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昭和53年はソ連と冷戦下に日本はあり、いつ.北方4島からソ連侵攻があるか?わかりません、北海道の根釧原野に大砲の砲列をしき、備えていました、その時、歌ったのが「さくら進軍」です、自衛隊の仲間と手拍子をとり、互いを鼓舞しました、死ぬ恐怖と戦いました、幸いソ連は侵攻してきませんでした、思えば、ゾッとする自衛隊の体験でした
ウクライナのようにならなかったのは、まさに貴殿らの猛訓練の末の部隊展開がもたらした抑止力に他なりません。本当に、ご苦労様でした。
露営の歌〜続露営の歌〜さくら進軍はセットで
「さくら進軍」は「露営の歌」と並ぶ名曲ですからなあ。
貴重な画像を有難うございます。この歳になっても(;_;)がでてきました。愛する人を守らんとし散って逝かれた彼らの純心な真心を忘れてはならない。欺瞞の渦巻く世の中にしてはならないですね。英霊に感謝です。
そうですね。我が国には長期戦を戦うだけの資源も工業力もなかったのはわかっていたわけで、ほんと残念です。
もう二度と、戦争はしてほしくないですね。この世界から戦争が無くなる事を祈っています。
この時点で既に浦部さん若くはなさそうですね。。。
ご紹介のドラマは存じませんが、さぁ散華した若桜が今の世の中を見てどう思うか、推し量るのは難しいですね。どんなに腐った平和でも戦争よりはマシと思うか…国体観のかけらもない世代に呆れるか…。
浦辺粂子が70年前から老婆役だったという事を知って衝撃受けたw
老婆ではねーだろ
このように演説をして部下を特攻隊員として送り出した上官の殆どは、のうのうと生き延び、畳の上で死んだ。卑怯未練。陸軍も海軍も。祖国の為に戦い、散華された方々に感謝します。今の日本があるのは、あなた方のお蔭です。
映画のモデルになった飛行244戦隊の隊長は現実ではもっと若い人で、戦後も航空自衛隊のパイロットとして活躍事故殉職されています。
こういうとこでそないなこと言われてもなぁ…ここで言わんでもよかやろ?
事実をよく調べてから発言しよう。フィリピン方面で陸軍特攻作戦の最高責任者であった富永恭二第四航空軍司令官は長男の靖少尉を第58振武力隊員として沖縄方面特攻作戦に出撃させて亡くしている。その沖縄穂面における陸軍特攻作戦の最高責任者であった菅原道大第六航空軍司令官の長男も、海軍白菊特攻隊の一員として出撃を旬日に控えた配置にあった。海軍では特攻創始者大西瀧次郎中将は終戦とともに特攻隊員に謝す遺書を残して割腹自決、前記白菊特攻隊を送り出した高知海軍航空隊司令 加藤秀吉 大佐は終戦に際して、周囲が司令の自決を恐れて軍刀や拳銃を隠してしなったので、隊内の井戸に飛び込んで自決し、出撃した若人たちとの約束を果たした。鹿児島県、鹿屋基地の人間爆弾「桜花」の部隊の司令官 岡村基春大佐は終戦後残務処理を終えたのち洋上慰霊祭を敢行し、直後、千葉県茂原の基地跡近くの鉄道に飛び込んで自決して、出撃した若人たちとの約束を果たした。なるほど、卑怯に生き延びた者もいたことは確かだが、主だった人々は皆、自決したり自らの最愛の子息を国に捧げたのだ。
@@NV124KX660 様 本当です。戦後のGHQ洗脳教育で育った者には当時の価値観で判断できないでしょう 大東亞合唱團 團長
そんな事は他人だから言える事で今の人より責任も取るだろうなw実際、お前がその立場で行けるか?松岡のオッサンやw
此処で唄われている「さくら進軍」は、当時の資料から各陸軍航空部隊で「特攻隊の歌」として唄われていたようです。勿論、歌詞とメロディーは「さくら進軍」その物で一部分の歌詞が変わっただけですが・・・・資料:軍歌「雄飛」 仙台陸軍飛行学校 昭和19年9月発行より
この歌の曲自体は古関裕爾作曲の露営の歌のイントロをそのまま流用したものですがね。
同感ですね(*^_^*)
DVDで販売されてますか?
始まり3:12
私としては、どちらも容認しがたい事実ですな。
昭和53年はソ連と冷戦下に日本はあり、いつ.北方4島からソ連侵攻があるか?わかりません、北海道の根釧原野に大砲の砲列をしき、備えていました、その時、歌ったのが「さくら進軍」です、自衛隊の仲間と手拍子をとり、互いを鼓舞しました、死ぬ恐怖と戦いました、幸いソ連は侵攻してきませんでした、思えば、ゾッとする自衛隊の体験でした
ウクライナのようにならなかったのは、まさに貴殿らの猛訓練の末の部隊展開がもたらした抑止力に他なりません。本当に、ご苦労様でした。
露営の歌〜続露営の歌〜さくら進軍はセットで
「さくら進軍」は「露営の歌」と並ぶ名曲ですからなあ。
貴重な画像を有難うございます。
この歳になっても(;_;)がでてきました。
愛する人を守らんとし散って逝かれた彼らの純心な真心を忘れてはならない。
欺瞞の渦巻く世の中にしてはならないですね。
英霊に感謝です。
そうですね。我が国には長期戦を戦うだけの資源も工業力もなかったのはわかっていたわけで、ほんと残念です。
もう二度と、戦争はしてほしくないですね。この世界から戦争が無くなる事を祈っています。
この時点で既に浦部さん若くはなさそうですね。。。
ご紹介のドラマは存じませんが、さぁ散華した若桜が今の世の中を見てどう思うか、推し量るのは難しいですね。どんなに腐った平和でも戦争よりはマシと思うか…国体観のかけらもない世代に呆れるか…。
浦辺粂子が70年前から老婆役だったという事を知って衝撃受けたw
老婆ではねーだろ
このように演説をして部下を特攻隊員として送り出した上官の殆どは、のうのうと生き延び、畳の上で死んだ。卑怯未練。陸軍も海軍も。
祖国の為に戦い、散華された方々に感謝します。今の日本があるのは、あなた方のお蔭です。
映画のモデルになった飛行244戦隊の隊長は現実ではもっと若い人で、戦後も航空自衛隊のパイロットとして活躍事故殉職されています。
こういうとこでそないなこと言われてもなぁ…ここで言わんでもよかやろ?
事実をよく調べてから発言しよう。フィリピン方面で陸軍特攻作戦の最高責任者であった富永恭二第四航空軍司令官は長男の靖少尉を第58振武力隊員として沖縄方面特攻作戦に出撃させて亡くしている。その沖縄穂面における陸軍特攻作戦の最高責任者であった菅原道大第六航空軍司令官の長男も、海軍白菊特攻隊の一員として出撃を旬日に控えた配置にあった。海軍では特攻創始者大西瀧次郎中将は終戦とともに特攻隊員に謝す遺書を残して割腹自決、前記白菊特攻隊を送り出した高知海軍航空隊司令 加藤秀吉 大佐は終戦に際して、周囲が司令の自決を恐れて軍刀や拳銃を隠してしなったので、隊内の井戸に飛び込んで自決し、出撃した若人たちとの約束を果たした。鹿児島県、鹿屋基地の人間爆弾「桜花」の部隊の司令官 岡村基春大佐は終戦後残務処理を終えたのち洋上慰霊祭を敢行し、直後、千葉県茂原の基地跡近くの鉄道に飛び込んで自決して、出撃した若人たちとの約束を果たした。なるほど、卑怯に生き延びた者もいたことは確かだが、主だった人々は皆、自決したり自らの最愛の子息を国に捧げたのだ。
@@NV124KX660 様 本当です。戦後のGHQ洗脳教育で育った者には当時の価値観で判断できないでしょう 大東亞合唱團 團長
そんな事は他人だから言える事で今の人より責任も取るだろうなw実際、お前がその立場で行けるか?松岡のオッサンやw
此処で唄われている「さくら進軍」は、当時の資料から各陸軍航空部隊で「特攻隊の歌」として唄われていたようです。
勿論、歌詞とメロディーは「さくら進軍」その物で一部分の歌詞が変わっただけですが・・・・
資料:軍歌「雄飛」 仙台陸軍飛行学校 昭和19年9月発行より
この歌の曲自体は古関裕爾作曲の露営の歌のイントロをそのまま流用したものですがね。
同感ですね(*^_^*)
DVDで販売されてますか?
始まり3:12
私としては、どちらも容認しがたい事実ですな。