不幸の連鎖で苦しんでいる人に共通する思考癖【仏教の教え】
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- เผยแพร่เมื่อ 16 ก.ย. 2024
- 仏教に『惑業苦(わくごっく)』という言葉があります。
「惑」とは、迷い・惑い・煩悩のこと。
「業」は悪い行い。
「苦」は苦しみのことです。
「惑」が「業」を生み、「業」が「苦」を生む、そして「苦」が「惑」を生む。
「惑」⇒「業」⇒「苦」⇒「惑」⇒「業」⇒「苦」⇒・・
延々と続いていくと説かれています。
カードローンで多重債務に陥り、苦しむ人は跡を絶ちませんが、惑業苦の輪が、かなりの回転数で回ってしまっている状態です。
お金が欲しい、困った、どうしようと「惑」の心が起きます。
つい借りてしまう、これが「業」です。
返済が迫られる、これが「苦」です。
その苦しみからまたどうしようかと迷い「惑」。
また借りる「業」。
借金がかさむ「苦」。
借金の額が増え、カードも幾つも作り、よからぬ金策に走ったりして、そのことで頭を悩ませ、仕事も手につかず、人にも優しくできなくなり、となっていくのが、惑業苦の輪が回っている姿です。
一昔前は借金といえば、親族や友人に頭を下げるなどしなければならなかったり、あるいは周りの目をはばかりながら、急ぎ足で質屋の暖簾をくぐらねばならなかったので、借金自体ハードルが高かったのですが、今日のご時世、ATMからお金を下ろしているのと同じ感覚で、キャッシング=借金という認識さえ麻痺して、しかもリポ払いでいくら買っても払う額が一定と、多額の借金も軽い気持ちになっていってます。
カード会社も、借金を怖ろしくないものといかに思わせるか、の方策を次々と打ち出しますから、うっかりしているとだまされて借金している、という状態です。
人気作家、宮部みゆきの代表作「火車」には、カードローンで身を持ち崩す人間の実態が描写されていますが、繰り返し語られているのは、出会い頭の交通事故のように、普通の人、一般の常識人も、いつカードローンの犠牲者になるかもしれないという実態でした。
「あたし、どうしてこんな借金をつくることになっちゃったのか、自分でもわからない」
「あたし、ただ幸せになりたかっただけなのに」
「夢はかなえることができない。さりとて諦めるのは悔しい。(中略)
そこへ、見境なく貸してくれるクレジットやサラ金があっただけって話」
昔より自制心が試されている時代ともいえましょう。
野菜の無人販売のように、お金が店頭に並べられていて、自由に持っていけるような感覚の時代です。
ただしどれだけ持っていったか、こっそり厳しく管理されているので、どれだけ欲しくても、我慢しなければなりません。
昔は返済が滞っても、親族だからいつの間にか利子が増えるということもなく、質屋の場合、入れた質草が返ってこないだけで、厳しい取り立てが始まるということはありませんでしたが、今は深刻です。
苦しい時に、やってはいけないことをして、余計苦しみを深めるのが人間ですから、苦しい時こそ「ここだなあ」と忍耐が大事です。
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(自己紹介)
1988年早稲田大学を中退し、仏教講師の道を目指す。
浄土真宗親鸞会で仏教講師の資格を取得、全国各地で公開講座を始める。
2010年からメールマガジンをはじめ、読者12000人の仏教最大級のメルマガ執筆
2014年からは全国をつなぐオンライン講座の動画レクチャーでも活動中。
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惑・業・苦の悪循環から抜け出す方法が、布施や忍辱なんですね。確かにこの教えは苦しい時ほど実行するのが難しい。孔子の教えにも、渇しても盗泉の水を飲まず、という教えがあるように貧しいときや苦しいときにその人の本当の性質が現れる。先生、今日も尊い教えをありがとうございました。
2024年3月11日(月曜日☀16時50分)不幸を生む思考癖は永年の癖って有りますね。特に欲、怒り、愚痴には気をつけないといけませんね。菊谷先生、大切なお話でした、ありがとう御座いました🙇♂🙏
菊谷先生いつも大切なお話と「何度聞いてもためになる有り難いカウンセリング説法」に心より深く感謝申し上げます。今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。釈尊出世の本懐の中の本懐〜大無量寿経〜阿弥陀仏の御本願〜一向専念無量寿仏〜信心正因称名報恩〜南無阿弥陀仏〜三戸拝🙏🙏🙏
菊谷隆太先生、こんにちは。💐🤱今日も、ありがとうございます。💮🤱
菊谷先生 本日もありがとうごさいます。
苦しみが煩悩を生む。『自業苦』と言って、自分の行いによって、どんどん自分で自分の首を絞めて行く。この状態を『自業苦』と言う。
仏教に『惑業苦(わくごっく)』と言う言葉があり、
『惑』とは、迷い・惑い・煩悩のことで、『惑』は、悪い行い、『苦』は苦しみのことである。
『惑』が『業』を生み、『業』が『苦』を生む。そして、『苦』が『惑』を生む。
『惑』→『業』→『苦』→『惑』→『業』→『苦』→・・・
延々と続くと説かれている。
苦しみから抜け出すには、光に向かって進む。
苦しい時こそ『布施』に心がけることが大事であり、『忍辱(忍耐)』が必要である。
『布施』とは、人に与えること、人に親切にすることを言う。
『乏しき時与えるは
富みて与えるにまさる』
本日も貴重なお話をありがとうごさいました。
いいお話です。本当に為になります。難しいが素晴らしい。
マジでそろそろ堪忍できずに、タガを外してみようかと思いましたが、仏法をリマインドでき、大丈夫そうです。20年聞いても、激情に流され、いただいた智慧が全部飛びますね。恐ろしき凡夫。
今日も、とても学びになりました。ありがとうございました。
ありがとうございました。
ありがとうございました!
(菊谷隆太先生動画視聴メモ)
★不幸の連鎖で苦しんでいる人に共通する思考癖【仏教の教え】
1.貧すれば鈍する(惑・業・苦)
2.自業苦から地獄へ(煩悩・貪瞋痴)
3.回れ右(六度万行・布施、忍辱、智恵)
いつも楽しみにしています。少し鼻声ですね?体調崩しやすい時期です。どうかどうかお身体大事になさって下さい。これからも楽しみにしています。
不幸の連鎖は惑業苦ですか
そして、そこから抜け出す
方法は六度万行ですね!
確かに、苦しい時の
六度万行は難しいですね、
しかしながら、実行していきたいものですね!😊
さぁ今夜も菊谷ルーティン
震災で亡くなる人の因果の道理は何?教えてください。
引きこもりは惑業苦の
典型的な形かもしれません
引きこもってまうとそこから抜け出せずどんどん沼にはまっていく
自分がそうです
菊谷さんのこのおしえは
引きこもりの方を救うかもしれません
菊谷先生,おかぜですか?お大事に。
ありがとうございます。
消費者金融が繁盛してる裏側に目を向ける人は少ないでしょうね。
いとも簡単にコンビニのATM 等でお金が借りられる様に便利になった事は別の問題を生んでいます。
先生有難うございました
鼻声で もし風邪😷をひかれてらっしゃるのであれば どうぞ お大事に
「長者の万灯より、貧者の一灯」
布施は貧しい者ほど尊い行い、金持ちから托鉢を受けるのではなく、貧乏な者から米一粒でも布施を受けることを選ぶ、お釈迦様のエピソードにもありますね。
また、無財施といって財を持たぬ者にできる布施も教えられています。
菊池先生。私が知る過去より貴方の講話は最近少し変わりました。親鸞聖人の教えはカトリック教徒である私にも、。
先生 花粉症ですかね?
いつもと 声が違いますね。
幸福を引き寄せる思考癖をお願いします。
誠に仏教の極意のありがたいお話でした。このお話だけで十分すぎるのに浄土教ではなぜ阿弥陀仏を付け加えなければならなかったのか。阿弥陀様に救いを求める前にまずは自分を改めるべき。
パッと思いついたのはアラジンかな
自分もお腹空いてパンを盗むんだけど子供たちに与えてた
でも良い人が悪い人に損をさせられることもしばしばあるしそれは真の不幸ではないのか
自分は何も悪くないのに他人のせいで損する事なんてしょっちゅうある
だからなろう系漫画では転生して無双するって夢物語があるんだけど現実的ではないよね
お金って借金から生まれるんですよ。だからお金を貯金したり停滞させると借金が返せなくなって経済は悪くなります。日本政府の借金が膨大なのは使わない人の代わりに国が借金して使うからです。節約を美徳とする仏教と消費を美徳とする資本主義。水と油ですね
このお話の中での「投資」とは、「お布施」のことですか?