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約60年も前にはすでにこんなに速くて快適な乗り物があって、今なおこれの子孫が同じ路線で日本の大動脈になっていると思うと当時の技術が恐ろしいです。
東海道新幹線では画期的な新技術は一切使用しておらず、従来の技術をブラッシュアップして築き上げたものであり(と云われています)、蒸気機関車では世界に後れをとっていた日本ですが、戦後すぐに動力分散式である電車の優位性から高速電車の開発を推し進めた島秀雄氏らによって、世界最高の超高速電車列車が誕生した次第です。
やはり、自動放送より生の人間が放送する方が何か暖かみが感じられるものですね
壇上莞爾さんの「赤い腕章」には、国鉄時代の名車掌が幾人も紹介されており、なかなか感動させられます。
1990年か…当時名古屋市南区のJR社宅(線路沿い)に住んでたんですよ小学生だったんで土曜半日で帰ってきてもしかするとこのひかり345号を見たかも知れないなぁって思うとロマンがありますね
当時、縁もゆかりもない人同士が、二次元を通して過去を共有していたというのはロマンですね。
当時は、220km/hでもかなり速く感じたが…。今が速すぎるのか…。
当時はまだ鉄輪で可能な最高速度は300km/h台と信じられていた頃。TGVは試験走行ながら500km/hを超えているし、それから見れば220km/hは高速在来線の速度って感じでしょうか。
アナログ映像だけでなく、チャイム&アナウンスが懐かしすぎる!!利便性・機能性が発展した反面、感受性・自主性が失った。。。今後の時代は、失ったものを取り戻してほしい!!!
失ったものは、そう簡単には取り戻せません。是非、偉くなって、逆改革して下さい。
確かに、現実はそう理想通りいきませんね。逆改革できるような道を探してるんですがやっぱ難しいです。。
鉄道は趣味でも慈善事業でもありませんし、毎日、通勤・通学に利用する乗客にとって、懐かしい鉄道風景や車両はどうでもいいことですからね。
hiro shrineさん、あまり無茶を言っていると黒塗りの高級車に衝突させますよ・・・・ってのはもちろん冗談です(笑)それにしても100系懐かしいですね。
こうして見ると220kmも、結構速いものです。この当時に今のデジタル式ATCが登場していたら、東京ー新大阪2時間50分以内で結ぶことも可能だったんじゃないかと思います。スピードアップは最高速度を変えなくてもこうした工夫で実現出来るのです。
100系は性能的には270km/h運転が可能だったと言いますから、軌道やシステムが相応のものだったら、軽く3時間を切っていたでしょうね。
学生の私からしますと、新鮮なものが多くタイムスリップして体験してみたいぐらいです。
当時と今とでは沿線の様子もだいぶ変わっていることでしょう。古いものに新鮮さを感じるというのは、なかなか乙なことだと思います。
@@matunokura6028 車掌さんのアナウンスの口調なども今とは違い、またリズムを刻みながら聞こえてくるジョイント音も好きになりました。
@@ココア-u7h 様まだ国鉄香が残っていたからなのかもしれませんね。
のぞみ号がデビューする手前の映像ですね。この頃はJRの天下でしたね。
まだ寝台特急がバンバン走っていた頃です。
ジョイント音が最高ですね…
新幹線はロングレールを使用し、ジョイントは伸縮継ぎ目と呼ばれる特殊な構造なので、ジョイント音はしないはずです。じゃあ、何の音?なのかはよく分かりません。
@@matunokura6028 なるほど…ちなみになんですが、40年くらい前の新幹線も、そういう構造だったのでしょうか…
@@政樹春原 様ロングレールは東海道新幹線で初めて導入されたようです。今は在来線でも幹線ならだいぶ普及しています。因みに青函トンネル内は52kmのスーパーロングレール。
@@matunokura6028 親切な返信ありがとうございました…
少し雪が積もってますね
ちょっとだけよ。
懐かしいなー
この頃はまだ100系がエースでした。
「グランドひかり」は憧れでした。300系でスピードが上がったけれども、風格は下がりました。
100系新幹線ですか?
電光表示板の形から100系だったような気がします。
男の車内販売員といいお電話の呼び出しといい「昭和」丸出しですね
平成2年じゃあ、まだまだ昭和の香しい匂いがプンプンしますね。
電車は必ずしも田舎道にふさわしくなくて良いから、この顔だけはやはり潰してほしくなかったな、ついでに言うと、中国の奥地からデュエルモンスターズの発祥地までに見合った全天候型新幹線、なんてできるわけないよな!?!?!?
ごめん。おっしゃっていることが全く理解できません。
整流子が施されている車両は何れも、田舎者の形や色なのに対しVVVF制御のは全て、近代都市をイメージしたのが多く、一つの風景にのみ合わせて作られたのが圧倒的に多いですね!?!?!?
品川駅はまだまだ
まだ品川の車庫への分岐がありますね。
品川にある東京第一運転所は1992(平成4)年8月に閉鎖されちゃったね。
ま
手持ちって二時間近く三脚使わないの疲れるでしょ
肘を窓枠や肘掛に載せれば案外大丈夫です。それよりも眠たくなってくるのが辛かったです。
約60年も前にはすでにこんなに速くて快適な乗り物があって、今なおこれの子孫が同じ路線で日本の大動脈になっていると思うと当時の技術が恐ろしいです。
東海道新幹線では画期的な新技術は一切使用しておらず、従来の技術をブラッシュアップして築き上げたものであり(と云われています)、蒸気機関車では世界に後れをとっていた日本ですが、戦後すぐに動力分散式である電車の優位性から高速電車の開発を推し進めた島秀雄氏らによって、世界最高の超高速電車列車が誕生した次第です。
やはり、自動放送より生の人間が放送する方が何か暖かみが感じられるものですね
壇上莞爾さんの「赤い腕章」には、国鉄時代の名車掌が幾人も紹介されており、なかなか感動させられます。
1990年か…当時名古屋市南区のJR社宅(線路沿い)に住んでたんですよ
小学生だったんで土曜半日で帰ってきてもしかするとこのひかり345号を見たかも知れないなぁって思うとロマンがありますね
当時、縁もゆかりもない人同士が、二次元を通して過去を共有していたというのはロマンですね。
当時は、220km/hでもかなり速く感じたが…。
今が速すぎるのか…。
当時はまだ鉄輪で可能な最高速度は300km/h台と信じられていた頃。TGVは試験走行ながら500km/hを超えているし、それから見れば220km/hは高速在来線の速度って感じでしょうか。
アナログ映像だけでなく、チャイム&アナウンスが懐かしすぎる!!利便性・機能性が発展した反面、感受性・自主性が失った。。。今後の時代は、失ったものを取り戻してほしい!!!
失ったものは、そう簡単には取り戻せません。是非、偉くなって、逆改革して下さい。
確かに、現実はそう理想通りいきませんね。逆改革できるような道を探してるんですがやっぱ難しいです。。
鉄道は趣味でも慈善事業でもありませんし、毎日、通勤・通学に利用する乗客にとって、懐かしい鉄道風景や車両はどうでもいいことですからね。
hiro shrineさん、あまり無茶を言っていると黒塗りの高級車に衝突させますよ・・・・ってのはもちろん冗談です(笑)
それにしても100系懐かしいですね。
こうして見ると220kmも、結構速いものです。この当時に今のデジタル式ATCが登場していたら、東京ー新大阪2時間50分以内で結ぶことも可能だったんじゃないかと思います。スピードアップは最高速度を変えなくてもこうした工夫で実現出来るのです。
100系は性能的には270km/h運転が可能だったと言いますから、軌道やシステムが相応のものだったら、軽く3時間を切っていたでしょうね。
学生の私からしますと、新鮮なものが多くタイムスリップして体験してみたいぐらいです。
当時と今とでは沿線の様子もだいぶ変わっていることでしょう。古いものに新鮮さを感じるというのは、なかなか乙なことだと思います。
@@matunokura6028 車掌さんのアナウンスの口調なども今とは違い、
またリズムを刻みながら聞こえてくる
ジョイント音も好きになりました。
@@ココア-u7h 様
まだ国鉄香が残っていたからなのかもしれませんね。
のぞみ号がデビューする手前の映像ですね。この頃はJRの天下でしたね。
まだ寝台特急がバンバン走っていた頃です。
ジョイント音が最高ですね…
新幹線はロングレールを使用し、ジョイントは伸縮継ぎ目と呼ばれる特殊な構造なので、ジョイント音はしないはずです。じゃあ、何の音?なのかはよく分かりません。
@@matunokura6028 なるほど…ちなみになんですが、40年くらい前の新幹線も、そういう構造だったのでしょうか…
@@政樹春原 様
ロングレールは東海道新幹線で初めて導入されたようです。今は在来線でも幹線ならだいぶ普及しています。因みに青函トンネル内は52kmのスーパーロングレール。
@@matunokura6028 親切な返信ありがとうございました…
少し雪が積もってますね
ちょっとだけよ。
懐かしいなー
この頃はまだ100系がエースでした。
「グランドひかり」は憧れでした。300系でスピードが上がったけれども、風格は下がりました。
100系新幹線ですか?
電光表示板の形から100系だったような気がします。
男の車内販売員といいお電話の呼び出しといい「昭和」丸出しですね
平成2年じゃあ、まだまだ昭和の香しい匂いがプンプンしますね。
電車は必ずしも田舎道にふさわしくなくて良いから、この顔だけはやはり潰してほしくなかったな、ついでに言うと、
中国の奥地からデュエルモンスターズの発祥地までに見合った全天候型新幹線、なんてできるわけないよな!?!?!?
ごめん。おっしゃっていることが全く理解できません。
整流子が施されている車両は何れも、田舎者の形や色なのに対しVVVF制御のは全て、近代都市をイメージしたのが多く、一つの風景にのみ合わせて作られたのが圧倒的に多いですね!?!?!?
品川駅はまだまだ
まだ品川の車庫への分岐がありますね。
品川にある東京第一運転所は1992(平成4)年8月に閉鎖されちゃったね。
ま
手持ちって二時間近く三脚使わないの疲れるでしょ
肘を窓枠や肘掛に載せれば案外大丈夫です。それよりも眠たくなってくるのが辛かったです。