この世に偽善者でない人は一人もいない【仏教の教え】
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- เผยแพร่เมื่อ 15 ก.ย. 2024
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「自分のことくらい自分が一番よく知ってるさ」と、みな思っていますが、実は分かっているのは、自分のほんの一部であり、他人も自分も知らない本性が隠れていると、仏教では説かれています。
仏説通りの自己を知らされた親鸞聖人は『虚仮不実のわが身にて清浄の心もさらになし』“ウソ偽りのこの身には、清らかな心は全くない”と懺悔されています。
親鸞聖人がここで言われている『虚仮不実』とはどういうことか、あの有名な『浦島太郎』を通して語ってみたいと思います。
漁師の浦島太郎が浜へ行くと、カメが子供たちに虐待されています。
可哀想に思った彼は、子供たちに動物愛護の精神を話しますが、子供たちは聞き入れません。
そこで彼はカメを買いとり、沖のほうに放してやりました。
いじめられる動物をかわいそうだという人はいますが、実際に身銭を切ってでも助けようとする人は少ないですから、彼のしたことは誰にでもできることではありません。
後日、浦島太郎が船を浮かべて漁をしているところへ、助けたカメがあらわれて、竜宮城の乙姫さまを紹介され、タイやヒラメの踊りを楽しみ、山海の珍味でもてなされ、思わぬ楽しみを味わうことになります。
十分楽しんだ浦島が帰宅しようとした際に、乙姫さまは玉手箱をお土産に渡します。
浦島太郎が故郷に戻ってみると、長い年月が経っていました。
何かさびしくなった浦島太郎は、絶対に開けてはなりません、と乙姫さまから言われていたのに、玉手箱を開きます。
一瞬にして浦島太郎は、白髪の老翁になってしまいました。
さて、これがおなじみの浦島太郎のあらすじですが、皆さんの中にもこのおとぎ話を聞いて、何か釈然とせぬ気持ちになられた方も多いのではないでしょうか。
その釈然としないところは『なぜ良いことをした浦島太郎があんな目にあったのか』というところです。
ふつうの日本昔話なら、正直爺さんは宝をもらい、意地悪ばあさんはひどい目に遭う、勧善懲悪のストーリーです。
この日本昔話の黄金の方程式は、実は日本人の思想の根底にある仏教思想からきます。
このメルマガ、日記でも何度も紹介した
善因善果(良い行いをすれば幸せになれる)
悪因悪果(悪い行いは不幸を引き起こす)
自因自果(自分のまいたものは自分が刈り取らねばならない)
の因果の道理です。
では、なぜこの浦島太郎だけは、この黄金の方程式から逸脱しているのでしょうか。
実は絵本に書かれているおなじみの浦島太郎の姿にそのヒントがあります。
浦島太郎は漁師の格好をしています。
彼の肩にかつがれているのは魚釣竿です。
この釣竿は今からも多くの魚の生命をうばう道具で、浦島太郎が本当に動物愛護の善人ならば、まずその竿を折らねばならないことになります。
一方で何千何万の魚を殺しながら、たまたま一つのカメの生命を助けたからといって、いかにも慈悲深い善人にみせかけるのは、あまりにも見え透いた偽善といえます。
悪しか造っていない私たちが、善いことをしていると自惚れて、自惚れて過ぎ去る一生の早さを教えたものが、この浦島太郎の物語なのです。
悪を造り続け、その自覚も無しに、パッと白煙が立ち登る一瞬の人生に驚いた時は、すでに人生の終着駅についているのです。
このように知らされると、子供のオトギ話と思っていたことも、実は、真実の私の姿を教え、早く、本当の幸福を獲なさいよ、と教えられる仏教そのものになるのです。
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(自己紹介)
1988年早稲田大学を中退し、仏教講師の道を目指す。
浄土真宗親鸞会で仏教講師の資格を取得、全国各地で公開講座を始める。
2010年からメールマガジンをはじめ、読者12000人の仏教最大級のメルマガ執筆
2014年からは全国をつなぐオンライン講座の動画レクチャーでも活動中。
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ありがとうございました。
妻、子供、職場の部下などに対して私はこれだけ貴方達のためにしてやってるのに何故わかってくれないんだといつも歯がゆい思いでいます。それを思わないようにする。何もなかったことにするなど私のような未熟者には至難の業です。しかし菊谷先生の動画を見るようになって少しづつ変わっていく自分に気づいています。菊谷先生の言われることの1%でも実行できるよう努力したいと思います。教えていただきありがとうございます。
サムネのイラストを見て思わず笑ってしまいました。仏教の教えはタイトルだけ見ると大きく曲解されがちですが、詳しい解説を聴くと納得できるものが多いです。
今回のご講義拝聴し自分と向き合うことの大切さを知りました。
貴重なお話ありがとうございました。
仏教の学びが進むほどに自分の浅ましさ醜さに気付かされ、苦しむ結果となりました。ですが今では心が少しばかり楽になった様に感じられます。他人の言動に心が乱されて辛い生き方でしたが、自分の自惚れ心が苦しさ辛さの原因だと思うようになりました。自身の魂の修養をおろそかにしていながら、ひとさまの心の値踏みをしてしまう愚かしい生き方をしていたようです。菊谷先生のお話、とてもありがたいです。深謝です。
素晴らしいメッセージに感謝いたします。親鸞聖人の教えとイエス・キリストの教えは同じですから、互いの信仰の親和性はとても深いです。浄土真宗とキリスト者(プロテスタント教会)はお互いの信仰を認めつつ、仲良くできるはず!です。
十代で仏教に出会っていれば、人生健やかに過ごせたと思います。
60才を過ぎて人生を振り返ってみると後悔しかなくとても辛いです。
親鸞聖人は徹底的にご自分の行いを見られたのは凄い‼️凡人にはなかなか出来ないですね。菊谷さんいつも大事なお話をありがとうございます。南無阿弥陀仏🙏
菊谷先生、ありがとう御座いました🤗
煩悩が「一切皆苦」を生み出す、善行だけをしようと思う時分別が働きます「自力」、善悪を判断する時、好き嫌いを判断するとき煩悩が働きます。人智には限りがある、自分が見えている事だけで善悪は判断できるわけが無い事に気が付いて、お釈迦様は「判断」する時に煩悩が動く事を悟られた。一切の煩悩を否定しないと「苦」を生み出す「心因」を失くす事は出来ないと認識した。お釈迦様は全ての煩悩を否定する「出家」こそが唯一の道として仏教を作られた。
生きる事さえ自分で判断しない「出家」して「托鉢」によって衆生に「布施」によって判断してもらう「他力」は仏教の根本修行でした。「自戒」が仏教の根本であり、「自戒」の無い仏道は無いと言えます。
比叡山では仏教は成立していなかったようですね。
お話、ありがとうございます。意業、(廃悪修善)に心掛けたいです。。
先生ありがとうございました。
🙇♀️
おまえは偽善者だな、とか言われても別に嫌な気持ちにはなりません。表の顔で暮らしていくのも、たまに裏の顔が出てしまうのもどちらも疲れますね。
普通だったら、悪い行いをせず、悪いことを喋らなければ、心ではどんな悪いことを思っても自由だと思うところだが、心で悪いことを考えていることすらも深刻に悩まれた親鸞は、浅ましい自分なんかとは比べ物にならないほど真剣に人生を見つめられた大変偉大なお方なんだなぁと思いました。
今の私の悩み苦しみの根幹の部分がまさに今回のお話でした 昔は本当に人を信じて人に良くしてあげようとしてきたが賢くなっていくにつれて人の偽善の部分が見えて自分の心が汚くなっていくのが本当に辛い この心が癒される事ってあるのかぁバカになりたい笑
誰でも自分の味方の内は優しいもんだと思う。
菊谷隆太先生、こんばんは。🌃🤱🌆🤱🌇🤱今日も、ありがとうございます。🌃🤱🌆🤱🌇🤱
菊谷先生、毎回聞いて心が安らぎます。時間についての質問です。なぜ、1年はあっと言う間なのに、ライン既読待ちは長いのですか。
キリスト教は仏教の教えが必要だと思います。それは神という存在を外に求めているからです。親鸞聖人、この後どのように越えられていかれたのか?私は現代科学の意識について探求中なのですが、人間の意識自体が法鏡だと思っています。私の日常の意識が自分自身を100パーセント表していると感じています。だから、親鸞聖人はこの後、自身の法鏡の境地に行かれるのではないかと予想できます。弟子たちの思い、平家の落ち武者に対するおもい、いろいろな思いは結局自分から表れたものであると自覚されるのではありませんか。だからご自身を偽善者だと呼ばれたと思います。
私も日常の生活でおなじ思いを持っています。人間の意識を探求するに当たって、自分の意識が自分自身であると認めることが法鏡の奥義ではないかと感じるのです。そうずると、全ての原因が自分自身にあるということに気が付くのですね。この動画で赤いインクが流れてきているその上流にいってそれを突き止めて、注意したところでその原因が自分だったと気が付くことが法鏡の奥義ではありませんか。私はその様に感じます。誰一人として思わないですね。全ての意識の原因が自分にあるなんて思いませんが、私はそういうふうにして修行を日常生活で行っています。
心の奥底の井戸に入れば多く厳しい怖い世界に入る。その様に危険ですからそこに下りても自分をまともに律していく事は強い信念がいる。
親鸞聖人が苦しまれたのは律すべきと言う大きな目的をお持ちだったからと思います。
仏に近付きたいと言う大欲(大きな目的)をお持ちだったからとしか言いようがない。
比叡山の開祖最澄でも、親鸞のように意業が清まっていなかったとは思いません❗最澄様はもちろん人や天に生まれる修行ができたと信じます❗親鸞はそれに対して、なんとも情けない、法然様でも一生不犯だったのに、なんとも凡庸だと思います❗
偽善であることを偽善であると苦しんでいること自体、偽善でないのでは?
うわべだけの善、それに気づいたから苦しいのでは?
心は常に腹よりも底に置かなければならない。心が頭にまで来ると奥深さは消え、浅はかな、その場凌ぎにはなる。
純粋無垢の子供や、悟りきったもうすぐあの世に逝く老人や、手がない足がない肉体的不自由になった人ほど、心から注意深く学ばなければならないと、常に己を戒めなければならない。
キリスト者も修道院で修行したけど、ダメだったらしいです… 。😂
宗教は だいたい 多いですね
善人にはなれなくても慈悲の瞑想はできるでしょ
内容の前にサムネが笑える😂
仏教はマインドコントロール等によって人の心を縛りつける教えではないので持って生まれた心は正しいのではないでしょうか? むしろそれだからこそ他人の心が理解できるのではないでしょうか?
私の中でも偽善者の意味は親鸞聖人の思ってる偽善者と同じだけどなぁ
ビジネス傾倒坊主に聞かしてやりたい
山本さんは わざと 変な事 いう人との
演説で 話動画だしてますね。あれも偽善なのかな。なぜなんだろう。動画回数のため?
ばからしく 見る気がうせる。
ありがとうございました。