曽爾村にて

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  • เผยแพร่เมื่อ 20 ม.ค. 2025
  • 映像作家の日記、その15
    「曽爾村にて」(短縮版)
    衝動的に曽爾村へ
    11月上映会、今月の夜明けの映像詩は曽爾村にしようと急に思い立つ。
    曽爾高原のススキ、復活したとおっしゃる方もいるようですが、30年前の曽爾高原を知っているので、やはり寂しい。一度失ったものはもう戻らないのか。でも、昔の曽爾高原を知らない人にとっては絶景だと思う。比べるのではなく、これはこれで素晴らしい景観である。懐かしむだけの余計な昔話など意味がない。
    コロナの影響なのか、曽爾村への観光客が増えているそうだ。
    特に若い人、カップルやグループ、夕方には交通渋滞に駐車場に入る車の長い列。日没後にもやって来る人が多くて驚いた。これは曽爾村にとって良いことだと思う。
    何よりも若い人で賑わっているのは、幸せなシーンに違いない。
    コロナで密な都会から、曽爾村の自然の中へ。その気持ちはとても理解出来る。
    帰り道、奈良公園も賑わっていた。
    楽しそうな人で、幸せそうな人で溢れていた。
    たくさんのテントが張られ、テーブルが置かれていた。
    コロナ禍で蘇った奈良公園の芝生。でも、このままではすぐにハゲハゲの芝生に逆戻り。でもね、それで良いのかも。芝生の美しさより、人々の幸せそうな顔が溢れている方が美しい。
    コロナでたくさんの人が苦しみ我慢して来たのだから。
    芝生と人の幸せを比べる方がどうにかしている。
    私もあの中で笑っていられたらどれだけ幸せか。
    やっぱりこの体では外食は無理だなぁ。
    *この映像は11月上映会でも上映します。これは短縮版です。

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