ขนาดวิดีโอ: 1280 X 720853 X 480640 X 360
แสดงแผงควบคุมโปรแกรมเล่น
เล่นอัตโนมัติ
เล่นใหม่
言論の自由な国に生まれ思った事を言える幸せに感謝ですね
勲章って ご本人とっては 鉛の鎖の様なものかもしれない と思いました。上手くいくからといって 必ずしも御心に叶っている訳ではないと言うことに 改めて考えさせられました。 お話ありがとうございます。
高原先生のメッセージ、その情熱、訴え・・を聞きながら、本田こうじ先生、羽鳥明先生のそれぞれの福音を語る情熱を思い出さざろう得ません。お二人の先生同様神様が高原先生の健康を支えて下さり、ひとりでもおおくの方々にイエス様の愛と犠牲を信じることができますようにお祈りいたします。
いつも有り難う御座います高原さんのメッセージわかリやすいです。沢山の分野から、うれしいです感謝でした
高原先生のメッセージ 大好きです
確かに…と腑に落ちる学びをさせて頂きました有難き幸せです🙏
神義論こそが信仰なんである。神の子自らが苦難の僕となる。ゆえに、苦難にあっても誇るのである。
今回の動画は心に刺さりました。海兵隊員のエピソード。立川談志さんの心を射抜く言葉…そのままの自分を受け入れていただける方を信じていこうと思います。
60代男性です私は『神様』を信奉する人間の1人です神様を信じるキッカケは『神は生きている』『生きて働く神様』という、お話しを聞いてからです。
ありがとうございます。祝福を祈っています。
わかりますね
どうしようかと、こうえんの必要はないかなど、機嫌悪くしコンビニで音を出して始めたから、今は戻りやめて元に戻りたいようで、まともな人間を目指させる事にしましたから
心でたどり着くためには、まだまだ訓練など、心で解るようにならねばならない
失礼いたしました。海岸に書かれていた文字はアルファベットのsosが誰にでもわかる信号だと思います。博識で深い信仰を持っておられる高原さんのTH-camのお話をこの北欧から聞かせていただいております。
自分の思いは解るはずだ、
「我々は皆罪びとである」聖書にあります。神は存在し。罪人も散在する。悔い改めよ。
やはりそれでも講演した方が良いのでしょうか
sosのお話をされたときモールス信号で簡単で伝えやすいトン、トン、トン、ツー、ツー、ツー、トン、トン、トン、の符号から来ていて save our souls の意味にもなると聞いたことがあります。海岸に書かれてあった文字はモールス信号だったのかもしれませんね。そのへんのご説明を付け加えていただけたら少し分かりやすくなると思い
タイトルにひかれてきましたが、ただの言い訳とごまかし。神は人間を「自由意志を与えられたら罪を犯す」ように設計したのでは?
自由意思を与えられたから必ず罪を犯すとは限りません。罪を犯すのも犯さないのも、その人自身の判断(意思)次第です。自由意思に基づき確信を以って為される罪は、神でさえ止める事はできません(極々稀に「奇跡」という形で神の介入が為される事がありますが、それはあくまで例外中の例外でしかありません)。自由意思にはそれだけの力と責任が伴います。なのに殆どの人間はそれを深く考えることなく、己の欲望のまま好き放題に考え行動します。それが『神は愛であるのに、なぜ世の中に不幸があふれかえっているのか』の理由です。自由意思が無いのであれば、動物達のようにその行いの責任を問われる事はありません。あなたは、人間もそういう存在だった方が良かったのでしょうか?
@@1129watarigarasu お返事ありがとうございます。しかし、それは論理的ではありません。神は人間のみならずこの世界すべてをおつくりになったのですよね。自由だから罪を犯す、自由がなければ動物だ。の二者択一しか可能性がないというのは思考停止しているとしか思えません。どのような行動をとるか自由であるが大きな罪は犯さないという性質を人間に与えなかったから世界はこのように苦しみに満ちているのです。答えは明白です。「神は存在しない」です。それを直視することなく言い訳を重ねていることが問題と思います
@@ema9toru 『自由だから罪を犯す、自由がなければ動物だ。の二者択一しか可能性がないというのは思考停止しているとしか思えません』とあなたが考えるのは勝手ですが、それはあなたの主観に過ぎません。少し考えれば分かることですが、「自由意思が有れば罪を犯す可能性が生まれ、自由意思が無ければ動物という存在になる」というのは、二者択一ではなく(自由意思を軸にした)物事の表裏の関係性です。論理的である事を標榜しながらあなたの主張が非論理的であることは、『どのような行動をとるか自由であるが大きな罪は犯さないという性質を人間に与えなかったから世界はこのように苦しみに満ちているのです。答えは明白です。「神は存在しない」です』という論理の飛躍が甚だしい主張から窺えます。一つは『大きな罪は犯さないという性質を人間に与えなかった か ら 世界はこのように苦しみに満ちている』であり、もう一つは『世界はこのように苦しみに満ちている か ら 「神は存在しない」』です。これらこそ 論理的な主張どころか、典型的な感情論でしかありません。あなたのような人は、ヨブ記でも読んではいかがですか? 被創造物でしかない三次元存在が、四次元以上の存在である創造主に物申す事の矮小性(例えれば、ウス バカ ゲロウの妖精さん もとい幼虫が人間と云う飼育主に文句を言うようなもの?)に少しは気づく事ができるのではないでしょうか?
日本も同じなので、それは以前から何度も言っている、しかし解っていないでしょう
自分がキリスト教を知ってるから言える事
ただ今は理論上のことだが
初めまして。高原先生の講演を聞かせていただくのは、私は2日目です。いきなりですが、質問をさせていただきたいです。[黙示録3-9]についてです。[見よ。サタンの会衆に属する者たち。自らをユダヤ人と称していながら、実はそうではなく、偽りを言っている者たち。]ここの意味は、[偽のユダヤ人はサタンの会衆に属する者たちだ]となると思います。が、人間が読んだら、[ユダヤ人は皆、サタンだ]となると思います。[見よ。サタンの会衆に属する者たち。]が、神の御言葉でしょうか。もし友人でも、親戚でも家族でも、[お前は悪魔だ]と言われたら、関係はブッ壊れてしまうと思います。続いて[わたしは彼らをあなたの足元に来て平れ伏させ、わたしがあなたを愛していることを示す。]これは1、失敗した者には必ず[平れ伏させ]=[罰を与え]なければならない。2、イエス・キリストはクリスチャンを愛しておられる。という事だと思います。1、多くのクリスチャンは、このように理解しておられませんか?2、クリスチャンはイエス様に愛されて、喜んでおられますか? 米国のツイッターを読んだ限りではですが、攻撃が多いなあと思った記憶があります。これらの疑問をあるクリスチャンに問うたところ、[聖書を読む時には、重箱の隅をつつくような読み方をしてはいけません。]と言われました。私はそのかたの説明に納得できませんでした。私のどこが間違っているのでしょうか?教えていただければ幸いです。宜しくお願いします。
私は、常々高原先生にコメントオフでない動画で、反論のコメントをさせていただいております。ユダヤ人でない者はアシュケナージユダヤ人のことです。元は黒海やカスピ海付近にいたカザール人で改宗者です。たとえばゼレンスキーさんですその意味では、聖書は正しいです。このコメントは、すぐに削除されるでしょうが事実だからです。
@@岡本要-i2z ご返事、ありがとうございます!ゼレンスキ--大統領=元黒海やカスピ海付近にいたカザ--ル人で、ユダヤ教に改宗した人の子孫ですか?だから、ゼレンスキ--氏=サタンの会衆に属する者、となるのですか?私はユダヤ人(アシュケナジ--)に生まれなくて良かった。
「見よ。サタンの会衆に属する者たち。自らをユダヤ人と称していながら、実はそうではなく、偽りを言っている者たち」を読んで『人間が読んだら、[ユダヤ人は皆、サタンだ]となると思います』となるのは、あなたが(信仰の有る無し以前の問題として)曲解をしているという事でしかありません。これは聖書(とりわけ新約聖書)の中で再三語られているように、ユダヤ人の中で「ユダヤ人は優れていたり正しいが故に神に『選ばれた』」と勘違いする者がいたのと同じで、形式的な信仰の典型例です。だから、そういうユダヤ人 の み に当てはまる言葉であり、決してユダヤ人全体を指して語られたものではありません。また、岡本さんの指摘はそのような間違った考えであり、聖書に則った解釈ではありません。人がその罪の責任を問われるのは、 属 性 に 依 ら ず 自身の言動によります。これはこの世であれ、神の元であれ変わらないことです。
だから仏教の修行から始めよう、と
言論の自由な国に生まれ
思った事を言える幸せに感謝ですね
勲章って ご本人とっては 鉛の鎖の様なものかもしれない と思いました。
上手くいくからといって 必ずしも御心に叶っている訳ではないと言うことに 改めて考えさせられました。 お話ありがとうございます。
高原先生のメッセージ、その情熱、訴え・・を聞きながら、本田こうじ先生、羽鳥明先生のそれぞれの福音を語る情熱を思い出さざろう得ません。お二人の先生同様神様が高原先生の健康を支えて下さり、ひとりでもおおくの方々にイエス様の愛と犠牲を信じることができますようにお祈りいたします。
いつも有り難う御座います
高原さんのメッセージわかリやすいです。沢山の分野から、うれしいです感謝でした
高原先生のメッセージ 大好きです
確かに…と腑に落ちる
学びをさせて頂きました
有難き幸せです🙏
神義論こそが信仰なんである。
神の子自らが苦難の僕となる。
ゆえに、苦難にあっても誇るのである。
今回の動画は心に刺さりました。
海兵隊員のエピソード。立川談志さんの心を射抜く言葉…
そのままの自分を受け入れていただける方を信じていこうと思います。
60代男性です
私は『神様』を信奉する人間の1人です
神様を信じるキッカケは
『神は生きている』
『生きて働く神様』
という、お話しを聞いてからです
。
ありがとうございます。祝福を祈っています。
わかりますね
どうしようかと、こうえんの必要はないかなど、機嫌悪くしコンビニで音を出して始めたから、今は戻りやめて元に戻りたいようで、まともな人間を目指させる事にしましたから
心でたどり着くためには、まだまだ訓練など、心で解るようにならねばならない
失礼いたしました。海岸に書かれていた文字はアルファベットのsosが誰にでもわかる信号だと思います。
博識で深い信仰を持っておられる高原さんのTH-camのお話をこの北欧から聞かせていただいております。
自分の思いは解るはずだ、
「我々は皆罪びとである」聖書にあります。神は存在し。罪人も散在する。悔い改めよ。
やはりそれでも講演した方が良いのでしょうか
sosのお話をされたときモールス信号で簡単で伝えやすいトン、トン、トン、ツー、ツー、ツー、トン、トン、トン、
の符号から来ていて save our souls の意味にもなると聞いたことがあります。
海岸に書かれてあった文字はモールス信号だったのかもしれませんね。
そのへんのご説明を付け加えていただけたら少し分かりやすくなると思い
タイトルにひかれてきましたが、ただの言い訳とごまかし。神は人間を「自由意志を与えられたら罪を犯す」ように設計したのでは?
自由意思を与えられたから必ず罪を犯すとは限りません。罪を犯すのも犯さないのも、その人自身の判断(意思)次第です。
自由意思に基づき確信を以って為される罪は、神でさえ止める事はできません(極々稀に「奇跡」という形で神の介入が為される事がありますが、それはあくまで例外中の例外でしかありません)。
自由意思にはそれだけの力と責任が伴います。なのに殆どの人間はそれを深く考えることなく、己の欲望のまま好き放題に考え行動します。それが『神は愛であるのに、なぜ世の中に不幸があふれかえっているのか』の理由です。
自由意思が無いのであれば、動物達のようにその行いの責任を問われる事はありません。あなたは、人間もそういう存在だった方が良かったのでしょうか?
@@1129watarigarasu お返事ありがとうございます。しかし、それは論理的ではありません。神は人間のみならずこの世界すべてをおつくりになったのですよね。自由だから罪を犯す、自由がなければ動物だ。の二者択一しか可能性がないというのは思考停止しているとしか思えません。どのような行動をとるか自由であるが大きな罪は犯さないという性質を人間に与えなかったから世界はこのように苦しみに満ちているのです。答えは明白です。「神は存在しない」です。それを直視することなく言い訳を重ねていることが問題と思います
@@ema9toru
『自由だから罪を犯す、自由がなければ動物だ。の二者択一しか可能性がないというのは思考停止しているとしか思えません』とあなたが考えるのは勝手ですが、それはあなたの主観に過ぎません。
少し考えれば分かることですが、「自由意思が有れば罪を犯す可能性が生まれ、自由意思が無ければ動物という存在になる」というのは、二者択一ではなく(自由意思を軸にした)物事の表裏の関係性です。
論理的である事を標榜しながらあなたの主張が非論理的であることは、『どのような行動をとるか自由であるが大きな罪は犯さないという性質を人間に与えなかったから世界はこのように苦しみに満ちているのです。答えは明白です。「神は存在しない」です』という論理の飛躍が甚だしい主張から窺えます。
一つは『大きな罪は犯さないという性質を人間に与えなかった か ら 世界はこのように苦しみに満ちている』であり、もう一つは『世界はこのように苦しみに満ちている か ら 「神は存在しない」』です。これらこそ 論理的な主張どころか、典型的な感情論でしかありません。
あなたのような人は、ヨブ記でも読んではいかがですか? 被創造物でしかない三次元存在が、四次元以上の存在である創造主に物申す事の矮小性(例えれば、ウス バカ ゲロウの妖精さん もとい幼虫が人間と云う飼育主に文句を言うようなもの?)に少しは気づく事ができるのではないでしょうか?
日本も同じなので、それは以前から何度も言っている、しかし解っていないでしょう
自分がキリスト教を知ってるから言える事
ただ今は理論上のことだが
初めまして。
高原先生の講演を聞かせていただくのは、私は2日目です。
いきなりですが、質問をさせていただきたいです。
[黙示録3-9]についてです。
[見よ。サタンの会衆に属する者たち。自らをユダヤ人と称していながら、実はそうではなく、偽りを言っている者たち。]
ここの意味は、[偽のユダヤ人はサタンの会衆に属する者たちだ]となると思います。が、人間が読んだら、[ユダヤ人は皆、サタンだ]となると思います。
[見よ。サタンの会衆に属する者たち。]が、神の御言葉でしょうか。もし友人でも、親戚でも家族でも、[お前は悪魔だ]と言われたら、関係はブッ壊れてしまうと思います。続いて
[わたしは彼らをあなたの足元に来て平れ伏させ、わたしがあなたを愛していることを示す。]
これは
1、失敗した者には必ず[平れ伏させ]=[罰を与え]なければならない。
2、イエス・キリストはクリスチャンを愛しておられる。
という事だと思います。
1、多くのクリスチャンは、このように理解しておられませんか?
2、クリスチャンはイエス様に愛されて、喜んでおられますか? 米国のツイッターを読んだ限りではですが、攻撃が多いなあと思った記憶があります。
これらの疑問をあるクリスチャンに問うたところ、
[聖書を読む時には、重箱の隅をつつくような読み方をしてはいけません。]と言われました。
私はそのかたの説明に納得できませんでした。
私のどこが間違っているのでしょうか?
教えていただければ幸いです。宜しくお願いします。
私は、常々高原先生にコメントオフでない動画で、反論のコメントをさせていただいております。
ユダヤ人でない者はアシュケナージユダヤ人のことです。元は黒海やカスピ海付近にいたカザール人で改宗者です。たとえばゼレンスキーさんです
その意味では、聖書は正しいです。このコメントは、すぐに削除されるでしょうが事実だからです。
@@岡本要-i2z
ご返事、ありがとうございます!
ゼレンスキ--大統領
=元黒海やカスピ海付近にいたカザ--ル人で、ユダヤ教に改宗した人の子孫
ですか?
だから、ゼレンスキ--氏=サタンの会衆に属する者、となるのですか?
私はユダヤ人(アシュケナジ--)に生まれなくて良かった。
「見よ。サタンの会衆に属する者たち。自らをユダヤ人と称していながら、実はそうではなく、偽りを言っている者たち」を読んで『人間が読んだら、[ユダヤ人は皆、サタンだ]となると思います』となるのは、あなたが(信仰の有る無し以前の問題として)曲解をしているという事でしかありません。
これは聖書(とりわけ新約聖書)の中で再三語られているように、ユダヤ人の中で「ユダヤ人は優れていたり正しいが故に神に『選ばれた』」と勘違いする者がいたのと同じで、形式的な信仰の典型例です。
だから、そういうユダヤ人 の み に当てはまる言葉であり、決してユダヤ人全体を指して語られたものではありません。
また、岡本さんの指摘はそのような間違った考えであり、聖書に則った解釈ではありません。人がその罪の責任を問われるのは、 属 性 に 依 ら ず 自身の言動によります。これはこの世であれ、神の元であれ変わらないことです。
だから仏教の修行から始めよう、と