ขนาดวิดีโอ: 1280 X 720853 X 480640 X 360
แสดงแผงควบคุมโปรแกรมเล่น
เล่นอัตโนมัติ
เล่นใหม่
この頃の盛岡駅は活気がありました。青森・秋田から来る特急が1時間に1本。その度に新幹線との乗り継ぎ客でホームが混雑し、乗り換えに急ぐ人、売店や駅そばに立ち寄る人、駅弁を物色する人、様々でした。
懐かしくて胸がキュンとしました。ディーゼルの匂いまで感じれそうな。タイムスリップして盛岡駅に居るような感覚。掲載してくれてありがとうございます。個人的なことですが、子供の頃の、優しかった爺ちゃん婆ちゃんに会えたような擬似体験が出来ました。よく駅に連れてってくれたから。
盛岡以北が特急街道だった頃ですね、懐かしい
携帯が無い頃駅の噴水前で4時間ほど放置されたことを思い出したw急行陸中は憧れだったなぁ良くこんな素晴らしい動画が残ってたな・・・
EF81の北斗星間合い、懐かしいですね。青函航路の最終便に乗った後、95号機が牽引してて驚いた記憶が。
生粋の盛岡市民ですこれは私が高校生の頃ですかね。放課後駅そばしてた時代…キオスクで盛岡タイムスと日刊スポーツ買ってたりして。キハ58花輪線は渋民も通ってましたから
0:29 パン信販の看板懐かしいなぁ秋田の実家近くにも昔あった
1995年、昭和と平成が入り混じっている時代でした。基本的にアナログな生活で、昭和の面影もまだまだ残っていた記憶があります。旧型客車、L特急、バスのナンバープレートの1文字(岩とか)が懐かしい。ホームの駅そばの匂いは今でも覚えています。
めちゃくちゃ懐かしい
盛岡か。まさか単身赴任で住むとは思ってなかった。2014-19。
ホームの駅そば。あまり甘くなくて美味しかった。地下改札・駅前の電光ニュース・南側の雑居ビル(怪しげな映画館もありましたね)が懐かしい。50系客車も夏は窓開けて、その地域の空気が感じられました(12系も走ってました)。ロングシートでなく、クロスシートで良かったです。今でもせめて1・2のセミクロスシートにして欲しいものです。一関=仙台がクロスシートなのに、風光明媚な岩手がロングシートなのはずっと残念です。485系だけでなく、583のはつかりもまだ走ってました。若いときは固定席で後ろ向きに座るとか嫌でしたが、今思えば貴重でした。半自動ドアのキハ52とか。岩泉線も行ったし、真夏の花輪線で窓開けて33パーミルのノロノロ運転を楽しんだのも懐かしいです。
9:03 急行陸中 宮古 (花巻経由)※山田線経由ではない
50系普通客車列車・キハ52・キハ58・485系のはつかり懐かしいです。 5:46の放送「まもなく4番線から東北本線 特急列車はつかり17号 青森行きが発車いたします」、隣の4番線の50系の普通列車もまだ東北本線の威厳が残っている気がしました。ちなみに、花輪線のキハ52と58は最後まで冷房改造しませんでした。
50系をはじめ非冷房車があったけど,旅気分は満喫できた時代でした。
0:54 駅前に屯するバスはブルドッグでは?色んなキハよりこっちを注目しました
余計かもしれませんが、ブルドッグではなくいすゞのBUです。県交通の大型路線車はどこに行っても国際興業お下がりのこのバスばかりでしたね。
1995年の時点ですでに盛岡駅に首都圏と同じ発車メロディがあったのがビックリです!最近だと地方でも聴けるようになりましたが
この頃は地方の主要駅にも発車メロディが入るようになりました秋田駅も1994年ぐらいには入っていたそうですからね
岩手出身ですが、私からすると逆です。小さい頃、まさにこの頃に盛岡駅に電車見に行き、water crown=盛岡駅のメロディでした。それから、家族旅行で東京に行き、今は東京で暮らしてますが、懐かしく思います。
プロミスの看板が二代前のやつで時代を感じました
ありがたや
盛岡駅のロータリーは今と変わらないようですね。岩手県交通のバスはBUやCCMにECMなどは三重交通と同じですね。さすが国際興業グループですね。最後のキハ52とキハ58は運転しにくいでしょうね。当時の新型キハ110系と加速差がはっきりとしていましたね。
そう😔当時の岩手県交通の路線バス、現在と違って側面の表示器は未使用(花巻、北上、水沢(現在は車庫もしくは待機場)、江刺(現在は胆江)、一関、釜石、大船渡の各営業所と、高田(現在は支所)、千厩、湯本(現在は閉業)、大迫(現在は閉業)の各バスターミナルは既に使用中/過去に東和営業所が実在したが、現在は閉業)、代わりに行き先サボが使用された(松園、都南、滝沢、雫石、紫波、矢巾の各営業所と巣子車庫に限り/過去に黒石野、河南の各営業所と南大通車庫が実在したが、現在は何れも閉業)😔
この動画が撮影された頃は火災対策工事施工車だけになっていましたが、加速だけならキハ110と遜色ありませんでした。登坂性能もキハ110に劣るとはいえ、花輪線の竜ヶ森で50km/h均衡していましたし、明確な欠点といえば冷房が無かったことでしょうか。少なくともキハ40に比べれば圧倒的な能力を見せつけていました。特にキハ52は単行可能なので、在籍全車が火災対策工事施工、更新工事も優先的に行われました。
急行・陸中。いいですねえ今は特急全盛の時代ですが、特急って「特別急行」の略ですよね。急行がなくなってしまったのに、「特別急行」だけが存在するというのは、チョッと変ですね。今の時代、特急の「特」はなんなのでしょうか?
料金(路線維持コスト)
9:11 この列車は花巻・釜石回り 宮古行きです
今や盛岡~青森へは新幹線ですぐなのに三十年前の客車列車でどれくらい時間かかってたのかな?
ちなみに新幹線だと1時間足らずで行くそうです。
駅前東口変わってないように感じる…
やっぱり北東北はこの声だよなー。
東北新幹線の終着駅時代の盛岡駅。
ホームの駅そばが大好物だった。あの味が何処かにないものか。
札幌に来てみては😊ありますよおそらく。駅そば5年前はありました
このときは、人口が多かったよね
駅前が今と大きく違うのは国際興行ビルが存在していた事
キハ110で2時間は辛いけどキハ52なら4時間でも余裕だろう!
レッドトレインヲを81が引いていたんですね
今はキハ110と701しか見んよね
盛岡発花巻線経由宮古行きかつての超絶分割併合多層建て急行の残滓
最後の陸中と八幡平同時発車。キハ52とキハ110の性能の差がはっきりわかる加速ですね。そういえばキハ111のトップナンバーはいま小牛田へ転属し、快速ゆけむり号で活躍中です。
小牛田にいるのは3ですね。1は盛岡在籍のまま、2はTOHOKU EMOTIONに改造されています。
インバウンド客は少なかっただろう
はつかりとはくつるは名前が似すぎだから紛らわしいと陰口を叩く者がいるらしい
50系客車快適だったが、加速がいまいちで701系の方が冷房付きで速いだろう
特急以外の電車が皆無…。普通列車は気動車か50系客車だけというのも…。
この頃の盛岡駅は活気がありました。青森・秋田から来る特急が1時間に1本。
その度に新幹線との乗り継ぎ客でホームが混雑し、
乗り換えに急ぐ人、売店や駅そばに立ち寄る人、駅弁を物色する人、様々でした。
懐かしくて胸がキュンとしました。
ディーゼルの匂いまで感じれそうな。タイムスリップして盛岡駅に居るような感覚。
掲載してくれてありがとうございます。個人的なことですが、子供の頃の、優しかった爺ちゃん婆ちゃんに会えたような擬似体験が出来ました。よく駅に連れてってくれたから。
盛岡以北が特急街道だった頃ですね、懐かしい
携帯が無い頃駅の噴水前で4時間ほど放置されたことを思い出したw
急行陸中は憧れだったなぁ
良くこんな素晴らしい動画が残ってたな・・・
EF81の北斗星間合い、懐かしいですね。
青函航路の最終便に乗った後、95号機が牽引してて驚いた記憶が。
生粋の盛岡市民です
これは私が高校生の頃ですかね。
放課後駅そばしてた時代…キオスクで盛岡タイムスと日刊スポーツ買ってたりして。キハ58花輪線は渋民も通ってましたから
0:29 パン信販の看板懐かしいなぁ
秋田の実家近くにも昔あった
1995年、昭和と平成が入り混じっている時代でした。基本的にアナログな生活で、昭和の面影もまだまだ残っていた記憶があります。旧型客車、L特急、バスのナンバープレートの1文字(岩とか)が懐かしい。ホームの駅そばの匂いは今でも覚えています。
めちゃくちゃ懐かしい
盛岡か。まさか単身赴任で住むとは思ってなかった。2014-19。
ホームの駅そば。あまり甘くなくて美味しかった。地下改札・駅前の電光ニュース・南側の雑居ビル(怪しげな映画館もありましたね)が懐かしい。50系客車も夏は窓開けて、その地域の空気が感じられました(12系も走ってました)。ロングシートでなく、クロスシートで良かったです。今でもせめて1・2のセミクロスシートにして欲しいものです。一関=仙台がクロスシートなのに、風光明媚な岩手がロングシートなのはずっと残念です。485系だけでなく、583のはつかりもまだ走ってました。若いときは固定席で後ろ向きに座るとか嫌でしたが、今思えば貴重でした。半自動ドアのキハ52とか。岩泉線も行ったし、真夏の花輪線で窓開けて33パーミルのノロノロ運転を楽しんだのも懐かしいです。
9:03 急行陸中 宮古 (花巻経由)
※山田線経由ではない
50系普通客車列車・キハ52・キハ58・485系のはつかり懐かしいです。 5:46の放送「まもなく4番線から東北本線 特急列車はつかり17号 青森行きが発車いたします」、隣の4番線の50系の普通列車もまだ東北本線の威厳が残っている気がしました。ちなみに、花輪線のキハ52と58は最後まで冷房改造しませんでした。
50系をはじめ非冷房車があったけど,旅気分は満喫できた時代でした。
0:54 駅前に屯するバスはブルドッグでは?色んなキハよりこっちを注目しました
余計かもしれませんが、ブルドッグではなくいすゞのBUです。
県交通の大型路線車はどこに行っても国際興業お下がりのこのバスばかりでしたね。
1995年の時点ですでに盛岡駅に首都圏と同じ発車メロディがあったのがビックリです!
最近だと地方でも聴けるようになりましたが
この頃は地方の主要駅にも発車メロディが入るようになりました
秋田駅も1994年ぐらいには入っていたそうですからね
岩手出身ですが、私からすると逆です。小さい頃、まさにこの頃に盛岡駅に電車見に行き、water crown=盛岡駅のメロディでした。それから、家族旅行で東京に行き、今は東京で暮らしてますが、懐かしく思います。
プロミスの看板が二代前のやつで時代を感じました
ありがたや
盛岡駅のロータリーは今と変わらないようですね。岩手県交通のバスはBUやCCMにECMなどは三重交通と同じですね。さすが国際興業グループですね。
最後のキハ52とキハ58は運転しにくいでしょうね。当時の新型キハ110系と加速差がはっきりとしていましたね。
そう😔当時の岩手県交通の路線バス、現在と違って側面の表示器は未使用(花巻、北上、水沢(現在は車庫もしくは待機場)、江刺(現在は胆江)、一関、釜石、大船渡の各営業所と、高田(現在は支所)、千厩、湯本(現在は閉業)、大迫(現在は閉業)の各バスターミナルは既に使用中/過去に東和営業所が実在したが、現在は閉業)、代わりに行き先サボが使用された(松園、都南、滝沢、雫石、紫波、矢巾の各営業所と巣子車庫に限り/過去に黒石野、河南の各営業所と南大通車庫が実在したが、現在は何れも閉業)😔
この動画が撮影された頃は火災対策工事施工車だけになっていましたが、
加速だけならキハ110と遜色ありませんでした。
登坂性能もキハ110に劣るとはいえ、花輪線の竜ヶ森で50km/h均衡していましたし、
明確な欠点といえば冷房が無かったことでしょうか。
少なくともキハ40に比べれば圧倒的な能力を見せつけていました。
特にキハ52は単行可能なので、在籍全車が火災対策工事施工、更新工事も優先的に行われました。
急行・陸中。いいですねえ
今は特急全盛の時代ですが、特急って「特別急行」の略ですよね。急行がなくなってしまったのに、「特別急行」だけが存在するというのは、チョッと変ですね。今の時代、特急の「特」はなんなのでしょうか?
料金(路線維持コスト)
9:11 この列車は花巻・釜石回り 宮古行きです
今や盛岡~青森へは新幹線ですぐなのに三十年前の客車列車でどれくらい時間かかってたのかな?
ちなみに新幹線だと1時間足らずで行くそうです。
駅前東口変わってないように感じる…
やっぱり北東北はこの声だよなー。
東北新幹線の終着駅時代の盛岡駅。
ホームの駅そばが大好物だった。
あの味が何処かにないものか。
札幌に来てみては😊
ありますよおそらく。駅そば
5年前はありました
このときは、人口が多かったよね
駅前が今と大きく違うのは国際興行ビルが存在していた事
キハ110で2時間は辛いけどキハ52なら4時間でも余裕だろう!
レッドトレインヲを81が引いていたんですね
今はキハ110と701しか見んよね
盛岡発花巻線経由宮古行き
かつての超絶分割併合多層建て急行の残滓
最後の陸中と八幡平同時発車。キハ52とキハ110の性能の差がはっきりわかる加速ですね。
そういえばキハ111のトップナンバーはいま小牛田へ転属し、快速ゆけむり号で活躍中です。
小牛田にいるのは3ですね。
1は盛岡在籍のまま、2はTOHOKU EMOTIONに改造されています。
インバウンド客は少なかっただろう
はつかりとはくつるは名前が似すぎだから紛らわしいと陰口を叩く者がいるらしい
50系客車快適だったが、加速がいまいちで701系の方が冷房付きで速いだろう
特急以外の電車が皆無…。
普通列車は気動車か50系客車だけというのも…。