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親父が、紋次郎の撮影カメラマンでした。親父とは、疎遠でしたがこうして、親父の生きた証のものがあるのは、嬉しいです。
撮影時の話など聞いていましたか?
@@スーパージェッター1958 撮影の時、電線、タバコの吸い殻が映らないように、気をつけていたそうです。親戚も映画監督をしておりましたので、時代劇の撮影は、苦労したみたいです。
貴重なお話ありがとうございます。この作品はまさにお父様の形見であり遺産ともいうべきものですね。画面の反対側にお父様は生きていらっしゃいます。昔は今ほど高い建物がなかったとはいえ、撮影場所やカメラワークには大変なご苦労があったと思います。逆にCGで簡単に修正できてしまうにも関わらず、皮肉にも時代劇そのものが作られなくなってしまった現代はなんだか味気ないですね。
市川作品のカメラマンというだけでもう大変な方ですね!!監督の頭の中にある絵をきちんと切り取るというのは大変な作業でしょう・・・お父様のお仕事は現時点で50年生きて、そしてまた生きていくのでしょう。
@@Phd0628 ありがとうございます。
おせっかいな水戸黄門より、誰にも関わりたくなくても、最後は関わってしまう紋次郎がカッコ良かった。
印籠よりカッコいい長楊枝。
そうそう、「あっしには関わりねえことでござんす」と言いながら。曲が1970年代の日本だなあ。
私はこの時代劇そしてドラマを超えるものに未だに出会えていない差別されているが仁義は捨てきれない無宿者がただ力強く己を貫き歩みいつか訪れる死へ向かい生き続ける決して仁義を成すことも幸福につながるとは限らないむしろ裏目に出る事もあるしかし紋次郎は生き歩み続けるいつかは出会う自分を待つ人や安らぎを求めてきっとそれは叶わないものと思い知ったとしても
「あっしには関わりのねぇことで」と言いながら、最終的には思いっきり関わってしまうのが紋次郎。
しかも、濃くね。
時代劇の主題歌といえば演歌や歌謡曲が多い中でウェスタン風のフォークを持ってくるというセンスそしてそれが作品にこれ以上ないほど絶妙にマッチしている。
中学生の時、父と見てました。渡世人の刀はソリが無い。切るんじゃなく刺すから!と父は得意気に言ってたなぁ。竹ひごで長い楊枝を削っては咥え飛ばしてた。でも上手く飛ばない!紋次郎、カッコいい!だった。あんなドラマ、もう観れないのかね…裏番組は必殺仕置人だったかな?クラスメイトは皆仕置人だった。
今どきの地上波の連ドラにこんなテーマソング無いでしょwどんだけ熱い時代だったんだww
時代はかわるとは言いますが、なんて良い時代に、なんて楽しい時代に生まれた事かを感じるこの頃です。
還暦をとっくに過ぎた者です思春期にこれほどの熱いドラマを見られたことに感謝感謝
今晩は。ロケハンの素晴らしさ。1970年代と言えば、石原プロ御用達の住宅地建設ブーム、そんな中で、無舗装の道路や、電線の無い風景を探すのは至難の技だったと思います。今、ミトラさんとかが、あちこちの田園風景とかアップしてくださっているのですが。やはり、この紋次郎時代とは行かないようです。 頑張ってください。
僕が中学2年生の時に放送していました。今、65歳になってこの歌の歌詞が心に響きます。♪どこかで誰かがきっと待っていてくれるこれは、頑張って生きていればきっといいことがある。そんな詩に感じます。
時代劇らしからぬ爽快で豪快なメロディー、とにかく素晴らしい。中村敦夫さんがとにかくかっこいいのよ。
『少年の日の思い出』58年生まれ、中学二年。「紋次郎」の生き方に憧れた。同じ目標なら、他人とは違う道を走り歩いてめざす、という性分が身に付いた、大人としての自覚が生まれ、これからの生き方の指針をくれた人です。以来、何かと苦悩の局面に出会したとき「紋次郎」を鏡に映してきた。66歳の今でも。
自分も同じ時代を生きた。抜忍、夙のカムイもそうだったけど、こういうドラマや漫画を読んで育って、いまの自分があると感じる。
ヨーロッパの森なんかで良く解からない所を歩いている時に、元気を出すために歌ってました!
常に暗く独特な市川崑の映像の世界において、子供ながらこの歌にどこか救われた想いがしていた。当時の映像や感覚が蘇ってくる。
今は芸人頼みのバラエティーばっかで、滅びを待っているテレビだけど、昔は上質なドラマが多かったんですよね~
まったく同感です❤最近のテレビのドラマは まったく何もかん時ません❗️
Мне кажется что это общемировая тенденция. Хотя быть может я слишком стар
ゲストの俳優陣も素晴らし俳優さんばっかり!芥川さんのナレーションも泣けました!オープニングの曲と映像から没入でした。あ~、いつまでも語れる😄
この曲大好きです 情けなくなった自分の時に聴く事が多いです 木枯らし紋次郎が生きた時代は本当に日本であった事でしょ1日生きるのがどれ程過酷な時代だったか現代なんかその時代に比べたらぬるま湯に浸かってる様な物ですよね だから時代が違っていたら生きるというのが命がけだったこの時代の事を思って頑張らないといけないですよね 孤独だけど我が道を行くこの気持ちは見習わなくては素晴らしい曲です
毎日毎日1972年版の木枯し紋次郎の録画を見ています。私は中村さんの出演された時代劇の中で木枯し紋次郎が一番好きです。若き日の中村さんが最高にカッコイイ!この時のスタッフの職人技の凄さがひしひしと画面から伝わってきます。社会現象を起こした歴史に残る傑作所大劇万歳!
昔はアニメやウルトラマンシリーズとかドラマのテーマ曲もすべて全力でいいものを作ろうとしてる情熱を感じるね
まさに!!まさに!!
昔はTVが老若男女の共通の楽しみだったからでしょう。今は全く違いますね。
今は日本人と違う感性のテレビばかりで もう木枯らし紋次郎は 今や日本の宝です永遠に不滅です‼️
「あっしには関わりのないことでござんす」と突き放しても、根が人の好い紋次郎さんが毎回トラブルに巻き込まれ、ギリギリの窮地を素早い判断力と腕で切り抜けていきました。中村紋次郎さんがカッコ良かったです!
歌も原作も俳優も監督も全てが揃ってた。あの頃のよき日は二度と戻らない。
日本は貧乏になってきてるので、ハングリー精神に溢れた人がまた出て来ますよ
1:20 、この三味線弾きの女旅芸人の横顔の間に、旅往く紋次郎の後ろ姿を入れる…この構図が最高に素晴らしいね✊️😃✨️❗️この見事なアングル見るだけでこの「木枯らし紋次郎」のクオリティーが伝わってくるし、世界観が一瞬で判る、多くを語らない…素晴らしいワンシーン☝️😊✨️‼️
放送当時は、新人で無名の中村敦夫さんを主人公に持って来たことが、挑戦でしたねぇ。しかも、放送時間が土曜日の夜10:30分から1時間で放送と言う挑戦的な行動には、ビックリしました。それが大ヒットして、社会現象にもなった事も記憶しています。市川崑劇場として、アウトロ-を主人公に持って来るとは・・・!!驚きました。
僕は中村さんの紋次郎が1番好きです。茶づけの食べ方、太刀の必死のモガキ方はリアルで格好つけない所が好きでした。
はい、確かにそうでしたね。某喫茶店で、市川さんが中村敦夫さんを呼んで、入って来た中村さんの姿を一目見た瞬間に、コイツに決めた!!ってのが、天才的でしたねぇ。
あっしには、かかわりござんせん、と言いながら、結局、かかわる
まさしくその通りです。定かでない。笑😊😂😊
私は雷蔵ファンで市川崑監督の映画を何本も見ましたが、雷蔵が亡くなった時、桜の舞い散る下で円月殺法をやらせたかったと言っておられた後で、今までと全く違う時代劇を作ると言われました。それでどんなものかと待っていたら、紋次郎で、びっくりしました。しかし、流石に当時日本一とも言われた大映時代劇製作スタッフ、作品の出来も見事!テーマ曲も素晴らしい!高度なテクニックを使った編曲に唸りました。
群馬県出身者としては、「是より藤岡宿」って道標が泣ける。藤岡は母の故郷。
家の親父が時代劇大好きで、水戸黄門や金さん、大江戸捜査網等を観ていました。しかし、紋次郎の殺陣のシーンが、本当の切り合いだと話してました。
今になって心に響く、涙が溢れんばかりに心が死ぬまで歩いてきた、まだこの歌が待っていてくれる、ホッとする年を重ねるごとにどんどん意味は変わってくよ30年後にまた戻ってきて欲しい、分かるから
もうこんな時代劇はないだろう。
「どうする家康」じゃ、足下にも及ばない。
演じられる役者がいないと思う。江口洋介で最後か・・・😢
家族で観てました。懐かしくて涙が出てしまう。
「おめえさんのことは、思い出しもしやせんが、忘れもいたしやせん。」
ファーストシーズンの7話目のおしのさん。かな?
十朱幸代いい話でした。
あっしにはかかわりのねぇことでござんす。
昭和40年代テレビ時代劇全盛期の頃ですねー とにかく オシャレ😎な時代劇で 古さ全く感じないのよ 新鮮な時代劇丁寧なロケーション撮影山間 獣道 農家の納屋 大道具 小道具 美術 照明 脚本配役 キヤステング 又ゲスト出演の女優さんの メイキャップ 衣装凄く 綺麗 巨匠 市川崑先生に 感謝感激です 木枯らし紋次郎超!一流品時代劇🎉
自分の中では「木枯し紋次郎」は時代劇の最高傑作だと思っている。オープニングテーマ最高だし。
大江戸捜査網も良いですよね。
@@力弥堀川 「木枯し紋次郎」の舞台は「大江戸捜査網」の40数年後。
@@TATANKA-nf4ck 大江戸捜査網にそんな微細な時代設定があったのですか?
@@masahiromitani9214 寛政6年(1794)ぐらいかと。松平定信の時代。にもかかわらず、リボルバーの拳銃が出てくる。リボルバーはそれこそ、紋次郎の時代(天保年間/1830年代)に欧米のどこかで発明されたはず。
私の中でも時代劇ドラマの中では最高ですが、私が29才の時、NHKで、粋のいいヤツと言うドラマかありました。素晴らしいドラマでした。私の中では紋次郎以上のドラマです。
男の渋さカッコ良さ、こんなドラマは観られないのか。
こんな時代に、たくましく生きてこられた先人たちがいて、今の私たちがいるんですよね・・・
今観ても興奮と感動するドラマ。古いのに斬新で切なくて格好よくて懐かしくも新しい 音楽も歌も最高。 ウェスタン時代劇?
最近、故あって観る様になったのですが、毎回紋次郎のカッコよさに痺れますね。無口で強くて、筋を通して人知れず去ってゆく。男の生き方の一つの理想ですね。誰の指図も受けず自分の責任であえて孤高を貫き通す。古今東西のヒーローの要素が全部詰まっていると思います。この主題歌も寂寥の中にあって、優しさを捨てられない紋次郎のテーマとして名曲だと思います。
それまでの、主人公が困っている人を率先して助けるのではなく、最初は「あっしには関わりのねえこって・・・」と一度は関わらないようにする。 しかし、問題は向こうからやってきて、結局は関わってしまう。 たしかに人生なんてそんなものだと思う。なんかリアリティのある物語でした。
この偉大な曲が、同じ長野出身の上條恒彦さんが歌っているのが誇りです。もちろん、作品にもマッチした熱い名曲です
小学校低学年の時に親父にせがんでレコード買もらったのを思い出します❗親父もこの曲好きで良く聴いてました✨懐かしい、、
今、思い返しても日本の原風景の美しいシーンがよみがえる。もう、失われた景色もあるのではないだろうか?そして紋次郎は他人に関わらないスタンスを貫き通そうとしながらも、時として優しさが止まらずにかえって仇となることもしばしばだったと思う。幼少の頃親に口減らしのために殺されそうになったとき、姉に助けてもらった記憶から人の優しさを捨てきれずにいるからだ。期待はしていないが、捨てきれもしない。いつも、自身の中でその葛藤がある、単純ではない人物像を中村敦夫さんが見事に演じていたように覚えている。人間の醜いところ、内面も良く表していたし、ゲストの女優たちも懐かしい。
時代劇なのにマカロニ・ウェスタン風の曲調が見事にハマってる👏✨
昭和はもう 戻って来ない 昭和ど真ん中世代の私達は TH-camにある キラキラしたあの時代の断片を集めて 感慨にふけるしかない 死にゆく時 駆け巡る記憶のフィルムが昭和時代のセピアカラーであって欲しい
市川崑渾身のタイトルバック。あれを 見るだけでも価値がある。
使い込まれた刀と旅の道具(これがまたきれいに整理されて収納されている),笠や道中合羽のくたびれ具合など細かい部分も見入ってしまう。それに渋いセリフの数々。一番気に入っているのは,「行く当てもねえ旅でござんすが,道は急ぐものときめてるんで」。
2000年頃、少人数の講演会に国会議員として熱く日本を憂いて語っていました❗️ナイスガイでした。激動の2024年から日本🗾から🌍再生できるかな⁉️
かっこええわあ。ほんまにかっこええ。
金ないモテない勇気ないの19歳の時、「日本人もハードボイルドができるんだ!」と欠かさず観ていました。30年後、中村敦夫さんと知り合って、『ウルトラセブン』のアンヌ隊員ことひし美ゆり子さんと一緒に飲んだり(敦夫さん、彼女に絡まれてました)、2人で5時間も飲んで語り合い、「今日は楽しかった」と笑顔で別れたのは忘れがたい思い出です。人生の出会いとは不思議なものです。
風のなかで生きてると 嬉しい事にも出逢える。
すごい思い出があつたんですね。当時私は高校でした。毎週見てました。今現在も見てますよ。
素敵なエピソード、ありがとうございます。
ほほ〜、イイっすね
紋次郎の名台詞。昔に自分を助けてくれた医者の娘に淡い恋をした紋次郎が、女郎になったその娘と再会し、別れ際に「あんたの事は思い出しやしゃせん。でも、決して忘れやしゃせん。」この台詞が今も強烈に記憶に残ってますわ。
政治家としてはクソしょうもない奴だったけどね。選択的夫婦別姓には賛成、日の丸・君が代には反対。これだけでも、どんな思想の奴だったのかということがよく分かる。
@@埼玉原人 へオマエのコメントがオオグソ💩やな。
その娘、当時は確か5歳。
@@埼玉原人何処の中韓の手先っすか?戸籍破壊して背乗り推進するんすか
アンタが糞だよ@@埼玉原人
海外の連中もこういう孤独なダークヒーロー好きだからな
「どこかで誰かが、きっと待っていてくれる」この一言が、どれだけ励ましてくれたか知れない。それは今も続いている。
紋次郎は決して滅茶苦茶強い剣豪では無い所が人間臭くて好きです。
中学の頃よく歌ってた。紋次郎は正義では無く、生きるために人を斬るかっこ良くない所が、かっこいい。
破れ傘に縞の消えかけた合羽だが 手甲脚絆はしっかり付けている 朱鞘の長ドスは鏢(こじり)ががっちりと大きく これが唯一の値打ち物に見えた そんなナレーションを覚えているぞ
中村敦夫がめちゃめちゃかっこいいな。こんな時代劇、もう一度作ってほしいもんだ。
一般的な時代劇のこうくればこうする的な殺陣では無いこのドラマが好きでした。
「市川崑劇場」と銘打ってましたね。ファーストシーンのスローモーション、コマ割など新鮮でしただから市川崑が降りて(「続」まで)、「新」はちょっと質が落ちる。主題歌も違うし
小学生の頃でしたが、なんとなく郷愁を感じます。当時は、こんな大人の世界?に理解できない部分もありましたが...無常観、ドライ、そんな情緒がよいですね。
紋次郎の剣は決して強くなかったが、必死でがむしゃらに向かっていくところが素晴らしかったです。不器用も武器になると教わりました。
クールでドライな紋次郎のキャラクターに対して、このオープニングは真逆の印象を受けるけど、そこが凄くいいですね。この対比が紋次郎の内面をよく表現しているんじゃないかなと思います。とにかくこの時代劇は素晴らしすぎます。
上條恒彦さんのバックで演奏したことがあります。声量の凄さに驚きました。
おおっ、自由が丘かどこかで、関係者かファンが営んでいた、六文銭という店があったことを思い出しました。
ただただ、羨ましい。一生の財産ですね!
この頃はハンドマイクのヘッドを持って歌う人はいなかったから今の歌手は太刀打ちできないでしょ。
太秦で時代劇のアシスタントスタッフだった頃に、打ち上げの宴席で歌って頂きましたね🎵
今から50年程前、木枯し紋次郎がTVで人気番組となったころ親戚に文次郎(もんじろう)というおじさんがいてそれまでどうということのない人だったが、何となくカッコよく見えたの思い出しました。
日本の美しい自然を感じさせてくれる作品でもあった。小学生ながら心はすでに木枯し紋次郎であった
ホント、いい按排で山間風景のカット入れてくる良い編集
同感関わりはないと言いながら巻き込まれる不幸な人戦いかたもスマートではなかったですね。
この番組をみて中仙道巡りをする様になりました。
都会の人はどうかは知らないけれど、田舎に行くと古びた神社やお寺があっちこっちにあって今でもそこから紋次郎が出てきそうな場所が沢山ある。寂しさと懐かしさと情緒があり、ハマったドラマ。
@@yoropiku100 まだまだ時代劇に出て来そうな風景あります。渓流沿いの細い道とか、人工植林ではない山の風景とかありますよ。茨城北部の山間地なんか多いです。良く行きますが、人がいなくて風情あります。ガイドブックの観光地よりよっぽどいい。
すごく懐かしい。小さくて覚えてないけど。この歌は覚えてる。
中村さんのこの横顔素敵ですね。
昔々リアルタイムでドラマを観ていました。紋次郎はこんにゃくが苦手です。何故ならば兄弟が生まれると口減らし(貧乏で食費を減らす)のためこんにゃくで乳児を窒息させ・・・残酷ですがドラマの中で紋次郎が言っています。少年でしたが当時すごいショックでした。21世紀の現在でもこんな親が現存するのが恐ろしい。
しばらく前、勝新の座頭市の再放送してたが、昭和40年代の地方の山河の映像って、日本の宝物だなぁ。あの頃の原風景的な日本の映像は後世まで残して欲しい。
TAKRAMAKAN
映像記録としてしか残って無いのが残念です。
撮影て使用する予定だった太秦の時代劇セットが大映の倒産で使えなくなったので、やむを得ずロケに頼らざらなくなったのが、逆にリアリティーを増したと言われていましたね。
藤岡宿 其処から北東に赤城山 麓には忠治と大前田英五郎の出生地 国定 村と宮城村大前田の地名があるはず?暫く南西方向へ降れば懐かしい!……!
はじめはおとなし目のギター、ベース、ドラムス程度の伴奏が2コーラス以降壮大なフルオーケストラになってボーカルに覆い被さってくる(そしてそれをはねつけるような上條恒彦のボーカル力!)。まるで孤独な主人公に世間の荒波がおしよせてくるような神アレンジ。
貴方は言葉による表現力が素晴らしいですね。また、音楽の事も詳しいですね。しかし、「だれかが風の中で」っていう唄の題名はなぜ「だれかが…」の所を「誰かが…」にしなかったんでしょうかね?
@@Eひでやん (誰かが)だと硬いからじゃないでしょうか?何かの解説文ではあるまいし、歌う事を前提にした詞なので柔らかな表現の方が好ましいと思われたのではないでしょうか?
この日本の原風景が残っている地域は無いだろうな。もう2度とこの様なOPは作れないだろう。
毎回のお話が、ハッピーエンドとは限らず、なにか悲しい、闇のにおいがするエンディングが子供心に特別感を抱かせる番組でした。上条恒彦さんの壮大な歌いっぷりにもグッとくるものがあります。紋次郎の食事シーンで、中村敦夫さんの、おかずも、みそ汁も、全てごはん茶碗にぶちまけ、ぐりぐりかき混ぜて、にぎり箸でかっこむ演出がすごかったです。土曜の夜10時が楽しみな中学生でした。
当時日本最高レベルの大映の製作スタッフ。美術、カメラ、監督などクレジットを見るだけで、ため息が出ます。中村敦夫のクールな佇まいが作品にジャスト、マッチしてました。素晴らしい作品です。
このかっこよさ、今のZ世代に理解して欲しいな〜紋次郎にはSNSの承認欲求なんてないですわ^_^
理解してくれる若者達がいると思います。日本人の精神が有れば😊
レンタルおちのビデオすり切れるくらいみました。原作も読み込みました。舞台が近所であることもあり聖地巡礼してます。本当に大好きです。
生きてゆくための力をくれる...こんな物語が現代にも欲しい...
誰もにも頼らず自らの力のみを頼りにして生きてゆくための。
私も、このドラマにはずいぶん助けられました。挫けそうになった時も、力を与えてもらいました。
生きるための力…そうですよね。
力はあるのだが、今の時代希望が無いのよ
けれども、どこかで、お前は待って、いてくれる…その宛のない…待っていてくれる人を求めて、今日もオレは、旅を一人…🍃>>>>>(;-_-)ゞ
あっしには明日はねぇんでござんす私を支えた紋次郎の言葉です
分かります❗️今日1日精一杯生きて行きたいたいです‼️
紋次郎は、別に超人的な剣術を持っているわけでなくむしろ不器用。でも、自分の信念に従って愚直に生きているのが好き。この紋次郎のテーマ曲には、同じイメージの上条恒彦さんはぴったりです。
原作読む前に観たから、原作はずっと中村敦夫さんの紋次郎でした。
無口な男が好きでした
久しぶりに「だれかが風の中で」を聴き、敦夫さんの紋次郎を見てたら、涙が溢れてきた。世間からの理不尽な仕打ちにも独り耐え、時に人を助けても、渡世人ゆえ感謝もされなかったりする。「御免なすって」と背を向けて立ち去ってゆく。そこに、中学生だった私は、人生に師を見出す思いでした。紋次郎さんの生き様は、今でも私の心の灯火として生きています! 敦夫さん、ありがとうございました。
同じです。久しぶりにこの曲を目を閉じて聞き入ってると自然と涙が溢れてきます。
江戸時代版ハードボイルド。
同じく。完全なる同世代です。
頑張れや~‼️
中学生でよくそれだけ洞察して観れたんだなーと尊敬する。私は小学5年だったせいか、ただ無口ニヒルしか感じ取れなかった。クラスの男子達の口癖になってました。あっしには関わりごじゃいませんって
あれ?見てないから知らないだろうなと思ったら、なぜか聴いた事がある。CMで流れていた気がする。
この曲をオリジナルの音声で、しかもフルでアップしてくれたのは、本当に嬉しい!!!
最後は、人間力だな。
何年経っても忘れられない。市川崑の映像美と中村敦夫のクールな主人公🦅
超久し振りに聴きに来ました。その昔、今は亡き「アルフレックス」というメーカーの「木枯し紋次郎」のフィギュアを買ったのが懐かしい。
どこにも故郷は無い、泣く奴は誰だ!この上何が欲しいっ!!て所で毎回泣いてしまう
本当にそう思います。全て素晴らしい歌詞ですが、私はこの部分が一番好きです。
まったく同感ですね、懐かしい❗紋次郎
その部分も好きですが、同じくらい好きな部分が《痛みは生きている印だ》です還暦前ですが、色々あるたびにこの部分が支えになりました
私はもう還暦を超えましたが、自分はなにをいいたいにゃろうとおもいます。
上條恒彦さんの歌うこの主題歌が好きでレコードを買いました😊 中村敦夫さんがはまり役で、メチャメチャカッコよかったです😆👍✨ 木枯し紋次郎はまったく笑顔を見せない役柄でしたので、ドキュメンタリー番組に出演されていた中村敦夫さんが、笑っているのを見て安心しました😃
幼児期に今は天国にいる父母と聴いた遠い遠い淡い思い出有ります日本人は原点に暖かい淡い思い出や記憶 悲しい気持ちを大事に締まってるんですね若い世代にもスマホ世代の若い人にもこんな良さを知って欲しい
あっしには関わりのないことで御座んすよと言いつつ関わる紋次郎に人間を感じました❗❤🎉🎉
上條恒彦さん🎵木枯し紋次郎もだけど、めちゃくちゃに懐かしいなぁ😆このカッコ良さ、今の時代にはない楽曲や歌声だと思えちゃう
さっきまで放送してたNHKのアナザーストーリーから飛んできました💓💓💓紋次郎も、この歌も超ステキ🎉明日から🎹練習してストピで弾こ😊
仕事で苦しくて辛いとき、「雲は焼け・・・」と口ずさんでる。凄く好きな詞と曲と歌唱。
木枯し紋次郎の人を切る時は、中々斬らずかっぱも脱がず編笠も取らず、逃げ回ってやっと斬るそれが、本当だと思うその斬り方が実際の斬り方で在るなら、木枯し紋次郎は最高の無宿者だと思う。
小学生の時に親に木枯し紋次郎ゲームを買ってもらった。調子に乗って学校の先生に怒られた時に「あっしには関わり合いのないことでござんす」と言ったら親に態度が悪いと連絡され、買ってもらった木枯し紋次郎ゲームを取り上げられてしまって一晩泣いた記憶がある。
木枯らし紋次郎ゲーム!ww😆授業中に爪楊枝くわえて、学友に向かってプッとやらかしたとか??
PCもスマホもGPSも無かったが、度胸と張ったりと根性があって日本人は今よりスケールが大きい人が多かった…日本人がつまらないダメ人間になったのはヘラヘラと他人に媚び、楽して無難に生きる事ばかり考えて、自ら挑戦して冒険する決意を捨ててしまった事が大きいと感じます。
ハッタリしてる時点で小さいわ
中村敦夫さんは大学の先輩です。型にはまらない姿勢、世界を舞台にした活動に敬意を表します!
中村敦夫はこれで売れなかったら、俳優を辞めるつもりだったらしいですね
人生が水戸黄門や遠山の金さんの様な勧善懲悪ではないというのを子供心に教えてくれたドラマでした。
木枯らし紋次郎は座頭市と同じでリアルなんですね。その姿もきらびやかかでなく雨風に打たれた三度傘、道中河童無宿人を市川昆監督は当時の姿を再現されてある。
残酷なところ、貧乏で、どうにもならないところ、市川昆さんは本当にリアリティーそのままに撮っていました。もうこんなドラマは絶対にない。
確かに、世の中、理不尽で出来ていると、子供ながらに心に訴えかけられる作品でしたね💦
それなら桃太郎侍は冗談でしかない。
あの番組はファンタジーだから、丸っきりカテゴリーが紋次郎とは違いですよね。
子供の頃、親父の車の中でよく聴かされました(当時のいわゆる8トラってやつ)。あと、ラーメン食べた後スープの中に白飯ぶっ込んで食べたり・・・😊
この歌を聴くと、何故か込み上げてくる物が…昭和…良い時代でした
日本の高度経済成長終息期の勤労者の心象風景だったような気がする。だれも待ってはいなかったわけだけど。
時代劇、爪楊枝をくわえ、三度傘、マントに刀をさし、いつぷ代わった渡世人、人との、巻き込まれを裂け、あつしには、関わりのねえことでござんす。と、人と関わりたくないとこの時代劇がないのが、今は作られないですね。爪楊枝を飛ばし、このようなドラマまた、観たいです。
NHKのアナザーストーリーからきましたこの曲きいたことあるが紋次郎だったのか
男はこういうもんだと思ってた
😊
男は黙ってサッポロビール😊
上条恒彦はんの声とオーケストラが躍動して最高やね👍中村敦夫さんのあっしにやあかかわりのねえこってとしながらも毎回深くかかわるクライマックスシーンもたまらんカッコエエンヨ🌟🌟🌟🌟🌟
「木枯し紋次郎」を見ては、つまよじを飛ばしていた頃が懐かしいね!このドラマの素晴らしいさとこの歌の最高のコラボですね(^_-)-☆ 中村敦夫さん上條恒彦さんありがとう。そしてこのドラマと歌を作ってくださったスタッフの皆様にも感謝です。
これこそ正に、男の中の男やね✨風来坊、格好いい!こうした生き方憧れます。
親父が、紋次郎の撮影カメラマンでした。
親父とは、疎遠でしたがこうして、親父の生きた証のものがあるのは、嬉しいです。
撮影時の話など聞いていましたか?
@@スーパージェッター1958
撮影の時、電線、タバコの吸い殻が映らないように、気をつけていたそうです。
親戚も映画監督をしておりましたので、時代劇の撮影は、苦労したみたいです。
貴重なお話ありがとうございます。
この作品はまさにお父様の形見であり遺産ともいうべきものですね。
画面の反対側にお父様は生きていらっしゃいます。
昔は今ほど高い建物がなかったとはいえ、撮影場所やカメラワークには大変なご苦労があったと思います。
逆にCGで簡単に修正できてしまうにも関わらず、皮肉にも時代劇そのものが作られなくなってしまった現代はなんだか味気ないですね。
市川作品のカメラマンというだけでもう大変な方ですね!!監督の頭の中にある絵をきちんと切り取るというのは大変な作業でしょう・・・お父様のお仕事は現時点で50年生きて、そしてまた生きていくのでしょう。
@@Phd0628 ありがとうございます。
おせっかいな水戸黄門より、誰にも関わりたくなくても、最後は関わってしまう紋次郎がカッコ良かった。
印籠よりカッコいい長楊枝。
そうそう、「あっしには関わりねえことでござんす」と言いながら。曲が1970年代の日本だなあ。
私はこの時代劇そしてドラマを超えるものに未だに出会えていない
差別されているが仁義は捨てきれない無宿者がただ力強く己を貫き歩みいつか訪れる死へ向かい生き続ける
決して仁義を成すことも幸福につながるとは限らないむしろ裏目に出る事もある
しかし紋次郎は生き歩み続ける
いつかは出会う自分を待つ人や安らぎを求めて
きっとそれは叶わないものと思い知ったとしても
「あっしには関わりのねぇことで」と言いながら、最終的には思いっきり関わってしまうのが紋次郎。
しかも、濃くね。
時代劇の主題歌といえば演歌や歌謡曲が多い中でウェスタン風のフォークを持ってくるというセンス
そしてそれが作品にこれ以上ないほど絶妙にマッチしている。
中学生の時、父と見てました。渡世人の刀はソリが無い。切るんじゃなく刺すから!と父は得意気に言ってたなぁ。竹ひごで長い楊枝を削っては咥え飛ばしてた。でも上手く飛ばない!紋次郎、カッコいい!だった。あんなドラマ、もう観れないのかね…
裏番組は必殺仕置人だったかな?
クラスメイトは皆仕置人だった。
今どきの地上波の連ドラにこんなテーマソング無いでしょw
どんだけ熱い時代だったんだww
時代はかわるとは言いますが、
なんて良い時代に、なんて楽しい時代に生まれた事かを感じるこの頃です。
還暦をとっくに過ぎた者です
思春期にこれほどの熱いドラマを見られたことに感謝感謝
今晩は。ロケハンの素晴らしさ。1970年代と言えば、石原プロ御用達の住宅地建設ブーム、そんな中で、無舗装の道路や、電線の無い風景を探すのは至難の技だったと思います。
今、ミトラさんとかが、あちこちの田園風景とかアップしてくださっているのですが。やはり、この紋次郎時代とは行かないようです。 頑張ってください。
僕が中学2年生の時に放送していました。今、65歳になってこの歌の歌詞が心に響きます。
♪どこかで誰かがきっと待っていてくれる
これは、頑張って生きていればきっといいことがある。そんな詩に感じます。
時代劇らしからぬ爽快で豪快なメロディー、とにかく素晴らしい。中村敦夫さんがとにかくかっこいいのよ。
『少年の日の思い出』58年生まれ、中学二年。「紋次郎」の生き方に憧れた。同じ目標なら、他人とは違う道を走り歩いてめざす、という性分が身に付いた、大人としての自覚が生まれ、これからの生き方の指針をくれた人です。以来、何かと苦悩の局面に出会したとき「紋次郎」を鏡に映してきた。66歳の今でも。
自分も同じ時代を生きた。抜忍、夙のカムイもそうだったけど、こういうドラマや漫画を読んで育って、いまの自分があると感じる。
ヨーロッパの森なんかで良く解からない所を歩いている時に、元気を出すために歌ってました!
常に暗く独特な市川崑の映像の世界において、子供ながらこの歌にどこか救われた想いがしていた。当時の映像や感覚が蘇ってくる。
今は芸人頼みのバラエティーばっかで、滅びを待っているテレビだけど、昔は上質なドラマが多かったんですよね~
まったく同感です❤最近のテレビのドラマは まったく何もかん時ません❗️
Мне кажется что это общемировая тенденция. Хотя быть может я слишком стар
ゲストの俳優陣も素晴らし俳優さんばっかり!芥川さんのナレーションも泣けました!
オープニングの曲と映像から没入でした。あ~、いつまでも語れる😄
この曲大好きです 情けなくなった自分の時に聴く事が多いです 木枯らし紋次郎が生きた時代は本当に日本であった事でしょ1日生きるのがどれ程過酷な時代だったか
現代なんかその時代に比べたらぬるま湯に浸かってる様な物ですよね
だから時代が違っていたら生きるというのが命がけだったこの時代の事を
思って頑張らないといけないですよね 孤独だけど我が道を行くこの気持ちは見習わなくては
素晴らしい曲です
毎日毎日1972年版の木枯し紋次郎の録画を見ています。私は中村さんの出演された時代劇の中で木枯し紋次郎が一番好きです。若き日の中村さんが最高にカッコイイ!この時のスタッフの職人技の凄さがひしひしと画面から伝わってきます。社会現象を起こした歴史に残る傑作所大劇万歳!
昔はアニメやウルトラマンシリーズとかドラマのテーマ曲もすべて全力でいいものを作ろうとしてる情熱を感じるね
まさに!!まさに!!
昔はTVが老若男女の共通の楽しみだったからでしょう。今は全く違いますね。
今は日本人と違う感性のテレビばかりで もう木枯らし紋次郎は 今や日本の宝です永遠に不滅です‼️
「あっしには関わりのないことでござんす」と突き放しても、根が人の好い紋次郎さんが毎回トラブルに巻き込まれ、ギリギリの窮地を素早い判断力と腕で切り抜けていきました。
中村紋次郎さんがカッコ良かったです!
歌も原作も俳優も監督も全てが揃ってた。
あの頃のよき日は二度と戻らない。
日本は貧乏になってきてるので、ハングリー精神に溢れた人がまた出て来ますよ
1:20 、この三味線弾きの女旅芸人の横顔の間に、旅往く紋次郎の後ろ姿を入れる…
この構図が最高に素晴らしいね✊️😃✨️❗️
この見事なアングル見るだけでこの「木枯らし紋次郎」のクオリティーが伝わってくるし、世界観が一瞬で判る、多くを語らない…素晴らしいワンシーン☝️😊✨️‼️
放送当時は、新人で無名の中村敦夫さんを主人公に持って来たことが、挑戦でしたねぇ。しかも、放送時間が土曜日の夜10:30分から1時間で放送と言う挑戦的な行動には、ビックリしました。それが大ヒットして、社会現象にもなった事も記憶しています。市川崑劇場として、アウトロ-を主人公に持って来るとは・・・!!驚きました。
僕は中村さんの紋次郎が1番好きです。茶づけの食べ方、太刀の必死のモガキ方はリアルで格好つけない所が好きでした。
はい、確かにそうでしたね。某喫茶店で、市川さんが中村敦夫さんを呼んで、入って来た中村さんの姿を一目見た瞬間に、コイツに決めた!!ってのが、天才的でしたねぇ。
あっしには、かかわりござんせん、と言いながら、結局、かかわる
まさしくその通りです。定かでない。笑😊😂😊
私は雷蔵ファンで市川崑監督の映画を何本も見ましたが、雷蔵が亡くなった時、桜の舞い散る下で円月殺法をやらせたかったと言っておられた後で、今までと全く違う時代劇を作ると言われました。それでどんなものかと待っていたら、紋次郎で、びっくりしました。
しかし、流石に当時日本一とも言われた大映時代劇製作スタッフ、作品の出来も見事!テーマ曲も素晴らしい!高度なテクニックを使った編曲に唸りました。
群馬県出身者としては、「是より藤岡宿」って道標が泣ける。藤岡は母の故郷。
家の親父が時代劇大好きで、水戸黄門や金さん、大江戸捜査網等を観ていました。
しかし、紋次郎の殺陣のシーンが、本当の切り合いだと話してました。
今になって心に響く、涙が溢れんばかりに
心が死ぬまで歩いてきた、まだこの歌が待っていてくれる、ホッとする
年を重ねるごとにどんどん意味は変わってくよ
30年後にまた戻ってきて欲しい、分かるから
もうこんな時代劇はないだろう。
「どうする家康」じゃ、足下にも及ばない。
演じられる役者がいないと思う。江口洋介で最後か・・・😢
家族で観てました。懐かしくて涙が出てしまう。
「おめえさんのことは、思い出しもしやせんが、忘れもいたしやせん。」
ファーストシーズンの7話目のおしのさん。かな?
十朱幸代
いい話でした。
あっしにはかかわりのねぇことでござんす。
昭和40年代テレビ時代劇全盛期の頃ですねー とにかく オシャレ😎な時代劇で 古さ全く感じないのよ 新鮮な時代劇丁寧なロケーション撮影山間 獣道 農家の納屋 大道具 小道具 美術 照明 脚本配役 キヤステング 又ゲスト出演の女優さんの メイキャップ 衣装凄く 綺麗 巨匠 市川崑先生に 感謝感激です 木枯らし紋次郎超!一流品時代劇🎉
自分の中では「木枯し紋次郎」は時代劇の最高傑作だと思っている。
オープニングテーマ最高だし。
大江戸捜査網も良いですよね。
@@力弥堀川
「木枯し紋次郎」の舞台は「大江戸捜査網」の40数年後。
@@TATANKA-nf4ck
大江戸捜査網にそんな微細な時代設定があったのですか?
@@masahiromitani9214 寛政6年(1794)ぐらいかと。松平定信の時代。にもかかわらず、リボルバーの拳銃が出てくる。リボルバーはそれこそ、紋次郎の時代(天保年間/1830年代)に欧米のどこかで発明されたはず。
私の中でも時代劇ドラマの中では最高ですが、私が29才の時、NHKで、粋のいいヤツと言うドラマかありました。素晴らしいドラマでした。私の中では紋次郎以上のドラマです。
男の渋さカッコ良さ、こんなドラマは観られないのか。
こんな時代に、たくましく生きてこられた先人たちがいて、今の私たちがいるんですよね・・・
今観ても興奮と感動するドラマ。古いのに斬新で切なくて格好よくて懐かしくも新しい 音楽も歌も最高。 ウェスタン時代劇?
最近、故あって観る様になったのですが、毎回紋次郎のカッコよさに痺れますね。無口で強くて、筋を通して人知れず去ってゆく。
男の生き方の一つの理想ですね。誰の指図も受けず自分の責任であえて孤高を貫き通す。古今東西のヒーローの要素が全部詰まっていると思います。
この主題歌も寂寥の中にあって、優しさを捨てられない紋次郎のテーマとして名曲だと思います。
それまでの、主人公が困っている人を率先して助けるのではなく、最初は「あっしには関わりのねえこって・・・」と一度は関わらないようにする。 しかし、問題は向こうからやってきて、結局は関わってしまう。 たしかに人生なんてそんなものだと思う。
なんかリアリティのある物語でした。
この偉大な曲が、同じ長野出身の上條恒彦さんが歌っているのが誇りです。もちろん、作品にもマッチした熱い名曲です
小学校低学年の時に親父にせがんでレコード買もらったのを思い出します❗
親父もこの曲好きで良く聴いてました✨
懐かしい、、
今、思い返しても日本の原風景の美しいシーンがよみがえる。もう、失われた景色もあるのではないだろうか?そして紋次郎は他人に関わらないスタンスを貫き通そうとしながらも、時として優しさが止まらずにかえって仇となることもしばしばだったと思う。幼少の頃親に口減らしのために殺されそうになったとき、姉に助けてもらった記憶から人の優しさを捨てきれずにいるからだ。期待はしていないが、捨てきれもしない。いつも、自身の中でその葛藤がある、単純ではない人物像を中村敦夫さんが見事に演じていたように覚えている。人間の醜いところ、内面も良く表していたし、ゲストの女優たちも懐かしい。
時代劇なのにマカロニ・ウェスタン風の曲調が見事にハマってる👏✨
昭和はもう 戻って来ない 昭和ど真ん中世代の私達は TH-camにある キラキラしたあの時代の断片を集めて 感慨にふけるしかない 死にゆく時 駆け巡る記憶のフィルムが昭和時代のセピアカラーであって欲しい
市川崑渾身のタイトルバック。あれを 見るだけでも価値がある。
使い込まれた刀と旅の道具(これがまたきれいに整理されて収納されている),笠や道中合羽のくたびれ具合など細かい部分も見入ってしまう。それに渋いセリフの数々。一番気に入っているのは,「行く当てもねえ旅でござんすが,道は急ぐものときめてるんで」。
2000年頃、少人数の講演会に国会議員として熱く日本を憂いて語っていました❗️ナイスガイでした。
激動の2024年から日本🗾から🌍再生できるかな⁉️
かっこええわあ。ほんまにかっこええ。
金ないモテない勇気ないの19歳の時、「日本人もハードボイルドができるんだ!」と欠かさず観ていました。30年後、中村敦夫さんと知り合って、『ウルトラセブン』のアンヌ隊員ことひし美ゆり子さんと一緒に飲んだり(敦夫さん、彼女に絡まれてました)、2人で5時間も飲んで語り合い、「今日は楽しかった」と笑顔で別れたのは忘れがたい思い出です。人生の出会いとは不思議なものです。
風のなかで生きてると 嬉しい事にも出逢える。
すごい思い出があつたんですね。当時私は高校でした。毎週見てました。今現在も見てますよ。
素敵なエピソード、ありがとうございます。
ほほ〜、イイっすね
紋次郎の名台詞。
昔に自分を助けてくれた医者の娘に淡い恋をした紋次郎が、女郎になったその娘と再会し、別れ際に
「あんたの事は思い出しやしゃせん。
でも、決して忘れやしゃせん。」
この台詞が今も強烈に記憶に残ってますわ。
政治家としてはクソしょうもない奴だったけどね。選択的夫婦別姓には賛成、日の丸・君が代には反対。これだけでも、どんな思想の奴だったのかということがよく分かる。
@@埼玉原人 へ
オマエのコメントがオオグソ💩やな。
その娘、当時は確か5歳。
@@埼玉原人何処の中韓の手先っすか?戸籍破壊して背乗り推進するんすか
アンタが糞だよ@@埼玉原人
海外の連中もこういう孤独なダークヒーロー好きだからな
「どこかで誰かが、きっと待っていてくれる」
この一言が、どれだけ励ましてくれたか知れない。
それは今も続いている。
紋次郎は決して滅茶苦茶強い剣豪では無い所が人間臭くて好きです。
中学の頃よく歌ってた。紋次郎は正義では無く、生きるために人を斬る
かっこ良くない所が、かっこいい。
破れ傘に縞の消えかけた合羽だが 手甲脚絆はしっかり付けている 朱鞘の長ドスは鏢(こじり)ががっちりと大きく これが唯一の値打ち物に見えた そんなナレーションを覚えているぞ
中村敦夫がめちゃめちゃかっこいいな。こんな時代劇、もう一度作ってほしいもんだ。
一般的な時代劇のこうくればこうする的な殺陣では無いこのドラマが好きでした。
「市川崑劇場」と銘打ってましたね。ファーストシーンのスローモーション、コマ割など新鮮でした
だから市川崑が降りて(「続」まで)、「新」はちょっと質が落ちる。主題歌も違うし
小学生の頃でしたが、なんとなく郷愁を感じます。
当時は、こんな大人の世界?に理解できない部分もありましたが...
無常観、ドライ、そんな情緒がよいですね。
紋次郎の剣は決して強くなかったが、必死でがむしゃらに向かっていくところが素晴らしかったです。不器用も武器になると教わりました。
クールでドライな紋次郎のキャラクターに対して、このオープニングは真逆の印象を受けるけど、そこが凄くいいですね。
この対比が紋次郎の内面をよく表現しているんじゃないかなと思います。
とにかくこの時代劇は素晴らしすぎます。
上條恒彦さんのバックで演奏したことがあります。
声量の凄さに驚きました。
おおっ、自由が丘かどこかで、関係者かファンが営んでいた、六文銭という店があったことを思い出しました。
ただただ、羨ましい。一生の財産ですね!
この頃はハンドマイクのヘッドを持って歌う人はいなかったから今の歌手は太刀打ちできないでしょ。
太秦で時代劇のアシスタントスタッフだった頃に、打ち上げの宴席で歌って頂きましたね🎵
今から50年程前、木枯し紋次郎がTVで人気番組となったころ親戚に文次郎(もんじろう)というおじさんがいて
それまでどうということのない人だったが、何となくカッコよく見えたの思い出しました。
日本の美しい自然を感じさせてくれる作品でもあった。小学生ながら心はすでに木枯し紋次郎であった
ホント、いい按排で山間風景のカット入れてくる良い編集
同感関わりはないと言いながら巻き込まれる不幸な人戦いかたもスマートではなかったですね。
この番組をみて中仙道巡りをする様になりました。
都会の人はどうかは知らないけれど、田舎に行くと古びた神社やお寺があっちこっちにあって今でもそこから紋次郎が出てきそうな場所が沢山ある。寂しさと懐かしさと情緒があり、ハマったドラマ。
@@yoropiku100 まだまだ時代劇に出て来そうな風景あります。渓流沿いの細い道とか、人工植林ではない山の風景とかありますよ。茨城北部の山間地なんか多いです。良く行きますが、人がいなくて風情あります。ガイドブックの観光地よりよっぽどいい。
すごく懐かしい。小さくて覚えてないけど。この歌は覚えてる。
中村さんのこの横顔素敵ですね。
昔々リアルタイムでドラマを観ていました。紋次郎はこんにゃくが苦手です。何故ならば兄弟が生まれると口減らし(貧乏で食費を減らす)のためこんにゃくで乳児を窒息させ・・・残酷ですがドラマの中で紋次郎が言っています。少年でしたが当時すごいショックでした。21世紀の現在でもこんな親が現存するのが恐ろしい。
しばらく前、勝新の座頭市の再放送してたが、昭和40年代の地方の山河の映像って、日本の宝物だなぁ。
あの頃の原風景的な日本の映像は後世まで残して欲しい。
TAKRAMAKAN
映像記録としてしか残って無いのが残念です。
撮影て使用する予定だった太秦の時代劇セットが大映の倒産で使えなくなったので、やむを得ずロケに頼らざらなくなったのが、逆にリアリティーを増したと言われていましたね。
藤岡宿 其処から北東に赤城山 麓には忠治と大前田英五郎の出生地 国定 村と宮城村大前田の地名があるはず?暫く南西方向へ降れば懐かしい!……!
はじめはおとなし目のギター、ベース、ドラムス程度の伴奏が2コーラス以降壮大なフルオーケストラになってボーカルに覆い被さってくる(そしてそれをはねつけるような上條恒彦のボーカル力!)。まるで孤独な主人公に世間の荒波がおしよせてくるような神アレンジ。
貴方は言葉による表現力が素晴らしいですね。また、音楽の事も詳しいですね。しかし、「だれかが風の中で」っていう唄の題名はなぜ「だれかが…」の所を「誰かが…」にしなかったんでしょうかね?
@@Eひでやん (誰かが)だと硬いからじゃないでしょうか?何かの解説文ではあるまいし、歌う事を前提にした詞なので柔らかな表現の方が好ましいと思われたのではないでしょうか?
この日本の原風景が残っている地域は無いだろうな。
もう2度とこの様なOPは作れないだろう。
毎回のお話が、ハッピーエンドとは限らず、なにか悲しい、闇のにおいがするエンディングが子供心に特別感を抱かせる番組でした。
上条恒彦さんの壮大な歌いっぷりにもグッとくるものがあります。
紋次郎の食事シーンで、中村敦夫さんの、おかずも、みそ汁も、全てごはん茶碗にぶちまけ、ぐりぐりかき混ぜて、にぎり箸でかっこむ演出がすごかったです。
土曜の夜10時が楽しみな中学生でした。
当時日本最高レベルの大映の製作スタッフ。美術、カメラ、監督などクレジットを見るだけで、ため息が出ます。中村敦夫のクールな佇まいが作品にジャスト、マッチしてました。素晴らしい作品です。
このかっこよさ、今のZ世代に
理解して欲しいな〜
紋次郎にはSNSの承認欲求なんて
ないですわ^_^
理解してくれる若者達がいると思います。日本人の精神が有れば😊
レンタルおちのビデオすり切れるくらいみました。原作も読み込みました。舞台が近所であることもあり聖地巡礼してます。本当に大好きです。
生きてゆくための力をくれる...こんな物語が現代にも欲しい...
誰もにも頼らず自らの力のみを頼りにして生きてゆくための。
私も、このドラマにはずいぶん助けられました。
挫けそうになった時も、力を与えてもらいました。
生きるための力…そうですよね。
力はあるのだが、今の時代希望が無いのよ
けれども、どこかで、お前は待って、いてくれる…
その宛のない…待っていてくれる人を求めて、今日もオレは、
旅を一人…🍃>>>>>(;-_-)ゞ
あっしには明日はねぇんでござんす
私を支えた紋次郎の言葉です
分かります❗️今日1日精一杯生きて行きたいたいです‼️
紋次郎は、別に超人的な剣術を持っているわけでなくむしろ不器用。でも、自分の信念に従って愚直に生きているのが好き。
この紋次郎のテーマ曲には、同じイメージの上条恒彦さんはぴったりです。
原作読む前に観たから、原作はずっと中村敦夫さんの紋次郎でした。
無口な男が好きでした
久しぶりに「だれかが風の中で」を聴き、敦夫さんの紋次郎を見てたら、涙が溢れてきた。
世間からの理不尽な仕打ちにも独り耐え、時に人を助けても、渡世人ゆえ感謝もされなかったりする。
「御免なすって」と背を向けて立ち去ってゆく。そこに、中学生だった私は、人生に師を見出す思いでした。
紋次郎さんの生き様は、今でも私の心の灯火として生きています! 敦夫さん、ありがとうございました。
同じです。久しぶりにこの曲を目を閉じて聞き入ってると自然と涙が溢れてきます。
江戸時代版ハードボイルド。
同じく。完全なる同世代です。
頑張れや~‼️
中学生でよくそれだけ洞察して観れたんだなーと尊敬する。私は小学5年だったせいか、ただ無口ニヒルしか感じ取れなかった。クラスの男子達の口癖になってました。あっしには関わりごじゃいませんって
あれ?見てないから知らないだろうなと思ったら、なぜか聴いた事がある。CMで流れていた気がする。
この曲をオリジナルの音声で、しかもフルでアップしてくれたのは、本当に嬉しい!!!
最後は、人間力だな。
何年経っても忘れられない。市川崑の映像美と中村敦夫のクールな主人公🦅
超久し振りに聴きに来ました。その昔、今は亡き「アルフレックス」というメーカーの「木枯し紋次郎」のフィギュアを買ったのが懐かしい。
どこにも故郷は無い、泣く奴は誰だ!この上何が欲しいっ!!て所で毎回泣いてしまう
本当にそう思います。全て素晴らしい歌詞ですが、私はこの部分が一番好きです。
まったく同感ですね、懐かしい❗紋次郎
その部分も好きですが、同じくらい好きな部分が《痛みは生きている印だ》です
還暦前ですが、色々あるたびにこの部分が支えになりました
私はもう還暦を超えましたが、自分はなにをいいたいにゃろうとおもいます。
上條恒彦さんの歌うこの主題歌が好きでレコードを買いました😊 中村敦夫さんがはまり役で、メチャメチャカッコよかったです😆👍✨ 木枯し紋次郎はまったく笑顔を見せない役柄でしたので、ドキュメンタリー番組に出演されていた中村敦夫さんが、笑っているのを見て安心しました😃
幼児期に今は天国にいる父母と聴いた遠い遠い淡い思い出有ります
日本人は原点に
暖かい淡い思い出や
記憶 悲しい気持ちを
大事に締まってるんですね
若い世代にも
スマホ世代の若い人にもこんな良さを知って欲しい
あっしには関わりのないことで御座んすよと言いつつ関わる紋次郎に人間を感じました❗❤🎉🎉
上條恒彦さん🎵
木枯し紋次郎もだけど、めちゃくちゃに懐かしいなぁ😆
このカッコ良さ、今の時代にはない楽曲や歌声だと思えちゃう
さっきまで放送してたNHKのアナザーストーリーから飛んできました💓💓💓
紋次郎も、この歌も超ステキ🎉明日から🎹練習してストピで弾こ😊
仕事で苦しくて辛いとき、「雲は焼け・・・」と口ずさんでる。凄く好きな詞と曲と歌唱。
木枯し紋次郎の人を切る時は、中々斬らずかっぱも脱がず編笠も取らず、逃げ回ってやっと斬るそれが、本当だと思うその斬り方が実際の斬り方で在るなら、木枯し紋次郎は最高の無宿者だと思う。
小学生の時に親に木枯し紋次郎ゲームを買ってもらった。調子に乗って学校の先生に怒られた時に「あっしには関わり合いのないことでござんす」と言ったら親に態度が悪いと連絡され、買ってもらった木枯し紋次郎ゲームを取り上げられてしまって一晩泣いた記憶がある。
木枯らし紋次郎ゲーム!ww😆授業中に爪楊枝くわえて、学友に向かってプッとやらかしたとか??
PCもスマホもGPSも無かったが、度胸と張ったりと根性があって日本人は今よりスケールが大きい人が多かった…日本人がつまらないダメ人間になったのはヘラヘラと他人に媚び、楽して無難に生きる事ばかり考えて、自ら挑戦して冒険する決意を捨ててしまった事が大きいと感じます。
ハッタリしてる時点で小さいわ
中村敦夫さんは大学の先輩です。型にはまらない姿勢、世界を舞台にした活動に敬意を表します!
中村敦夫はこれで売れなかったら、俳優を辞めるつもりだったらしいですね
人生が水戸黄門や遠山の金さんの様な勧善懲悪ではないというのを子供心に教えてくれたドラマでした。
木枯らし紋次郎は座頭市と同じでリアルなんですね。その姿もきらびやかかでなく雨風に打たれた三度傘、道中河童無宿人を市川昆監督は当時の姿を再現されてある。
残酷なところ、貧乏で、どうにもならないところ、市川昆さんは本当にリアリティーそのままに撮っていました。もうこんなドラマは絶対にない。
確かに、世の中、理不尽で出来ていると、子供ながらに心に訴えかけられる作品でしたね💦
それなら桃太郎侍は冗談でしかない。
あの番組はファンタジーだから、丸っきりカテゴリーが紋次郎とは違いですよね。
子供の頃、親父の車の中でよく聴かされました(当時のいわゆる8トラってやつ)。あと、ラーメン食べた後スープの中に白飯ぶっ込んで食べたり・・・😊
この歌を聴くと、何故か込み上げてくる物が…
昭和…良い時代でした
日本の高度経済成長終息期の勤労者の心象風景だったような気がする。だれも待ってはいなかったわけだけど。
時代劇、爪楊枝をくわえ、三度傘、マントに刀をさし、いつぷ代わった渡世人、人との、巻き込まれを裂け、あつしには、関わりのねえことでござんす。と、人と関わりたくないとこの時代劇がないのが、今は作られないですね。爪楊枝を飛ばし、このようなドラマまた、観たいです。
NHKのアナザーストーリーからきました
この曲きいたことあるが紋次郎だったのか
男はこういうもんだと思ってた
😊
男は黙ってサッポロビール😊
上条恒彦はんの声とオーケストラが躍動して最高やね👍中村敦夫さんのあっしにやあかかわりのねえこってとしながらも毎回深くかかわるクライマックスシーンもたまらんカッコエエンヨ🌟🌟🌟🌟🌟
「木枯し紋次郎」を見ては、つまよじを飛ばしていた頃が懐かしいね!このドラマの素晴らしいさとこの歌の最高のコラボですね(^_-)-☆ 中村敦夫さん上條恒彦さんありがとう。そしてこのドラマと歌を作ってくださったスタッフの皆様にも感謝です。
これこそ正に、男の中の男やね✨風来坊、格好いい!こうした生き方憧れます。