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声の変更は使用している機械音声サービスの仕様変更に伴うものです、、
了
だもんでか🤣ちょっと違和感あった🤣
あまりにも耳に馴染み過ぎていて慣れるまでに時間かかりそう。
なるほどなんとなくイントネーションが自然になった気がしました😃😃😃
☺️渋みがちょっと出ましたね👍👍👍👍👍👌
声低くなりましたね!?内容よりも気になってしまいましたw
87年の時点でポルシェ提案のV12にダメだしするゴードンマレーは流石だった
そして91年にフットワークが犠牲になる。
フットワーク「ポルシエ獲得ヤッター!」マレー「ええ…あれ使うの……ええ…」
エンジンのお披露目で、亜久里とアルボレートが微妙な表情してましたね…😂
@@jok3471犠牲とは酷すぎる😅、たしかフットの時はそれらしいエンジンだけどタ--ボ時代はV6がくっついたような変なエンジンらしかったよね😢、おまけに95年あたりに火を吹いていたような気がします😅。
亜久里はポルシェエンジンのフットワークには乗ってないよ。見間違いでは?
フェラーリ時代もそうだったけど、いつもいつもいいところでトラブルでリタイヤしてしまうヨハンソン。元祖悲運のドライバーって感じだったなあ・・
プロストが駆るカーナンバー『1』、カッコよく見えるし存在感があった、ホンダから見たらプロフェッサーが1番イヤなライバルだったし、セナの速さとプロストのレース巧者の魅力は代えがたいものだったし
ヨハンソンは1勝でも良いからF1で優勝してほしかった(多分日本のF2ファンならそう思うでしょう)、最大のチャンスだったはず。
コースサイドで実際に観ると、プロストとヨハンソンの差ってかなり大きかったです。
復活した87日本GPで勝てたかもしれなかったね。その前に、85サンマリノGPをフェラーリで勝てていたなら。
@@5red90 ガス欠でしたっけ?
@@5red90 87日本グランプリは終盤までバーガーを追っかけていましたが最後の最後にセナに交わされて3位だった記憶があります。
@@toriysunny3066 ですね、ガス欠祭りになったGPです。他にもトップ走行中のセナもなり、プロストもガス欠になりながらも何とかフィニッシュしたものの、最低重量違反で失格に。トップ争いをしていたセナプロを追ってアタックした3位のヨハンソンだったけど、結局それが裏目に出てしまった。表彰台狙いに絞っていれば、ヨハンソンのレースキャリアを変えたメモリアルな初優勝になっていたでしょうね。
昭和シェル石油のCMに影響されたからか、MP4/3を見ると「スパークエイダー」という言葉がプロストの声で脳内再生されるから困る。
「フォミュラわんっ!」
一人のドライバーがチームを飛び越えて、エンジンメーカーと交渉するという、今では信じられないスタンドプレー。
ポルシェが歩んだ最強エンジンからの転落劇を、5年後にはホンダが歩むことになるんだもんなぁ。意外と最強の座は続かないものですね。
更に5年後にルノーも。
F-1エンジンの歴史とは、覇権と凋落のくり返しなんだよなぁ。
日本のF1ブームにおける中嶋さんの存在は大きかった。あと当時のロータスは実態はともかくまだビッグネームだった。
マクラーレンのマシンがマルボロカラーに塗られたのは一緒だが、ジェームス・ハントがドライバーとして活躍し、王座を獲得した頃のマクラーレンを知っているだけに、80年にデニスが加入したマクラーレンとは全く別のチームだとつくづく思った。
こうしてみるとこの頃のホンダはほんと中嶋を最優先にしてたんだな
日本国内にモータースポーツブームを起こすには、何よりも日本人ドライバーは不可欠ですからね。国のドライバーや企業が幾らかでも関わっていないと、ファンは生まれないしモチベーションも続かないです。地上波放送で観られたのも大きいです。正にそこから私はモータースポーツのファンになったのですから。
ホンダを搭載していなかった期間も中嶋氏はヘルメットとスーツに『HONDA』を入れてました。それだけに再びホンダエンジン搭載が決まったときは嬉しかったです。
めっちゃ懐かしい話ですね。アイルトン・セナがマクラーレンに合流って言う話は本当にね。
声低くなった?
この辺りは現場にいらっしゃった桜井さんや後藤さんによれば、86~87年にホンダのターボエンジンを載せたいと言うお話がロンからあった物の鈴鹿のF1開催やサトル・ナカジーマさんの加入と言うハードルがあり、ロンとしては「エンジンは言いんだけどドライバーが・・・・・・ね」と言う感じだった事やF1開催も不透明だった事から商魂逞しいロンとしては二の足を踏んだと言うのが実情だったそうです。やがてウィリアムズがルノーにスイッチ、ロータスもまたセナもサトル・ナカジーマさんとの契約もご破算となり88年にセナ&プロ体制になったと言うのは有名なお話ではありますね。ここで1つ面白いのが実はロンにホンダエンジンを進めたのはムッシュ・プロスト氏であり、ロンに『勝利の為には人種など言っていられないんだ!。』と言う事からホンダを進めており、契約が成立したと思ったらムッシュ・プロストから見たらホンダを恋人の様に溺愛する狡猾な男セナが大手を振ってマクラーレンにやって来た事からムッシュ・プロスト氏としては『ホンダをロンに勧めたのは僕なのに恩を仇で返すのかい?。』と言う気持ちになり、悲しくなって感情的になった事は晩年ムッシュ・プロストの口から語られていますよね。これが後々の『ホンダはセナを贔屓して僕のエンジンを不当に扱っている。』と言う発言に繋がりますが、実はセナが特殊なアクセルワークでエンジンのリミッター上限をずっと使って居た事を知ってからは『僕はとんだ思い違いをしていたけど、その時にはもはや僕と日本の関係は破綻していたんだよ。』と寂しそうに語っていましたよね。
チャンピオンになれるのはBMWやTAGポルシェなどジャーマニー製のエンジンと決まっていた所に日本製であるHONDAが存在感を見せて来たのは、何十年経っても誇らしい気持ちになる。
JPSカラーのロータスでホンダエンジン載っていたら最高でしょうねぇ😅
同感。JPSのカラーリングにPOWERED by HONDAのロゴが入ったロータスが見たかった。
それがフジテレビのF1オープニングで流れたら、もう最高でしょうね❗️
フォーミュラとハコでは違うとは言いますが、この頃ポルシェ(1970年代頃から)はグループCで無双していましたが、F1のエンジンはホンダに脅かされたり、フットワークで搭載したらダメダメだったりとあんまり芳しくなかったですね。
ホンダエンジンを搭載したMP4/3をピロが密かに富士でテストドライブしていたなと
色々初めて知りました。興味深い話しです。
8:08 そう言えば1987年は、レースでは雨が降らなかったような・・・
雨のセッションはベルギーの予選1日目くらいだったと思います 決勝は全てドライだった年なので、87年の雨の中の画像はあまり見ないですよね
@@chikaran100 さんそのベルギー予選1日目に、中嶋が速いタイムを記録して、セナが警戒したとか・・・
86シーズンもだな。
MP4/2とMP4/4が凄すぎる故に、MP4/3って調べるのも大変なのよね。徹底的に黒歴史化されていると言うか。
7:37ヨハンソン、最後の輝き…😂
パワー(エンジン性能)にものを言わせて・・という感じのウイリアムズよりプロストのしたたかさを表現するような走りにカッコよさを感じた少年時代の私です。ホンダの供給先の判断はドライバー人事によるものが大きいけどそれも含めてF1だよね。たしかにナレーションはよりドキュメンタリー風。
87年は昭和シェルのCM「アラン・プロスト・ライバルはいない!」編が放送されていた時期。
伝説の始まり😎👍小学生ながら夜中にF1親父と見てました。マンセルにチャンプ取って欲しかった😓富士でHONDAエンジンテストしてましたね。マクラーレンHONDAの伝説の始まり。
86オーストラリアGP😢87鈴鹿…は、まあ自滅か😣
声前の方がいい
声変わりました?
MP4/3はまさにMP4/4の原型
あれ?声低くなりました?笑笑 気のせいですか?笑
TAGポルシェターボエンジンが、かろうじてホンダターボエンジンに対抗する事が出来たのもエンジン電子制御マネジメントシステムを担当したボッシュが努力してパワーと燃費の改善に取り組んで努力したおかげですね‼️🤗このボッシュのスタッフが、後にTAGエレクトロニクスの構成メンバーとして活躍しましたね‼️🤗
AIの自動音声がいつもと少々違いませんか?AIなのになんだか喉の調子が悪いように聞こえてしまうんですが😅
やはりリアが軽すぎてグリップ不足だったんだ💦かっこいいとは思ってたけど、ミニカーで眺めているとやはりフロント短く寸胴でなんとなく重みずっしり形状にたいしてリアがちょっとサッパリしているから不安定だったのかな💦エンジンも設計が問題なのか、そもそも車体の分はエンジンで補おうとして試行錯誤しいろいろ軽量化とか 脆く作り無理した開発設計で行き過ぎた💦のか…うむ💧あのV12~デカイのは無理もないですね💦エンジンそれぞれ個体を縦に2つ足せばやはり💧インディーにも導入していたV8案はなかったのかな💦
ヘリウムガス吸おう!
ホンダは最初、ウィリアムズに中嶋さんを乗せてほしいと頼み込むも、ウィリアムズが自国民のマンセルを優先したため実現しませんでした。(ちなみに、ピケもホンダが呼んできた)もし、中嶋さんがウィリアムズに採用されてたら・・・全然違うものになったのは間違いない・・・。
後年のインタビューでフランク御大はマンセル優先よりも、中嶋さんを起用してホンダにドライバー人事の主導権を握られるのを嫌がったそう。(かつてチームが乗っ取り未遂の事もあり)中嶋さんをテストで走らせているし、チームも抵抗感は無かったとか。ホンダは走らせれば確実に上位で結果を出すピケを推し、速いがムラッ気のあるマンセルを嫌がっていたらしく、テストでマンセルは「yes!」悪ければ「FA○K!」しか言わず、これがホンダとチームの対立を産む事になったそうです。フランク御大もさすがに問題視していたようです。
1988年マクラーレンMP4/4の設計デザインが遅れて開幕戦ブラジルに間に合わなければ、1987年マクラーレンMP4/3にホンダV6ターボエンジンに載せ変えた改良型MP4/3Bでシーズン戦っていたかも知れないですね‼️🤗MP4/4もMP4/3と同じスティーブ・ニコルズ設計デザインと言われていますが、MP4/4についてはゴードン・マレーとの合作によるとも言われていますね‼️🤗ニコルズは「MP4/4は、MP4/3の燃料タンク容量を小さくした正常進化型」と主張。マレーは「MP4/4は、ブラバムBT55のコンセプトを引き継いだマシン」と主張。私的には、マレーが60%:ニコルズ40%の割合で合作ですが、見方によってはマレー70%:ニコルズ30%の割合とも取れますね‼️🤗
声😢
88年のマクラーレンホンダは全戦優勝したと言っていいくらい圧倒的な強さでした。なにしろ他チーム全て周回遅れにしたレースもあったからね、 ポルシェはこの頃からレース部門だけでなく市販車部門も酷い状態になっていきましたね。 倒産寸前まで行ってしまいトヨタが間一髪の所で救ってあげてましたね、その後のポルシェの大躍進を見ると、日本人として鼻が高いです。
声の変更は使用している機械音声サービスの仕様変更に伴うものです、、
了
だもんでか🤣ちょっと違和感あった🤣
あまりにも耳に馴染み過ぎていて慣れるまでに時間かかりそう。
なるほど
なんとなくイントネーションが自然になった気がしました😃😃😃
☺️渋みがちょっと出ましたね👍👍👍👍👍👌
声低くなりましたね!?
内容よりも気になってしまいましたw
87年の時点でポルシェ提案のV12にダメだしするゴードンマレーは流石だった
そして91年にフットワークが犠牲になる。
フットワーク「ポルシエ獲得ヤッター!」
マレー「ええ…あれ使うの……ええ…」
エンジンのお披露目で、亜久里とアルボレートが微妙な表情してましたね…😂
@@jok3471犠牲とは酷すぎる😅、たしかフットの時はそれらしいエンジンだけどタ--ボ時代はV6がくっついたような変なエンジンらしかったよね😢、おまけに95年あたりに火を吹いていたような気がします😅。
亜久里はポルシェエンジンのフットワークには乗ってないよ。
見間違いでは?
フェラーリ時代もそうだったけど、いつもいつもいいところでトラブルでリタイヤしてしまうヨハンソン。
元祖悲運のドライバーって感じだったなあ・・
プロストが駆るカーナンバー『1』、カッコよく見えるし存在感があった、ホンダから見たらプロフェッサーが1番イヤなライバルだったし、セナの速さとプロストのレース巧者の魅力は代えがたいものだったし
ヨハンソンは1勝でも良いからF1で優勝してほしかった(多分日本のF2ファンならそう思うでしょう)、最大のチャンスだったはず。
コースサイドで実際に観ると、プロストとヨハンソンの差ってかなり大きかったです。
復活した87日本GPで勝てたかもしれなかったね。
その前に、85サンマリノGPをフェラーリで勝てていたなら。
@@5red90 ガス欠でしたっけ?
@@5red90 87日本グランプリは終盤までバーガーを追っかけていましたが最後の最後にセナに交わされて3位だった記憶があります。
@@toriysunny3066
ですね、ガス欠祭りになったGPです。
他にもトップ走行中のセナもなり、プロストもガス欠になりながらも何とかフィニッシュしたものの、最低重量違反で失格に。
トップ争いをしていたセナプロを追ってアタックした3位のヨハンソンだったけど、結局それが裏目に出てしまった。
表彰台狙いに絞っていれば、ヨハンソンのレースキャリアを変えたメモリアルな初優勝になっていたでしょうね。
昭和シェル石油のCMに影響されたからか、MP4/3を見ると「スパークエイダー」という言葉がプロストの声で脳内再生されるから困る。
「フォミュラわんっ!」
一人のドライバーがチームを飛び越えて、エンジンメーカーと交渉するという、今では信じられないスタンドプレー。
ポルシェが歩んだ最強エンジンからの転落劇を、5年後にはホンダが歩むことになるんだもんなぁ。意外と最強の座は続かないものですね。
更に5年後にルノーも。
F-1エンジンの歴史とは、覇権と凋落のくり返しなんだよなぁ。
日本のF1ブームにおける中嶋さんの存在は大きかった。あと当時のロータスは実態はともかくまだビッグネームだった。
マクラーレンのマシンがマルボロカラーに塗られたのは一緒だが、ジェームス・ハントがドライバーとして活躍し、王座を獲得した頃のマクラーレンを知っているだけに、80年にデニスが加入したマクラーレンとは全く別のチームだとつくづく思った。
こうしてみるとこの頃のホンダはほんと中嶋を最優先にしてたんだな
日本国内にモータースポーツブームを起こすには、何よりも日本人ドライバーは不可欠ですからね。国のドライバーや企業が幾らかでも関わっていないと、ファンは生まれないしモチベーションも続かないです。地上波放送で観られたのも大きいです。正にそこから私はモータースポーツのファンになったのですから。
ホンダを搭載していなかった期間も中嶋氏はヘルメットとスーツに『HONDA』を入れてました。
それだけに再びホンダエンジン搭載が決まったときは嬉しかったです。
めっちゃ懐かしい話ですね。
アイルトン・セナがマクラーレンに
合流って言う話は本当にね。
声低くなった?
この辺りは現場にいらっしゃった桜井さんや後藤さんによれば、86~87年にホンダのターボエンジンを載せたいと言うお話がロンからあった物の鈴鹿のF1開催やサトル・ナカジーマさんの加入と言うハードルがあり、ロンとしては「エンジンは言いんだけどドライバーが・・・・・・ね」と言う感じだった事やF1開催も不透明だった事から商魂逞しいロンとしては二の足を踏んだと言うのが実情だったそうです。
やがてウィリアムズがルノーにスイッチ、ロータスもまたセナもサトル・ナカジーマさんとの契約もご破算となり88年にセナ&プロ体制になったと言うのは有名なお話ではありますね。
ここで1つ面白いのが実はロンにホンダエンジンを進めたのはムッシュ・プロスト氏であり、ロンに『勝利の為には人種など言っていられないんだ!。』と言う事からホンダを進めており、契約が成立したと思ったらムッシュ・プロストから見たらホンダを恋人の様に溺愛する狡猾な男セナが大手を振ってマクラーレンにやって来た事からムッシュ・プロスト氏としては『ホンダをロンに勧めたのは僕なのに恩を仇で返すのかい?。』と言う気持ちになり、悲しくなって感情的になった事は晩年ムッシュ・プロストの口から語られていますよね。
これが後々の『ホンダはセナを贔屓して僕のエンジンを不当に扱っている。』と言う発言に繋がりますが、実はセナが特殊なアクセルワークでエンジンのリミッター上限をずっと使って居た事を知ってからは『僕はとんだ思い違いをしていたけど、その時にはもはや僕と日本の関係は破綻していたんだよ。』と寂しそうに語っていましたよね。
チャンピオンになれるのはBMWやTAGポルシェなどジャーマニー製のエンジンと決まっていた所に日本製であるHONDAが存在感を見せて来たのは、何十年経っても誇らしい気持ちになる。
JPSカラーのロータスでホンダエンジン載っていたら最高でしょうねぇ😅
同感。JPSのカラーリングにPOWERED by HONDAのロゴが入ったロータスが見たかった。
それがフジテレビのF1オープニングで流れたら、もう最高でしょうね❗️
フォーミュラとハコでは違うとは言いますが、この頃ポルシェ(1970年代頃から)はグループCで無双していましたが、F1のエンジンはホンダに脅かされたり、フットワークで搭載したらダメダメだったりと
あんまり芳しくなかったですね。
ホンダエンジンを搭載したMP4/3をピロが密かに富士でテストドライブしていたなと
色々初めて知りました。興味深い話しです。
8:08 そう言えば1987年は、レースでは雨が降らなかったような・・・
雨のセッションはベルギーの予選1日目くらいだったと思います 決勝は全てドライだった年なので、87年の雨の中の画像はあまり見ないですよね
@@chikaran100 さん
そのベルギー予選1日目に、中嶋が速いタイムを記録して、セナが警戒したとか・・・
86シーズンもだな。
MP4/2とMP4/4が凄すぎる故に、MP4/3って調べるのも大変なのよね。
徹底的に黒歴史化されていると言うか。
7:37ヨハンソン、最後の輝き…😂
パワー(エンジン性能)にものを言わせて・・という感じのウイリアムズより
プロストのしたたかさを表現するような走りにカッコよさを感じた少年時代の
私です。ホンダの供給先の判断はドライバー人事によるものが大きいけど
それも含めてF1だよね。たしかにナレーションはよりドキュメンタリー風。
87年は昭和シェルのCM「アラン・プロスト・ライバルはいない!」編が放送されていた時期。
伝説の始まり😎👍
小学生ながら夜中にF1親父と見てました。
マンセルにチャンプ取って欲しかった😓
富士でHONDAエンジンテストしてましたね。
マクラーレンHONDAの伝説の始まり。
86オーストラリアGP😢
87鈴鹿…は、まあ自滅か😣
声前の方がいい
声変わりました?
MP4/3はまさにMP4/4の原型
あれ?声低くなりました?笑笑 気のせいですか?笑
TAGポルシェターボエンジンが、かろうじてホンダターボエンジンに対抗する事が出来たのもエンジン電子制御マネジメントシステムを担当したボッシュが努力してパワーと燃費の改善に取り組んで努力したおかげですね‼️🤗
このボッシュのスタッフが、後にTAGエレクトロニクスの構成メンバーとして活躍しましたね‼️🤗
AIの自動音声がいつもと少々違いませんか?AIなのになんだか喉の調子が悪いように聞こえてしまうんですが😅
やはりリアが軽すぎて
グリップ不足だったんだ💦
かっこいいとは思ってたけど、ミニカーで眺めているとやはり
フロント短く寸胴で
なんとなく重みずっしり形状にたいして
リアがちょっとサッパリしているから不安定だったのかな💦
エンジンも設計が問題なのか、そもそも車体の分はエンジンで補おうとして試行錯誤し
いろいろ軽量化とか
脆く作り無理した開発設計で行き過ぎた💦のか…うむ💧
あのV12~
デカイのは無理もないですね💦
エンジンそれぞれ個体を縦に2つ足せばやはり💧
インディーにも導入していたV8案はなかったのかな💦
ヘリウムガス吸おう!
ホンダは最初、ウィリアムズに中嶋さんを乗せてほしいと頼み込むも、ウィリアムズが自国民のマンセルを優先したため実現しませんでした。(ちなみに、ピケもホンダが呼んできた)
もし、中嶋さんがウィリアムズに採用されてたら・・・全然違うものになったのは間違いない・・・。
後年のインタビューでフランク御大はマンセル優先よりも、中嶋さんを起用してホンダにドライバー人事の主導権を握られるのを嫌がったそう。(かつてチームが乗っ取り未遂の事もあり)
中嶋さんをテストで走らせているし、チームも抵抗感は無かったとか。
ホンダは走らせれば確実に上位で結果を出すピケを推し、速いがムラッ気のあるマンセルを嫌がっていたらしく、テストでマンセルは「yes!」悪ければ「FA○K!」しか言わず、これがホンダとチームの対立を産む事になったそうです。
フランク御大もさすがに問題視していたようです。
1988年マクラーレンMP4/4の設計デザインが遅れて開幕戦ブラジルに間に合わなければ、1987年マクラーレンMP4/3にホンダV6ターボエンジンに載せ変えた改良型MP4/3Bでシーズン戦っていたかも知れないですね‼️🤗
MP4/4もMP4/3と同じスティーブ・ニコルズ設計デザインと言われていますが、MP4/4についてはゴードン・マレーとの合作によるとも言われていますね‼️🤗
ニコルズは「MP4/4は、MP4/3の燃料タンク容量を小さくした正常進化型」と主張。マレーは「MP4/4は、ブラバムBT55のコンセプトを引き継いだマシン」と主張。
私的には、マレーが60%:ニコルズ40%の割合で合作ですが、見方によってはマレー70%:ニコルズ30%の割合とも取れますね‼️🤗
声😢
88年のマクラーレンホンダは全戦優勝したと言っていいくらい圧倒的な強さでした。
なにしろ他チーム全て周回遅れにしたレースもあったからね、
ポルシェはこの頃からレース部門だけでなく市販車部門も酷い状態になっていきましたね。 倒産寸前まで行ってしまいトヨタが間一髪の所で救ってあげてましたね、
その後のポルシェの大躍進を見ると、日本人として鼻が高いです。