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登山家もそうだけど、それ以上に馬謖が最大級でやらかしたのは水源を確保できないまま軍の指揮をすぐに放棄して側近と一緒に敵前逃亡したのが擁護のしようもないと思う。
とはいえ指揮を放棄しての逃亡は劉備自身も結構やっているし、解説にも出てきた得臣を引き合いに救解された春秋時代の荀林父は見事に汚名返上してるから、馬謖には再戦の機会が与えられてもよかったと思っています。孔明がそうでできなかったのは彼が「主君」ではなく「宰相」だったからでしょうね。
この男のやらかしから演義では軍略散々だが人の見る目に優れる劉備と軍略ピカイチだが人の見る目が無かった孔明という対比になってて面白い。
俺史さんのおかげで英検準一級リーディングにローマ共和制の話が出まして、一次試験合格の助けになりました。ありがとうございます。
「孔明は泣いたが馬謖のことは斬れなかった。硬かったのである。」こんな出だしのSF小説まで出てしまうとはね…!
あのお方もまた、劉備のような傑物に従ってこそ史上屈指の才能を活かせるタイプだったのか
孔明は人望なかったからな。荊州派閥の人間を重用して益州派閥から嫌われてたし。まあ、益州派閥の人間は有能な人間のクセが酷いってのもあるが。曲者だらけの蜀漢の配下をまとめ上げれるのは劉備の凄さだよ。
30年くらい前になんかの三国志のパロディー記事に馬謖の職業欄に登山家と書かれていて心から納得したのを覚えている。
街亭の戦いの戦いの詳細は張コウの伝に詳しく記されており、そちらの記述で馬謖が山に登ったというのはほぼ確定みたいです。
王平伝にも建興六年,屬參軍馬謖先鋒。謖捨水上山,舉措煩擾,平連規諫謖,謖不能用,大敗於街亭とあり馬謖は水場を捨て山上に布陣してる
結局孔明は、文人を見抜く目はあったのに軍人を見抜く目はなかったんだよなあ。劉備が否定した龐統と蒋エンを見抜いたという事実はあり、人を見抜く目がないと一言で片付ける事はできないと思う。
どちらも知人だったからでは
結局、馬謖の最大の罪は敵前逃亡なんだよね
敵前逃亡は今も最大級の軍規違反、重罪ですな。
切られた理由はそれよね
馬謖を重用した孔明が悪いというより、劉備の人物眼の異常さが際立つ……
5人全員優秀との触れ込みなのに、馬良と馬謖以外の3人が何やってるか分からない不思議
結果論だけど、馬謖は有能な指揮官の部下あるいは中間管理職が輝いたのかもしれない 全体を纏めさせると驕りから致命的なミスをするからそれを抑制できる者の下で足りない部分を補佐する、そんな感じ
現場監督のイメージだね。
『孔明に泣いて斬られた男』、『山頂に布陣 馬謖』…何?このパワーワードwwwwww
しくじり世界史、そのなかでも特に三国志の人物がやっぱり面白い。項羽、始皇帝は大物過ぎて感無量、劉邦はどれほどしくじっても必ず誰かが挽回してくれる。
誰も三国時代の人物じゃないじゃん……時代的に戦国時代→秦→楚漢戦争→漢でしょ……
@@青い消火栓 いや、だから三国志の人物の様にしくじりに末路が付いて来なくてって話でしょう? 項羽は末路があるものの、スケールが壮大過ぎて小物感が無い。
「我々生徒の間では理屈倒れの馬謖と呼ばれていました」「なるほど。私が到着するまで待つも良し一戦するも良し判断は卿に任せる」「バカな!こんな所に敵がいるはずがない!うっ!ゴホンゴホン」
シュターデン(笑)
決戦しなければもはや司令官とは認めぬ、というアホ貴族はいなかったようでw
孔明を喜ばせる天才だったんかなあ、つまりは
思うに馬謖は色んな意味で「戦う場所」を間違えたからしくじったのだと思います。少なくとも(表面上は)弁才があるので、外交官やスパイなどの任務に就けば、少なくとも街亭での手酷い大惨事はなかったかも…。
要職に就けるために諸葛亮が功績を積ませるという形で魏の攻撃への備えにしたという説があるね。そして、結論を知っているから我々はなんて愚かなことをしたんだろうと見るけれど、張郃が優秀だったという面もある。涼州の救援が目的で時間がなかったから、並の将なら馬謖をスルーして裏を取られたり、それを嫌って強引に馬謖を攻めて返り討ちにあっていた可能性もある。張郃は馬謖の弱点を的確に見抜いて、それ以外正解がない策を採れたのがこの結末を呼んだ。
きたきた、馬謖!ありがとうございます!
水筒忘れて登山失敗した登山家
ネット民「山をなめるな!」
連合赤軍に所属してたら『総括』されちゃいますな
どこかの戦史解説等をしているチャンネルでそんな扱いだったね。
登山家ってあだ名つけた人マジでセンスある
劉備も馬鞍山に登ったから登山家かな?
Thanks!
三国志において蜀志の記述が少ないのはやはり行政機構がそれだけ貧弱だったということでしょうねえ孔明の手が回らない部分をできる限り削減し、少ない人材も必要な部分にしか置けなかったたせいなのでしょうもっと記録が残されていたら当時の内情も詳しく分析できてたかもしれない
ぶっちゃけ中華大陸では残った国以外の記録は必要なものを除いて徹底的に廃棄されるのが普通・・・
この故事を知っていたが故に某所で泣斬クリリンという猛者を見つけて深夜だってのに爆笑してしまった
「孔明が泣いたのは、劉備の言った事を聞かずに馬謖を用いてしまったから」という説がまさか触れられもしないとは思わなかった
バイトリーダーとかマネージメント経験したことあるならわかるけど適材適所って言うけど人材の配置って難しいからね。
こいつのしくじりは、こいつ単体って訳じゃなくて国もろとも滅ぼしたようなしくじり方だからなぁ
参謀とか副将にして最終的な決断は他の者にさせるべきだったんだろうな
王平と立場が逆なら歴史が変わっていた説はあるよね。シルクロードの利益の一部を吸い上げて蜀漢は国力を増して三国の構造は変わっていたかもしれない。(呉の警戒心を更に煽るなど)
この動画の感じ懐かしいな。
三国志の後に西晋の崩壊と五胡十六国時代が来ることを知っていると、あの時代の英雄豪傑も諸行無常の運命を逃れられなかったと思わずにはいられないんだよなあ。
司馬懿はずっと真っ当に仕事してただけなのに曹さんサイドにやたら嫉妬されたり警戒されたりして身を守るためには仕方なかったのだと思います(T△T)そして今回の馬謖による登山が三国志演義最大のたられば要素だったのかもですね
上司が世界史でもトップクラスの偉人だったので 悪い意味で有名になってしまった人 それなりに優秀だったはずだけども…
劉備が好まなかった馬謖とか蔣琬を諸葛亮は割りと使うんだよな
人材不足のせい…
先帝が夷陵に人材を置いてきちゃったし有るもので運営せざるを得ないわよ
王平は文字が十しか知らなかったそうです
0:23 三国志演義の馬謖19:26 史実の馬謖
諸葛亮と馬謖はインテリ同士だから気が合った。人事に関してはやはり長年大勢の人の中で苦労してきた劉備と隆中に籠もっていて理論優先の諸葛亮の経験の差が出たんでしょうね。
自分が犠牲にならずに済むなら、いくらでもうれし涙が出ようってものでしょうな!(CV:羽佐間道夫)
シェーンコップw
この故事の影響か、馬謖って不遜なキャラ付けをされるようになったよね
蜀って後期になると割と人材不足だったからもうなりふり構ってられなかったんじゃないかな?馬謖の重用もそう考えると合点がいく。
街亭の戦いの馬謖、長平の戦いの趙括と机上の兵法にのみ長じた若輩者が国家を傾斜させる…
まずは水をムシしたことが命取り
泣いて馬飾を着る
これはみな 魏軍が捨てていったものか
登山家という不名誉な渾名を付けられた馬謖。
劉備も重用してないわけじゃない辺り間違いなく才能はあったのでしょうただ作戦立案能力は天才的でも作戦実行能力に不安を感じたから重用し過ぎると危ういと感じたのかも参謀までなら名参謀として歴史に名を残したんでしょうが
参謀として有能な人間が必ずしも司令官としても有能なわけではありませんからね。逆に王平か魏延を司令官、馬謖を参謀としていたら上手くいっていたかもしれませんね
兄の馬良が優秀だったからね。
フラグの宝庫みたいな😂
こ、孔明は忙しすぎだったし…人事面と言うと龐統が生きてたらなあ(たられば夷陵がなければなあ(たらればたらればなんだけどそれぞれの出来事の運命の繋がりを感じるような
劉備の人を寄せ付ける魅力があってこその蜀だからな。カリスマで成り立ってる組織はカリスマがいなくなったら脆いうp主もよく言ってるな。
馬謖というより諸葛亮の話だけど、彼といい林則徐といい中華にはたまに異常なほど清廉潔白なうえに有能な人物があらわれたりするのが面白いそしてそういった人物はパッとした死に方をしないのも世の無常を感じざるを得ないおそらく常に人間の黒い部分が渦巻いていて、それに対して反発しようという稀有な才能が何百年かに一度現れるのだと思う
泣いて馬謖を切る😢
まさにやらかし(´・ω・)
参謀には自ら兵を率いても抜群の戦功を挙げられる者と、参謀としての助言は的確だが自らが兵を率いて戦うことは不得手の者が居る。馬謖は後者だったのだろう。
後半、bgmがやかましい。
馬謖に関する故事がほぼ無かったと言う衝撃的な事実w演技の記述はなろう系もびっくりの盛りまくりだったって事?
蜀勢は大体盛られてるからね。もともと記述が少ないからこそ盛りやすいとも言える。演義では有能優等生の趙雲も正史では記述が少なかったりする。
街亭の戦いの考察した動画によると、あの場所で会敵するなんて馬謖も孔明も予想してなかったんだそうな。しかも相手は歴戦の猛者張コウ。ひたすら慌ててボロ負けして仲間見捨てて逃げ帰ってしまったからもう情状酌量の余地なく処罰されたんだとか。
メタいこと言うと孔明が配置したんだから博望坡の戦いで張飛や関羽が孔明の実力を疑ってた時みたいに敵が来るに決まってんだよね。
想定も何も、全く未知の敵地の奥深くでの出来事ですからね。そこに事前に作戦を練って送り込んだ上で、状況にそぐわないからと現場判断で動いたことを命令違反とされても困るでしょうね。というか諸葛亮は何で街亭方面へ北上した馬謖を追撃して後方連絡線を襲った郭淮を止めなかったのか…
自分も孔明としては時期も選んで不意打ちのように仕掛けたつもりなのに割と早くに魏軍に察知されていてしかも対応が超早かったから迎撃の準備が整う前に会敵した可能性があるとか他所の解説動画で見た馬謖の罪って負けるにしてもその対応の仕方を問われたとかで負けた事自体はある程度しゃーない感じ?
敵の到着が予想より早く、しかも相手が猛将張郃だった、というのは、恐らく孔明や馬謖にとっても予想外だったんだろうね。馬謖も孔明が考える街亭の重要性を誰よりも知ってたからこそ撤退せず短期決戦で迎え撃ったが、それを察して長期戦を展開した張郃の方が上手だった、という考え方もできる。
戦術的な視点が多いけれど、戦略的な視点だと魏軍は涼州の救援に急がねばならなかったから張郃には時間がなかった。本来は街道封鎖していれば任務達成して、功績も得られるから自らの後任や補佐としての箔をつけたかった諸葛亮の思惑もあった。会敵するのはほぼ確実だったし、山脈を越えてくる魏軍の状況は掴めていないが街道を封鎖するなら街亭にいれば最短ルートを抑えられるという読みは正しかった。むしろ準備不足だったと言えたのは魏軍の方だろう。ただ、才があったが実戦経験がなかったゆえに孫子にあった『高所を抑えるべし』という内容に固執してしまった。張郃を撃破すれば防衛にも成功すると欲を出していたが、張郃側にも時間がなかったから無理攻めしてくると踏んでいただろう。これは張郃の有能さが光った戦いだった。
諸葛亮「バショク!ショック!」
丁度『パリピ孔明』のドラマ版が放送されていますのでタイムリーなネタですね。カルタゴのハンニバル、日本の佐々成政と並ぶ登山家系武将ですね。中華だとライバルは高仙芝な気がします。
鄧艾には勝てないからねぇ……登山系君主だとナポレオンとメフメト2世かな?
@@青い消火栓 ナポレオン、メフメト二世は君主なので抜いていました。登山家系君主となると、他には吐蕃のソンツェン・ガンポも入るかなとは思いますね。
趙括といい馬謖といいまずは一軍を率いさせて経験をつませ、現実と理想は違うということを学ばせていけば良かったのに、なぜいきなり大軍団を任せてしまったのか
私は司馬懿が悪役って印象はないんですよねぇ自分と一族を守るために他に選択肢があったのかというとね・・・
まあ確かにやってる事は曹操の方がよっぽど悪党w
儒教的思想の弊害ですね、理想を無視した合理性は批判の元でしたからむしろ現代の考え方からだと曹操や司馬懿に同意・感心する事が多い💦
張郃に逆らったらダメなの。敵も味方も、上司も部下もない。彼に逆らった人はみんな不幸になってしまうの(張飛、お前は強すぎるから例外)
馬良がいなかっただけのこと
史実は19:30~
それは『人は言い訳の天才』だからそう思うんだよ😊言葉なんてまやかし
馬謖ショック!
実際孔明は荊州において立派な名士に該当する 「水魚の交わり」と言われた劉備と孔明でも叩き上げの軍人と地域に根ざした名士では根本的に物の考え方が異なる事が多い 人事においてもその影響は大きく劉備の遺言に反して馬謖を重用したのもその為であろう
別の人の動画では、「馬謖は戦に負けたから逃げた」のではなく「(戦前に自陣営の不利を悟った)馬謖が逃げたから戦に負けた」という、かなり度し難い馬謖像を提起していたな。
状況的に見ると馬謖の敗北は蜀軍全体の行動には影響度が少なく、西で隴西太守や涼州刺史の軍勢に追い散らされた蜀軍本隊と、東で曹真の派遣した別動隊に駆逐されて漢中に逆侵攻されかけた趙雲らが問題になるでしょうね。特に趙雲は諸葛亮から逃亡して斬られた馬謖と並べて批判されていますので、その責任は相当なものです。
@@nekono_mimikon戦においては一言に敗北とは言っても全滅と撤退では全く違います。趙雲と鄧芝は撤退戦で大敗はしてないが馬謖軍は王平隊以外ほぼ全滅という有様です。ちなみに趙雲も降格してます。
そら教育やろなぁ…
泣いて切ってもらったおかげでことわざとして永遠に名前が刻まれて有名になって良かったじゃんもっとも本人はたまったもんじゃないけどな
しくじりって事なら、元・蜀ナンバー2のあの人の方がカッコ悪いかも・・・。
李厳「髭のことやろなあ…」
@@見咲詞条 いえ、あなたです。
糜芳・傅士仁「(゚ー゚)(。_。)ウンウン」
@@pino623 ???「お前ら覚えとけよ」
登山するときに水とか物資も持って登ればワンチャンあったのかな??登った時点でauto?
水は重いからね……現代の軍隊なら自動車等で容易に運べるけれど、人が1日に必要な水は最低2lと言われているから、一人1日2kgの水を運ばないといけない。食料は1日1kg程度は必要だろうから兵士の生命維持に必要な物資だけで1日3kg。更に矢などの消耗品を含んだ軍需物資や焚き火のために薪など野営用の物資もあるから数日分だけでも相当な荷物になるだろう。20歳ごろに大学のサークルで登山をしていたけれど、現代の優れた背嚢があり、整備された登山道があったから45kgの装備品を背負ってもある程度問題なく歩けたけれど(かかとがズル剥けにはなった)、整備されていない山を登るとなると水くらいは上で見つけないときついと思うね。
史実から言ったら、劉備の遺言を聞かなかった諸葛亮が一番悪いやないか!
でもさぁ、もう夷陵の戦いで優秀な人材全滅しとるじゃん魏延は言うこと聞くか分からんし王平は学がなさ過ぎるし趙雲もいまいちだし、しょうがないんじゃないか?誰がおるんよあと馬謖の山頂布陣は史実だと思いますよ、現場で布陣を変えるくらいの裁量権はあったと思います、これは当たり前なはず。ただあまりに痛い大敗であった事が問題だったんでしょう
なぜ馬謖を街亭の守りにつかせた!?
割と街亭の方がイージーなので張郃を釘付けにできれば良いからね
中華を代表する登山家🧗
孔明が用兵・戦術は専門ではなかったのは確か。専門ではないが優秀だったのが、逆に不幸の端緒ではある。龐統に戦線を務めさせ、後方から物資と情報の確保をし、富国に務めるのが彼の本分。龐統亡き後は、法政がそれに当たった。それ以後、前線を統括するに値する英才が孔明基準では不在となり、国力と治安を整えた後、自らが戦線に立つ事となる。これは、中央に黄皓が根を張る原因の1つでもある。馬謖は性格はともかく、後継育成に最も近かった総合的にステータスの高い配下であった事には違いない。また、拠点無き荊州閥と益州閥とのバランスを取る為にも、成長させなければならなかった。急ぎすぎたか。
登山家
馬謖は確かに無能かもしれんけど張郃が優秀すぎることもあったかもな
白眉は?
司馬懿が謀反を起こしたわけでは無いのに評判悪いよねえ
馬良はまゆ毛だけ白かったそうです、実祭わからないけど
優れた人を指す「白眉」の語源だね
あおい輝彦が劉備を演じてるアニメ三國志だとめちゃくちゃ壮絶な死に様を見せる馬良さん
人形劇 三国志だと関平とともに、諸葛亮の死後まで生き残ります。
魏軍が来た時に駆け下りて撃破すればよかった
†泣いて馬超を切る†
なにがむむむだ!斬れ!斬れ!
泣いてる理由が親しい相手を死なせた事が悲しいからではなく劉備の言いつけも守らずこんな奴を重用した自分が情けないという理由だったと言うね
水源確保もせずになぜ山頂に上ったのか?机上の空論家の極致と言える。参謀としては優秀でも司令官としては2流だったのだろう。しかし「泣いて馬謖を斬る」は現代でも無駄に使われてる気がする、慣用句として。
いちこめってどうやって書くんだっけ?書くものじゃないよ!いちこめは感じればいいんだ!(ฅࡇ ⚙︎ฅ)✧
泣いて馬謖をK◯LL
一度の失敗でコレから蜀のためになるかも知れない将を斬るなんて敵を利するだけ
馬謖が失った兵の数を考えると三国志はここで終わり。斬っても斬らなくても蜀の命運は尽きた。
人材不足の蜀だからこそ全体を優先しないとやっていけない。散々でかい事を言って仲間を死なせた奴がロクに処罰されなければ全体の士気が保てない。
軍規を破った見せしめって説もあるでしょうが、孟獲の時を考えると矛盾も感じます
魏延を冷遇って…演義と正史混ざりすぎ
獄中死って殆ど中国じゃ殺されてるんよね〜
キャットエンペラータイム最強!
馬謖は、口だけのゴマすり男と見るのが妥当でしょう。ゴマをすられている当の孔明には本質が見えなかったが、横から見ていた劉備にはそれが良く分かるというものです。街亭の戦い(正史)、馬謖が南の山に布陣したのは張郃伝だったかにあるようです。また王平に預けられたのは1000の兵ですね。もちろん司馬懿は出てこない、演義のこれには違和感w地図を見れば街亭の街と南山との間には川があり水源を絶つのは難しいように感じます、戦いの詳細は不明ながら馬謖の指揮が上手くなく混乱し負けたようです。馬謖が数名の部下だけ連れて漢中の向朗の元に逃げたのは、敵前逃亡だったとの見識もありますが、それに近かったのだろうと思います。また馬謖の兵のいくらかが王平に合流したため、王平が攻められなかったのだろうという考察もあります。馬謖が切られた原因についてははっきりせず、正史には「節度を違えた」ためと書かれているものの、節度が具体的な何を指すのかが分からないとされています(節度とは決まりとか掟といったもの)。そのため孔明の指示を守らなかったのだろうと演義などでは解釈されて話が作られているのですが、兵を預けられた将が自ら指揮できないなどということは無いだろうと、これに否定的な考えがあります。結果的に敗戦し、兵を捨て敵前逃亡のように漢中に戻った馬謖ですが、捕まった経緯も良く分からず投獄されています。私の考えでは、漢中に逃げ帰った馬謖を向朗はかくまったが、さらにそこから逃げようとして捕まった。漢中から逃げるというのは国を捨てる、つまり蜀を捨て呉に下ることを意味する。このことが「節度を違えた」に当たるのではないかと私は考えています。馬謖が亡くなる経緯は、孔明は『斬る』指示を出しているのですが、馬謖伝では「物故した」と獄中で亡くなったと書かれています。斬る指示は出されていたものの、処刑される前に獄中で自害したのではないかと私は考えています。
ーコメです
一コメです
諸葛孔明って案外人を見る目がないんだよな
蜀志や華陽国志で諸葛亮が推挙、抜擢したと言われる人物姜維、蒋琬、楊洪、何祗、譙周、費禕、爨習、孟獲、馬謖、孟琰、杜禎、柳伸、姚伷、楊戯、董恢、張裔、杜微、王平、劉巴、龐統、霍弋、李邵、馬斉、宗預、五梁、郭攸之、董允、秦宓これだけ挙げていて見る目ないはないだろう曹操は張邈、魏种、胡修、傅方の人事の失敗があり、人物眼に長けた劉備でさえ蔣琬で誤っている一つの失敗で人を見る目がないなら三国時代の君主皆見る目無しになってしまう
一コメかな
一コメ
おろかなアルピニストじゃよ
登山家もそうだけど、それ以上に馬謖が最大級でやらかしたのは水源を確保できないまま軍の指揮をすぐに放棄して側近と一緒に敵前逃亡したのが擁護のしようもないと思う。
とはいえ指揮を放棄しての逃亡は劉備自身も結構やっているし、解説にも出てきた得臣を引き合いに救解された春秋時代の荀林父は見事に汚名返上してるから、馬謖には再戦の機会が与えられてもよかったと思っています。孔明がそうでできなかったのは彼が「主君」ではなく「宰相」だったからでしょうね。
この男のやらかしから
演義では軍略散々だが人の見る目に優れる劉備と
軍略ピカイチだが人の見る目が無かった孔明
という対比になってて面白い。
俺史さんのおかげで英検準一級リーディングにローマ共和制の話が出まして、一次試験合格の助けになりました。ありがとうございます。
「孔明は泣いたが馬謖のことは斬れなかった。
硬かったのである。」
こんな出だしのSF小説まで出てしまうとはね…!
あのお方もまた、劉備のような傑物に従ってこそ史上屈指の才能を活かせるタイプだったのか
孔明は人望なかったからな。荊州派閥の人間を重用して益州派閥から嫌われてたし。
まあ、益州派閥の人間は有能な人間のクセが酷いってのもあるが。
曲者だらけの蜀漢の配下をまとめ上げれるのは劉備の凄さだよ。
30年くらい前になんかの三国志のパロディー記事に馬謖の職業欄に登山家と書かれていて心から納得したのを覚えている。
街亭の戦いの戦いの詳細は張コウの伝に詳しく記されており、そちらの記述で馬謖が山に登ったというのはほぼ確定みたいです。
王平伝にも
建興六年,屬參軍馬謖先鋒。謖捨水上山,舉措煩擾,平連規諫謖,謖不能用,大敗於街亭
とあり
馬謖は水場を捨て山上に布陣してる
結局孔明は、文人を見抜く目はあったのに軍人を見抜く目はなかったんだよなあ。劉備が否定した龐統と蒋エンを見抜いたという事実はあり、人を見抜く目がないと一言で片付ける事はできないと思う。
どちらも知人だったからでは
結局、馬謖の最大の罪は敵前逃亡なんだよね
敵前逃亡は今も最大級の軍規違反、重罪ですな。
切られた理由はそれよね
馬謖を重用した孔明が悪いというより、劉備の人物眼の異常さが際立つ……
5人全員優秀との触れ込みなのに、馬良と馬謖以外の3人が何やってるか分からない不思議
結果論だけど、馬謖は有能な指揮官の部下あるいは中間管理職が輝いたのかもしれない 全体を纏めさせると驕りから致命的なミスをするからそれを抑制できる者の下で足りない部分を補佐する、そんな感じ
現場監督のイメージだね。
『孔明に泣いて斬られた男』、『山頂に布陣 馬謖』…何?このパワーワードwwwwww
しくじり世界史、そのなかでも特に三国志の人物がやっぱり面白い。項羽、始皇帝は大物過ぎて感無量、劉邦はどれほどしくじっても必ず誰かが挽回してくれる。
誰も三国時代の人物じゃないじゃん……
時代的に戦国時代→秦→楚漢戦争→漢でしょ……
@@青い消火栓 いや、だから三国志の人物の様にしくじりに末路が付いて来なくてって話でしょう? 項羽は末路があるものの、スケールが壮大過ぎて小物感が無い。
「我々生徒の間では理屈倒れの馬謖と呼ばれていました」
「なるほど。私が到着するまで待つも良し一戦するも良し判断は卿に任せる」
「バカな!こんな所に敵がいるはずがない!うっ!ゴホンゴホン」
シュターデン(笑)
決戦しなければもはや司令官とは認めぬ、というアホ貴族はいなかったようでw
孔明を喜ばせる天才だったんかなあ、つまりは
思うに馬謖は色んな意味で「戦う場所」を間違えたからしくじったのだと思います。
少なくとも(表面上は)弁才があるので、外交官やスパイなどの任務に就けば、少なくとも街亭での手酷い大惨事はなかったかも…。
要職に就けるために諸葛亮が功績を積ませるという形で魏の攻撃への備えにしたという説があるね。
そして、結論を知っているから我々はなんて愚かなことをしたんだろうと見るけれど、張郃が優秀だったという面もある。
涼州の救援が目的で時間がなかったから、並の将なら馬謖をスルーして裏を取られたり、それを嫌って強引に馬謖を攻めて返り討ちにあっていた可能性もある。
張郃は馬謖の弱点を的確に見抜いて、それ以外正解がない策を採れたのがこの結末を呼んだ。
きたきた、馬謖!ありがとうございます!
水筒忘れて登山失敗した登山家
ネット民「山をなめるな!」
連合赤軍に所属してたら『総括』されちゃいますな
どこかの戦史解説等をしているチャンネルでそんな扱いだったね。
登山家ってあだ名つけた人マジでセンスある
劉備も馬鞍山に登ったから登山家かな?
Thanks!
三国志において蜀志の記述が少ないのはやはり行政機構がそれだけ貧弱だったということでしょうねえ
孔明の手が回らない部分をできる限り削減し、少ない人材も必要な部分にしか置けなかったたせいなのでしょう
もっと記録が残されていたら当時の内情も詳しく分析できてたかもしれない
ぶっちゃけ中華大陸では残った国以外の記録は必要なものを除いて徹底的に廃棄されるのが普通・・・
この故事を知っていたが故に某所で泣斬クリリンという猛者を見つけて深夜だってのに爆笑してしまった
「孔明が泣いたのは、劉備の言った事を聞かずに馬謖を用いてしまったから」という説がまさか触れられもしないとは思わなかった
バイトリーダーとかマネージメント経験したことあるならわかるけど適材適所って言うけど人材の配置って難しいからね。
こいつのしくじりは、こいつ単体って訳じゃなくて国もろとも滅ぼしたようなしくじり方だからなぁ
参謀とか副将にして最終的な決断は他の者にさせるべきだったんだろうな
王平と立場が逆なら歴史が変わっていた説はあるよね。
シルクロードの利益の一部を吸い上げて蜀漢は国力を増して三国の構造は変わっていたかもしれない。(呉の警戒心を更に煽るなど)
この動画の感じ懐かしいな。
三国志の後に西晋の崩壊と五胡十六国時代が来ることを知っていると、あの時代の英雄豪傑も諸行無常の運命を逃れられなかったと思わずにはいられないんだよなあ。
司馬懿はずっと真っ当に仕事してただけなのに曹さんサイドにやたら嫉妬されたり警戒されたりして身を守るためには仕方なかったのだと思います(T△T)
そして今回の馬謖による登山が三国志演義最大のたられば要素だったのかもですね
上司が世界史でもトップクラスの偉人だったので 悪い意味で有名になってしまった人 それなりに優秀だったはずだけども…
劉備が好まなかった馬謖とか蔣琬を諸葛亮は割りと使うんだよな
人材不足のせい…
先帝が夷陵に人材を置いてきちゃったし有るもので運営せざるを得ないわよ
王平は文字が十しか知らなかったそうです
0:23 三国志演義の馬謖
19:26 史実の馬謖
諸葛亮と馬謖はインテリ同士だから気が合った。人事に関してはやはり長年大勢の人の中で苦労してきた劉備と隆中に籠もっていて理論優先の諸葛亮の経験の差が出たんでしょうね。
自分が犠牲にならずに済むなら、いくらでもうれし涙が出ようってものでしょうな!(CV:羽佐間道夫)
シェーンコップw
この故事の影響か、馬謖って不遜なキャラ付けをされるようになったよね
蜀って後期になると割と人材不足だったから
もうなりふり構ってられなかったんじゃないかな?
馬謖の重用もそう考えると合点がいく。
街亭の戦いの馬謖、長平の戦いの趙括と机上の兵法にのみ長じた若輩者が国家を傾斜させる…
まずは水をムシしたことが命取り
泣いて馬飾を着る
これはみな 魏軍が捨てていったものか
登山家という不名誉な渾名を付けられた馬謖。
劉備も重用してないわけじゃない辺り間違いなく才能はあったのでしょう
ただ作戦立案能力は天才的でも作戦実行能力に不安を感じたから重用し過ぎると危ういと感じたのかも
参謀までなら名参謀として歴史に名を残したんでしょうが
参謀として有能な人間が必ずしも司令官としても有能なわけではありませんからね。逆に王平か魏延を司令官、馬謖を参謀としていたら上手くいっていたかもしれませんね
兄の馬良が優秀だったからね。
フラグの宝庫みたいな😂
こ、孔明は忙しすぎだったし…
人事面と言うと
龐統が生きてたらなあ(たられば
夷陵がなければなあ(たられば
たらればなんだけどそれぞれの出来事の運命の繋がりを感じるような
劉備の人を寄せ付ける魅力があってこその蜀だからな。
カリスマで成り立ってる組織はカリスマがいなくなったら脆い
うp主もよく言ってるな。
馬謖というより諸葛亮の話だけど、彼といい林則徐といい中華にはたまに異常なほど清廉潔白なうえに有能な人物があらわれたりするのが面白い
そしてそういった人物はパッとした死に方をしないのも世の無常を感じざるを得ない
おそらく常に人間の黒い部分が渦巻いていて、それに対して反発しようという稀有な才能が何百年かに一度現れるのだと思う
泣いて馬謖を切る😢
まさにやらかし(´・ω・)
参謀には自ら兵を率いても抜群の戦功を挙げられる者と、参謀としての助言は的確だが自らが兵を率いて戦うことは不得手の者が居る。馬謖は後者だったのだろう。
後半、bgmがやかましい。
馬謖に関する故事がほぼ無かったと言う衝撃的な事実w
演技の記述はなろう系もびっくりの盛りまくりだったって事?
蜀勢は大体盛られてるからね。
もともと記述が少ないからこそ盛りやすいとも言える。
演義では有能優等生の趙雲も正史では記述が少なかったりする。
街亭の戦いの考察した動画によると、あの場所で会敵するなんて馬謖も孔明も予想してなかったんだそうな。しかも相手は歴戦の猛者張コウ。ひたすら慌ててボロ負けして仲間見捨てて逃げ帰ってしまったからもう情状酌量の余地なく処罰されたんだとか。
メタいこと言うと孔明が配置したんだから
博望坡の戦いで張飛や関羽が孔明の実力を疑ってた時みたいに
敵が来るに決まってんだよね。
想定も何も、全く未知の敵地の奥深くでの出来事ですからね。
そこに事前に作戦を練って送り込んだ上で、状況にそぐわないからと現場判断で動いたことを命令違反とされても困るでしょうね。
というか諸葛亮は何で街亭方面へ北上した馬謖を追撃して後方連絡線を襲った郭淮を止めなかったのか…
自分も孔明としては時期も選んで不意打ちのように仕掛けたつもりなのに割と早くに魏軍に察知されていて
しかも対応が超早かったから迎撃の準備が整う前に会敵した可能性があるとか他所の解説動画で見た
馬謖の罪って負けるにしてもその対応の仕方を問われたとかで
負けた事自体はある程度しゃーない感じ?
敵の到着が予想より早く、しかも相手が猛将張郃だった、というのは、恐らく孔明や馬謖にとっても予想外だったんだろうね。
馬謖も孔明が考える街亭の重要性を誰よりも知ってたからこそ撤退せず短期決戦で迎え撃ったが、それを察して長期戦を展開した張郃の方が上手だった、という考え方もできる。
戦術的な視点が多いけれど、戦略的な視点だと魏軍は涼州の救援に急がねばならなかったから張郃には時間がなかった。
本来は街道封鎖していれば任務達成して、功績も得られるから自らの後任や補佐としての箔をつけたかった諸葛亮の思惑もあった。
会敵するのはほぼ確実だったし、山脈を越えてくる魏軍の状況は掴めていないが街道を封鎖するなら街亭にいれば最短ルートを抑えられるという読みは正しかった。
むしろ準備不足だったと言えたのは魏軍の方だろう。
ただ、才があったが実戦経験がなかったゆえに孫子にあった『高所を抑えるべし』という内容に固執してしまった。
張郃を撃破すれば防衛にも成功すると欲を出していたが、張郃側にも時間がなかったから無理攻めしてくると踏んでいただろう。
これは張郃の有能さが光った戦いだった。
諸葛亮「バショク!ショック!」
丁度『パリピ孔明』のドラマ版が放送されていますのでタイムリーなネタですね。
カルタゴのハンニバル、日本の佐々成政と並ぶ登山家系武将ですね。中華だとライバルは高仙芝な気がします。
鄧艾には勝てないからねぇ……
登山系君主だとナポレオンとメフメト2世かな?
@@青い消火栓 ナポレオン、メフメト二世は君主なので抜いていました。登山家系君主となると、他には吐蕃のソンツェン・ガンポも入るかなとは思いますね。
趙括といい馬謖といいまずは一軍を率いさせて経験をつませ、現実と理想は違うということを学ばせていけば良かったのに、なぜいきなり大軍団を任せてしまったのか
私は司馬懿が悪役って印象はないんですよねぇ
自分と一族を守るために他に選択肢があったのかというとね・・・
まあ確かにやってる事は曹操の方がよっぽど悪党w
儒教的思想の弊害ですね、
理想を無視した合理性は批判の元でしたから
むしろ現代の考え方からだと曹操や
司馬懿に同意・感心する事が多い💦
張郃に逆らったらダメなの。
敵も味方も、上司も部下もない。
彼に逆らった人はみんな不幸になってしまうの
(張飛、お前は強すぎるから例外)
馬良がいなかっただけのこと
史実は19:30~
それは『人は言い訳の天才』だからそう思うんだよ😊言葉なんてまやかし
馬謖ショック!
実際孔明は荊州において立派な名士に該当する
「水魚の交わり」と言われた劉備と孔明でも叩き上げの軍人と地域に根ざした名士では根本的に物の考え方が異なる事が多い
人事においてもその影響は大きく劉備の遺言に反して馬謖を重用したのもその為であろう
別の人の動画では、「馬謖は戦に負けたから逃げた」のではなく「(戦前に自陣営の不利を悟った)馬謖が逃げたから戦に負けた」という、かなり度し難い馬謖像を提起していたな。
状況的に見ると馬謖の敗北は蜀軍全体の行動には影響度が少なく、西で隴西太守や涼州刺史の軍勢に追い散らされた蜀軍本隊と、東で曹真の派遣した別動隊に駆逐されて漢中に逆侵攻されかけた趙雲らが問題になるでしょうね。
特に趙雲は諸葛亮から逃亡して斬られた馬謖と並べて批判されていますので、その責任は相当なものです。
@@nekono_mimikon
戦においては一言に敗北とは言っても
全滅と撤退では全く違います。
趙雲と鄧芝は撤退戦で大敗はしてないが
馬謖軍は王平隊以外ほぼ全滅という有様です。
ちなみに趙雲も降格してます。
そら教育やろなぁ…
泣いて切ってもらったおかげでことわざとして永遠に名前が刻まれて有名になって良かったじゃん
もっとも本人はたまったもんじゃないけどな
しくじりって事なら、元・蜀ナンバー2のあの人の方がカッコ悪いかも・・・。
李厳「髭のことやろなあ…」
@@見咲詞条
いえ、あなたです。
糜芳・傅士仁「(゚ー゚)(。_。)ウンウン」
@@pino623
???「お前ら覚えとけよ」
登山するときに水とか物資も持って登ればワンチャンあったのかな??
登った時点でauto?
水は重いからね……
現代の軍隊なら自動車等で容易に運べるけれど、人が1日に必要な水は最低2lと言われているから、一人1日2kgの水を運ばないといけない。
食料は1日1kg程度は必要だろうから兵士の生命維持に必要な物資だけで1日3kg。
更に矢などの消耗品を含んだ軍需物資や焚き火のために薪など野営用の物資もあるから数日分だけでも相当な荷物になるだろう。
20歳ごろに大学のサークルで登山をしていたけれど、現代の優れた背嚢があり、整備された登山道があったから45kgの装備品を背負ってもある程度問題なく歩けたけれど(かかとがズル剥けにはなった)、
整備されていない山を登るとなると水くらいは上で見つけないときついと思うね。
史実から言ったら、劉備の遺言を聞かなかった諸葛亮が一番悪いやないか!
でもさぁ、もう夷陵の戦いで優秀な人材全滅しとるじゃん
魏延は言うこと聞くか分からんし王平は学がなさ過ぎるし趙雲もいまいちだし、しょうがないんじゃないか?誰がおるんよ
あと馬謖の山頂布陣は史実だと思いますよ、現場で布陣を変えるくらいの裁量権はあったと思います、これは当たり前なはず。ただあまりに痛い大敗であった事が問題だったんでしょう
なぜ馬謖を街亭の守りにつかせた!?
割と街亭の方がイージーなので
張郃を釘付けにできれば良いからね
中華を代表する登山家🧗
孔明が用兵・戦術は専門ではなかったのは確か。専門ではないが優秀だったのが、逆に不幸の端緒ではある。
龐統に戦線を務めさせ、後方から物資と情報の確保をし、富国に務めるのが彼の本分。龐統亡き後は、法政がそれに当たった。
それ以後、前線を統括するに値する英才が孔明基準では不在となり、国力と治安を整えた後、自らが戦線に立つ事となる。これは、中央に黄皓が根を張る原因の1つでもある。
馬謖は性格はともかく、後継育成に最も近かった総合的にステータスの高い配下であった事には違いない。また、拠点無き荊州閥と益州閥とのバランスを取る為にも、成長させなければならなかった。急ぎすぎたか。
登山家
馬謖は確かに無能かもしれんけど張郃が優秀すぎることもあったかもな
白眉は?
司馬懿が謀反を起こしたわけでは無いのに評判悪いよねえ
馬良はまゆ毛だけ白かったそうです、実祭わからないけど
優れた人を指す「白眉」の語源だね
あおい輝彦が劉備を演じてるアニメ三國志だとめちゃくちゃ壮絶な死に様を見せる馬良さん
人形劇 三国志だと関平とともに、諸葛亮の死後まで生き残ります。
魏軍が来た時に駆け下りて撃破すればよかった
†泣いて馬超を切る†
なにがむむむだ!斬れ!斬れ!
泣いてる理由が親しい相手を死なせた事が悲しいからではなく
劉備の言いつけも守らずこんな奴を重用した自分が情けない
という理由だったと言うね
水源確保もせずになぜ山頂に上ったのか?机上の空論家の極致と言える。
参謀としては優秀でも司令官としては2流だったのだろう。
しかし「泣いて馬謖を斬る」は現代でも無駄に使われてる気がする、慣用句として。
いちこめってどうやって書くんだっけ?書くものじゃないよ!いちこめは感じればいいんだ!(ฅࡇ ⚙︎ฅ)✧
泣いて馬謖をK◯LL
一度の失敗でコレから蜀のためになるかも知れない将を斬るなんて敵を利するだけ
馬謖が失った兵の数を考えると三国志はここで終わり。斬っても斬らなくても蜀の命運は尽きた。
人材不足の蜀だからこそ全体を優先しないとやっていけない。
散々でかい事を言って仲間を死なせた奴がロクに処罰されなければ全体の士気が保てない。
軍規を破った見せしめって説もあるでしょうが、
孟獲の時を考えると矛盾も感じます
魏延を冷遇って…演義と正史混ざりすぎ
獄中死って殆ど中国じゃ殺されてるんよね〜
キャットエンペラータイム最強!
馬謖は、口だけのゴマすり男と見るのが妥当でしょう。ゴマをすられている当の孔明には本質が見えなかったが、横から見ていた劉備にはそれが良く分かるというものです。
街亭の戦い(正史)、馬謖が南の山に布陣したのは張郃伝だったかにあるようです。また王平に預けられたのは1000の兵ですね。もちろん司馬懿は出てこない、演義のこれには違和感w
地図を見れば街亭の街と南山との間には川があり水源を絶つのは難しいように感じます、戦いの詳細は不明ながら馬謖の指揮が上手くなく混乱し負けたようです。馬謖が数名の部下だけ連れて漢中の向朗の元に逃げたのは、敵前逃亡だったとの見識もありますが、それに近かったのだろうと思います。また馬謖の兵のいくらかが王平に合流したため、王平が攻められなかったのだろうという考察もあります。
馬謖が切られた原因についてははっきりせず、正史には「節度を違えた」ためと書かれているものの、節度が具体的な何を指すのかが分からないとされています(節度とは決まりとか掟といったもの)。そのため孔明の指示を守らなかったのだろうと演義などでは解釈されて話が作られているのですが、兵を預けられた将が自ら指揮できないなどということは無いだろうと、これに否定的な考えがあります。
結果的に敗戦し、兵を捨て敵前逃亡のように漢中に戻った馬謖ですが、捕まった経緯も良く分からず投獄されています。私の考えでは、漢中に逃げ帰った馬謖を向朗はかくまったが、さらにそこから逃げようとして捕まった。漢中から逃げるというのは国を捨てる、つまり蜀を捨て呉に下ることを意味する。このことが「節度を違えた」に当たるのではないかと私は考えています。
馬謖が亡くなる経緯は、孔明は『斬る』指示を出しているのですが、馬謖伝では「物故した」と獄中で亡くなったと書かれています。斬る指示は出されていたものの、処刑される前に獄中で自害したのではないかと私は考えています。
ーコメです
一コメです
諸葛孔明って案外人を見る目がないんだよな
蜀志や華陽国志で諸葛亮が推挙、抜擢したと言われる人物
姜維、蒋琬、楊洪、何祗、譙周、費禕、爨習、孟獲、馬謖、孟琰、杜禎、柳伸、姚伷、楊戯、董恢、張裔、杜微、王平、劉巴、龐統、霍弋、李邵、馬斉、宗預、五梁、郭攸之、董允、秦宓
これだけ挙げていて見る目ないはないだろう
曹操は張邈、魏种、胡修、傅方の人事の失敗があり、人物眼に長けた劉備でさえ蔣琬で誤っている
一つの失敗で人を見る目がないなら三国時代の君主皆見る目無しになってしまう
一コメかな
一コメ
おろかなアルピニストじゃよ
一コメです