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最近過去問解いてると「あ!これ動画で見たやつだ!」ってことがよくあります🙏受験までに全部見れないのが悲しい……😭勉強兼趣味としてこれからも楽しみにしてます👍
太平記ファンの中高年です。解説が良く整理されていて分かりやすく、知識の確認に役立たせて頂いております。これからも頑張って UP して下さい。現在 UP されていない古代の回も再 UP して頂けると嬉しいです。
多々良浜の戦い待ってました!小学生の頃何も考えないで歩いていた多々良浜の石碑(多々良小学校卒業)。教科書に足利尊氏が登場した時に先生とクラス全員で観に行って歴史好きになりました。自分の生まれ育った場所から京の都に足利尊氏が駆け上がったのか!って考えるだけで浪漫😄
べつに足利尊氏は九州では福岡市の香椎や多々良だけに来たわけではない。いやそもそも当地は糟屋郡だったし。門司港の甲宗八幡宮にもやってきてたという古文書が残っている
多々良浜は足利にとっては命がけの敗者復活戦なのですがドラマではそんな命がけの尊氏たちを尻目に後醍醐天皇や側近の公家たちは酒や歌・踊りなど宴三昧で浮かれてばかり楠木正成の話を聞こうとしませんいよいよ来週は湊川楽しみに待ってますね
足利兄弟ってホント瀬戸際で粘り強いよねw
お兄ちゃんだけだったらとっくに諦めてたと思う
「こちらも帝(みかど)を立てて逆賊ではなくて官軍に」という発想がまさか幕府成立後にとんでもない事態の火種になるとは
皮肉にもその帝(みかど)というか神輿として担がれた光厳上皇は滅亡目前の鎌倉幕府が後醍醐天皇の身柄を確保した後で暫定的に即位させたという
足利尊氏が縁もゆかりもない九州に落ち延びて復活して帰ってくるのが不思議。未だに納得する説明を見たことがない。
菊池氏ってこの後没落してしまうけど、何気に歴代九州最強クラスの武家だよね。
大河ドラマ「太平記」では割愛されてしまった戦いですね。尊氏のターニングポイントなのに。スタッフも泣く泣く削ったのでしょう。
足利尊氏は確かに名将だったと思う。だけど施政者としてはどうか。鎌倉幕府の北条執権時代、江戸幕府に比べ、室町幕府はかなり力が劣っていた。山名や細川のように有力大名が多く、政治的に優秀な直義とは戦になり、髙氏は直義との争いで無力化された。尊氏に幸したのは、後醍醐帝が公家ばかりを重用し、武家を蔑ろにしたから。だから楠木、新田、北畠顕家を酷使して、戦力をすり減らせた。尊氏にとって幸だったのは、後醍醐帝に戦略眼がなかった事。
後醍醐への恩賞への不満で内乱になったわけだから恩賞の出し惜しみしてたら負けるんで幕府の基盤が弱くなったのは避けられなかったんじゃないかな、鎌倉成立や江戸成立期とは状況が違いすぎるんだよね。それに山名や細川、畠山、今川、斯波といった有力勢力が足利一門なんでこいつらが元気なうちは内乱はあっても御輿の将軍家は安泰という構造で250年もった。
大河ドラマの太平記は何度も見ましたが今になってなぜこの多々良浜の戦いを撮らなかったのか、これは尊氏 直義兄弟のエピソードの中で一ニを争うほど名場面だった。ドラマ自身大満足だがこの多々良浜の戦いがなかったのは惜しいです。
足利直義はギャンブラーだなぁ。「カンナエの戦い」のローマ軍だもん。あのまま包囲されたらタコ殴り、全滅の道。
少弐と菊池って元寇では共闘した仲だったのにねw後に懐良を奉じたのも大きいね
足利尊氏としては、本当は後醍醐天皇に弓弾きたくはなかったでしょうから、さまざまな葛藤はあったでしょうね。
足利尊氏、いきなり九州に行っちゃうのは 凄く唐突に見えるな。岡山ぐらいで踏み止まって頑張る。とか出来なかったのかな九州から「お越しください。」と声が掛かっていたのだろうか?
いつも優秀な弟の直義に助けられる尊氏
戦が下手な直義に励まされる尊氏。最後はその直義を殺す尊氏。やはり日本人は文官肌と武人肌とは決して相容れない。
尊氏は自害を覚悟する回数多すぎ!
この戦いに負けていたら、足利兄弟自害していたかもしれないのに、あまり多々良浜の戦いて、大きく取り上げていないね。 歴史の本に。
直義は自分の兄を慕っていたのかな...後々、観応の擾乱の対立するの知ってるからちょっとツライね。
次は湊川の戦いか、、、ついに僕の大好きな楠木正成が死んじゃうのか涙
直義は散々負け戦してるから粘り強いね
足利軍が九州に行っていた頃、道誉さんは一緒だったのか、別行動なのか。
香椎宮行ったことある!
綾杉さやに香椎宮 千古の歴史受け継ぎて・・・
足利尊氏は、・人望はあつい・戦は強い・賢い・天皇に弓は弾きたくない・源氏再興を願っているというわけで、しかし後醍醐天皇の真意、国体あたりには関心がなかったのだろう。そんな気がする。因みに太平記は非常に堅苦しくて、平家物語の方が流れがよくて読みやすく感じます。
早くも自害しようと…でなんかわろた
後醍醐天皇ってイケメンだったんだねー。
官軍がこの勢いで九州まで行ってたら次の戦が有利になっていたかもしれない官軍兵士の数が足りないところですやはり帝のやり方だろう戦はながれが大事カラ素早く行かないと足利尊氏にはかてない
尊氏はいつもやる気をなくす
楠木正成の子孫は織田信長に追われて南会津に逃げた。
信州にも落ち延びてます。上野国には、南朝に付いた京都の公家や新田義貞の妾の子の原澤道長とかも残りました。
本当に毎月合戦、毎日行軍ですね。。
5:21 『桃井・もものい』なんやけどね。間違う方結構いらしゃっるね。
大友少弍の裏切りは常に。
足利尊氏は若干の自害癖があるのかな?w毎回止められてる気がするw
この後楠木正成を滅ぼすのか~
おのれ尊氏
うちの?
たった300騎でボロボロの状態の足利軍に九州をあっさり席捲されるなんて、九州の武士がショボ過ぎますね。当時の九州武士は個々の戦闘能力は高いけど、軍勢としてのまとまりに欠けていたと言われますし。元寇の時も最初はまとまりが無くて苦戦してたのが、鎌倉から派遣された指揮官によってようやくまとまりが出来て元軍を撃退出来たと言われてますし。
別に足利軍が九州を席巻したわけではなく、ほとんどの武士が後醍醐より足利を選んだだけだろ。
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勉強兼趣味としてこれからも楽しみにしてます👍
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多々良浜の戦い待ってました!
小学生の頃何も考えないで歩いていた多々良浜の石碑(多々良小学校卒業)。教科書に足利尊氏が登場した時に先生とクラス全員で観に行って歴史好きになりました。自分の生まれ育った場所から京の都に足利尊氏が駆け上がったのか!って考えるだけで浪漫😄
べつに足利尊氏は九州では福岡市の香椎や多々良だけに来たわけではない。いやそもそも当地は糟屋郡だったし。
門司港の甲宗八幡宮にもやってきてたという古文書が残っている
多々良浜は足利にとっては
命がけの敗者復活戦なのですが
ドラマでは
そんな命がけの尊氏たちを尻目に
後醍醐天皇や側近の公家たちは
酒や歌・踊りなど宴三昧で浮かれてばかり
楠木正成の話を聞こうとしません
いよいよ来週は湊川
楽しみに待ってますね
足利兄弟ってホント瀬戸際で粘り強いよねw
お兄ちゃんだけだったらとっくに諦めてたと思う
「こちらも帝(みかど)を立てて逆賊ではなくて官軍に」という発想がまさか幕府成立後にとんでもない事態の火種になるとは
皮肉にもその帝(みかど)というか神輿として担がれた光厳上皇は滅亡目前の鎌倉幕府が後醍醐天皇の身柄を確保した後で暫定的に即位させたという
足利尊氏が縁もゆかりもない九州に落ち延びて復活して帰ってくるのが不思議。
未だに納得する説明を見たことがない。
菊池氏ってこの後没落してしまうけど、何気に歴代九州最強クラスの武家だよね。
大河ドラマ「太平記」では割愛されてしまった戦いですね。
尊氏のターニングポイントなのに。
スタッフも泣く泣く削ったのでしょう。
足利尊氏は確かに名将だったと思う。だけど施政者としてはどうか。鎌倉幕府の北条執権時代、江戸幕府に比べ、室町幕府はかなり力が劣っていた。山名や細川のように有力大名が多く、政治的に優秀な直義とは戦になり、髙氏は直義との争いで無力化された。尊氏に幸したのは、後醍醐帝が公家ばかりを重用し、武家を蔑ろにしたから。だから楠木、新田、北畠顕家を酷使して、戦力をすり減らせた。尊氏にとって幸だったのは、後醍醐帝に戦略眼がなかった事。
後醍醐への恩賞への不満で内乱になったわけだから恩賞の出し惜しみしてたら負けるんで幕府の基盤が弱くなったのは避けられなかったんじゃないかな、鎌倉成立や江戸成立期とは状況が違いすぎるんだよね。それに山名や細川、畠山、今川、斯波といった有力勢力が足利一門なんでこいつらが元気なうちは内乱はあっても御輿の将軍家は安泰という構造で250年もった。
大河ドラマの太平記は何度も見ましたが今になってなぜこの多々良浜の戦いを撮らなかったのか、これは尊氏 直義兄弟のエピソードの中で一ニを争うほど名場面だった。ドラマ自身大満足だがこの多々良浜の戦いがなかったのは惜しいです。
足利直義はギャンブラーだなぁ。
「カンナエの戦い」のローマ軍だもん。あのまま包囲されたらタコ殴り、全滅の道。
少弐と菊池って元寇では共闘した仲だったのにねw
後に懐良を奉じたのも大きいね
足利尊氏としては、本当は後醍醐天皇に弓弾きたくはなかったでしょうから、さまざまな葛藤はあったでしょうね。
足利尊氏、いきなり九州に行っちゃうのは 凄く唐突に見えるな。
岡山ぐらいで踏み止まって頑張る。とか出来なかったのかな
九州から「お越しください。」と声が掛かっていたのだろうか?
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戦が下手な直義に励まされる尊氏。最後はその直義を殺す尊氏。やはり日本人は文官肌と武人肌とは決して相容れない。
尊氏は自害を覚悟する回数多すぎ!
この戦いに負けていたら、足利兄弟自害していたかもしれないのに、あまり多々良浜の戦いて、大きく取り上げていないね。 歴史の本に。
直義は自分の兄を慕っていたのかな...
後々、観応の擾乱の対立するの知ってるからちょっとツライね。
次は湊川の戦いか、、、
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直義は散々負け戦してるから粘り強いね
足利軍が九州に行っていた頃、道誉さんは一緒だったのか、別行動なのか。
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綾杉さやに香椎宮 千古の歴史受け継ぎて・・・
足利尊氏は、
・人望はあつい
・戦は強い
・賢い
・天皇に弓は弾きたくない
・源氏再興を願っている
というわけで、しかし後醍醐天皇の真意、国体あたりには関心がなかったのだろう。そんな気がする。
因みに太平記は非常に堅苦しくて、平家物語の方が流れがよくて読みやすく感じます。
早くも自害しようと…でなんかわろた
後醍醐天皇ってイケメンだったんだねー。
官軍がこの勢いで九州まで行ってたら次の戦が有利になっていたかもしれない官軍兵士の数が足りないところですやはり帝のやり方だろう戦はながれが大事カラ素早く行かないと足利尊氏にはかてない
尊氏はいつもやる気をなくす
楠木正成の子孫は織田信長に追われて南会津に逃げた。
信州にも落ち延びてます。
上野国には、南朝に付いた京都の公家や新田義貞の妾の子の原澤道長とかも残りました。
本当に毎月合戦、毎日行軍ですね。。
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間違う方結構いらしゃっるね。
大友少弍の裏切りは常に。
足利尊氏は若干の自害癖があるのかな?w
毎回止められてる気がするw
この後楠木正成を滅ぼすのか~
おのれ尊氏
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たった300騎でボロボロの状態の足利軍に九州をあっさり席捲されるなんて、九州の武士がショボ過ぎますね。
当時の九州武士は個々の戦闘能力は高いけど、軍勢としてのまとまりに欠けていたと言われますし。
元寇の時も最初はまとまりが無くて苦戦してたのが、鎌倉から派遣された指揮官によってようやく
まとまりが出来て元軍を撃退出来たと言われてますし。
別に足利軍が九州を席巻したわけではなく、ほとんどの武士が後醍醐より足利を選んだだけだろ。