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顕光の一族は、栄花物語において中関白家没落後の道長のライバル的な役を担わされたこともあり、想像妊娠の件など話が盛られがちです。大半は小右記や御堂関白記にも記載があり、本動画では栄花物語史観はなるべく排除していますが、どうしても影響は出てしまっています。
彰子様の良妻賢母エピソードがどんどん出てきますね笑彰子様にとって元子様はかつてはライバル関係だったとはいえ、自分と同じように父親の政治の道具にされた元子様に同情的だったのではないでしょうか。
死体を置くなどの道長の陰湿な嫌がらせは大河では描かれないんでしょうねー元子さんは中々思い通りに行かない人生ながらも、愛を貫き、長生きもできたのはよかったと思いました
一条天皇が即位する時に、高御座に子供の生首が置かれる事件は描いていましたよ(さすがに直接画面に映さなかったけど)。今回の大河では、今のところ道長は良い人物として描かれていますが、闇落ちするのか、それとも誰か別のせいにするのでしょうか。
中公新書からかつて出ていた「承香殿の女御」(角田文衛著)初版は、60年前だが、藤原元子を始めて取り上げた本だった。 私は、高校生の時始めてこの本を読んだが、角田氏の分析力には脱帽した。今でも、この説通用するので、再販しないかな。
私、持っています❗️図書館で借りるしかないですかね❓️
大変面白かったです!有難うございました☆
元子ちゃんのぶっ飛びが大好き❤一条天皇に愛されたとかどうでも良いわ。元子ちゃんは駆け落ちしても好きな人と添い遂げて自分の財産で幸せに暮らした。
承香殿女御を取り上げていただきありがとうございます。
定子以外に寵愛されていた女御がいたとは、知りませんでした。村上天皇の孫なら身分的にも申し分なく后に相応しいのに、またも道長に妨害工作を受けているんですね。一条帝に会わせないなどいろいろ策略を企ている道長に、あれほどの栄華を築くための裏の知られざる手段を感じてしまいます。それだけ皇子を産むというプレッシャーがキツく、想像上の妊娠騒ぎまで起こっているとは女御間の熾烈な争いも伺え、痛ましいです。一条帝死後、新たな相手を得てやっと幸せを得られるはずが、今度は父に反対され尼にされそうになってしまうとは、信じられない展開ですね!頼定は前歴のあまり良くない人のようですが、なぜ顕光はそれほど反対したのでしょう?妾という立場が嫌だったのでしょうか?いくら自分に無断で付き合っていたといっても、頼定はそこそこの貴族であるので不思議です。なまじ元子が従三位と位が高く財産があるから、心配が先に立ったのでしょうか?その後の堀川殿を巡っての争いも資産家の相続争いのようで、多くを所有する者ならではの苦労ですね。維持費が嵩んで結局頼通に献上されたというのも、何だか皮肉です。
元子は従三位ではなく従二位ですね
やはり、三条天皇のきさきだった兼家の末娘との不義密通は、貴族社会では容認できなかったと。
@@rona8070 さん 訂正ありがとうございます。12:38ですね。
これ大河ではスルーするのかな?元子の生涯だけでドラマ1つ作れそう。
いつも詳しく、またわかりやすい動画をありがとうございます😀昔、「承香殿の女御」という本を読み、元子に興味を持ちました。一条帝との連絡役は右近ですね❗頼定が元子を正妻扱いするほど、元子は(父に似ず😝)魅力的な女性だったのでしょうね。
出家してしまったが、彼女の同母の兄重家はかなり魅力的だったと記録が残っている。(顕光さん跡取り息子に逃げられた) 彼女の母方の祖母源計子(村上天皇の更衣)が聡明で美しかったと言う話が残っているので、たぶん元子さんも聡明で美しかっただろう。
ううむ、いつもながら深いですね。元子で一本大河ドラマ作れますわ。源頼定は匂宮のモデルかもしれませんね。
昭和のドラマに想像妊娠モノってあったけど元ネタはここから?
元子、天皇が亡くなった後の再婚が上手くいった方の女御だけど、為時の叔母さん(醍醐天皇の従姉妹&女御)が結構勝ち組な気がします。
小説「悪霊の左大臣」では、元子さま主人公でした。
当時は娘が財産を相続する為、当然の如く、屋敷を寄越せとは面白いですね。
こっ、これは、現代の三文芝居じみたドラマなんかより面白いっ❗
この辺の如何にも平安時代らしい関係が描写されずにアレなのは残念至極ですね
エンタメと史実を混同して馬鹿丸出しのコメントをするとは、お恥ずかしい方がいたものよ。
誰かこの辺りの事を執筆しないかね-かつての司馬遼太郎クラスとまでの贅沢は言わないが宮部みゆきクラスで…
同感です。
かつて中公文書から出ていた「承香殿の女御」(角田文衛著)が、元子の事を世に出しました。たぶん調べている方もここが基本だと思いますよ。
一条天皇は情が厚いと言うか、義理堅いと言うか………好感が持てます。
現代にも通じる相続を巡るゴタゴタですね。
元子の気が強いのはそうなんだが、悪霊左府顕光も頑固すぎじゃないか・・・?親子喧嘩にしてはやり過ぎ・・・
一條天皇の愛人貞子の末の妹って最近の動画で言ってますよね。それなのにこの時は元子なの
こんな人生嫌‼️
秋篠宮は皇太子ではありません。暫定的皇位継承第1位の皇嗣にすぎません。
主上の「妃」だったかつ位がとんでもなく高い人でも「妾」になってしまうのねまひろはどんだけ高望みだったのかとww
元子さんより為時の叔母さん(紫式部の大叔母)の女御様(従四位下)の方が、天皇死後の再婚戦線では圧倒的に勝ち組に見える。因みに、元子が『妾』だったかは微妙なところです。藤原実資(正妻とされている女性の父に目をかけていた)の『小右記』には元子が「故兵衛督室」と記され、道長の『御堂関白記』には『妾』とされています。 ただ、道長としては以前、三条天皇の尚侍として仕えていた&かなり可愛がってた異母妹を同じ源頼定により孕まされ、三条天皇から『道長、オレ心当たり無いんだけど、ちょっと確認してくんない?』と頼まれて、異母妹の胸鷲掴みで調査『ガチでした』報告させられた屈辱を受けた過去があります。 三条天皇×道長はこの下半身緩い男マジ許すまじで『まじで蹴り◎ろさせようかな』→やっとの思いで我慢して『無期限の出仕&昇殿停止』処分にしてるから、(因みにこの孕まされ異母妹をその後も厚遇してるので道長はそれくらいこの異母妹を可愛がってた)、 あのク◎野郎、またうちの身内の高貴な女性を妾扱いしやがって許すまじ…、実頼様を見習えよ…みたいな感情が入ってそう書いてみたいです。多くの書籍でも元子は、妻と表記されています。夫よりも妻の官位が高く、正妻とされてる女性は受領階級に過ぎ無いのをみると、父右大臣/本人女御&正二位なので、妾と出来たかは怪しいような…。源明子さんや道綱母方式でもう一人の妻?とかかなと思ったり…。 因みに実資の養父(祖父、摂政&左大臣)は醍醐天皇の女御(従四位下/紫式部の大叔母)を正妻にしています。元子がと言うより、男の方かきちんと責任を取らないマンの問題かなと思います。女御様を粗雑な扱いをしない事だって出来るのに、例えば関白/摂政/左大臣だった実頼でさえ、元子よりかなり下の官位&元子ほど高貴な血筋でもない女御(紫式部夫妻の身内)でさえ、きちん正妻とする事だって出来るのに、きっちりせず『事実上の妻』扱い/内縁関係みたいな扱いのままズルズルとするこの下半身ゆるゆる/責任もちゃんも取らないけど女の元には通ってくる、だらしないこの男が許せないマン道長(最初の被害者は道長が一番可愛がってた異母妹)の私情込みで書いてる感じ?ちなみに、再婚大成功な女御様、藤原能子は、醍醐天皇の女御&従姉妹&父は摂関家本流/嫡流ではない肩身狭い系右大臣(ただし醍醐天皇の外戚)&為時の叔母(紫式部の大叔母)&従四位下は、醍醐天皇の寵愛薄れて寂しい時期を経て、天皇の死後は夫の同母弟と通じたりしたけど、再婚して普通に関白/摂政/左大臣の正妻になってて幸せな人生送ってたし、実資も嫡母として長年に渡ってかなり真剣に法事を行い手厚く弔ってたことが伝わっています。
ゆるゆるの光源氏が…時が時なら発禁処分になっててもおかしくないのに…持て囃されてた…少なくとも後世まで残った…のも当時の感覚は良う分からんですね光源氏はキチンと面倒見たから説はありますが
顕光さんが認めない限り(婿入りは相手の父親か兄もしくは姉の夫の承認が必要。この場合は顕光さんだけ)無理。
婿入り婚は自宅の現持ち主というかそう言うか、みんなが同居する形態の結婚になるなら、父や兄、姉妹の夫の許可が必要と言うのは、つまり同居人となる予定の人達の同意や、同居人になる予定の人で一番偉い人の同意は必要って事ですよね😥。それはよくわかる。 つまり当時堀河邸にいた義弟(妹延子の婿)の敦明親王の許可でもいいって事かな? 義弟君が皇太子の位辞して準太上天皇小一条院となって道長の出て行って後、すぐに延子と顕光さんは相次いて亡くなってるし、お願いのタイミングもあるけど。。そう考えると元子さんは、小一条院が道長娘に婿入りする時に連れていける訳もない子供達、堀河邸に残った元子の甥や姪の親王/内親王の面倒も元子が見てたりするんだろうかなんてのもすごく気になってきた。 ただ、言うて元子さんそこまでお父さんと同居してなくて出たり入ったりだったし…完全に婿取り/婿が妻の実家の世話になる…要素があまいような…。元子さん自体が夫をお世話する経済力あるし。だからこそ、 顕光か敦明親王の許可絶対必要なのかな?元女御とのち准太上天皇(天皇第一皇子で母は皇后。東宮位を辞す)でお互い無下には出来ないし、普通に小一条院って堀河邸にいた頃って岳父に気遣う気が全然なくて、朝廷で顕光さんにめっちゃ恥かかせてたりするし、義父の顔疑うタイプではない。道長から娘差し出されたら、ホイホイそれに乗って結婚して、元子の妹延子を捨てる形になって、ショックで延子と顕光が相次いで急死してるしで、🙆♀️貰うタイミングとか、義弟の身分とかによっては顕光を黙らせたり、結構押し切れそうな気もする。ムカつくだろうが小一条院の機嫌とったらいけるって事??あと、婿取りではなく嫁取り形態なら問題無いのではと思ったりするけどどうなんだろうか😥。ただ、ところあらわしとか出来ないかぁ。言うてこの頃、嫁取り婚も婿取り婚もあったし、そのどちらの形態にも明確に父やそれに準じる人の許可必要だったのかな?ましてや元子さんて官位もあって自前の経済力もあったし、こんなフリーダムに入れたのだし、そこら辺どうにかならなかったのかな。敦明親王(准太上天皇)は同じ堀河邸に住んでた記録あるし、彼の許可があったら行けてたんでは?元女御と准太上天皇(天皇第一皇子で母は皇后)でお互い無下には出来ないし、普通に小一条院って堀河邸にいた頃って岳父に気遣って暴力問題起こして、朝廷で顕光さんにめっちゃ恥かかせてたりするし、小一条院の機嫌とったらいけるって事では?あと、婿取りではなく嫁取り形態なら問題無いのではと思ったりするけどどうなんだろうか😥。ただ、ところあらわしとか出来ないかぁ。でも家長が女性の所でも普通に嫁に言ってない?言うてこの頃、嫁取り婚も婿取り婚もあったし、そのどちらの形態にも明確に父やそれに準じる人の許可必要だったのかな?ましてや元子さんて官位もあって自前の経済力もあったし、こんなフリーダムに入れたのだし、そこら辺どうにかならなかったのかな。
正式な結婚は、いろいろ儀式がある。ので、それを取り仕切れる知識を持っているのが男性で有ることが多い。敦康親王の場合は、嫡妻の父具平親王が亡くなっているので、嫡妻の姉の夫頼通が取り仕切っている。 元子の場合は、兄は出家しているし、母方の身内はほぼいないし、(祖母が一人っ子のため)後は皇族、取り仕切れる男性は顕光しかいなかったでしょうね。 そして、元子は顕光に頭下げるよりも妾でいる道を選んだと言う事です。
顕光の一族は、栄花物語において中関白家没落後の道長のライバル的な役を担わされたこともあり、想像妊娠の件など話が盛られがちです。
大半は小右記や御堂関白記にも記載があり、本動画では栄花物語史観はなるべく排除していますが、どうしても影響は出てしまっています。
彰子様の良妻賢母エピソードがどんどん出てきますね笑
彰子様にとって元子様はかつてはライバル関係だったとはいえ、自分と同じように父親の政治の道具にされた元子様に同情的だったのではないでしょうか。
死体を置くなどの道長の陰湿な嫌がらせは大河では描かれないんでしょうねー
元子さんは中々思い通りに行かない人生ながらも、愛を貫き、長生きもできたのはよかったと思いました
一条天皇が即位する時に、高御座に子供の生首が置かれる事件は描いていましたよ(さすがに直接画面に映さなかったけど)。
今回の大河では、今のところ道長は良い人物として描かれていますが、闇落ちするのか、それとも誰か別のせいにするのでしょうか。
中公新書からかつて出ていた「承香殿の女御」(角田文衛著)初版は、60年前だが、藤原元子を始めて取り上げた本だった。
私は、高校生の時始めてこの本を読んだが、角田氏の分析力には脱帽した。今でも、この説通用するので、再販しないかな。
私、持っています❗️
図書館で借りるしかないですかね❓️
大変面白かったです!有難うございました☆
元子ちゃんのぶっ飛びが大好き❤
一条天皇に愛されたとかどうでも良いわ。
元子ちゃんは駆け落ちしても好きな人と添い遂げて自分の財産で幸せに暮らした。
承香殿女御を取り上げていただきありがとうございます。
定子以外に寵愛されていた女御がいたとは、知りませんでした。村上天皇の孫なら身分的にも申し分なく后に相応しいのに、またも道長に妨害工作を受けているんですね。一条帝に会わせないなどいろいろ策略を企ている道長に、あれほどの栄華を築くための裏の知られざる手段を感じてしまいます。それだけ皇子を産むというプレッシャーがキツく、想像上の妊娠騒ぎまで起こっているとは女御間の熾烈な争いも伺え、痛ましいです。
一条帝死後、新たな相手を得てやっと幸せを得られるはずが、今度は父に反対され尼にされそうになってしまうとは、信じられない展開ですね!頼定は前歴のあまり良くない人のようですが、なぜ顕光はそれほど反対したのでしょう?妾という立場が嫌だったのでしょうか?いくら自分に無断で付き合っていたといっても、頼定はそこそこの貴族であるので不思議です。なまじ元子が従三位と位が高く財産があるから、心配が先に立ったのでしょうか?その後の堀川殿を巡っての争いも資産家の相続争いのようで、多くを所有する者ならではの苦労ですね。維持費が嵩んで結局頼通に献上されたというのも、何だか皮肉です。
元子は従三位ではなく従二位ですね
やはり、三条天皇のきさきだった兼家の末娘との不義密通は、貴族社会では容認できなかったと。
@@rona8070 さん 訂正ありがとうございます。12:38ですね。
これ大河ではスルーするのかな?元子の生涯だけでドラマ1つ作れそう。
いつも詳しく、またわかりやすい動画をありがとうございます😀
昔、「承香殿の女御」という本を読み、元子に興味を持ちました。
一条帝との連絡役は右近ですね❗
頼定が元子を正妻扱いするほど、元子は(父に似ず😝)魅力的な女性だったのでしょうね。
出家してしまったが、彼女の同母の兄重家はかなり魅力的だったと記録が残っている。(顕光さん跡取り息子に逃げられた)
彼女の母方の祖母源計子(村上天皇の更衣)が聡明で美しかったと言う話が残っているので、たぶん元子さんも聡明で美しかっただろう。
ううむ、いつもながら深いですね。元子で一本大河ドラマ作れますわ。源頼定は匂宮のモデルかもしれませんね。
昭和のドラマに想像妊娠モノってあったけど
元ネタはここから?
元子、天皇が亡くなった後の再婚が上手くいった方の女御だけど、為時の叔母さん(醍醐天皇の従姉妹&女御)が結構勝ち組な気がします。
小説「悪霊の左大臣」では、元子さま主人公でした。
当時は娘が財産を相続する為、当然の如く、屋敷を寄越せとは面白いですね。
こっ、これは、現代の三文芝居じみたドラマなんかより面白いっ❗
この辺の如何にも平安時代らしい関係が描写されずにアレなのは残念至極ですね
エンタメと史実を混同して馬鹿丸出しのコメントをするとは、お恥ずかしい方がいたものよ。
誰かこの辺りの事を執筆しないかね-
かつての司馬遼太郎クラスとまでの贅沢は言わないが宮部みゆきクラスで…
同感です。
かつて中公文書から出ていた「承香殿の女御」(角田文衛著)が、元子の事を世に出しました。たぶん調べている方もここが基本だと思いますよ。
一条天皇は情が厚いと言うか、義理堅いと言うか………
好感が持てます。
現代にも通じる相続を巡るゴタゴタですね。
元子の気が強いのはそうなんだが、悪霊左府顕光も頑固すぎじゃないか・・・?
親子喧嘩にしてはやり過ぎ・・・
一條天皇の愛人貞子の末の妹って最近の動画で言ってますよね。それなのにこの時は元子なの
こんな人生嫌‼️
秋篠宮は皇太子ではありません。暫定的皇位継承第1位の皇嗣にすぎません。
主上の「妃」だったかつ位がとんでもなく高い人でも「妾」になってしまうのね
まひろはどんだけ高望みだったのかとww
元子さんより為時の叔母さん(紫式部の大叔母)の女御様(従四位下)の方が、天皇死後の再婚戦線では圧倒的に勝ち組に見える。
因みに、元子が『妾』だったかは微妙なところです。藤原実資(正妻とされている女性の父に目をかけていた)の『小右記』には元子が「故兵衛督室」と記され、道長の『御堂関白記』には『妾』とされています。
ただ、道長としては以前、三条天皇の尚侍として仕えていた&かなり可愛がってた異母妹を同じ源頼定により孕まされ、三条天皇から
『道長、オレ心当たり無いんだけど、ちょっと確認してくんない?』と頼まれて、異母妹の胸鷲掴みで調査『ガチでした』報告させられた屈辱を受けた過去があります。
三条天皇×道長はこの下半身緩い男マジ許すまじで『まじで蹴り◎ろさせようかな』→やっとの思いで我慢して『無期限の出仕&昇殿停止』処分にしてるから、(因みにこの孕まされ異母妹をその後も厚遇してるので道長はそれくらいこの異母妹を可愛がってた)、
あのク◎野郎、またうちの身内の高貴な女性を妾扱いしやがって許すまじ…、実頼様を見習えよ…みたいな感情が入ってそう書いてみたいです。
多くの書籍でも元子は、妻と表記されています。夫よりも妻の官位が高く、正妻とされてる女性は受領階級に過ぎ無いのをみると、父右大臣/本人女御&正二位なので、妾と出来たかは怪しいような…。
源明子さんや道綱母方式でもう一人の妻?とかかなと思ったり…。
因みに実資の養父(祖父、摂政&左大臣)は醍醐天皇の女御(従四位下/紫式部の大叔母)を正妻にしています。
元子がと言うより、男の方か
きちんと責任を取らないマンの問題かなと思います。
女御様を粗雑な扱いをしない事だって出来るのに、
例えば関白/摂政/左大臣だった実頼でさえ、元子よりかなり下の官位&元子ほど高貴な血筋でもない女御(紫式部夫妻の身内)でさえ、
きちん正妻とする事だって出来るのに、きっちりせず『事実上の妻』扱い/内縁関係みたいな扱いのままズルズルとするこの下半身ゆるゆる/責任もちゃんも取らないけど女の元には通ってくる、だらしないこの男が許せないマン道長(最初の被害者は道長が一番可愛がってた異母妹)の私情込みで書いてる感じ?
ちなみに、再婚大成功な女御様、藤原能子は、醍醐天皇の女御&従姉妹&父は摂関家本流/嫡流ではない肩身狭い系右大臣(ただし醍醐天皇の外戚)&為時の叔母(紫式部の大叔母)&従四位下
は、醍醐天皇の寵愛薄れて寂しい時期を経て、天皇の死後は夫の同母弟と通じたりしたけど、
再婚して普通に関白/摂政/左大臣の正妻になってて幸せな人生送ってたし、実資も嫡母として長年に渡ってかなり真剣に法事を行い手厚く弔ってたことが伝わっています。
ゆるゆるの光源氏が…時が時なら発禁処分になっててもおかしくないのに…持て囃されてた…少なくとも後世まで残った…のも当時の感覚は良う分からんですね
光源氏はキチンと面倒見たから説はありますが
顕光さんが認めない限り(婿入りは相手の父親か兄もしくは姉の夫の承認が必要。この場合は顕光さんだけ)無理。
婿入り婚は自宅の現持ち主というかそう言うか、みんなが同居する形態の結婚になるなら、父や兄、姉妹の夫の許可が必要と言うのは、
つまり同居人となる予定の人達の同意や、同居人になる予定の人で一番偉い人の同意は必要って事ですよね😥。それはよくわかる。
つまり当時堀河邸にいた義弟(妹延子の婿)の敦明親王の許可でもいいって事かな?
義弟君が皇太子の位辞して準太上天皇小一条院となって道長の出て行って後、すぐに延子と顕光さんは相次いて亡くなってるし、お願いのタイミングもあるけど。。
そう考えると元子さんは、小一条院が道長娘に婿入りする時に連れていける訳もない子供達、
堀河邸に残った元子の甥や姪の親王/内親王の面倒も元子が見てたりするんだろうかなんてのもすごく気になってきた。
ただ、言うて元子さんそこまでお父さんと同居してなくて出たり入ったりだったし…完全に婿取り/婿が妻の実家の世話になる…要素があまいような…。元子さん自体が夫をお世話する経済力あるし。だからこそ、
顕光か敦明親王の許可絶対必要なのかな?
元女御とのち准太上天皇(天皇第一皇子で母は皇后。東宮位を辞す)でお互い無下には出来ないし、
普通に小一条院って堀河邸にいた頃って岳父に気遣う気が全然なくて、朝廷で顕光さんにめっちゃ恥かかせてたりするし、義父の顔疑うタイプではない。
道長から娘差し出されたら、ホイホイそれに乗って結婚して、元子の妹延子を捨てる形になって、ショックで延子と顕光が相次いで急死してるしで、🙆♀️貰うタイミングとか、義弟の身分とかによっては顕光を黙らせたり、結構押し切れそうな気もする。
ムカつくだろうが小一条院の機嫌とったらいけるって事??
あと、婿取りではなく嫁取り形態なら問題無いのではと思ったりするけどどうなんだろうか😥。ただ、ところあらわしとか出来ないかぁ。
言うてこの頃、嫁取り婚も婿取り婚もあったし、そのどちらの形態にも明確に父やそれに準じる人の許可必要だったのかな?
ましてや元子さんて官位もあって自前の経済力もあったし、こんなフリーダムに入れたのだし、そこら辺どうにかならなかったのかな。
敦明親王(准太上天皇)は同じ堀河邸に住んでた記録あるし、彼の許可があったら行けてたんでは?元女御と准太上天皇(天皇第一皇子で母は皇后)でお互い無下には出来ないし、
普通に小一条院って堀河邸にいた頃って岳父に気遣って暴力問題起こして、朝廷で顕光さんにめっちゃ恥かかせてたりするし、小一条院の機嫌とったらいけるって事では?
あと、婿取りではなく嫁取り形態なら問題無いのではと思ったりするけどどうなんだろうか😥。ただ、ところあらわしとか出来ないかぁ。でも家長が女性の所でも普通に嫁に言ってない?
言うてこの頃、嫁取り婚も婿取り婚もあったし、そのどちらの形態にも明確に父やそれに準じる人の許可必要だったのかな?
ましてや元子さんて官位もあって自前の経済力もあったし、こんなフリーダムに入れたのだし、そこら辺どうにかならなかったのかな。
正式な結婚は、いろいろ儀式がある。ので、それを取り仕切れる知識を持っているのが男性で有ることが多い。敦康親王の場合は、嫡妻の父具平親王が亡くなっているので、嫡妻の姉の夫頼通が取り仕切っている。
元子の場合は、兄は出家しているし、母方の身内はほぼいないし、(祖母が一人っ子のため)後は皇族、取り仕切れる男性は顕光しかいなかったでしょうね。
そして、元子は顕光に頭下げるよりも妾でいる道を選んだと言う事です。