梶浦雅弘(Viva La Silva クリエイター)インタビュー / Masahiro Kajiura
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- เผยแพร่เมื่อ 4 ต.ค. 2024
- アクセサリーブランド『Viva La Silva』クリエイター・梶浦雅弘氏のインタビューです。The One Nightsの活動やドラマーとしての過去、現在、未来に迫る…!!
梶浦雅弘:1960年6月12日生、福岡市出身。21歳〜46歳までプロドラマーとして活動。現在は博多天神、昭和通り沿いのショップ『Viva La Silva』のオーナーとしてシルバーアクセサリーをプロデュースする傍ら、自身のプロジェクト『The One Nights』のライブ活動を行っている。2017年9月には『The One Nights with YAMZEN』名義で2DAYSライブを開催(新宿ロフト/The Voodoo Lounge Vo.山部善次郎 Vo&Gt.佐藤タイジ Vo&Gt.モモカズヒロ Ba.ウエノコウジ Dr.梶浦雅弘)
)。
Viva La Silva ショップ情報(Instagram): / kajiura.masahiro
梶浦雅弘 Facebook: / vivalasilvak
The Blues One Nights: / the-blues-one-nights-1...
企画制作:The Interviews Japan theinterviewsja... - บันเทิง
梶浦さんの「これまで~今」に至る心境を聞けて、とてもよかったです。
梶浦さんの人柄、最高に素敵に感じるインタビューでした。
梶浦さん 元気そうで良かった。モッズを脱退したときは、寂しかったけど、今は、第2の人生を楽しんでそう。…梶浦さんは、手先が、器容で、😂人柄
梶浦さんの8ビート大好きです。
リズムキープ能力が極めて高いドラマーで凄いと思います。
興味深いお話し。
高校生の頃に激しい雨ががヒットしたけどこのバンドに興味がなかった。しかし「ドラマー、カッコ良いな、上手いな…」と思った。
ネガティブな意見を言う人もいる様だが60過ぎた彼の話に嘘はない様に思える説得力がある。一度、ライブも観てみたい。
素晴らしいいい話を沢山聞けました😃👍ありがとうございました🙇🎵
裏切り者とか言いよう奴がおるけどそうじゃない。元々博多のバンドは引き抜き合戦上等の世界。今年60歳の俺が高校生の頃に博多で見よった初期のモッズのメンバーはボーカル森山さん、ベース北里さん、ギター白浜さん(後のARB)、ドラム七田さんやった。でもその前もあると思う。そしてその頃のモッズはガチでモッズファッションでデイブクラークファイブのカバーやらしよった。で、俺が最初にモッズを見た時、隣の席で一緒に当時のモッズのステージを見ていたのが東福岡高校のブラバンの先輩やった梶浦さん。梶浦さんはリズム感も音感も抜群の先輩やった。どんなテンポでメトロノームを振っても手拍子が全部ジャストで合う。音感もほぼ絶対音感。瞬時にティンパニーをチューニングしていた。それともう一つ言うとくけど元々苣木さんも梶浦さんもモダンドールズのメンバーなんぜ。梶浦さんの悪口を言うな。
生き証人!!!
過去を振り返らない、苦しい事を経験すると、喜びが、倍増する。人生の途中で起こる出来事は、すべて意味のあること、という考え方が、とても前向きで、素晴らしいです。ME TOOです。私も、同じ考えです。
全く違う世界に飛び込む怖さを乗り越えて、再びドラムを叩き始める梶浦さん、カッコ良いな〜
梶浦さんのドラミング好きでした!応援してます!!
が、良いので、何をやっても、成功すると思います。ガンバッテ下さい!!遠くから、応援してます。🎉😮😊
元気そうで嬉しいっス TVKのFighting80'sは毎週観てた 46歳からでも新しい事にチャレンジし続けるって羨ましい。試行錯誤繰り返すのが人生っすな
34年前思い出す…。人生の基礎。
力強いドラム大好きでした!
30年前から聴いてますが梶さんのドラム有ってのモッズだと思います。
梶やんは俺のドラムヒーローやったよ。 この頃MODSのことちょこちょこネットなんかで見てて、梶やんがいないのはなぜ??って思ってたけどそういうことだったんですね。梶やんが今が幸せだったら俺はうれしい。だいぶ梶やんに持ってたイメージと違ったけど、人間臭くていいね。また違うビート刻む梶やんにも会ってみたい。なんか元気出たよ!
梶浦さん、素晴らしい!モッズの大ファンでした!!
福岡のお店にも行きたいです。
どこのお店ですか?
動画説明欄に『Viva La Silva』の情報載せてます!
好きだな〜〜
梶浦さんのタイコ‼️
バスドラで、裏打ちしたり、
レゲーびーとを、
わざと
表拍で打ったりと!
原島さんが司会した映像しか残って無いのですが、
ワンナイツの音源は、
どこかで買えますか⁉️
82年当時高校でコピーバンドでドラムやってましたよー
辞めたの知らなかったです
梶さんのドラミングの粘り感、それによるタム回しやスネアのちょっと遅れたタイム感は絶妙で、誰もまねできません。替わりが効かないのですよね。うまいというか、天性のリズムをたたき出すのです。
Modsを好きになって一年ちょっとやけど、梶浦さんはModsで何があったのか知りたいと思う 掘り返されるのは嫌なのかもしれんけど…
梶浦さん辞める時森やんにかなり圧力かけられたらしいです。
2度とバンドやらせないとまで言われたらしいです。
博多の某焼鳥屋の大将が言ってました。
@@カークハメット えぇ… そうだったんですね
そもそも梶浦さんが辞めようと思ったのは何でかっていうのは明らかにはなってないですよね
元々今の商売(シルバーアクセ)したかったみたいな事を言ってたらしいんですが、森やんが脱退を許さなかったみたいで、抜けるならこの業界に居させないみたいな。。。
森やんって結構業界の中でも力があるんですかね
まぁいきなり辞めると言われたら困惑するのは分かるんですが、円満な脱退ではないと知って少しショックです
森やんに説教出来るのって山善さんとか鮎川さん、キクさん位しか居ないんやないですかね😞
なんか俺は25年やった仕事を裏切った感じに取られる感じで抜けました。何してるのか?分からなくて。仕事内容は大好きでしたが・・・・
梶浦さんさんの話が心に刺さりました。
68年生まれのおっさんです。涙ぼろぼろで観さしてもらいました(泣) これからも付いていくんで!
最高です!!
いい人だ~
THE MODSに憧れて梶浦さんに恋焦がれてドラム始めてまんまと挫折した元バンドマンです
なんで「MODS」の名前を出せないんだろう?今、あなたの周りに人が集まってくれるのはあなたの力量もありますが
THE MODSという偉大なバンドで叩いていたからという面も多大にあると思います
そのバンドに在籍していたという過去を封じるような忘れるようなそんな言動は非常に残念です
天田哲史氏
俺の解釈はちょっと違いまして、
梶浦さんはインタビュー中何度もご自身で言っている、
過去を振り返らない、辞めた事を後悔しないため、
彼なりの仁義で敢えてモッズという名詞を公の場では
使わない、利用しないと捉えましたけどね。
大人の事情❓なんですかね…。
モッズを、わざわざ「あるバンド」と濁した言い方をした強烈な違和感。
色々軋轢があったんじゃないの? 言えない事もあるだろうし……そこも含めて’あるバンド’って表現したんじゃない 知らんけど。
言うな、って言われてるんでないですかね、
上下厳しそうなので、ずっと「身体に悪そう」と思ってましたね。 歳も歳ですし
健康第一で人生生きて欲しいです。
モッズも自分の親も
前のバンド辞めて、すぐ、コルツの助っ人やってたよな、しかもよく喋る人なんだな
なんでモッズ辞めちゃったんだろう…
四人の中で一番ハンサムだったw
彼のドラムがあってのあの偉大なバンドの成立が…
梶浦さんいないとMODSでないんだよ、誰一人いなくてもダメだし
俺は周じゃだめなんだよね
応援はしてるけど
梶浦さんじゃないとダメなんだよね
2003年の「Live Epic」で観れてよかったです、メンバーチェンジは本当に寝耳に水でしたね。周さんは若返り的意味もあったと思います。
もう一度あの頃のモッズが見たいっす
脱退して居なかったらどんなかんじなんだろうなー
少し体調が良く成りマシタ😊🌸🌸🌸
言い方悪いかもしれないけど、ただの裏切り者にしかみえん。周君じゃなくて梶浦さんがよかった! ROCKAWAY
その発言は、森山さんやメンバーを一番悲しませることではないかと思うよ!
梶浦さんにしても辛いと思うよ!
もう少し人の気持ちを考えて発言した方がいい!
周は、今では立派なドラマー!モッズのドラマーだ!