き飛んだ。
もっと長生きして欲しかったな😢。
彼が存在してたら、みうらじゅんも霞んでしまうだろうな。
らもさんが存命なら今のSNSに毒された世の中に一石投じる存在だったでしょうね。そしてくだらない人たちにぶっ叩かれてもいたでしょう。そんな晩年を見ずに済んでいるけど生きていてほしかったな。
自虐的だしトゲのあるような物言いが目立ちますが文章から滲み出る優しさと分け隔てない愛には勇気づけられました。僕は30歳で、らもさんを知ったのは亡くなってからですが一番好きな作家さんです。生きていたら講演会なり飲み屋でバッタリなり、本当に会ってみたかった。
昭和の太宰治 退廃的な奇才で暖かみもある
らもさんの言葉を噛み砕いて説明しようとするとその言葉に宿る大事な何かが逃げていってしまう感じがするので紹介するだけにして欲しい。
らもさんの言葉を借りるなら、それは野暮ってもんですよ。
例えば…
『こうして生きてみるとわかるのだが、めったにはない、何十年に一回くらいしかないかもしれないが、「生きていてよかった」と思う夜がある。一度でもそういうことがあれば、その思いだけがあれば、あとはゴミクズみたいな日々であっても生きていける。』と言う言葉の中で「その思いだけがあれば」という言葉を動画内で「思い出」と言い換えているけど、思い出としてしまうとエピソード的なニュアンスになってしまって、たまに良いことがあればいくらか悪いことがあっても生きて行けるみたいな軽い感じになってしまう。
らもさんは自身が生きていることを肯定的に捉えることができたもっと心の中のことを表現してるんだと思う。
こういうとまた違う気もする(笑)
やはり、そのままの言葉を読む側に委ねるべきなんだと思う。
@@めふぃすと-q1n 「僕が踏んだ町、僕が踏まれた街」だったでしょうか。
そのあとがきの中にある、この後アホみたいに面白いおっさん時代が訪れる、みたいな文章のおかげで僕は自分がおっさんになるのを楽しみに生き続けることができました。でもって幸運なことに「そんな夜」を何度か迎えることができています。
路地裏の煙漂う闇の中に何とはないぬくもりを感じさせるらもさんの文章は転んだ後にもデヘヘと笑って砂を掴ませてくれる優しさと恥ずかしさと強さと哀しさと可笑しさの、「まあしゃあないな」な感じがあふれていて
若い時もおっさんになった今もずっと楽しく読ませていただいてます。
中島らもの本ほとんど持ってたよ。実家にまだあるかな。
らもさん、大好きで本をたくさん持っています。
オーケン→らもさん→町田康と読み漁りました。
頭の中にあるモヤモヤを言語化してくれるような気がして、読むと気持ちが落ち着きました。
取り上げていただきありがとうございます。
「ん-」が多いのがちょっと気になりました。( ´艸`)
ありがとうございます!んー、気をつけます😅
人生には悲しい事しか無いのに、小説で悲しい話しを作るのはしょうもないって考え方の作家さんだから。
落としてくれたのは優しい言葉達。
爆笑問題さんと、らもさんの動画、感銘を受けるよー
1000円で酔えるお店の「せんべろ」という造語を造ったのもらもさんです☺️
おお、そうなんですね。それは知りませんでした
@@afterschool123
せんべろ探偵が行くって本も出されてます☺️
@@afterschool123 NHKあの人に会いたいで放送されましたよね。
出典は失念しましたが、ある雑誌のコラムで、某市でのロック系軽音コンサート主催を市営会館に断られた学生が自分の伝(つて)の市会議員を通して、開催できるようにしたというエピソードに対し、
"ロックするもんが、議員使って圧力かけるって、(本末転倒で)アホかいな。"と記述されてた記憶があります。
その日の天使...はドアーズの詩からですね。ゴミグズみたいな...は大槻ケンヂが影響受けたりしてエッセイにも書いてましたね。
私は中島らもの影響で恋愛至上主義を気取った時もありました。文学もロックだと語ってましたが、生き方もロックでしたよ。そして、人間でいる限り悲しい時間は過ごさないようにしてます。
オーケンさんは自分が書くエッセーのため、写経の如くらもさんのエッセーを写書きして練習していたと仰っていた。
@@人見広介-p2b
ファンと知ったらもさん、喜んでたよなー。
リリパットアーミーの舞台にオーケンが出るかもって時も何の役にさせるか書いてたしね。
@@カセイ-o6w
確か初めの対談がオーケンさんの「人生いろいろ」という対談集だったと思うが、違うかもしれないが…
らもさんのファンでもあり、本は何回も何回も読んでエピソードはよく存じてはいたが、実際話を聞いてみると面白かったとオーケンさんが仰っておりました。らもさんの死は漫画版タイガーマスクの伊達直人の死みたいに呆気なかったとも仰っておりました。
@@人見広介-p2b
互いに躁鬱の波から逃れて、何かに選ばれた人達だからね。オーケンは昭和軽薄体の文体とかにも触れて、基礎固めがらもさんだったような。
俺も人体模型の夜でショートショートの練習したりしてました笑
人間万事塞翁が馬のバランスは平凡に生きる上で極上のスキルだと思ってます
古本屋とかに行くと必ず探して、有れば持ってても何となく買ってしまう。電子版も持ってるんだけど。もうすぐ没後20年。早いなー
らもさんは僕の心の師です
成人式のゲストにらもが来たよ。
いいんだぜー♪分かる人には分かる
いいよな、あの曲
必然の集積
人は、あの時こうすればよかった、ああすれば良かったと後悔するが、その時はそうしか出来なかったのである。だから後悔するのは意味がない。(要約)
この言葉は気持ちが少し楽になる。
そういや、らもチチの魔界ツアーズというラジオ番組で国語の試験の時、この内容のエッセーが出題されたという投稿があり、この事柄についてらもさんがチチ松村さんとお話されていた記憶もありました。
ダウンタウンより、中島らものほうが格がうえ。並ぶのは上岡龍太郎じゃないかな?
今までにも、これから将来にも、この人ほどの個性的で嫌いになれない、いや、愛さずにはいられない、真面目にふざけたこと言うオッサンはお目にかかれないだろうなぁ~おなじアル中でもこれぐらいドッシリと粋なこと🤣🤣🤣いうなら秋○の宮も国民からう~ん、と感心されるだろうに!!ただ者ではないと😂🎉らもさん、いつもラリってるようで何いってんだかわからないなんてことはなかった!!むしろ、えっ!!こ、こんな答えが…どこの引き出しにあったの?的な…
とらちゃん的日常もあったぞ~
バンドオブザナイトを中学生の時読んだが、よく分からなかった覚えがある
いいですね。思いねんらも
らもさん大好きです
本庄まなみさんが、ダウンタウンと同じぐらいに中島らもを好きなのは、彼女がインテリだからです。知能指数が並み以下の人は、中島らもさんの名前さえ知らないでしょう。
私生活でらもさんくらい面白かったのが団鬼六氏。
二人ともデカダンデカダンって言ってた時期が有ったはず。
純粋で繊細で酒好き。
らもの本面白いね。
灘中8位合格は完璧にギフテッドになる、しかも相当上のギフテッド。
スーパーでカネテツ見ると作品を読んだこと思い出します。らもさんの年齢超えちまったw
この動画の中に【その日の天使👼】を、見つけました。
渡辺さんは商売で絡んだけど一瞬で嫌いにさせる天才だった、拗らせすぎなんだよなあの爺さん
落語もしてましたよね!
遺作の「ロカ」のストーリーの結末がどうお考えになっていたのか、気になりますね。
関西の戯作者、好きだった
開高健&遠藤周作あたりで文学は滅びた‥ことを十分わかっていたのでエンタメ路線を極めた人物。
台詞ギャグを描かせたら‥肩をならべる作家は太田光ぐらいでしょう。
中島らも御仁はお近づきになりたい人…末席に入れて貰ってエッセンスを感じたい人です…こう言う先輩に遊んで貰わないと人生楽しくないよw
ラモーンズが起源かと思ってた。
リップサービスなのか後付けなのかそれもアリかなとラジオで語っていた。
ADHDは基本IQが高い傾向にあるらしいんだけど集中力が無いからIQテストでも低かったりするって何かに書いてあったのできっと低い時はIQテストに集中出来なかったんだろうw
WAISIIIという試験がある
知能指数にも読み書き順序の把握、記憶、計算等色々な種類があるのだが、この各配点が高低差が大きく凸凹であるとADHDの可能性があると言われる。
保久良山は、ほくらさんといってました。
酒とタバコとシンナー、あと、女が I.Qを下げるのか....そうか...
自分の知能指数と上手く折り合いつかないから破綻してる人。の印象。
保久良山 「ほくらやま」ではなく、「ほくらさん」では?
依存症で狂気の人でしたね。
端から見ると面白いが本人は何かに追われてるようで
お父さんお母さん教師やつったかなあ。わかぎえふさんとかね。
私も、子供の頃からIQがものすごく高かったのですよ!💩自分で言うのもなんですが!💩
私にとっては失楽園の方が読むに値しない駄文の群れに見えますけどね😅
不倫を文学かの様に美化して書く必要性を全く感じないので…
やっぱり 尻軽オンナの ブース
アル中