『歎異抄を聴く』③ 原文 第十一~十三条  桜嵐坊

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  • เผยแพร่เมื่อ 14 ธ.ค. 2024

ความคิดเห็น • 7

  • @uro9000
    @uro9000 2 ปีที่แล้ว +1

    ありがとうございます。南無阿弥陀仏🙏🙇

    • @7676amida
      @7676amida  2 ปีที่แล้ว

      宮路さん
      いつもの有難うございます🌸❣

  • @久子松田-d4x
    @久子松田-d4x 3 ปีที่แล้ว +1

    理解しやすくて、合掌ありがとうございます🙏

    • @7676amida
      @7676amida  3 ปีที่แล้ว

      松田さん ようこそお聴聞下さいました(^人^)namo

  • @木村点
    @木村点 3 ปีที่แล้ว +1

    アップロードありがとうございます。
    歎異抄は、難しい文学的表現ということはないのですが、平易で、わかりやすい名文が多いように感じます。
    いつもありがとうございます。

    • @木村点
      @木村点 3 ปีที่แล้ว +1

      このあたり。
      繰り返し聞いておりますと、お堂にこもった時の親鸞聖人の苦悩の内容が、このようなものではなかたのかと思われます。
      どれだけ精進しても、まったく悟りに至る実感のない無力感といいますか。
      そして法然さまの浄土の教えに接したときの喜びも。
      それらが一番強く表れているのが、今回範囲の部分ではないかと感じております。
      それだけに、何度も繰り返し聞くようにしております。
      ありがとうございます。

    • @7676amida
      @7676amida  3 ปีที่แล้ว +1

      木村さん 何度もお聴聞ありがとうございます。
      直弟子の見聞きした、生の聖人のお姿が、伝わってきますね~(^人^)namo