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新横浜の駅で出会ったくだり、いいですね。なんか船木と前田が完全に仲違いしたわけじゃなかったのが分かって嬉しかった。
格闘技ファンとしては、船木さんに「なんでも協力する」と言った前田さんと、それをこの場で公表してくれた船木さんのお二人に感謝です!
前田さんのことを「もうあの人のことは信用していません。」と言っていたのは、プロレス上のコメントだったのですね。前田さんの「協力するから。」は感動しました。頑張っている男は孤独ですから嬉しいですよね。
WOWOW は、リングスではなく前田日明に付いていたわけですね。自分で会社をつくったり何かをやったりするには、自分に魅力がないといけませんね。やっぱり自分磨きは大事ですよね。
前田も孤独だったということよね
前田選手も舩木選手も、若気の至りだったのでしょう。人間なら誰しもあること。こうして、過去のことをきちんと話すことの出来る舩木さんは流石ですね🎵
前田さんはUWFが解散してからも船木だけは会えば挨拶をしてくれたというのを聞いた事が有りました。この話を聞いてそれは本当だったんだなと思います。先輩との縁を大事にする船木さんは素晴らしいですね
イメージとは逆だな船木が1番距離を取るタイプに見える
船木さん以外は誰一人挨拶しなかったのは失笑ですね、
ああ。こんな貴重な話が無料で自分の部屋でワンクリックで聞けちゃうなんて。。。便利でいい時代になったなぁ。ってのと申し訳ないような思いと。20年前のNKホールの観客席で泣いてた俺に教えてあげたいよ。こんな時代が来るってことを。
aloe nakazato 腹筋しながら聞きましょう。
aloe nakazato ホンマやね😭
キャッチコピーは「世界最強の男はリングスが決める」のとおり、ヒョードルやノゲイラを発掘して世界中にネットワークが広がって素晴らしかった。パンクラスも正道会館みたいに、ここに参戦してたら面白かったな。
今回も貴重なお話、ありがとうございました。
終止、穏やかに時系列に沿って丁寧にお話をされる船木さん。パンクラス時代のリングス絶縁のくだりを再現して話す時は声が尖っていたので、いかに当時ストレスになっていたかわかりました。
秀樹今
いやいや 凄い話だと思う話し掛けていたら歴史が変わっていたかもしれませんねしかし「U」って本当 深いですね。
長州選手が格闘技をずっと見てた話は衝撃だけど、確かにそうだよねと説得力が半端なかったです。船木選手が当時の良いお話ら悪いお話をいつも誠実に語っていただけるので本当に心地よく楽しませてもらってます。もしもいつか機会あれば船木選手がUWFに移籍しなかったら自分はどんな道を精進したのか、船木選手の思いを聞かせていただけたら嬉しいです。
なんかいろいろありがとうございます。本当にありがとうございます。
1990年代はUインター、リングス、パンクラスとチェックするのが大変だった記憶が蘇りました。それぞれ、特徴があったので面白かったです週プロや格闘技通信の記者が色々と関わっていたのが興味深いですよね
リングスとUインターの旗揚げ戦は1日しか変わりません。事実、自分は大阪から密航してその日の晩に後楽園ホールでのUインターの旗揚げ戦を見てから一泊して、翌日に横浜アリーナのリングスを見に行っています。UWF解散後はそれぞれを応援し、藤原組についてはグローブ空手のトーワ杯に出て行った姿にわくわくし、UWF系の選手は打撃も一流であってくれと思いながら雑誌の記事を読んだものです。あの頃は、わくわくしながら各雑誌の発売日を待っていたものですが、今はその本屋自体が激減し、週プロでさえコンビニでも滅多に見なくなり寂しいものです。動画の最後の、もしもU系が一つになっていたなら...は、ファンだけでなく当事者の中心選手までもがそう思うのかと鳥肌が立ちまっした。
今回は輪をかけて超貴重な話!!いつも面白いけど、さらに凄いですね〜
90年代中盤から数年間の格闘技ファンでしたが、その前夜話を当事者の方から聞けるとは······貴重すぎます、ありがとうございます。
私は船木さんが好きですけど、前田さんは色々言われていますが、前田さんはいい人ですね❗
でも、対立前に「高橋君、いい選手だよね!よくそだてたよ!」と前田は絶賛してたんだよね。対立中は闇討ちしてた時は安生とハイタッチしてたけどw今は前田とパンクラス、高橋義生は仲良いんだよね?
船木さんのおっしゃる通りだと思います。交流によって多くの技が生まれ、また淘汰され日本独自のスタイルが確立される事が必要です。
何もかも懐かしい・・・
リングス時代に前田さんが「リングスを大相撲のようにしたい。」と仰っていましたよね。 オランダとかロシア等も含めそれぞれの団体が統一ルールの相撲部屋(道場)のような存在になり、年に数回リングスのリングで闘うようにしたいと。将来的に統一ルールのもと「船木道場」や「前田道場」、「高田道場」や「山本道場」、「桜庭道場」や「田村道場」などが出来、切磋琢磨して(もちろん出稽古等もして)年に数回試合を行う。そんな妄想をしてしまいます。
鎌田薫 そうそう、そんな事仰ってましたね。夢の様な構想ですね。いやー見てみたいなぁ!
うんうん(о´∀`о)妄想しちゃうけど(笑)揉めて解散が現実ね(;つД`)
あの時の『格闘技通信』の表紙の内情はこういうことだったのか
貴重なお話ありがとうございます!その週プロの記事、当時コンビニで読んで、すんごいショックだったのを覚えております。鈴木さんと船木さんがかなり辛辣に批判していました。「嗚呼~もうあかん。もうこの四団体は組むことないわ・・ううう・・」と。あまりのショックにコンビニに買った商品を置いていったのでw。私としては藤原組、Uインターリングス、パンクラス・・もう一度そろってほしかった。
この頃の日本の格闘団体はいつも「船頭多くして 船 山に登る」という言葉がまさに象徴するような分裂劇が多くてファンとしては「またか?」という感じでした。実際にリングス、パンクラスが合併しても、すぐに「前田vs鈴木みのる」、「前田vs高橋義生」という対立構造が発生して、もっとややこしい「分裂」「選手の奪い合い」「再結成」という混沌が続くというのが想像に難くありません。
良い話聞けたな
93~94年あたりの話かなぁ?大学生になって、授業中も週プロ読みながら、法律よりもプロレスばっかり考えてたなぁ。前田、高田、船木で酒でも飲みながら昔話できるくらい時間過ぎたでしょ。ぜひ話してほしいなぁ。。
自分達は真剣勝負だった、どこがそうじゃなかったみたいなことは言わず、それでいて団体運営の裏事情まで包み隠さず話してくたりと、メチャクチャ興味深かった。話すスピードも速すぎず声も聞き取りやすいし、理路整然と話してる。基本的に頭が良い人なんだろう。
あの絶縁宣言を受けて前田は「これ、本当に船木が言ったことなの?誰かに入れ知恵されたんじゃないの?俺らの関係ってこんなもんなのかなぁ…」って、翌週のインタビュー記事で寂しそうに話してたのを覚えてるけど、そこに至るまでにこういった経緯があったとは!当時、本格的に脱・プロレスへ向かっていたリングスは週プロにもほとんど試合の記事を載せてもらえなくなっていて、前田が記事になるのはだいたいUインターかパンクラスと揉めた時だけになっていたけど、この件にもやっぱりターザンが一枚噛んでいたわけだ。UWFの理想を突き詰めると最後は格闘技に辿り着くのは明確なのに、結局ターザンはどこまで行ってもプロレスの中だけでUWFをやってて欲しかったんだろうな。24年越しに真実が知れて良かった。
ほんと当事者の貴重な話はいいですね。ターザン山本って、「パンヲタ」ってパンクラスを排除してたんですよね。谷川は「巌流島」やるだけ立派だ。 石川 雄規って、すごくいい人感あったんだろうね。
ルールの統一の問題もありますがギャラの問題なんかもありますよね。ヒョードルクラスなんか億単位で引き抜かれてプライドさえ崩壊してしまいました。金儲けのためマスコミが煽るお陰でファンも焦点が定まらなくなってついていけなくなって離れて行ったのは残念でした。理想の格闘技ルールの答なんてないし結局は興行としてどう成り立って行くかですよね。格闘技界の厳しい現実ですね。どんな世界も現実は残酷で厳しい面がありますね。
余りある才能があるのに上手く世の中と調和ができなかった不器用な船木さんと自分をよくリンクさせたものです。1996年の試合で、また生きるぞとMCされましたがとても漲るような勇気をもらったことを記憶してます。
3団体共よく見に行ったな。パンクラスは一番の緊張感、遊びなし。Uインターは後楽園が異様に良かった。リングスはおしゃれなイメージで大会場だけみたいな。ターザン山本なんだなぁ。長州に「UWFってなんだったんですか?」「UWFはお前なんだよ!」今納得!
貴重なお話ですねリングス・Uインター・藤原組・パンクラスよく観戦に行きました
ひとりぼっちのアキラ、週プロの表紙のタイトルが秀逸だった。
船木さんの声は落ち着きます
貴重な話ありがとうございますUWFが好きだった自分はそのままの流れでパンクラスもリングスも好きでした。だから団体同士の交流戦なんかも勝手に期待しちゃったりもしましたし、揉め事や絶縁状の件で落ち込みもしましたが船木さんと前田さんが普通にトークしてるのをみるとなんか感慨深いです。
ホントにいい話ですね!船木さんありがとうございます!日本格闘技界が一つになりますように。。自分はフルコンタクトカラテを修行中の身ですが、カラテ界も一緒になったらなぁ~♪って思います
良い話聞けた
今のプロレスしか知らない若い人にもわかりやすい解説。いろいろな人に見てもらいたいですね。
前田のあとの船木がスターになって、田村と桜庭、高阪とかが活躍していたら前田も現役が5年ぐらい伸びたかもね。どう考えても船木はもっともっとスターになってた。強くもなってた。
やっぱりリングスとパンクラスとの軋轢はマスコミが煽った結果だったんですね。リングスとパンクラスが合併していたら・・・想像すると非常に夢がありますね。
当時は群雄割拠、弱肉強食の時代だったと思います。プロレスの盛り上がりからUWFが出来て、そこからまた4つに別れた。パンクラスは当時何か独特の雰囲気を放ってましたね。自分は東中野の近くに住んでいて菊田さんの道場の近くだったのでちょくちょく練習風景をみてカッケーと思って見てました。東中野には確か骨法の道場もあった気がします。パンクラスとリングスが合体してたらすごいことが起きてたでしょうね。まだプライドやUFCの前だからそれをも凌ぐものが生み出されていたかもしれません。ぜひ見て見たかったです。
掌底で続けて欲しかったです。 あのままどう進化するのか見たかったです。オープンフィンガーであっても、グローブをつけてしまうと技術的にちょっとそれなりのものに変わってしまう。
ヤマケンまで出るか… 俺は本当にうれしいよUPありがとうございます!
凄く興味深い話でした。こういう日本の格闘技界のifの話は面白いです。
リングスもKOKルール以前から、真剣勝負だったんですね。自分の思い違いでした。船木さんが言ってるのだから。
ピーター・ウィリアムスという架空の選手を作っちゃう、お茶目な船木氏ですが、ウィリー・ピータースの間違いです!(キッパリ)
熊殺し、ウィリー・ウィリアムスとごっちゃになったんだよ、多分
そんな奴いたっけ?と思ってたら、やっぱりそうだつたのか!
体格差も相まって両雄並び立たずで別団体として活動して正解だったのでしょう。一方体格的には近かった藤原さんとの年齢差はコントラストとなってて良い作用でした。
当時大好きだったUWF解散は本当にショックだった。その後は色々あったけど、何しろパンクラスは驚いた。秒殺って言葉、私の中ではパンクラスが発祥です。いい悪いは別にして、ここにきて色々昔の暴露話が出ているけど、当時はワクワクしながら格闘技雑誌読んでたな〜。ずーっと前田日明最強信者でしたねー。世界最強はRINGSが決める、前田選手の(何の格闘技が強いかではなく、誰が強いかなんや。)って、ホント納得した記憶があります。
私の中ではハイブリッドもパンクラス発祥です(^。^)
いい話や。まあ、当時の俺はU系3団体全部ガチだと思ってたわけで・・・(^^;オランダに着いたらドールマンがむかえてくれて、その後ルッテンと出会うくだり震えるわ。わざとルッテンの名前を伏せる、船木の粋な演出(^.^)
バスルッテンのくだりでおしっこちびったww
面白い!面白い!最後のあたり面白い!!日本式の総合格闘技て何だろう?柔道とか柔術がベースってのも有るかもしれないけども、私はプロレスファンだからゴッチ式のレスリングを発展させた物がそれなのではと思ってしまう!!UWFを今からまた発展させないと!!
まさか船木さんがWOWOWに加入していてリングスをリアルタイムで見ていたなんてw当時、パンクラスの旗揚げから船木さんの決意はパンクラスファンのみならず、全ての格闘ファンに伝わっていたと思います。そのくらい毎回、張り詰めた緊張感のある試合をしていましたし、いかにしてパンクラスを広めていくか、格闘界を面白く出来るかの解を求める姿勢が見て取れました。今でこそ増えましたが、一般の人が参加出来るジムP's LABOを作った時など驚きと共に非常に感心したのを覚えています。にしても、もし万が一船木さんがその気になっていたら、パンクラスとリングスの対抗戦なんてのもあったかも知れなかったんですね。それはそれで見たかったかもしれませんw
面白過ぎる‼︎
高野さん そういえば✨いましたね、ドロップキック 記憶に 残っております❗。
リアルタイムで当時の様子を見ていました。船木さんのいろいろな葛藤などが等身大で人間味を感じました。そりゃ悩んだりしますよね。僕らは雑誌でしか情報がないので煽りの部分が入ってきてました(笑)あと、ああいう状況でも意外と他団体やシーン全体を見てるんだなと思いました。今UWF再結成したらすごい充実した選手層になるなと思ったことはあります(笑)
船木さんはWOWOWのこと「ワオワオ」って言う派なのねw
リングスもリングズと言う派
いやー凄いですね今回は。自分は当時まだ鼻垂れ坊主で、漠然と試合を観ていたのですが、今回のお話で全てがひとつの線になりました。これはもはや格闘技の一般教養ですな。教授と呼ばせてください笑
24分の間に起承転結がある話。舟木は頭いいわ。格闘家にならなかったら映画のシナリオライターか政治家になっていたね
おおおおバスルッテン懐かしい☺️
今のある種爽やかなプロレス界隈って当時のどろっどろの愛憎劇を経てると思いました。
リングス 前田パンクラス 船木Uインター 高田修斗 佐山でOK?U時代に一般人1000人から選ばれた田村ってスゲー
シュルトのロープエスケイプ、ガイメッツァーのかんぬき、山田さんのツボ押し、なんか変なことばかり思い出してしまいますが^ ^ネオブラッドトーナメントで近藤選手が出てきたときはパンクラスにミドル級があればなぁと思っていました。
リングスとパンクラスが潰しあいと言う名のプロレスをしたら、かなりのお金が動いたろうね。
船木選手が言った掌底を嫌う選手が多かったように、アメリカンプロレスでもキック(特にローキック)を使う選手は嫌われた。毎日のようにリングに上がるプロの興業としてはそうですよね。そしてルールが2つも3つも違えば全く違う競技になってしまう。あの頃は新日から離れて新プロレスを作り上げようとして、更に細分化して。それぞれが独自のルールを作ったらそりゃ選手は増やせませんよ。1970年代はNWA、WWF、AWA、の興業団体はどんな選手でもイキナリ戦えた。基本的なルールが近く、誰にでも対応できた事は大きかったと思います。ほとんどのスポーツが世界基準のルールで動いているのはマーケットが大きくなるためには当然ですよね。まして格闘技の場合、日本人はヘビー級の選手が集まりにくいし、中軽量級はプロボクシングしかなかった時代。申し訳ないけど戦略的には行き詰るべくして行き詰った。今から思えば最初から完全にプロレスとは違う新スポーツを作れれば違っていたでしょうね。でもプロ総合格闘技というジャンルを世の中に産み出したのは船木さんたちでした。これは本当に誇れることですよ。
名前を○○選手、○○さん、○○先生と呼ぶところが素晴らしい。
創世記の頃ヴァーノン・"タイガー"・ホワイトに自分の現状を重ね合わせて元気をもらっていました。今お元気にされてるのでしょうか。。。
2chでリングソ、パンクズと罵りあってた頃が懐かしい
タンクアボットさんはパンケーキアソシエーションって言ってました^_^
今からでもどうでしょう前田さんと協力してリングス復活させて欲しいあのルールは観てて面白かった高田選手についても語って欲しい桜庭選手に安いギャラしか払わず私服を肥やしたという悪い評判しか聞きませんが高田が一番癌なのかなと個人的には思ってます
私も旧リングスルールは好きですが(寝技で打撃が無いとか)総合格闘技がここまで広がってしまっては観客に対するインパクトがどうしても薄くなってしまうのではないかと危惧してしまいます。今のようにセミプロでは非常に適合したルールだと思いますので今の前田さんの選択は正しいのではないかと思います。
高田はルックと入場だけのレスラーですから(笑)インター時代からグランドレベルに疑問を感じてました。器用貧乏でしたね(´;д;`)最強ってキャラでしたが強さを感じませんでした。あのテクニックでオリンピックに挑戦するって言って直ぐに取り消しましたからヾ(≧∀≦*)ノ〃
リングスがヘビー級と考えるとライトの若手はたまらんなぁ。田村何て体重差かなりずれた選手と戦っている映像有るけど、考えれば強くなる経験重ねてるよな。
田村は80キロくらいなのにスーパーヘビーと戦ってましたね。インターでもリングスでも。体重は軽いですが、芯が強いというかローキックとか強烈でした。
えらい!船木プロレスラー・格闘家なのに自己顕示欲抑えて、ポイント押さえられてるやん!ファンの認識とそんな解離がない!なんてったって、パンクラスはシャムロックとバスルッテンだわな笑
頑張ってください
船木が、めちゃめちゃリングスに詳しくて草w
船木さんから見る 前田さんと高田さんの関係が聞きたい
なかなか深い話でした。前田アキラは、リング外でも前田アキラだったんですね。日本人より日本人ですね。袂を分けた後輩が、困っている時に助けようとする行動。オランダに行くくだりも、前田アキラが助け舟を影で出してたんじゃないかなと思います。そういう先輩って、いいですね。
ルッテンより先に参戦してたキース・ベイゼムスが印象あります。ルール破りで危険な選手でしたがうまく順応させれば良い選手になれた感じします。一度切りの参戦でしたがちょっと残念でした。
in- silence ルッテンは旗揚げから参戦してるんだから、この認識は誤り。ベーゼムスについては、柳澤の「you use punch」が1番印象に残ってるw
三団体時代はあれで理想的な対抗意識が築かれていたから黒船(UFC・グレイシー)にも幕府の将軍振る舞いでなく薩長土の富国強兵精神で挑むことができたはずです。高田さんは「プロレスラーはバカだと思われている」という言葉どおりコンプレックスを持ち、従来のエリートに自分達を近づけようと努力していました。六大出や英語の話せる選手を取り立てるなど、メインストリームの正統派を目指します。前田さんはコリアンだけあって尊卑通底の選民意識が強い人なので親元から大学に通っていたようなレスラーよりもプレップ中学からドロップアウトで参加してきた船木さんのようなドラマ性の強い存在を買っていましたね。ただ彼のまわりにはうまく人材は集まらない、助っ人に頼りっきりのロッ、近鉄バッファローズですね。いい選手は高田さんのところで育つ、まるで広岡時代の西武です。結果論として前田さんにはあまり関わらないほうが選手としては伸びるということはいえますから、パンクラスは独自の路線でよかったはずですよ。
毎試合異種格闘技戦みたいな感じはリングスにはあったな。特にコマンドサンボが大きかった。結局選手探しに尽きるんだなぁ。笑興行的にもうまくやらなきゃならんしね。どいつが強い?だけなら道場破りでいいんだからね。格闘技通信や週プロを買って読んでた頃だわ。懐かしい。笑
よろん島きび酢、気になる
いつも楽しみに視聴させて頂いております 新しい事を始める人間は、自分自身で考えてゆかなければならない…私にとっても改めて考える内容でした 船木選手・鈴木選手がいた時代は、私にとっての『格闘技の時代』そのものですが、一つ贅沢な願望があるとすれば、「憎悪」や「煽り」抜きでパンクラスとリングスの対抗戦が観たかったようにも思います
結局のトコ選手や現場の当事者ではない所からほころびが出てああいう形になったんだなぁ。プロレスはどうしてもそういう傾向になってしまうんだな
コレ結局パンも初期はガチじゃないって言ってるんですよね?
今思うと掌底は目に当たるしカットも多かったし、危険でしたね
骨法について、話しが聞きたいです。
うーん(´-ω-`)プロレス技で負けるなら骨法を使うな❗と言われて絶縁になったと聞いたけど(笑)
オープンフィンガーグローブと今やキック使う選手はつけてるレガース。佐山さんは先駆者だったんだね。新横浜駅の下りに落涙。
船木さんって、正直な方ですね。正直過ぎます(笑)応援してます。これからも、もっと聞かせてね!
と思う今日この頃…で締めるんかい。そして良くも悪くも影響力のあったターザン…そりゃあ”ゴロ”って言われる。
リングス、Uインター、パンクラス。見ていて一番つまらないのが・・・・・。それに当の本人が気付いており、客を楽しませようとした結果、相手に取られた試合があった。その矛盾、葛藤に悩み苦しみ、猪木の「道」の如く、「行けばわかるさ。」を実践した人物。そして原点に帰ってきた。
貴重なお話し有難うございます!リングスとのくだりも凄いですが、さりげなくオープンフィンガーグローブとパンクラチオンルールの導入の過程が興味深かったです。私はU系の団体が団結・交流することでどう日本の格闘技の歴史が変わっていたかは乏しい想像力しか働きませんが、パンクラチオンルールというか、グラウンドでの打撃を船木さんか、U系の団体のどこかひとつでもUFCに先んじて導入してたらデカかったんじゃないかなあ、と思います。
前田日明の人格・資質に最もかなったキャリア上の選択とは、馬場からの呼びかけを受け入れて全日で残りの選手生命を費やすことだったでしょうね。二人は業界切っての読書家であり類友です。ちょっと動きが鈍くて周囲と調和していないカリスマというのも固有の思考で動く文人である彼らの特徴でした。1985年というのは鶴田の感染症が密かに判明する時代でもあり、全日には大型エースが必要とされていたし、それにUのスタイルを求めていたのは猪木・坂口ではなくて外ならぬ馬場でした。前田の火病に基づく理不尽な行動形式が周囲を遠ざけることに小鉄・星野は手がうてず猪木が直接懐柔しようとして失敗した新日に比べ、馬場の器ならそれをうまく使って全体の指揮につなげ観客をひきつける魅力に変えていったはずです。危険なスープレックス依存の2.8カウント期への移行にも前田の登場で変化がうまれたかもしれません。生涯現役だった馬場の死去と同時にリングから去り監修役におさまった前田ですが、MMAの世界では全く評価はされていない。二人は1985年の接触を回避してから互いの存在を消し合ってしまった。90年代の全日や、リングスもそれなりに時代錯誤で不思議なセピア色のゾーンの中で盛り上がり特殊需要もあったわけなので結果としては恵まれた時代だったのかもしれませんが、それ以降の15年は、空白の連続。プライド武士道くらいしか見るべきものがなかった。それはというのも、プロレスというカーニバル(サーカス)を起源とする湿った世の中の暗部を見世物にする形式がアメリカ式の軽薄なスポーツエンタメにのまれていくこと、に対抗できるだけの哲学を持った二人の巨人(馬場・前田)が手を結ばなかったことのツケではないかと思われる。
前田はヤンチャで滅茶苦茶当時、でもおじさんになったら丸くなったね
週プロの絶縁宣言覚えてる。黒塗りバックでいかにも深刻そうなイメージを演出して記事を掲載してたな。記事の内容は覚えてないけど、とにかくパンクラスとリングスは犬猿の仲で選手の引き抜き疑惑で揉めてたから、当時は船木・鈴木が前田を徹底的に嫌悪しているかのような印象を持った覚えがある。が、真相はそうではなくて単純にゴタゴタを早く終息させる為のものだったとは。。
おっしゃる通り、一つの大きなグループというかオピニオンというか流派というか、になっていた可能性はあるかもしれないですね。ですが、現在でも事実上日本の総合格闘技を支えているのは修斗とパンクラスだとは思います。バックボーンは佐山さんと船木さんですからやっぱりUWFじゃないかなと自分は思います。
まぁ当時は週プロから格通まで絶縁だったもんね。高田だけ新日本依存症だった。笑
ナーバスになっていた時期だったとは言え、絶縁なんてお手軽な方法をとらずに、団体のトップとして面倒でもナシを付けるべきだったように感じました
前田さんイイ人 !舟木さんは好かれてたけど、鈴木さんはあまり。。。
堅気に戻ったんですね
ルッテンジャンプ映像で見て印象に残ってます。棒に飛び乗るなんて佐山さんみたいですね。パンクラチオンルールは良いですね。ラウンド制やブレイクして立たせるルールは公平じゃないなーって思います。プライドはそうやって格闘技界を背負った責任があるのに、つまんない事で潰れちゃってホントにもぅ、コノヤローって感じ。
懐かしの(*´▽`)y-。o○当時、前田ファンだったから、俺も怒ったな(笑)原因は鈴木だったらしいけど?前田と鈴木は和解したんですかね?あのトラブルの事を鈴木は会見やってないよね?悪口言ったか言わないか記者会見やって欲しかったな(´;ω;`)スッキリしないトラブルでしたね(笑)
最近、話題になりそうな話の「暴露」って言葉は嫌いだけど、裏話は離さないで欲しいな。裏話話すのはミスター高橋とか佐山さんと変わらない気がする。もちろんプロレス愛の部分はちゃんとオブラードに包んでるけどさ
どうせなら団さんに歌ってもらって演奏もオリジナルにしろよw。
新横浜の駅で出会ったくだり、いいですね。
なんか船木と前田が完全に仲違いしたわけじゃなかったのが分かって嬉しかった。
格闘技ファンとしては、船木さんに「なんでも協力する」と言った前田さんと、それをこの場で公表してくれた船木さんのお二人に感謝です!
前田さんのことを「もうあの人のことは信用していません。」と言っていたのは、プロレス上のコメントだったのですね。前田さんの「協力するから。」は感動しました。頑張っている男は孤独ですから嬉しいですよね。
WOWOW は、リングスではなく前田日明に付いていたわけですね。自分で会社をつくったり何かをやったりするには、自分に魅力がないといけませんね。やっぱり自分磨きは大事ですよね。
前田も孤独だったということよね
前田選手も舩木選手も、若気の至りだったのでしょう。人間なら誰しもあること。
こうして、過去のことをきちんと話すことの出来る舩木さんは流石ですね🎵
前田さんはUWFが解散してからも船木だけは会えば挨拶をしてくれたというのを聞いた事が有りました。この話を聞いてそれは本当だったんだなと思います。先輩との縁を大事にする船木さんは素晴らしいですね
イメージとは逆だな
船木が1番距離を取るタイプに見える
船木さん以外は誰一人挨拶しなかったのは失笑ですね、
ああ。こんな貴重な話が無料で自分の部屋でワンクリックで聞けちゃうなんて。。。便利でいい時代になったなぁ。ってのと申し訳ないような思いと。20年前のNKホールの観客席で泣いてた俺に教えてあげたいよ。こんな時代が来るってことを。
aloe nakazato 腹筋しながら聞きましょう。
aloe nakazato
ホンマやね😭
aloe nakazato
ホンマやね😭
aloe nakazato
ホンマやね😭
キャッチコピーは「世界最強の男はリングスが決める」のとおり、ヒョードルやノゲイラを発掘して世界中にネットワークが広がって素晴らしかった。パンクラスも正道会館みたいに、ここに参戦してたら面白かったな。
今回も貴重なお話、ありがとうございました。
終止、穏やかに時系列に沿って丁寧にお話をされる船木さん。
パンクラス時代のリングス絶縁のくだりを再現して話す時は声が尖っていたので、いかに当時ストレスになっていたかわかりました。
秀樹今
いやいや 凄い話だと思う
話し掛けていたら歴史が変わっていたかもしれませんね
しかし「U」って本当 深いですね。
長州選手が格闘技をずっと見てた話は衝撃だけど、確かにそうだよねと説得力が半端なかったです。
船木選手が当時の良いお話ら悪いお話をいつも誠実に語っていただけるので本当に心地よく楽しませてもらってます。
もしもいつか機会あれば船木選手がUWFに移籍しなかったら自分はどんな道を精進したのか、船木選手の思いを聞かせていただけたら嬉しいです。
なんかいろいろありがとうございます。本当にありがとうございます。
1990年代はUインター、リングス、パンクラスとチェックするのが大変だった記憶が蘇りました。
それぞれ、特徴があったので
面白かったです
週プロや格闘技通信の記者が色々と関わっていたのが興味深いですよね
リングスとUインターの旗揚げ戦は1日しか変わりません。
事実、自分は大阪から密航してその日の晩に後楽園ホールでのUインターの旗揚げ戦を見てから一泊して、翌日に横浜アリーナのリングスを見に行っています。
UWF解散後はそれぞれを応援し、藤原組についてはグローブ空手のトーワ杯に出て行った姿にわくわくし、UWF系の選手は打撃も一流であってくれと思いながら雑誌の記事を読んだものです。
あの頃は、わくわくしながら各雑誌の発売日を待っていたものですが、今はその本屋自体が激減し、週プロでさえコンビニでも滅多に見なくなり寂しいものです。
動画の最後の、もしもU系が一つになっていたなら...は、ファンだけでなく当事者の中心選手までもがそう思うのかと鳥肌が立ちまっした。
今回は輪をかけて超貴重な話!!
いつも面白いけど、さらに凄いですね〜
90年代中盤から数年間の格闘技ファンでしたが、その前夜話を当事者の方から聞けるとは······貴重すぎます、ありがとうございます。
私は船木さんが好きですけど、前田さんは色々言われていますが、前田さんはいい人ですね❗
でも、対立前に「高橋君、いい選手だよね!よくそだてたよ!」と前田は絶賛してたんだよね。対立中は闇討ちしてた時は安生とハイタッチしてたけどw
今は前田とパンクラス、高橋義生は仲良いんだよね?
船木さんのおっしゃる通りだと思います。交流によって多くの技が生まれ、また淘汰され日本独自のスタイルが確立される事が必要です。
何もかも懐かしい・・・
リングス時代に前田さんが「リングスを大相撲のようにしたい。」と仰っていましたよね。 オランダとかロシア等も含めそれぞれの団体が統一ルールの相撲部屋(道場)のような存在になり、年に数回リングスのリングで闘うようにしたいと。
将来的に統一ルールのもと「船木道場」や「前田道場」、「高田道場」や「山本道場」、「桜庭道場」や「田村道場」などが出来、切磋琢磨して(もちろん出稽古等もして)年に数回試合を行う。
そんな妄想をしてしまいます。
鎌田薫 そうそう、そんな事仰ってましたね。
夢の様な構想ですね。
いやー見てみたいなぁ!
うんうん(о´∀`о)妄想しちゃうけど(笑)揉めて解散が現実ね(;つД`)
あの時の『格闘技通信』の表紙の内情はこういうことだったのか
貴重なお話ありがとうございます!その週プロの記事、当時コンビニで読んで、すんごいショックだったのを覚えております。鈴木さんと船木さんがかなり辛辣に批判していました。
「嗚呼~もうあかん。もうこの四団体は組むことないわ・・ううう・・」と。あまりのショックにコンビニに買った商品を置いていったのでw。私としては藤原組、Uインター
リングス、パンクラス・・もう一度そろってほしかった。
この頃の日本の格闘団体はいつも「船頭多くして 船 山に登る」という言葉がまさに象徴するような分裂劇が多くて
ファンとしては「またか?」という感じでした。
実際にリングス、パンクラスが合併しても、すぐに「前田vs鈴木みのる」、「前田vs高橋義生」という対立構造が発生して、
もっとややこしい「分裂」「選手の奪い合い」「再結成」という混沌が続くというのが想像に難くありません。
良い話聞けたな
93~94年あたりの話かなぁ?
大学生になって、授業中も週プロ読みながら、
法律よりもプロレスばっかり考えてたなぁ。
前田、高田、船木で酒でも飲みながら昔話できるくらい時間過ぎたでしょ。
ぜひ話してほしいなぁ。。
自分達は真剣勝負だった、どこがそうじゃなかったみたいなことは言わず、それでいて団体運営の裏事情まで包み隠さず話してくたりと、メチャクチャ興味深かった。
話すスピードも速すぎず声も聞き取りやすいし、理路整然と話してる。基本的に頭が良い人なんだろう。
あの絶縁宣言を受けて前田は
「これ、本当に船木が言ったことなの?誰かに入れ知恵されたんじゃないの?俺らの関係ってこんなもんなのかなぁ…」
って、翌週のインタビュー記事で寂しそうに話してたのを覚えてるけど、そこに至るまでにこういった経緯があったとは!
当時、本格的に脱・プロレスへ向かっていたリングスは週プロにもほとんど試合の記事を載せてもらえなくなっていて、前田が記事になるのはだいたいUインターかパンクラスと揉めた時だけになっていたけど、この件にもやっぱりターザンが一枚噛んでいたわけだ。UWFの理想を突き詰めると最後は格闘技に辿り着くのは明確なのに、結局ターザンはどこまで行ってもプロレスの中だけでUWFをやってて欲しかったんだろうな。24年越しに真実が知れて良かった。
ほんと当事者の貴重な話はいいですね。
ターザン山本って、「パンヲタ」ってパンクラスを排除してたんですよね。
谷川は「巌流島」やるだけ立派だ。
石川 雄規って、すごくいい人感あったんだろうね。
ルールの統一の問題もありますがギャラの問題なんかもありますよね。ヒョードルクラスなんか億単位で引き抜かれてプライドさえ崩壊してしまいました。金儲けのためマスコミが煽るお陰でファンも焦点が定まらなくなってついていけなくなって離れて行ったのは残念でした。理想の格闘技ルールの答なんてないし結局は興行としてどう成り立って行くかですよね。格闘技界の厳しい現実ですね。どんな世界も現実は残酷で厳しい面がありますね。
余りある才能があるのに上手く世の中と調和ができなかった不器用な船木さんと自分をよくリンクさせたものです。1996年の試合で、また生きるぞとMCされましたがとても漲るような勇気をもらったことを記憶してます。
3団体共よく見に行ったな。パンクラスは一番の緊張感、遊びなし。Uインターは後楽園が異様に良かった。リングスはおしゃれなイメージで大会場だけみたいな。ターザン山本なんだなぁ。長州に「UWFってなんだったんですか?」「UWFはお前なんだよ!」今納得!
貴重なお話ですね
リングス・Uインター・藤原組・パンクラスよく観戦に行きました
ひとりぼっちのアキラ、週プロの表紙のタイトルが秀逸だった。
船木さんの声は落ち着きます
貴重な話ありがとうございます
UWFが好きだった自分はそのままの流れで
パンクラスもリングスも好きでした。
だから団体同士の交流戦なんかも勝手に期待しちゃったりもしましたし、揉め事や絶縁状の件で落ち込みもしましたが
船木さんと前田さんが普通にトークしてるのをみるとなんか感慨深いです。
ホントにいい話ですね!
船木さんありがとうございます!
日本格闘技界が一つになりますように。。
自分はフルコンタクトカラテを修行中の身ですが、カラテ界も一緒になったらなぁ~♪って思います
良い話聞けた
今のプロレスしか知らない若い人にもわかりやすい解説。
いろいろな人に見てもらいたいですね。
前田のあとの船木がスターになって、田村と桜庭、高阪とかが活躍していたら前田も現役が5年ぐらい伸びたかもね。どう考えても船木はもっともっとスターになってた。強くもなってた。
やっぱりリングスとパンクラスとの軋轢は
マスコミが煽った結果だったんですね。
リングスとパンクラスが合併していたら・・・
想像すると非常に夢がありますね。
当時は群雄割拠、弱肉強食の時代だったと思います。プロレスの盛り上がりからUWFが出来て、そこからまた4つに別れた。パンクラスは当時何か独特の雰囲気を放ってましたね。自分は東中野の近くに住んでいて菊田さんの道場の近くだったのでちょくちょく練習風景をみてカッケーと思って見てました。東中野には確か骨法の道場もあった気がします。パンクラスとリングスが合体してたらすごいことが起きてたでしょうね。まだプライドやUFCの前だからそれをも凌ぐものが生み出されていたかもしれません。ぜひ見て見たかったです。
掌底で続けて欲しかったです。 あのままどう進化するのか見たかったです。オープンフィンガーであっても、グローブをつけてしまうと技術的にちょっとそれなりのものに変わってしまう。
ヤマケンまで出るか… 俺は本当にうれしいよ
UPありがとうございます!
凄く興味深い話でした。こういう日本の格闘技界のifの話は面白いです。
リングスもKOKルール以前から、
真剣勝負だったんですね。
自分の思い違いでした。
船木さんが言ってるのだから。
ピーター・ウィリアムスという架空の選手を作っちゃう、お茶目な船木氏ですが、ウィリー・ピータースの間違いです!(キッパリ)
熊殺し、ウィリー・ウィリアムスとごっちゃになったんだよ、多分
そんな奴いたっけ?と思ってたら、やっぱりそうだつたのか!
体格差も相まって両雄並び立たずで別団体として活動して正解だったのでしょう。
一方体格的には近かった藤原さんとの年齢差はコントラストとなってて良い作用でした。
当時大好きだったUWF解散は本当にショックだった。その後は色々あったけど、何しろパンクラスは驚いた。秒殺って言葉、私の中ではパンクラスが発祥です。いい悪いは別にして、ここにきて色々昔の暴露話が出ているけど、当時はワクワクしながら格闘技雑誌読んでたな〜。ずーっと前田日明最強信者でしたねー。世界最強はRINGSが決める、前田選手の(何の格闘技が強いかではなく、誰が強いかなんや。)って、ホント納得した記憶があります。
私の中ではハイブリッドもパンクラス発祥です(^。^)
いい話や。
まあ、当時の俺はU系3団体全部ガチだと思ってたわけで・・・(^^;
オランダに着いたらドールマンがむかえてくれて、その後ルッテンと出会うくだり震えるわ。
わざとルッテンの名前を伏せる、船木の粋な演出(^.^)
バスルッテンのくだりでおしっこちびったww
面白い!面白い!最後のあたり面白い!!
日本式の総合格闘技て何だろう?
柔道とか柔術がベースってのも有るかもしれないけども、私はプロレスファンだからゴッチ式のレスリングを発展させた物がそれなのではと思ってしまう!!
UWFを今からまた発展させないと!!
まさか船木さんがWOWOWに加入していてリングスをリアルタイムで見ていたなんてw
当時、パンクラスの旗揚げから船木さんの決意はパンクラスファンのみならず、
全ての格闘ファンに伝わっていたと思います。
そのくらい毎回、張り詰めた緊張感のある試合をしていましたし、
いかにしてパンクラスを広めていくか、格闘界を面白く出来るかの解を求める姿勢が見て取れました。
今でこそ増えましたが、一般の人が参加出来るジムP's LABOを作った時など驚きと共に非常に感心したのを覚えています。
にしても、もし万が一船木さんがその気になっていたら、
パンクラスとリングスの対抗戦なんてのもあったかも知れなかったんですね。
それはそれで見たかったかもしれませんw
面白過ぎる‼︎
高野さん そういえば✨いましたね、ドロップキック 記憶に 残っております❗。
リアルタイムで当時の様子を見ていました。船木さんのいろいろな葛藤などが等身大で人間味を感じました。そりゃ悩んだりしますよね。僕らは雑誌でしか情報がないので煽りの部分が入ってきてました(笑)
あと、ああいう状況でも意外と他団体やシーン全体を見てるんだなと思いました。
今UWF再結成したらすごい充実した選手層になるなと思ったことはあります(笑)
船木さんはWOWOWのこと「ワオワオ」って言う派なのねw
リングスもリングズと言う派
いやー凄いですね今回は。自分は当時まだ鼻垂れ坊主で、漠然と試合を観ていたのですが、今回のお話で全てがひとつの線になりました。これはもはや格闘技の一般教養ですな。教授と呼ばせてください笑
24分の間に起承転結がある話。舟木は頭いいわ。格闘家にならなかったら映画のシナリオライターか政治家になっていたね
おおおおバスルッテン懐かしい☺️
今のある種爽やかなプロレス界隈って当時のどろっどろの愛憎劇を経てると思いました。
リングス 前田
パンクラス 船木
Uインター 高田
修斗 佐山
でOK?
U時代に一般人1000人から選ばれた田村ってスゲー
シュルトのロープエスケイプ、ガイメッツァーのかんぬき、山田さんのツボ押し、なんか変なことばかり思い出してしまいますが^ ^
ネオブラッドトーナメントで近藤選手が出てきたときはパンクラスにミドル級があればなぁと思っていました。
リングスとパンクラスが潰しあいと言う名のプロレスをしたら、かなりのお金が動いたろうね。
船木選手が言った掌底を嫌う選手が多かったように、アメリカンプロレスでもキック(特にローキック)を使う選手は嫌われた。毎日のようにリングに上がるプロの興業としてはそうですよね。そしてルールが2つも3つも違えば全く違う競技になってしまう。あの頃は新日から離れて新プロレスを作り上げようとして、更に細分化して。それぞれが独自のルールを作ったらそりゃ選手は増やせませんよ。1970年代はNWA、WWF、AWA、の興業団体はどんな選手でもイキナリ戦えた。基本的なルールが近く、誰にでも対応できた事は大きかったと思います。ほとんどのスポーツが世界基準のルールで動いているのはマーケットが大きくなるためには当然ですよね。まして格闘技の場合、日本人はヘビー級の選手が集まりにくいし、中軽量級はプロボクシングしかなかった時代。申し訳ないけど戦略的には行き詰るべくして行き詰った。今から思えば最初から完全にプロレスとは違う新スポーツを作れれば違っていたでしょうね。でもプロ総合格闘技というジャンルを世の中に産み出したのは船木さんたちでした。これは本当に誇れることですよ。
名前を○○選手、○○さん、○○先生と呼ぶところが素晴らしい。
創世記の頃ヴァーノン・"タイガー"・ホワイトに自分の現状を重ね合わせて元気をもらっていました。
今お元気にされてるのでしょうか。。。
2chでリングソ、パンクズと罵りあってた頃が懐かしい
タンクアボットさんは
パンケーキアソシエーションって言ってました^_^
今からでもどうでしょう
前田さんと協力してリングス復活させて欲しい
あのルールは観てて面白かった
高田選手についても語って欲しい
桜庭選手に安いギャラしか払わず私服を肥やしたという悪い評判しか聞きませんが
高田が一番癌なのかなと個人的には思ってます
私も旧リングスルールは好きですが(寝技で打撃が無いとか)
総合格闘技がここまで広がってしまっては観客に対する
インパクトがどうしても薄くなってしまうのではないかと
危惧してしまいます。
今のようにセミプロでは非常に適合したルールだと思いますので
今の前田さんの選択は正しいのではないかと思います。
高田はルックと入場だけのレスラーですから(笑)インター時代からグランドレベルに疑問を感じてました。器用貧乏でしたね(´;д;`)最強ってキャラでしたが強さを感じませんでした。あのテクニックでオリンピックに挑戦するって言って直ぐに取り消しましたからヾ(≧∀≦*)ノ〃
リングスがヘビー級と考えるとライトの若手はたまらんなぁ。田村何て体重差かなりずれた選手と戦っている映像有るけど、考えれば強くなる経験重ねてるよな。
田村は80キロくらいなのにスーパーヘビーと戦ってましたね。インターでもリングスでも。体重は軽いですが、芯が強いというかローキックとか強烈でした。
えらい!船木
プロレスラー・格闘家なのに自己顕示欲抑えて、ポイント押さえられてるやん!
ファンの認識とそんな解離がない!
なんてったって、パンクラスはシャムロックとバスルッテンだわな笑
頑張ってください
船木が、めちゃめちゃリングスに詳しくて草w
船木さんから見る 前田さんと高田さんの関係が聞きたい
なかなか深い話でした。
前田アキラは、リング外でも前田アキラだったんですね。日本人より日本人ですね。袂を分けた後輩が、困っている時に助けようとする行動。
オランダに行くくだりも、前田アキラが助け舟を影で出してたんじゃないかなと思います。
そういう先輩って、いいですね。
ルッテンより先に参戦してたキース・ベイゼムスが印象あります。
ルール破りで危険な選手でしたがうまく順応させれば良い選手になれた感じします。
一度切りの参戦でしたがちょっと残念でした。
in- silence
ルッテンは旗揚げから参戦してるんだから、この認識は誤り。ベーゼムスについては、柳澤の「you use punch」が1番印象に残ってるw
三団体時代はあれで理想的な対抗意識が築かれていたから黒船(UFC・グレイシー)にも幕府の将軍振る舞いでなく薩長土の富国強兵精神で挑むことができたはずです。高田さんは「プロレスラーはバカだと思われている」という言葉どおりコンプレックスを持ち、従来のエリートに自分達を近づけようと努力していました。六大出や英語の話せる選手を取り立てるなど、メインストリームの正統派を目指します。前田さんはコリアンだけあって尊卑通底の選民意識が強い人なので親元から大学に通っていたようなレスラーよりもプレップ中学からドロップアウトで参加してきた船木さんのようなドラマ性の強い存在を買っていましたね。ただ彼のまわりにはうまく人材は集まらない、助っ人に頼りっきりのロッ、近鉄バッファローズですね。いい選手は高田さんのところで育つ、まるで広岡時代の西武です。結果論として前田さんにはあまり関わらないほうが選手としては伸びるということはいえますから、パンクラスは独自の路線でよかったはずですよ。
毎試合異種格闘技戦みたいな感じは
リングスにはあったな。
特にコマンドサンボが大きかった。
結局選手探しに尽きるんだなぁ。笑
興行的にもうまくやらなきゃならんしね。
どいつが強い?だけなら
道場破りでいいんだからね。
格闘技通信や週プロを買って読んでた頃だわ。懐かしい。笑
よろん島きび酢、気になる
いつも楽しみに視聴させて頂いております 新しい事を始める人間は、自分自身で考えてゆかなければならない…私にとっても改めて考える内容でした 船木選手・鈴木選手がいた時代は、私にとっての『格闘技の時代』そのものですが、一つ贅沢な願望があるとすれば、「憎悪」や「煽り」抜きでパンクラスとリングスの対抗戦が観たかったようにも思います
結局のトコ選手や現場の当事者ではない所からほころびが出てああいう形になったんだなぁ。
プロレスはどうしてもそういう傾向になってしまうんだな
コレ結局パンも初期はガチじゃないって言ってるんですよね?
今思うと掌底は目に当たるしカットも多かったし、危険でしたね
骨法について、話しが聞きたいです。
うーん(´-ω-`)プロレス技で負けるなら骨法を使うな❗と言われて絶縁になったと聞いたけど(笑)
オープンフィンガーグローブと今やキック使う選手はつけてるレガース。佐山さんは先駆者だったんだね。
新横浜駅の下りに落涙。
船木さんって、正直な方ですね。正直過ぎます(笑)応援してます。これからも、もっと聞かせてね!
と思う今日この頃…で締めるんかい。
そして良くも悪くも影響力のあったターザン…そりゃあ”ゴロ”って言われる。
リングス、Uインター、パンクラス。見ていて一番つまらないのが・・・・・。それに当の本人が気付いており、客を楽しませようとした結果、相手に取られた試合があった。その矛盾、葛藤に悩み苦しみ、猪木の「道」の如く、「行けばわかるさ。」を実践した人物。そして原点に帰ってきた。
貴重なお話し有難うございます!
リングスとのくだりも凄いですが、さりげなくオープンフィンガーグローブとパンクラチオンルールの導入の過程が興味深かったです。
私はU系の団体が団結・交流することでどう日本の格闘技の歴史が変わっていたかは乏しい想像力しか働きませんが、パンクラチオンルールというか、グラウンドでの打撃を船木さんか、U系の団体のどこかひとつでもUFCに先んじて導入してたらデカかったんじゃないかなあ、と思います。
前田日明の人格・資質に最もかなったキャリア上の選択とは、馬場からの呼びかけを受け入れて全日で残りの選手生命を費やすことだったでしょうね。二人は業界切っての読書家であり類友です。ちょっと動きが鈍くて周囲と調和していないカリスマというのも固有の思考で動く文人である彼らの特徴でした。1985年というのは鶴田の感染症が密かに判明する時代でもあり、全日には大型エースが必要とされていたし、それにUのスタイルを求めていたのは猪木・坂口ではなくて外ならぬ馬場でした。前田の火病に基づく理不尽な行動形式が周囲を遠ざけることに小鉄・星野は手がうてず猪木が直接懐柔しようとして失敗した新日に比べ、馬場の器ならそれをうまく使って全体の指揮につなげ観客をひきつける魅力に変えていったはずです。危険なスープレックス依存の2.8カウント期への移行にも前田の登場で変化がうまれたかもしれません。生涯現役だった馬場の死去と同時にリングから去り監修役におさまった前田ですが、MMAの世界では全く評価はされていない。二人は1985年の接触を回避してから互いの存在を消し合ってしまった。90年代の全日や、リングスもそれなりに時代錯誤で不思議なセピア色のゾーンの中で盛り上がり特殊需要もあったわけなので結果としては恵まれた時代だったのかもしれませんが、それ以降の15年は、空白の連続。プライド武士道くらいしか見るべきものがなかった。それはというのも、プロレスというカーニバル(サーカス)を起源とする湿った世の中の暗部を見世物にする形式がアメリカ式の軽薄なスポーツエンタメにのまれていくこと、に対抗できるだけの哲学を持った二人の巨人(馬場・前田)が手を結ばなかったことのツケではないかと思われる。
前田はヤンチャで滅茶苦茶当時、でもおじさんになったら丸くなったね
週プロの絶縁宣言覚えてる。
黒塗りバックでいかにも深刻そうなイメージを演出して記事を掲載してたな。
記事の内容は覚えてないけど、とにかくパンクラスとリングスは犬猿の仲で選手の引き抜き疑惑で揉めてたから
、
当時は船木・鈴木が前田を徹底的に嫌悪しているかのような印象を持った覚えがある。
が、真相はそうではなくて単純にゴタゴタを早く終息させる為のものだったとは。。
おっしゃる通り、一つの大きなグループというかオピニオンというか流派というか、になっていた可能性はあるかもしれないですね。
ですが、現在でも事実上日本の総合格闘技を支えているのは修斗とパンクラスだとは思います。バックボーンは佐山さんと船木さんですからやっぱりUWFじゃないかなと自分は思います。
まぁ当時は
週プロから格通まで絶縁だったもんね。
高田だけ新日本依存症だった。笑
ナーバスになっていた時期だったとは言え、絶縁なんてお手軽な方法をとらずに、団体のトップとして面倒でもナシを付けるべきだったように感じました
前田さんイイ人 !舟木さんは好かれてたけど、鈴木さんはあまり。。。
堅気に戻ったんですね
ルッテンジャンプ映像で見て印象に残ってます。
棒に飛び乗るなんて佐山さんみたいですね。
パンクラチオンルールは良いですね。ラウンド制やブレイクして立たせるルールは公平じゃないなーって思います。
プライドはそうやって格闘技界を背負った責任があるのに、つまんない事で潰れちゃってホントにもぅ、
コノヤローって感じ。
懐かしの(*´▽`)y-。o○当時、前田ファンだったから、俺も怒ったな(笑)原因は鈴木だったらしいけど?前田と鈴木は和解したんですかね?あのトラブルの事を鈴木は会見やってないよね?悪口言ったか言わないか記者会見やって欲しかったな(´;ω;`)スッキリしないトラブルでしたね(笑)
最近、話題になりそうな話の「暴露」って言葉は嫌いだけど、裏話は離さないで欲しいな。裏話話すのはミスター高橋とか佐山さんと変わらない気がする。もちろんプロレス愛の部分はちゃんとオブラードに包んでるけどさ
どうせなら団さんに歌ってもらって演奏もオリジナルにしろよw。