音輪会演奏会より 舞楽・蘇莫者

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  • เผยแพร่เมื่อ 21 ส.ค. 2024
  • 平成15年秋 京都芸術劇場『春秋座』での講演の様子です。当時、薗 広晴先生を舞人としてゲスト出演交渉をし、先生も京都で舞えるならと心待ちにされて準備に取り掛かられた矢先、思いがけず病に倒れられ、代役の増山先生によっての京都での蘇莫者。薗家伝承の面と衣装による舞です。太子役には今は亡き音楽監督芝祐靖先生。切れのある竜笛の音色をご堪能ください。

ความคิดเห็น • 5

  • @user-qn8ci1mc5f
    @user-qn8ci1mc5f 9 หลายเดือนก่อน

    篳篥にかき消されて龍笛が聞こえにくい。

  • @YANAGITAtokinori
    @YANAGITAtokinori 3 ปีที่แล้ว +1

    太子は古代尺八吹いていたハズ。
    古譜

    • @kosenohara950
      @kosenohara950  2 ปีที่แล้ว +1

      太子は飛鳥時代の人。龍笛は、飛鳥時代に日本に伝来したと言われています。また、尺八が伝来したのは奈良時代です。

    • @YANAGITAtokinori
      @YANAGITAtokinori 2 ปีที่แล้ว +3

      @@kosenohara950 教訓抄の蘇莫者の項には太子が尺八を吹いていたと書かれています。聖徳太子の没年が622、唐が618からなので太子が尺八を吹いてもおかしくはないが作り話かもしれない。役の行者小角が横笛を吹いたという方がもっともらしい。
      正倉院には横笛が残っていますが、どれも酷い音程です。後の雅楽で使われる調律された龍笛とは別物だと思います。またどれが龍笛に発展したかも定かではありません。
      平安時代に伎楽の獅子が龍笛に移されました。ということは伎楽の獅子は龍笛という笛で演奏していたのではなかったわけです。つまり612伝来の伎楽の笛は龍笛ではありません。正倉院の横笛は調律のとれていない酷いものなので伎楽用途かもしれません。他の旋律楽器と演奏することがなかったのでそれで間に合ったのでしょう。これらの笛のどれかは今の古典調の篠笛(指穴7個)に発展したと思われます。
      龍笛は調律された音階で演奏する雅楽とともに伝来したもので元は最低音がDだったものでしょう。何故なら最低音をDにした時の方が全体的に音程のバランスが良いからです。バロック時代のフルートがそれです。平安時代に雅楽が整理され、高麗、中華曲、神楽用途に便利な用に分けられました。性能の追求よりも使い勝手を優先したからでしょう。最低音がDの龍笛は淘汰され、伎楽の笛を改造し、龍笛としたものが現在に受け継がれていると思われます。そのため古典調の7穴の笛に近い。
      遺跡から出土している横笛もありますが、途中までしか残っていないので龍笛の系列かどうか判別できません。

  • @kunioku43
    @kunioku43 3 ปีที่แล้ว

    蘇莫者ニ首
    蘇莫者の乱舞は遠く善良な魂包み来世再び
    蘇莫者にガソリンブチ撒き観客の身体が燃えてここ火葬場
    *梅原猛著『隠された十字架』参照