Sugi Masa その通りだと思います。黒崎道場での学びも踏まえてさらに強くなるべきだったというあなたの意見の方がより建設的で素晴らしいですね。 ただ、結果論的ですが変にムエタイに手を出さなかったのは彼にとってはラッキーだったかもしれません笑。小比類巻選手はK-1のリングでガオランやブアカーオの首相撲からの膝でやられており、ムエタイ選手の首相撲のコントロール力は痛感していたと思います。ただ一朝一夕で身につく技術ではないでしょうし、ブアカーオが強すぎたことによる首相撲からの膝連打の禁止というルール改正もありました。頑張って身につけて禁止技になってしまったらよりかわいそうだったかも。でも、小比類巻選手も膝はうまかったですし、よりパワーアップした膝を繰り出す彼を見てみたかったというのは僕も思います。
コヒさんの語り口にはいつも誠実さを感じます。本当に誠実な方、侍という感じが伝わってきます。これからも応援しています。黒崎道場の話づらい点も含めてきちんと語ってくださった。コヒさんらしいです。
コヒさんのお話を聞いて涙が出てきました。やはりチャンピオンになるには相当の覚悟が必要なんですね。
黒崎道場の一年は小比類巻さんにとって貴重な一年だったと思います。長い人生の中でそんな特別な一年があってとても羨ましいです。
根性だけでは勝てないって証明だなぁ。
石井館長は逆に合理的で技術を重視するタイプだからね。
黒崎師範はやはり時代に置いていかれてる教え方だったと思う。
勝つ為の練習じゃなくて【修行】と考えると、凄まじい精神修行だとは思う。
黒崎さんはきっと、選手を作ろうとしたのではなく戦士を作ろうとしていたのだろうなと今でも思う。コヒさんにその期待をしてた部分もあったんだろうけど、選手として結果を重視するのならばやはりスパーリングパートナーは必で、厳しく突き放した黒崎さんの心にはコヒさんに対する親心もあったのではないかと思う。
きっと、コヒさんがチャンピオンになったのを知った時に黒崎さんも内心喜んだんじゃないかな。
今の小比類巻さんの容姿を拝見すると、あの「超合金」の様な、研ぎ澄まされた肉体を維持し、闘い続けるために、本当に凄まじい節制を継続されてたんですね。K-1 MAX 時代やそれ以前も含めて、小比類巻さんは強いライバルに恵まれて、本当に幸せでしたよね。小比類巻さんのローキックは、伝家の宝刀でしたよ。
家族の者みなで見させて頂きました、なにやら感動しうっすらと涙ぐみ、拍手をしました。超感動でした。ありがとうございます。
ありがとうございます。押忍‼️
感動しました素晴らしい話ですね。
以前、黒崎道場の話をリクエストしていた1人ですけど
前後編見て思ったのは、小比類巻さんの思いや、黒崎先生の考えを
一般人の常識の物差しで測るようなものじゃないんだなっていうのが伝わりましたね。
いろんな意味で面白かったです ありがとうございました。
小比類巻貴之さん 侍です 感動しました!
これからも侍魂で頑張って下さい!
そして黒崎道場時代の動画アップしていただいてありがとうございます。
小比類巻貴之最高!!!!!!
今も昔も、マスコミは本当に地獄に落ちればいいのにね。
その人が色々な貴重なことを教えてくれたのを感謝するのはコヒにしかわからない大切なことだと思うし、筋通して辞めてきたのも偉いと思うけど、むしろ石井館長が全力で連れ戻しに動いてくれたことの方が感謝だな、ファンからしたら。
で、武田選手に飛び膝、トーナメント優勝。あれこそ忘れられないよ。コヒを信じて良かったと思った。スターだね。
小比類巻さんは、本当に凄い。そんな時間を過ごしていたなんて、知らなかったですし、とても驚きました。
80㎞背負って10㎞は驚きです。私も14才の時に黒崎師範の本を読んで腕に線香を当ててみました。10本でしたけど(笑)その後、芦原会館に入ったら芦原先生に「イザキ、もっと力抜いて稽古しろ」と言われてホッとしました、
黒崎愛が溢れ出している!でも、黒崎先生が、師弟愛に満ちた人なのか、格闘技の鬼なのか今だにわかりません。最後まで、優しい言葉の一つもないまま絶縁したように見えるけど、本人達にしかわからない通じるものがあったんでしょうか。
TBSの番組では確か、コヒさんが前回言っていた朝の掃除も「6:00から」ではなく「5:00から」とナレーションされていたと思います。K-1を盛り上げるために、都合の良い編集をされ話も盛られたんですね。黒崎道場を去ったのも、「興行」と「武道」を両立し得ない複雑な想いがあったのかと思います。
命懸けで強くなりたくて黒崎道場に飛び込んだコヒさんの動機は格闘家の見本です
ただ理想と現実の違いを知り挫折してしまったという事
しかしいくらやる気があってもスパーリングパートナーがいないのではどうにもならない
でも黒崎先生の顔に泥を塗ってしまった事も事実
誰だって人生において判断を誤ったり失敗くらいしますから恥じる事はないと思います
小比類巻さんの努力と忠誠を黒崎師範は優しく送り出して欲しかったです。顔も見たくないというのは黒崎師範の優しさなのか。芦原先生は無茶苦茶でもあったけど、優しいところもあったので。
心に染みました。
黒崎さんの過去の格闘技歴は不遇ばかりでした。
道場の誰も海外に行かないから、
オランダに行かされたり、
空手のムエタイ対抗試合でタイの招聘を受け、急遽、選手を練習させてタイに行って、おまけに無理矢理試合をさせられたり、
猪木ウイリー戦では貧乏くじを引かされたり、
そして、トーワ杯も然り。
本当に黒崎先生は不器用で正直すぎる人でした。
もし、中村忠師範みたいな人格者が補佐する役割の方がいたら?
。。。と思います。
黒崎先生から中村忠師範の素晴らしさを良く耳にしました。
@@kohiruimaki
横から入って失礼します、
ぜひ黒崎師範が認めた中村忠師範のエピソードを、お願いしたいのですが、
極真の練習体系化など、帯の色昇級制は、中村師範の案と実地です。
現在中村師範は、黒崎しはんの生死問題について、どうおもわれるのだろう。
あの時
あの場所で
死にものぐるいで
あの修行をした事
それは全てあの時にしか出来ない事だからその経験は宝だと思う
科学的とか根性論とかそんな薄っぺらいものでははかる事のできない毎日の修行が常人からみて修行全てが常軌を逸しているからこそ重みがある
黒崎先生の著作は漢とは何か 当時考えるように熟読しました。藤原会長と飲んだときにここまで詳しい話はされませんでした。
黒崎イズムの体験良くわかりました、恐縮です。 押忍。
その後の黒崎道場にはK-1の会場から持ち帰った
通称「コヒ・グローブ」と言う青いグローブが有りました。
僕も何度か付けさせてもらいましたが毎回「デカいな!」と思ってました。
義理堅い方ですね。凄く好感もてます。
視聴者数、チャンネル登録者数関係なく、動画がすごく良くなっていると私は思います!
普通でない修行をして、普通でない選手であったコヒさんがこの先どのような指導者になるのかとても楽しみです!TH-camや色々なメディアも使いつつ、今後も色々な情報や考えを発信して下さい‼️ずっと見ていきます‼️
TBSひどいなあと思いました。
当時僕はK1に夢中になっていた時期で、その時の話、とても興味深く聞かせていただきました。
自分は前回の動画で少々勘違いしていました。黒崎道場時代は本当に貴方の人生に於いてとても良い経験でしたね!
しかし…小比類巻さん!上手く編集しないとVol.2見ない人は勘違いしたままになっちゃうよ~(笑)
まぁ、vol.1では「非効率的だ!」「前時代的だ!」「ブラック企業!(?)」みたいな陳腐なコメントで溢れてましたからね。
普通に考えて、小比類巻氏ほどの選手が敢えて黒崎道場に行くのは確固とした理由がある訳で、効率的とか前時代的という問題じゃないんですよね。
それを見かねてなのか、真意をこの動画で伝えられたのは良かったかもしれませんね。
自分は少し違った見方で、VOI.2を見ても結局、コヒさんの人間性の素晴らしさ、黒崎の人間性の酷さがより感じられた形になりましたね。
オランダにあるキックボクシングジムは間接的に黒崎先生が広めたようなもの。いい先生に出会えてよかったですね。
本物だ。
勝ち負け だけじゃないんだ。
良いお話をありがとうございます。
当時は急に黒崎道場を辞めてチームドラゴンに戻ったのは小比類巻さんのエゴだと思っていました。
こうして裏ばなしと言うか、真実を知れて大変良かったです。
!貴殿の今後のご活躍を期待しております。
指導者としての黒崎先生はヤバイ。
プロデューサーとしての滅茶苦茶な話も聞きたいですね❗
そんな経緯があったとは‼御自身では道場を辞めるつもりはなかったとは凄すぎです…。実際とは異なり、逆にそのまま居続けたらどうなっていたか、想像すると興味が尽きません。今はなき道場を訪ねる動画も見たいです!
レベルは違えど過去の自分とオーバーラップしたのか、ひたすら感動しました。
現実に危険に直面すると、心構えある人間はそれなりな対応をできはします。
しかし今の平和な日本でそれができうることは、多くの人が無理と思っています。
私は格闘技も観戦もできない環境が長かったので、一人でそういう環境をやれる限りつくった時期もありましたが、やはり師や学ぶべき存在は大きいです。
そして小比類巻さんの侍魂あってこそ、今があるように思います。
格闘家にしては優しいなと思う節が今は多い意味が、過去の経験を知るほどに得心してます。
自分の食欲を、強いては生存欲求すら殺せる人間こそ侍であって、小比類巻さんは数少ないそういう部類なのかなと感じました。
貴重な話が聞けました。藤原ジムでの稽古内容なども知りたいです。前田日明さんとのコラボも見てみたいです。
20数年前、アクティブJのしんせんのジムで小比類巻さんに指導してもらった練習生です。TH-camで小比類巻さんを見れるのが嬉しく思います。無理のないペースで配信してください。
ありがとうございます!
黒崎先生の精神論を著者で勉強させて頂きました。石井館長は昔、芦原道場の師範でした。脱退前に練習後でグローブつけて相手してくれと言われたのが最後でした。しかし、正道会館には誘われなかったおもいでがあります。その後、私も芦原会館を去り正道会館の第一回トーナメントに申し込みましたが参加が最終審査で漏れました。昔の石井館長は空手の精神論とかではなく合理的な感じが強かったですね。私は黒崎先生の著書を読み本当の格闘家を感じ、実践させて頂きました。懐かしい思い出です。
長文のコメントを失礼致します。
僕はコヒさんが現役の頃、日本から格通を取り寄せてアメリカで応援していた、現在56歳の者です。
大変失礼ながら、今回のお話を聞いて黒崎先生のされた事にガッカリしてしまいました。
「お菓子を食べてるところをつい笑ってしまった弟子」を木刀でメッタ打ち...というのも精神的な異常性を強く感じますが、何より驚いたのは、リングに復活する旨をお話ししたコヒさんへの態度でした。
黒崎先生はコヒさんのことを「私(の死後)に何か残す物があったら、こいつに全部やっても良いとさえ思っている」とまで仰っていましたが、それほどまでの愛弟子が、自分の本来の夢に戻る為に苦渋の決断をして「旅立ち」を報告されたというのに、「出て行け」「顔も見たくない」という絶縁扱いをされたという事に大変驚きました。
もちろんお二人の間に認識の行き違いなどがあったのかもしれませんし、それゆえの失望感からくる「出て行け」だったのかもしれません。その辺は他人の僕には知る由もない事です。しかしそれにしても、何故愛弟子の旅立ちを温かく受け止めてあげられなかったのでしょうか。
黒崎先生は僕の両親と同い年で、子供の頃に極真空手をしていた僕にとっては「本当に厳しい、でも本当は思いやりの深い、大人の武人」という認識を持っていました。しかし今回のお話を聞いて、以前にある格闘技ライターの方が書いていた「他人のやる事を認めない頑固な爺さん」という表現が、もしかしたら本当のところだったのかな?と考えてしましました。
長々と申し訳ありません。驚きとガッカリ感からこんなことを書いてしまいました。
コヒさんの今後の投稿も楽しみにしています。
昨年、一部で黒崎健時死亡説も流れましたが、ご存命中とのこと。もし、黒崎道場に行かれるのなら、是非とも映像もお願いしたいです。
憎まれジジイ、世に憚るw
朝堂院大覚さんが黒崎さんから俺が死んでも公表するなと言われた、実際は数年前に亡くなっている、とJRPテレビジョンで言っておられました。
Wikipedia によると、2020年2月の時点で存命中だと藤原敏男さんが証言しているとあります。どっちが信頼出来るでしょう。
黒崎さんは自分が嫌な指導者になれば、逃げたした弟子は自分で練習方法や対人の練習も考えるし、もし、ずっと残れば、格闘技を辞めても世間の役に立つ人間になる!との、深い考えがお有りだったそうです。
なんとなく、それを・・・感じます。
小比類巻さんもそれを感じている部分があるので感謝の気持ちを持てるのではと思いました。
私が、当時・・通っていた🥋道場🥋の本部に、🌟黒崎先生🌟の写真が・・飾られておりましたっ🙇♂️‼️仕事の現場の昼休みに、高架下の壁を蹴ったり・・🏠️家🏠️の前の電柱を蹴っていましたっ🙇♂️‼️🌟小比類巻さん🌟に、憧れて・・髪型やサンドバッグを、蹴り続けておりましたっ‼️押忍🙇♂️‼️
オーバーワークは逆に弱くなります。美談に捉えてる人間がちらほらいて、
非常に危険な思想でおぞましい。
今は埼玉の黒崎格闘技スクールはテコンドー道場になってます。
黒崎さんは結構前から一人で歩けなかったですけど、コヒがいたころは腰は大丈夫だったの? 藤原さんも脚悪くて手術したり、杖ついてるからコヒも気をつけてね。猪狩さんも脚悪くて手術してるし。
蹴りは老人になると脚悪くして歩けなくなる人多いよ。寝たきりになるなよ。
当時の修業を自分でも自己満足と言う風に語ってるけど、正直それは観てる側からもそう感じました。けど、競技者としては結果を出せなかったかも知れないけど、人生全体で見れば本当にいい経験をしたんだなぁと思いました。語り口からは、そのように感じます。
小比類巻さんが勝ちきれなかった理由が全てこの動画に詰まっていますね。
動画内でもあった通り、当時の小比類巻さんの最優先の目標は「K-1のリングで結果を残す」だったはず。そしてそのためにならどんなきついことだってやってやると。ここまでは良い。
しかし実際問題当時の小比類巻選手は「K-1のリングで結果を残す」ための最善の策を求め続ける姿勢を失っていたわけだ。目標達成のために考えて行動し続けることができなかった。黒崎道場に意地でも残ろうとしたことがその証明。いつしか目的と手段を見失い、キツい修行に耐えること自体が目的になってしまっていた。考える力を失っていたのだ。
入門自体は理解できなくもない。藤原敏夫という伝説的な選手を生んだ道場に自身の成長のチャンスを求めた。これ自体は立派だ。しかし「ここでは自分の目標を達成はできない」ということには早い段階で気づいたはず。というか気付けるくらい常に最善を模索できる人でないと世界トップにはなれない。そういった意味で考え続ける力が彼には欠けていた。
彼自身が当時を良い思い出だと言うならばそれはそれで良い。そもそもK-1で結果を残せば偉くてそれ以外はダメという訳でもない。価値観は人による。
しかし、あくまでここで言いたいのは「小比類巻選手はK-1で勝ちたかった」のだから、その為の最善を尽くすべきだったということ。
ここまで来てしまうと、彼の本当の目標はK-1で勝つことではなかったのではないかとも思える。彼曰く黒崎道場では侍になれるらしいし、勝つことよりも侍であることを優先してしまった瞬間があったのだろう。
私も武道を20年程かじってた者ですが、上達の早道は良い師匠に師事する事。
故に黒崎道場の門を叩いたのも理解できる。
でも、話聴いてる限り非合理的、非科学的な部分が多分にある。
小比類巻さん自身解ってるけど、ご指摘の通り意固地になってんだと私も思う。
前田さん、黒崎さんのエッセンスを昇華して、且キックの名門道場や現地ムエタイでも学ぶべきだったのでは?
因みに現地ムエタイというのは首相撲という相当奥深く強くなれるエッセンスが凝縮してるからなんだけど。
精神力とフィジカルが抜きん出てたのに勿体無いと私は思う。
Sugi Masa その通りだと思います。黒崎道場での学びも踏まえてさらに強くなるべきだったというあなたの意見の方がより建設的で素晴らしいですね。
ただ、結果論的ですが変にムエタイに手を出さなかったのは彼にとってはラッキーだったかもしれません笑。小比類巻選手はK-1のリングでガオランやブアカーオの首相撲からの膝でやられており、ムエタイ選手の首相撲のコントロール力は痛感していたと思います。ただ一朝一夕で身につく技術ではないでしょうし、ブアカーオが強すぎたことによる首相撲からの膝連打の禁止というルール改正もありました。頑張って身につけて禁止技になってしまったらよりかわいそうだったかも。でも、小比類巻選手も膝はうまかったですし、よりパワーアップした膝を繰り出す彼を見てみたかったというのは僕も思います。
昔ゴング格闘技で黒崎道場が取材されてたのを見てこんな恐ろしい空間があるのかと震え上がったよ
はじめて小比類巻さん見たのは東金シャノンブリックス戦 まさか黒崎道場誰でも行ける 場所ではありませんね 人間の限界への挑戦者凄すぎます
こう言っちゃアレですが、コヒさんの人間性の素晴らしさ、黒崎師範の人間の小ささがより感じられました。常識的な感覚で言えば黒崎道場での経験は訴訟もんですよ。それに対して感謝で締め括るコヒさんは本当によく出来た人だと。対して、黒崎。師匠としての結果責任など感じてる様子など微塵も無く、本気でついて来てる弟子を勝たせてやれなかった事に対する自責の念も無い。挙句、「顔も見たく無い」って子供かよw
コヒさん、差し出がましいようですが、黒崎師範を反面教師として、後進には正しい道を歩ませてあげて下さいね。人間性が素晴らしく、人と違った経験をされているあなただから出来る事があると感じました。
黒崎先生は「偉く」なってしまったんでしょうかねぇ
小比類巻さんが道場を辞める経緯での先生のお言葉は・・・
TBSには悪意を感じますが、コヒさんの動じない強さは黒崎道場で培われたのですね!
コメントありがとうございます。TBSさんも僕を心配してくれて、そしてファイターとして戻したかったのだと思います。今でも感謝しています。
テレビの闇だね
必死の力❗️ 必死の心❗️ 😭何百回読んだか………
所持している原版は私の宝の一つです。
必死の力の続篇も、有りましたよね?
そうでしたか❗️ 探して見ます、ありがとうございます🎵
技術の解説も載ってます。表紙が写真でなく、絵です。
黒崎さんから離れて 昔の思い出···言えない事って沢山の想いが あるでしょうが一ファンの私は あの頃のコヒさんの気持ち 涙しながら共に 黒崎さんを 恨んでます。何も知らないくせにって言われるの当たり前ですが 命を張って戦う選手を搾取する人って 信じられないし···此れからのコヒさんの活路を応援しています。
線香の跡が薄くなってますね!
コヒさんのお話しすごく面白いです!
体験した者にしかわからない貴重な話を聞くことが出来ました
石井館長は素晴らしいですね。
黒崎道場の練習では試合で勝てないと見抜いていた。
魔裟斗や外国人のスター選手がいる中で、負けが続いてもコヒを見捨てなかった。
黒崎道場の練習では勝てない。
誰しも知ってる事ですが誰も直接黒崎先生には言えない。
石井館長も、直接黒崎先生にコヒを返して下さいと言っていたら素晴らしいですが。
山田聡 直接言って聞くようなジジイじゃ無いから外堀から埋めていったんでしょうね。石井館長みたいな頭のキレる人からしたら、黒崎みたいな化石頭と話すだけ時間の無駄だと思ったんでしょう。
黒崎先生は最初にグローブを付けてムエタイの試合をした人(この時すでに現役選手ではない)。
キック、K-1、の原点であり、1000年の呪いをかけた悪魔。
空手やキックの関係者でまともに意見を言える根性のある人は世界中探してもいないのでは?
石井館長が直接言えるわけありませんよ。
悪のレベルが違う。
よそ者は入れないが亀田の親父ですら勝ちへの理屈があった
石井氏は興行の事しか頭に無かった!と、真っ直ぐ蹴るで著していましたが?
第3弾楽しみです。是非黒崎先生も出演希望です。
なかなか、ここまで小比類巻さんみたいな良い弟子はいないですね。どんな事をされてもどんな態度・処遇をされても全て良い方に受け止めて言いつけを守ってやり切る。
ただ1点だけ。
怪我をした時に病院に行かせないのは違うと思う。(意味が無い。)
次に手術後に、顔半分に血がたまって細菌が繁殖して、脳まで冒されそうになった時に、そんな弟子の危険な状態に気づけない師匠は最低です。
そこは気付ないと。
コヒさんはいい人なので、決して恨まないでしょうけど弟子のやばい状態に気づけない人は、絶対的にボンクラ師匠ですし指導する仕事についてはいけない。
自己鍛錬だけにとどめておいた方が良い。
小比類巻さんのことはリアルタイムで試合見させて貰ってましたし、応援してましたが
子供だったからかこの辺の話は全然知らなくて、
改めて格闘家の世界ってものすごい世界だなと驚嘆しましたw
小比類巻さん やー 尊敬しますわ。30年-40年の間に黒崎先生は考え方や指導法が
あまり変わらなかったのでしょう。それはダメになったということだと思います。
ほんとにストイックだ
あまりにも過酷なお話しでした。ただただ、聞かせて頂きありがとうございます。始まりも侍、修行中も侍、巻く引きも侍…だと感じました。この回で心に響いた感覚を大事にしてゆきます。ありがとうございま。
確かに黒崎道場に入ってから技術が劣ってきてるイメージがありました。お気を悪くされたのなら申し訳ありません。
石井館長の言う事は理解出来るし小比類巻さんと魔裟斗さんがライバルとして出てる時が本当に盛り上がってた。このままじゃダメだと石井館長も思ったのでしょうね。
熊本のエレファスというジムにも来ていただきありがとうございました
あの時ローキック以外使えたら絶対優勝してたと思います、本当格好いい
別に侍になることは目的じゃなくてファイターとして勝つための修行だったはずでしょ
手段と目的を取り違えて訳わかんなくなる人って多いね
スパーリングパートナーもいないで、怪我をしても満足に病院で治療もさせてもらえないんじゃ、強くなるわけがない。「ここで練習しても試合には勝てません。辞めます」と言ってさっさと元のジムに戻ればもっと活躍できたかもしれないのに。
藤原会長はずっとノーギャラだったらしいですが、コヒさんはどうなんですかね?
2002年の時にk-1worldmaxを見て初めて小比類巻選手という人を見た。あの時須藤元気の渾身の一撃のバックブローを不運にもまともに受けたにもかかわらず見事な逆転劇をおさめたのは今でも忘れずに覚えてます。あの後鼻を腫らしながら(折れてたんやろな)2試合もこなし魔裟斗との試合はお互いノーダメージなら小比類巻さんが勝っていたのは間違いなかった。次の世界決定戦ではあのマリノデフローリン出場者の中でも経験は随一の選手を一撃で沈めたのは凄かったです。2試合目のガオランとの試合はファーストコンタクトからはパンチとキックの打撃戦では小比類巻さんが推してましたね、あの頃世界最強と言われたガオランを打撃で押し込んでたのは真の王者だったと思った。ガオランはこのままでは負けると察して打撃戦から首相撲戦にスタイルを切り替えましたね、後に首相撲が認められなくなったけどもしあの時のk-1が早くから首相撲が認められてなかったら勝者は小比類巻さんだったはず、あの後ガオランは小比類巻選手をリスペクトしていたかのように試合後に小比類巻選手の腕を上げてたのを覚えてます。事実ガオランは決勝ではらしくないko負けしていました。あれは小比類巻選手の打撃が効いて残っていた証拠ですね、クラウスはあの時は出場者の中でも経験はなくバックボーンはボクサーだったからローキックの対応は出来てなく小比類巻選手と試合していたら勝者は間違いなく小比類巻選手だったはず、チャンピオンになるには実力だけでなく運も凄く左右されますので結果的にクラウスがあの時凄く運が良かっただけだと俺は思ってます。
石井館長著者の本を昔読みました。正道会館は極真の試合大会で実績と功績を残した精鋭達、それは石井館長自身も述べてたけど、大会に勝つためだけの練習をこなしてきたとだから勝てたのだと、極真は本来は真剣をなくした武士が素手で刀を持った敵に対処するために出来た武道、大山氏も空手はスポーツではなく武道なのであるとイズムを掲げてましたので大会に勝利する事よりも極真は真の最強を求めてた武道だったと思います。小比類巻さんは潜在的に極真の理想を求めていたと思ってます。小比類巻さんのスタイルはk-1の枠だけのk-1で勝つためだけのスタイルと練習プロセスじゃなかった。空手本来の理想、一撃必殺を小比類巻選手は武田幸三にもk-1日本1二回制覇の決勝の相手(前蹴りで倒した人)にも決めてました。求めてる物、理想がまさに‥。僕なんかが言葉で簡単に表せないものですが、だから黒崎先生は小比類巻さんと通じるものが
あったのではとずっと思ってます
uwfのリングス田村潔司さんも大好きだったけど、格闘技にのめり込むように僕がなったのはk-1worldmax2002をはじめてみた小比類巻選手からです。
なぜ黒崎道場を離れたのか ずっと疑問でした。そういう事でしたか。
黒崎先生は、そこから先の策があったと思います
ローキック一本の話も初めて知ったし、その次は前蹴りと考えると、
一つ一つ武器を揃えてから、集大成で全て解禁で最強の戦士をじっくり作るつもりだったのは間違い無いですね
この話は黒崎先生という侍伝説をよく表す話です。あのローキック地獄は本当に驚きましたから。
あれは黒崎健時が乗り移った姿だったのですね。
あの後、石井館長がパンチを出せと言ってましたよね。テレビ的には必要だったのでしょうけど
その先の完成形の戦士の姿を黒崎先生は見届けたかったでしょうね。
自分は職人をしたんてすが、?親方は最初の何ヵ月かは、雑用と仕事の段取りばかりでした。兄弟子にきくと、技術は教わるな!自分で盗めと言われました。
土台作りは時間がかかり、その間に予想や推察、連想、記憶力も養っていく。みたいな。、。指導方法なんでは?
黒崎さんは自分の弟子が死ぬほど可愛いから、あえて小比類巻さんをキツイ言葉で突き放して、悔いの残らないような憎まれ口で送り出したのでは?それに、自分の年齢から逆算すると、ジム運営もあと、何年も長くは?
そんな理由もあったのでしょう?
本当にこういうトレーニングで強くなれるのは極僅かですね……
よく藤原先生のことを例に出される方がいますが、他の方は逆に弱くなってしまうか、取り返しのつかない後遺症を心身に残すだけだと思います。
黒崎先生が老人ホームにいるとどこがで見たような気がしますが、今はどうしているのでしょうかね……
大沢先生が黒崎先生を勘違いさせたかもしれませんね❗
小比類巻さんが黒崎道場継ぐ、もしくは教えを残したらどうですか?
今黒崎先生の様に道場生に修行させる事は難しいですが、教えが伝わっていかないのが、惜しいです。
テレビは視聴率のためにどうしてもないドラマを作ろうと演出してしまうので、今はTH-camで自分の言葉で発信できるようになって格闘家の方々も本当に良かったですね。
これからも小比類巻さん自身の言葉を聞かせてください。
すごい宗教やな
今回も貴重なお話しをありがとうございました^_^
小比類巻さんの経験はどの選手より素晴らしいものだったと思う!
80キロの重りってリュックにパチンコ玉ですよね
黒崎先生を知っている友人から聞いたことがあります
私はおっさんですのでド根性系の練習って大賛成です
良し悪しは置いといて黒崎道場での経験も踏まえてそれがコヒで、そんなコヒが自分はマサトより好きかも。
黒崎さんは3年前に亡くなった
娘さんに箝口令をして藤原さんも最近まで知らなかったみたいです
三島由紀夫の文学に通じるものを感じます。
みんな忘れているけれども、館長もどうなったのか。。今の館長を知らせてくれるユーチューバーがいてくれると最高。
格闘技動画ドットコムってチャンネルで、石井館長の話はたまに出てきすよ。
自分の言葉で、。
石井館長は黒崎先生の目も見れないんじゃないの?
こんにちは👋😃
黒崎師範の弟子に対する教え方は、
パワー基礎体力から入ります。
あと技術は一つの技基本技を
反復させること。
後は自分たちで考えさせる。
戦術、駆引き、でもこれは、
試合を数多く経験しないと?
身に付かないかも?
キック全盛期は、試合数一ヶ月に
二、三試合あったみたいだったので
選手達が工夫して闘い方を
工夫していたみたいです。
ただこの教え方がK-1など、3ラウンド、肘打ち、首相撲なしのルールで
生粋のムエタイスタイルの
小比類巻氏に生きないのが、残念です。
ただ試合に生きなくとも、
人生において、生き抜く術の土台は、
身に付いたのではないでしょうか?
黒崎師範も、ムエタイ王者、選手を育てる気持ちより、
人を強く生きていける
手助けをしていたのではないかと
、想像しています。
黒崎健時さんは、あの「ダイナマン」のカー将軍を演じられた故 石橋雅史さんと大山倍達さんの門下生だったんですね。
試合に勝てなくなる、結果がでてからの石井館長の行動が正い?
本来なら、それまで封印されていた凶悪な悪魔黒崎先生を現代に甦らせてしまったコヒを、事前に「そこに触ったらダメ❗」と、止める事が正しい。
TVというかマスコミ的にそういう編集は絶対やってはいけないこと。まあK1はスポーツではなくバラエティ枠だったんでしょうね。視聴率さえ、金さえ儲かりゃなにしてもいい。
線香、、、根性焼きだねw 水飲んじゃいけないとか3分シャワーとかは、体の事を考えたら、医学的に間違っているけど(顔にバイ菌が入ったり)、腕立て1,000回とか120kg背負ったりとかは、体も鍛えられるし根性つくしね。その根性は試合で最後の勝ち負けに響くと思うよね。今の時代、パワハラとか体罰とか、やり過ぎはいけないけど、軟弱男子を産み出す現代だねー。
部外者が何か言えるような話じゃないな。
黒崎真理教
化粧してる?
どうらん位塗ってるかもですね。
化粧はしていないのですが、全体にフィルターがかかっている為、化粧しているように見えたかも知れません。
新興宗教ですか?