【大入集落】[4K撮影] 幻の集落を求めて‥ 平安時代の権力争いに翻弄された花山天皇が移り住んだとされる隠れ里は実在するのか その存在を確かめるべく探索した一部始終 Ōnyu Village

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  • เผยแพร่เมื่อ 5 ก.ย. 2024
  • 愛知県北設楽郡東栄町と静岡県浜松市天竜区の県境に終点が存在する古真立佐久間線。
    この終点から愛知県道429号線を北上すると大入渓谷という深い峡谷に入っていきます。
    そんな深い山中に人目から避ける様にひっそりと集落が存在していたというのです。
    そこは第65代花山天皇が隠れ里として移り住んだ事が始まりと謂われている場所です。
    平安時代である永観2年(984年)から寛和2年(986年)在位していた花山(かざん)天皇。
    寛和元年(985年)に彼が深く寵愛した女御である藤原忯子(しし)が亡くなられました。
    女御(にょうご)とは天皇の寝所に仕えた高位の女官であり夫人としての階級を指します。
    その事に嘆き悲しみに暮れた花山天皇は出家して藤原忯子を供養したいと考えます。
    そこに激しい権力争い(政争)に巻き込まれるという事態も重なり退位し仏門に入る事に。
    その花山天皇の末裔が現代まで住み続けていたというのが大入(おおにゅう)集落です。
    標高800mという人が住むには険しい場所である上に隠れ里だけあって目印はないです。
    集落の手前には山道が存在するもそこに至る途上には道がなく急斜面をよじ登ります。
    過去に集落に辿り着いた方々の僅かな情報を基にほぼ手探りの状態で挑戦しました。
    迷わず進んで行っても1時間30分前後は要し、徒歩でしか到達出来ないという難所です。
    そんな険しい場所ですが集落内にはかつて大入文教場なる学校が存在したとの事です。
    先生は集落に住み込みで働き全盛期には何と生徒が13人も在籍していたというのです。
    昭和37年(1962年)頃に無人化したといわれ、江戸時代の様な暮らしを続けていたそう。
    更に集落内(家屋群より山頂に近い上層)には花山(熊野)神社なる村社も存在しています。
    神社周辺には花山姓の墓石が幾つも確認されている様で伝説の信憑性を感じさせます。
    また、東栄町史等には元々は大入が皇入という名称で記載された記録もあるそうです。
    私も学校跡地や神社まで行ったのですが、猪の集団(6頭)と遭遇してしまいました。
    人が立ち入らない為か縄張りとしている様子でこちらを威嚇し立ち去りませんでした。
    その為、目で一瞬は確認出来ましたが、身の危険を感じ滞在し撮影する事は断念‥。
    ですので今回は集落までの道程と集落自体の現在の姿の記録の内容となっております。
    また、動画の最後に下記に示してある各ポイントを記載したMAPを表示しております。
    11時15分 スタート
    11時30分 土砂崩れポイント
    11時35分 1本目の橋(大入橋)
    11時50分 分岐道もどき
    12時10分 2本目の橋(滝見橋)
    12時20分 廃車ポイント
    12時25分 集落への登り坂(登山) ※落石注意の看板が目印
    12時50分 集落入口に到着
    到達所要時間:約1時間30分(目的地まで途中に休憩を挟まない場合)
    名称:大入集落(廃村) Ōnyu Village(abandoned village)
    場所:愛知県北設楽郡東栄町東薗目 Higashisonome, Kitashitara Gun Toei Cho, Aichi Ken, Japan
    地図:www.google.co....
    BGM:DOVA-SYNDROME  【アドレス】dova-s.jp/
    #隠れ里#幻の集落#廃村

ความคิดเห็น • 33

  • @mouha-damashii.1973
    @mouha-damashii.1973 6 หลายเดือนก่อน +1

    30年以上前、平成初期の数年間ですが佐久間町(当時)に住んでて
    付近の高校にも通学していたので名前だけは存じてます😅

    • @user-ri5qj3bo6q
      @user-ri5qj3bo6q  6 หลายเดือนก่อน

      コメントありがとうございます😊
      平成に入ってからだと確かに近くに住んでいても名前は知っているというのはあるでしょうね。
      余程、知識と準備と目的意識を持って伺わなければ目にする事もない場所ですからね。

  • @sutekinaakaikeoh4403
    @sutekinaakaikeoh4403 10 หลายเดือนก่อน +3

    懐かしいです 今は橋の奥のゲートから道が無くなってしまっているので林道から集落には行けません 佐久間町のヘリポートからちょくちょく行きますが 大変です

    • @user-ri5qj3bo6q
      @user-ri5qj3bo6q  7 หลายเดือนก่อน +1

      昔に住んでいた或いは私の様に訪れていた方なのですか?
      佐久間町のヘリポートから行くという方法もあるのですね。
      それにしても今も昔もやはり辿り着くのに途轍もない労力を要するという事は不変なのですね‥。
      とても貴重な情報ありがとうございました。また、返信がかなり遅くなってしまい本当に申し訳ございませんでした。

    • @user-cd5du6ov5o
      @user-cd5du6ov5o 7 หลายเดือนก่อน +2

      佐久間町のヘリポートの元の地主が私です 町に売却しました

    • @user-ri5qj3bo6q
      @user-ri5qj3bo6q  7 หลายเดือนก่อน +1

      @@user-cd5du6ov5o これまた凄い情報をありがとうございます!
      それでそうした経緯なのですね。
      こうしてこの場所を知る方の目に留まった事にただただ感謝ですし、動画として配信した意味を自分の中で見出せて幸せに思います。
      本当に貴重なコメントに重ねてお礼申し上げます。

    • @user-cd5du6ov5o
      @user-cd5du6ov5o 7 หลายเดือนก่อน +3

      このヘリポートも最近は使用していません、浦川小学校の校庭に着陸ですね 来年に廃校になるので尚更です。 こちらこそありがとうございました。

    • @sutekinaakaikeoh4403
      @sutekinaakaikeoh4403 7 หลายเดือนก่อน +2

      厳密にはヘリポート下の集落にある登山道らしき道から入ります 佐久間川合に抜ける道かと 地形図にもありますがほぼ廃道状態なので歩き易いところを選んで尾根伝いに489ピークへ そこから県境を歩いて集落へ向かいます 大した藪漕ぎも無いですがやはり尾根が広い所は迷いやすいですね(笑) 毎度 無駄歩きさせられています

  • @user-ce3sm3uf4h
    @user-ce3sm3uf4h ปีที่แล้ว +2

    初めてコメントします。標高800mにこの石垣はすごいですね。この動画は、いい資料になりますね。

    • @user-ri5qj3bo6q
      @user-ri5qj3bo6q  ปีที่แล้ว +1

      コメントありがとうございます。
      本当にその当時どうやって道も整備されていないあの深い山中にあれだけの石を用意して組み上げたのか想像が出来ないです。
      ましてやその規模というのが動画だと伝え切れないですが、実際に現地で肉眼で捉えるとあまりの大きさに圧倒されました。
      昭和まで人が住み続けていたというのは驚きとしか言い様がありません。山の民って本当に凄いのだと認識されられます‥。

  • @user-cd5du6ov5o
    @user-cd5du6ov5o 9 หลายเดือนก่อน +1

    大入地区の出身者は現在は浜松市で暮らしています 私とその人の近所です

    • @user-ri5qj3bo6q
      @user-ri5qj3bo6q  7 หลายเดือนก่อน +1

      コメントありがとございます。また、返信が遅くなり本当に申し訳ございませんでした。
      それは凄い巡り合わせですね。やはり北設楽郡から近隣地域に移り住む方だと浜松市が多いのかもしれませんね。
      忙しかったりで動画の更新やコメントを確認させて頂くのが遅くなったりしますが、必ず確認の上で返信致しますので、動画と併せて宜しければ気長にお待ち頂ければと思います。

    • @user-cd5du6ov5o
      @user-cd5du6ov5o 7 หลายเดือนก่อน +1

      大入地区の人は買いもは佐久間町浦川でしていたようです 元浦川の住民 叔母が浦川地区の出身でので聴きました。 大入地区の子孫の方は浦川地区(花山さん)に一世帯、浜松市中区(浦川から引っ越し)健在です。

    • @user-cd5du6ov5o
      @user-cd5du6ov5o 7 หลายเดือนก่อน +1

      追記: 別の叔母は実際に大入地区まで行って野菜を貰ってきたそうです。

    • @user-ri5qj3bo6q
      @user-ri5qj3bo6q  7 หลายเดือนก่อน +1

      @@user-cd5du6ov5o 詳しい情報ありがとうございます。
      買い物1つをとっても本当に大変だったでしょうね‥。
      それでもその生活が当たり前のものとして続けられていた事に逞しさと尊さを感じます。
      子孫の方の所在もハッキリし健在という事でその系譜が紡がれているという事も聞けて安心しましたし嬉しいです。

    • @user-ri5qj3bo6q
      @user-ri5qj3bo6q  7 หลายเดือนก่อน +1

      ​@@user-cd5du6ov5o この場所が人の住んでいた痕跡を石垣を除き時間と共に消失していく中でも、語られ続け記憶として継承され続けていく事で風化しない様になっていって欲しいですね。
      野菜を貰ってきたという情報は当時の大入地区の生活の記録そのものですからね。本当に貴重な証言です。

  • @user-fj9ug3hq3b
    @user-fj9ug3hq3b 8 หลายเดือนก่อน +1

    大入集落の動画は過去にもあります。しかし一人で良く行けましたね?危険極まりないというか暴挙ですね。万が一の事は考えなかったのか不思議でなりません。

    • @user-ri5qj3bo6q
      @user-ri5qj3bo6q  7 หลายเดือนก่อน +3

      コメント頂きありがとうございます。
      また、確認と返信が遅くなり申し訳ございませんでした。
      先ず、補足させて頂きますと万が一の事は充分に想定しており、友人と家族に行き先を伝え、位置情報共有GPS端末で把握して頂いた上で、更にある時間帯になってもこちらから連絡がない場合は対応して頂く旨を予め申し伝えてあります。
      また、気候(季節)や天候や出発時間及びタイムリミットの方も事前に入念に設定して、無理そうなら即引き返す(これは動画内でも申し上げております)とは別に集落の位置を掴めず辿り着けなくとも引き返す選択を盛り込んでおりました。なので来た道を引き返せる様に細かくログを取っておりました。
      動画内や説明文でも述べておりますが、手探りであるのは現地に足を踏み入れるのはこの時が初めてなので事実ではありますが、実際に辿り着いた方に情報提供を求め、特徴や目印等の確証を得る為に必要な中間点等の下調べは行っており、出来うる限りの事前準備は行っております。
      仰られている他の動画がどういった方のものであるか詳しく詮索するつもりはないですが、必ずしも複数人だから大丈夫という訳ではありません。
      例えば複数人だと誰かに巻き込まれた、誰かを巻き込んだという万が一が発生の場合の別の可能性もありますし、全員が連絡が途絶える状況に関しても否定し切れません。メンバー間で体力や知識や装備等の登山能力に差がある場合は却ってリスクが上がる場合も考えられます。
      私にも登山仲間はおりますが、実際に全員が私が先導して経験を積んだメンバーなので、正直言って知識も体力も装備も私と同水準だと判断できる人は1人もおりません。まして自分も行きたいと強く願う方なら別ですが、こうした通常の入山届を出したり整備されている登山道を行くのとは訳が違う場所に向かうのに単独を避ける為に連れて行くのはそれこそ無責任だと思っております。
      これだけ長く書いてしまったので流石に詳細までは書きませんが、登山装備というのも1人で行くだけに相当な装備をしていっております。述べられている動画の方の装備がどれ程のものかは存じませんが、暴挙と書くだけの情報をこの動画からどうやって断言出来るだけの差を見出せているのでしょうか?先ずは普通に質問して確認しての上でのお言葉でなかったのが残念です‥。

    • @user-tj5sx3we9u
      @user-tj5sx3we9u 7 หลายเดือนก่อน +1

      投稿主さんが結果として答えてるけどさ動画のどこにも1人で行ったんなんて字幕で言ってないじゃん。
      こういう一人称視点で音声を収録してない動画だったら映ってないだけで同行者が居るかもしれないよ?
      それにこんな山の中ならどんな人数や経験を持った人が居る条件下で行っても100%安全なんてないよ?
      確認もしてないのに決めつけでよくこれだけの事が言えたな。自分にはこのコメントこそ不思議だわ。

    • @user-ri5qj3bo6q
      @user-ri5qj3bo6q  7 หลายเดือนก่อน

      @@user-tj5sx3we9u コメントありがとうございます。フォロー痛み入ります。
      今回こうしてコメントを頂いた事で考えさせられました‥。確かに誰でも行ける様な場所ではない場合にただ動画にしてしまいますと今回の様な誤解というか御指摘があるかもしれませんので、今後は出来うる限り客観的な視点を以って人によると判断し得る場合は予め説明文或いは字幕によって記載していこうと思います。
      ただ、客観的にとは言っても私の持つ基準なので、人によっては違う(客観的な視点となっていない)というズレが起こり齟齬が発生するかもしれません。
      ですので私としてはそこまでではないと思ってしまい何も記載しなかった事が、他の方から見たらそこまでの事と判断される可能性はございますので、そうなりました場合は順を追って説明させて頂く所存です。

  • @user-tf8kj4im8k
    @user-tf8kj4im8k ปีที่แล้ว +2

    ちょっと調べてみました。花山天皇は利発な方で、今風に言えば最新の政治経済学を修めていて、様々な改革を行おうとしたみたいですね。その為に妻の実家である藤原氏から、かなり睨まれていたんですね。当時、政治の実権は藤原氏がに握っていたから。
    それにしても、凄いロケーションですね。平成だか昭和だか、最後に住まわれていた人たちは、どんな暮らしをしていたんでしょうか? 想像も出来ません。

    • @user-ri5qj3bo6q
      @user-ri5qj3bo6q  ปีที่แล้ว +2

      例えば乱世の奸雄である曹操の様に生まれた時代によっては花山天皇は歴史に名を残す偉業を成していたかもしれませんね。
      しかし、人物像から分かる様に愛情深く争いごとに向かない性質であった様ですので、能力があったとしてもとことん時代に合っていなかったと言う他ないですね‥。
      実際に自分の足で行ったからこそ言える事ですが、如何に現代の文明に我々が染まっているかと思い知らされる過酷さでした。
      兼用のものではなく登山専用の靴でないと厳しいくらいに険しい道程で、この環境で人々が生活を営んでいたと考えると凄いとしか言い表せられません。

  • @e.2659
    @e.2659 ปีที่แล้ว +5

    凄い所の探索でしたね。県道といってもほとんど廃道化している林道のようですが、その大入集落に65代花山天皇の末裔が住んでいたなんてちょっと驚きです!花山天皇は19歳で出家し40歳で亡くなってますよね!墓(陵)は確か京都府京都市のようですが父の63代冷泉天皇も同じ所に埋葬されていますよね!やはり天皇の末裔ゆえにの事なのでしょうね。陵名は「紙屋川上陵」と我が家の歴代天皇の本に出てました(^^) あの石垣を見る限りやはり立派な家屋がそこにあったのでしょうね!現存していない事はちょっと残念ですが久々に歴史の勉強になりました(^-^)v ちなみにあのトラックは何故にあのような場所にあったのでしょう?高度なテクニックがない限りあのような場所に置くのは難しいですよね😂 なんて下らぬ事考えてしまいました(^^) すみません🙏 最近またTH-camの配信の遅れが出ているようです!
    ゆえに配信観るのが遅くなりました! 今回の探索お疲れ様でした!ありがとうございました👍️ とても興味深い映像配信でした\(^o^)/

    • @user-ri5qj3bo6q
      @user-ri5qj3bo6q  ปีที่แล้ว +2

      返事が遅れてしまい申し訳ありませんでした😭
      私もまさかここまで過酷な場所とは思わず想像以上でした‥。
      正直、登山上級者レベルの装備と複数人で行くべき場所ですね。
      登録された名称のある山ではないので遭難したら非常に危険な場所です。
      郷土史に様々な記録がありますし、もっと昔のしっかりと痕跡が残った状態の時ならばその証拠となるものもあったでしょうしロマンが尽きませんね。
      林道が直接集落まで敷かれていないのに反してあまりに規模の大きい石垣、ここまでの高所に村を形成する理由の説明の付かなさ等、やはり信憑性は高いと思われます。
      台風で投稿予定の場所へ行けずに延期となりましたので繋ぎで花火動画を投稿しましたので宜しければ観て頂ければと😌