【寺社参詣】#19 真光寺(神戸市兵庫区/時宗) ~時宗開祖 一遍入寂の地~ Shinkoji Temple
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- เผยแพร่เมื่อ 5 พ.ย. 2024
- 神社仏閣巡り「寺社参詣シリーズ」第19回は、時宗の開祖であり、念仏勧進の遊行を16年続けた鎌倉時代の僧侶 一遍上人の廟所がある、神戸市兵庫区の時宗寺院 西月山真光寺です。
元は「光明福寺」と呼ばれた寺院で、開基は平安時代にまで遡る古刹です。後に一遍に師事していた遊行2世の他阿真教が伏見天皇から真光寺の名を賜り、時宗の寺院となりました。
「時宗」と呼ばれるようになったのは江戸時代以降のことで、元々は「時衆」と呼ばれていました(読みは同じ「じしゅう」)。 中国から念仏を伝えた善導が、時間ごとに交代して念仏する門弟たちを「時衆」と呼んだ事が起源とされています。一遍はこの「時衆」を率いていました。
一遍と言えば「踊り念仏」が有名ですが、この「踊り念仏」は、元は空也上人(京都・六波羅蜜寺に像があります)が興したもので、一遍も空也上人に倣って始めました。現在時宗の踊り念仏は、長野県佐久市の寺院に残るもののみになっています。
一遍は、居を定めずに各地を行脚しながら、念仏の勧進(遊行)を行いました。そんな遊行の旅は16年に及び、ここ兵庫津の真光寺で最期の時を迎えました。
真光寺の境内には、一遍の御廟が置かれ、御廟の玉垣の中には五輪塔が安置されています。この五輪塔には、一遍の遺骨が納められていると伝えられていました。
平成7年1月17日、神戸・阪神地域を震度7の激震が襲った阪神・淡路大震災で、真光寺は鐘楼や観音堂が倒壊する被害を受けましたが、御廟の五輪塔も倒壊してしまいました。
その時、五輪塔の水輪部から、小さな備前焼の骨壺が出てきて、中に骨灰が入っているのが発見されました。今となっては調査する術は無いのでしょうが、寺伝にある一遍の遺骨ではないかと言われています。骨灰は、元通りに修復された五輪塔に再度納められています。
一遍最期の地 という由緒を持つ寺院、兵庫津の西月山真光寺の動画をご覧下さい。
撮影機材:GoPro HERO8
【リンク】
真光寺公式WEBサイト
www.jishu-shin...
【使用BGM】
「White River」(TH-cam Audio Library)
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