昭和40年代で東大阪の生駒の麓生まれですが、家の隣にトラックの駐車場があって、そこで働いてたおじさんのことを皆「山のオッチャン」と呼んでいて、真っ黒で痩せてるけど毎日山から通っていて、器用で多少の物ならちょいちょいと直してくれたり、それこそ色んな知恵を持ってたり、子供に優しく、夏には蛍やカブトムシ、クワガタなんかを取って来てくれたり、どこに住んでるの〜?と聞いたら「生駒の山や」って言っていて、冬でも結構薄着だったし、たまに手作りの物を持って来てくれたりするので、親も晩御飯に呼んで一緒に面白い自然の話を聞いたり、おかずを差し入れて持って帰ってもらったり、そしたら、また違った山のものをお返しにくれたりしてました。私が中学位迄はいらしたと思いますが、いつの間にかガレージも無くなりおじさんも居なくなっていました。山のオッチャンの事、懐かしく思い出したと共にもしかすると…と思いました。
サンカには以前から興味があります。当方70台半ばなので、今から思えば当方幼少のころ田舎だったもので、サンカの末裔か最後の生き残りではないかという人たちと接点もあったのではないかと思ってます。行商でやってくる蓑とか竹箒などの竹細工系のもの、魚取りにたけていたことから川魚売り、そして鋳掛屋(いかけや)=鍋底とかに穴があいたのを修理したりする職業の人、これらはたまに村にやってきていて、特に鋳掛屋は数時間村に滞在して頼まれた鍋とかの修繕作業を行うので、非常に興味深く我々子供たちが仕事をやっている爺さんを取り囲んで見学したものです。今にして思えばあれこそ今や幻の民サンカだったのでは?と思ったりもしてます。「サンカは弱者の見方だった」というのは当たっていると思います。今では病名ですらタブーで語られることはなくなったが、つい最近らい病隔離政策が誤りだったと政府が認めて、らい患者総体に謝罪を行ったことがありましたが、サンカはらい患者をかくまい、一緒に生活をしていたことが知られてます。三角氏研究論文か誰かの証言か忘れたが、「あの病気は感染しませんよ」と、サンカの証言が紹介されてました。弱者をかばった行いの中から出てきた真実の言葉だったのでしょう。五木寛之の「風の王国」はサンカをモチーフとし小説で、もし映画化されることがあるならば、五木氏本人の希望ではアニメ化してほしいとのこと。ちなみに五木氏は並ならぬサンカへのおもいいれを感じさせます。当方の推察ですが、五木のイツキはサンカ用語では山から山への漂白生活から常人の暮らす娑婆に居着いたもののことを指すようです。この辺にもひょっとしたら自分は?という思いが小説の動機になったのかもしれません。それくらいサンカは魅了させる要素を持ってます。サンカの本拠地は丹波らしいですが、信仰の対象とする神はたしかに出雲だったようです。
私の母は、サンカの人がごく普通にいて、山に電気も水道もないところに住んでいて、時には山菜を売りに来ていた。山菜を売りに来た時に、我が家でお茶を出したらおいしそうに飲んでいた。とにかく人が良くていいひとだった。とのこと、母83歳、母が学生の頃の話だそうです。湧き水とか飲んで生活していたけど、こざっぱりしていたとのことでした。正直、小話でサンカの話をしたら、「ああ、昔はいたよね。」と言われてわたしはおどろきました。
子どもの頃に一度だけサンカのおじさんに会ったことがあります。
もう50年以上経ちますが、とても不思議なおじさんでした。
母親と外で立ち話をしているおじさんが居たので、何処のひと?と立ち去った後に尋ねました。
母は、「ん~、何処というか……決まった所に住んではいなくて、山に住んでる"山の人“だねぇ。」
(地元ではそう呼ばれていたようです)その人たちは皆とても器用な人たちで、何でも自分たちで作れる人たちだと。昔から時々現れて、何か必要なものを交換していくくらいしか地元の人たちと交流を持たないそうでした。小柄な体つきでしたが驚くほど足が速く、母親と話しているわずかな時間の後に振り返ったら、もう町に向かう道の向こうに見えなくなる所でした。
何か好奇心をそそられ、何度か母親に山の人の暮らしを他にも尋ねましたが、母はその後は決して口を開かず、もうその話をしてはいけないと言われました。
大学生時代に、図書館で資料を探しましたが、載っている文献がとても少なかったのを記憶しています。
地元の人たちに聞いても誰も知らないので、長いこと封印された記憶になっていました。
地元は東北ですが、久しぶりに話題にできて幸いです。
東北ならマタギではないですか?秋田県北部が特にマタギが盛んな場所だったはず。東北のマタギと全国的にいたであろうサンカと関連があるのか分かりません。
自分は柳田国男の代表作「遠野物語」の本に遠野物語よりも長い別の作品としてサンカの話があって、初めて存在を知りました。
父はお婿さんなんですが、父の実家の地名が神代で、田を所有しておらず、もともと炭焼きを生業としていた貧しい家だったそうです。そして顔は濃く、山菜、筍、山葡萄、茸、ワサビ、木の実、冬は楓から樹液(メープルシロップの原料)まで、とにかく山からなんでも採ってきます。とにかく山の中を歩くのが速いです。口癖は「困っているひとがいたら助けなきゃいけない」です。
父って...
あっ、味噌と漬物は今でも作っています(ちがうかw)
うちの祖母も炭職人でした。母はマラソン大会で走るのが速かったらしいけど、特に山歩きは超速くてついていけず。
戦争中は腐ったみかんが御馳走だったらしいです。
山をみたらびしゃことか勝手に取ってくるから、買わなあかんよ!って怒ってた娘の私。魚は七輪で焼くものやと思ってたし、なんか勝手に炭を作ってたな〜
炭の作り方のコツとか、聞いておいたら良かった
じーちゃんが子供の頃、サンカが数年毎に近くの川に生活しに移動してきてたと話してました。
子供でも生活の知恵があり、踊りがすごく上手かったって。
世間で不適切とされるような部分もあるので、もし差しさわり合ったらこのコメント削除してください。
関西出身の私の父方(現在は死別し親戚付き合いも無い)、私はもしかしたらBと呼ばれる人達かも?とずっと思っていたのですが(実際、その地域辺りに差別解放を訴える看板などが設置されています)、最近思い出し、10歳くらいまで毎年夏休みは長期預けられた記憶を辿り、実は山窩という人達の末裔だったのではないか?と強く思うに至りました。
地域は役小角という山伏の先祖みたいな人が居た場所で、今回の忍者説を知り有り得そうだな~などと思い、検討違いかもしれないけど書き込むことにしました。
ちなみに祖父母は奈良県の人里離れた山の中の斜面を利用した清流沿いの小さな家に住み、凄く彫の深い非常に整った顔立ち、真面目で本当に優しい働き者でした。実際、父の弟の一人は状況してモデルにスカウトされていたそうです。
思い出せるものを書くと、40年ほど前の当時まだ土葬で独特の葬儀があったこと、山間に離れて住む人が集まって宗教ぽい事もしていたこと。関西の方言?以上の変わった言葉を話すので(関東生まれの私にはよくわかりません)結局祖父母とはずっとまともに話ができなかったこと、暮らしは動画内に出てくるように猪を狩ったり魚やきのこ、木や竹、山菜なども採集しながら売買と簡単な畑を作り自給自足に近い暮らしをしていました(しかしテレビは持っていたし2、3チャンネル位映っていました)。また、日本には極端に少ない変わった姓です。
父方の親戚一同、結局は状況したものの、祖父の死後呼び寄せた祖母は都会の暮らしを嫌い、強い希望で山の中の暮らしに一人で戻っていったそうです。
私の父母は離婚していますが、母は父方のことを「(生活全般に)一般常識がない」と酷いことをしょっちゅう言っていましたが、それは都会の生活を基準に考えると確かに否定できません。しかし、たおやかで粗末な着物を着ていても美しく、優しかった祖母が好きだった私はそんなことどうでもいいと思っていました。人間性で考えたら、父方はみんな静かで良い人達でした。
父の兄弟皆、上京して勤勉だったり、頭が良かったり、容姿が飛びぬけて良かったりとそれぞれの特性を生かしながら社会に出て真面目にひたむきに生きていました。しかし田舎のことは恥ずかしいこととして、隠して生きていたように思います。何か、そう思わせるような社会的圧力がやっぱり何かしらあって都会に順応せざるを得なかったのではないでしょうか。
上記単なる思い込みかもあるかもしれませんが、もし何か一部でもヒントにもなったりお役に立てたら幸いです。私もまだ、何年も前に離れたまま亡くなった父のルーツをこれからもっと掘り下げていく最中です。
歳がわかっちゃう可能性もありますが、私、田舎のバーさんのうちで、小学校1~4年位で、サンカと思われる人に会ったことがあります。たぶん昭和40年代までは彼らは存在したと思われますし、諸説ありますが昭和40年代までは存在したと、記録にもあります。その後、山から下りて、戸籍を作って現在は日本人として普通に暮らしてるってPCで調べたら出てきました。ただお互いにネットワークがあるらしく現在でも連絡を取り合ってるとか。たぶん、私らの年代の人達が実在のサンカを見た最後の世代かと。彼らは別に悪い人ではなく、私ら子供に対して、非常にやさしかったですよ。冬に着る、藁で作った蓑とか民芸品とかを作って売ってたようですね。
サンカは竹細工が得意なようで「
箕」はもちろん「竹」のつく姓はサンカと邪推されることもあるみたいですね。ただ「竹」の姓は竹の園なんて言われ皇室系でもありますよね?
日中戦争ではなく、日清戦争ですね。間違ってますw
私は60以上のおじいさんです。サンカの人、知っていますというか友達でした。小中の。
まず、サンカの人たちが全員忍者?というのは違います。サンカの人たちの生業は炭焼きがほとんどだそうです。友達のお父さんももともとは炭焼きを生業としていたらしいです。ただ、地元の炭焼きの人の縄張り以外で炭を焼いていたそうです。
戦後、炭の需要が減ったために多くのサンカは都会に出て会社に勤めています(友人の父もそうでした)。関西のサンカの中には今でも山で生活をしている人がいるそうですが、それ以外ではサンカの人はほとんどが山から離れているということです。
よって結論として、関西のサンカは今でも丹波に行くかもしれませんが、それ以外は普通の暮らしをしています。コメントを書くために久しぶりに友人に連絡を取って聞いて確認してみました。ご参考までに。
松浦武四郎は明治初期にアイヌを守ろうとしたり、当時としては他民族や習俗の違いをちゃんと理解してた素晴らしい人。
こんな逸話もあったのか。
現在78才ですが、川崎市の丘陵近くに住んでいたしよう学生のころ、父から山のほうにサンガがいて、箒を担いで売り歩いていると聴いた事があります
初めまして。いつも楽しく拝見させて頂いております。私の先祖がサンカです。山之内一豊の妻は元サンカのお姫様だったそうです。あと私のひいひいばーさんもサンカ出身です。ウチの地元はサンカの家系の人結構いますよ。
知人が元サンカの人に会って話を聞きました。その人は山に住んでたサンカの家族の一人だったのですが、小さい頃に親類が引き離して普通の生活をするようになったそうです。
父親がサンカで、誰も何も言わなくても誰が会いにくるのかが解って、外国語も習った事が無いのに、自由自在に話せたという超人間的な能力が使えたそうです。
70の爺さんです。京都府北部の高校生の1965年頃、サンカ(山の民)がストーリーの中に出てくる五木寛之の小説で興味を持ち、
父母に聞いたことがあります。穀物を食さず竹で編まれたザルやカゴを大八車に積んで売りにきていたとのこと。
網野町・峰山町あたり(京丹後市)にその頃は定住されていたのだと思います。
神代文字を使い、ヤマト族に追い出されたのならサンカの人たちこそ本来の日本人だということになりますね。
現代の日本人よりも、サンカの方が精神レベルが高そう。
50代のおじさんです。 小学生の頃、学校の先生に似たような話を聞いた記憶があります。 実際に実在して、山の中で孤立して生活していたそうです。
私は、神主さんになった知人から、スターウォーズって知ってる?と言われ、これは実は実話なのと聞いたことは、あります。昔宇宙で戦争があって、それが、地球に持ち越されて、伊勢と出雲に分かれて戦い、出雲が負けて、神事は、出雲、国造りの政治は伊勢で行うこととなったと聞きました。・・・・・事実は小説より奇なりですね。ホントはどうなんでしょうか?知りたいですね。
サンカ民族の歴史を教えていただき感動しました。純粋な日本民族なのですね。日本の誇り国宝だとおもいます。
父の実家が伊豆なのですが、私が幼少の頃(昭和40年代〜50年代)夏休みなんかで遊びに行った際に、〇〇のおじちゃん(〇〇は苗字)て人がよく来てました。
平成に入るちょっと前だったと思いますが、久々に訪問した時に近所の人も来ていたので、「〇〇のおじちゃんは?」と聞いたところ、数年前に亡くなったとのことでした。
その近所の人が「実は…」
・〇〇さん達一行は昔から冬になると現れて、ひと月ほどで帰って行った(どこから来たのかは、昭和の終わり当時は既に誰も知りませんでした)。
・祖父は土建屋をやっていたのですが、昭和10何年かに〇〇のおじちゃんの両親から頼まれて、当時若かったおじちゃんを雇った。
・雇う際に戸籍がないことが判明し、「戸籍こしらえたり色々大変だっただよ」
などと話してくれました。
私の父も知らなかったらしく驚いていましたが、もっと根掘り葉掘り聞いておけばよかったと今になって思います。
だとするととても面白いのですが
・土建屋は祖父一代のみで曾祖父は兵隊→教師・高祖父は兵隊→教師→兵隊
・高祖父の出生が安政四年と記載された戸籍の複写が残っている
以上の点からかなりの確率で違うと思います。他にも残念ながらという証拠が結構出てきます。
@@io0713 そうだったのですね!勝手なことを言ってしまい申し訳ありませんでした。
色々サンカのことを調べていくと同族同士で助け合うような
事が多くあるようなのでそうかなと思ってしまいました。
古墳人とか弥生人とか色々言われてるけど元々の日本の先住民は縄文人だよね。
ある本(本の題名は忘れてしまった)に、茶摘みシーズンに来る季節労働者の中に、どこから来たのか分からないが山奥から来る人たちがいて、季節労働者用の部屋には住まず、自分たちで小屋を作り、食事も自分たちで作ったものしか食べない。
かと言って彼らが排他的というものでもなく、言葉は通じるし、働き者で、親切。
彼らの写真はない(写真に写りたくなかったらしい)が、彼らが作った小屋(木を三角に組んで藁やカヤで覆った、キャンプのテントより簡素)のピンぼけ写真が本に掲載されてた。
むかし、東京の神田の古書店街にサンカに関する本がめっちゃ多い古本屋があったよ。
私が子供の頃、確か旺文社の受検雑誌に三角寛氏のサンカの詳しい特集記事があって興味深かったのを記憶しているが、早速翌月号にあの記事は事実ではないと訂正されて、なんだ?という感じだったが、今思うとその筋からの圧力があったんだろうなと思う
縄文土器は現代でも作ることが出来ないと聞いた事有ります❣️弥生土器よりも、技術的にかなり上だそうです👍
東京の下町ですが1950年代初期の頃、毎年民芸品やホウキ🧹のような手作りの物を売に来ていました。隣の家から🍙もらって外で食べていました。隣の子は「毎年くるコジキのオジさんだよ」と言ってましたが、どうして私の家に来ないんだろう?ウチに来たらもっとあげるのに・・・なんて思っていましたが隣のオジさんは両親はなく養子だったので今思えばサンカの末裔で特定の家だけでオニギリを貰っては売り歩いていたのでしょう。
子供の頃、伯父に聞いた、みの直しと呼ばれた人のことかと…伯父が子供の頃、突然やって来てしばらくすると跡形もなくいなくなってしまう。また縁側に壊れた箕とお米を置いておくと翌日新品の箕が置いてあるそうです。
はじめて投稿いたします。
私の住むとある田舎町ですが、私の父が
子どもの頃、昔話に出てくるミノや竹で作った籠🧺などを売ったり、直してくれたりするサ●かと思われる人が居たと聞いた事があります。
茶髪のあんちゃんがどんな話するのかなぁと思って見だしたんだけど、内容もなかなかのいい話でしたね。松浦武四郎さんの記念館が三重県にあり見学したことがあります。アイヌ調査で有名な人ですね。サンカに関する本も読んだことがありますが、いろいろな知らないことが分って面白かったです。ありがとう!! 77才の男より。
言葉の表現の違いで、良くも悪くも、受ける印象が違いますね。昔の事だから確かめることは出来ないですけど、そういう人達がいた歴史があるということは、分かりました。「強い者は弱い者を助ける」あの言葉が胸に響きますね。
ここ最近見た番組の中でも最高に素晴らしい内容です。私にはサンカを戸籍編入させようという動きは全国民にマイナンバーカードを持たせたりとかチップを埋め込んだりして超管理社会を実現しようとする現在の動きと重なります。
出雲を裏切って大和に着いたのが八咫烏なので、サンカが出雲の生き残りで八咫烏と敵対関係という話はしっくりきた
鬼滅の刃もサンカのルーツに繋がるお話だったのかもですね。素晴らしい解説ありがとうございました。
柳田國男が「山人は日本に昔繁栄していた先住民の子孫」とか言ってたみたいだけど
サンカの事なのかな?
確かに丹波地方の亀岡市には…篠村(シノ)という地名と元祖⛩出雲神社と大本(オーモト)教があるけど関係ある?
日本人て、日本の歴史をよく知らないように思う。とても興味深い内容でした。じいじが生きている時に聞いてみたかった。
日本には古来より国内の鉱山(金・銀・水銀他)を探し出す技術を持つ集団がいてその一部はサンカと呼ばれていたと中学生の頃授業で聞きました。サンカとは異なる名称の技術集団もあったようです。
私は、出羽最上氏家臣、山家の末裔です。祖先は正宗の母義姫と共に伊達家に移り、数々の知識や武勲を認められ、宇和島藩筆頭重臣となり、住民に愛される政策を行いましたが、逆に武家に疎まれ殺され、祟り神になったと言われています。
また、私の大叔母は柳生新陰流など数々の武術(手裏剣等の忍術に該当する物を含む)を収め、戦時に全国の子女に薙刀を広めたとして叙勲、大きな葬儀に参加した記憶があります。
山に住んでいた訳ではありませんし、もう、私には何も伝わっておりませんが、何か関係があったのかとは思っておりまして、たまにこの様な動画や資料などを拝見させて頂いております。
興味深い動画をありがとうございました。
祖母が今ではダムになってしまった手前位の山奥に住んでいました。昔山には修験道の人がいたと聞きます。サンカと言う人たちに何故か親近感を感じます。
出雲族、蝦夷、土蜘蛛みたいな人達がつい最近まで山で暮らしてらっしゃったなんて驚きです。
今回も興味深い回でした😊ありがとうございました。
赤紙を拒否して山に逃れた男性が、終戦までサンカに匿われた。
戦時中、動物園の動物の処分を命じられた飼育係が、狼の子供をサンカに預けた。その狼が山犬と交尾して代を重ね、先祖返りした個体が今も生息している。
山の民、サンカは昭和初期頃までは竹細工等の工芸品を里で物々交換して里のものを手に入れてたそうです。屈強なサンカの男達は子の少ない村に迎え入れられ種をおととして行った逸話もあります。興味深い人達なのでもっと調べてください。
最後のサンカと呼ばれる人が亡くなったって聞いてるし、確か本にもなってるからサンカはもういなんじゃなかったっけ?
一度は普通に山から下りて生活してたけど、結婚していた旦那さんと一緒に河川敷に小屋作って生活してて、旦那んさんが亡くなった後に小屋が火事あってから、色々と面倒をみてくれていた農家の知人に生活保護を申請してもらったけど市は生活保護の措置をちゃんと取らず、布団もない部屋で最後は2008年に孤独死。
しかも市の職員が預金を勝手に引き出すとか色々問題が発覚してた。
山窩は多様です。単純に山の民とも言えません。山の民と言われたのは瀬降りと言って天幕(テント)を張って定住しなかった人たちのことで、竹細工を村に降りて来て売っては生計を立てていた人たち。
戦国時代は山窩を味方に付けなければ出世できないとされてました。それは村上氏の様な水軍も山窩とされてますので、運輸、交通に携わる人たちも山窩です。
長野県の飯田市の山奥に霜月祭りで有名な遠山郷というところがありますが、遠山郷の神社には、山窩の言葉が和紙に墨書して張り出したりします。
明治政府以降、日本政府は山窩を悪者のレッテル貼りに躍起になってました。
犯罪者は山窩者だという言い方をして、ネガキャンやりまくったので、悪いイメージが出来上がってます。
そして、山窩の始祖とされてるのは、ホアケ(火明命)なんです。だとすると、山窩=縄文人と言うのも揺らいで来る気もします。
いずれにしても謎の民です。
長谷川卓 著 「嶽神」シリーズは、戦国時代を背景に、主人公のサンカが武田家や北条家の忍者軍やと闘う内容になっています。
サンカの生活についても触れられており、勉強になります。
めちゃくちゃ面白いです。
困ってる人を助けるサンカから学ぶ事って沢山ありそう。
私が幼少の頃、昭和30年代前半でしたが、母が何とかが来たので竹製品を買って来るから留守番をと言って出かけて、ミ、やら四ツ目篭、ジョウレン、などを買ってきたことが有ります。
それ一回でしたが、何とかのものは丈夫で壊れにくいとかなんとか言ってました。
今考えるとそれがサンガと言う人たちであったかも知れません。
縄文時代って一番重要な時代だと思う。
何で一番重要な時代が学校で深くやらないんだろうね。
とても面白い動画で、ありがとうございました。
サンカには前から興味を持っていましたが、いかんせん文献があまりなく、この動画はとても貴重な情報源になります。
サンカ、初めて知りました。
縄文の暮らしや思想を知るにつれて共感しています。困っている人がいたら助けたい。
世の中は独占欲支配欲等の攻めの感情が動かしているのかなとも。侵される側は守る為に戦う…。もののけ姫の世界のようなお話ですね。
色んな人がいて良いのですが自分はなるべく和をもって生きていきたいな。人間は太古から争っているし難しい事なのですかね…。
ちなみに東北の山出身です。
弟は何回かUFOを目撃しています。人1人乗れるかなくらいのサイズだったみたいですよ。
都市伝説、面白いですね。
サンカについては五木寛之作、風の王国を読んで下さい。あとレイラインハンターという本も。微妙に繋がっています。レイラインハンターは作者忘れたのですが日本のレイラインを巡って考察している本です。その中の一部のエピソードがサンカと繋がっています。
五木寛之の小説に「風の王国」というのがありますが、これはまさしく「サンカ」が現在でも存在しているという内容だったと
思います。私も30年近く前に初めてその存在を知りましたが、日本人にとってのルーツといっても良いかと思います。
歴史的にも豊臣秀吉は貧農民ではなくサンカ出身だったとの話を聴いたことがあります。
もののけ姫思い出しました♪
面白い話ありがとうございます😊
この写真はどこかの都市伝説で見たことあったけど、具体的にお話を聞いたのは初めてでした。こうした方たちが、数十年前までその暮らしを守ってこられたとは驚きです。このコメントの中にあったことがある方がいらっしゃったことに、もっと驚き、今はどうしてるのか、とても気になりました😆
縄文時代が約1万年続いた平等で安定した時代だったと言われるのに対し、弥生は100~200年という短期間で権力体制が完成した時代。
日本人の自然を崇め、互助の精神は縄文の時代に培われたものに思えます。「サンガ」の方々の文化はまさに縄文の系統。本来、日本人が目標とする姿なのかも知れないですね。また取り上げて欲しいです。
面白い話でした😉👍
色々な話が聞けて楽しいです🥰💞
サンカは初めて知った言葉でしたがとても興味深かったです!
ぜひ第2回やってほしいです!
「都市伝説」のホラ話だから、うのみにしない方がいいですよ。そもそも「サンカ」は「民族」じゃないからね。沖浦 和光「幻の漂白民・サンカ」(文春文庫)一冊読めば、その実像はほぼ掴めるので、興味湧いた方は読むがよろし
戦前戦後、多くのサンカが渡米したようです。現在のアメリカの日系人にも、サンカの子孫がたくさんいると思います。小柄で機敏、ゲリラ戦に強く、アメリカ軍にはサンカで構成された日本人部隊があって、大変活躍したとか。
サンカの末裔にお会いしたことあります。先祖の家業は、硯職人と言っていました。大変興味深い歴史を紹介してくださってどうもありがとうございます。
読書が好きで以前よう図書館に通っていた頃 たまたまサンカを知って興味がわきサンカについていろいろ著書を出していた八切止夫氏の本をかたっぱしから読みました
とても面白かった!サンカはどのような人たちがサンカになっていったか・サンカの相互扶助システム・サンカの山での生活・昔の男性のふんどしもその色が赤と白もちゃんと意味があるとか等々
もう一度読んでみたいなぁ・・
うちから7、8分ほど歩いたところの山の中には40年ほど前までサンカの人たちが暮らしてました。山の中の集落は当時、僕ら子供の間では「乞食村」と呼ばれ、近寄ってはいけない場所とされていました。今考えると、サンカの人には申し訳ないですが、当時はみんなそんな感覚でした。そんな感じなので、僕自身はサンカの方々に意識してお会いしたことはありません。土地のおばあちゃんの話では年1回、神社のお祭りのときに山から出てきて竹製品を売っていたそうです。
今はその場所も開発され、普通の分譲住宅地になっています。
アイヌ学において権威とされているが、アイヌである知里真志保氏からは「役に立たない」とされているジョン・バチェラーと同様、三角寛は一般的にサンカ学の権威とされていますが、サンカの血を引くという八切止夫氏からは低評価を受けています。
サンカのことを知るには、八切氏の著作こそ、欠かせないかと思います。ただ、八切氏には「トンデモ作家」の素養も十分にあり、かつ著書は現在入手しにくく、文章はとても読みづらく、そして尾張地方の民俗学的な知識や土地勘がないと理解しづらいのが難点です。
味噌大学と漬け物大学初めて聞きました…😌
サンカのお話とても興味深かったです!もっと詳しい話聞いてみたいです😊
サンカという集団・言葉を初めて知りました。サンカに関する他の動画も見ました。生活物資の乏しい日本の山を拠点に集団生活して、生活の糧をどのように得ていたのか今一つ不思議でなりません。
山窩と言えば三角寛、三角寛といえば山窩。サムネの女の子の写真も三角寛の著書『山窩は生きている』の表紙でつかわれている有名なヤツやね。山窩の本はブッコフとかで見てけてもそこそこの値段だけど、その時買わないと二度と出会えない。
なんかこの話の冒頭聞いてて思ったんだけど、「もののけ姫」の解説の内容と被るものあるな
縄文土器があって、天皇いる時代だけどその文明とは離れて森の中で他の神様信仰してて…あと「サンカ」と「サン」が被るのはただのダジャレだけど…
って思ったら「もののけ姫」自体が宮崎駿監督が山窩物語として書いてるようでしたwww
西日本のとある地域の山村で60代半ばの男性に聞いた話。
戦後すぐのころの小学校の同級生に竹藪の中に住んでいた「かとう」という者がいたそうですが、その人の家は何をしているのかもわからないし、同級生だった「かとう」もいつごろから同じ小学校にいたのかもわからない、そして、「かとう」さんちはいつの間にかいなくなってしまい、今も何者だったのだろうと思い出すことがある。
という話を聞いたことがあります。サンカかどうかはわからないのですが、山の中に住み、移動し続けている人間たちがいることの可能性は信じれるかもしれません。
今でも富士樹海の奥深くにサンカの集落があるそうな。樹海に旅立ちに入った人で幸運な人は、サンカに救われて樹海の奥で幸せに暮らしているとか。
新日本列島から日本人が消える日と言う本にも、サンカに触れてました。
サンカは血筋に関係なくムーや縄文の精神を受け継いでる人で、織田信長もサンカの1人だと説明されてました。
これまでの常識を打ち砕くSF作品ですが、コラスタで紹介して欲しいです。
とーやさん
今回も踏込みましたねー!
凄い!!!勿体ぶって有料チャンネルにしてるウマズラと違いますねー!!!
何しろ!気を付けて下さいよ!
サンカは都市伝説で聞いた事があったけど、こんなに歴史に翻弄された民族だとは知らなかった。少人数ならひっそりと忍びとして生きているかもしれないですね。
かぐや姫の物語に出てくる捨て丸たちも山窩っぽいですよね。
山窩は大昔、戦に巻き込まれるのを恐れて山に逃げた農民の末裔って説があるんですが、だとしても定期的に山を下りては物を売り買いしたりとか社会との繋がりが一切無かったわけじゃないのに自らの意志で山を出て町に生活の拠点を移す山窩の話を聞いたことがなかったのが不思議だったんですが、縄文人の末裔で血が混じるのを嫌って山で暮らしてたって説なら腑に落ちます。
でも明治政府に強制的に山から下ろされた山窩が酷い目に遭ったわけじゃなくてほっとしました。
個人的にはそっとしといてやれよって思いますけど。
サンカがただの山に逃れた人達じゃなくて、現在の都市伝説にも繋がる深掘りとても興味深かったです!最近チャンネルのクオリティがすごく上がってますね!(上から目線ですみません💦)
コヤッキースタジオは本当に分かり
易く調べてくれてるから、有難いです😄
時間経つのが早いっ!😆
サンカという言葉を知ったのは「地獄楽」というジャンプ+の漫画で、そこでもサンカってだけで死罪人になるという謎の存在だったので都市伝説級の民族として実際にいたとされていることに驚きでした。
子供の頃に聞いた事がある、シダで編んだ籠などを売りに来たらしい。田舎のどこの家にも茶碗などを入れるその籠があったと思う。
いつも楽しく拝見させて頂いております🙌毎日動画upお疲れ様です✨🙏
「ヤエガキ」ときいてスサノオが詠んだ日本最古の和歌が浮かびました。やはり出雲族の掟の事のようですね。
なんだか腑に落ちるお話しでした。有難うごさまいます🥰
スサノオの和歌をのせておきます。↓↓↓
「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作るその八重垣を」
わたしは占い師の方に、あなたは出雲族だねと言われ、初めて聞いた言葉に?でした。がそれ以来出雲族とかサンガの話しに興味あります。出雲へ訪れた時、八重垣神社にあった石垣に和歌が書かれていたのを思い出しました。
ありがとうございました。
@@jasumin9240 さん
コチラこそ教えて下さり有難うございます😊
かおりさんはスサノオや出雲族と繋がりが強そうですね🙌
DNAのDの意思に導かれ何か思い出すことがあるかも知れませんね😊わたしなら…きっとこれから出会う人や情報にワクワクしちゃいます😍
子供の頃シヤンカの人びとは普通に見掛けました、とうみの等を担いで村に降りて来ていましたね、見掛けるのは大人ばかりでしたが、子供たちで山に遊びに行ったときシヤンカの人たちが天神で湯を沸かしご飯を食べているところに出くわしました、物珍しくて見ているとシヤンカの子供がいました、笑うと喜んで熊笹で作ったお人形さんをくれたことを懐かしく思い出します‼️山を降りた人たちは木地師、占い師、きこり等の仕事をされていたようですね、小椋、坂 星 岩清水 石沢 等の名前の断片をお持ちかと思いますが?
福島の会津地方。山奥の下郷という町には
星さんが、山ほどいて、さらに山深いところには、小椋さんの名字があったりします!!
もしや??
大内宿からさらに山深い部落
瀬降り物語という映画にもなっていますね。
また、幻の漂泊民·サンカと言う文庫も出てます。
神回✨
昔からサンカを調べていたんですが、歯切れの悪いものが多かった中で、一番ポップで詳しいお話しでした‼️
八咫烏と敵対、埋蔵金、ロスチャとも敵対、縄文人の末裔、忍者の修行✨✨✨あ、神代文字に酷似した文字、独自の掟‼️
私の調べた中では
「サンカの末裔を訪ねて」和田敏
と言う本が写真も豊富で詳しかったです。
まだ観てないのですが、萩原健一主演の「瀬ぶり物語」がサンカのお話だそうで気になってます。どなたか見た人いますか❓
映画見ました。昔TSUTAYAで借りてきた覚えが。数家族単位でグループを作り山を点々とし、たまに里に降りて籠と生活用品を物々交換する生活のようで、最後は官憲に追われて仕方なく日露戦争のため戸籍を作らされて山を降りてしまうという話だったと。
「武」(ぶ)と言う字は、日本では「タケ」とも読む。すなわち「武」=「竹」と言っても過言では無い。国譲りに最後まで抵抗した出雲族の武闘派指導者は「タケミナカタ」そして、出雲族では無いかと囁かれている「シノガラ」も「竹」(タケ)武に纏わる民。
これは決して偶然では無く、戦国時代に諏訪を支配したのが最強と名高い武田氏なのも、めでたい正月飾りで竹の上部が斜めに切られてしまうのも、全て出雲族と武に因んでの事で有る。
日本の先住民についての深掘りですね!
歴史を分かりやすく説明されているのと、忍者が秘密結社に繋がるなんて😅
攻めた内容でした😨
是非マスターさんに聞いてみたいですね!
サンカ、の話は初めて聞きました😌
日本の歴史にも知られざる闇が結構ありそうですね😓
さんかのことは少し知っていたがこの動画は興味深く観ました‼️二人の掛け合いも漫才みたいで面白かった‼️カムイのこともやってほしい‼️ブラボー🎵
待ってましたぜ!!
お話を聞いてるうちにサンカに心をもってかれました。
今でもサンカが力強く残っていると聞いて(本当か解らない)嬉しく思います。
サンカの人達に神代文字で書かれたの読んでもらえれば……
解明できる謎も多いかもしれませんネ🤔。
とーやさんに都市伝説に関連ある歴史をひたすら語り尽くす個チャンやってほしい…!永遠に聞けそう!
とある県でも山の中と言うか部落から出ない、部落の中だけで結婚とかで、血が濃くなりすぎて奇形が生まれるとか聴いた事があります。
90歳過ぎの方に過去に聴いた事があります。今回の話を聴いてて思い出しました。
山窩のお話はとても興味深いです。
貴重なお話をありがとうございます。
今年2022年4月に、山窩の映画「山歌」というのが公開されていたようですね。
見逃してしまい、悔しいと思っていたら時々あちこちで上映されてるみたいです。
また山窩のお話を聞かせてください🍀
トーヤさんサイコー!!殆ど知られて居ない事を、よく見付けてくれましたね~。ワクワクしました!次回も、楽しみです!!{出来れば余計な事は、無しでお願いします。}
サンカの話は少し聞いていましたが、丹波との結びつきの話は始めてです。ありがとうございました。
私は、現在75才です、、小さいころ母親に山家について、聞いた事が有ります、里獅子、イヌ、の肉、なんか売りに来てたそうです。
先祖が
サンカ
の知り合い
います
今は、旅好きの
ただの人よ
40年ほど前、『サンカ』の本を古本屋さんで見つけて読んでいた頃、昭和4年生まれの母が子供の頃、山のものと里のものを 物々交換によく山から降りてこられてたよと聞き、え〜!?っとびっくりしたことがあります。 母は兵庫県の丹波の近くの出身です。
ありがとうございます、小学校でも教えるべきでしょう、勉強なります
弱者の救済なんて、優しいんですね🌸ありがとうございました🌸勉強になりました!!!
面白い方向に繋がりますね。
投稿ありがとうございます😊
いつも動画のご視聴ありがとうございます!
4月中での100万人登録本気で目指してます!
2人からのメッセージ→th-cam.com/video/uklP65eJ5R8/w-d-xo.html
高い目標ではあるのですが、視聴者の皆さんと
喜びを分かち合いたいです!
是非応援よろしくお願いします!