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実物は、まだ、みさせていただいていないですが、動画で見るだけでも、すごいですね。車の無い母子家庭でしたので、幼少期の家族旅行は、祖母を含めた3人でいつも列車でした。潮干狩りを含めてよく行った赤穂岬は、国鉄、片鉄、国鉄と乗り継ぎで、かなり遅くまで蒸気機関車に乗れた記憶があります。寝台列車で九州に行った時は、目が覚めたら長崎でした。その頃の思い出が蘇るような、風景ジオラマも素敵です。
レイアウトを計画した昭和50年ころ、単なる鉄道模型を走らせるだけでなく、時代設定と地域設定を設計時からきっちりや婁方向付けがありました。Nゲージ草創期の、最初の本格的鉄道模型レイアウトの一つだと思います。最初の「古墳のある風景」は岡山県南の、亜幹線の駅、総社駅あたりの昭和40年代という設定。昭和52年に鉄道模型趣味に発表。外周線は昭和60年に鉄道模型趣味に発表したから、昭和60年代の設定。別にある内田百閒阿房鉄道は、岡山城と旭川、百閒生家と操山の瓶井の多宝塔を再現してあり、大正から昭和の岡山がテーマ。全体に地面や崖は、吉備地方の風化花崗岩の色にさています。木も落葉樹主体。片鉄は乗ったことが無いけれど、蒸気機関車が走ってましたね。赤穂線の伊部で見たけれど、あれは貨物を引っ張っていた。赤穂線は昭和37年開業で、それと同時に西大寺軽便鉄道が廃止されたから、覚えてます。赤穂岬は小学校時代にも行ったが、最近も泊まったなあ。中学の修学旅行は長崎で、寝台列車だったけれど、C57という蒸気機関車が現役だった。昭和44年。まあそういう思い出を描いているつもりです。
@@岡将男 様、とても詳しい説明ありがとうございます。一度読みましたが、時間をおいて、何回か読ませていただきつつ、動画も見させていただく必要を感じました。色々な場面について、教えていただきましたから、その辺りの古地図とか、航空写真も、参考にして行って(国土地理院ページに)、そうしてまた、動画に戻ると言うことをしたいなと思いました。熊山からですと、熊山ー和気(山陽本線)、乗り換えて、片上鉄道で終点片上駅。そこから歩いて、高架上の西片上駅(赤穂線)ー赤穂駅で、行っていました。帰りはこの逆ですので、取ったアサリをぶら下げて駅間移動は、疲れもあり長く感じました。蒸気機関車の水と石炭の補給設備は、和気駅の一番南側ホームの東端にあったと思います。北へ乗った記憶はありません。片上側からの峠越えがすごく低速になり、飛び降りて走り、また飛び乗りたい衝動が記憶にあります。おそらく、錯覚でそれほど遅くはないと思いますけれど。
Good. So much work!
実物は、まだ、みさせていただいていないですが、動画で見るだけでも、すごいですね。
車の無い母子家庭でしたので、幼少期の家族旅行は、祖母を含めた3人でいつも列車でした。潮干狩りを含めてよく行った赤穂岬は、国鉄、片鉄、国鉄と乗り継ぎで、かなり遅くまで蒸気機関車に乗れた記憶があります。寝台列車で九州に行った時は、目が覚めたら長崎でした。その頃の思い出が蘇るような、風景ジオラマも素敵です。
レイアウトを計画した昭和50年ころ、単なる鉄道模型を走らせるだけでなく、時代設定と地域設定を設計時からきっちりや婁方向付けがありました。Nゲージ草創期の、最初の本格的鉄道模型レイアウトの一つだと思います。
最初の「古墳のある風景」は岡山県南の、亜幹線の駅、総社駅あたりの昭和40年代という設定。昭和52年に鉄道模型趣味に発表。外周線は昭和60年に鉄道模型趣味に発表したから、昭和60年代の設定。
別にある内田百閒阿房鉄道は、岡山城と旭川、百閒生家と操山の瓶井の多宝塔を再現してあり、大正から昭和の岡山がテーマ。全体に地面や崖は、吉備地方の風化花崗岩の色にさています。木も落葉樹主体。
片鉄は乗ったことが無いけれど、蒸気機関車が走ってましたね。赤穂線の伊部で見たけれど、あれは貨物を引っ張っていた。赤穂線は昭和37年開業で、それと同時に西大寺軽便鉄道が廃止されたから、覚えてます。
赤穂岬は小学校時代にも行ったが、最近も泊まったなあ。中学の修学旅行は長崎で、寝台列車だったけれど、C57という蒸気機関車が現役だった。昭和44年。まあそういう思い出を描いているつもりです。
@@岡将男 様、とても詳しい説明ありがとうございます。一度読みましたが、時間をおいて、何回か読ませていただきつつ、動画も見させていただく必要を感じました。色々な場面について、教えていただきましたから、その辺りの古地図とか、航空写真も、参考にして行って(国土地理院ページに)、そうしてまた、動画に戻ると言うことをしたいなと思いました。
熊山からですと、熊山ー和気(山陽本線)、乗り換えて、片上鉄道で終点片上駅。そこから歩いて、高架上の西片上駅(赤穂線)ー赤穂駅で、行っていました。帰りはこの逆ですので、取ったアサリをぶら下げて駅間移動は、疲れもあり長く感じました。
蒸気機関車の水と石炭の補給設備は、和気駅の一番南側ホームの東端にあったと思います。北へ乗った記憶はありません。
片上側からの峠越えがすごく低速になり、飛び降りて走り、また飛び乗りたい衝動が記憶にあります。おそらく、錯覚でそれほど遅くはないと思いますけれど。
Good. So much work!